例えば司馬遼太郎の城塞ではそういう解釈を採ってるね
関ヶ原の後秀吉が遺した莫大な豊臣家の財産を枯渇させるために、
家康がしきりに豊臣家に寺社建立を勧めたというのは有名な話
(開戦の切っ掛けとなる方広寺もその中の一つ)
最近ではNHKのその時歴史が動いたの淀殿の回でもそのような視点で番組を構成していた
ていうか関ヶ原後の十余年が、家康の秀頼に対する
猶予期間だったという解釈なんて山岡荘八くらいしかしてないんじゃないの