【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 01:44:03ID:PwULYb+H0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 22:10:16ID:FoZgZeZlいやつまり景勝がうっかり死んじゃうと
上田長尾の血をひく男子は景虎嫡男と上条嫡男しかいないってことでしょう。
実際上条の息子は子がない景勝のために人質に出されたりしているし。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 22:41:14ID:60YNYCof毘沙門様に不犯を誓って酒だけに生きたのだと思ってた。
ショックだけど勉強になりました。
p,sこれで消えます。スレ違いごめんさない。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:04:47ID:2ed5KjJt消えるそうだけど、
ホモが最低とか変態行為いうのはあくまで現代人の価値観で
当時は男色は女色とは比べ物にならない程、
豪快で爽やかなイメージがあったのであって、
少なくとも当時の価値観ではその人物のイメージを
下げる性質のものでは全くなかったとだけ言っておく。
男色は元々は女色を仏教の戒律で禁止されていた僧侶のための
代替品として盛んだったのだが、
昔ですらこっそり妻子を囲っている愛人が居て世間に眉を顰められてたのに対して、
男色しかしない僧侶はきちんと戒律を守る清僧として尊敬されてたほどなんだよね。
謙信も男色しかしないというのは清い人物と見られてたんだが。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:07:40ID:2ed5KjJt両刀=普通
女色しかしない奴=付き合いの悪い奴、変人
男色しかしない奴=カタブツ、清い人
両方しない奴=変態、病人
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:13:36ID:iEXotg/L0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:17:25ID:duPeJoyI0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 00:30:00ID:PeftYZtw0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 02:07:50ID:EQ63EnBi0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 05:44:09ID:SQyQuue3つまり、貴族の息子もホモばっか。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 06:15:26ID:NetnAEvk戦国期には大いに流行ったが
江戸時代に入るとだいぶ廃れた
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 07:55:07ID:L15f1A31うーん、本格的に廃れたのは江戸時代というか明治維新以降だと思うぞ。
幕末には会津や薩摩の衆道話も有名だし、
庶民レベルでの男色も盛んになった。
もっとも維新の後も海軍とか学校で男色は盛んだったようだが。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 13:07:39ID:DET47xfyhttp://www.cablenet.ne.jp/~h-mkkn/niho-kanwa5.html
色々とつっこみたい部分もあるが、おおむねの流れはわかると思う。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 23:56:54ID:DH6OvtK40055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 01:52:54ID:Ipq3Tjpq0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 03:55:00ID:Frgb5ZxK0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 04:18:58ID:JBwyiC4S0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 20:12:59ID:CjMOI6ut北条長綱こと幻庵の子供だっけ?
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:22:58ID:klsygmtC氏堯は氏康の弟で、氏忠・氏光は氏堯死後氏康の養子にされたらしいしな。
なんかごちゃごちゃしてきた
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:27:07ID:l4TryPdE0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 00:31:48ID:/7al+RTL0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:11:10ID:/F5azo730063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:27:16ID:/F5azo730064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 18:58:46ID:B0/kdvlu織田信秀の第11子で織田信長の実弟。本名は織田長益
景勝との政争に敗れた後に豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。
茶道の有楽流の祖になった程の文化人でもあった。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 00:48:16ID:esCmY5ux0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 22:18:42ID:9BBRx0Aqしむらー!メール欄!メール欄!
0067名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 05:54:28ID:Re6tgkrQ0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 08:48:32ID:GDSMznxz景虎は所詮、人質として送られてきた長年の宿敵北条氏の子
当時の価値観からすればどっちを選ぶかは大勢が決まるだろう
北条氏の後援が鈍かったのも、自分達がしゃしゃりでれば却って少ない景虎支持派にも悪影響を与えかねないとかの思いがあったんじゃ?
0069名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 09:16:50ID:Re6tgkrQ0070名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 09:49:59ID:rLGyPYymよく考えてみればかなりアホらしい構図になるな。義はどこに隠れた?
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2006/12/20(水) 10:13:05ID:Re6tgkrQ0072名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 10:28:57ID:XlxdXZ1jは無理ですか?
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2006/12/21(木) 08:00:50ID:jnDTA4oa0074名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 08:24:08ID:V/Z+y1Zhすべて憲政のためだけの壮大なドッキリカメラ。
0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 15:16:41ID:vJA1kSRJ御館の乱の上杉家内 (wikiとその他資料で補足してみた)
* ○は、一門衆
景勝側 VS 景虎側 中立?
○山浦国清 ○上杉憲政 河田長親
○上条政繁 ○上杉景信
○山本寺定長
○椎名景直
直江信綱 北条高広
本庄繁長 北条景広
斎藤朝信 本庄秀綱
色部長実 河田重親
吉江宗信 堀江宗親(後に景勝側へ寝返る)
吉江景資 加地秀綱
安田顕元 神余親綱
安田能元
安田長秀
新発田長敦
新発田重家
三条道寿斎
毛利秀広
直江兼続
樋口兼豊
山崎秀仙
柿崎憲家
須田満親
狩野秀治
間違いや不足分があったら、補足してくれ。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 15:24:08ID:gOkYj+8V越後守護上杉景勝
0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 22:04:22ID:prNOu0lM小早川とか吉川とかそのにもいくらでも、養子が家を継いだ例はあるよ。探せば
血縁がある一族がほかにいたにもかかわらず。
ちなみに当時は同じ一族血筋で何十年も争って因縁が残る例もいくらもある。
実際に謙信の出身である府中長尾氏と景勝の出身である上田長尾氏は長年抗争を
続けた間柄。父親には謙信よる謀殺説すらある。
0078名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 10:43:55ID:MfdfphVY景勝はパッと見が優秀に見えなかったのかも……。
>>67
景勝を推した直江ら与板衆って、そんなに嫌われてたの?
0079名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 11:57:36ID:eoroFKASそれは他家を乗っ取るための謀略での養子入りじゃん
抗争してようが血筋が重視された時代には違いない
景勝は別にそれまでに無能とか性格劣悪とかの評価があったわけでもない
当然の結果だよ
0080名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 14:56:43ID:OgZ+PYGe古くは木曾義高、下っては津田信澄など
あっさり謀殺された遺児など挙げればきりがない
0081名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:04:52ID:zM45ZG3z第一例に挙げられたものがことごとく当主争いとは別種だというのは何だよ
0082名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:24:22ID:OgZ+PYGe府内長尾系はことごとく景虎派
例外は琵琶嶋弥七郎くらいで、それにしたところで
息子と目される琵琶島善次郎は景虎派の主力
ちなみに津田信澄は明智光秀が織田新当主として担ぐことを
恐れたので旗色鮮明にする前に殺されたんですよ
0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:28:45ID:zM45ZG3zことごとく、と言いながら自分で違う人物がいるとしっかり認めるとは如何にw
津田の件なんて証拠あんの?
0084名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:42:54ID:OgZ+PYGe琵琶嶋家の主力は景虎側であったことが言いたいだけですが
いちいち御館の乱の基礎知識から説明しなきゃならんのはなんなんですが
大半の家は両陣に分けられていたわけです
例として、山本寺上杉なら兄の定長が景虎、弟の孝長が景勝
河田なら伯父の重親が景虎、甥の長親が景勝
斉藤なら兄の朝信が景勝、弟の三郎左衛門が景虎
下越本荘なら親の繁長が景勝、子の顕長が景虎
ちなみに本荘顕長は繁長謀反の降伏後に謙信に人質として出され
以後春日山にいた人です
0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:48:57ID:OgZ+PYGeこれをみれば一目同然なんですが
乱後から上田衆と信濃衆の重用が進み
会津時代に至っては家中序列上位の殆どを占め
兼続没後にようやく旧中越系が復権を果たします
景勝政権が誰を信頼できる身内を見なしていたかが
よくわかります
0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 19:05:25ID:ajteuEQW0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 19:42:07ID:OgZ+PYGe安房忌部氏の系だとかで
0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 21:11:54ID:ajteuEQW0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 22:23:01ID:OgZ+PYGe重要視されたのは間違い無いでしょうね
0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 19:11:30ID:G9Atzkga0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 22:19:44ID:9UYeCSwL久盛が応永年間と長森原の合戦と2回出てきたり
豊盛と景長は兄弟ではなく別家かもしれないとふと思った
盛を通字とする家(行盛・久盛・能盛・正盛)
政を通字として孫五郎を継ぐ家(義政・政応・政久)
景を通字として玄蕃を継ぐ家で(景久・景長)
全部別だったのをムリクリ合わせたとか
孫次郎も豊盛ともう1人長森原の合戦に出ていてたぶん親子だよね
0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 23:12:32ID:WiHBalm7越相同盟は本当に義の無い場当たり的なものだね。
0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 10:13:55ID:FAQ6Sc030094名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 19:13:43ID:AvMJ7A59他の越後毛利一族と違って本姓を名乗っているのはなんでだろう
もしかしてかなり宗家筋に近かったのかな?
0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 16:55:51ID:uY8aq0X70096名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 17:55:35ID:rjJf1VmD0097名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 20:01:43ID:BFvBCaNM家帰って調べたらあった
3)『戦国人名辞典』遠山康光項
(…)相模国中郡白根のうちに三百四十一貫文を領し、天文年間の末頃から永禄年間にかけて奏者となる。北条氏康の命により上杉謙信との講和の交渉にあたり、元亀元年、氏康の子氏秀(景虎)が謙信に養子入りしたとき従い奏者となった。
0098名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 01:07:10ID:IIq1bvKZ0099名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 06:38:50ID:SUhIkDVV以前ニュース速報+で信澄が信長頃した犯人だって誤報が出てた証拠か何か発見されたニュースのスレがあった。
それで頃されたんじゃないかな。
0100名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 00:56:02ID:4C5MnKhI子孫残ってないんですか?
0101名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 14:48:29ID:MuSujSU/信澄の?
0102名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 16:36:36ID:TaxfixU6信澄の子孫ならいるよ。長男の織田昌澄が徳川家の直参になったから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%98%8C%E6%BE%84
0103名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/19(月) 02:31:45ID:mk6oH8sUの近親者といわれる影虎を北条が見捨てたのだろう。影虎が後継者になれば
上下から武田を挟み撃ちに出来ると思うのだが。影虎が北条出身だけに
北条側の動きの悪さに疑問を抱く。
0104人間七七四年
2007/02/19(月) 02:50:36ID:0oXtktqd臣従してくれた高天神城見捨てて身内が所領増やすために上野出兵した武田勝頼とは真逆の家風
0105人間七七四年
2007/02/19(月) 03:08:09ID:8oyHwqy6すげー甘い処分
やっぱり春日局がとりなしたのかねえ
それとも俗に言う天海?
0106人間七七四年
2007/02/19(月) 13:21:07ID:JnqxRDB5とりあえず、関東情勢を頭に叩き込んでおかないと
氏政の行動は理解できないと思うぞ
御館にしかり、小牧長久手にしかり
あと氏邦勢の一部は越後進出済
0107人間七七四年
2007/03/25(日) 07:57:00ID:bRVYAifj0108人間七七四年
2007/04/19(木) 02:48:43ID:73Rd3pLb「武田の三郎どのと 一夜ちぎらば梨地鞍 召さぬは泣いて御座べいな 辛苦て有もすべい」
という戯れ歌だから武田人質説が崩れれば美少年説も崩れるんじゃないか?
というツッコミはしないお約束なんでせうか
0109人間七七四年
2007/04/19(木) 08:03:36ID:TqVyQpvm武田人質説なんて、もはや支持者ほぼゼロだろ。
0110人間七七四年
2007/04/19(木) 22:37:17ID:73Rd3pLb武田人質説が否定されるならば美少年説も
否定されてしかるべきなんじゃないかと思うんだが
0111人間七七四年
2007/04/26(木) 19:20:09ID:wPAhxYpMNHKは26日、2009年の大河ドラマで「天地人」を放送すると発表した。
原作は、戦国時代を舞台にした火坂雅志さんの同名小説。
番組では、上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉がほれ込み
徳川家康が恐れたという「義」の人、直江兼続の生涯を描く。
配役は、今後人選を進める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000129-jij-soci
2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177580029/
0112人間七七四年
2007/04/27(金) 14:43:40ID:UctOvMjA0113人間七七四年
2007/04/27(金) 21:03:17ID:TGC5121Nそれならそれでいいんでないか。
弱い奴を倒しても、何の名誉にもならないことを考えると、
それなりに強く描かざるをえないと思うが如何。
特に昨今、義元なんかはものすごく見直されてるじゃないか。
0114人間七七四年
2007/04/27(金) 23:30:25ID:f3GyXvs5さらに側室の妙徳院(釈)も出てきて昼ドラ的展開に
0115人間七七四年
2007/04/28(土) 17:57:41ID:TkOppZ/fいう説と、武田軍が邪魔をしたという説があるが史実ではどうなってるの?
0116人間七七四年
2007/04/28(土) 20:51:09ID:C0vd+1Vf今川義元には海道一の弓取りという尊称もあるしな
少なくとも原作の景虎は悪どくも卑怯、かつ無能という役回り
というか兼続に敵対する人は多かれ少なかれ皆そういう薄っぺらい役回り
その薄っぺらい悪役との対比によって兼続の義気を描く物だからこれまた非常に薄っぺらいw
そして兼続の不義はどれもこれも必ず、行きがかり・不運・世の倣いで正当化される
ドラマが原作通りなら見る価値全く無いねえ
これ言うと言った方が阿呆に見えるからあんまり言いたくないんだけど敢えて言う
「こりゃシロウトの俺が書いたほうがなんぼかマシな話になるわ」
0117人間七七四年
2007/04/28(土) 21:44:25ID:ZHGuvfhI関東管領上杉謙信が死んでから、織田が武田上杉を滅ぼして関東に攻め込んでくるまでの間に
関東を平定するのが最優先事項だったので適当なところで引き上げた
ってのがもしも勝頼スレでは有力だった気がする。
北条の悲願は関東制覇だし、この時点では既に織田と通じていたようだ。
三郎も北条一門なら自分が謙信足止めのための捨石だと承知していただろう。
0118人間七七四年
2007/04/28(土) 22:33:01ID:C0vd+1Vfそれにより関東から孤立した名胡桃城小川城が開城
翌1580年には最後まで抵抗していた沼田城の藤田信吉が開城
これを見ればやはり勝頼は早い時期から北条に対して軍事攻撃を見せていたと思われる
その後大胡城膳城など利根川東岸をも席捲する一方で
遠州高天神城には援軍を送らず、守城側の奮闘空しく翌81年3月に落城
このことにより信濃国人衆からの信望を失い、木曾氏保科氏を始めとした
大量離反を招くこととなり武田家は内部から崩壊する
0119人間七七四年
2007/05/04(金) 04:24:58ID:oJweYrNQ0120人間七七四年
2007/05/05(土) 21:33:09ID:Fg4h2tbS0121人間七七四年
2007/05/05(土) 21:45:57ID:lbRipyYwしかも民放が単発でやったら終わらなさそうなボリューム
ドラマチックな展開や描写が大好きで何度も読み返してる
主人公(景虎)は絶世の美青年・息子(道満丸)も美形、
敵対する勢力(景勝)の参謀(兼続)は腹黒美少年
美男だらけの中最後は儚く散る主人公…フジあたりが好きそう
でも景勝が癇癪持ちで兼続は義も何もあったもんじゃないから
2009年大河にぶつけたら喧嘩売ってる以外のなにものでもないw
0122人間七七四年
2007/05/05(土) 23:33:21ID:+uljJ6nI何かどっちかだけが片寄って腹黒いとか悪役とかそんなんじゃなく
それぞれいい所も悪い所も魅力的に書いてさ
俺景勝も景虎も好きだし
0123人間七七四年
2007/05/06(日) 03:10:35ID:tg1QtPwk誰それが悪いとか権力欲しくて謀反とか違うのかもな、と思わせる点で。
秀吉嫌いだったけど少し考え直したし。
0125人間七七四年
2007/05/07(月) 10:42:52ID:BifdxcjF0126人間七七四年
2007/05/07(月) 13:41:38ID:58YJlZo6この当時の双方の兵力てどんなもんだったんだろう。
0127人間七七四年
2007/05/15(火) 16:02:43ID:kFbdbZhY景勝が農民まで徴用してまわったみたいな逸話が残ってるとか残ってないとか
0128人間七七四年
2007/05/18(金) 19:01:51ID:OHZu9S0+0129人間七七四年
2007/05/18(金) 19:37:15ID:OHftsbfg0130人間七七四年
2007/05/18(金) 19:40:05ID:OHftsbfgおたて、ね。
0131人間七七四年
2007/05/18(金) 21:37:01ID:Q/HuG5aX0132人間七七四年
2007/05/24(木) 20:36:41ID:5bI3AhPU0133人間七七四年
2007/05/24(木) 21:08:42ID:EMtHUy5v氏秀と景虎は別人だった!
という説出してたけど、結局撤回した んだっけ?
0134人間七七四年
2007/05/24(木) 21:49:46ID:SNW8omf9治部少輔氏秀は天正11年に死んでるのに
幼少時に出家して、久野北条家の新三郎氏信が討ち死にしたため
還俗して養子として仮名三郎を名乗ったが
偏諱を受ける前に越後行きが決まったために
実名は無しってことでいいと思う
0135人間七七四年
2007/05/24(木) 23:21:39ID:kEDdhkSMそれを撤回したというのは初耳だ
どこでそれを発表したか、どういう理由で自説を覆したか、
それがわかるまでは信じられんな
0136景虎
2007/06/08(金) 01:19:45ID:LlC3el+k0137人間七七四年
2007/06/08(金) 09:22:44ID:ANKb0HiI0138人間七七四年
2007/06/09(土) 07:59:33ID:hPv2VUwM近衛龍春の「上杉三郎景虎」は勝頼が景虎に説教垂れるシーンに爆笑してしまったw
言ってる内容は一応尤もなんだけど、お前が言うなって感じで。
出来は良いし、景虎好きなら読んで損は無い出来だよね。
0139人間七七四年
2007/06/09(土) 21:15:37ID:7Byti/jFweb注文できるっけ?なんか重版予定なしとか見かけたけど…
でさ、2社からでてるっしょ?内容同じかね?
0140人間七七四年
2007/06/09(土) 22:39:15ID:Z6RUezhottp://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E4%B8%89%E9%83%8E%E6%99%AF%E8%99%8E-%E8%BF%91%E8%A1%9B%E9%BE%8D%E6%98%A5/dp/4334738524/ref=pd_bbs_sr_2/250-5051720-0530614?ie=UTF8&s=books&qid=1181396158&sr=8-2
0141人間七七四年
2007/06/20(水) 22:50:23ID:fS9kAVFn戦えない後継ぎとか困るじゃん。
なんとなく、僧侶として生きたかったのに戦国大名になってしまった謙信が、
子供の頃寺に入れられていた景虎に若い頃の自分を重ねて見ていたような気がする。
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