【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 01:44:03ID:PwULYb+H0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 02:12:55ID:JXxa1rLm0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 02:30:01ID:UwIztxZc0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 02:31:37ID:lMf1/C6a0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 06:51:47ID:wvICqKRo0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 13:37:49ID:r5nG7AD50007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 18:41:04ID:31OuErII0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 20:32:23ID:oXfFhBhK本能寺が無かったら景勝でも潰されてたって
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 20:56:33ID:A04sRJxP0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 02:21:37ID:8oRf6/VY0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:49:12ID:eRL+udP+謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 16:20:48ID:Tx0cj5gO0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 17:03:22ID:Y3e2rfvs0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 17:25:35ID:EXJiY5Qn0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 18:29:07ID:tU4GZ6Ee「景勝は上杉の一族なので謙信も景勝を後継者と見ていた」
とえらそうに講釈垂れる人がいるが、
上杉(長尾)家は伝統的に養子相続は多いし、
謙信も景虎を後継者にするのに抵抗はなかんったと思う。
むしろ景勝の法が油断ならん男で謙信の前でも隙を見せなかったそうで、
謙信の愛情と信頼は景虎にあったと思われ。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 19:46:33ID:spRtfdZf必ずしもそうとは言い切れんのだよなぁ。
謙信の書状で「雪が降るからもどっておいで」と、
飯山の守備に出陣中の景勝宛書状もあるし、幼いころの
溺愛ぶり(書道のお手本)は周知のとおり。
官途をそのまま譲ってることを考えても、越後国主は景勝移譲だろ。
景虎は北条との鎹にと期待し、名目だけの関東管領を譲るという説に説得力がある。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 20:40:26ID:EnvARBjU軍神様カワユス。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:06:02ID:XxaCjzskそうだとしても証拠がないんだよね。
有名な仙桃院のインチキ遺言で
謙信の遺言を捏造した件もあるし。
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:22:30ID:gBkPCcPP直江実綱未亡人が正しい。
これも江戸時代に編集された「年譜」の記事なんだけどね。
0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:51:42ID:XxaCjzsk景勝が胡散臭いのは事実だけどね。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:55:22ID:kjuyS6JO根拠は
謙信が春日山の本丸に近い、二の郭に景虎を住まわせ、景勝を下方に置いたこと
景勝には他の諸将と同様の扱いで軍役を課しているが、景虎には何も課していないこと
自分の旧名「景虎」を与えた事
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 19:30:09ID:vRen4UO9景勝の場合はまぁ血縁関係という分かり易い背景があるから納得するの簡単だけど。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:03:43ID:XxaCjzskまあ、ようするに可愛かったという事か。
別に謙信は変人だから、特におかしいとも思わんが。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:55:56ID:gBkPCcPPたしかに二の郭は本丸(実城)に近かったんだろうが、
景勝の中城も、当時の春日山(鉢ヶ峰)では実城とならぶ
2大城郭だった説もあるからなぁ。
景虎には軍役を課してないのではなく、知行地がないから軍役衆もいない。
兵を出せといわれても困るわけだ。この場合も、謙信の直領を相続するはずだった。
とかの推論では結論まで出せない。従五位下弾正少弼は謙信生前に景勝が継いでるし。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 00:15:45ID:d0qCVKdx国内が安定してしまうと結局コストだけかかって実益のない関東管領職。
これを穏便に手放すための口実に使えないかな>>三郎景虎
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 06:48:57ID:HMVUTs8z変わり者の謙信はそんなこと考えてないだろ。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 09:51:21ID:ovlBLUBF一族唯一の成人男子で後がないのに容赦なく前線に立たされて。
謙信乗っとる気満々じゃん。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 14:16:45ID:Jc2s1IsI土手が崩れて狭くなったんかな
昔見に行った時
こんな所に掘っ立て小屋でも建てて住んでたのだろうかと想像して悲しくなった記憶が…
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 01:39:42ID:J/TM6o/O上杉景勝支持→直江信綱、斎藤朝信、河田長親、千坂兵部など
上杉景虎支持→本庄秀綱、北条景広、神余親綱、上杉景信など
よく、謙信時代に政権の中枢にあった連中が景虎派に属しているから、
謙信の真意は上杉景虎に後を継がせたかったというが、上を見る限り
そうでもないような気がする
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 06:59:20ID:2ed5KjJtいや、いくら何でも上条は論外だろうけど・・・
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 07:17:46ID:n0Y3UK/D越後国内の昔からの豪族は景虎
って気もする
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 14:29:19ID:8lSj6CRe仮に景虎が勝ったとしても、余所者の彼が国内を
まとめることができたかは疑問だ。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 14:35:16ID:4MqdH/3X0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 15:08:00ID:bcvau+8h0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 18:18:45ID:2ed5KjJtならないだろ。
養子相続なんて日本ではゴロゴロある。
血の繋がりよりも家の繋がりが大切。
例えば芦名盛氏の養子も佐竹の人間だしさ。
そもそも上杉綱憲は吉良家の人間。
上杉鷹山も秋月家の人間。
そもそも上杉自体が上杉憲政の形式的養子の長尾景虎が
継いだのたが。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 18:33:40ID:VioZtHQhやっぱできてたの?
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 18:44:24ID:2ed5KjJtつーか、それで有名なんだが、
なんせ北条と喧嘩別れしたあとも手放すどころか
養子にまでして可愛がった男だし。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 20:06:00ID:60YNYCof男とはヤリまくりだったの?
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 20:29:01ID:duPeJoyI0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 20:52:29ID:60YNYCof欲情を酒にぶつけて、その結果、突然死したと思ってた。
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 21:56:11ID:2ed5KjJt信長、政宗、信玄と
当時の英雄はみんな男色にハマってたし、
そんなガッカリする程のことではないが。
あと、景勝と兼続も夫婦ね。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 22:10:16ID:FoZgZeZlいやつまり景勝がうっかり死んじゃうと
上田長尾の血をひく男子は景虎嫡男と上条嫡男しかいないってことでしょう。
実際上条の息子は子がない景勝のために人質に出されたりしているし。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 22:41:14ID:60YNYCof毘沙門様に不犯を誓って酒だけに生きたのだと思ってた。
ショックだけど勉強になりました。
p,sこれで消えます。スレ違いごめんさない。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:04:47ID:2ed5KjJt消えるそうだけど、
ホモが最低とか変態行為いうのはあくまで現代人の価値観で
当時は男色は女色とは比べ物にならない程、
豪快で爽やかなイメージがあったのであって、
少なくとも当時の価値観ではその人物のイメージを
下げる性質のものでは全くなかったとだけ言っておく。
男色は元々は女色を仏教の戒律で禁止されていた僧侶のための
代替品として盛んだったのだが、
昔ですらこっそり妻子を囲っている愛人が居て世間に眉を顰められてたのに対して、
男色しかしない僧侶はきちんと戒律を守る清僧として尊敬されてたほどなんだよね。
謙信も男色しかしないというのは清い人物と見られてたんだが。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:07:40ID:2ed5KjJt両刀=普通
女色しかしない奴=付き合いの悪い奴、変人
男色しかしない奴=カタブツ、清い人
両方しない奴=変態、病人
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:13:36ID:iEXotg/L0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 23:17:25ID:duPeJoyI0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 00:30:00ID:PeftYZtw0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 02:07:50ID:EQ63EnBi0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 05:44:09ID:SQyQuue3つまり、貴族の息子もホモばっか。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 06:15:26ID:NetnAEvk戦国期には大いに流行ったが
江戸時代に入るとだいぶ廃れた
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 07:55:07ID:L15f1A31うーん、本格的に廃れたのは江戸時代というか明治維新以降だと思うぞ。
幕末には会津や薩摩の衆道話も有名だし、
庶民レベルでの男色も盛んになった。
もっとも維新の後も海軍とか学校で男色は盛んだったようだが。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 13:07:39ID:DET47xfyhttp://www.cablenet.ne.jp/~h-mkkn/niho-kanwa5.html
色々とつっこみたい部分もあるが、おおむねの流れはわかると思う。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 23:56:54ID:DH6OvtK40055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 01:52:54ID:Ipq3Tjpq0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 03:55:00ID:Frgb5ZxK0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 04:18:58ID:JBwyiC4S0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 20:12:59ID:CjMOI6ut北条長綱こと幻庵の子供だっけ?
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:22:58ID:klsygmtC氏堯は氏康の弟で、氏忠・氏光は氏堯死後氏康の養子にされたらしいしな。
なんかごちゃごちゃしてきた
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:27:07ID:l4TryPdE0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 00:31:48ID:/7al+RTL0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:11:10ID:/F5azo730063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 01:27:16ID:/F5azo730064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 18:58:46ID:B0/kdvlu織田信秀の第11子で織田信長の実弟。本名は織田長益
景勝との政争に敗れた後に豊臣秀吉、徳川家康に仕えた。
茶道の有楽流の祖になった程の文化人でもあった。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 00:48:16ID:esCmY5ux0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 22:18:42ID:9BBRx0Aqしむらー!メール欄!メール欄!
0067名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 05:54:28ID:Re6tgkrQ0068名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 08:48:32ID:GDSMznxz景虎は所詮、人質として送られてきた長年の宿敵北条氏の子
当時の価値観からすればどっちを選ぶかは大勢が決まるだろう
北条氏の後援が鈍かったのも、自分達がしゃしゃりでれば却って少ない景虎支持派にも悪影響を与えかねないとかの思いがあったんじゃ?
0069名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 09:16:50ID:Re6tgkrQ0070名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 09:49:59ID:rLGyPYymよく考えてみればかなりアホらしい構図になるな。義はどこに隠れた?
0071名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 10:13:05ID:Re6tgkrQ0072名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 10:28:57ID:XlxdXZ1jは無理ですか?
0073名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 08:00:50ID:jnDTA4oa0074名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 08:24:08ID:V/Z+y1Zhすべて憲政のためだけの壮大なドッキリカメラ。
0075名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 15:16:41ID:vJA1kSRJ御館の乱の上杉家内 (wikiとその他資料で補足してみた)
* ○は、一門衆
景勝側 VS 景虎側 中立?
○山浦国清 ○上杉憲政 河田長親
○上条政繁 ○上杉景信
○山本寺定長
○椎名景直
直江信綱 北条高広
本庄繁長 北条景広
斎藤朝信 本庄秀綱
色部長実 河田重親
吉江宗信 堀江宗親(後に景勝側へ寝返る)
吉江景資 加地秀綱
安田顕元 神余親綱
安田能元
安田長秀
新発田長敦
新発田重家
三条道寿斎
毛利秀広
直江兼続
樋口兼豊
山崎秀仙
柿崎憲家
須田満親
狩野秀治
間違いや不足分があったら、補足してくれ。
0076名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 15:24:08ID:gOkYj+8V越後守護上杉景勝
0077名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 22:04:22ID:prNOu0lM小早川とか吉川とかそのにもいくらでも、養子が家を継いだ例はあるよ。探せば
血縁がある一族がほかにいたにもかかわらず。
ちなみに当時は同じ一族血筋で何十年も争って因縁が残る例もいくらもある。
実際に謙信の出身である府中長尾氏と景勝の出身である上田長尾氏は長年抗争を
続けた間柄。父親には謙信よる謀殺説すらある。
0078名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 10:43:55ID:MfdfphVY景勝はパッと見が優秀に見えなかったのかも……。
>>67
景勝を推した直江ら与板衆って、そんなに嫌われてたの?
0079名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 11:57:36ID:eoroFKASそれは他家を乗っ取るための謀略での養子入りじゃん
抗争してようが血筋が重視された時代には違いない
景勝は別にそれまでに無能とか性格劣悪とかの評価があったわけでもない
当然の結果だよ
0080名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 14:56:43ID:OgZ+PYGe古くは木曾義高、下っては津田信澄など
あっさり謀殺された遺児など挙げればきりがない
0081名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:04:52ID:zM45ZG3z第一例に挙げられたものがことごとく当主争いとは別種だというのは何だよ
0082名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:24:22ID:OgZ+PYGe府内長尾系はことごとく景虎派
例外は琵琶嶋弥七郎くらいで、それにしたところで
息子と目される琵琶島善次郎は景虎派の主力
ちなみに津田信澄は明智光秀が織田新当主として担ぐことを
恐れたので旗色鮮明にする前に殺されたんですよ
0083名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:28:45ID:zM45ZG3zことごとく、と言いながら自分で違う人物がいるとしっかり認めるとは如何にw
津田の件なんて証拠あんの?
0084名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:42:54ID:OgZ+PYGe琵琶嶋家の主力は景虎側であったことが言いたいだけですが
いちいち御館の乱の基礎知識から説明しなきゃならんのはなんなんですが
大半の家は両陣に分けられていたわけです
例として、山本寺上杉なら兄の定長が景虎、弟の孝長が景勝
河田なら伯父の重親が景虎、甥の長親が景勝
斉藤なら兄の朝信が景勝、弟の三郎左衛門が景虎
下越本荘なら親の繁長が景勝、子の顕長が景虎
ちなみに本荘顕長は繁長謀反の降伏後に謙信に人質として出され
以後春日山にいた人です
0085名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 16:48:57ID:OgZ+PYGeこれをみれば一目同然なんですが
乱後から上田衆と信濃衆の重用が進み
会津時代に至っては家中序列上位の殆どを占め
兼続没後にようやく旧中越系が復権を果たします
景勝政権が誰を信頼できる身内を見なしていたかが
よくわかります
0086名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 19:05:25ID:ajteuEQW0087名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 19:42:07ID:OgZ+PYGe安房忌部氏の系だとかで
0088名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 21:11:54ID:ajteuEQW0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 22:23:01ID:OgZ+PYGe重要視されたのは間違い無いでしょうね
0090名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 19:11:30ID:G9Atzkga0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 22:19:44ID:9UYeCSwL久盛が応永年間と長森原の合戦と2回出てきたり
豊盛と景長は兄弟ではなく別家かもしれないとふと思った
盛を通字とする家(行盛・久盛・能盛・正盛)
政を通字として孫五郎を継ぐ家(義政・政応・政久)
景を通字として玄蕃を継ぐ家で(景久・景長)
全部別だったのをムリクリ合わせたとか
孫次郎も豊盛ともう1人長森原の合戦に出ていてたぶん親子だよね
0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 23:12:32ID:WiHBalm7越相同盟は本当に義の無い場当たり的なものだね。
0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 10:13:55ID:FAQ6Sc030094名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/05(金) 19:13:43ID:AvMJ7A59他の越後毛利一族と違って本姓を名乗っているのはなんでだろう
もしかしてかなり宗家筋に近かったのかな?
0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 16:55:51ID:uY8aq0X70096名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 17:55:35ID:rjJf1VmD0097名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 20:01:43ID:BFvBCaNM家帰って調べたらあった
3)『戦国人名辞典』遠山康光項
(…)相模国中郡白根のうちに三百四十一貫文を領し、天文年間の末頃から永禄年間にかけて奏者となる。北条氏康の命により上杉謙信との講和の交渉にあたり、元亀元年、氏康の子氏秀(景虎)が謙信に養子入りしたとき従い奏者となった。
0098名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 01:07:10ID:IIq1bvKZ0099名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 06:38:50ID:SUhIkDVV以前ニュース速報+で信澄が信長頃した犯人だって誤報が出てた証拠か何か発見されたニュースのスレがあった。
それで頃されたんじゃないかな。
0100名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/01(木) 00:56:02ID:4C5MnKhI子孫残ってないんですか?
0101名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 14:48:29ID:MuSujSU/信澄の?
0102名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/03(土) 16:36:36ID:TaxfixU6信澄の子孫ならいるよ。長男の織田昌澄が徳川家の直参になったから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E6%98%8C%E6%BE%84
0103名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/19(月) 02:31:45ID:mk6oH8sUの近親者といわれる影虎を北条が見捨てたのだろう。影虎が後継者になれば
上下から武田を挟み撃ちに出来ると思うのだが。影虎が北条出身だけに
北条側の動きの悪さに疑問を抱く。
0104人間七七四年
2007/02/19(月) 02:50:36ID:0oXtktqd臣従してくれた高天神城見捨てて身内が所領増やすために上野出兵した武田勝頼とは真逆の家風
0105人間七七四年
2007/02/19(月) 03:08:09ID:8oyHwqy6すげー甘い処分
やっぱり春日局がとりなしたのかねえ
それとも俗に言う天海?
0106人間七七四年
2007/02/19(月) 13:21:07ID:JnqxRDB5とりあえず、関東情勢を頭に叩き込んでおかないと
氏政の行動は理解できないと思うぞ
御館にしかり、小牧長久手にしかり
あと氏邦勢の一部は越後進出済
0107人間七七四年
2007/03/25(日) 07:57:00ID:bRVYAifj0108人間七七四年
2007/04/19(木) 02:48:43ID:73Rd3pLb「武田の三郎どのと 一夜ちぎらば梨地鞍 召さぬは泣いて御座べいな 辛苦て有もすべい」
という戯れ歌だから武田人質説が崩れれば美少年説も崩れるんじゃないか?
というツッコミはしないお約束なんでせうか
0109人間七七四年
2007/04/19(木) 08:03:36ID:TqVyQpvm武田人質説なんて、もはや支持者ほぼゼロだろ。
0110人間七七四年
2007/04/19(木) 22:37:17ID:73Rd3pLb武田人質説が否定されるならば美少年説も
否定されてしかるべきなんじゃないかと思うんだが
0111人間七七四年
2007/04/26(木) 19:20:09ID:wPAhxYpMNHKは26日、2009年の大河ドラマで「天地人」を放送すると発表した。
原作は、戦国時代を舞台にした火坂雅志さんの同名小説。
番組では、上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉がほれ込み
徳川家康が恐れたという「義」の人、直江兼続の生涯を描く。
配役は、今後人選を進める。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070426-00000129-jij-soci
2009年大河ドラマは「天地人」 主役は直江兼続
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177580029/
0112人間七七四年
2007/04/27(金) 14:43:40ID:UctOvMjA0113人間七七四年
2007/04/27(金) 21:03:17ID:TGC5121Nそれならそれでいいんでないか。
弱い奴を倒しても、何の名誉にもならないことを考えると、
それなりに強く描かざるをえないと思うが如何。
特に昨今、義元なんかはものすごく見直されてるじゃないか。
0114人間七七四年
2007/04/27(金) 23:30:25ID:f3GyXvs5さらに側室の妙徳院(釈)も出てきて昼ドラ的展開に
0115人間七七四年
2007/04/28(土) 17:57:41ID:TkOppZ/fいう説と、武田軍が邪魔をしたという説があるが史実ではどうなってるの?
0116人間七七四年
2007/04/28(土) 20:51:09ID:C0vd+1Vf今川義元には海道一の弓取りという尊称もあるしな
少なくとも原作の景虎は悪どくも卑怯、かつ無能という役回り
というか兼続に敵対する人は多かれ少なかれ皆そういう薄っぺらい役回り
その薄っぺらい悪役との対比によって兼続の義気を描く物だからこれまた非常に薄っぺらいw
そして兼続の不義はどれもこれも必ず、行きがかり・不運・世の倣いで正当化される
ドラマが原作通りなら見る価値全く無いねえ
これ言うと言った方が阿呆に見えるからあんまり言いたくないんだけど敢えて言う
「こりゃシロウトの俺が書いたほうがなんぼかマシな話になるわ」
0117人間七七四年
2007/04/28(土) 21:44:25ID:ZHGuvfhI関東管領上杉謙信が死んでから、織田が武田上杉を滅ぼして関東に攻め込んでくるまでの間に
関東を平定するのが最優先事項だったので適当なところで引き上げた
ってのがもしも勝頼スレでは有力だった気がする。
北条の悲願は関東制覇だし、この時点では既に織田と通じていたようだ。
三郎も北条一門なら自分が謙信足止めのための捨石だと承知していただろう。
0118人間七七四年
2007/04/28(土) 22:33:01ID:C0vd+1Vfそれにより関東から孤立した名胡桃城小川城が開城
翌1580年には最後まで抵抗していた沼田城の藤田信吉が開城
これを見ればやはり勝頼は早い時期から北条に対して軍事攻撃を見せていたと思われる
その後大胡城膳城など利根川東岸をも席捲する一方で
遠州高天神城には援軍を送らず、守城側の奮闘空しく翌81年3月に落城
このことにより信濃国人衆からの信望を失い、木曾氏保科氏を始めとした
大量離反を招くこととなり武田家は内部から崩壊する
0119人間七七四年
2007/05/04(金) 04:24:58ID:oJweYrNQ0120人間七七四年
2007/05/05(土) 21:33:09ID:Fg4h2tbS0121人間七七四年
2007/05/05(土) 21:45:57ID:lbRipyYwしかも民放が単発でやったら終わらなさそうなボリューム
ドラマチックな展開や描写が大好きで何度も読み返してる
主人公(景虎)は絶世の美青年・息子(道満丸)も美形、
敵対する勢力(景勝)の参謀(兼続)は腹黒美少年
美男だらけの中最後は儚く散る主人公…フジあたりが好きそう
でも景勝が癇癪持ちで兼続は義も何もあったもんじゃないから
2009年大河にぶつけたら喧嘩売ってる以外のなにものでもないw
0122人間七七四年
2007/05/05(土) 23:33:21ID:+uljJ6nI何かどっちかだけが片寄って腹黒いとか悪役とかそんなんじゃなく
それぞれいい所も悪い所も魅力的に書いてさ
俺景勝も景虎も好きだし
0123人間七七四年
2007/05/06(日) 03:10:35ID:tg1QtPwk誰それが悪いとか権力欲しくて謀反とか違うのかもな、と思わせる点で。
秀吉嫌いだったけど少し考え直したし。
0125人間七七四年
2007/05/07(月) 10:42:52ID:BifdxcjF0126人間七七四年
2007/05/07(月) 13:41:38ID:58YJlZo6この当時の双方の兵力てどんなもんだったんだろう。
0127人間七七四年
2007/05/15(火) 16:02:43ID:kFbdbZhY景勝が農民まで徴用してまわったみたいな逸話が残ってるとか残ってないとか
0128人間七七四年
2007/05/18(金) 19:01:51ID:OHZu9S0+0129人間七七四年
2007/05/18(金) 19:37:15ID:OHftsbfg0130人間七七四年
2007/05/18(金) 19:40:05ID:OHftsbfgおたて、ね。
0131人間七七四年
2007/05/18(金) 21:37:01ID:Q/HuG5aX0132人間七七四年
2007/05/24(木) 20:36:41ID:5bI3AhPU0133人間七七四年
2007/05/24(木) 21:08:42ID:EMtHUy5v氏秀と景虎は別人だった!
という説出してたけど、結局撤回した んだっけ?
0134人間七七四年
2007/05/24(木) 21:49:46ID:SNW8omf9治部少輔氏秀は天正11年に死んでるのに
幼少時に出家して、久野北条家の新三郎氏信が討ち死にしたため
還俗して養子として仮名三郎を名乗ったが
偏諱を受ける前に越後行きが決まったために
実名は無しってことでいいと思う
0135人間七七四年
2007/05/24(木) 23:21:39ID:kEDdhkSMそれを撤回したというのは初耳だ
どこでそれを発表したか、どういう理由で自説を覆したか、
それがわかるまでは信じられんな
0136景虎
2007/06/08(金) 01:19:45ID:LlC3el+k0137人間七七四年
2007/06/08(金) 09:22:44ID:ANKb0HiI0138人間七七四年
2007/06/09(土) 07:59:33ID:hPv2VUwM近衛龍春の「上杉三郎景虎」は勝頼が景虎に説教垂れるシーンに爆笑してしまったw
言ってる内容は一応尤もなんだけど、お前が言うなって感じで。
出来は良いし、景虎好きなら読んで損は無い出来だよね。
0139人間七七四年
2007/06/09(土) 21:15:37ID:7Byti/jFweb注文できるっけ?なんか重版予定なしとか見かけたけど…
でさ、2社からでてるっしょ?内容同じかね?
0140人間七七四年
2007/06/09(土) 22:39:15ID:Z6RUezhottp://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8A%E6%9D%89%E4%B8%89%E9%83%8E%E6%99%AF%E8%99%8E-%E8%BF%91%E8%A1%9B%E9%BE%8D%E6%98%A5/dp/4334738524/ref=pd_bbs_sr_2/250-5051720-0530614?ie=UTF8&s=books&qid=1181396158&sr=8-2
0141人間七七四年
2007/06/20(水) 22:50:23ID:fS9kAVFn戦えない後継ぎとか困るじゃん。
なんとなく、僧侶として生きたかったのに戦国大名になってしまった謙信が、
子供の頃寺に入れられていた景虎に若い頃の自分を重ねて見ていたような気がする。
0142人間七七四年
2007/06/22(金) 04:03:29ID:74/3u3hh341ページの一行目を見て、この作者がミラオタだと確信した。
うん、いいことだ。
しかしのっけから虐められてて読んでるこっちが辛くなったな。
謙信に会わなきゃ人質人生だからって諦めた生活してたかもな。
0143人間七七四年
2007/06/23(土) 14:58:23ID:sT0ftNWu0144人間七七四年
2007/06/26(火) 21:24:24ID:h1Mek2Tjたんに景虎が寅年生まれだったからって話もありそうな気がする。
謙信自身名前に虎を付けられたのは寅年寅月生まれだからって話だし。
0145人間七七四年
2007/06/28(木) 03:21:45ID:QtZ6+A8C0146人間七七四年
2007/06/28(木) 07:16:57ID:NKBdlgGY0147人間七七四年
2007/06/28(木) 23:54:24ID:xDjfodUs.∧
;へ | |
(_人ヽ_/ ノ
/ 。。!
( ,,,,Y,,,)
/ (,,゚Д゚) <呼んだ?
i(ノ |)
C l
゙:、 丿丿
U"U
0148人間七七四年
2007/06/28(木) 23:55:43ID:xDjfodUs0149人間七七四年
2007/07/01(日) 08:26:07ID:Ate6IOF50150人間七七四年
2007/07/20(金) 03:08:44ID:G4Yvym0M0151人間七七四年
2007/07/25(水) 23:48:52ID:/+sIoigeいみなに付くのは「虎(寅)」「龍(竜、辰)」くらいじゃね?
0152人間七七四年
2007/07/28(土) 23:34:23ID:t8gMyHxl0153人間七七四年
2007/08/24(金) 20:32:28ID:+i8fbRsz0154人間七七四年
2007/09/01(土) 11:40:30ID:NQ/T944g0155人間七七四年
2007/09/06(木) 14:30:00ID:cWcLpIBx0156人間七七四年
2007/09/24(月) 19:16:59ID:h1seyYrv0157人間七七四年
2007/10/02(火) 20:18:20ID:6gFVBIcs景虎がえらく短慮に書かれててちょっと不憫だったな。
まじでそんなに後手後手だったのかな・・・。
甘やかされて育った坊ちゃんじゃあるまいし、
これだけ先読みができないならお家騒動なんか乗り切れるわけないわな。
と創作物にマジレス。
個人的には直江兼続大好きなんだが、はじめておれの直江像がぴたりと来た感じ。
でもあれだけ無礼なら普通斬られてるだろと思ったがw
0158人間七七四年
2007/10/05(金) 02:25:39ID:brbQuAfu全く上杉厨共の書き込みを見てると情けなくって涙が出てくる。
30代になったいい無職がまだ「デカマラの六尺謙信公」とか言ってデカマラの六尺謙信公を求めてひた走る
この健気さにうっとりだ。
アホかこの童貞が!
いずれ謙信公が女狐と結婚したら後悔するぜ
男ならもっとビシッ!とズリ道を極めろってんだ!
俺はその為に毎日1000回のゼンズリを欠かさない。
「オッス!!オッス!!」と気合を入れながらデカマラを振り下ろす度に菊門にギュッ、と力を込める。
こうして鍛え抜かれた俺の性根は「衆道」なんて立派なシロモンとは対極を成す、まさに「男の極み」だ。
そのあまりのデカマラっぷりにご近所じゃあ“デカマラの毘沙門天”って呼ばれてる。
そんな俺だが、俺でさえ家を出たくなるほどの形のいいデカマラの六尺謙信公の出現を心待ちにしている。
勿論、最悪のアウェイを味わいたい命知らずの衆道彼も受付中だ!
毎週金曜14時頃はだいたい衆道の結婚相談所&出会い系の衆道サイトにいる。178*74*48角刈りにねじり鉢巻がユニフォームだ。
俺のほぼ不可能な衆道&糞尿離れ!離せるもんならハナしてみやがれ!!
この書き込みに勃起した包茎ミニマラ上杉厨房もオレと一緒に
ズリ道極めようぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
0159人間七七四年
2007/10/06(土) 00:59:57ID:LAjMHCAC0160人間七七四年
2007/10/06(土) 11:34:10ID:MB+1vn5Q武田勝頼にも景虎支援を要請し、受け入れられたけど、武田
軍が上杉景勝に買収されちゃったんだよ。
景勝は、春日山城の本丸をまっ先に押さえたけど、そこには
謙信が貯め込んだ金蔵があったわけで、その検診の遺産を遣
って上杉景勝は、有利に戦いを進めたわけだ。
0161人間七七四年
2007/10/06(土) 14:07:14ID:U5xtYmJ5それで勝頼は支援をやめてしまったとか
北条も本格的に動き始めるのは秋になってからだし事情はあるにせよ遅い
0162人間七七四年
2007/10/06(土) 16:15:55ID:vz8R5prX形勢逆転したのは武田が買収されたからだが
根源は北条側にある。
0163人間七七四年
2007/10/09(火) 00:35:53ID:PlbNVJt80164人間七七四年
2007/10/09(火) 01:37:52ID:5BVWaOfxそもそも人質として送られた、まぁ捨駒だよね。そんな人間が実家並の国力、兵力、実家以上の官位を
持ったりしたらどう考えても難しいコトになると思うんだが…
0165人間七七四年
2007/10/09(火) 07:17:55ID:M8EMXjnC0166人間七七四年
2007/10/10(水) 15:31:37ID:xoBH/f7l結果として武田は景勝に付き北条はやる気が無かったと
0167人間七七四年
2007/10/11(木) 11:21:20ID:YauHLc6B3千でもいいからさっさと兵を送るべきだったと思う。
兵力が少なくても軍監として武田や上杉の牽制、監視にはなるし
援軍の将に譜代の重臣、或いは北条一族の人間を遣わせば
北条の本気度合いのアピールにもなるし。
ただ、景虎が勝ったアトの扱いが問題だわな。
0168人間七七四年
2007/10/11(木) 11:33:00ID:a6/oHF220170人間七七四年
2007/10/11(木) 21:08:36ID:Vd44O4O/0171人間七七四年
2007/10/12(金) 11:20:09ID:Fm21tXWx謙信が死んだのが3月、戦争勃発が5月、武田の救援が6月、北条の援軍が9月。
長篠で大敗したばかりの武田に多くを期待するのは有り得ないとなれば北条の動きは遅過ぎだろ。
援軍も行ったら行ったで坂戸城を攻略出来ず雪で身動き出来なくなるといって樺沢城に
守兵を残して帰るってのは助ける気を疑われてもしょうがないような。
とりあえず見殺したらバツが悪いんで助けるポーズだけでもしました。ってのなら
納得もするんだが。
0172人間七七四年
2007/10/12(金) 13:22:22ID:pQQTfICZ数メートルも雪が積もる土地で軍事行動なんて無理。
動きが鈍いというのには賛同するけれど。
0173人間七七四年
2007/10/12(金) 13:23:47ID:Fm21tXWxというのを真に受けたとしても、戦争勃発!早速援軍をという流れにならなかったてコトは
北条の中に景虎を助けるコトに微妙な空気があったと思われても仕方無いわな。
つーか、景虎って一族の中で嫌われてた?
景虎が乱の勝者になって関東管領になったりすれば北条宗家とのあいだで諍いが発生するかも
という意見も景虎側が宗家に管領職を禅譲するか宗家と管領の間で婚姻なり養子縁組なりして
両者の縁者というか宗家というか氏政の血筋が管領職を継ぐようなカタチで手打ちをが出来そうな
ものなのに…景虎が管領になったら宗家に従うかどうか判らないと思わせる何かがあったのかな?
0174人間七七四年
2007/10/12(金) 13:39:12ID:Fm21tXWx0175人間七七四年
2007/10/13(土) 01:36:08ID:n8Uqudzyもう年も年だし長いものに巻かれてたかったんじゃないかな。
だから最後道満丸を手土産に和睦申し入れで敵陣訪問、とか空気読めないことしちゃったんだよきっと
0176人間七七四年
2007/10/13(土) 02:02:08ID:6AeErvYdあれよあれよと流されるままというか
0177人間七七四年
2007/10/13(土) 11:38:11ID:zumHkSjX例え勝ったとしても越後の諸豪族の傀儡になるのみえみえだし
どっちが勝っても大した旨味が無いから北条もやる気なかったんじゃ。
0178人間七七四年
2007/10/25(木) 09:43:30ID:G4ZvggPaわずかな時間内に関東平定しなくちゃならないんで北条は忙しいんです。
武田上杉は緩衝地帯なので、織田徳川と和睦しない限りは放置でよいのです。
もし三郎に本気で肩入れして上杉家を継がせたら
織田上杉戦線は北条の外交上の負担にしかなりません。
甲相同盟破棄・甲越同盟締結・消耗した上での景勝の勝利
すべて北条の対織田外交的には完璧なシナリオなのです。
0179人間七七四年
2007/10/28(日) 02:34:23ID:i4/pKDKs事が起きてから、小田原まで使者が着くまでの時間を考えると仕方ないような?
農繁期に田んぼを放置して、援軍に大軍を送るわけにも行かず。
>>174
両者の仲裁を図るが、一緒に殺されたと思うよ。
0180人間七七四年
2007/10/29(月) 03:56:52ID:WZPuFMwkすげー切な過ぎる話だな。
作者の描き方が上手いのかわからんけど終盤の悲惨さはムゴすぎ
だから小説として面白いのかも知れんけど
0181人間七七四年
2007/10/29(月) 20:35:48ID:QEOqPCI7ごく出来が悪い。
0182人間七七四年
2007/10/31(水) 22:12:55ID:2Mw1uQjr0183人間七七四年
2007/11/20(火) 15:32:06ID:tTUQc98J御館の乱。
景虎は美形じゃなきゃだめ!
0184人間七七四年
2007/11/20(火) 21:41:23ID:UntMEd920185人間七七四年
2007/11/20(火) 22:10:06ID:ffKsIkLkまあ、間違いなく触れるだろうけど、「天地人」原作の景虎は
それこそ嫌みなだけの奴だからな。期待しない方が良いよ
0186人間七七四年
2007/11/21(水) 10:38:50ID:REJKudENトン
景虎さま、三国一の美丈夫だからそうだおね!
>>185
えぇぇぇぇぇ
景虎さまが嫌味な人として、テレビにでたらいやだおw
敵の立場でも、共感できるようなかんじが見たいお
0187人間七七四年
2007/11/21(水) 19:47:30ID:sV90k8Fkそれが逆に良い方に作用するのではないかと睨んでいる。
どうせなら景虎方の重臣たちも何人か出してもらえんかな。
古志の十郎とか、北条景広とか。
0188人間七七四年
2007/11/21(水) 20:48:24ID:vMAvqNRb0189人間七七四年
2007/11/22(木) 13:43:35ID:xIxDCp2s0191人間七七四年
2007/11/25(日) 20:43:35ID:9z9xpuDm0194人間七七四年
2007/11/26(月) 18:01:50ID:bqxp43YC0195人間七七四年
2007/11/29(木) 23:10:53ID:VZbGRxAX誰が見るかっ、そんなもん!
また春日山とか腐れどもの巣になるじゃないか
0196人間七七四年
2007/11/30(金) 00:21:07ID:3+eoXdfb67 :名無しさん@八周年:2007/11/29(木) 21:04:17 ID:Khp7Fmwp0
コピペよろ
日本壊滅の危機!?
【政治】 「放置すると、日韓関係にヒビ」 外国人参政権付与、成立への流れ加速も…公明に各党同調、自民反対派は沈黙、首相次第か★17
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196321879/l50
【外国人参政権反対FLASH】
http://www.geocities. 上と下のURLをつなげてね
jp/ffflash2005/sanseiken.html
(´・ω・`)やぁ
まずはこれを見てほしい。オランダは外国人参政権でむちゃくちゃになったのは君もご存知だと思う。恐らくこのままだと日本も中韓に滅茶苦茶にされるだろう
よく聞いてくれ、僕らの育ってきた、暮らしてきた国がワケのわからん奴らに乗っとられようとしている
日本の建国史上最大最悪の危機なんだ!!
少しでも日本を思う心があるのなら立ち上がって欲しい、行動に出て欲しい
日本をこの手に取り戻そう。これは我々の義務でもあるじゃないか!(`・ω・´)
マスコミはこれを報道しようとしない(詳しくは下を見てほしい)。だからこの文を出来るだけ沢山のスレに張り付けて少しでも多くのの日本人に知らせてほしいんだ
時間はあまりない
日本人であれば行動をおこしてくれ、感謝している
★★外国人参政権反対運動OFF part2★★
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1196265306/l50
日本壊滅!?/マスコミが報道しない外国人参政権のカラクリ!(1/3〜3/3)ttp://jp.youtube.com/watch?v=6pl5jX057gE
ttp://jp.youtube.com/watch?v=A4JvwWW7hHo&feature=related
ttp://jp.youtube.com/watch?v=EeATeLupPAw&feature=related
0197人間七七四年
2007/11/30(金) 00:43:22ID:3+eoXdfb【政治】 「放置すると、日韓関係にヒビ」 外国人参政権付与、成立への流れ加速も…公明に各党同調、自民反対派は沈黙、首相次第か★18
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1196350008/
日本を救うぞ!反外国人参政権詰所
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1196349544/
0198人間七七四年
2007/12/02(日) 21:02:47ID:fO5BW72wでは冗談ような実話を。
今から10年は前になるが、横浜の駅ビルの本屋でラノベのコーナー(当時この言葉があったか?
とにかくそーゆーレーベルがあつまっている一角)をぶらついていたら、なぜかこんな場所には
相応しくない分厚いハードカバーの本があった。なんじゃこりゃと手にとって見てみると、もう
想像がついただろうが近衛龍春著『上杉三郎景虎』だった。
なんでこんなところにと周囲を見渡してみると、そこはコバルト文庫のコーナーで炎の蜃気楼の
フェアがやっていたとさ。
とりあえずげんなりしながら、本を歴史小説のコーナーに移したことを覚えている。
0199人間七七四年
2007/12/02(日) 23:11:25ID:a4yx7fTIいや、その本屋のやり方は正しい。
近衛のその作品は明らかに蜃気楼を意識しており、
その読者層に向けて色々と暗号みたいなものを送っているw
内容は蜃気楼を知らない読者が楽しめるぐらい面白くて重厚なんだけれどね。
ただし、謙信の描写は稚拙。
この人、知識は深いと思うけど、史料の理解力に欠けているぽい。
0200人間七七四年
2007/12/04(火) 07:42:44ID:PNHYDg4cラノベと一緒に展開しておけば中高生が買ってくれるから売上が跳ね上がる
0201人間七七四年
2007/12/09(日) 17:04:43ID:7zg/2nnYそれが逆に良い方に作用するのではないかと睨んでいる。
そうなんだよ。俺もそう思うんだよ。
真田氏研究家で知られる小林計一郎氏が「天と地と」の時代考証担当した時の
話読んだ事あるけど、「原作のように信玄を悪く書かない方がよい」と
アドバイスしたら、信玄の人物像は改善されたそうだ。
良識のある人間が、時代考証担当してくれる事を願う。
0202人間七七四年
2007/12/15(土) 02:37:47ID:Raxv93Z5まあ出来はさておき、あれの景虎は犬に喜平次って名前つけて
部下たちが犬虐待してるの見て高笑いしてるような人だ
どんだけ原作破壊しても景虎が景勝に負けて死ぬのは避けられないし
カッコいい景虎しか見たくない人は見ないほうが無難だろうなぁ…
0203人間七七四年
2007/12/15(土) 11:41:03ID:CDMmpoGuいやな人物で描かれちゃうのかなー。
しかし、景虎のTV登場は「おんな風林火山」以来だから
見るしかないかな・・・。
0204人間七七四年
2007/12/15(土) 13:15:59ID:cgysM0XD景虎の描写がアレでは、その景虎を見込んで養子にしちゃった
謙信公は何なんですか?って、話になっちゃう。
0205人間七七四年
2007/12/15(土) 14:49:27ID:yI0Bn4We別に三郎景虎を個人的に見込んで養子にしたわけじゃないぞ。
0206人間七七四年
2007/12/15(土) 15:09:51ID:CB4Lm+ji越相同盟の条件として、最初から両家の間で決められてたことだから
景虎の名乗りを与えて姪と結婚させたから丁重に迎えたのだろうと思うが
とにかくあの原作は兼続父子とお船と幸村、泉沢以外はロクな扱い受けてない
でも三郎はドラマ版で救済措置あるんじゃないの
悲劇のイケメンってことで
0207人間七七四年
2007/12/15(土) 18:24:23ID:Hs+mDYAX0208人間七七四年
2007/12/15(土) 21:35:49ID:CDMmpoGuアンケートで1位になっていたのは「景勝VS景虎」だった。
その事をNHKが覚えていたら、前半の見せ場「御館の乱」での
景虎を原作通りの愚将には描かないと思うのだが・・・。
0209人間七七四年
2007/12/15(土) 21:38:09ID:cPSjwNUb0210人間七七四年
2007/12/15(土) 21:54:55ID:k/MyaJT1つまり実家の北条氏政はアホ
景虎が上杉家当主になれば、越後どころか加賀・能登・飛騨まで北条の勢力が伸びて天下も視野に入ってくるというのに
0211人間七七四年
2007/12/16(日) 00:14:11ID:wYL/V4s6北条という後ろ盾だけで、従えられるほど甘くないと思うが。
0212人間七七四年
2007/12/16(日) 01:04:37ID:7bUWBB930213人間七七四年
2007/12/16(日) 05:21:53ID:2so0gC1s景勝の支持層は阿賀北衆が殆どな感は有るし
0214人間七七四年
2007/12/16(日) 07:33:35ID:tnN8bgGc他の一門衆は、古志派だったのだろう。
0215人間七七四年
2007/12/16(日) 09:54:55ID:Dkid155b古志長尾派というより三郎景虎なら北条とつながりができるし
なにより兵も土地も持たないので御しやすしと見た土豪&景虎優勢と見て
日和った連中、な感じ。
0216人間七七四年
2007/12/16(日) 10:34:59ID:8DKNe7kq援軍出さなかったばかりか、この件を利用して武田を切って織田に近づいたり。
0217人間七七四年
2007/12/16(日) 10:48:16ID:JdGpmE3a乱してくれてラッキー、くらいの気持ちだったのかもな。
本気でやり合う気は最初からなかったように見える。
0218人間七七四年
2007/12/16(日) 11:30:27ID:tnN8bgGc景虎は、他家の跡目争いに巻き込まれ(自分が後継者と主張したから
巻き込まれたわけではないが)、異国の地で死んでしまったんだから
悲惨だよ。どうせ滅びるなら、実家の北条と共に滅んだほうがマシだったか。
そして、古志長尾VS上杉弾正少弼景勝の戦いになり、景勝も妹を死なせなくて
済んだはずだ。
0219人間七七四年
2007/12/16(日) 12:32:38ID:TOI+oshs北条と上杉は謙信が死ぬまで戦争しなかった説もあるけど。
0220人間七七四年
2007/12/16(日) 13:03:20ID:UinF6G6J北条への牽制になっただろう。同盟を仲介した国衆との関係も無視できないし。
しかし越相同盟って本当に何だったんだ。
領土割譲だってしょせんは謙信の自力にかかってたわけで、
割譲を受けた土地の大半は領有できず、むしろその後は北条の分国に編入され、
反北条で結びついてた関東の諸勢力との関係にも亀裂が生じるし。
不利な条件で締結しながらも、実は北条が取っていった感じ。
0221人間七七四年
2007/12/16(日) 14:07:30ID:nhChK4gN港湾利権もあるし、結果的に謙信死後の織田の侵攻の時間稼ぎにもなったし。
0222人間七七四年
2007/12/16(日) 17:28:00ID:Dkid155b関東なんて行くのも帰るのも大変な土地いらなさそうだしなあ。
0223人間七七四年
2007/12/16(日) 21:56:57ID:Ot8NpQ0n0224人間七七四年
2007/12/19(水) 14:03:07ID:E0ZR31B/北条方も景虎が死ぬまで上野の領有権は主張できなかったし。
0225人間七七四年
2007/12/21(金) 20:19:14ID:1kpv13Bk何故かゲームとかだとイケメンにされないね・・・。
0226人間七七四年
2007/12/21(金) 21:22:17ID:+ytTDcby美丈夫」または「関東一の美青年」になっているのにゲームでは....。
もしかしてコー○ーに彼のことを嫌いな人がいるのかな?
0227人間七七四年
2007/12/21(金) 21:25:43ID:7nuTnEmN○ーエーは子孫からの突き上げに弱い。
うちのご先祖様は出てこないのか、うちのご先祖様はそんなに弱くない、等々。
馬鹿丁寧にそれらのクレームを全部聞いた結果が、
戦国SLGだったはずのものが、いつのまにか武将萌えゲームになってしまった。
0228人間七七四年
2007/12/21(金) 22:35:23ID:Ce2YKKic0229人間七七四年
2007/12/22(土) 03:38:01ID:GGYaNQen史実無視・講談準拠、敗者に冷酷な某社の評価なんて全然アテにならんよ。
0230人間七七四年
2007/12/22(土) 08:57:48ID:0RkHrYlqツンデレなのか?
0232人間七七四年
2007/12/22(土) 13:03:03ID:qXv6o5QPBASARAが政宗とセットで売り出してるのもあって
女人気がやたら凄いから
イケメンにしなきゃ駄目みたいな感じがあるし
それでも当時イケメンとされてた武将はイケメンにしないと
信長とか蘭丸みたいに
知名度ないから冷遇されてるのか?
0233人間七七四年
2007/12/22(土) 14:25:11ID:iNPp55M70234人間七七四年
2007/12/22(土) 15:13:53ID:dePSkZTe三郎景虎三国一の美少年伝説って。
景虎の名前も下手すりゃ「何、寅年生まれ?
じゃあ俺も寅年生まれで景虎になったからお前の名前も景虎ね!」
って程度な気もするしw
0235人間七七四年
2007/12/22(土) 18:31:31ID:yE3kepvu一字与えるとかならまだしも。
0236人間七七四年
2007/12/22(土) 19:18:33ID:dePSkZTe家臣じゃないんだから。
あと残りの一字はやるとしたら「虎」で確定じゃん。
もしかしたらそのうちに「憲」を貰う事になったかもしれんが。
0237人間七七四年
2007/12/22(土) 19:32:12ID:cwlVx1lYなんか物凄くしっくりこない名前…。
0238人間七七四年
2007/12/22(土) 19:52:17ID:FuLL8g6q腐女子層以外には知名度無かったりするしる
0240人間七七四年
2007/12/22(土) 21:57:01ID:cwlVx1lYまた別なんじゃない?
三郎景虎は上杉の子になって関東管領を貰う予定だったんでしょ?
景は一族扱いとして入れた時点で一字あげるまでもなく付くのが普通、
輝虎の輝は将軍義輝から貰った字だからそう勝手に人にあげる訳にはいかない、
政をあげた事もあるけど「政景」も縁起悪いというか景勝にも悪いし
景政だと上杉から貰った政を長尾家通字の景のケツに付けるのは失礼かも。
で一字あげると虎景か景虎にするしかないかねえ。
憲虎に将来なったかもと思ったら微妙ー。
0241人間七七四年
2007/12/22(土) 22:06:10ID:m45WEJJE長尾ならともかく山内上杉なのに
0243人間七七四年
2007/12/22(土) 22:13:07ID:m45WEJJE他には戦国時代以前に山内上杉の通字だった「憲」とか「定」が復活しているんだから
「景」を与えなきゃいけない理由なんて無いだろ
0244人間七七四年
2007/12/22(土) 22:21:13ID:dePSkZTe「一字くれてやるなら虎をやるしかないだろ」という話をしている。
そもそも、本当なら「政」の字を貰ってるべきだよな。
関東管領継がせるつもりだった説なら。
なんで政じゃなくて景をやったのかは不思議だ。
上杉政虎でいいじゃんと思うわけだが。
謙信は輝虎なんだし。
>>240
よその家を継がせたときにその家の通字を貰うかどうかは
先代が生きていて貰えるかどうかなんじゃないか?
山内上杉が上条・山浦の主家とはいえ
勝手に他人の名前をくれてやるわけにもいかんだろう。
直江家も信綱は通字の綱使ってるが兼続は樋口の通字で通してるし。
0245人間七七四年
2007/12/22(土) 22:32:47ID:iNPp55M7ちゃんとした史料ってないんかね。
0246人間七七四年
2007/12/23(日) 00:18:32ID:75WFcBbP0247人間七七四年
2007/12/23(日) 09:17:39ID:3sL5z5Ff上杉に来る前の三郎はどこまで分かってるんかね。
0248人間七七四年
2007/12/23(日) 13:01:56ID:OIVSseF1あと残ってる史料にってどれなんだろう。
上杉家御年譜とか?北条メインの軍記物なんかは完全にアテにならんだろうが・・・
景虎の名乗りは、同じ寅年生まれだからという説は他でも見たな。
養子として関東管領を継がせる予定だからこそ、山内の「政」や「憲」を使わず、
現管領である輝虎自身と深くかかわりのある名を与える必要があったと思う。
それまで謙信を関東管領と認めてなかった関東の諸将に対して、
北条の子が養子となって、その子に先代の憲政に関わる名ではなく、
謙信の従来の名乗りが与えられた、ということは大きな示威になったと思う。
でもそこまで深く考えず、若い子は好きだし可愛いし、
「ああ、寅年同士?じゃお前も景虎ねv一緒vv」という方がイメージなんだが。
僧門に入っていたことも酒豪であることもシンパシーを感じる要因になったはず。
0249人間七七四年
2007/12/23(日) 17:24:51ID:fdcvyMbl改名するときも、通字の「景」ではなく「虎」を残しているし。
0250人間七七四年
2007/12/23(日) 18:05:30ID:MMAgM18T政虎は憲政の「政」、輝虎は義輝の「輝」を受けたもの
通常、権力者から頂いた一字を上の字にし、下の字は残す例が多い
直江景綱→実綱→政綱もそうだし
0251人間七七四年
2007/12/23(日) 18:25:38ID:4sIXVHWdやっぱちょっと印象悪いんでないかい?
上に付けると語呂が悪いから…とかそういうのはありそうだが。
おかげで名前が変わっても
謙信は「お虎さん」とか言われていたという話は聞いたことがある。
0252人間七七四年
2007/12/23(日) 18:47:11ID:Z+bXeliM0254人間七七四年
2007/12/23(日) 22:44:35ID:3sL5z5Ff虎も一緒に消して政○と全く新しい名前にする選択肢もありそうだけど。
あと将軍から賜った一字を尻に付けたパターンって誰がいたっけ。
普通は偉い人から貰った字は頭に付けるもんだと思ってたが。
0255人間七七四年
2007/12/23(日) 22:58:11ID:4sIXVHWd柿崎景家
中条景資
中条景泰
吉江景資…とか。
元の通字を残してる人も、通字の方消して景貰ってる人もそれなりに。
ケツに付けてる人はあんまり見当たらないかな。
0256人間七七四年
2007/12/23(日) 23:14:04ID:ebiIKiNk0257人間七七四年
2007/12/24(月) 13:03:47ID:Od4h8MW+いくら電波な謙信とは言え
養子が二人もいたらこうなるのは分かってただろ・・・。
最初から自分の子供作っておけば良かったんだよ
仮に女に興味ないとしても
0258人間七七四年
2007/12/24(月) 18:35:24ID:DxvAZDOR養子二人いたけれど、本来なら家中は分裂しないものになるはずだった。
景虎には直属の兵団はないし、それを擁して活動しかねない古志には、
河田を送り込んだりして動きを封じていた。
内部を固めなおそうとしているさなかに急死したから結果として分裂したんだけれどね。
0259人間七七四年
2007/12/24(月) 20:04:22ID:pO4uolQ0非常に悪い例だが 麻原しょうこうの何百倍もの電波出しまくりだったのだろう。
日本の北から南の隅々にまで それは飛びまくったのだよ。
飛びます飛びます。
0260人間七七四年
2007/12/24(月) 23:15:35ID:DxvAZDOR0261人間七七四年
2007/12/27(木) 01:44:47ID:a86jGkUAまさに電波
0262人間七七四年
2007/12/27(木) 04:40:42ID:PUZCRqr8ttp://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_furinkazan_02shingen.htm
ttp://pub.ne.jp/zama/?daily_id=20060528
まあ信玄娘婿の氏政も武田型なんだが
ttp://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do
同じ景虎でもこちらは北条っぽい
ttp://www.city.joetsu.niigata.jp/yoshikawa/yoshikawakuHP/kankou/rekisi.html
0263人間七七四年
2007/12/28(金) 01:11:16ID:ubz3E8cK天正3年の軍役帳でも席次は3位だし
依然影響力は大きかっただろう
ただ、河田長親を養子として跡目にさせられたのは正直痛かったろうなと思う
栖吉衆が河田の命を聞かずに謙信の叱責を受けた記録も残ってるし
まぁ越中で実績を積んでからは反感も和らいだろうが…
結局長親が長尾姓を名乗ることもなく、謙信のもくろみは中途にして終ったが
0264人間七七四年
2008/01/06(日) 19:11:37ID:0FcI0tui上杉のなんだけど景虎って出る?
0265人間七七四年
2008/01/06(日) 20:48:47ID:vWIhNp9o0266人間七七四年
2008/01/06(日) 20:50:48ID:EJWBHtOv川中島くらいしかちゃんとやらない予感。
0267人間七七四年
2008/01/06(日) 23:26:23ID:0FcI0tui川中島がほぼEDの様だった。
女たらし共め(・ω・)
0268人間七七四年
2008/01/11(金) 03:52:45ID:9rEI+Xqe憲政と道満丸を殺してしまったいきさつを守備兵が事情を知らずに勝手にしたこと、なんてあり得ねえ!
爺さんと赤ん坊を事情を知らない上杉兵が切るか?
知ってるからこそ切ったんだろうに…
その他、捏造創作盛り込み過ぎて大河見る気薄れた!
流石NHK出版!
0269人間七七四年
2008/01/11(金) 04:35:57ID:/I+iPrxPあれは贔屓の引き倒しと評するべきモノだと思う
常に最善を期する完全無欠の正義の人
起こった不幸は全て不運のせいか卑怯な敵のせい
これほどまでに魅力の無い主人公が今までいただろうか
あ、1人いた
滝田栄の徳川家康
0270人間七七四年
2008/01/11(金) 13:05:11ID:Dnsr/Wih問題は天地人。あれは直江贔屓の連中から見ても、
満場一致で駄作だからなあ
0271人間七七四年
2008/01/11(金) 18:32:22ID:Y8+cJrHB無理に善人にされるのは萎えるよな。
冤罪で領民を処刑→異議を申し立てた家族ももろとも斬殺な直江のどこに正義があるというのか。
0272人間七七四年
2008/01/11(金) 18:39:32ID:J4xDz2APなんか中国の公案小説風だから大岡裁きみたいに他の所から
パクったネタっぽいと思ってるんだけど……。
0273人間七七四年
2008/01/11(金) 19:26:00ID:/I+iPrxPそれが美談であるかのように流布されてんのが非常にアレ
でもなにかの暗喩らしいね
三宝寺庄蔵が山本寺だか大宝寺だかに比類されるとか
0274人間七七四年
2008/01/11(金) 20:13:52ID:pn1dYwB5直江状出版にむけた中村五郎右衛門の宣伝だったとか…ない?
0275人間七七四年
2008/01/11(金) 21:50:52ID:P0u0aZgkおれもこの原作はひどいと思ったが、
憲政と道満丸を殺したいきさつは火坂の創作ではない。
信憑性はともかくとして、越佐史料にも載ってるよ。
ま、景勝の指図があったんじゃないかってことも書いてあるけど。
0276人間七七四年
2008/01/12(土) 11:45:01ID:+a9hbQ6v「よくわかんない」的な感じなんだよね。
正直上杉憲政を殺したところで、どうこうなる段階じゃないしな。
従ってこの部分は許容範囲内だが、ほかの部分も全体的に酷い
0277人間七七四年
2008/01/12(土) 19:00:18ID:1FAM13qZ公的に助命が認められたのって本庄繁長嫡男の顕長と
武田勝頼が取り成した北条高広くらいだもの
鮫ヶ尾で寝返った堀江宗親も所領安堵どころか
その後の一族の動向も全く掴めてないので
多分皆殺しになってんじゃないのか
0278人間七七四年
2008/01/12(土) 19:41:05ID:G8p+5qv/0279人間七七四年
2008/01/12(土) 19:58:33ID:1FAM13qZ後に織田の旗下に属してるし
景勝処断がエグいのは男子2人はともかく
血を分けた姪まで殺してるところ
信長だってそこまでしない
景虎側室腹のもう1人の娘はどうにか落ち延びたようだけど
0280人間七七四年
2008/01/13(日) 21:14:30ID:4zMH3L8L母親の華渓院が自害してるからてっきり母親と一緒に自害したと思ってたわ。
0281人間七七四年
2008/01/14(月) 01:35:01ID:JClXQuLn0283人間七七四年
2008/01/15(火) 07:51:47ID:evn6+6Xd俺もその説を聞いたとき、一笑したが、米沢の
林泉寺でその研究文を読ましてもらい、
まんざら嘘でもないな、と思った。
0284斎藤越後目
2008/01/15(火) 10:44:42ID:6NeUjQLx0285人間七七四年
2008/01/15(火) 11:14:35ID:was6Neg5三郎景虎と夫に従った華渓院が死亡、
子供たちは出家させられるなりどっかに養子に入るなりして
生き延びた可能性も高いな。
憲政の孫たちも生き延びてるし。
0286人間七七四年
2008/01/15(火) 12:10:23ID:5bZ0ga53憲政からして惨殺されてんのに
孫だって三男の子だし
景勝に付いて憲政に討たれた方の
その話から理解できるのは
憲政惨殺が一応上田の負い目になってるということだけだな
0287人間七七四年
2008/01/15(火) 12:19:21ID:5bZ0ga53未だに軍記丸写しで完全無能扱いされてる憲政(´;ω;`) かわいそうです
龍若丸の件だってただ妻鹿田が裏切っただけの話やん
0288人間七七四年
2008/01/15(火) 12:27:39ID:3lsCyBQL憲政としては一発逆転を期したんだろうが
0289人間七七四年
2008/01/15(火) 13:37:02ID:RtnNsY7x0290人間七七四年
2008/01/15(火) 15:49:25ID:ew+Bjyk60291人間七七四年
2008/01/15(火) 16:55:33ID:mqww68dt1月の三國峠越えは幼子にはそれなりに厳しいだろうし
それならば要地とされた御嶽に一旦留めておくのも
そうおかしな判断でもないような
0292人間七七四年
2008/01/15(火) 20:11:50ID:7ijZWEq+0293人間七七四年
2008/01/15(火) 20:27:50ID:evn6+6Xdわかりました
次回は長文になりますが、ご報告いたします
0294関連スレ
2008/01/15(火) 21:18:51ID:/bNd5N3Ihttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1195797597/
憲政については↑で。
0295人間七七四年
2008/01/22(火) 08:04:19ID:6ydU4k6/戦国武将・上杉謙信の没後に起きた跡目争い「御館(おたて)の乱」で落城した妙高市の鮫ケ尾城跡から、
当時の戦火で焼けた「おにぎり」が出土した。21日、同市教育委員会が発表した。同城の米蔵跡からは、
焼けた備蓄米が多数出土しているが、おにぎりは初めて。出陣や籠(ろう)城に備え、携行食として用意されたものとみられる。
鮫ケ尾城は、謙信と武田信玄が覇を競った信越国境近くにあった山城で、上杉景虎の最期の地として知られる。
「おにぎり」は、2006年6月、山頂に近い通称三の丸地点を調べた際、大量の焼けた米などとともに出土した。
いずれも泥が表面に付着した、うずらの卵大から拳よりやや小さい大きさの塊だった。
市教委は昨年3月、その中から比較的大きな4点の鑑定を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)に依頼。
その結果、〈1〉もみ殻のある米ではなく、炊かれた飯の塊〈2〉外側の曲線が手で握った時の形に近い
〈3〉笹のような植物の上に置かれたか包まれたような痕跡がある――ことなどから、おにぎりが焼けたものと判断した。
「おにぎり」は炭化していたが、麦や雑穀類は混ざっておらず、米100%だった。
調査を担当した同市教委の佐藤慎さん(31)は「戦いに備えて城内で用意されたものとみられ、
城や武将と運命をともにした貴重な遺物」と話している。
26日から長岡市の県立歴史博物館で公開される予定。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/niigata/news/20080121-OYT8T00761.htm
0296人間七七四年
2008/01/22(火) 10:15:24ID:R0QLLPhg0298人間七七四年
2008/01/23(水) 01:37:03ID:7v3zab1j戦国武将・上杉謙信の養子・景虎が家督争いの後に自害した新潟県妙高市の鮫ケ尾城跡から、
当時のものと思われるおにぎりが4個出土したことが21日、分かった。
06年6月の市の調査で見つかった炭化米の塊を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)で鑑定、「ほぼ間違いない」と結果が出た。
おにぎりは平均で直径約7センチ、重さ約40グラム。城が戦火で焼け落ちたため、全体が黒く焦げている。
鑑定結果によると、(1)米粒が糊化(こか)して接着している(2)外側がおにぎりを手で握った時の丸みに限りなく近い
(3)植物の葉や布などで包んでいたと思われる跡が一部に残る――などの特徴からおにぎりと断定。
また「炭素14」による年代測定や、同じくるわで同時代に流通した陶磁器が焼けた形で見つかっていることなどから、
1579年の落城時のものと判断した。
蒸し焼きのような形で炭化したことなどから、微生物の繁殖がなく、原形のまま残ったと考えられている。
市や同博物館によると、理化学的な分析などを加え、おにぎりと断定されたのは全国的にほぼ例がないという。
新潟県立歴史博物館(長岡市)で26日から展示される。
ttp://www.asahi.com/culture/update/0121/TKY200801210427.html
0299人間七七四年
2008/01/23(水) 03:08:50ID:ZPbG+cgK篭城末期のわりにはいいもん食ってんな。
それとも最後の最後のとっておきだったのか。
0300人間七七四年
2008/01/23(水) 12:39:56ID:AvMI4c2thttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1200965970/
景虎はん、ニュー速+にスレありまっせ
0302人間七七四年
2008/02/01(金) 07:18:37ID:zvJGFjqJ上杉・武田・北条の三国同盟が成ったとすれば、その勢力は織田・徳川に匹敵する。
史実の様に武田領が短期間で切り取られる事は無くなるとなると、
徳川は東海3国のままだし、4年後に信長が死ねばこの3国同盟が日本最大の勢力。
秀吉も天下人でなく、近畿の大大名でしかなくなる。
0304人間七七四年
2008/02/01(金) 07:31:38ID:EDfGqmOb0305人間七七四年
2008/02/01(金) 07:37:46ID:zvJGFjqJそれに、織田―徳川は磐石だけど、家康は秀吉よりは北条に近いですよね。
北陸、中部、東海、中国に、それぞれ上杉・武田・徳川・毛利を受けて
信雄・信孝も存命なら秀吉政権は厳しいのではと。
0307人間七七四年
2008/02/01(金) 12:45:21ID:+8JeWPj1そりゃ武田も景勝に付くわ。
0308人間七七四年
2008/02/01(金) 18:33:09ID:gEAaglfh0309人間七七四年
2008/02/01(金) 18:56:44ID:suPpzYW5ホウジョウだって景勝につくw
0310人間七七四年
2008/02/01(金) 22:18:48ID:1+xP3f6Rキタジョウ>>>>>ホウジョウくらいになってるかもね
当然大江毛利の棟梁もキタジョウさんで。
0311人間七七四年
2008/02/02(土) 11:44:37ID:KBsupToYそれともそれを見越した釣りか。
0312人間七七四年
2008/02/11(月) 10:05:35ID:ywfT1LWX三郎景虎に。
じゃないと憲政が加担してるのが不思議。
景勝が春日山を占拠したのも焦ってるように感じる。
勝ち残った景勝だったら事実をねじ曲げるのも可能かと。
景勝一派のクーデターだったのでは?
0313人間七七四年
2008/02/11(月) 10:14:39ID:x2GSZZF4新証拠でも出ない限り
景虎=関東管領職、景勝=越後国主が妥当って結論にしかならん。
0314人間七七四年
2008/02/11(月) 13:17:57ID:+jZMH8sf「景虎=関東管領職、景勝=越後国主」
という図式もそういう仮説の一つに過ぎない。
0315人間七七四年
2008/02/11(月) 13:31:05ID:KTKTdx210316人間七七四年
2008/02/11(月) 13:39:25ID:j7rsJu+/0317人間七七四年
2008/02/11(月) 20:46:33ID:xcgzJ7/rそうか?景勝の官位名乗りがどう見ても自称にしか見えんので、
>>312の方が妥当に見えるけど。
そもそもその頃は名乗ってたかどうかすら怪しい弾正小弼が越後国主の・・・ってのも怪しすぎる。
正式な役職で言えば一人しかありえない弾正小弼をこの時期には既に松永弾正が正式に任じられてるし。
しかも同一人物の将軍義輝から。
0318人間七七四年
2008/02/11(月) 21:01:46ID:jolsyoIy正式な役職だったのかは別として、公の場でそう呼ばれていたという意味で。
0319人間七七四年
2008/02/11(月) 22:27:58ID:x2GSZZF4御館の乱以前から周囲に景勝が「小弼」と呼ばれていたのは確定してるだろ。
0320人間七七四年
2008/02/11(月) 22:43:00ID:KTKTdx21過去スレ読むだけで事足りるだろ
0321人間七七四年
2008/02/12(火) 01:50:33ID:QqE/EjBn匹敵しない。
指揮権バラバラの大勢力よりは、指揮権がまとまった小勢の方が強い。
しかも織田は小勢などと言えるほど小さな勢力ではない。
北条の話するんなら、河越合戦思い出してみろ。
0322人間七七四年
2008/02/12(火) 02:05:56ID:ZvktQKpK彼はいわば謙信の先代なわけで、景勝・景虎、双方とも謙信の意志を尊重していて後継者だと言うのであれば
どちらが勝っても憲政は尊重されなければおかしいはず。
そこであえて仇敵である北条家の流れである景虎にわざわざつく理由とはなんだろう?
憲政にとって景勝が謙信の後継者ではなく同じく仇敵である長尾為景の孫・・・と映ったなら話は別だが。
結局彼は殺されてるので謙信の意思はなんら尊重されなかったが、真実も闇に隠れた。
なんとも見事な手際と言う他無い。
0323人間七七四年
2008/02/12(火) 02:07:16ID:i6MpJCoN0324人間七七四年
2008/02/12(火) 07:24:49ID:j8vWZyGq一族郎党率いて押しかけてきた景虎御一行様を
門前払いできる憲政だったらそもそも越後に来ていないw
理性的には景信、心情的には道満丸の存在がガードをゆるくしたとも思う。
特に道満丸は可愛い盛りだし、管領上杉一族の未来を担う男子。
じ−じがかわいがらないわけがない。
0325人間七七四年
2008/02/13(水) 00:18:19ID:p3uEDuLN謙信が死ぬ前から謙信の側近達に密かに
クーデターに協力するよう呼び掛けていたが、
思っていたよりも早く死んでしまい、
手を回していない重臣も多かった。
なるべく謙信の側にいた者を優先していたから、
景勝派には直江等、謙信が晩年重用していた
人物が中心だった。
逆に、謙信の晩年にあまり活躍していない
家臣達は、謙信の意思通り景虎派についた。
ってのはどう?
0326人間七七四年
2008/02/13(水) 00:59:20ID:8rD2TdS40327人間七七四年
2008/02/13(水) 13:08:08ID:p3uEDuLN「景虎こそ後継者」派の立場から、
御館の乱の時の家臣構成の理由を
なんとなく考えてみただけ。
0328人間七七四年
2008/02/13(水) 13:39:34ID:mHE83Io0後継指名の意思なんてそもそもあんまり意味なくね?
0329人間七七四年
2008/02/13(水) 13:52:50ID:7/VnFOK3>>324
半ば景虎に脅迫され、憲政は仲裁役をさせられたってことかな?
それで景勝に殺されちゃうんだから悲惨だね。
0330人間七七四年
2008/02/13(水) 21:42:45ID:AhvcBxiR脅迫は無いだろ、あの時期の景虎に脅迫できるほどの力があるとも思えんし。
憲政がどう思ってたかは知らんけど、何らかの理由でやっぱり景虎につくべき理由があったんだと思われる。
ただそもそも景勝からしたら邪魔だったのかもね。
その後の行動から見ても景勝にとって必要だったのはあくまで、越後の国主の地位であって
もはや関東管領も含めて肩書きなど必要なかったろうし、現にその後、鎌倉公方云々で動く事も無いし。
謙信から受け継いだ弾正小弼でさえもその後すぐに参議へと叙任されてるし、あまり愛着とかなさげ。
正当な後継者であるならば憲政は重要だろうが、
そもそも謙信の死から2日で春日山を占拠するという暴挙に出てる時点で正当もクソも無い変わりに
大勢も決してるので折を見て先代の抱えた負債を処分する気だったんだろな。
0331人間七七四年
2008/02/13(水) 21:54:10ID:GEeVJ+lBそれを以って宣戦布告と見為していいくらいなのに
飛び道具は卑怯発言といい景虎はやっぱり甘い
0332人間七七四年
2008/02/14(木) 08:42:34ID:yp4HeMIV晴家もいつ死んだのかはっきりしてないんだよな?
0333人間七七四年
2008/02/14(木) 09:33:51ID:HG6lwr7r景家はもうこの世にいないし憲家は生き残ってるから。
他の柿崎一族ってことはねえだろ。
わざわざ暗殺する価値があるのは当主だけだ。
0334人間七七四年
2008/02/14(木) 10:25:18ID:yp4HeMIV信長に密通して景勝に成敗された説、
御館の乱で景虎に付いたために景勝に殺された説あるじゃん。
「晴家は景虎に付いたために暗殺された」って確証がなきゃ
前提にして話すの無意味だと思うんだが。
まずこっから立証してほしいんだが。
0335人間七七四年
2008/02/14(木) 12:24:10ID:pK08qdGz「柿崎の誰なのか」という質問だったんなら、
「景家と憲家の線は無い」という返答がもらえりゃ上出来だろうが。
そこまで分かってんなら、残りは自分で調べろよ。
0336人間七七四年
2008/02/14(木) 12:25:51ID:mdijcuJCそういうことが言いたいんであれば、最初から「晴家の死因は?」と質問すべきだな。
332の文章からそこまで読めるのは電波か馬鹿か神だけだ。
0337人間七七四年
2008/02/14(木) 12:30:07ID:yp4HeMIVで、実際当日殺されたと分かってるのか?
0338人間七七四年
2008/02/14(木) 15:55:05ID:mZR9cy0L諸説まとめるところまでやってて、それで分からないって、どんだけ頭腐ってんだよ……
0339関連スレ
2008/02/14(木) 17:09:25ID:sh+UqVsBhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152803332/
0340人間七七四年
2008/03/01(土) 10:10:37ID:mCDfxXx+憲政の景虎加担も巻込まれた可能性を否定できない
新たな証拠もない
景虎正統後継説も願望に過ぎない
もちろん景勝後継説も同様
いまの時点では両派がどんなに頑張っても単なる各論
関連レスの過去ログで腐るほど読んだw
0341人間七七四年
2008/03/01(土) 12:01:44ID:LEk4cK7sただ、謙信の側近層(鰺坂長実、中条景泰、河田長親など)は軒並み景勝に味方している。
一方で、謙信政権を構成していた大豪族の中には景虎支持が多い。
0342人間七七四年
2008/03/01(土) 18:29:39ID:PJX+m2lQ0343人間七七四年
2008/03/01(土) 18:38:27ID:JtC5pSyl0344人間七七四年
2008/03/01(土) 19:30:00ID:m+fO2FD9実は謙信の死後、景勝の家臣に「神名をもって私曲なし」って手紙送ってたんだな
どう考えればいいのやら
結局、謙信による後継者指名はなかったけど
景勝が後継でも別におかしくはない空気があったのか
上田長尾への対立軸として、諸々の理由で景虎にも大きな期待が集まってたろうけど
北条との関係が深い諸家ではもちろん景虎に後継者になって欲しかったろうし
しかしこの話題結局ループなんだわな
0345人間七七四年
2008/03/01(土) 19:41:53ID:iZOYAS3S焼けただけでほとんど同じもんが景虎側近にも行ってるハズ
0346人間七七四年
2008/03/02(日) 01:11:39ID:f0yN3Cxq謙信に関してはそこまで考えてなかったが一番妥当だろう、管領と越後で分けるってのは一番信憑性が薄いと思う。
そんな御館の乱を自ら誘発するような事を考えていたというのはちょっと信じ難い。
その件に関してはなんら根拠が無いし。
どちらかに決めていたという方がまだ説得力ある。
0347人間七七四年
2008/03/04(火) 14:35:29ID:nkKy3qgr0348人間七七四年
2008/03/04(火) 16:21:28ID:THMtLSFT0349人間七七四年
2008/03/04(火) 20:48:16ID:nkKy3qgr0350関連スレ
2008/03/05(水) 20:26:16ID:0qdNHcqwhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201348770/
0351人間七七四年
2008/03/06(木) 01:36:42ID:hAY8NhUTそういう問題以前に単純に権力を分割すれば内乱の元になるのはこの時代の常識。
織田・毛利・北条など大領土を持つ大名ほど嫡男以外への権力の分散をなるべく避けて
年の近い次男以降は他家へと養子に出したりしているわけで。
そもそも自分自身がお家騒動の中から兄を実力で押し退けて当主になった謙信が
この辺りの事を意識してないと言うのは到底考えられない。
景勝・景虎が実は物凄く仲が良いというならともかく。
実はどちらかに決めていたがはっきり示す前に死んだか、全く決めていなかったかのどちらかだろう。
権力分割論は客観的に見て一番ありえない。
0352人間七七四年
2008/03/06(木) 02:39:34ID:xJeh2Val単純に「長尾を景勝に」「上杉を景虎に」(あるいは逆に)
それぞれ継がせるとしたら、どうなるかな?
上杉を支える者が景虎側に、長尾を支える者が景勝側にそれぞれ分かれていたとか。
んで、上杉の旗のもとに長尾が従うのか、長尾の庇護のもとに上杉がつくのか。
ってのが問題になって、支持豪族達の手前お互いに退くわけにはいかずに御館の乱発生……。
うん、、ゴメン。無理があるね…。
0353人間七七四年
2008/03/06(木) 02:49:26ID:xJeh2Val>>352の一行目と二行目の間に
「上杉と長尾の二家を立て、長尾の立場は管領補佐と仮定して、その上で」
と補間して下され。間が抜けてると意味がワカラン。
0354人間七七四年
2008/03/08(土) 21:50:49ID:VzORVDpu0355人間七七四年
2008/03/08(土) 21:59:48ID:a/qYwIwX0356人間七七四年
2008/03/08(土) 22:03:41ID:aRHiLEYw0358人間七七四年
2008/03/09(日) 02:45:31ID:GETa+fUr謙信が国内の意見を纏めきれていれば
例え分権しても内乱にならない目算は普通にあると思うが。
景虎自身には軍事力無い訳で。
0360人間七七四年
2008/03/09(日) 03:26:38ID:WNhz635v葬儀も終らんうちに実城を占拠しただの
それって確実な同時代史料から立証できてたっけ?どの史料だっけ?
3月24日の景勝書状(家臣達の協議の結果実城に移りました云々)までの間、
両者の去就って不明だったんじゃ?
後世編纂の軍記ものを史実であるかのように語るネタ雑誌とかは別にして
0361人間七七四年
2008/03/11(火) 01:22:44ID:Y3kWzTBG実権を持たない景虎が御館。
何もおかしい事はない。
ただし、景虎側にも
憲政や景信のような実力者がいたので
景勝が賊軍と称呼された可能性も否定できない。
0362人間七七四年
2008/03/11(火) 01:56:50ID:BCDLF+SP0363人間七七四年
2008/03/12(水) 02:01:39ID:VVrTliDm弾正小弼はただの官位であってそれこそなんの実権も無い。
朝廷の官位は謙信個人が譲る性質のものじゃないし。
関東管領は世襲制だけどね。
0364人間七七四年
2008/03/12(水) 02:19:11ID:JuCWXzAv景勝支持は多い印象を受けるけどね。
無論、親兄弟で分かれているものも多く、一概には言えないけ
0365人間七七四年
2008/04/13(日) 00:12:19ID:O9O8liVi0366人間七七四年
2008/04/18(金) 20:51:11ID:y6rhksYHどっちの方が優遇されてるんだろう?
0367人間七七四年
2008/04/18(金) 22:53:53ID:uVJXt9Nqそれ以外なら両者同等かな
0368人間七七四年
2008/04/20(日) 10:52:11ID:F1tYucVo景勝の軍役の構成って上田衆が大半でしょ?
0369人間七七四年
2008/04/20(日) 11:30:27ID:v1GW87a60370人間七七四年
2008/04/20(日) 14:01:13ID:t/h1nR3j上田長尾の勢力を削る口実はいくらでもあったのに
そっくり景勝に返してるだけでも十分優遇だわな。
上田長尾当主の地位だけってなら元亀三年あたりから
謙信と同陣でしか出陣しなくなってるのも怪しいし。
景虎は領土無し家臣無しだから軍役担うのは
物理的に無理という事を考慮してもな。
0371人間七七四年
2008/05/27(火) 00:23:49ID:tC3WmC6w御館の乱より新発田の乱が大きい
新発田重家だけでなく安田顕元という有能な人材も失ってしまった
つまらない論功行賞さえ無ければ
越後から越中への後詰めも送れたろうし
むざむざ小島、竹俣、中条らを死なせずに済んだ
本能寺の変後には、能登まで一気に切り取る事も出来たろうし
関ヶ原まで新発田、安田、小島、竹俣、中条らが生きていたら
全く違う物になっていたに違いない
景虎側についた関東方面の諸将は
御館の乱が無くても裏切っていた可能性が高いだけに
まったくもって新発田の乱だけは余計だった
0372人間七七四年
2008/05/27(火) 11:34:40ID:8euxuOKK織田方が仕組んだのだろう。
こんな事態になろうとは
重家の兄が生きている内は
予想も付かなかったんだろうな。
0373人間七七四年
2008/05/27(火) 17:07:49ID:Os68HHCi実際は北条家と和睦して鶴岡八幡宮で上杉景虎の
家督相続を盛大に行う予定だったのではないか。
その後謙信を盟主とし、北陸道・東山道・東海道から
それぞれ景虎・勝頼・氏政が織田・徳川領へ侵攻。
関東や奥羽からも、将軍お墨付きの関東管領の権限で
援軍を要請し、信長に滅ぼされた大名家の残党も招集。
時を同じくして西からは義昭を盟主に、毛利家が
総大将輝元、山陰道・山陽道から吉川・小早川が進軍し、
中央は本願寺、荒木、別所、波多野他が荒らし中。
この反織徳大連合により、織田・徳川両家は壊滅。
うん。電波な妄想なのは分かってるんだ。
でも、よく「信玄がもう少し長生きしたら」
ってのを見掛けるが、謙信が長生きした方が
歴史が変わる余地がまだあった気がする…
0375人間七七四年
2008/05/27(火) 22:39:44ID:tC3WmC6w不当な論功行賞で新発田が怒り、
新発田を景勝側に引き入れた安田が必死になって
景勝、直江(信綱)、山崎を説得
これが受け入れられず安田の面目が潰れ、
新発田に申し訳ないと安田切腹
ますます新発田が怒り狂い
景勝への恨み、不当な論功、安田への哀憐を書き綴り
文末に謀反の決意を書き残す
同族の五十公野、加地らを誘って着々と反抗の準備を進め
竹俣の港を押領して新発田の乱スタート
ここまでの流れに信長って関わってたっけ?
信長と新発田が連絡を取り合うのは、この後だろう
だいいち新発田が信長を頼みにして乱を起こしたのなら
〜本能寺の変後、新発田が孤立し、
秀吉から新発田を赦免せよ、と命を受けた景勝が
再三再四会談を申し入れても新発田は聞く耳持たない〜
こんな事は起こり得ないと思う
信長なんて関係無く、新発田は景勝政権を恨んでいた
この巨大な憎悪は信長が仕組んで生じたものではない
むしろ謙信麾下として共に戦い、
節義を通した安田への餞(はなむけ)も有ったように思う
0376人間七七四年
2008/05/27(火) 23:10:35ID:bmHoKx/m同じように血を流した島津もあれば、上手くやった佐竹見たいな所もある
ぜんぜんやらなかった(やれなかった)毛利は関ヶ原で醜態晒すと
0377人間七七四年
2008/05/28(水) 13:04:04ID:6zWNRV1V上杉、武田、北条が一時でも良いから組めば、織田潰せたろうに。
0378人間七七四年
2008/05/28(水) 13:05:38ID:6zWNRV1V0379人間七七四年
2008/05/28(水) 15:26:29ID:+tjo1dqb織田に匹敵、もしくは凌駕する包囲網は形成出来たかもしれないね。
連合軍が、まとまりのある織田軍に本当に勝てるかは分からないけど。
上杉の家督を誰が継ぐかで日本史が大きく変わる可能性があったのかも。
0380人間七七四年
2008/05/28(水) 18:39:20ID:onl5ArEP毛利上杉北条くらいまでは史実の武田と同じ運命を辿ったかもな
0381人間七七四年
2008/05/28(水) 18:40:56ID:onl5ArEP0382人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/04(水) 22:20:06ID:tQS2m2GU0383人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:40:31ID:t7GYuTcR0384人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 00:58:27ID:KcC3z/or0385人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 02:05:04ID:opwiJamK0386人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/05(木) 03:31:58ID:opwiJamK本能寺の状況は無かったとしても重臣の決定的な暴発は
起きてたと思うが
後は岡崎三郎に期待
0387人間七七四年
2008/06/13(金) 06:22:30ID:jsdY9Lov何をもって不当な論功行賞と見做すかには個人差がある。
兄と違って弟が強欲だったという可能性も高い。
そこに上杉と対立していた織田が手を突っ込む余地がある。
少なくともこの時代、一武将が単独で反乱を起こすことは考えにくく、
根回しや後ろ盾はあったと考えるべきだろう。
0388人間七七四年
2008/06/13(金) 14:23:11ID:7R3XbDYf0389人間七七四年
2008/06/13(金) 14:45:22ID:YK8Hg/lo上杉景勝スレに移動してください。
該当の話題もしております。
0390人間七七四年
2008/06/13(金) 14:53:58ID:lTIGX35S一時期寂れていたわけだし。
0391人間七七四年
2008/06/13(金) 17:17:47ID:8ch0UACxと景勝にいえばよかった
0392人間七七四年
2008/06/13(金) 19:19:18ID:cGffp2tY傀儡化しそうな気がするが
0393人間七七四年
2008/06/13(金) 20:59:51ID:YK8Hg/loあっと言う間に織田に上杉は滅亡させられてたかもな。
0394人間七七四年
2008/06/13(金) 21:11:45ID:Z2Xx4Yxj0395人間七七四年
2008/06/13(金) 22:07:29ID:MAaNUoZE0396人間七七四年
2008/06/13(金) 22:07:48ID:6yS5xmuYそしたら重臣たちが暗殺か謀反起こされるか、武田とかに逃げちゃうような
そのまま北条家の傘下としてやってても秀吉によって北条家滅亡
どうがんばってもいい方向にはいかない気がするのが切ないな
0397人間七七四年
2008/06/13(金) 23:33:17ID:uxfoXp2Qまぁより重臣の発言権の大きい豪族連合にはなるだろうな
0398人間七七四年
2008/06/13(金) 23:37:23ID:4ISmCOV2どっちが勝とうが関係ないよ。
本能寺という奇跡によって助かっただけ。
0399人間七七四年
2008/06/14(土) 00:21:05ID:5nvLBKNI0400人間七七四年
2008/06/14(土) 00:24:12ID:xYR/8ti/0401人間七七四年
2008/06/14(土) 06:27:56ID:1jxNekHo下手すりゃ景勝を倒しても上条に旗印が変わって乱続く可能性さえあるな。
0402人間七七四年
2008/06/14(土) 13:15:57ID:5nvLBKNI0404人間七七四年
2008/06/16(月) 23:41:33ID:wPcTYzXl通説ではそう。
だけど不審な点も多いんだよね。
織田徳川とのあまりにも速い同盟締結や、御館の乱での消極的な動きなど。
謙信が死んだ時点で交渉を始めていたんじゃないかとも考えられる。
0406人間七七四年
2008/06/18(水) 10:38:09ID:c0RWe+P2あるらしいので、交渉があったのは確実。
0407人間七七四年
2008/06/18(水) 12:37:10ID:t0OexKgkで、その情報が「なぜか」スムーズに武田側に流れる。
で、それを察知した勝頼は景勝に体重を移し、結局景虎はあぼん。
怒った「ふりの」氏政は大義名分を得て徳川、織田とつるむ・・・。
戦国外交は複雑怪奇・・・。
0408人間七七四年
2008/07/01(火) 14:04:04ID:rBiozWDC何の根拠も無いifだなあ
0409人間七七四年
2008/07/01(火) 14:34:26ID:BMhZONOK北条に吸収される可能性も含めればあり得る話かも
案外景勝より上手く立ち回った可能性も無くは無いんだよな
0410人間七七四年
2008/07/01(火) 15:25:33ID:8/lRsCp50411人間七七四年
2008/07/01(火) 15:35:01ID:e+rskHOL【景勝】御館の乱を語る【景虎】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
0412人間七七四年
2008/07/01(火) 19:56:36ID:luV+y9ND0413人間七七四年
2008/08/07(木) 16:12:54ID:jyNeAIVr伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗
長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを殺害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを殺害して上杉を僭称
さらに上条上杉政繁を追放
どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな
0414人間七七四年
2008/08/24(日) 07:56:07ID:MeYrCvlX/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
iiiiiiiiiiiiiii《 ━━━'/ ヽ━━━ ヽミヽ
...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
..iiiiiiiiiiiii》| ::: |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiiii|, |iii|
..iiiiiiiiiiiiiiiiii, ( ● ● ) .|iiii|
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii 》━━━━《 |iiiii|
iiiiiiiiiiiiiii《《《ヽ 》 / ̄ ̄\ 《 |iiiiiiii|
iiiiiiiii《《《《《《《《 《《 \ ̄ ̄/ 》》 |iiiiiiiiiii|
iiiiiiiiiiii《《《《《《《《《《《 》》  ̄ ̄ 《《 》》》》》iiiii| 俺 は 神 だ
iiiiiiiiii《《《《《《《《《《《《《《《《《《《《》》》》》》》》》》》》》》iii|
iiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》》》IIII 俺こそが上杉を継ぐに相応しい
iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii巛巛巛巛巛巛巛巛》》》》》》》》》》》》iiiiiii
0415人間七七四年
2008/08/24(日) 21:01:33ID:ZSdG+nha景虎人気ってやっぱり、あの小説が1番の原因なんだな…
0416人間七七四年
2008/08/24(日) 21:23:44ID:9fj5wQh20417人間七七四年
2008/08/24(日) 22:08:59ID:ti96YPVGほかに人気の要因が無い
0418人間七七四年
2008/08/24(日) 23:44:29ID:ppn2HBQn謙信の後継者の座を景勝と争って負けた相手、しかないよな。
イケメン説も信頼できる史料にはないんだろ?
景勝憎しの余りに景虎贔屓になった奴とラノベオタしかいないんじゃね。
0420人間七七四年
2008/08/25(月) 00:31:20ID:5viugfyz功績もなければ上杉家で何してたかも人物像も何もわかってないだろ。
好きようも嫌いようもないわ。
あーあ可哀相に、くらいしか思えん。
0421人間七七四年
2008/08/25(月) 00:33:36ID:yaMNszdb中ボス程度の存在だもんな。
0422人間七七四年
2008/08/25(月) 00:47:21ID:5CQn5cFv功績が乏しいのは仕方無い
0423人間七七四年
2008/08/25(月) 01:16:57ID:6HWVt2kTデキはともかく景勝と景虎が仲が良いという珍しい設定だった
0424人間七七四年
2008/08/25(月) 02:37:58ID:57A4j0Cm信長&信勝、元就&元綱、政宗&小次郎あたりにも使えそうな設定だな
0425人間七七四年
2008/08/25(月) 02:42:06ID:2EhXlxtq足利尊氏・直義など仲が良かったのに対立せざるを得なかったケースもあるしな。
景虎については実際にどういう形で領国経営をしたかだとか、どんな戦績があるかなど
ほとんど判らんから評価が難しいよな
0426人間七七四年
2008/08/25(月) 07:48:14ID:cztn1+k8初陣で功績を挙げたとか副将としてなんかしたとか
大将から評価されていたとかある奴もいるけど
景虎は唯一の戦績が「御館の乱で景勝に敗北」しかないからな…。
人質としてたらい回しにされた薄幸の美少年設定も
武田に人質?行ってませんけど。美少年?それも創作だろ。
という状態だしな。
0427人間七七四年
2008/08/25(月) 19:22:22ID:DOndinbp0428人間七七四年
2008/08/25(月) 20:32:45ID:vUP8tqnLどっちが継いでも謙信時代のような栄華は誇れないしな
0429人間七七四年
2008/08/26(火) 00:29:30ID:n4OPU6Rw0430人間七七四年
2008/08/31(日) 01:32:48ID:dnklUMfi景虎屋敷は春日山城内三の丸ではなく
春日の町中にあった可能性があるっちゅー話が出てたんだが、
やっぱ景虎は憲政の近くに置かれてたんかね。
0431人間七七四年
2008/08/31(日) 23:50:13ID:PmgyYN2m0432人間七七四年
2008/08/31(日) 23:55:16ID:cDTiHoY4だとすれば直江未亡人の遺言捏造は創作になる
0433人間七七四年
2008/09/10(水) 01:59:20ID:FJeGNxZ4謙信の死の直後に春日山城内が景勝方で占められたのも
景虎が春日山城内に住んでいなかったとしたら頷けるような。
簡単に暴力に訴えるまでもなく城内から景虎一派を閉め出せる。
0434人間七七四年
2008/09/10(水) 07:04:15ID:OOiUJ5d40435人間七七四年
2008/09/11(木) 21:07:02ID:x5U9ngjl御館の乱で景虎側に最後まで(死ぬまで)ついていた人ってどれくらいいますか?
0436人間七七四年
2008/09/11(木) 21:51:39ID:YFyGWScZ0437人間七七四年
2008/09/12(金) 00:26:39ID:dUzDM0od0438人間七七四年
2008/09/12(金) 07:36:01ID:F/DFWi+Q0439人間七七四年
2008/09/16(火) 22:28:23ID:sgL3jBm80440人間七七四年
2008/09/19(金) 07:38:37ID:j+bBPZ3d武田と北条がいる景虎の方が優勢っぽかったから景虎に付いたのに
景虎が負けちゃって、最初に裏切ってるから景勝と和解できずに
結局城内で山吉に内応した山吉家臣に殺された人じゃないっけ。
0441人間七七四年
2008/09/19(金) 11:47:32ID:A3hbj/Wdいつごろなんで帰っちゃったんだろ。
三条城の町奉行を追放された五十公野たんかわいそ。
0442人間七七四年
2008/09/20(土) 11:26:36ID:l/3crnlH0443人間七七四年
2008/10/07(火) 22:42:10ID:YnzWjn7i試みたかもしれないが、そうそう簡単に成功するわけでもあるまい。
城内が初めから景勝派一色ではなかったから
暗殺に成功しなかったのかもしれない
0444人間七七四年
2008/10/07(火) 22:50:55ID:UYMhb+x7子供の頃、よく先生にここで戦があって城兵が最後武器がなく
自分の腹掻っ捌いて内臓を投げつけた。と脅かされたんだが
それって御館の乱の頃の話かなぁ。
0445人間七七四年
2008/10/07(火) 23:36:17ID:lpEOVXXr0446人間七七四年
2008/10/17(金) 19:17:38ID:wlvNlkpe来年の大河ドラマで再現されそう! 密かに期待している。
0447人間七七四年
2008/10/17(金) 19:30:54ID:J5BLik500448人間七七四年
2008/10/18(土) 17:24:50ID:Nc6haFpOどっかの層に人気が出そうだな。
0449人間七七四年
2008/10/19(日) 01:03:50ID:2bngYt5Q原作はともかく、ドラマのプロット見る限り悲運の美青年って扱い。
華姫との純愛と悲劇性だけが強調されて結構おいしい役どころになりそうだ。
側室もスルーみたいだし。
0450人間七七四年
2008/11/03(月) 04:16:23ID:qlnc5RAw名前が景虎→先代の旧名
家督争いで後手に回る→そのまま平穏にいけば家督を継げる流れだった
いろいろ挙げてみると
景勝を正式な後継だったとするには
無理がありすぎるなあ
0451人間七七四年
2008/11/03(月) 06:37:07ID:HwWg3Ba5織田家とのさらなる交戦が予想される状況で、直属の兵なし・指揮経験なしの当主はあり得んだろ
御館のときも本人の資質は不問で反景勝でまとまっただけ。
謙信・景勝はどちらも戦で自ら陣頭に立ってるんだから。
名目だけ関東管領だけついで憲政みたく毎日遊んで暮らすならいいかもしれんが
0452人間七七四年
2008/11/03(月) 07:04:23ID:rJ0hB5wy一方景勝はなぜかその後着々とその基盤を固められている。
これで景勝が後継者じゃないとする見方は無理がある。
0453人間七七四年
2008/11/03(月) 08:10:25ID:hUsGWx+s養子と妻の件は北条から来た子なら誰でも同じ条件だったわけだし
上杉景虎がいるのに後発で長尾顕景を上杉景勝にして
弾正少弼を与えるなんて景虎が後継者だったらやらんよ。
0454人間七七四年
2008/11/03(月) 10:28:24ID:/hS8lz/K上條弥五郎を畠山に正式に戻して上條景虎にするとか、
山本寺を継がせて山本寺景虎にするつもりだったかもね。
0455人間七七四年
2008/11/03(月) 10:35:03ID:lkuccsaf0456人間七七四年
2008/11/03(月) 23:59:56ID:iSETptVV後継者だからこそ軍役がありそうなものだが。
>>454
俺も景虎はそのうち山本寺辺りを継ぐ事になったと思う。
0457人間七七四年
2008/11/04(火) 00:32:29ID:6uCMIIlrだが景虎にはその痕跡さえ見えない。
0458人間七七四年
2008/11/04(火) 00:56:59ID:K1la/nK10459人間七七四年
2008/11/04(火) 02:46:36ID:sBlczQtIもう少しまともな反論がくると思ってたけど……
反景勝でまとまっただけ?
どこの資料からそんなことが読みとれるんだ。
景勝が先に軍事行動をとってるんだから、後になって
戦力が集まるのは当たり前じゃないか
軍役を持たなくても不思議ではない。家督継承時に直轄部隊も引き継げばいいこと。
>>454
想像を言われてもキリがないね
上条政繁を実家に返す理由もないし
山本寺家は跡継ぎがいなかったわけでもない
山本寺家は唯一の越後守護上杉男系なんだから
景勝にしろ景虎にしろ養子にするなんてことはありえない
0460人間七七四年
2008/11/04(火) 06:38:08ID:tp1HIKOh0461人間七七四年
2008/11/04(火) 07:15:09ID:6uCMIIlr実家の畠山が謙信の晩年どんな状況か、
謙信がその能登にどういう行動取ったか知ってるか?
大体指揮経験のない当主がいきなり本陣任せられるかよ。
信玄も義信も秀忠もみんな父親の率いる軍の中で
部隊を任せられ戦ってるぞ。
0462人間七七四年
2008/11/04(火) 08:30:31ID:ZiskQRS7その足元にがんがん戦ってる血縁の弟がいたらどういう事態になるか
自分の経験でよく知ってるだろうからなー。
0464人間七七四年
2008/11/04(火) 14:38:25ID:sBlczQtI入ってないよ
>>461
状況を考えても必然性はない
政繁が上条を継いだころから、能登越中などの
北陸の統治には計画があったはずだ
謙信は能登周りの海路を重要視してたからね
だから直轄部隊にいたんだろうということを言ってる。
軍役無し=従軍経験無しというのは、おかしい
>>463
たしかにやや漠然としていたけど、景虎派=ただの反景勝派
っていう思いこみによる反論はいただけない
ミラオタ?にうんざりしてるのはわかるけどさ……
0465人間七七四年
2008/11/04(火) 15:20:08ID:6uCMIIlr後継者として部隊指揮を任せられたならそれなりの武将も付いてるはずだが
誰を指揮していたんだ?
一体どの戦で副将を勤めたんだ?
政繁が上条を継いだ時は兄は追放されていたがまだ畠山義慶が活動してたよな。
その後義慶は死にその弟もまたすぐに死んだ訳だ。
残った畠山嫡流はわずかに幼い子供。
政繁を畠山に戻すことを考える必然性が無いと思う理由が分からん。
0466人間七七四年
2008/11/04(火) 20:22:36ID:Ts2tCXNiそれが妥当だったかという論点に
移って欲しいぞ
0467人間七七四年
2008/11/04(火) 20:23:19ID:8ig26Ads上野に出陣してたね。
0468人間七七四年
2008/11/04(火) 21:37:22ID:wXdGnduC元亀3年の景虎の出陣は、その前年、
まだ越相同盟が破られる前に、越後を立った陣じゃなかったっけ。
2年の12月に同盟破棄が通告され、謙信はそのまま新年(3年)を上野で迎えた。
つまり、元亀2〜3年の出陣はあくまでも同盟決裂前の待遇の一環と考えるべきじゃ?
それ以後、謙信生前の軍における景虎の活動は、傍証になる史料も全く残っていない。
そして翌元亀4年(天正元年)には、敵対していた越中松倉城主・椎名康胤が、
謙信へ帰順するに際して、景勝にとりなしを頼んでいる。
(当時の景勝は、まだ景勝を名乗る前の長尾顕景だが。)
もし謙信が同盟決裂後も、景虎を上杉家の後継者と目されるような立場で従軍させ、
自身と直轄部隊に同行させていたのなら、
ふつうは景勝(顕景)ではなく、景虎に周旋を依頼した方が有効と考えるもんでは?
要するに、少なくとも天正元年には、
景虎よりも景勝に頼んでもらう方が妥当と考えられていたのであって、
景虎が後継者として謙信の直轄軍に存在していたという説には無理があると思うのだが
0469人間七七四年
2008/11/04(火) 21:53:21ID:wXdGnduC景虎には明確な地盤の補強もないまま、ある意味放置ともとれる待遇がなされた。
(この辺の景虎の処遇は、例の管領職の通称の件とか、解釈次第のところもあるけど。)
だいたい、謙信が直轄部隊を家督継承時に景虎に譲るつもりだった筈、
その直轄部隊に同行もさせていた筈、という459みたいな人は、
その謙信の「直轄部隊」とやらを、具体的にどの辺の将たちだと想定してるわけ?
0470人間七七四年
2008/11/04(火) 22:53:53ID:yuMEuL6r姪婿とはいえ血の繋がらない、自分の晩年にあまり友好的でない家出身の養子に
後を継がせるのってどうなんだ?
普通はどっちが継いでも家が繋がるなら、血の繋がりを優先したいと思いそうなものだが。
0471人間七七四年
2008/11/04(火) 23:15:32ID:sBlczQtIあなたの言う通り、景虎の軍役に関する明確な資料はないから
そのような反論はあって然るべきだと思う。
しかし大名の養子に軍役が無いという時
通常は大名直属になっている場合が多い
上杉家の場合、景虎が関東管令の名代として
厩橋に入っていたという可能性もあるがね
いづれにせよ、当主の養子であるわけだから、何らかの
地位にあったと考えるのが自然だろう
畠山義春について
まず、御館以前の復姓の動きは資料には
全く見えないから、君が言うのは推論ということになる。
問題は、その推論が正しいかどうかだ。
義春(政繁)が畠山を次ぐとしたら、本人の意志によるものだろう。
上条政繁は、謙信が上条上杉の
断絶を惜しんで、家を継がせたわけだから、
政繁が畠山に戻るとしたらそれは本人の意志だろう。
実際、景勝の下を出奔して復姓したがそれは景勝への反抗だろう。
しかし政繁が謙信に反抗する理由は無い。
政繁を以て上条家の再興ができた謙信
からみれば畠山に戻す必然性もない。
第一、七尾城攻略の際、謙信は遊佐続光へ工作を行い
寝返れば畠山の旧領を与えると言い、その後
実際に七尾の守将となっている
0472人間七七四年
2008/11/04(火) 23:22:36ID:sBlczQtI直轄部隊に同行というのは推論の域を出ないが
逆に言えば、当主が自らの養子を本隊に同行させる
ということは不自然でもない
あなたの言うとおり解釈次第のところも大ですがね
>>470
謙信自身が上杉の血を引いていないし
妻帯もしないから子もいない
このような人である謙信が実甥と姪婿を
血縁の近さで比べるということは考えにくいと思うが
0473人間七七四年
2008/11/04(火) 23:57:47ID:BWi9eNg8469だが、解釈次第と書いたのは、あくまで管領職継承に関する部分で、
景虎の従軍に関することではない。
498-469に書いたように、同盟決裂後、
景虎が謙信の軍の中枢にいたとは考えられず、椎名氏の例に見るように、
軍において存在感の重さを示しているのは景勝の方であり、
景虎の従軍の可能性は低いと述べたつもり。
0474人間七七四年
2008/11/05(水) 00:09:23ID:QBmPZ495血縁無視の実力主義だったなら有能だと思えば部隊指揮を任せたり
当主の名代として行動させてるだろうが
その事跡に関しても景勝>景虎
=実力主義でも景勝のが有力。
結局年齢が景虎の方が上ってのと景虎の名前だけか。
0475人間七七四年
2008/11/05(水) 01:00:07ID:K9H6Syx8北条相手にも立場弱くなりそうだし…
第一景虎より景勝の基盤を強大化しちゃ駄目だろ。
0476人間七七四年
2008/11/05(水) 03:06:49ID:1ibx4avX景勝の強大な軍役は「上田長尾」のものを
引き継いでいるということを加味する必要がある
上田衆の地盤は強力だが、謙信と疎遠な将も多いから、
多大な軍役を任せて牽制する意図もあったのかもしれない
景勝と謙信の仲が疎遠だったとは思わないが。
当主である景虎が越後の軍役の中枢から離れているというと
関東管令名代として上野に滞在していたとしか思えないが
中枢から離れていると言われても、推論にとどまっているから
実際景虎はどこに構え、何を任されていたと考える?
>>475
景虎が北条に従うような人物であれば、
同盟決裂時に返しているはず
0477関連スレ
2008/11/05(水) 03:42:01ID:PNUvBArmhttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
0479人間七七四年
2008/11/05(水) 07:27:02ID:9J2P3edx>景勝の強大な軍役は「上田長尾」のものを
>引き継いでいるということを加味する必要がある
もちろん、その通り
そして、もし景勝の力を削ぎたいのであれば、
上田長尾の勢力を弱体化させるのが最も有効な方法だと思うが、
そうした経過は認められず、むしろ信濃や故山吉の家臣が景勝の家臣に加えられ、
地盤はより強固なものとされている
その点についてはどう考える?
>上田衆の地盤は強力だが、謙信と疎遠な将も多いから、
天正年間、謙信の晩年の時点でそれは誰と誰? 具体的に教えて欲しい。
>当主である景虎が越後の軍役の中枢から離れているというと
>関東管令名代として上野に滞在していたとしか思えないが
当主である景虎?当主の養子である景虎という意味?
管領名代としての上野滞在の根拠は?
傍証として考えられる状況はどのあたり?
>中枢から離れていると言われても、推論にとどまっているから
中枢から離れていると考えた理由
1)同盟期間中でさえ、北条家への支援の要請を、景虎が直接謙信ではなく、
謙信に依頼してくれるよう直江大和守に頼む手紙が残っていることから、
たとえ「景虎」の名乗りを貰い、一門に加えられたとはいえ、
謙信に対して遠慮のある立場であったと考えられる
2)同盟が破棄されたあと、越中攻略において、敵方からの帰順のとりなしを依頼される景勝に対し、
景虎がその存在に対抗しうるような状況を示す史料・傍証が何も無い
上杉家の後継として従軍していたのなら、なぜその後継たる景虎ではなく、
当時まだ長尾顕景と名乗り、養子ですらなかった景勝の方に依頼するのか?
3)乱の勃発後、晩年に謙信が重んじた旗本の多くが景勝に組しているが、
もし景虎が、上杉の後継として軍に深く関与していたのであれば、
なぜ彼等は謙信の意図を汲み取って、景虎に味方しなかったのか?
等々。
それと、謙信の「直轄部隊」がどの辺りの将だと考えているのか、質問返しする前に答えてね。
0480人間七七四年
2008/11/05(水) 09:06:46ID:8P6Yw+Cd上野に謙信の名代として入っていた様子はないだろ。
名代として上野にいたなら関東衆との交渉の形跡くらい残ってそうだが。
じゃあ謙信出征中の春日山城番していたかというとそんなこともないみたいだが。
個人的には後継者として特別待遇というより
むしろ重要な任を与えない飼い殺し状態に見える。
景勝より年上なのだから謙信の片腕としてバリバリ働いてていい年だし。
0481人間七七四年
2008/11/05(水) 16:03:51ID:L9nVgKFg0482人間七七四年
2008/11/05(水) 16:34:31ID:8P6Yw+Cd謙信が死んだ途端黙殺することもありえるだろう。
大体先代が後継者を明確に指定していても御家騒動やった家はいくつもある。
古志衆は上田に政権譲りたくないだろうし
上田はうちの殿こそ血筋からいって正当と思ってるだろう。
0483人間七七四年
2008/11/05(水) 17:32:42ID:8x31bb/s後継を指定していないとさらにお家騒動が起こりやすくなる
とも言えるんじゃないかな。
どっちにしろ明確でなかったことに違いはないでしょう。
0484人間七七四年
2008/11/05(水) 17:34:07ID:8x31bb/s0485人間七七四年
2008/11/05(水) 18:22:41ID:8P6Yw+Cd明確な宣言があったとする史料が無いから無かったんじゃないか?と言う話で
宣言が「無かった」ことを証明するのは無理だからな。
(景勝が弾正少弼を継いだ事が後継者宣言だったと見る向きもあるが)
ただ、宣言をしたかという話と景虎を後継者として扱ったかはまた別の話。
0486人間七七四年
2008/11/05(水) 21:22:21ID:c+EwX22x二頭制(謙信と景勝の)だったのでは?っていう説もありますね
0487人間七七四年
2008/11/07(金) 20:56:59ID:FX8C+lOB詳しく!
0488人間七七四年
2008/11/08(土) 18:03:09ID:X4TNW8Hc・書状は菅原為繁が関東に無事帰国したことを報告したことの対する
謙信と景勝の返事で2人は同日に同内容の書状を送っている。
景勝の書状は宛名の脇付けもなく書止文言も「恐々謹言」で
謙信の書状と同じスタイルなので副状ではなく、謙信と同様の立場から発行したものと言える。
(ただ景勝の書状には花押がありません)
・実城と中城は春日山城の二大曲輪
あと父が隠居して家督を譲ったとき、父が出家して「官途+入道」で呼ばれ
子が併行して父の官途名を名乗るのは一般的にみられること、とも。
0489人間七七四年
2008/11/08(土) 19:43:20ID:K0M5BBDj謙信の死で取り止めになった関東遠征で景虎か果たすはずだった役割について考えてみないか?
もし景虎に上杉家に連なる武将として兵役が課せられていたとしたら
地元&降将の軍法に従って、ここは先陣をきらなきゃならんだろう。
逆にここで戦わないんだったら上杉家における無為徒食ニートでしかなくなる。
御館の乱においてはただ唐突なだけに思える景虎・憲政の連帯は、関東仕置きにおいては非常に重要だと思うんだ。
むしろ関東攻めの布石として、両者の仲を取り持ってたのが、
謙信の頓死であんな形で暴発してしまったんじゃないかな。
0490人間七七四年
2008/11/08(土) 20:25:45ID:IJvTtK+o0491人間七七四年
2008/11/08(土) 21:30:54ID:aO3oxaMQ景虎が後継主張の「大義名分」のために依るのは御館しかない訳で
憲政とともに越後に来て謙信に仕えた山内上杉家臣さえ景勝に付いてる辺り
本当に憲政自身は景虎を支援連携する気があったのだろうか?
景虎も戦闘を考えれば平城の御館などより
景虎派の誰かの城に入った方が戦う上では良かったのでは?
戦闘よりもまず憲政の身柄を確保をしようとしたのではないか。
0492人間七七四年
2008/11/08(土) 23:19:35ID:wL41E1L50493人間七七四年
2008/11/08(土) 23:39:14ID:aO3oxaMQ憲政の死は憲政が景勝に渡す人質を連れて逃げたところ事故死したんだろう。
憲政が景勝支持するなら景勝に憲政を殺す理由はないし
景虎の嫡子を連れて武力もなく敵本陣に行って景虎庇うほど
非常識な能天気でもあるまい。
0494人間七七四年
2008/11/09(日) 00:22:05ID:GZLd9rzgいくら何でも分かるだろうしなあ
和睦なら華溪院が行ったほうがまだ可能性がある気がするんだけど
0496人間七七四年
2008/11/09(日) 00:55:43ID:AuhlHmFF北条高広も息子の一人に自分と同じ名前つけてるのに後継は景広な件。
0497人間七七四年
2008/11/09(日) 01:08:21ID:Btdkwoezそんな風習は当時あったのかねぇ
0498人間七七四年
2008/11/09(日) 01:09:14ID:vXOf+fwj確かに。
謙信・景勝→弾正少弼
高広・景広→丹後守
やはり官職の方が名前より重要じゃないか?
高広は安芸守も名乗ったよな。
0499人間七七四年
2008/11/09(日) 10:31:56ID:4YZuxJbdあれとはちょっと違うかな
0500人間七七四年
2008/11/09(日) 12:18:38ID:CnotDjgyただ子の信有の方は兄だが側室の子、弟の信茂は正室の子で
父親の信有が若くして死に、弟の信茂はまだ幼かったので
兄の信有が病弱ながらも家を継いだという流れで、
後継者だから信有だったのかはわからんけど。
0501人間七七四年
2008/11/09(日) 14:37:29ID:Btdkwoez0502人間七七四年
2008/11/09(日) 15:47:05ID:1HimMzCA初名=後継候補、ってのは厳しいんじゃない?
仮に後継者だから名を譲るというのであれば、景勝改名と弾正少弼譲与の際に、
それこそ山内上杉の名跡を継ぐ予定であることを示すためにも
景虎を政虎に改名させてるんじゃないか?
0503人間七七四年
2008/11/09(日) 15:50:20ID:WG8N+gMa後継者らしいね。
本当にそうするべきだったのではないかw
0504人間七七四年
2008/11/09(日) 15:52:52ID:WG8N+gMaでも何でこの人も顕景から改名する必要があったんだか。
0505人間七七四年
2008/11/09(日) 16:10:01ID:CnotDjgyちょっと問題があったという話を聞いたようなうろ覚え。
景勝も景虎も上杉の通字を避けてるしどちらかを完全に上にしてしまうのは
家中の権力闘争的に問題があったんじゃ?
0506人間七七四年
2008/11/10(月) 13:30:15ID:/MNcsH+Y飼い殺しだの部屋済みだの言っているが非現実的だと思う
御館の乱は一年におよぶ内乱で上杉家を真っ二つにした
それだけ景虎に味方する武将も多かったってことだ。
もし景虎が飼い殺しだったら、求心力も無く
内乱もすぐに決着が着いただろうな。
>>479
謙信がもし景虎を後継と考えていたとしても、景勝の権力強化は矛盾しない。
一門衆の権力強化は他の国人への威圧になる。
越後国内にも不穏分子はあるしな。上田への不信感はあるが、
本庄・北条を抑えるには一門衆の強化は不自然ではない。
>天正年間、謙信の晩年の時点でそれは誰と誰?
詳しく上げろといわれてもねえ
上田房景の初期の動向や、上田政景のあんな死に方を考えれば
謙信に不信感を持つ人間が居ないわけ無いだろうに。
0507人間七七四年
2008/11/10(月) 13:43:54ID:/MNcsH+Y景虎は「後継者候補として」謙信と共に従軍していたか
あるいは関東管領名代として上野にいたかというのは推論。
景虎が何もせず、ただ遊んでいたわけではないだろう
506でも言ったように、なにか任せられていたと考えるのが自然だが
そのような史料もあまりない・あるいは消失しているかもしれないので
確かなことは言えんが
直属部隊というのは何を指して言ってるの?旗本?
0508人間七七四年
2008/11/10(月) 13:59:19ID:/MNcsH+Y結局、決定的なことは言えないが、飼い殺しというのは考えにくいと考える。
そのつじつま合わせ的に推論したまでで、正当性があるわけではない。
だからあなたが指摘したがるのは無理もないだろうと思う。
>中枢から離れていると考えた理由 1
景虎後継者説を少しマイナスにする一件だな。ただ後継を定める時期と比べて
心証に変わりがあるかもしれないが、そんなことは反論にはならないだろうな
2) 景虎に出すのであれば謙信に出すだろうな。現当主だから。
そして顕景も、上田の「現当主」だ。
3)多く、というが大身の旗本が景勝に味方する傾向にあったのは事実だな。
北条家に反発する武将も多かったのかもしれない。ここらへんは見解次第だが
景勝の春日山占拠の時点で景勝勝利の気配を感じた武将もいるかもしれんが
景勝から先に軍事行動をした事実はあらゆる意味で重大だと考える
0509人間七七四年
2008/11/10(月) 14:04:29ID:/MNcsH+Y仮にも、養祖父なんだからそう簡単に殺されるとは思わないだろう
憲政にしても、最初から景虎を支援しようとしていたとは考えにくいがね。
御館の憲政にはほとんど軍事力が無いから、景勝が落ち延びてきても
景虎が落ち延びてきても、これを拒むことはできなかっただろうしな。
以上 連投スマソ
0510人間七七四年
2008/11/10(月) 15:45:46ID:2LzkHin6若しくは他家の四男五男のような立場ではなかったのか
家臣名簿で景勝も名前がないことから、軍役帳に乗っている=家臣扱いでもない
旧名を当主が世襲する習慣のない上杉で旧名=後継者とする根拠
さらに通称・官位を引き継いだ景勝より景虎を上とする根拠
謙信側近が付いてる景勝が迅速な行動を取れるのは当たり前であり
逆にそういった者を持たなく、さらに旗本の指揮権がなく直轄軍も持たないからこそ
景虎が出遅れたとも考えられる
終始三郎殿の景虎に対して御実城様と対になる御中城様という称号をどう捉えるか
後継者より上とも取れる地位はありえるのか
景虎が後継者だとしてその動きがまったく残ってないのはどういったことか
後継者=当主代理な訳でかなりの書状を発給してなければおかしいわけで
仮に景勝が隠蔽したとしても会津に転封されるまでの帰還で全てを隠す事が可能なのか
また他国にも残ってないのはなぜか
他の傀儡を見るに本人の資質や業績は必須条件とは言えず、
逆に幼君に代表されるように力がないがゆえに制御しやすいと見られたのではないか
また景虎の資質によった戦いならば十一月から半ば見殺し状態にはならないはずで
その後一年も乱が続くのもおかしい
よく出される↑辺りに説得力のある根拠や反論を提示しないといけないわけで
通説の後継者不在論を覆して、景虎後継者論を進めるのは茨の道、まぁ頑張って
0511人間七七四年
2008/11/10(月) 16:33:27ID:RuLs3GJs内乱に主君の器量なんか必要ない。幼児だってかまわん。
景虎はその血筋だけで北条とその同盟国の支援が見込める訳で
古志長尾と北条武田葦名など諸外国がぞろりと付いた景虎を
保身の為に謙信の意志を無視して支援する国人衆がいても不自然じゃない。
御館落城に際して景虎を守る諸将が殆ど残らず
景虎が死んでも乱が終わらなかったあたり、景虎を擁立した諸将にとって
三郎景虎個人でなくてはいけない訳じゃなかったって事だ。
0512人間七七四年
2008/11/11(火) 22:27:13ID:540ee6vlちょw
あなたがた景虎後継者説の人達が
「謙信の直属部隊を引き継げばいい」
と主張してるのにそれが誰の事を
指すのか把握してない訳?w
0513人間七七四年
2008/11/11(火) 22:54:55ID:VgPtVt/s0514人間七七四年
2008/11/11(火) 23:38:22ID:jgI585vSここ一連の流れを読み直したけど、507の人は、
>軍役がない→謙信直属、後継扱い
>軍役を持たなくても不思議ではない。家督継承時に直轄部隊も引き継げばいいこと。
と、この「直轄部隊」という言葉を>>450や>>459で、
自分が使い始めたことを忘れているのでしょう。
>>469でも、>>479でもその直轄部隊がどの辺りを指すのか、
聞かれているのに応答なしで、いきなり>>507で質問返し。
>>507
景虎が家督継承時に「直轄部隊」を引き継げばいいこと、
と言い出したのは貴方ですよ。ご自分のレス見直してみて下さい。
0515人間七七四年
2008/11/12(水) 00:02:35ID:DF+ngRFC山吉は豊守の死によって家法により家臣団半分召し上げになったあと、
召し上げた一部を景勝の五十騎組に編入しちゃったりしてるな。
あれー?景虎に任せるどころか景勝の親衛隊になっちゃってるぞ。
0516人間七七四年
2008/11/12(水) 00:04:14ID:hBaxL2/D479ですが、
>謙信がもし景虎を後継と考えていたとしても、景勝の権力強化は矛盾しない。
そうですか?
謙信がもし景虎を後継に考えていたならば、
景勝には最晩年の時点で家中最大の兵力を与え、地盤を強化したのに対し、
景虎にはそれに類するような痕跡が全くない、
というようなパワーの偏りは避けるはず、矛盾する、と考えているので見解の相違ですね。
貴方は、景虎が
軍役がない→謙信「直属」、後継扱い、
謙信の「直轄部隊」に従軍していた、
あるいは管領名代として関東にいたかも知れない、と言うが、
それを裏付ける根拠は、長いレスの割りに、結局、
>景虎が何もせず、ただ遊んでいたわけではないだろう
>そのような史料もあまりない・あるいは消失しているかもしれないので
と述べているだけなので、こちらとしては何とも答えようもない。
ちなみに景虎の手紙は全く残っていないわけではなく、
北条支援を奉行衆に頼んだ手紙や芦名氏宛のものなど、残っていますよ。
貴方に推論ばかり、と言われたので>>479で推論の根拠を述べたが、
自分は?人のレスに絡む前に、自分の説の裏付けをして欲しい。
0517人間七七四年
2008/11/12(水) 00:12:12ID:hBaxL2/D>詳しく上げろといわれてもねえ
>上田房景の初期の動向や、上田政景のあんな死に方を考えれば
>謙信に不信感を持つ人間が居ないわけ無いだろうに。
そうですか?
政景亡き後、上田衆の要として多数の軍事活動をしていた樺沢城主・栗林政頼は、
謙信から送られてくる手紙を見ても、景勝の地位向上に伴って、
いっそう尊重・信頼されていく過程が読み取れるし、
まして上田衆にとって、自分達の若君が謙信から厚遇され、
大事にされていることがわかるのであれば、
たとえ俗説と言われる謙信による政景謀殺を疑っていたとしても、
不信感を拭うには十分な時間の経過があったと思いますが。
少なくとも景勝や政頼が重用・厚遇を受けていれば、
それに対して不穏な空気が漂うような傾向も必要も無かった筈と考えますが。
>>508
>2)景虎に出すのであれば謙信に出すだろうな。現当主だから。
>そして顕景も、上田の「現当主」だ。
上田長尾の当主であることが越中の椎名氏にとってどんな意味が?
当主であること以前に、謙信に手紙を披瀝し、
周旋してくれる影響力をもつ人物、当時の陣中にあって
最も近しい人物として 顕景を選んだものと考えているので。
>ここらへんは見解次第だが
>景勝の春日山占拠の時点で景勝勝利の気配を感じた武将もいるかもしれんが
>景勝から先に軍事行動をした事実はあらゆる意味で重大だと考える
占拠の時点で勝利の気配を感じても、その後の情勢は移り変わり、
景虎が優勢であった時期もあるのはご存知ですよね。
そして、一度は景勝派になったのに後に景虎に組した家臣もおり、
そうした中で、謙信の晩年の側近だった人々は、終始景勝派だったということです。
以上、長文で申し訳ないが、
このうえでなお越後を二つに割って戦うことができたのだから景虎は後継と目されていたはず、
とおっしゃるのであれば、その点に対しては、
>>510さんの下の方の書き込みに同意なので、そちらを読んでください。
所詮ずっと平行線のままだろうと思わざる得ない。
無駄にスレ消化するだけなのでもう消えますね。
0518人間七七四年
2008/11/12(水) 00:56:44ID:Sm8174a6本城の留守役は余程信頼されてないと任されない。
出奔の際も政景の説得で越後国主に復帰した。
ここまで信頼する政景を暗殺する理由が謙信にあるのか?
政景の死後に上田衆が解体されたわけでもない。
上田領内に政景暗殺の噂が広まったというような記録でも残っているのか?
この政景暗殺説といい、景勝による謙信暗殺説といい、完全な俗説だな。
0519人間七七四年
2008/11/12(水) 01:23:41ID:i8ovxAFR景勝の権力強化があったというなら
むしろ少しでも生きてもらっていてほうが良いと思うんだけど
話は変りますが景勝スレ見て気になったんだけど
遠山」の側室はいつから傍に上がったのかな
0520人間七七四年
2008/11/12(水) 11:10:48ID:DF+ngRFC華渓院との間に結婚一年で子供生ませて4人も作ってるんだよな。
命中率が高いな。
0521人間七七四年
2008/11/12(水) 12:56:13ID:hThqrSMN0522人間七七四年
2008/11/13(木) 17:49:40ID:SFXnTGwv402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/13(木) 17:40:53 ID:3UseZuXc
珍しく微妙に荒れ気味のところブタ斬りですまん。
今日、本屋で久々に大河便乗の直江関連雑誌いくつか手に取ってみたんだが、
後継者問題に関してはほとんどのものが景虎贔屓で萎えまくった。
皆さん見た?
たとえば歴毒の別冊、冒頭の永岡慶○助による「ドキュメント直江兼続の生涯」は、
あまりに電波飛ばしすぎな妄想小説なのでどうでもいいとして、
文化財専門員という某氏による章では、景勝が謙信の養子であったことさえ疑問視されている。
以下、その要約。
軍役帳に上杉一門筆頭の立場で記されていることから、上杉景勝への改名は事実である。
(同姓の場合は名字を省略するという当時の慣例から見ても上杉改姓は確かである)
しかし、弾正少弼譲与に関しては、県史の指摘にあるように、後継正当化のための創作。
景虎が芦名盛氏宛に出した書状に「少弼」とあったとしても、それは謙信死後のことであり、
あくまでも謙信在世中には景勝を弾正少弼とする史料はない。
景勝が謙信の養子となったことについても確証がとれないことから、
謙信在世中は、上田衆を率いる上杉一門として遇されたとみられる。
軍役帳で「御中城様」と尊称されている点については、
謙信の養子となったことが確認できないため、これも後に創作された可能性が捨てきれない。
以上。この某氏は割と確実に史料にあたっており、
むやみに景虎後継説を述べている訳ではないので念のため。
景虎については、元亀2年の関東出兵の際に謙信の側に景虎がいるのを見て、
関東諸将は景虎を上杉の家督継承者と認めただろう、という記述にとどめている。
しかし、その後に続く景勝の項目が上記の通りなので、景勝の家督継承に疑惑の色が非常に濃い。
「養子になった」という史料が見当たらず確証がないから養子ではない、
養子じゃないから「御中城様」という記述も創作の可能性が高い、ってどうなんだ?
説として成り立つのか?
この文の中では触れられていなかったが、
謙信在世中に景勝が弾正少弼を名乗っていたことを示す史料として、
他に、(年不詳だが)謙信の花押がある「上杉弾正少弼」宛の年賀への礼状、
景勝自筆という普光寺への官途祝いの礼状が考えられるが、いずれも「捏造」の一言で片付けられそうな勢い。
先月発売されたばかりの歴毒だけど、これを見る限り、
片桐氏の論文ってやはり広く出回ったわけではなく、実は殆ど受け入れられていないのか?
また、景虎が二ノ丸、景勝が三ノ丸(中城)というのも、あちこちで書かれていた。
実際に確定されたの?自分が知らないだけ?
0523人間七七四年
2008/11/13(木) 18:38:21ID:rO0LHzQq0524人間七七四年
2008/11/13(木) 18:50:31ID:3UseZuXc確かにループといえばループだが、養子ですらない、と言うのは珍しいかと思ってw
ぼやくならネタ探してくれ
0525人間七七四年
2008/11/13(木) 19:18:25ID:vmUGD7Od0526人間七七四年
2008/11/13(木) 21:52:11ID:qI4tlJShそりゃどんなトンデモ説でも成り立つわな。
直江や山吉や中条や上条や山浦といった
謙信の寵臣たちが即座に景勝支持をしていることをどう思ってるんだろうかね?
謙信の養子ではなく上田家頭領というだけでは全く説明がつかんのだが。
あと三郎景虎は春日山城内に住んでいたのかすら確定してなかったような。
0527人間七七四年
2008/11/14(金) 21:34:48ID:abUFoAhQ同盟破綻後…景勝
おそらくこうだろう。
同盟締結時は北条側が謙信を関東管領として認める代わりに後継を北条家出身の
男子とする盟約が水面下で交わされてるor暗黙の了解だったような気がする。
で、同盟が破綻してしまえばそれも意味がなくなり、謙信と血縁的に最も近い
景勝が後継者として浮上。(越相同盟前にも後継者と目されていたなら再浮上か)
取り敢えず二者分権説はないと思うよ。
>>505
謙信自身上杉家の通字を使ってないから、憲政に遠慮したんじゃない?
0528人間七七四年
2008/11/14(金) 21:59:04ID:OAFBPd+Tそんなわけねえだろ。
0529人間七七四年
2008/11/14(金) 22:35:09ID:x2p89cHo顕景を取り上げると上田長尾家を継ぐ人間がいなくなるから
誰か他の有力な名家の子を後継ぎにして
顕景を上杉家の当主にするつもりは無かったのが
越相同盟の破綻でやはり同盟者からとった養子では越後を任せるには
心許なくなり顕景を後継にする気になったんではないかな?
他国者でも力なくても良かったなら憲政の子が越後で生まれてるのだから
その子を謙信の養子にして山内上杉家の家督を戻しても良かっただろうが
そうしてない辺り上杉を継ぐ者には権力を保持するための背景となる武力が
必要だと思っていたんだろう。
景虎は実家から見捨てられたことでその条件から落ちたのでは。
0530人間七七四年
2008/11/14(金) 23:15:00ID:abUFoAhQもし謙信が同盟以前から後継について考えていたとしたら、まだ景虎もおらず、
景勝(顕景)くらいしかいないから、その場合は同盟期間を挟んで後継候補筆頭に
なったのでは、という意味で、語尾は別に断定している「か」じゃない。
というより俺の言いたい事としてさして重要じゃないから括弧書きなのに…
強い口調で否定するような事でもないだろうし…
0531人間七七四年
2008/11/14(金) 23:41:32ID:MJVPUG9Cどっちか片方が一貫して跡継ぎ最有力候補だったとすると
色々辻褄が合わないとこがあるから、オレも時期によって
最有力候補が違ったってのに賛成だな
0532人間七七四年
2008/11/14(金) 23:48:13ID:OAFBPd+T一行レスしただけだが、強すぎる口調で悪かった。
でも後継者が変化したなんて突飛な説は聞いたことないわ。
0533人間七七四年
2008/11/15(土) 08:38:58ID:phC/R04Y0534人間七七四年
2008/11/16(日) 00:08:38ID:aN0X4o3U横槍ですまないが、上田家も謙信の重臣なので、
椎名が上田に対して斡旋を期待するのも不思議ではない
景勝が後継者候補だったかどうかは別にして
0535人間七七四年
2008/11/16(日) 01:00:37ID:lkqveNOm定勝=越後上杉通字+景勝の一字
綱勝=綱吉通字+景勝の一字
綱憲=綱吉通字+上杉通字
定勝だけ徳川のなじゃないがこれも景勝が意図的に上杉の名跡を強調するためじゃね。本当なら忠勝や忠景が相当する労に
0536人間七七四年
2008/11/16(日) 10:51:05ID:LuXx1h5z>軍役帳に乗っている=家臣扱いでもない
普通は家臣扱いであることが多い。
迅速な行動の可否を論じたのではなくて、動機の問題。
景勝がなぜ軍事行動をとる必要があったのか?
当主として内定しているのであれば
この時期の混乱は一番避けたいはず。
景虎が後継者として春日山に入り、これを追放して
景勝が当主の座を奪ったという説も考えられる。
>終始三郎
山内上杉は代々「上杉四郎」を名乗っている。また、犬懸上杉も
「上杉三郎」がいる(朝房、重方、持房、政藤など)
犬懸・山内は関東管領歴任の家である。
まあ弾正少弼も扇谷家が名乗っていたことがあるけど
>仮に景勝が隠蔽したとしても会津に転封されるまでの帰還で
全てを隠す事が可能なのか
全てを隠すのは無理でしょう。でも隠せなかった少数が、数百年間失火などで
失われてしまった可能性も否定できない。
ここらへんは創造の領域なのでなんとも言えませんがね
>他の傀儡を見るに本人の資質や業績
なぜ傀儡と決めてかかるのか?それはおかしいのでは?
十一月には既に景虎劣勢となっており、景虎方の兵力がかなり減っている。
「見殺し」というがこれは仕方の無いことでは?
乱が続くことで、景虎の正当性を揺らがせる意味があるのだろうか?
当主となるべき景虎を倒した景勝には従えないから反抗を続けたのではないか?
>>511
大名が滅亡するときというのは離反・投降が相次ぐもの。
景勝後継者論の人は、景虎を無理矢理お飾りだったことにしたがるようだな。
0537人間七七四年
2008/11/16(日) 11:38:29ID:LuXx1h5z聞き方が悪かったかな?直轄とか直属とか言われるけど
どのへんまで含まれるか、あなた側の見解を聞かないと
書く前に整理してい置きたかっただけ。
ところで、「質問返し」されるのに過剰に反応されなくとも
その意図はないですよ
こちらとしては本庄・松本・直江・庄田・山崎(秀仙)・河田・
山吉・神余・和田・蔵田・堀江・香取・下平あたりのことを指したつもり。
この内 河田(長)・松本・直江・山崎・山吉が景勝方
そして、河田(重)・神余・堀江・下平が景虎方
0538人間七七四年
2008/11/16(日) 11:46:36ID:iq483n1j先に後継宣言をしたのは景勝のほうだったが、
単に関東出征目前での当主の急死だったため
さっさと後継がつつがなく活動を開始することで
周辺への混乱の波及を抑えようとしただけかもしれない。
それに景虎側が異を唱えて春日山を出て
大場で交戦が始まったというようにも受け取れる。
大体春日山城がそんなに簡単に不法占拠できるほど
景勝側の家臣が春日山に詰めていたなら
それこそ景虎の後継としての立場は危ういだろう。
後継者景虎の家臣は何をしてたんだ。
今川家も武田家も豊臣も滅亡するときには大量の離反者を出してるが
それにしたってある程度の武将達が最期まで当主を守って死んでるわな。
わざわざ落ち延びる景虎から離れていって自城に戻り抵抗する理由は?
景虎と一緒に死んだのは相模から来た遠山くらいだっけ。
0539人間七七四年
2008/11/16(日) 12:23:30ID:jlhv1Zblこの譜代家臣の無さのせいで負けた部分も実際あるし。
景勝の上田衆は圧倒的多数の北条軍に取り囲まれても必死に抵抗してたしなー。
他国から来た景虎を後継にするつもりなら早くから家臣を任せて馴染ませておくべきだったわ。
行使できる武力の無い主君なんてよほど平和な時代でもなきゃ
否が応でも有力家臣による傀儡と化す。
そして家臣を抑えようとして追放されたり殺害された主君がどんだけいることか。
景勝後継説以上に景虎後継説の謙信の態度はまずいよ。
弟に自ら使っていた官位を与え更に家臣団を拡大させるとか、
16歳でひょっこり敵国からやってきた姉婿とそんなに敬愛しあってるように見えたのか?
実の兄弟同士でさえ弟の力が強いと争いが起きることくらい
謙信は自分自身の体験で知ってるだろうに。よほどの甘ちゃんだったのか。
景虎に官位を与えた上で通称を使わせ、名代として指揮経験を積ませ
景勝は長尾顕景のままにしておくべきだった。
0540人間七七四年
2008/11/16(日) 22:31:37ID:fwyxX6iXわかってないっていうか
あなたが事実を曲解してるだけでしょ
>それに景虎側が異を唱えて
状況にも適合しない推論ですな
景勝が春日山を奪うことができたのは戦の準備をしていたから
景勝が当主第一候補なら、なぜ春日山を
軍事占領をする必要があったのか
事を荒立てて困るのは一番上に立つ人間であるはずなのに
0541人間七七四年
2008/11/16(日) 22:40:47ID:7NHpy+DF0542人間七七四年
2008/11/16(日) 22:59:52ID:7DzwmHmD綱勝の初名・実勝も越後守護系の字だな。
>>538
>わざわざ落ち延びる景虎から離れていって自城に戻り抵抗する理由は?
そんなの解りきってる、理由は二つしかない。
1.景勝に今更帰属しても領地削減は必至。
2.景虎派諸将から見れば、上杉家が簒奪されたような物なので
簡単に屈するわけにはいかない。
だったら抵抗して織田なり北条なりの援兵を期待するのは自然。
なんであんたがムキになってそこに拘るのかもイミフ。
0543人間七七四年
2008/11/16(日) 23:07:17ID:jlhv1Zbl一次史料には春日山城内で戦闘があったとか
戦死者負傷者が出たなんて話はない。
景勝が後継として諸外国や家臣に書状を出してること、
景勝派についている家臣が謙信の遺産整理をしていること、
大場で景勝派と景虎派による戦闘が起きたことしか分かってない。
創作だかなんだかわからない事を根拠にしてる人と
一次史料しか明確な史実と認めてない人が話してるから話が噛み合わない。
0544人間七七四年
2008/11/16(日) 23:10:09ID:fnUl3ijxだから景勝が正統な後継者でも春日山城を占拠する必要性は十分すぎるほどある。
逆に景虎は正統な後継者でなかったとしても春日山城を占拠すれば、景勝派が動揺して崩壊には至らすとも景虎派に奔る者が出た筈。
0545人間七七四年
2008/11/16(日) 23:20:27ID:fwyxX6iXおいおい、軍事的な準備をしていたのは事実だろう
景虎方はまさか景勝が当主の座を奪いにくるとは
思わなかったから武装していなかった
だから城内の戦闘は起きなかったんでしょう
0546人間七七四年
2008/11/16(日) 23:28:38ID:ZF4p89r5>>543
にちゃんで話を噛み合わせようというのがそもそもの間違い
結局、どちらも自分の都合の良い解釈してないしね。
0547人間七七四年
2008/11/16(日) 23:29:56ID:ZF4p89r5○ 解釈しかしてないしね。
0548人間七七四年
2008/11/16(日) 23:30:10ID:jlhv1Zbl何も気付かず何の抵抗もせずおとなしく従ったことが分かる
一次史料を提示すれば皆納得すると思うよ。
景虎はすぐ近くの中城の不穏な動きもわからないほど
愚鈍な人物だったって事でおkと思うけど。
0549人間七七四年
2008/11/16(日) 23:39:22ID:fwyxX6iX景勝もその時点では素直に城を出れば命を許すということだったんだろう
実際に兵を集めたのも中城ではなく城外に
百人くらいの小勢を密かにあつめていたかもしれない
君、景勝擁護のあまり感情的になってないか?
一次資料のみしか認めないと自称するわりには。
0550人間七七四年
2008/11/16(日) 23:41:56ID:eVbAQ5Jg0551人間七七四年
2008/11/16(日) 23:42:02ID:g9crcI/50552人間七七四年
2008/11/16(日) 23:46:44ID:ZF4p89r50553人間七七四年
2008/11/16(日) 23:53:33ID:+M1p5ZAG0554人間七七四年
2008/11/17(月) 00:19:20ID:Lu8CAH9Z沢山の重臣達がいたはずなのだから問答無用の不法占拠というのは
不可能だと思ってるからなあ。
特に謙信が死んだのは関東征伐だか上洛だかの直前だったわけで
景勝が兵を手元に置いていても別に怪しくない状況だったのだろうと思う。
(ただしそれは他の重臣達も同様)
ここで景虎が出遅れたのは一重に手足となって動く譜代家臣がいなかったためだと思う。
景勝には即座に動かせる兵がいるのに対し
景虎は兵を動かすには支援者を集めなければならず
そのために景勝に出遅れたのだろう。
俺はどちらも明確に後継とは分かってはいなかったと思ってるよ。
感情的に敵視してるように思うならどうぞ。
0555人間七七四年
2008/11/17(月) 00:24:52ID:Zh1XKBpgある程度謙信の近く辺りにはいたんだと思うぞ。
ただ、春日山城内にいたとするのが一般的な見方だが、
城内ではなく城下町の中に景虎は住んでいたのではないかと見る説もある。
上杉氏年表にその説は載ってるな。
景虎が城内に住んでいなかったのなら、
景勝が春日山城に、景虎が御館に拠点を構えるのもごく自然なことだから
面白い説ではあると思うが。
まあ景勝も春日山城内に居を構えたのが何時の話なのかは確定してないしな。
坂戸城と春日山城を行ったり来たりしていたようだし。
0557人間七七四年
2008/11/19(水) 11:10:00ID:gQ0qWr+2乱最中に死んだ北条毛利はともかく神余なんか景虎見捨てて自領に戻り
景勝との和議も決裂し旧主に呼応した家臣に殺されると
俺にはどう見ても日和見した挙げ句景勝に許してもらえなかったようにしか
見えないんだが簒奪者に膝は屈しない!織田でも北条でも来い!だったとは
ずいぶんかっこいいな。
死んでも簒奪者に抵抗する気概があるなら景虎死ぬまで守って
相模に逃してやればいいのに。
関東に出るには景勝本拠の近くを通る危険を犯さなきゃいかんくらい
分かり切ってるのにな。
0558人間七七四年
2008/11/19(水) 20:40:54ID:6TT5fbqH0559人間七七四年
2008/11/20(木) 08:23:49ID:kh+85/tv0560人間七七四年
2008/11/20(木) 08:52:04ID:uUJ+sXDV0562人間七七四年
2008/12/17(水) 21:24:02ID:+n8RKvCg0564人間七七四年
2008/12/18(木) 09:11:58ID:g8Vv4YNl0566人間七七四年
2008/12/18(木) 19:04:01ID:ljtgkY7I【毘】上杉家を語る 拾壱【義】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1229594303/l50
報告が景勝スレより遅くなったのは御館再現ではなく
連投規制をこっち側ばかり続けて食らったせいです。他意はないですw
0567人間七七四年
2008/12/19(金) 23:05:18ID:HwRTij8D上田派+北陸勢 VS 古志派+関東勢 の抗争でしょ?
で、謙信旗本の3分の2が上田派に加勢して勝利
0568人間七七四年
2008/12/19(金) 23:16:25ID:JJjwSFGh0570人間七七四年
2008/12/21(日) 10:37:09ID:whwA7nvs0571人間七七四年
2008/12/21(日) 18:54:14ID:U630CgxY大河のガイドブック本よんだが、ドラマではその辺が殆ど描かれないっぽい
ほんの少しの掛け違いで・・・って大筋のようだが、
正直、長年の越後の権力闘争を背景にしてくれないと、なんか薄っぺらな印象というか、
本当の悲劇として伝わらない、単なる景虎一人の悲劇に集約させる感じ
まぁ景虎好きには満足な設定だなと思った
0573人間七七四年
2008/12/22(月) 00:21:12ID:ZElVikp5人間ドラマとして片付けてくれた方がいいや。
0574人間七七四年
2008/12/22(月) 01:57:44ID:JPr3TNBT景勝vs景虎の人間ドラマに集約させてしまったほうがいいかもしれんがね。
0575人間七七四年
2008/12/22(月) 14:09:25ID:zm4W8E6n0576人間七七四年
2008/12/22(月) 23:22:45ID:2Mj8v6XC景虎本人も実家から見放された形で不遇だな。
0577人間七七四年
2008/12/23(火) 20:04:14ID:Nk6VXsSL0578人間七七四年
2008/12/23(火) 20:52:09ID:CR0b1Kce見捨てられたと言われてるんだぞ。
0579人間七七四年
2008/12/23(火) 21:13:56ID:Nk6VXsSL北条軍も楽観視していたんだろう・・・・
0580仙台藩百姓
2008/12/25(木) 17:36:10ID:8/jw/60jたまたま信長が殺されたから助かっただけで
あのままでは武田上杉北条仲良く共倒れだったお
勝頼も北条の支配が越後まで及ぶのを恐れたのか知らないけど
和睦とか有り得ないおね┐ (´ω`) ┌
0581人間七七四年
2008/12/25(木) 18:21:03ID:nuYU53oi0583人間七七四年
2008/12/26(金) 03:23:47ID:pFD7Tabz百姓もたまにとてもまともで意外な時があんだけどね…。
0585人間七七四年
2009/01/10(土) 19:42:01ID:cZozv3nT0586人間七七四年
2009/01/10(土) 19:46:45ID:LZ/eSsXmどうみても氏政が一番悪いだろ。
0587人間七七四年
2009/01/10(土) 20:02:40ID:a9TUJeSy0588人間七七四年
2009/01/10(土) 20:47:23ID:crJ8zIGh自分は景虎助けに来てるのに実兄の氏政が全然動かないのに
上杉武田の共倒れを狙われてるのではと疑っても仕方ない。
やっぱ悪いのは氏政じゃね。
0589人間七七四年
2009/01/10(土) 21:06:45ID:7HzSufGS0590人間七七四年
2009/01/11(日) 09:09:56ID:Zx/X1FHv越相同盟破綻時に三郎が殺されてもおかしくなかった。
御館の乱でもちんたらやっててやる気なし。
0591人間七七四年
2009/01/11(日) 13:33:19ID:bLl86P/hやっぱり協力して上杉軍をもりたてなかった景勝と愛の兜の人が悪い
0592人間七七四年
2009/01/11(日) 14:03:57ID:vaWDPLd1譲って後継争奪戦を辞退しなかった景虎の自業自得ともいえる。
「同盟が破綻する前から謙信お気に入りの養子」という主張は変だな。
「同盟破綻後も謙信お気に入りの養子だった」というなら
何を言いたいかは分からなくもないが。
ちなみに本当に謙信が景虎を気に入っていたのかは謎。
何せ景虎は謙信に交渉するのにわざわざ謙信側近に
奏上を頼まなければならない身だったからな。
0594人間七七四年
2009/01/11(日) 15:45:36ID:kbNEY2YP景虎が来てからもそれは変わってない
あと景虎絡みで兼続が関わった史料はない
0595人間七七四年
2009/01/11(日) 19:20:56ID:bLl86P/hその点はどうなの?
0596人間七七四年
2009/01/11(日) 19:43:36ID:1lVi82GT北条家に謙信が山内殿と認めさせる代わりに、
三郎が家督を継ぐという、北条家に対するアピールかも。
しかし北条家が氏康の死後に同盟を破棄し、
その年に出陣した関東遠征以降は、三郎の様子が
御館の乱まで一切史料に現れなくなる事から、
後継者候補筆頭から脱落したものと思われます。
因みに、景勝が可愛がられ、政治や軍事にも多く
関与しているのは多数の書状等で確認できます。
0598人間七七四年
2009/01/11(日) 19:56:17ID:HoUYL1mF木造具政
北畠具教
と同名さんがいるけど仲は良くないと思うが?
0600人間七七四年
2009/01/11(日) 20:14:43ID:ftEVCfbw謙信が景虎を養子にしたのは、越相同盟の約定の一環だよ。
両家が同盟の条件を交渉していくなかで決まったことで、
謙信が景虎に実際に会う前から、養子にすることが決められていた。
姪との祝言も同じく。
当時の謙信や氏康の手紙が残ってます。
謙信は同盟の条件事項に従って行動したまで。
したがって、謙信が景虎に好意をいだいたかも知れない、と史実から予想できるのは、
自分の初名である景虎の名乗りをあげた点。
(そして初名をあげたことが後継候補であることを示す訳でもない)
同盟期間中は、戦にも同行させたが、破たん後にはそういった記録はなく、
景勝への厚遇が目立っていくなかで、景虎への親愛を示すような史料はない。
景勝スレ、御館の乱スレでもいろいろ語られてましたよ。
0601人間七七四年
2009/01/12(月) 11:52:17ID:gF4PzUMv同名?
>>600
景勝への厚遇ってのも、旧上田長尾当主としての
権力強化もあり、必ずしも後継者として厚遇されたとも
言い切れないけどな
0602人間七七四年
2009/01/12(月) 12:18:29ID:KsNx+fW8なんで山吉旧臣を景勝隊に組み込んだんだ
0603人間七七四年
2009/01/12(月) 12:55:54ID:0UJQuq/G601も後継者が景虎とまでは言っていない。
過度に景勝後継者説を絶対視することへの戒めとして受け止めようよ。
まだまだ景勝後継者説でもしっくり行かない事があるんだから、
じっくり検証を重ねないとね。
0604人間七七四年
2009/01/12(月) 13:00:32ID:gF4PzUMv山吉の兵力が景勝に付与されたのは山吉の事情であって
その兵力が付与される先は後継者に限らず、
一門衆であってもいいじゃないか。
景勝は「後継者だから」山吉の兵力の一部を継いだ という
記述はどこにもないだろ。
だから上田当主としてなのか後継者としてなのか
どうか言い切れるわけないだろ?
0606人間七七四年
2009/01/12(月) 13:04:29ID:gF4PzUMv一門衆としての権力の中でやっていたのか
謙信の後継者としてやっていたのか決定的なことは言えない。
0607人間七七四年
2009/01/12(月) 13:07:19ID:rCdpXqpbからんでいるのかね
0608人間七七四年
2009/01/12(月) 13:59:48ID:KsNx+fW8いや、熱を上げてもいないし怒ってもいない
初め語尾に「w」付けようとしたくらいだが
気分的に冷めていたので自重した
上田長尾氏当主としてなら府内長尾氏直臣の
山吉旧臣を組み入れるのはいかがなものか
しかも山吉の事情というより謙信の意向だな
景勝が上田当主と主張する場合、景虎が後継者と仮定されると思うが、
後継者の基盤を強化する絶好の機会を奪ってまで一門を強化する必要はない
謙信自身の官途である弾正少弼まで譲られ、
様という尊称で呼ばれ上田当主としての厚遇?
上田当主や単なる養子なら山浦や古志同様に殿で十分
0610人間七七四年
2009/01/12(月) 16:14:48ID:0UJQuq/G一応前以ていうけど俺も景勝後継者説を支持してる。
だから次の疑問をすっきり解消したい。
景虎が改姓改名もせず小田原に還らず越後にいる
景虎が家督を譲り受けたと称している(それが通用する余地があったということ?
景勝が景虎以上に正統な後継者らしい名前を貰ってない
十郎、北条、枇杷島らがなぜ景虎に味方したかが不鮮明(どういう派閥が?
他にも細々とあるけど、これらを知りたい
0611人間七七四年
2009/01/12(月) 16:24:19ID:nxsGFY7P上杉分家一門である上条・山浦・山本寺より上に来て
一門衆より格上敬称の様付けまで行われてるのは何故w
そして長尾顕景から上杉景勝になると謙信の書状において
上田長尾筆頭家老が陪臣扱いから直臣扱いに変化している。
その上謙信最晩年に出された家臣名簿からは景勝の名が外れている。
後継かどうかはともかく景勝は山内上杉家であり
謙信の身内として扱われてるようにしか見えない。
上田長尾家当主扱いはないだろ。
0612人間七七四年
2009/01/12(月) 16:30:54ID:nxsGFY7Pつまり一旦景勝を当主とする行動をしてその後景虎方に参加。
古志十郎は、もともと古志長尾家は上田長尾家と対立していた事が指摘されており、
景勝が当主となれば当然上田長尾家臣衆が与党勢力となるため
古志が政権与党から野党へと落ちてしまうことを危惧して
景勝に反発し景虎に付いたと言われる。
0613人間七七四年
2009/01/12(月) 17:01:54ID:0UJQuq/G根拠が気になるね。
0614人間七七四年
2009/01/12(月) 18:07:54ID:L4d5iR0Fここらへんの疑問を解決しない限りは
「景勝後継者説」を有力とすることはできない
0615人間七七四年
2009/01/12(月) 18:45:17ID:0UJQuq/G景虎のために積極的に行動していない。
謙信と晴景の調停をした上杉定実が晴景派とは言えないし。
それより気になるのは仙桃院がなぜ景虎の側に?
0616人間七七四年
2009/01/12(月) 18:57:35ID:K53nC6DJ0617人間七七四年
2009/01/12(月) 18:58:16ID:7SHnk0Ky仙桃院がどうして御館にいたのかは、ちょっとわからん。
娘と孫の世話でもしてたんだろうか。
まあ、景虎側からすれば、格好の人質となった可能性あり。
0618人間七七四年
2009/01/12(月) 19:16:13ID:nxsGFY7P景虎後継支持の旨を伝えたような痕跡一切無し。
山内上杉家臣も憲政を奉じるわけでもなく普通に景勝方に付いてる。
まさに御館にいただけ。あと景勝方の兵に殺されたとする伝承しかない。
神余は北条と同じく当初は景勝に従いながら景虎派に転向した。
上田と古志の対立は市史でも見たらいいんでは?
謙信政権以前に何度も対立してるようだが。
上田長尾家が越後守護上杉傘下の府中長尾や古志と違い
関東管領領郡司という立場だったので(魚沼は越後守護領ではなく関東管領領だったとか)
越後長尾氏より関東の長尾氏に近かったらしいってのは言われてるな。
0619人間七七四年
2009/01/12(月) 19:37:51ID:0UJQuq/Gでは府内と上田はどうなんだろう。
府内は上田より古志と緊密な歴史が長い。
上田と府内は仙桃院の存在一つで繋がっているような関係で、
言わば仙桃院は府内に古志より上田を重視させるキーパーソン。
古志には邪魔な女性なのに景虎の側にいる。
ここに何かありそうで、なんとも気になる。
0620人間七七四年
2009/01/12(月) 20:01:51ID:7SHnk0Ky自分夫婦の画像に死んだ娘と孫の戒名を入れさせたぐらいだから、
御館の乱は彼女にとってまさに悲痛のきわみのような争いだったと思う。
0622人間七七四年
2009/01/18(日) 22:51:59ID:Y2ZFJDfT0623人間七七四年
2009/01/19(月) 00:58:01ID:n3XRQfMO由良の話が出てきたのは、武田や北条、滝川間での上州の領主の動向
というより、由良氏や陸奥の蘆名氏が、景勝ではなくて景虎に
謙信死去のお悔やみや家督相続云々という話をしているという話ではないか?
0624人間七七四年
2009/01/19(月) 16:24:17ID:i7haG04O家督相続祝いの文も景虎唯一の側近で北条家から従ってきた遠山宛て。
葦名は越後を狙って虎視耽々。
0625人間七七四年
2009/01/19(月) 20:57:13ID:oCd6gubx越相同盟破綻後の謙信の関東出兵の多くは由良攻めに費やされたのだから、
上杉の筋目を重んずるはずもないだろう。
しかし成繁も惜しいタイミングで亡くなってしまった。
0626人間七七四年
2009/02/10(火) 04:08:18ID:J+DpHNK+そして脚本がイタすぎるw
0628人間七七四年
2009/02/18(水) 00:48:19ID:V17sLm9Nある意味宇喜多直家を遙かに越えるだろwww
0629人間七七四年
2009/02/18(水) 01:13:13ID:iUHE/IHj0630人間七七四年
2009/02/18(水) 08:54:03ID:YvivrrqG0631人間七七四年
2009/02/18(水) 16:32:53ID:+o/SKRsz0632人間七七四年
2009/02/23(月) 00:08:19ID:Llfqiti60633人間七七四年
2009/04/01(水) 08:37:06ID:/neYP2Nx0634人間七七四年
2009/04/01(水) 10:14:08ID:v2ddB/7R北条を敵にまわすの痛いな。なんのかんので関東を押さえてる北条の物量は大きい
景虎に味方して上杉、北条、武田の三国同盟なら結構善戦したと思う
0635人間七七四年
2009/04/01(水) 10:28:37ID:5QaQkxTT北条が上杉と武田に援軍を出しても挽回できるとは思えん(織田は昵懇の佐竹と手を組んで北条を圧迫)
0636人間七七四年
2009/04/01(水) 11:29:45ID:wQk0mxOQ話が終わったころに甲斐国境に八王子軍参上とか
北条と戦わないで、最初から徳川織田と正面から事構えてたら、
余計滅亡早まったんじゃないかな
0637人間七七四年
2009/04/01(水) 16:17:58ID:cLgRIVw/佐竹は厳しいんじゃね?
0638人間七七四年
2009/04/01(水) 22:06:22ID:gyBDUHEj0639人間七七四年
2009/04/07(火) 21:03:13ID:OtCLPkHl関東管領(現代でいえば持ち株会社、社長景虎、権威&お飾り)
傘下に@上杉(景勝社長)
A北条
B武田
三国同盟で信長に対抗しようとしたのでは。ソース無し。
0641人間七七四年
2009/04/09(木) 00:54:47ID:xp+nzSISなるほどね……
かつて、父為景が越後で上杉定実を守護にいただいて、
自分は守護代となって実権をふるったのを、
謙信は関東甲信越全域で、景虎と景勝にさせようとした、と。
景虎が御館の乱を起こさなければ、景勝が謙信の遺志を継いで、
実現していたのかな?
0642人間七七四年
2009/04/09(木) 01:28:52ID:x3ljn1bj景虎:上野統轄
上条:北陸統轄
山浦:信濃統轄
根拠はない。妄想したかっただけ。
0643人間七七四年
2009/04/09(木) 01:32:22ID:TvCH3Ac0謙信が跡継ぎを明確にしなかったのは、そういった分割統治の構想が
有ったからなのかもしれないよね・・・・・。
0645人間七七四年
2009/04/09(木) 20:27:27ID:xJkeAx1+謙信・景勝の家格を最上級におくため、
山浦を上杉の支流にする必要がある、
と妄想。
越中には河田が指揮する古志上杉や椎名の継いだ下田長尾が代官役。
0647人間七七四年
2009/04/11(土) 17:49:51ID:Tscj1rSy1 御館の乱に勝利
2 信長の死で滅亡を免れる
3 秀吉と同盟、秀吉の天下取りに貢献、小田原攻めにも参加
新発田、佐渡も奪取、5大老、120万石の大大名に
4 朝鮮にも出兵
5 西軍に与してこけるも30万石の大名で存続、長寿
ライバルの武田、北条は滅亡、上杉のみ生き残る
0648人間七七四年
2009/04/12(日) 21:12:35ID:RG1pusDk0649人間七七四年
2009/04/14(火) 00:24:47ID:h+hN6KBt0650人間七七四年
2009/04/14(火) 00:34:49ID:xu/99xgw0651人間七七四年
2009/04/15(水) 02:54:06ID:7hGGcU5n側室にひどいことした景虎と華姫への
遠山の復讐劇でした。
0652人間七七四年
2009/04/16(木) 23:44:41ID:KQqFHXprしっかり見てないから見落としてるかも?
0653人間七七四年
2009/04/17(金) 02:28:15ID:KjnLljl00654人間七七四年
2009/05/15(金) 02:33:08ID:gEpC19DPていうかろくに会話する機会もなかったんだろうか
0655人間七七四年
2009/05/15(金) 02:37:24ID:2zHxxdtd0656人間七七四年
2009/05/15(金) 02:38:58ID:2zHxxdtd0657人間七七四年
2009/05/16(土) 12:44:14ID:Crq8Bnag会話したり顔を合わせたことくらいはあるだろ。
不仲だったかどうかは不明だが。
0658人間七七四年
2009/05/31(日) 10:01:34ID:96tnhWxG0659人間七七四年
2009/06/12(金) 14:13:39ID:JBG7vLMK道満丸の存在が大きい。
謙信の姪が産んだ男児だし、血縁的にも大義名分は残る。
景虎のバックには北条、信頼しきったら痛い目に遭いそうだけど、
適度な距離を保ち割り切りながら付き合えば良い相手。
景虎&道満丸に付きたくなるわ。
0660人間七七四年
2009/06/12(金) 14:38:13ID:RrEaH9mv0661人間七七四年
2009/06/12(金) 15:17:28ID:v+ZLlkj7北条と険悪になるとか思わなかったのか?
0662人間七七四年
2009/06/12(金) 15:22:48ID:Qbf0153uいつの間にかハメられて景勝派にされてしまったんじゃない?
0663人間七七四年
2009/06/12(金) 15:25:38ID:RrEaH9mv0664人間七七四年
2009/06/12(金) 19:29:52ID:4Hnn8Mjtただの身内争いで片方を北条が支援しただけならともかく、
北条氏一門が一方のトップなんだから武田が上杉に入れ込めば北条からすりゃ裏切りにしか見えん。
北条も武田は当然景虎支援だと思ってたろうしな。
勝頼は本当にどういうつもりで景虎支援をやめたんだろうな?
仲介するならしたで景勝が景虎を滅ぼすことだけは阻止すれば北条も納得したろうに、
二人の間を取り持とうとしました。上杉からお金貰いました。景虎が滅ぶのを黙って見てました。
そりゃ北条も怒るわw
0665人間七七四年
2009/06/12(金) 22:41:58ID:yW5CmD0M勝頼は北条の動きを怪しんで
マジどっちつかずな態度をとってただけなんじゃね。
北条を攻撃できず、かといって北条が助けてない景虎を助けるために
景勝と戦闘して自分ばかり損するのも、
景虎を助けても北条が武田と敵対する気が無いかもわからん、と
既に北条を信じてなかったんだろ。
0666人間七七四年
2009/06/13(土) 00:19:11ID:m4HFvYSR当時は織田に対抗馬として期待できる唯一の存在が上杉だったからでは?
もしこの内乱で北条が越後・上野を得ても、加賀・能登・越中が織田に取られたら、
一番困るのは武田。
北条は一方的に裏切られたのではない。
彼らが武田の事情を理解しなかったため、ここに齟齬が生じたんじゃないか?
0667人間七七四年
2009/06/13(土) 00:30:08ID:AroStIeI理由になってないじゃん。景虎が勝てば景虎が上杉家を相続しただけ。
上杉家は北条と同盟関係を保ちながら存続。
武田から見れば、どっちが勝っても同じだろ。
内乱が起きた時点で、織田のチャンス。
景勝が勝っても景虎が勝っても、北陸路はあきらめるしかない
0668人間七七四年
2009/06/13(土) 00:42:18ID:VqZFgTkc講和取り持ちながら北条くるまで時間稼いでいました。
しかし待てど暮らせど北条来ない、何してるかと思ったら関東固めに邁進。
おいおい便利に使ってくれるじゃない。
そっちがその気なら、こっちもそれ相応の対応取らせてもらいますよ。
ってとこじゃない?
0669人間七七四年
2009/06/13(土) 02:09:58ID:H/n11ihB信じてないなら信じていないで構わないが、わざわざ敵に回すことはないだろう。
北条が敵になれば敵の敵は味方の法則で織田・徳川と結ぶのは十分考えられたはず。
北は政情不安定な元敵性勢力、東南西は全て敵という愚は避ける事ができた。
北条が信じられないのなら中立にしとけばよかった。
>>666
667も言ってるが、勝頼が景虎を助、その景虎が勝てば能登・加賀・越中・越後は上杉、
上野・信濃・甲斐・駿河は武田、関東は北条という、
西から迫る織田徳川連合に対抗する東の上杉武田北条連合という図が可能だった。
結果として景虎が負けたとしても、武田北条連合は存続できた。
北条にしてみても上杉は北陸で織田勢とせめぎあい、
武田は濃信境で織田と、駿遠境で徳川とにらみ合い、
北条はその両方を支援しつつ関東制覇に邁進するといういいとこだらけのはずだった。
上野方面で北条と武田のいざこざはあるだろうがね。
ただ、勝頼から見て北条の動きが鈍かったのは決断を悩ませる種であったのは確かだと思う。
北条武田連合と上杉が不仲だったとはいえ、謙信晩年に上杉の脅威に悩まされたのは武田だしな。
北条に原因があるのもわかるが、しかし勝頼の判断はやっぱ間違ったよなぁ。
0670人間七七四年
2009/06/13(土) 03:14:11ID:AroStIeI内乱でボロボロの上杉(どちらが勝っても)と、北条のどちらが味方として頼りになるか・・・・
0671人間七七四年
2009/06/13(土) 04:00:46ID:mLgBuwVBだからって、そこで我慢しきれずに独自に行動すれば北条と敵対するからさらに状況は悪くなるわけで
実際、北条は景虎に援軍送る予定だったんだし、もうちょっと待ってればな……
0672人間七七四年
2009/06/13(土) 15:38:07ID:mRgRlV4e景虎が追い込まれはじめたところを景勝と和睦させてやったくらいにしか
思ってなかったんじゃね。
てこずってたとはいえ甲越同盟が成った時は景勝は既に春日山包囲を引っ繰り返して
景虎側に逆転しつつあったし北条自身が放置してる奴を
なんとかしてやったから十分だろ、くらいにしか思ってなかったのかもな。
0673人間七七四年
2009/06/13(土) 16:30:04ID:VqZFgTkcもうちょっと待てばって1年後だろw
帰る家無くなってるどころか、越後で飢え死にしてるわ。
結果論で言えば、北条は織田と共同で武田滅ぼして良い事なにも無かったんだから、
逆に、どうにか勝頼を懐柔して援助して関東制覇までの盾にしとくべきだった。
唇滅びて歯寒しを地でいっとる。
0674人間七七四年
2009/06/14(日) 05:33:22ID:0cancGE9とはいえ御館の乱に関わらず甲相同盟を維持していたら、
景虎派が多く北条や武田に流れた旧上杉家臣らもそのまま上杉に残って厄介な存在のまま。
その上越中で上杉軍は大打撃を蒙り、織田は木曽路から武田攻め、徳川は北条の抑え。
北条は武田を支援しようにも、上野は上杉勢がいるので思うように動けず、
甲斐路から武田を支援しようとすれば相模に徳川勢が雪崩れ込むのは明々白々。
宇都宮や佐竹を敵に回してる北条が全力を武田支援に回せるとは到底考えられないが、
織田や徳川が実際に武田攻めに大勢をつぎ込んでることを考えれば、
武田北条同盟が続いていたなら武田も北条も浅井朝倉と同じように一緒くたに滅ぼされたろうな。
>結果論で言えば、北条は織田と共同で武田滅ぼして良い事なにも無かったんだから
結果論とはいうが、信長が生きていれば良い事はあったろう。
北条にしてみりゃ武田が景虎を見捨てたのも意外なら、
信長が関東仕置する前に急死したのも意外だったわけだから、
武田を懐柔すべきだったかどうかはやっぱわかんねえんじゃね?
0675人間七七四年
2009/06/14(日) 09:43:27ID:llN3o+4q同意。武田は充分甲相同盟の役割を果たしている。
難攻不落の春日山を勝頼が攻めるのは厳しく、
追い込まれた景虎のため和睦調停をするほうが現実的。
だいたいなんで能無しどもの尻拭いを武田が全部やってしまわないと駄目なんだよw
0676人間七七四年
2009/06/14(日) 10:56:31ID:uY4RB1tRやっぱ勝頼が死ぬ気で景勝倒すしかなかったんじゃね?
0679人間七七四年
2009/06/14(日) 13:28:08ID:llN3o+4qどう考えても助け出せっこない景虎を北条が無視して、
景勝と勝頼と氏政で仲良くすればよかったとしか言いようがない。
自力で助けられないくせに「武田さんよろwwwww」
と全部押し付けた北条が一番頭悪いわ。
0680人間七七四年
2009/06/14(日) 14:37:55ID:kqwGmtop0681人間七七四年
2009/06/14(日) 15:53:49ID:qu1OExFOしかし武田の動きを見る限り個人的に上杉領削ってやるぜと来たと見るより
北条か、景虎が北条の名を出して要請してきたかだと思うけどな。
0683人間七七四年
2009/06/27(土) 15:15:25ID:qaqwMPfu六チンの乱を語る
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1246072639/l50
0684人間七七四年
2009/09/07(月) 21:59:38ID:bjZ/exkOttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252327677/
0685人間七七四年
2009/09/07(月) 23:38:40ID:/u+5+grY0686人間七七四年
2009/09/11(金) 12:24:10ID:wv1g8gu7勝頼にしてみれば、別にどっちでも良かったんじゃないか?
ただ要請があったから出張ってきたんじゃないかと。
でも、後北条の軍来ないし・・・どうしようかな、って時に景勝側からの懐柔
があったんじゃないかと思う。
0687人間七七四年
2009/09/11(金) 17:01:01ID:D6cHi8yC3月 御館の乱勃発
反北条連合の壬生攻め-氏政出陣-鬼怒川対陣
5月下旬 勝頼越後入り
6月初め 勝頼-景勝和睦
勝頼、景勝-景虎の和睦を斡旋
7月初旬 鬼怒川対陣が解消
中旬 氏政、上野衆を越後入りさせる
8月 北条本隊上野入り
勝頼-景勝同盟締結、勝頼帰国
9月 氏政甲相同盟を破棄
氏邦越後入り上田衆と戦闘開始
これで合ってる?
0688人間七七四年
2009/09/21(月) 21:28:36ID:JIoRIkMC0689人間七七四年
2009/10/04(日) 12:21:42ID:pp/xthMT「愛・直江兼続の敗北」新人物往来社刊行が好評だ。
在野の研究家である氏の再登場に我々ハードコア
歴史ファンは喜んでいる。是非一読をお勧めする。
0690人間七七四年
2009/10/04(日) 13:37:29ID:WgC+EALO0691人間七七四年
2009/10/04(日) 15:27:45ID:CvuDyU8V上杉のセキュリティの高さ怖るべしw
謙信の前に景虎から殺れよって話だよな。
0692人間七七四年
2009/10/07(水) 11:32:09ID:vLSXRN6H戦国時代を語るのに衆道の鞘当てを失念しては、ゆめゆめ成らぬぞゑ。
よいナッ!
肝に銘じよ。
0693人間七七四年
2009/10/07(水) 11:42:52ID:wEClJXVz0694人間七七四年
2009/10/07(水) 14:21:41ID:Hl5iAgWk日本史板やその他で昔からいる。
0695人間七七四年
2009/10/08(木) 12:11:47ID:0hpJOaGV大河ドラマの撮影時には阿部寛や妻夫木たちのチンポをベロベロ、シャブシャブと
しゃぶりまくって雄汁を飲んでは悦に入ってたという話だしサッ!!!!!!!!!!
伊藤英明とセックスしてたという情報もあるゼッ!!!!!!!!!!
0696人間七七四年
2009/10/08(木) 15:57:47ID:0hpJOaGV誰か持ってないかナッ?
0697人間七七四年
2009/11/06(金) 10:07:12ID:/0DR2ctx0698人間七七四年
2009/11/19(木) 18:44:23ID:jH7uAUNg0699人間七七四年
2009/12/22(火) 19:16:54ID:zEY1sS110700人間七七四年
2009/12/22(火) 22:59:55ID:qAGiDueY700get!
0702人間七七四年
2010/03/12(金) 10:15:35ID:IvhUQzr00703人間七七四年
2010/03/12(金) 21:28:04ID:zg0U2RWfクズ乙
0704人間七七四年
2010/03/13(土) 18:52:22ID:JkeK/K9D0705人間七七四年
2010/04/21(水) 14:44:31ID:rMiupW48どうも最初は景虎方だったというよりも、城内で分裂してただけみたいだけどな。
せっかく春日山包囲が最初の時点では出来てたのにたった一ヶ月で崩されて
逆に包囲される羽目になってるじゃねーか。
0706人間七七四年
2010/04/23(金) 04:42:17ID:XvABNlQb研究者(片桐昭彦氏や市村清貴氏)は、柿崎晴家は、謙信の死の直前、謙信によって誅されたとしてるよな。
0707人間七七四年
2010/04/23(金) 14:53:58ID:7MBfy10d0708人間七七四年
2010/04/23(金) 19:38:58ID:Ky9oWbdNだって景勝派として家督相続許された憲家は当時ガキで
伝承に寄ればこの時まだ3才だったと言われる。
だとしたら、柿崎家で景勝派が勝利できるほど人数いたと言うことは
・晴家は景虎派だったが、多数の家臣達が晴家に従わないほど
(当主が不当に暗殺されても景勝に付くほど)求心力がなかった。
・柿崎家が景勝派景虎派に別れたのは晴家の意志。
・そもそも晴家はこの時既におらず、家中を纏める人がいなかったので
家臣達が分裂した。
のどれかってことだろ。
0709人間七七四年
2010/04/23(金) 20:28:26ID:iF8hLILb山本寺家や岩井家だって家中で分裂してるんだから、特別不自然な話しではないよ
0710人間七七四年
2010/04/23(金) 20:41:12ID:Ky9oWbdN当主として晴家が景虎派で動いていたなら、
自分でどっちに付くとか決定できない息子だか弟だかの憲家が
景勝派としての功績を組んで家督相続なんて可能性は低いと思う。
0711人間七七四年
2010/04/23(金) 22:02:41ID:XlU2lhuD0712人間七七四年
2010/04/24(土) 01:55:50ID:cY5bfa5U乱が始まってたかだか1ヶ月くらいだろ。
しかもここの城が景勝方になったことで景勝有利に大きく傾いた。
この時柿崎家家中ではガチな殺し合いが起きたとされてるし。
晴家はやっぱ当時いなかったんじゃね。
柿崎家が景虎派にされるのも証拠は
「景勝方から攻撃受けてるから」って事しかないし
景虎方主導者も「家臣2,3人討ち取り」としか言ってないからな。
0713人間七七四年
2010/04/24(土) 08:22:34ID:QKHPJAKeで、天正十年ごろには柿崎の当主が若輩で軍役も続かないという
ことで直江や狩野が後見のようなポジションについてるんだよね。
ホントに晴家はいつ死んだのか。御館の乱のときのどさくさで
死んだにしても、名前がさっぱり出てこないし…
0714人間七七四年
2010/05/30(日) 22:45:36ID:kZE1UNao0715人間七七四年
2010/05/31(月) 00:03:14ID:mPW8kPYV柿崎は同盟破棄で返されたみたいだけど
0716人間七七四年
2010/05/31(月) 09:24:35ID:DhakPNBTなんか変な話で事実と違うのではないかという説を小耳にはさんだことがある
0717人間七七四年
2010/05/31(月) 20:53:47ID:oeTs0onr柿崎景家
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152803332/
0718人間七七四年
2010/06/01(火) 00:21:32ID:ccnZ+y98>>242
信長に馬売った罪で景家・晴家の親子が討たれたって奴だな。
あれはウソっつーか「年譜」の間違い。
天正五年時点で晴家が当主だよ。
柿崎親子の処刑云々は、実際には景勝が景虎派の晴家とその子某を誅した話なんだろう
↑このレスのことか?
0719人間七七四年
2010/06/03(木) 00:31:06ID:UUPVrkfu俺は景家は誅殺なんかされてないと思うが、根拠は
・上杉家と織田家が敵国になったのは天正五年
・天正五年の段階で柿崎家当主は晴家
・柿崎家菩提寺には景家は病没
・晴家の継いだ柿崎家は勢力が全く減衰してない
敵国への内通で誅殺されたのであれば晴家が連座してないのはおかしいし
柿崎家に処罰が及んでいないのも変。
そして天正五年から天正六年の間で処刑されたなら、それは晴家。
俺は晴家は御館の乱の前に謙信によってすでに殺されていて
憲家は没落していた家を「御館の乱の功績で景勝により復興した」
と想像するけどな。
晴家が御館の乱当時に景虎方としていたなら、
当時自身でどちらの陣営につくか決められるような年齢ではない憲家が
当主が景虎方に付いたにも関わらず
景勝方についたと許されるのはありえないと思うし
晴家が景勝に殺されていたなら、晴家の死がどこにも報じられてない上
柿崎家での景虎方が「二、三の家臣討ち取り」だけで済むとは思えん。
0720人間七七四年
2010/06/22(火) 14:48:11ID:OXCcibbM0721人間七七四年
2010/06/23(水) 15:07:20ID:bX1nGToV憲政の娘は景勝か山本寺あたりに保護されてたのか?
0722人間七七四年
2010/06/23(水) 22:27:35ID:WAQzcMiIだとしたら御館の乱後だろうなあ。
0723人間七七四年
2010/09/11(土) 17:29:23ID:Zqb50E1P0724人間七七四年
2010/09/11(土) 20:12:30ID:y7M9ZhAs景虎の側室腹の娘の伝説なら聞いたことあるが。
米沢の旧家臣の家の言い伝えに娘を預かってたとかなんとか。
0725人間七七四年
2010/09/12(日) 16:03:39ID:jn5qeXbx旧山内上杉家臣に北条氏との関係を重視する意見もあって、憲政は景虎を支持したとされる。
と書かれていたんだが山内旧臣て亡命確認されている者すべて景勝方ではなかったか?
0727人間七七四年
2010/09/12(日) 20:29:58ID:0Li1CQWo越後を逃れて羽生に隠棲した孫のように、会津・米沢とは無関係な場所に居たかも
0728人間七七四年
2010/09/12(日) 23:15:33ID:pZkNdNHM憲政の末裔ていうのは確かなのかねえ。
景虎の家族と違い、逃れる必要はなかったような気もするんだけど。
確か御館の乱の翌年の三月に、上杉家が二人の供養を高野山に頼んだ記録が残っていて、
謙信と憲政の二人の供養だろうとされてたけど。ちょうど三回忌と一周忌になるから。
0729人間七七四年
2010/09/13(月) 06:25:40ID:ULWtO67X0730人間七七四年
2010/09/13(月) 09:32:10ID:fIiTj8Of史学系じゃなく、高野山関係だったけ。
年号が書かれてないから年代比定しなけりゃならないんだけど、
景勝時代の閏三月で一番可能性があるのが1580年だったかな。
確かに景勝後期は謙信謙信で、完全に憲政忘れられてる感じ?
0731人間七七四年
2010/09/13(月) 15:04:12ID:gg9Rk54Q米沢に寺作ってもらえた憲政だけが唯一の上杉前史の名残だ。
0732柿崎和泉守景家
2010/09/13(月) 17:09:09ID:kWNHI+300733人間七七四年
2010/09/13(月) 20:12:27ID:xj+zoYPe0734人間七七四年
2010/09/13(月) 20:28:29ID:xj+zoYPe氏秀と景虎は別人と分かったので「氏秀殿」はないよ
御館の乱の最中でも景虎は景勝側から「三郎」と呼ばれてたはず
ところで柿崎憲家の「憲」って上杉家由来?
0735人間七七四年
2010/09/14(火) 00:15:00ID:YhfPVaMa同じ日には斎藤に「景」の字を与えてたと思う。
柿崎景家とだぶらないように、柿崎家の要望か景勝の配慮で、
「景」じゃなく「憲」の字を与えたんじゃねえの。
0736人間七七四年
2010/09/14(火) 02:19:52ID:SyBbDNyc他に憲もらった人いた?
0737人間七七四年
2010/09/14(火) 17:16:32ID:n6PVQLBY0738人間七七四年
2010/09/18(土) 01:55:05ID:S7Bpe1Pt景家は近親にいる。
景勝はすでに山内上杉当主
て条件じゃないか
て
0739人間七七四年
2010/09/18(土) 03:15:34ID:cWA7O7OO0740人間七七四年
2010/09/18(土) 08:34:56ID:I0KRtAmY景虎に拠点を貸した憲政の
一字を使うなんておかしい。
上杉憲盛の憲じゃね?
0741人間七七四年
2010/09/18(土) 10:25:12ID:DCIobDrE0742人間七七四年
2010/09/18(土) 12:23:51ID:f52lhxkk0743人間七七四年
2010/09/18(土) 17:13:55ID:pQ7Qu6Eu天正12年(1584年)8月14日の日付のある「上杉景勝一字書出」で「上杉氏文書集」にも収録されてる。
ちなみに、同年8月12日には斎藤乗松丸に「景」が与えられてる。
やっぱ景家と同じ名を避けるためじゃないかな。
0744人間七七四年
2010/09/19(日) 00:37:34ID:gw1qBIJ0(謙信崇拝過ぎて若干どうでもよさそうではある)
別に憲政を嫌って憲の字をやらないってこともないと思うけどな
0745人間七七四年
2010/09/19(日) 19:52:22ID:DulP4nhIじゃなかったら息子を定勝なんて名前にしないでしょ
0746人間七七四年
2010/09/19(日) 22:36:16ID:QoZapr9c0747人間七七四年
2010/09/19(日) 22:40:21ID:gw1qBIJ0関東管領上杉の方が繋がり深いしなあ
0748人間七七四年
2010/09/19(日) 23:01:56ID:stkZsBqkhttp://www.miyaobi.com/pdf/uesugi_order.pdf
0750人間七七四年
2010/09/20(月) 00:54:39ID:FZG+iom7しかし影虎とは?
0751人間七七四年
2010/09/20(月) 01:59:27ID:weO8rzysと考えたわけ無いよな。
元禄期の綱憲は吉良・千坂等文官系統が決めたから名門意識強いが。
スマン。相川史観に汚染されているわ。
0752人間七七四年
2010/09/20(月) 03:12:12ID:KuC2JlOqそんなに神経質に考えなくてもいいんじゃないの。
綱憲だって勝の字は使えないから(先代は綱勝)どうすべって、
たまたま憲使っただけだろ。
綱憲の行動みても、謙信、景勝廟を補修したり、
二人の御書集や年譜を完成させたり、
家祖と藩祖を崇めること普通ならずという感じだ。
特にかつての山内上杉や関東管領を意識したりしてねえと思うが。
0753人間七七四年
2010/09/20(月) 11:39:10ID:+PpiTskaなんで憲勝にしなかったのだ?
0754人間七七四年
2010/09/20(月) 15:38:45ID:TC2+eRy60756人間七七四年
2010/09/20(月) 17:45:39ID:J3Of81Yz0757人間七七四年
2010/09/20(月) 18:51:28ID:nC3KJqW90758人間七七四年
2010/09/20(月) 20:26:07ID:QHGajX3O景勝後継者説を採るのかな?
たしかに景虎の越後国内の支持層をみると、サブタイもしっくりくるというものだが
0759人間七七四年
2010/09/20(月) 22:59:17ID:J3Of81Yzスレチながら何故綱憲以降、勝は庶流に回し憲を主流にしたんだろ
0760人間七七四年
2010/09/21(火) 00:18:06ID:ZHTkPoyT推されただけじゃないと思う。
越相同盟締結の条件で、謙信を関東管領と北条が認めた背景には、
いずれ養子になった氏康の孫が関東管領を継ぐという目論みが北条にはあったからだ。
証拠の氏康書状も残っている。
結局孫ではなく、子の三郎が養子に入ったが、当然三郎も北条の期待と野望を背負っての
養子入りだったことは明らか。
0761人間七七四年
2010/09/21(火) 00:57:01ID:vhLg1h2R微妙な扱いになっちゃったわけだけど。
0762人間七七四年
2010/09/21(火) 01:44:54ID:MozTzzMp微妙な扱いなら、いっそのこと帰せばよかったのにね。
謙信自身も、反晴景勢力に担がれて兄を退けた歴史があるのに。
あくまでも、景勝後継説(後継移行説)に基づけばだけど。
景虎後継者説を支持する人は景勝のクーデターとか政権纂奪とかよく書いてるけど、
当時の謙信政権中枢がそのまま初期景勝政権中枢に移行している事実はどう解釈してるんだろ?
0763人間七七四年
2010/09/21(火) 10:34:02ID:8BnF9YBL0764人間七七四年
2010/09/21(火) 11:29:17ID:vhLg1h2Rとはいえ謙信の奉行衆の殆どが景勝についてしまったのは事実だろ。
景虎に付いたのは神余くらいじゃね。
最初景勝に付く素振りを見せながら景虎に付いて
景虎が負けたら景勝に命乞いして黙殺されるという
なんとも情けない最期を迎えてるが。
0765人間七七四年
2010/09/21(火) 17:09:32ID:ZdIVKLp4政権中枢とは別の関東管領の名跡の問題とかもあるんじゃねーの?
あるいは政権中枢にあったからこそ政治のまずさが出ていたとかな。
乱後の論功賞罰とその後の下手さを見れば危惧されたのも解る。
0766人間七七四年
2010/09/21(火) 18:00:15ID:ZHTkPoyT新発田のことは研究者の研究によればそんな単純なことじゃないみたいだよ。
矢田氏や片桐氏が書いてたけど、1580年を境に上杉氏の発給文書の形式が変わってる。
景勝は今までの、国人衆連合体から上杉氏中心の近世大名政権を樹立しようとしたって。
新発田の反乱はそうした動きに対する反乱だってね。これはずいぶん昔から指摘されてる。
俺が最近読んだ論文では(斜め読みなんで文意を間違ってるかもしれんが)、
それに揚北衆のトップをめぐって、新発田と本庄繁長の対立が、実は御館の乱からあったらしいとか。
年代不明の新発田重家の鮎川宛の文書に、本庄との争いに景勝が仲裁に入ってくれたとか
書かれてるとか。景勝に敬語が使われてるので、新発田の乱前の文書らしいけど。
むしろ、独立意識の強い越後国人衆を新発田の乱だけで抑えたのを褒めるべきか。
あの謙信でさえ、晩年の越中分国でその片鱗を見せたとはいえ、当時北条や今川がしたような
大名権力の確立は越後ではついに確立できなかったのだから。
もっとも、謙信が道を切り開こうとしてくれたから、景勝は出発できたのかもしれんが。
0767人間七七四年
2010/09/23(木) 21:55:33ID:gSgOXunc0768人間七七四年
2010/09/23(木) 23:40:36ID:hV00tbzN北条に返さなかったのは童満丸が生まれてたから、という可能性はあるかな?
この時代って息子は父が、娘は母が親権を持つんじゃないっけ(違ったらごめん)
景虎を戻したら童満丸も一緒じゃないといけないし、上杉と北条の血を引く童満丸は迂闊に渡せないのでは
0769人間七七四年
2010/09/24(金) 02:22:55ID:9gw+Ban1信康の妻徳姫も娘残して信長の元に帰ってるし、黄梅院も娘がいたようだけど、
一人で甲斐に帰ってるるからねえ。ケースバイケースの気がするが。
確か謙信が氏政征伐を誓った願文に、氏政は弟の三郎と遠山を見捨てたとか書いてるよね。
おそらくそれが、謙信の認識であり、見捨てられたものをまた見捨てるなんてことは、
義の精神に反するとか思ってたのかも。
それに遠山は最近の研究によれば、ずっと三郎のそばにいたわけではなく、
同盟が破綻してから、越後の三郎のもとにやって来たらしい。
0770人間七七四年
2010/09/24(金) 03:03:57ID:agJdM72M破綻直前じゃない?
0771人間七七四年
2010/09/24(金) 10:56:51ID:aufkEm8R丸島氏は同盟破綻を受けての亡命とするのが自然としてたけど。
0772人間七七四年
2010/09/24(金) 13:23:49ID:OvYef7lq今福氏の本、楽しみだね
どちらの後継者説を採ってもいいからしっかり考察した本が読みたい…
0774人間七七四年
2010/11/02(火) 08:27:23ID:a9VReoXi0775人間七七四年
2010/11/02(火) 09:20:30ID:epBidx0S0776人間七七四年
2010/11/02(火) 13:02:56ID:a9VReoXi景勝に関東管領山内上杉を、景虎に相模守護格伊勢氏流北条氏をだよ
つまり親上杉な後北條の擁立
0777人間七七四年
2010/11/02(火) 17:47:21ID:E0zI8iQHwww
さすがに無理w
0778人間七七四年
2010/11/03(水) 14:51:09ID:Z8c3Xetq椎名や畠山にもしてるし、お家乗っ取りだよ。
同母兄弟の団結力
0779人間七七四年
2010/11/03(水) 16:34:19ID:J0xSdxPQ確かに北陸地方を制圧し、
それまでの倍近い国力を持ったけど、
肝心の関東領主の心が謙信から離れてて、
関宿も北条側でしょ。
謙信には古河公方も関白もいない。
永禄4年の再現すらおぼつかないのでは?
景虎を表に出して北条と上野国で和睦して、
西に進み直すならわかるけど。
0780人間七七四年
2010/11/03(水) 16:40:59ID:dY7l/TwY0781人間七七四年
2010/11/04(木) 00:52:26ID:VSO7s76W過去最大級の動員掛けてるから
実際関東に乗り出したら関東領主はバタバタ寝返って
結果毎度おなじみのシーソーゲームだと思いますよ
0782人間七七四年
2010/11/04(木) 04:52:33ID:xpI2sEZ5ある程度のシーソーゲームはあるしにろ
あんまり関東に積極的じゃない時期に結構関東も勢力分布変わっているし、
謙信自体が関東での求心力は目減り甚だしいからね
0783人間七七四年
2010/11/05(金) 15:02:24ID:UL1RgRmA天正2年に剃髪した日から北条氏調伏祈願の願文の日数が真言宗豊山派の四度加行の日数と等しいなんていう
最近の論文もあるぞ。
軍神様は、仏法の力で北条氏を滅亡させようとされていたらしい。もはや我ら凡人には計り知れぬわ・・
0784人間七七四年
2010/11/06(土) 01:50:41ID:/6Q9d5wB謙信は呪殺を実践して効果あった節がある。
0787人間七七四年
2010/11/06(土) 09:13:06ID:3sC0LcVf謙信に限った話でなく、昔から神仏の力で敵の調伏を図るというのはあったみたいだね。
元寇のときの「敵国降伏」というのもそうだし、得宗の御内人が安達泰盛の滅亡を祈願させたりというのもある。
ただ、謙信の場合はとりわけ仏法への傾倒が強いのは確か。
0788人間七七四年
2010/11/06(土) 22:42:37ID:SxAjmQtz0789人間七七四年
2010/11/08(月) 19:56:09ID:Vr/IXSY5加澤って書いてあるんで多分
加澤昌人「上杉謙信の崇敬と祭祀」仏教大学大学院紀要(2008年3月)
だと思う。
宮帯は新参の出版社故か、作家泣かせの鬼編集長さんがいて、
納得するまで出版させないとかいう噂を聞いたよ。
書店の注文書は出来てるみたいだから、何らかの原因で遅れてるんだろ。
あの出版社じゃよくあることみたい。
でも宮帯から出版された直江本や上杉の甲冑についての本は素晴らしかったし、
著者があの今福さんということで、凄く期待してるよ。
0790785
2010/11/08(月) 22:00:03ID:ZBH4yK70ありがとう!早速読んでみました
>>784の「四度加行の日数と等しい」の他に
「景勝に弾正少弼を与えた天正3年2月21日が8道加行を終えた日と同じ」ってのもあるね
今福さんのサイトで編集さんとのやりとりが少し書かれてた
>>748の情報見たら何かミーハー的な内容で心配だったけど大丈夫っぽいね
甲冑の本はすごく良かった
0791人間七七四年
2010/11/08(月) 22:03:05ID:ZBH4yK70誤植かな
0792人間七七四年
2010/11/26(金) 23:55:21ID:3+tUlN2c0793人間七七四年
2010/12/05(日) 23:56:51ID:QLPQ0Daz0794人間七七四年
2010/12/23(木) 14:14:28ID:slAaOdki宮帯出版社の鬼編集長さんって、お馬鹿な社長さんのこと?。
0796人間七七四年
2011/01/28(金) 14:01:07ID:Zytsm98u0797人間七七四年
2011/01/30(日) 14:51:02ID:L07lLwxI読んだ人いる?
0798人間七七四年
2011/01/30(日) 15:22:42ID:peEWCtek0799人間七七四年
2011/01/30(日) 19:22:26ID:POtdcp7d0800人間七七四年
2011/01/30(日) 21:47:41ID:agWfhtlu0801人間七七四年
2011/01/31(月) 03:11:52ID:OU8+k6wBだったら北条は武田に頼らなくても自力で景虎を勝たせられたんじゃないの?
0805人間七七四年
2011/02/06(日) 13:10:02ID:s9Sz5wx10806人間七七四年
2011/02/07(月) 08:51:13ID:0Wwtp7yx読んだ人、感想ぷりーず
0807人間七七四年
2011/02/11(金) 20:39:59ID:DpuGc/i70808人間七七四年
2011/02/11(金) 21:20:54ID:slhM1+BBhttp://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f6986232%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f14374822%2f
0809人間七七四年
2011/02/12(土) 13:31:51ID:XzvFJxUjはっはっはっ
上越市は大雪だ。すごい。たぶん5月にならんと、御館あとの地面は見えないぞ。
マジで雪国辞めたい
0810人間七七四年
2011/02/14(月) 01:20:39ID:n//9V5gq景勝の方は勝利後だが反北条連合から一応呼ばれてたらしいけど
0811人間七七四年
2011/02/14(月) 22:07:28ID:k8d9KZJs景勝が弾正少弼と呼ばれているのに対し、軍役帳作成後も
謙信自身が山内殿と呼ばれていて、景虎に関東管領を継が
せて〜という話も怪しいとのこと
0812人間七七四年
2011/02/15(火) 21:21:38ID:rHoy1K/Jとくに山本寺家や後期上条家について
0813人間七七四年
2011/02/16(水) 11:00:18ID:qfeAR3C4ttp://sengoku.at.webry.info/
0814人間七七四年
2011/02/16(水) 13:10:25ID:luV9wnaRフツーにブクログで感想を書いたりしておけ。
0815人間七七四年
2011/02/17(木) 20:15:02ID:mRVE19fC0816人間七七四年
2011/02/17(木) 20:50:54ID:CdNRADrW桐野氏も考察してるね。
0817人間七七四年
2011/02/18(金) 00:40:30ID:lijqE/6H山内上杉家の山内。謙信を「山内殿」と認めるということはつまり、
山内上杉家の家督、ひいては関東管領と認めるということ。
0818人間七七四年
2011/02/18(金) 19:36:23ID:cfOQB23qおおそうだったのですかサンクスコ
上杉景虎が山内殿と呼ばれてたとすると、謙信公が景勝に越後、それ以外と
関東管領職は景虎に継がせる予定だったという説が有力になるわけですな
0819人間七七四年
2011/02/18(金) 20:36:08ID:Fxc/X/ka景勝が山内殿呼ばれているのは統一後
確か武田勝頼.佐竹義重.宇都宮国綱.結城晴朝が手紙に書いている
0820人間七七四年
2011/02/20(日) 05:41:57.55ID:4HDV7qsnあれ偽者っぽいらしいよね
0821人間七七四年
2011/02/20(日) 12:33:37.72ID:QmpmAByS「喜平次」の字が景勝の筆跡に似てるというのが根拠らしい
けど謙信生前から景勝が弾正少弼を名乗ったことは間違いな
く、改名もこの時期なので内容に嘘はないらしいよ。
0822人間七七四年
2011/02/20(日) 14:04:01.89ID:pEMZTnnM0824人間七七四年
2011/02/20(日) 18:50:46.26ID:DuYY4/XW0825人間七七四年
2011/02/20(日) 18:51:46.14ID:hj82hfO9若い頃の景勝の自筆書状と大分印象が違う
0827人間七七四年
2011/02/23(水) 09:08:55.60ID:PQEGx1cv0828人間七七四年
2011/02/23(水) 12:43:45.21ID:2OoMN3K70829人間七七四年
2011/02/23(水) 23:00:08.46ID:476lyTqq景勝陣代説はどうも根拠が弱いと思うが。面白いとは思うけど。個人的には、
やはり景勝が後継者とみるのが一番妥当なんじゃないかと。
0830人間七七四年
2011/02/23(水) 23:47:11.30ID:2OoMN3K70831人間七七四年
2011/02/24(木) 00:41:44.47ID:vTOWU2yb0832人間七七四年
2011/02/24(木) 02:01:17.11ID:IDR+4Zr20833人間七七四年
2011/02/24(木) 08:47:54.39ID:RiS41MEs0834人間七七四年
2011/02/24(木) 22:47:59.41ID:K00oC6hF景虎:上野国主
政繁:越中国主
0835人間七七四年
2011/02/25(金) 02:05:12.72ID:MYBndTWJ同盟が破棄されてるのに景虎にそこまで気を使う必要も無い気がするね
確かに境遇は気の毒だと思うけど
0836人間七七四年
2011/02/25(金) 02:14:56.85ID:yYVCfplf0837人間七七四年
2011/02/25(金) 02:44:36.66ID:MYBndTWJ0838人間七七四年
2011/02/25(金) 20:13:15.30ID:/TpFSok3景虎は上州領有権の根拠だとか。
スレチだがあのオカンは景勝夫人考えなかったのか。古志や上条などの同族・佐竹や深谷といった同盟相手・織田武田などの緊張緩和か
または案外憲政娘(後の柿崎嫁)あたりをつけるつもりだったのか。
0840人間七七四年
2011/02/26(土) 01:33:45.13ID:YGnAlekP0841人間七七四年
2011/02/26(土) 01:55:30.50ID:rYfd2NWsだいたいあれだけ上杉軍主力だった柿崎景家が織田信長に馬をやったとかやらないとかで
いきなり謙信公に誅殺されるってのがおかしい 謙信公はそんなちっちゃいお方じゃない
どうもおかしい 裏があるぜ・・・
0842人間七七四年
2011/02/26(土) 16:16:44.76ID:d6+eh5/bなにそれ
0843人間七七四年
2011/02/26(土) 16:28:57.46ID:HsFSF02N0844人間七七四年
2011/02/26(土) 16:30:42.90ID:d6+eh5/b0845人間七七四年
2011/02/26(土) 21:02:44.24ID:gnBX7yJ3景虎(憲政)側に付いてるから、晴家で合ってる。
憲家は景勝側について柿崎某の実子のはず。
0846人間七七四年
2011/02/26(土) 23:15:40.00ID:wV46qiJc議論にもなりませんよ
0847人間七七四年
2011/02/27(日) 00:58:09.59ID:lsp26II3関東戦国史と御館の乱
http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/078f4162.0400bdaf.078f4163.d5699732/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f6986232%2f%3fscid%3daf_ich_link_mail&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f14374822%2f
んじゃ、再掲
0848人間七七四年
2011/02/27(日) 10:52:25.31ID:I/x1BJGA謙信公のときは関東を制覇するかしないかって巨大勢力だったのに・・・
0849人間七七四年
2011/02/27(日) 11:31:45.40ID:agienX3I0850人間七七四年
2011/02/27(日) 19:48:37.62ID:z58AQ3Gk0851人間七七四年
2011/04/07(木) 21:32:22.11ID:t4HztRg20852人間七七四年
2011/05/01(日) 05:23:47.07ID:eSzrbr9i0853人間七七四年
2011/05/06(金) 16:31:14.81ID:HgNHZ6+b0854人間七七四年
2011/05/06(金) 16:33:27.58ID:ZCmUvJEGさっさと北条氏政がそれなりの軍勢を送ればよかったのよ
0855人間七七四年
2011/05/06(金) 19:54:21.09ID:7rikEdgu0856人間七七四年
2011/05/07(土) 11:09:47.69ID:jtDVSLy+0857人間七七四年
2011/05/07(土) 12:08:15.01ID:kAn8hyS00858人間七七四年
2011/05/07(土) 23:57:54.79ID:qVw91Z9+0859人間七七四年
2011/05/08(日) 00:38:04.07ID:Yxzp1z0j0860人間七七四年
2011/05/08(日) 00:46:37.16ID:4WF8G09z0861人間七七四年
2011/05/13(金) 21:50:40.15ID:USu+QucJ上野3分の1は確保してた。御館の乱までは。
0862人間七七四年
2011/05/14(土) 19:54:17.78ID:pl0LD2GY0863人間七七四年
2011/05/14(土) 20:14:03.04ID:YWsruS+60864人間七七四年
2011/05/15(日) 02:01:30.84ID:1SAnCPwN当時の周囲の予想は景虎圧倒的優勢だったし。
0865人間七七四年
2011/05/18(水) 15:09:28.75ID:vkID0FgI0866人間七七四年
2011/05/18(水) 16:55:03.30ID:kx9Nc34b0867人間七七四年
2011/05/18(水) 17:25:18.54ID:vkID0FgIぜひ内容教えてもらいたい
0868人間七七四年
2011/05/18(水) 18:52:45.76ID:kx9Nc34b三条の利権で景虎を巻き込んだ説明がなされている。
0869人間七七四年
2011/05/21(土) 02:41:03.25ID:pYqtmNtH0870人間七七四年
2011/06/02(木) 12:20:20.80ID:xHWca4Ur0871人間七七四年
2011/06/02(木) 14:09:14.18ID:buhPor17上杉輝虎
上杉憲虎
上杉定虎
上杉実虎
上杉朝虎
義氏から
上杉氏虎
上杉義虎
0872人間七七四年
2011/06/02(木) 16:49:57.41ID:bIBiXRWx景虎勢がなだれ込んできて、巻き込まれただけだろ?
景虎の子が次の上杉家当主になる予定だった説もあるし。
とりあえず>>847の本を読めば、最新の流れが分かる
0874人間七七四年
2011/06/02(木) 22:40:17.29ID:WiUaHE1s0875人間七七四年
2011/06/04(土) 11:26:26.01ID:zQgkaM7e憲政が黒幕だったんじゃないかってことは、
すでに伊佐早謙が指摘してたような気がする。
wikipediaにも当初は謙信は名代に過ぎなかったのではという説(久保田氏)も書かれてるし、
謙信晩年のやりように、権力を奪われた憲政が不満を持ってたとしてもおかしくない。
0876人間七七四年
2011/06/05(日) 03:52:18.17ID:jt3sV1jn道満丸の後見争いにしてたけど、憲政の名代争いだった可能性もあり?
もしかして謙信も憲政の名代にすぎなかったってこと?山内殿と呼ばれてる書状はあるけど。
でもその方が史料と照らし合わせるとしっくりくるよ。
謙信の後継者争いといいながら、謙信政権中枢はスムーズに景勝政権中枢に移行してるし。
0877人間七七四年
2011/06/07(火) 16:09:53.29ID:LWOSXGN30878人間七七四年
2011/06/07(火) 18:33:26.82ID:Hf4jRvOX前関東管領というだけで相続問題に介入しようとした迷惑なオッサン
0879人間七七四年
2011/06/07(火) 22:30:11.73ID:JCkLDcfv0880人間七七四年
2011/06/08(水) 08:59:22.14ID:tkGEyfeL政治理念やその方法論の違いから景勝打倒を目指したと美しく書いてるが、
謙信死んで列強か虎視眈々と狙ってる中で、内乱起こせばどうなるかわかってたはずだ。
景虎が蘆名に出した書状が紹介されてたけど、
「この時に限っては、領土を切り取りすることも黙認しましょう」って・・・
戦乱の地になった越後は悲劇だよな。昔から内乱が多い国だったとはいえ。
城の取り合いで人質となった妻子を殺されたものも多かったろうし、
府中や魚沼の多くの壮麗な寺院は灰燼となり、民衆への被害も甚大だったって自治体史には書いてある。
東国に静謐をもたらす人は、越後には動乱を呼んだだけのような気がするのは時が時なだけかなあ。
福島や宮城の被害地の人の気持ちなんか考慮せす、
あの大震災でさえも、己や党の利益に利用しようとするむかつく政治家の顔が浮かぶよ。
戦国時代を現代にあてはめるっつ−のも間違ってるとは思うけどね。
伊東氏の小説の方は、景勝が謙信を毒殺し、クーデタ−をおこすという、
超景虎ファンお決まりのコ−スで、ここまで景勝を悪人にされると返ってもやもや感もなく、スッキリする。
0881人間七七四年
2011/06/08(水) 10:11:31.29ID:UW79SYlO0882人間七七四年
2011/06/08(水) 10:26:10.47ID:GRs1rjIJ御館の乱の状況を見ると、簡単には越後の当主にさせてもらえなかったと思うけどね。
たとえ南と東を武田と北条が切り取ったとしても、揚北が独立するとか。
0883人間七七四年
2011/06/08(水) 13:01:27.77ID:Sphmtwbf本庄繁長なんて何度も敵に内通しようとするし
新発田重家も景勝に対して反乱起こしたでしょ
0884人間七七四年
2011/06/08(水) 20:54:41.48ID:l6yMEdlo乃至氏の著書は興味深かったけど、ちょっと景虎に夢見すぎな感があった。
しかも、阿賀北衆などは基本的に自分の利害関係で行動している。竹俣慶綱ですら「景勝には恩
義はないし、謙信からも特別な恩寵をうけはいない」と言い放っているあたりからも独立性の高さが伺える。
0885人間七七四年
2011/06/09(木) 00:12:39.05ID:sd0L0NBM新発田は御館の乱でかなり働いたのにろくな恩賞無しで、
裏切られた感が強かったろうな。
本庄繁長や越後揚北衆らを語る
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201348770/
0886人間七七四年
2011/06/11(土) 00:11:14.14ID:TRNZO4+vそんなんおまえの自説にすぎないわ
0887人間七七四年
2011/06/18(土) 10:07:15.83ID:BJWchtJk>>1
ぼうやさからさ。
0888人間七七四年
2011/06/18(土) 23:04:15.80ID:u/c6LQrN0889人間七七四年
2011/06/19(日) 01:18:16.29ID:I73TNGtC0890人間七七四年
2011/06/19(日) 14:09:23.24ID:JXjuFKvC0891人間七七四年
2011/06/19(日) 15:23:20.11ID:EHoIcyq1国人衆も掌握しきれんだろうし
北条の要求突っぱねたら景虎孤立は目に見えてるんだが
どうやって景虎が北条と殺しあえるんだろうか
0892人間七七四年
2011/06/19(日) 22:33:21.21ID:aYhHgbYH北条と上杉の関係は毛利と吉川小早川みたいな感じになってただろうね。
0893人間七七四年
2011/06/20(月) 00:04:32.97ID:I73TNGtC思える巨大勢力になるな・・・ 武田勝頼とももはや対等ではなくなる・・・
勝頼はそれを恐れて景勝を支持したのだろうか
0894人間七七四年
2011/06/20(月) 01:00:01.27ID:2/SQy7s7しない保証は無いよ?
例え北条が史実通り織田に接近したとしても上杉の領土安堵は別物だろう。
はっきりいって草刈り場になるんじゃないか?
0895人間七七四年
2011/06/20(月) 01:14:14.78ID:2/SQy7s7景虎に彼ら制する力はあるかな?
景勝だって新発田重家を滅ぼすのに7年もかかって、秀吉に臣従して
助力も得なければならなかった
0896人間七七四年
2011/06/20(月) 03:05:32.46ID:0b+a/+gDむしろ秀吉の存在が足かせになって秀吉の意向を伺わなければ
滅ぼすこともできなくなったって方が正しい
0897人間七七四年
2011/06/21(火) 00:05:34.35ID:6gmjmlbWたぶん無理だろうな。権力基盤が脆弱で、軍事的なバックボーンもほぼ皆無といっていい
景虎が、仮に内乱を勝ち抜いたとしても、その後の越後を纏め上げるというのは現実的じゃないと思う。
阿賀北衆は基本的に自分の利害関係や、従来の敵対関係に基づいて景勝・景虎に与しているだけという
趣が強いのでなおさら。
0898人間七七四年
2011/06/21(火) 00:21:08.42ID:TUkZaSsG3ヶ所攻めで即死だった 北条兄弟の景虎ならどうだったか・・・
0899人間七七四年
2011/06/21(火) 01:51:55.86ID:GVn9ul+g0900人間七七四年
2011/06/21(火) 03:09:26.12ID:4LEf1zlO0901人間七七四年
2011/07/01(金) 02:29:40.10ID:1BJBGy97なんで揚北衆が織田に付いただけで、伺候する人が居なくなるの?
0902人間七七四年
2011/07/01(金) 04:43:55.37ID:wSJgxt+00903人間七七四年
2011/07/01(金) 17:36:56.82ID:zJWD6EeI大多数が景勝派だった謙信側近衆や鎌倉以来の歴史を誇る本庄や色部や中条といった国人衆を、
押さえ込まなきゃならないから、例え勝ったとしても越後はかなり悲惨な状態になるんじゃないの。
信長によって、武田よりも早く滅んだ可能性もあるんじゃない。
大名として残ったのは武田のほうだったかもね。
0904人間七七四年
2011/07/01(金) 20:52:42.36ID:T7ygIssdただ信長公記の書き方だと武田だけはどうしても潰さなくてはという感じだから、
順序が逆になっても大名としては残れなさそう、もちろん穴山武田みたいのは抜きにして。
0905人間七七四年
2011/07/02(土) 15:08:41.58ID:qPXa479kこんな三下悪役に負けた景虎って…という感じで却って景虎貶めるレベルになってないか?
ある程度敵にも魅力のある描写しないと、
主人公側をどれだけ文章で持ち上げてもむしろ滑稽になるんだなと思った
これよりは近衛の本のほうが面白かったな
0906人間七七四年
2011/07/02(土) 16:41:29.41ID:eFFDk8ycアホ−掲示板の景虎ファンの人の書き込みもそんな感じだし、
北条ファンはみんなあんな感じで景勝のこと思ってんだと思うよ
それにイトー先生の持論は、小説的に悪は悪として書いたほうがいいとか
しかし最後の2、3ページの内容は凄かった
自分もちょっと引いたわ
0907人間七七四年
2011/07/02(土) 18:16:04.65ID:tYCSXCTs>>906
そういう信念があるんか。それを差っぴいても件のラストはちょっとヒドイな
景勝に対する憎悪もだけどちょっと結婚しただけの北条時代の室使って景虎持ち上げたりするとことかもちょっと気持ち悪かった
どうも上杉扱った小説って作家に恵まれないイメージがある
0908人間七七四年
2011/07/02(土) 22:44:37.39ID:AY6kDaJL0909人間七七四年
2011/07/03(日) 01:24:28.67ID:HWLyPLCHあの最後のページの書き方、数年前のウィキペディアの編集合戦が思い出されて、
自分もちょっと気持ち悪かった。
北条ファンではあれが普通なのか。
乃至氏の共著では、景虎後継者説が有力とされていたけど、
黒田基樹氏は「戦国関東の覇権戦争」で今福氏の後継者景勝、反対派に擁立された景虎説をとってたね。
0910人間七七四年
2011/07/03(日) 23:41:49.85ID:QsRTvU1aもちろん気持ち悪いところも当然在るが
0911人間七七四年
2011/07/07(木) 13:39:06.97ID:DMr9SUJO景勝妄信者も気持ち悪い
0914人間七七四年
2011/07/08(金) 03:07:21.14ID:3fGW3YhA景虎が上杉の当主になったら北条武田はもとより、
伊達葦名も含んでの東国連合で織田に対抗や!!なんてのもあったな
贔屓はまあ、小説でやるならまだいいけどさぁ…学術書でこれはちょっと
0915人間七七四年
2011/08/04(木) 21:30:40.17ID:c7JGmdfB0916人間七七四年
2011/08/04(木) 22:57:24.50ID:MoVVeNDc景虎を主役にする以上、景勝・直江兼続が敵役になるのは当然といえば当然なんだろうけど、
堀江宗親の最期からその後の景勝・兼続の動向が触れられるラスト数ページは引いたわ。
「勝頼が得たものは一時しのぎの黄金だけだった」とか「信長の死に乗じて北信四郡を掠めた」とか
挙句の果てにはもはや謙信・景虎の義は死んでおり「上田長尾」に過ぎないくらいのことまで言い切ってた。
敵役とか悪役とかそういう問題じゃなくて、ものすごい悪意を感じる文章だったなあ。
>>909
北条ファンというか一部の景虎ファンにそういう傾向が顕著な気がする。そういう手合いは大抵
氏政のことも冷たい兄弟だくらいにしか思っていない。
北条も上杉も嫌いじゃない人だって結構いると思うんだがw
>>914
ちょっと景虎ひいきが過ぎるというか、夢見すぎな感はあったけど、内容はまあ興味深かったよ。
今福氏の『上杉景虎』も興味深い話が多かったし、平山優氏の著書といい、2011年上半期は東国戦国史の本が熱かったな。
0917人間七七四年
2011/08/05(金) 10:25:01.57ID:qg7LE4j+0918人間七七四年
2011/08/10(水) 22:59:26.33ID:Mu78zElr0919人間七七四年
2011/08/11(木) 13:23:31.69ID:pIvovKh6生き残ってるからなあ けっこうな大封だよ
いったいどこで差がついたのやら・・・・
0920人間七七四年
2011/08/11(木) 14:01:33.79ID:BusOVV5Y0921人間七七四年
2011/08/12(金) 18:52:46.13ID:4W71fl5+謙信亡き後の、守護代として入国する以前の旧国人衆に対してへの危機感の表れで
上杉の権力基盤はそう強固なものではなかったね
その後も庶家の新発田が論功行賞の不満等と言われる理由で葦名とかに扇動されてるし
結局、国大将を中心にまとまっていた旧国人衆をうまく組み込めなかったのかな
0922人間七七四年
2011/08/13(土) 04:50:46.81ID:dcwxqnKJ若い景勝じゃなかなかうまく行かなかったろう
そういえば後に思い入れの深い越後から会津に国替えになっちゃうけど、
逆に家臣団の領地をリセットできるから喜んだという説をどっかで聞いた気がする
0923人間七七四年
2011/08/13(土) 04:53:38.12ID:t/ZNvjlx0924人間七七四年
2011/08/13(土) 09:10:25.64ID:W+epfSrI恨みは全部直江が背負う形で非常にうまくやってる。
関ヶ原では毛利とは対照的に離脱者の出ない強固な家臣団に生まれ変わってた。
0925人間七七四年
2011/08/13(土) 15:45:18.94ID:jyfM2XCvそれは上杉の希望をを入れて、ということだったんだろうかねえ。
後、加地って本当に景虎方だったの?新発田の乱では、反乱側に立ったみたいだけど。
武田宛の景勝重臣連署の書状に加地の名前があり、新潟県史は景勝方としてたよ。
0926人間七七四年
2011/08/13(土) 16:05:43.81ID:+/AZU9pCどっかに末裔仕えてないの
新発田は弟が母方名字変えて生き残ったけど
0927人間七七四年
2011/08/14(日) 00:02:19.66ID:2ulWUxQz日本が近代に突入するのはだいぶ先と言われてる。
そう考えると惜しい逸材だったな。
0928人間七七四年
2011/08/14(日) 08:50:53.96ID:g/KwkMFFそんなもん、すぐに瓦解するよ。
0929人間七七四年
2011/08/15(月) 00:12:53.40ID:/z14MqTp0930人間七七四年
2011/08/15(月) 00:20:32.50ID:vYOXz3w90931人間七七四年
2011/08/15(月) 00:27:46.33ID:uvPgj+KW0932人間七七四年
2011/08/15(月) 05:10:05.38ID:QntgoRQz越相同盟にしても兄弟なんだから強固だろ。
0933人間七七四年
2011/08/15(月) 19:46:39.16ID:NoadS58Q0934人間七七四年
2011/08/15(月) 20:50:18.32ID:vYOXz3w90935人間七七四年
2011/08/15(月) 23:49:50.90ID:5mR/RyZaかしてあげてくださいと何度も言ったのにあなた(勝頼)は聞いてくれなかった、
だから今さら北条には帰れませんと勝頼といっしょに死んだらしいね アワレ
0936人間七七四年
2011/08/16(火) 01:25:38.33ID:u7srjkw3とかいう願文も書いてるし仲良かったんだろうなーと思ったな
0937人間七七四年
2011/08/16(火) 02:56:29.12ID:zGxRuiOsどっちを上にするんだよ
謙信の前例で氏政は景虎に山内殿とへりくだるのか
0938人間七七四年
2011/08/16(火) 03:53:44.99ID:15ni36tI両者とも、かつて謙信公に寵愛されし美男上がりの養子だという矜恃が強いしナッ!
0939人間七七四年
2011/08/18(木) 01:25:53.57ID:vPgEqLte同じ名前をもらったことと同盟が破られても実家に帰さなかったこと以外に
具体的なエピソードとかあるの?
前者はまぁともかく後者は政治的な意味が強いのかもしれないし
可愛がられてた!っていうわりには具体的な話を聞かないから気になる
0940人間七七四年
2011/08/18(木) 01:53:04.59ID:+MxvlsMX0941人間七七四年
2011/08/19(金) 18:07:19.46ID:jqemyVhNしれないよね 北条の領土を奪い取るつもりはない、ただ景虎に相続させるという・・・
上杉謙信公は意外とえげつない人かもしれない
0942人間七七四年
2011/08/21(日) 23:42:59.81ID:aqtdclq1養子にしたのはあくまで長尾政景遺臣の懐柔のためだろうし。
0943人間七七四年
2011/08/22(月) 00:51:36.48ID:7cJTMLZh0944人間七七四年
2011/08/22(月) 01:23:33.76ID:dGCfKtP70945人間七七四年
2011/08/27(土) 02:37:07.89ID:jXC0Jpg5景虎が可愛がられていたという具体的な話→名前
0946人間七七四年
2011/08/28(日) 22:00:36.78ID:hZ3tpFxmやりとりがあったとしても、景勝派によって滅却されているか
御館の乱で焼失しているでしょう
0947人間七七四年
2011/08/30(火) 02:00:02.66ID:iUtUdk4zつまり今のところ物証はないってことね、ありがとう
0948人間七七四年
2011/09/05(月) 23:10:47.13ID:UeBMnFf4寺院への文書とかを見るとそれは確か。
でも越相同盟の破棄でグダグダになって、景勝の力が強まった。
0949人間七七四年
2011/09/09(金) 01:14:19.28ID:i1zTjrj4越後の当主になれたのかしら
0950人間七七四年
2011/09/09(金) 08:25:20.30ID:aCT9PtpR同盟中は景虎
同盟決裂後は景勝ただし上州確保用に景虎扶養
かな
0951人間七七四年
2011/09/09(金) 09:48:23.56ID:MRSWs9xZ越後の国衆らの支持があれば可能だと思うよ。
同盟国である北条家の後ろ盾を頼る政治情勢なら、なおさら。
乱後、当主になった景勝は国衆を制約する専制体制を指向するから、
景虎を見限った一派は後悔したろうなw
0952人間七七四年
2011/09/09(金) 10:56:32.80ID:n6ObS52O佐竹のように撫で斬りされないだけましかもよw
どの道、集権化を目指さなくてはならないのは景虎も一緒だしな
0953人間七七四年
2011/09/10(土) 21:07:04.43ID:bS7wM4NJ景勝とて、かつては敵対していた上田家の人間。
国清は信濃だし、義春は能登。
そういう異質な人を養子にすることに対して抵抗が無かったんだろう。
0954人間七七四年
2011/09/11(日) 21:59:01.38ID:42yZyTcG幼少期から手元で養育してた近親者は相当違うと思うが
他は全く違繋がってない赤の他人であるし
0955人間七七四年
2011/09/12(月) 17:56:40.66ID:/Mtd/uek>>953
あ、 そういえば忘れてたけどいちおう景勝の姉か妹を娶ってるから、
景虎の子は越後の子になると言えば越後ナショナリストもなんとか説得できるかもしれない
0956人間七七四年
2011/09/12(月) 20:08:39.00ID:/U8UBKxN謙信の遺志をちゃんと継いで戦にも強い人物なら別に他家出身でも
構わなかった感じ。
0957人間七七四年
2011/09/13(火) 03:22:35.38ID:sd6YMqjP0958人間七七四年
2011/09/13(火) 12:19:30.84ID:cXexolVX景勝側は自分たちの利益のためになんでもしたけど、景虎側は亡き謙信公の
教えどおり行儀よく礼節をまもったためにやられた気がする
結局まずは勝たないとだめってことかな 正しくても負けたら意味がないってことか・・・
0959人間七七四年
2011/09/13(火) 15:16:36.46ID:hOcT01gc亡き謙信公の教えどおり行儀よく礼節をまもった戦い方かどうかは意見がわかれるところだと思うけどな
0960人間七七四年
2011/09/13(火) 17:44:09.96ID:Ut8nPloR妻子を人質に取られた挙句殺された武将もいるから・・・
0961人間七七四年
2011/09/13(火) 21:29:16.24ID:AISutj1e0962人間七七四年
2011/09/21(水) 20:37:42.06ID:o8ACaI4E0963人間七七四年
2011/09/22(木) 11:32:53.25ID:DlNWIy+R0964人間七七四年
2011/09/22(木) 12:34:05.17ID:nrBvd79nというところのが辛いところよなあ
0965人間七七四年
2011/09/22(木) 14:24:16.64ID:Wrx01t2A本人は正義のため戦ってるつもりでも、
勝てば勝つほど正義じゃなくなる宿命なんだよな。
御館の乱って。
0966人間七七四年
2011/09/22(木) 15:09:07.45ID:eLJ7ofzZ最近景勝後継者説の本がいくつか出てるけど、
北条研究者の黒田基樹まで新著で景勝が後継者とされていたと書いてるぞ
0967人間七七四年
2011/09/22(木) 15:14:19.57ID:wx/4+XfLあっしは学術本はさっぱり読まず、歴史小説ばっかりですけど、そこにはたいてい
越後守護と越後の国を景勝に、その他の領土と関東管領の職を景虎に、
という説が多いですな ただそれだと景勝が景虎の家臣になるのに領土は景勝の
ほうが多いという逆転現象・・・ いや、謙信公は北条家を滅ぼして関八州ぜんぶとったうえで
景虎を入れるつもりだったのか・・・ うーん わからん
0968人間七七四年
2011/09/22(木) 15:59:18.98ID:owqARjWQ景勝後継派…乃至政彦、今福匡、平山優、丸島和洋、黒田基樹氏らの新鋭や他氏研究者
最近出た本だとこんな感じかね、
ただし景勝後継派は景虎しか後継候補がいなかった時期も
あることからどちらかと言えば後継移行派というべきか
小説家は面白ければ史実はどうでもいいから波乱の多い景虎後継説ばっかだな
作家でも真剣に研究している桐野作人は景勝後継派だけど
0969人間七七四年
2011/09/22(木) 21:02:57.83ID:RCaZ6V5khttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
こっちもよろしこ
0971死
2011/09/23(金) 07:14:07.08ID:3plBFeYD勝頼はこれに乗じて越後に攻め込むべきだったな、
織田・徳川に攻められても越後に逃げ道作れるし
0972死
2011/09/23(金) 07:16:49.25ID:3plBFeYD景勝滅ぼしたら金2万両ただで入手出来るからな
おまけに領地まで手に入る、戦国の世ならばこの隙に乗じて攻め込むべきだったね勝頼は
0973人間七七四年
2011/09/23(金) 08:07:44.24ID:U342ZoB50974死
2011/09/23(金) 08:16:45.34ID:3plBFeYDその辺がぬるいよな
徳川潰さなかった信玄もぬるいけどな
0975人間七七四年
2011/09/23(金) 08:20:59.32ID:4aoJAivxなわけがねえだろ。景虎まで敵にまわすことになるじゃねえか。
自動的に北条も敵だから、越後攻めしてる間に北条と徳川・織田に後ろから同時攻撃
食らってあぼんだ。
0976人間七七四年
2011/09/23(金) 13:58:12.28ID:ybyFPKJR後継移行による景勝後継者説を初めて発表したのは矢田門下の片桐昭彦氏だろ。
一番重要な人抜かしてる。
最近武田氏研究者の人たち、どんどん新著を出してるね。読んでないけど。
甲越同盟の時の勝頼への賄賂は軍鑑の捏造で、菊姫の結納金にすぎなかったとか、
武田への上州の割譲も再考が必要とされてるとか。
それに比べたら、最近上杉研究者の方々はおとなしいね?
大河史上最高駄作とされた天地人ショックから抜け出せないのかね。
0977人間七七四年
2011/09/24(土) 02:04:06.97ID:RtVo6Dpv0978人間七七四年
2011/09/24(土) 11:46:20.54ID:nzUM5inI0979人間七七四年
2011/09/30(金) 00:01:38.50ID:jor3+rd80980人間七七四年
2011/09/30(金) 13:57:35.52ID:V5py4wHV0981人間七七四年
2011/09/30(金) 18:21:18.92ID:KFTD2Wxc0982人間七七四年
2011/09/30(金) 18:25:36.07ID:nk7xElp60983テンプレ改
2011/10/01(土) 06:24:06.86ID:v6zeF/3H北条氏康の七男・氏秀と言われながら未だ出自は確定せず、
越相同盟から上杉謙信の後継者となりながらも、
その死後に起きた御館の乱で悲劇的な生涯を終えた上杉景虎を語れ。
■過去スレ
【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/
■関連スレ
【景勝】御館の乱を語る【景虎】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1212960019/
上杉景勝3
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1234613200/
【早雲】後北条家総合スレッド 其の四【氏直】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284901329/
0984人間七七四年
2011/10/01(土) 14:13:29.35ID:IHZiUizH0985人間七七四年
2011/10/01(土) 15:20:21.13ID:AEwTyW2/0986人間七七四年
2011/10/02(日) 03:30:33.35ID:m1HugIsG0987人間七七四年
2011/10/02(日) 05:38:17.93ID:ne5NZ3L80988人間七七四年
2011/10/02(日) 13:15:00.92ID:5+a7p99L0989人間七七四年
2011/10/02(日) 13:44:01.29ID:3+Lh3P4v0990人間七七四年
2011/10/03(月) 00:37:04.02ID:oX3nlpQqhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317569801/
次スレ
0991人間七七四年
2011/10/03(月) 01:17:27.47ID:2QsXxs2z埋めるのじゃあ
0992人間七七四年
2011/10/03(月) 01:28:11.65ID:kfGos9ca0993人間七七四年
2011/10/04(火) 01:27:44.07ID:g3gZ2zWrそりゃ身内だし、そうだろ。
古河公方が義氏の時代は北条家が関東管領格だったし。
0994人間七七四年
2011/10/04(火) 15:58:12.29ID:ybzifNAN0996人間七七四年
2011/10/05(水) 00:41:03.96ID:dffkIY3J0997人間七七四年
2011/10/05(水) 08:27:43.92ID:z4OdPwdD0998愛宕権現
2011/10/05(水) 14:17:38.74ID:02/A7otJそれは景勝公、直江殿が春日山の金銀財宝、謙信の遺産を占拠し、
直江殿達が「謙信公は遺言で跡目は景勝にと言った!」など嘘をついて
当初景虎側に居た上杉家家臣が景勝公に就き戦うが景虎には後ろ盾の
【北条】【武田】がついていて、大軍で押し寄せたため景勝公は不利に…
しかしそこで金を武田に送り同盟を結んで何度も北条側の城を攻撃したり
北条家家臣に寝返りさせたりして調略攻めをして景虎の兵力を分散させ
少数の景虎軍を襲い勝利したということです。景勝公と景虎仲が悪かったらしく
絶縁状を叩きつけたりしたことがあるとか…
0999人間七七四年
2011/10/05(水) 14:36:18.28ID:EKoMT8uD1000人間七七四年
2011/10/05(水) 15:27:35.41ID:LCuyWNFP10011001
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