戦国時代の装備について
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 03:36:37ID:6FylmzCDもし詳しい方がいたなら教えてください
0042名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 11:09:31ID:MlBB49rU紀州の場合、国人一揆のせいで守護の畠山家も国人の顔色を伺わなければいけないぐらいでしたからね。
0043名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 11:10:55ID:MlBB49rU高い・重い・金属製鎧の出現で役に立たない、が原因かと。
0044名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 18:53:16ID:itUNIYM/つーかそれ、足軽じゃないべ。
比較対象が公平じゃないし。
槍の長さに経済力は関係ないな。
0045人間七七四年
2007/03/12(月) 01:22:28ID:FdegA9Vz刀の反りと切れ味はあまり関係ない
太刀か打刀かの違いだ
太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
打刀は差すから反りはあまり必要ない
実際に刀を差して(もしくは佩いて)みるとよくわかる
あと刀の切れ味はわからんが、江戸時代の刀より、
それ以前の刀のほうが名刀が多い
0046人間七七四年
2007/03/12(月) 21:00:58ID:DrZeNKSn戦国時代に限って言えば、数打ち全盛期だから粗悪品の方が多いかと
0047人間七七四年
2007/04/23(月) 22:43:37ID:xfKuTeNF0048人間七七四年
2007/04/24(火) 03:57:40ID:PiBdEHnIだから太刀はあんなに反っている
安土桃山以前は刀身も蛤刃のように厚みがあった
鎧兜で全身を覆った相手には、「斬る」動作はあまり意味が無く
刀の重みで叩く方が適していたからだ
そもそも刀より槍が好んで使われていたし
打刀も江戸期になると実用性が無意味になり細身・軽量化が進んだ
0049人間七七四年
2007/04/24(火) 04:07:32ID:PiBdEHnI関ヶ原の島津軍の騎馬はほぼ全員が馬上筒を装備していた
関ヶ原時、最上領に出陣する伊達軍は全軍の4割が鉄砲を装備していた
0050人間七七四年
2007/05/28(月) 17:42:51ID:/t6ELL1yずいぶんアバウトだな
蛤刃は元寇以降から減っていき…南北朝のころにはすでに生産されなくなっていったはずだが
(かわりに平肉でも頑丈な相州伝がうまれてるけど)
>太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
いや反りの大きさの話じゃなくて腰反りか京反りかって話でしょ
>そもそも刀より槍が好んで使われていたし
戦国時代の話がしたいのかそれ以前のいつごろの話をしてるのか不明
0051人間七七四年
2007/05/28(月) 18:18:19ID:QZHOuQm+以前テレビの検証で野炉だか風炉で敢えて不純物混ぜるって事やってたな。
温度が上がらないから、中々融解しなくて大変そうだった。
効率性で言うと下の下なのかな?
でもかなり古刀に近似成分の玉鋼ができたとか言ってたが。。。
それを刀に鍛える段で次週持ち越しになって、結局次週は見忘れたんだがどうなったんだろう?
0052人間七七四年
2007/05/29(火) 04:05:54ID:ZosG4XZa幕末の土佐志士は長大な蛤刃の刀を使ってたぜ
0053人間七七四年
2007/06/05(火) 04:18:39ID:O5+kg/Xd0054人間七七四年
2007/06/05(火) 08:42:48ID:OzV3sgmNというか、幕府に定寸決められるまでは三尺以上が多かったようだけど。
0055人間七七四年
2007/08/05(日) 21:33:00ID:aTVRh6O90056人間七七四年
2007/08/20(月) 22:53:14ID:4Pj2AlBb0057人間七七四年
2007/09/10(月) 23:44:20ID:GNOZKr8o着ないよりはマシという感覚だったのかもね
例えば刃先がちょっとカスッたり、威力の弱まった矢が飛んできたときに、
着てるのと着てないのとではやっぱり違うし
0058人間七七四年
2007/09/17(月) 14:59:35ID:ZQ7jsh7/0059過疎スレ大好き人間
2007/09/17(月) 16:14:10ID:vAtah8QM0060過疎スレ大好き人間
2007/09/17(月) 16:17:35ID:vAtah8QM0061過疎スレ大好き人間
2007/09/18(火) 06:12:49ID:xMmcCN8z0062名無的発言者
2007/09/20(木) 20:58:36ID:10YrXahj戦国時代にもっとも使われた武器はヤリだ。4〜6メートルの長ヤリを持った
歩兵部隊の密集方陣。これは敵から見るとでっかいハリネズミの様で非常にお
っかない。これに攻められると騎兵も歩兵も串刺しにされるだけで歯が立たな
い。これに弓隊、騎馬隊、鉄砲隊を組み合わせるのがもっとも一般的だった。
またヤリ隊のもうひとつの利点は非常に安上がりだと言うことだ。なんせ短い
刃物を木の棒の先にくくり付ければいいだけだから作りが単純で金属の部分が
少ない。その上操作方法が簡単で農民兵などでもすぐ使いこなせる。実際世界
史でも火器の発達以前・歩兵の集団戦法が発達するとその最終段階はほとんど
長ヤリ隊の密集方陣になった。
0063人間七七四年
2007/09/20(木) 23:37:52ID:15sGpK9z一般兵卒は、竹を鋭角に切り落とした竹槍で戦い
叩き、突き殺した兵士の鼻や耳は鉈でちょん切って腰蓑袋に入れて持ち歩く。
ドラマや映画の合戦シーンとは全くかけ離れた光景。
屏風絵も脚色し過ぎ。
0064人間七七四年
2007/09/20(木) 23:46:58ID:JyFWvbx1勢力によって長槍主体じゃなかったりバリエーションあるところは、注意な
0065人間七七四年
2007/09/22(土) 03:48:26ID:tLEq1Dxh北条は軍役状にも馬鎧の持参を義務付けたものがある
鉄砲の装備率は戦闘員の10%くらい
上杉謙信の軍隊は、歩卒の槍と長槍の割合が実に戦闘員全体の77%にのぼる
鉄砲の装備率は戦闘員の5.7%
0066名無的発言者
2007/09/22(土) 22:59:24ID:jmiDJ+wnちなみにドラマなどでは時々弓の名手が現れ百発百中の腕を見せるが、あのよう
なことは現実にはほとんどない。そもそも弓は狙いをさだめて討つのではなく
斜め上方45°に向けて討つ、それも一分間に6〜10本立て続けに討つ
つまり弾幕を張るのだ。ちなみに弓の最大飛距離は300メートル
これを出すために斜め上方45°で討つ必要がある。
0067名無的発言者
2007/09/22(土) 23:11:00ID:jmiDJ+wn失礼! これ間違いヨーロッパの例だったわ。
0068人間七七四年
2007/09/23(日) 23:25:28ID:D8hyeBX0スナイプする用法もあった。
まあ組頭の下知に従えってこった。
0069人間七七四年
2007/09/24(月) 08:08:11ID:qNVtfSS/0070人間七七四年
2007/09/28(金) 23:11:16ID:4Pgf4B2/将クラスでも小さい口径の持ってこいと
0071人間七七四年
2007/10/02(火) 00:38:15ID:OXWsbbwq島津の場合は、武田と同様士分の割合が高く、士分でも鉄砲を
使っていたのが特徴だったんだよな。島津家久や新納忠元あた
りも鉄砲の効率的な撃ち方を研究していた。
同じ九州の大友氏でも立花道雪が輿の上から鉄砲を撃っていた
ぐらいだから、東国よりも士分の鉄砲使用に抵抗感が、無かっ
たんだろう。
ちなみに土佐の長曽我部氏も一領具足に鉄砲の射撃訓練を義務
として課していた。
0072人間七七四年
2007/10/03(水) 01:43:32ID:lxESnH9q何の為に重い鎧を着てるかわからない。
戦国武将は肉屋さんみたく、死臭が凄かったのかな?
肉屋でバイトしたとき、生肉扱っていたので匂いが凄くて。
慣れて平気かもしれないけど。
0073人間七七四年
2007/10/03(水) 16:26:27ID:yPVtdR2J槍はともかく、刀は厚手の服を一枚来ているだけで、斬る難易度が跳ね上がる。
基本的に鎧の隙間を狙って突く。
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