戦国時代の装備について
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 03:36:37ID:6FylmzCDもし詳しい方がいたなら教えてください
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:33:35ID:4c6QHScE名人は鎧の無いところを突くんじゃないか?
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 06:30:45ID:YoUwGzDC弓は無理だな。
矢ならともかく。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:09:14ID:UPLQOtPS槍は首筋とか脇の下とかを主に狙う
>>16
ナイス突っ込みw
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 13:00:54ID:4Av7U8HW弓道みたいに水平に近く射って命中率稼いでいたのかな?
それとも西洋みたいに集団で斜め上に射って、投射量で
面を制圧してたのかな?
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 21:42:32ID:Gb9MHXIv0020戦国好き コメントレベル1
2006/10/20(金) 23:31:26ID:XT0RD/0Xどっちかというと投射量かな?
次に槍。防具は刀には非常に丈夫だが槍には、やや弱い
基本、具足の隙間や脆い部分を狙うと効果的
戦国時代の刀は、江戸時代の刀より反りがあるため斬れ味が落ちるが
非常に丈夫で折れにくくなって
斬るというよりは叩く。強引に叩き切る感じ。
まあ刀はサブウェポン見たいなもの。
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 00:24:40ID:uNEZQwXtまあ秀吉の軍勢は選りすぐりの傭兵だからな
半農の兵卒とは比べ物にならんよ
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 00:37:42ID:4fh2522s中国にもあった弩が何故日本に伝わらなかったのかちょと不思議。
弩があるとないとじゃまるで違ったろうにな。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 10:32:47ID:fVhWUekQあったよ。使われてもいた。
廃れた理由については謎。
0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:10:17ID:3KC14gkz弩も弥生時代には日本に入ってきてるようだが、武士向きでないと流行らなかったようだね。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 11:45:25ID:fVhWUekQ速射製の無さ、あとは和弓の発達によって廃れていったんじゃないの?
後は地形?
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 14:46:11ID:kdBYCkmC0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:51:28ID:UCrPmhes武士階級の台頭によって野戦での実用性のなさから廃れたのでは?
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 21:05:43ID:/cBtDZC2戦国期の集団戦争では斜め上に撃つ弓だったので
投射量が物をいうからだろうね。
その他地形、量産性が弓に劣るからだろう
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 23:13:43ID:irR9W+Puたしか平安あたりだと鎧(大鎧?)とほぼ同じ金額だったとどこかで読んだ記憶が
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:06:55ID:NaIv3l0W…と思ってぐぐったら,投弾帯ってのがあったんだな。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 03:34:16ID:mq3MFKsRあとはふりずんばい(スタッフスリング)もあったりする。
0034名無しさん
2006/10/28(土) 04:07:23ID:VB+rObzE日本では固定されていると使いにくいと思うのだが
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 04:19:17ID:UBt51K6M0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 22:28:20ID:ZOSy9RBYこれって騎乗射撃じゃないの?
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 13:33:22ID:8WWyeLOv戦国時代はけっこう木を伐採したはずだがなあ
0038名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 22:51:39ID:W/OKarjB0039名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/05(月) 23:32:13ID:vVUAn6kA小田原北条氏に従属した東金酒井氏の足軽たちは、「竹槍を担ぎ、竹製の鎧を身に纏っている」ために北条氏からクレームを付けられている。
美濃斎藤氏、尾張織田氏はその経済力を背景に、鉄砲、長柄槍を十分に揃えることができた。
戦国末期の井伊直政の部隊は赤備、つまり足軽に至るまで鉄製の御貸胴を装備していた。
島津家は、貧しい割には鉄砲の普及が比較的早かった。
紀州の国人は、大名からの軍役が滅多に課されなかったために比較的裕福であり、このため独立自衛農民が増えて鉄砲が普及したものと思われる。
雑賀鉢兜など、独自の軍事文化が花開いていたのを見ても、その豊かさが分かる。
0040名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/07(水) 01:44:54ID:iAvFtvKS豊かさの理由の一つに貿易があるけど。富豪農民というわけではない。
0041名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 09:31:17ID:P3rHkBp6薙刀から槍になったのは…経費の問題でしょうか?
0042名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 11:09:31ID:MlBB49rU紀州の場合、国人一揆のせいで守護の畠山家も国人の顔色を伺わなければいけないぐらいでしたからね。
0043名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 11:10:55ID:MlBB49rU高い・重い・金属製鎧の出現で役に立たない、が原因かと。
0044名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 18:53:16ID:itUNIYM/つーかそれ、足軽じゃないべ。
比較対象が公平じゃないし。
槍の長さに経済力は関係ないな。
0045人間七七四年
2007/03/12(月) 01:22:28ID:FdegA9Vz刀の反りと切れ味はあまり関係ない
太刀か打刀かの違いだ
太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
打刀は差すから反りはあまり必要ない
実際に刀を差して(もしくは佩いて)みるとよくわかる
あと刀の切れ味はわからんが、江戸時代の刀より、
それ以前の刀のほうが名刀が多い
0046人間七七四年
2007/03/12(月) 21:00:58ID:DrZeNKSn戦国時代に限って言えば、数打ち全盛期だから粗悪品の方が多いかと
0047人間七七四年
2007/04/23(月) 22:43:37ID:xfKuTeNF0048人間七七四年
2007/04/24(火) 03:57:40ID:PiBdEHnIだから太刀はあんなに反っている
安土桃山以前は刀身も蛤刃のように厚みがあった
鎧兜で全身を覆った相手には、「斬る」動作はあまり意味が無く
刀の重みで叩く方が適していたからだ
そもそも刀より槍が好んで使われていたし
打刀も江戸期になると実用性が無意味になり細身・軽量化が進んだ
0049人間七七四年
2007/04/24(火) 04:07:32ID:PiBdEHnI関ヶ原の島津軍の騎馬はほぼ全員が馬上筒を装備していた
関ヶ原時、最上領に出陣する伊達軍は全軍の4割が鉄砲を装備していた
0050人間七七四年
2007/05/28(月) 17:42:51ID:/t6ELL1yずいぶんアバウトだな
蛤刃は元寇以降から減っていき…南北朝のころにはすでに生産されなくなっていったはずだが
(かわりに平肉でも頑丈な相州伝がうまれてるけど)
>太刀は佩くから反りが大きいほうが抜きやすい
いや反りの大きさの話じゃなくて腰反りか京反りかって話でしょ
>そもそも刀より槍が好んで使われていたし
戦国時代の話がしたいのかそれ以前のいつごろの話をしてるのか不明
0051人間七七四年
2007/05/28(月) 18:18:19ID:QZHOuQm+以前テレビの検証で野炉だか風炉で敢えて不純物混ぜるって事やってたな。
温度が上がらないから、中々融解しなくて大変そうだった。
効率性で言うと下の下なのかな?
でもかなり古刀に近似成分の玉鋼ができたとか言ってたが。。。
それを刀に鍛える段で次週持ち越しになって、結局次週は見忘れたんだがどうなったんだろう?
0052人間七七四年
2007/05/29(火) 04:05:54ID:ZosG4XZa幕末の土佐志士は長大な蛤刃の刀を使ってたぜ
0053人間七七四年
2007/06/05(火) 04:18:39ID:O5+kg/Xd0054人間七七四年
2007/06/05(火) 08:42:48ID:OzV3sgmNというか、幕府に定寸決められるまでは三尺以上が多かったようだけど。
0055人間七七四年
2007/08/05(日) 21:33:00ID:aTVRh6O90056人間七七四年
2007/08/20(月) 22:53:14ID:4Pj2AlBb0057人間七七四年
2007/09/10(月) 23:44:20ID:GNOZKr8o着ないよりはマシという感覚だったのかもね
例えば刃先がちょっとカスッたり、威力の弱まった矢が飛んできたときに、
着てるのと着てないのとではやっぱり違うし
0058人間七七四年
2007/09/17(月) 14:59:35ID:ZQ7jsh7/0059過疎スレ大好き人間
2007/09/17(月) 16:14:10ID:vAtah8QM0060過疎スレ大好き人間
2007/09/17(月) 16:17:35ID:vAtah8QM0061過疎スレ大好き人間
2007/09/18(火) 06:12:49ID:xMmcCN8z0062名無的発言者
2007/09/20(木) 20:58:36ID:10YrXahj戦国時代にもっとも使われた武器はヤリだ。4〜6メートルの長ヤリを持った
歩兵部隊の密集方陣。これは敵から見るとでっかいハリネズミの様で非常にお
っかない。これに攻められると騎兵も歩兵も串刺しにされるだけで歯が立たな
い。これに弓隊、騎馬隊、鉄砲隊を組み合わせるのがもっとも一般的だった。
またヤリ隊のもうひとつの利点は非常に安上がりだと言うことだ。なんせ短い
刃物を木の棒の先にくくり付ければいいだけだから作りが単純で金属の部分が
少ない。その上操作方法が簡単で農民兵などでもすぐ使いこなせる。実際世界
史でも火器の発達以前・歩兵の集団戦法が発達するとその最終段階はほとんど
長ヤリ隊の密集方陣になった。
0063人間七七四年
2007/09/20(木) 23:37:52ID:15sGpK9z一般兵卒は、竹を鋭角に切り落とした竹槍で戦い
叩き、突き殺した兵士の鼻や耳は鉈でちょん切って腰蓑袋に入れて持ち歩く。
ドラマや映画の合戦シーンとは全くかけ離れた光景。
屏風絵も脚色し過ぎ。
0064人間七七四年
2007/09/20(木) 23:46:58ID:JyFWvbx1勢力によって長槍主体じゃなかったりバリエーションあるところは、注意な
0065人間七七四年
2007/09/22(土) 03:48:26ID:tLEq1Dxh北条は軍役状にも馬鎧の持参を義務付けたものがある
鉄砲の装備率は戦闘員の10%くらい
上杉謙信の軍隊は、歩卒の槍と長槍の割合が実に戦闘員全体の77%にのぼる
鉄砲の装備率は戦闘員の5.7%
0066名無的発言者
2007/09/22(土) 22:59:24ID:jmiDJ+wnちなみにドラマなどでは時々弓の名手が現れ百発百中の腕を見せるが、あのよう
なことは現実にはほとんどない。そもそも弓は狙いをさだめて討つのではなく
斜め上方45°に向けて討つ、それも一分間に6〜10本立て続けに討つ
つまり弾幕を張るのだ。ちなみに弓の最大飛距離は300メートル
これを出すために斜め上方45°で討つ必要がある。
0067名無的発言者
2007/09/22(土) 23:11:00ID:jmiDJ+wn失礼! これ間違いヨーロッパの例だったわ。
0068人間七七四年
2007/09/23(日) 23:25:28ID:D8hyeBX0スナイプする用法もあった。
まあ組頭の下知に従えってこった。
0069人間七七四年
2007/09/24(月) 08:08:11ID:qNVtfSS/0070人間七七四年
2007/09/28(金) 23:11:16ID:4Pgf4B2/将クラスでも小さい口径の持ってこいと
0071人間七七四年
2007/10/02(火) 00:38:15ID:OXWsbbwq島津の場合は、武田と同様士分の割合が高く、士分でも鉄砲を
使っていたのが特徴だったんだよな。島津家久や新納忠元あた
りも鉄砲の効率的な撃ち方を研究していた。
同じ九州の大友氏でも立花道雪が輿の上から鉄砲を撃っていた
ぐらいだから、東国よりも士分の鉄砲使用に抵抗感が、無かっ
たんだろう。
ちなみに土佐の長曽我部氏も一領具足に鉄砲の射撃訓練を義務
として課していた。
0072人間七七四年
2007/10/03(水) 01:43:32ID:lxESnH9q何の為に重い鎧を着てるかわからない。
戦国武将は肉屋さんみたく、死臭が凄かったのかな?
肉屋でバイトしたとき、生肉扱っていたので匂いが凄くて。
慣れて平気かもしれないけど。
0073人間七七四年
2007/10/03(水) 16:26:27ID:yPVtdR2J槍はともかく、刀は厚手の服を一枚来ているだけで、斬る難易度が跳ね上がる。
基本的に鎧の隙間を狙って突く。
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