武田家滅亡を防ぐには
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 02:49:43ID:lGXN3Ffp上杉家は明治まで存続したのに対し
武田家はあっけなく滅亡してしまいました。
滅亡を防ぐにはどうすればよかったのでしょうか。
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 02:54:39ID:HAxga73m武田信玄の六男信清系統が上杉家の客将として存続。
傍流とはいえ、滅亡したわけじゃないよ。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 02:58:45ID:Xs+BTaJm0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 03:08:20ID:HAxga73mほぼ滅亡じゃないか? 織田系も北条系も滅亡ってことになるわな。
大名=一万石以上
一国の大名(太守)=日ノ本六十六州(66人限定)??
0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 03:40:08ID:3Smw5NKB0006名無しさん@お腹いっぱい。[
2006/08/07(月) 06:50:46ID:ABp9RPX60007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 08:27:51ID:0oLFnff70008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 09:37:40ID:NXgD0eIg米沢は奥州じゃなくて羽州
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 09:53:41ID:xHPtcr8Dこの板の住人全員をタイムスリップさせて軍師に(ry
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 09:59:20ID:NszdTdJT0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 10:01:07ID:Egqg/LJJ0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 10:58:16ID:cfuAkfuX0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:06:54ID:S/DCY5WZあとおいらのイメージだと勝頼はプライド高いんだけど、
秀吉や家康の下につくと思うかね?
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:14:23ID:cfuAkfuX従属は有り得ないだろう
最大限譲歩して休戦協定
もしも勝頼が高天神城攻略など軍事行動を取らずに外交で下手に出て休戦申し込みなどしていれば
織田家も武田攻めを急ぐ必要も無いわけだ。
武田家とは休戦しておいて、毛利を倒した後まわしにしようとする可能性が高い
そして明智の謀反に合い、武田家はめでたく生き残る
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:33:01ID:718r3Bcn0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:37:29ID:uPZNeRX8養命酒をあの時代に製造可能なのかはしらんが。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:41:20ID:cfuAkfuXゲームでは武田勝頼が織田家と休戦した後に史実通りに明知光秀が謀反
畿内を制した明智家と武田家は婚姻同盟を結び天下二分するという構想でプレイしたなあw
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:49:22ID:vHrc5vF7その程度で勝てるわけねーだろ
本能寺直後でも多分元織田の連中に負けるぞ
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 11:53:08ID:cfuAkfuXでも明智光秀に武田勝頼の援軍があれば
秀吉に勝てそうだと思わないか?
家康は中立を保つだろうし
002018じゃないよ
2006/08/07(月) 11:58:50ID:NXgD0eIgそれは勝てるかもしれんが、勝頼がある程度の軍勢を畿内に送れるってことは
その四国同盟はかなり緊密じゃないとな。普通、当時の同盟国なんて敵国では
ないにしろ下位仮想敵国って感じだから
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:05:00ID:QqBOhc6h1 小山田ではなく真田を頼れば助かった。
2 もう少し粘れば信長、本能寺でアポンで助かった。
という幻想なんだよな
。
1については真田が小山田と同じことをしないとは限らない上、
仮に真田が勝頼守っても遅かれ早かれどうしようもなくなるし。
2については勝頼が粘れば状況やタイムスケジュールが大幅に狂って
本能寺は起きないか起きたとしても時期がすれるだろうと思われる点だ。
特に武田討伐軍の大将の信忠が信長と同時にアポンすることはありえなかったろう。
0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:09:27ID:3Smw5NKB0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:24:43ID:/ju3RlPJそれで武田宗家を継ぐ
徳川政権下なら余程不祥事起こさなければ国持ち大名として存続できたはずだ
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:27:11ID:NXgD0eIg0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:28:53ID:cfuAkfuX武田家が専守防衛に徹していれば、織田・徳川連合軍でもかなり苦労しそうだと思うけど
0026北条氏康 ◆JEhW0nJ.FE
2006/08/07(月) 12:32:51ID:wxD8VXoq0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:35:00ID:Egqg/LJJ織田と徳川の動員できる兵力を考えればあきらかに無理
徳川は全軍とは言わないが、ほぼ戦力を投入できるし
信長、信忠の石高は200万石以上
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 12:40:31ID:NXgD0eIg武田家が織田家に大きく差を付けられたのは、今まで直接対決(野戦が望ましい)
がなかったからだし、その隙に織田が伸張したってのも信玄、勝頼は分かってたと
思うよ。継いだ勝頼の軍事行動を見るとむしろ直接対決を予定していた、もしくは
望んでいたはず。
002928
2006/08/07(月) 12:46:13ID:NXgD0eIgまあ、石高だけじゃなく色んな収入、権威とかを考えると圧倒的に織田の方が力があるけど、
敵領に攻め入るってのは苦労するもんだよな。織田は地理的に兵力を各方面に割り当てなきゃ
ならんし。丘陵、山岳での戦闘、補給は武田の方がノウハウがあったんじゃないかな。
決定的敗北や圧倒的不利がないと調略も難しいし(それでも今まで織田には調略実績があるが)
相当な苦労はするだろうよ。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 14:13:13ID:Egqg/LJJ当主が勝頼だったら、小山田・秋山・穴山・木曽の隣接してるやつらは
簡単に寝返ると思うけどな
苦労しない戦などないと言っておく
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 14:49:13ID:NXgD0eIg0032無名武将@お腹せっぷく
2006/08/07(月) 15:01:29ID:J0frOV7H時代に乗遅れてるし内部で内乱あるし重臣お年頃
自然に周りの大名に滅ぼされるのがオチ
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 15:16:55ID:41NERKh8家康を牽制できる唯一の大名なのに
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 17:30:52ID:yJbargKs武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153644378/
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 18:14:08ID:aPoGIBhW北条が武田だけに戦わせて、そのうえ武田の領土を狙うセコイまねしたからだろ
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 18:19:12ID:/ju3RlPJと言うか他にやりようがない
諸国は日増しに支配力強めてるのに大人しく国内に篭っててもじり貧に落ち込むだけだし
和睦や従属を望まないなら外に討って出るしか生きる手立てはない
でも周囲が上杉、北条、徳川、織田だからな
攻めるって言ったって厳し過ぎる
お手上げだな…
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 18:21:49ID:BQODv0S/>攻めるって言ったって厳し過ぎる
>お手上げだな…
なら外征が失策なんじゃん?意味ワカラナス
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 18:27:24ID:QqBOhc6hそれも良く言われる理屈だよね。
北条のあまりやる気のなさと、
全てを武田に丸投げして季節が悪くなると
早々に撤退してしまったので勝頼がキレたんだろうね。
しかも、もし勝虎が苦労して景虎に勝たせても最大利益は
北条にいってしまうんだから、やってられんだろう。
それに引き替え、景勝は上野の領地は割譲してくるわ。
大量の金を払ってくるわでいい事づくめだし、
勝頼がそっちを選択するのは自然だろう。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 18:31:46ID:hB/cFRYY0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 19:57:44ID:QqBOhc6hそれくらいなんとかなるだろう。
全てを武田に丸投げするのは
北条にとって景虎なにどその程度の存在でしかなかったとい事。
あと景虎は氏政の兄弟ではなく従兄弟だったらしく、
さして思い入れはなかったらしい。
0041誤字修正
2006/08/07(月) 19:58:46ID:QqBOhc6hそれくらいなんとかなるだろう。
全てを武田に丸投げするのは
北条にとって景虎などその程度の存在でしかなかったという事。
あと景虎は氏政の兄弟ではなく従兄弟だったらしく、
さして思い入れはなかったらしい。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:17:50ID:NXgD0eIg0043ふぉぅ ◆fXf0/HfFdI
2006/08/07(月) 20:27:12ID:Yh1F6zKx0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:43:23ID:0oLFnff7たしか景勝って武田の傘下に入ったんだよね?
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:47:28ID:NXgD0eIg0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:52:30ID:QqBOhc6hすまん。それは言いすぎだった。
氏政の従兄弟というのは一つの説でしかなかったようだ。
ただ少なくとも氏康の側室の子ではあるらしい。
そのため愛情薄く正妻から産まれた他の男子とは一線を画し
あちこちで人質生活を送る羽目になった。
ある意味、徳川秀康と似ている。
>>44
それは違うだろう。
武田傘下とまではいえない。
せいぜい武田優位の同盟になった程度。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:53:06ID:VR5NH+LM盲人で家督と縁が無かった次男坊の孫が高家入りしてたはずだぞ
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 20:59:59ID:279WldbK10万近くの兵が動員出来る織田家が3万弱で来てるんだ
むしろ一番の好機だったかと
>北条景虎支持すればよかったよ
このときの北条家自体がもう親織田だからどっちみち敵対する羽目になりそう
それなら景勝支持して味方にしちゃってよかったかも
>長篠の戦いで勝てばよかったよ
おれもれも
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:05:46ID:cfuAkfuX0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:14:24ID:xuUAMk7a老重臣の中で前は馬で突撃すると見せかけて、後ろと横から攻撃案をだして、勝頼が拒否った経緯ありw
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:26:10ID:cfuAkfuX迂回作戦が可能だったのか?
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:28:55ID:0oLFnff7実質的には旗下に属することを誓ったものではなかったんだね。
0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:30:57ID:9d8fWgIP0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 21:34:55ID:cfuAkfuXそこに攻め込まずに武田軍は野戦築城陣地の前で針路変更して
織田軍が追いかけてくるのを迎撃すればよかったんじゃないか?
つまり見方が原の戦いみたいな戦は出来なかっただろうか?
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/07(月) 23:34:01ID:TgwUetGM仮にこの兵力差が本当だとして、武田方は正確に自軍の3倍とまではわからない
までも、相当開きがあることに躊躇いを感じなかったのかな。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:29:41ID:Gcf/5DBwって説もある。
どっちにしろ武田圧倒的に不利に変わりないよね
>>54でも追いかけてこないかもよ?
中央が落ち着けば
最高10万つれてくる事も数字では可能なわけで
そうなるとさらに辛くなりそう・・
結局、勝って長篠城を取り返すしかない気がするです
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:31:48ID:MkCFkTJn虎の子の機甲師団を投入すれば良かった。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:31:51ID:yhzTiw+70059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:40:18ID:duNqMNFGそもそも信長公記の記述では織田軍が柵から出たり入ったりして戦ったそうで、
旧説のように柵に篭りっきりで防戦してたわけではないらしい。
>>55
一応、織田・徳川軍一万五千、武田軍七千という小兵力説はあるが、
どちらにしろ織田・徳川側の兵力が二、三倍はあったのは間違いない。
というか信長が武田に倍する兵力くらいは用意しないとそれこそ不自然だろう。
あと、それくらい開きのある敵郡と戦った合戦など当時ゴロゴロあり、
なおかつ勝利した例もあるのでそんなには不自然ではない。
島津などそれくらいの兵力差で戦を行い勝つのが当たり前ではあったし。
沖田縄手の戦いなど島津・有馬連合軍が八千で竜造寺軍は六万と言われてるし。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:43:43ID:ijn4Xt5z島津スレとかで色々見たけど、話は本当だろうか?
ありえないぐらいの兵力差なんだけど。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:46:45ID:rYfK2N2Rあるんだろね。長篠は正面衝突だと思うんだけど。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:48:32ID:7qHRmXvfだから寡兵で戦うから鉄砲を多用するようになったんじゃないかな?
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 00:58:13ID:ijn4Xt5z0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 01:01:48ID:duNqMNFG正直、誇張だとは思う。
でも単に数倍くらいの兵力差を
跳ね返した例は少々ある。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 01:38:56ID:Gcf/5DBw鳶の巣砦が落ちたのが決定的だったんだろうが
>>61
wikiからで恐縮だが
武田軍は正面きっての突撃じゃなく
中央、から攻めて、右翼左翼は迂回してまわりこむのが狙いだったらしい
将の配置からも左翼、右翼がメインなのが伝わってくるし
ただ中央の一門衆がへたれで早々に退却
それで右翼左翼が孤立して
結果、山県や真田っていった右翼左翼の武将が討ち死に
するという羽目になったとか
実際中央に配置された武将(穴山etc)は損害も大したことなかったみたいだし
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 02:41:57ID:PZlWiQEb0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 02:50:20ID:dT9wZriF0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 03:33:29ID:aFgveID5謙信は敵にまわせば厄介だが、味方にすればこれ以上頼れる男はいない。
ってな感じに思ったんじゃないかな。
謙信も信玄の訃報を聞いたときの行動を考えれば、同盟を結んで対織田家の
共同戦線を張ったかもしれない。
0069魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/08(火) 03:42:44ID:U29guYee見殺しにした事で(何度か出兵はしているけど一戦もしてない)家臣達の信用を失ったし、本格的な武田討伐を招いたと思う。
高天神城自体は位置的に確かに孤立してるけど、堅城だし家康領土の横腹を突ける要所で押さえておかなければならなかったかも。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 03:42:49ID:duNqMNFGそれって講談なのでは・・・・
実際は謙信は速攻で来た品のに兵を出してる。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 03:52:17ID:2vnbtQtA書状で送ってるっていうくらいだから文書が残ってるんでしょ
実際には当時はまだ上杉とは同盟関係にないけど
そういう事じゃないだろう
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 03:59:10ID:duNqMNFG俺の読んだ一般向けの歴史本では
「実際は信玄が死んだと聞いた謙信は
北信濃に兵を送った」と書いてあった。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 04:05:54ID:duNqMNFGまあ好敵手の死に涙した話が仮に本当だとしても、
しばらく喪に服して進行を止める程度の話だろう。
それくらいなら信仰心の厚い謙信ならありうるかもしれない。
でも、以後、信玄の息子を守るとかいうのは無理があるよな。
そんなこと言ってたら信玄に追われ
謙信を頼ってきた村上をはじめとする
北信濃の豪族の立場はどうなるんだか?
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 04:10:11ID:2vnbtQtAそらそうだろう
敵対してるんだから
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 05:22:35ID:f3/QRGZh0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 08:14:01ID:C3q0/NsF0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 09:19:08ID:duNqMNFG甲斐一国と諏訪一郡で満足しておけばいいよ。
0078北条氏康 ◆JEhW0nJ.FE
2006/08/08(火) 09:56:28ID:h0Ugy/rU0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 10:45:11ID:ibPWLmoH0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 11:28:10ID:TQrJl1Wv0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 12:41:21ID:4gxShlDxそうだよな。
織田とは婚姻同盟まで結んでるのに、自分でそれを破っちゃうんだもんなぁ。
上洛なんかしなきゃ良かったのに。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 12:47:51ID:5FYaHRIfこれで武田滅亡後、
織田と手切れになって
武蔵まで侵食されるのでは世話ない罠。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 12:51:15ID:7qHRmXvf結果論だとそうだろうけど
あの当時は間違いではなかったと思う
信長を放置していれば、いずれ自分が亡くなった後の武田家は織田に飲み込まれる恐れを感じたのではない?
ちょうど義昭が扇動して反信長連合もできてたし、信長潰すにはまたと無いチャンス到来だったし。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 12:57:30ID:B6YpuCbfあれが最大の危機であり、武田にとって最大のチャンスだったわけだね。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 12:59:49ID:7qHRmXvf武田信玄が死と朝倉義景の戦略下手が信長を救ったんだろうね
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 13:06:32ID:Y+rS1Tsb虎を庭で飼えと?
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 13:33:41ID:AmmsA3HW武田家130万石(全軍約四万ぐらい?)
織田家250万石(全軍約10万ぐらい?)
徳川家40万石(全軍約一万ぐらい?)
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 14:50:06ID:TQrJl1Wv朝倉には1万も置いておけば十分だし、結局4万以上の軍勢を武田に向けることが可能
どっちにしろ武田オワタ\(^o^)/
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 15:41:19ID:8WThyc1s織田信長と信忠だけならそのくらいだけど、
伊勢や畿内軍も合わせるともっと上をいくよ
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 16:12:53ID:XlM1tjtU0091魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/08(火) 17:40:22ID:U29guYeeうちの教授いわく、あの時織田は約400万石。
勝頼は徳川と戦えば五分だけど織田相手じゃ国力的に勝ち目なし。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 17:59:01ID:duNqMNFGどうかね。
冬になると越前は雪で補給路が閉ざされるのだから、
朝倉が兵を引いたのはしかたないともいえるのだが。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 20:35:39ID:Gcf/5DBwあったら長篠の戦いには1万は多く連れてこれたわけで
15000vs30000でも8時間の激闘だったんだし
25000なら勝ち目はあったかと
ただそれで勝っても局地戦の勝利に過ぎないわけだが
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/08(火) 20:45:49ID:L2WJ73yH冬になれば兵を引かざるをえないのは志賀の陣の時点ではっきりしているのだから、
信玄は本気で朝倉との挟撃を狙っていたのなら、もっとはやく侵攻しなければなら
なかった。
朝倉は頑張った方だと思うね。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 00:19:42ID:klhxEVjkあり得ないと思うんだな。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 02:49:31ID:fuzq0XKn謙信が進出したのは越中・能登方面で、その目的は北陸の港湾支配。
信玄が遠隔操作してた本願寺勢を駆逐する目的もあっただろうけど。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 03:03:24ID:+A7STeM6でも将軍に催促されて出陣してるんだな。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 04:08:45ID:m/LOAREWおいおい、それって空論だぞ。
信長がそんな兵力差で決戦に臨むわきゃない。
あと長篠で二万五千も勝頼がつれてくるというのも無理があるな。
信玄の乾坤一擲の西上戦でも二万五千なのに、
常に最大兵力動因してたら国が持たない。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 04:17:04ID:m/LOAREW織田・徳川は十万は連れてこられるよな。
あと>>93の「八時間の激闘」とやらも、
別に武田と織田徳川がそれだけ互角に戦ってたというより
単に武田が織田・徳川の野戦築城を攻めあぐねてただけだが。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 06:32:23ID:6wMXaRof>ただそれで勝っても局地戦の勝利に過ぎないわけだが
それはないな。大規模な野戦ってのは、城攻めと違って勝った直後には直接的な領地は増えないが、
その後の両家の軍事バランスに大きな影響を与えるもんだ。ましてや両軍ともに当主が総大将として
出陣してるんだから、これに武田が勝つことができたら相当でかいぞ。さすがに一戦勝っただけで勢力図
が逆転するとは言わないが、もう一戦やる時は信長、家康が出陣しない可能性も大きく、そうなった場合
「ゲームの流れ」は一気に武田に傾く。
武田から見たら不利で負けられないこの戦いに勝頼自ら出陣してることからも、野戦はその後及ばす影響
のでかさに賭けてたことがわかる。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 06:45:16ID:m/LOAREW10個くらいあるんじゃないのか?
だいたい上杉と同盟できたら後顧の憂いは万全で
織田・徳川との戦いに全力投球できるとでも思ってるようたでが、
上杉と同盟したら、かわりに北条と険悪になるのを忘れてる。
小山田とか駿河の穴山とか常習の兵も動かせなくなるから
上杉対策の一万人が減るかわりに
北条対策に一万五千かかるんじゃないか?
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 07:09:08ID:m/LOAREWしかし当代記によると上杉は天正二年に織田・徳川の要請で
上州沼田に進出し武田領を脅かしたともある。
例え進出の方向性が関東や越中・能登であったとしても
それは状況の問題であって信玄と謙信の好敵手同士の友情とかじゃないだろ。
特に信玄が先導した越中のま一向一揆排除は急務だったしね。
あと謙信が信玄が死んで落涙したなんて話し北越軍記という
江戸時代に入って書かれた怪しい本にのみ出てくる話。
「頼るべきは上杉謙信の遺言」も甲陽軍艦にしか書かれてない。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 07:54:53ID:6wMXaRof戦って勝ち残るのはホントに難しいよな。
当時の日本は列国より文明水準が遅れていたとはいえ、織田と東国大名では先進国と後進国の差があるんだからな。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 09:04:11ID:bayNw6aF0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 09:35:38ID:c1eOpXUl0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 09:36:49ID:c1eOpXUl0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 09:42:44ID:6wMXaRof馬糞汁を裂傷の特効薬としてたわけだが。
ついでに、鉄砲事情もよくないよ。数はあっても合戦時での鉄砲兵率はかなり低い。
保有数も一時期は欧州よりあったようだが、1500年代後半から欧州諸国は急速に
鉄砲生産能力を高めて、日本の戦国末期には日本を上回っていたものと思われる。
てかそんなことはどうでもいい。武田がどうすれば勝ち上がっていけるか、だ。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 09:43:23ID:6wMXaRof0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:04:01ID:X/bijZh50110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:08:59ID:ph56Ag6W0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:17:11ID:MHR/5mwXどこで聞いた話だが、武田軍は特殊部隊以外の傭兵禁止。
理由は、士気が低すぎて邪魔だから。
兵農分離は、常時出動できる以外は、兵力も落ちるし決していい政策ではない。
むしろ、上杉や長宗我部のように国民皆兵方向に持っていった方がいい。
その点は、そんなに間違ってない。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:24:04ID:X/bijZh50113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:36:47ID:bayNw6aFなんで士気が低いの?
金目当てや手柄を立てればそのまま武将になれるのに?
尾張美濃の頃の織田軍は士気が低かったの?
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:51:22ID:6wMXaRof同意。近世は兵農分離で合理化されたがそれは日本の農本社会の風土や士族支配制にあわせたものだしね。
ヨーロッパも騎士の時代は兵の構成が戦国日本に近くて、封建的な在野士族が土地での社会階級の構造に
沿った軍を構成してたが、その後国民皆兵という形で軍事改革がなされてる。軍事的に見たら兵農分離策は
近代化の方向ではないんだよね。まあ、当時の日本の環境に合わせたとすれば合理的だけど。
都市人口が少なく経済の遅れた地方大名としては、農村に在地する武士を経由して農村人口を兵力として
創出しやすい兵制の方が適切だと思う。田舎大名が兵農分離で兵力を集めようとしたら、兵力源である
余剰人口がいないんだから不利になる。最も田舎じゃやろうと思っても困難だし、そもそもが農本社会
であるが故の後進性であることは確かだが。
ただ、兵農分離制度下での軍の方が武器、練度の統一や、部隊の兵科分類がしやすいっていうメリットがあるのも確かだよ。
>>113
常備軍における傭兵の士気が低い場合が多いのは、
給料が正規通りに支払われないことが多い
都市部の職無しヤンキー崩れ出身者が多い
都会の商人暮らしの人間より農民の方が肉体労働に慣れてる(?)
半農半兵軍と違って部隊の長が社会における長ではないため、忠誠心が弱い(?)
とかかな。それと間違って認識してるようだが、織田軍は決して兵農分離の常備軍によって構成された軍隊じゃないよ。
兵農分離が確立したのは秀吉の治世になってからのことで、信長は兵農分離構想を持っていたとは思うがそれを徹底する
ことは出来なかった。兵農分離の度合いが地方大名よりはある程度進んでいたって程度にすぎない。
0115114
2006/08/09(水) 10:56:46ID:6wMXaRof>兵農分離制度下での軍の方が部隊の兵科分類がしやすいっていうメリットがあるのも確か
って自分で言ってるけど、結局戦国時代には織田軍も含めてどの軍も、兵科分類を十分に
達成することはできてませんでした。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 10:59:25ID:bayNw6aF織田軍は浪人勢を集めて1000人ぐらい軍勢を増やしただろ?
記述には半分くらいは戦前に逃げたとが言うが、当時の500人の戦力だって
大したもんだと言ってるんだよ
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 11:03:38ID:MHR/5mwXだから、傭兵の多かった(もちろん民兵が主力)織田軍は、
とにかく数をそろえる事で、士気の低下を防いだとされる。
また、完全な兵農分離は武士の官僚化を招くので、民の忠誠度(→士気)が下がるという指摘もある。
そうすると、兵士数以上に弱体化を招くことになる。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 11:06:06ID:6wMXaRofおっと、そりゃごめんなさいよ。
しかし士気が高かったか低かったかなんてよほど顕著じゃないと、信憑性の低い
雑書の記述にしか頼れないしな〜
千人くらいの浪人勢を集めたってのは美濃攻めの時の話?ちょっとよく知らないんだよ。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 11:13:00ID:MHR/5mwXただ、勝つつもりがあったかどうかは疑問だが。
ヤクザもん雇って、嫌がらせを仕掛けただけだもんな。
0120魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/09(水) 11:41:44ID:0s+mX1nA0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:14:20ID:6wMXaRof上杉は武田に比べて裕福って描かれるが。
まあ、米もあんまとれない甲信地方で、産業を興してなんとか収入を増やしたり
金山収入がある程度あったりってとこだからね。
推測しかできんが、信玄があまり城を作らなかったのは金がなかったから、とも考えられないかな?
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:25:29ID:VwXsb5wQやっぱり港が無いのは相当痛いだろうな。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:41:28ID:gEptD0qL0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:46:23ID:3brQmv850125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:46:57ID:6wMXaRof0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 12:56:35ID:4pLRlEhY六角氏がやったように(未遂に終わったが)信長暗殺を謀るしかないな
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 14:02:25ID:fuzq0XKn武田は戦国時代に唯一、領内流通貨幣を鋳造した先進的な戦国大名だぞ
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_06.htm
>ほとんどの地域で貨幣経済なんて浸透してないよ
↑これは奈良時代ですか? 貨幣史勉強汁!
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 14:13:35ID:VwXsb5wQ金や銀が鉱物そのままの価値で、取引される事は戦国時代でも普通にあるよな。
ただ、政府の信用を元に、素材の価値より高く取引される、現在のような貨幣があるかと言えば、それは違うな。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 14:24:35ID:4pLRlEhY明治時代でも金本位制とかとっていたんだし
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 15:52:53ID:fuzq0XKnすることで、同じ斤量の金塊よりも高く交換された。
四進法の単位も江戸時代の貨幣の原型となった。立派な貨幣だね。
>>127のリンク先より
武田氏は領内の豊富な金を用いて、品質の純良な円形または長方形の金貨を発行した。
この金貨は、甲州金と称されているが、甲州金の場合、その通用価値が重量を基準として
定められるとともに、額面金額として表面に打刻されているところに特色がある。
写真の金貨の額面は「壱両」である。
このほか甲州金で採用されている額面単位は、
「両」=約15g、
「分」=1/4両、
「朱」=1/4分、
「朱中」=1/2朱、
「糸目」=1/2朱中、
「小糸目」=1/2糸目、
「小糸目中」=1/2小糸目
という4進法・2進法によっている。
この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、
江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 16:55:16ID:Rt19MQL6>武田は戦国時代に唯一、領内流通貨幣を鋳造した先進的な戦国大名だぞ
一応上杉も作ってる。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:07:08ID:6wMXaRof0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:14:58ID:zLLDWSGX貨幣経済だと思っていたが、
違うのかしら?
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:17:47ID:fuzq0XKn形状が碁石だから「碁石金」と俗称されただけで、正しくは「甲州金」
武田の勝沼館跡から発掘された「ひるも金」という小判は
三重で同様のものが発見されており、畿内に流通していたと推測される。
額面単位が七種類もある>>130 のに貨幣ではないという根拠は??
>>131 謙信の天正越座小判は額面がない。ただし、能登でも
流通させた形跡(制札)があるので、座の取引には使用されていたようだ。
佐竹も造ってるけど、おそらく同じか。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:20:39ID:68F0rGDW微妙にずれるんだと思うよ。
個人的には「現物を削ると実際に価値が減る」ものを使用してる状況を
「貨幣経済」と言うのはちょっと無理があるんじゃないかと思うけどね。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:24:43ID:fuzq0XKnバカですか? 一定の形状(重量も刻印)がある金貨を削ってどうすんのよ。
あっ、このバカ小判を削ってやんの・・・。
で、「これじゃ取り引きできませんな」になる前に役人にタイーホ、甲斐なら
即座に黒川金山で奴隷働きだなwww
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:36:29ID:68F0rGDW明確な形で禁止してたっていうのは確かにかなり進んでたんだね。
そこらへん良く知らないんだけど、具体的にはどんな決まりがあったの?
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:36:35ID:3brQmv85一万石でだいたい二百五十人でした プラス金山・商業・貿易力で変動するのかな
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 17:52:10ID:6wMXaRof貨幣のことはよく知らんのだが、三重で流通してりゃ畿内でも流通していたと考えちゃってもいいん?
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 21:41:21ID:bayNw6aFまぁ、ぶっちゃけその武将によりきり。
その武将家臣が大人数の兄弟がいて全員元服してるなら、
米があろうとなかろうと馳せ参じるでしょ。
武田は特に複雑な主従関係だから、1万石=約250名動員はならないんじゃないかな?
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 21:50:59ID:6wMXaRof0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 21:51:30ID:o8nKP0NP0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:10:42ID:B8gw0zqj0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:12:12ID:Sxd3BIq5せめて軍師山本勘助が居れば変わったかな?
勝頼が単細胞過ぎてオワタわけだろ
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:16:05ID:yNs1YPaQ陣代という曖昧な地位じゃなくて
武田家の正式の後継者にすべきだった
そうすれば勝頼だって、あんなに焦って攻撃的にならずにすんだだろう
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:16:22ID:B8gw0zqjここのログ読んでらっしゃい
武田家滅亡の原因は100%信玄が作ってる件
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153644378/
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:24:46ID:zLLDWSGX武田信玄の後を継いだ事が、
勝頼の最大の不幸だった気がする。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:26:51ID:o8nKP0NP0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 22:43:53ID:IxyFBltl現地調達。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 23:18:59ID:c8NismY5夫役とか知らんのか、臨時アルバイトみたいな足軽に一年分の米なんかやるわけねーだろw
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 23:36:19ID:fuzq0XKnおまいがバカ。
一万石で、ほぼ一万人が食える。
一石=1人が1年間食いつなげる米の量(一升ビン分の米×100)
※ほぼ週に一升ビン2本分の米だと考えるとわかりやすい。
一万石で食える1万人のうち、軍役衆が250人。100人に対して2.5人。
つまり郷村ごとに、100人に対して2・5人を出せという軍役。
浪人を雇って出してもOK。
しかし、これも石高制の慶長年間の算定方法で、戦国時代のとは違う。
武田の場合は、
御給衆(公銭負担のない常備軍)
軍役衆(公銭と夫役・軍役)
惣百姓(年貢=公銭のみ負担)
※『甲斐武田氏』(なかざわしんきち著)
だから、秀吉時代の石高算定は当てはまらない。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 23:57:27ID:bayNw6aF( ´,_ゝ`)プッ
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/09(水) 23:58:57ID:Ka3fjl+yこれ、武田だとNG。
ただ人材派遣業者のはしりが暗躍していたのも事実だけど。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 00:19:14ID:4Oqj2o7W「甲州史料」にあるよ。信玄の書状の写しとして「軍役には有徳の者を出すべし」と。
「軍鑑」にも三河浪人衆が両角豊後守の首を上杉勢から奪い返したという記述もあるし。
武田で浪人雇用がNGの根拠は??
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 00:33:10ID:naD5yS/n勝頼が陣代って、後世の創作じゃなかったっけ?
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 00:49:24ID:yBs+lgHF0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 01:44:30ID:zA7CyzVw0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 01:50:38ID:YgAmLXDe先ず基礎的なことを知らない馬鹿ばかりだからな。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 08:44:07ID:cDuPH9sp0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 08:46:37ID:bcBJozAQお前もな
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 14:03:56ID:imWgWkqI2〜3年以内でまずは三河を攻めれば、家康もまだ地盤がしっかりしていないし、
信長も美濃攻めの最中だから三河を攻め取れるんじゃない。
義信が死ぬことも無いから信玄死後も一応安定するだろ。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 14:59:16ID:Uv5sU1Hyまさにそれだよ。
「有徳の者」が何を指すと思ってるんだ?
素性の知れない浪人者が有徳の者だというのならば、話は別だけど。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 16:15:34ID:4Oqj2o7Wおまいの誤読だ。「有徳の者を出せ」と信玄が言ってるのは、
飯だけ食って敵前逃亡する浪人や槍の持ち方も知らないヤツばかり
村衆が軍役に出していたから、苦言を呈しているわけだ。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 17:07:18ID:Uv5sU1Hy前も言ったけど、
村は村で働き手を取られたくはないから、
なるべくなら村にとってどうでも良い奴を出そうとするし、実際出していた。
それに対して、武田家はなるべく出自明かな使える者を出せ、と通達した。
確かにNGは過大な言い方だったかもしれないけど、武田側が忌避していたのは事実だろ。
お互い同じ事を認識しつつも、ニュアンスの違いでもめているだけの気がしてくる。
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 17:09:36ID:zkv4B5400166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 04:05:24ID:QJa7psPD0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 22:49:46ID:3I7nFUft景勝の支持はむしろ家臣が勧めてたんだ
だって景勝は金もくれるし上野の一部もくれる
なのに景虎ときたら信濃をよこせとかいいやがる
景虎を支持したらそれこそ一揆、内乱が起きるぞ
やっぱり長篠の戦いが最大で最後のチャンスだったのかな
もし長篠城が落ちてたら
もし両翼が突破出来てたら
と考えずにはいられない
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 00:16:21ID:Fel3yK7Wそんな家と結んでも意味ない。逆に徳川を陸海で牽制できる北条はどんな犠牲を払ってでも味方につけなければならない
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 00:36:26ID:L9Xk/XEu北条は織田の同盟国、しかもほとんど配下に近い同盟国です
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 00:37:55ID:4/u5gAf2味方にしようとした上杉だって、その時点では勝てるかどうかわからないのに片方に肩入れしてるし
景虎が勝っちまったら、上杉北条徳川織田に囲まれてる上に、仮想敵国どころが交戦国クラスの
超緊張状態・・・ゲームの世界だぜ
しかしまあ、北条と結ぼうにも対北条外交はどう考えても織田陣営に有利だしね。
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 00:54:53ID:L9Xk/XEu織田が武田を潰すとなったら、そんな同盟は北条側から一方的に切られる
北条なんてそんなもんだろ
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 01:02:23ID:EEUBDJH9北条はいまいち、信用できない。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 01:14:53ID:VVdNE9+W北条は関東第一
弟の上杉家にすら大して関心がない模様
もし信長が「おい!武田どうにかしろ」
というものなら
氏政「いいっすよw好きにしてくださいww
どうせならこっちから攻めてやりましょかww」
と、こっちは結局史実どおり
越後はもともと独立がちな本庄新発田なんかはもちろん
他にも反北条の連中が決起しまくりだろう
そんな時に
景虎「越後国人衆うぜえええ!!武田の援軍?はぁ?
バーローwwそんなことしちゃ織田家に攻め込まれるだろうが!111」
こっちは景勝以上に苦戦するでしょう
どうやらとても北条上杉武田で織田徳川連合を討つなんて無理そうです
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:07:29ID:4/u5gAf2だから、その中で一番矛盾の要素が少ないところを消去方で選ぶしかない
北条だっていずれは織田につぶされる運命にあったんだからなんとかして
口説くしかねえだろー 領土の全方位を同時に敵に回したら勝つことどころか
生き残ることすら不可能だぞ 史実でも景勝の援助は期待できなかったし北条しか・・・
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:15:14ID:L9Xk/XEuだったら織田・徳川と同盟すりゃいいよ
北条と組むよりはるかにマシ
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:29:23ID:4/u5gAf2これって勝頼及び武田家が性格上信長に頭下げられないっていう考えが俺の中であるんだが(漠然とだが)、
確かにその方がはるかにマシだな。
ただ、独立大名家として生き残るにはどうしたらよいかっていうスレだろ?
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:42:59ID:HwC4lmsB経済・軍事力が違いすぎるし、ジリ貧がいやなら打って出るしかない。
だが、仮に長篠で勝っていたとしても滅亡が防げたのは思えない。
ドイツもハンニバルも勝ちまくったが、結局地力に勝る連合軍・ローマに
負けた。最後まで勝ち続けたのはアレキサンダーぐらい。
かと言って、織田の風下に立つのは、なまじっか名門なだけに許さない空気
だろうし。
0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 03:29:05ID:CCDVsDKF信繁と義信が生きている事が最低条件だと思う。
武将としての勝頼は優秀だと思うし。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 05:49:40ID:J2PJC4+Iその辺をうまく啓蒙して反織田に引き込めれば・・
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 07:03:52ID:jX+dyBxwその時受け入れて秋山とか仁科とか
信頼できる家臣を甲斐に集中させて
穴山とか不満分子を叩き出して
とにかく甲斐一国の直轄はさせてもらい
他の事は徳川並に耐え続ければ
数年以内に本能寺か似たような
事が起こって復活できるんじゃないの?
どうせ信長は長続きしないし
また自分から折れている時の信長は
比較的信用できるし。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 07:29:34ID:ilxRXbEN信玄公の五男・仁科盛信は高遠城で自害、後は、、、
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 08:24:40ID:d/OXSldY>数年以内に本能寺か似たような
>事が起こって復活できるんじゃないの?
そんな楽観的な・・・・
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 09:11:58ID:HwC4lmsB信長のやりかたでは長続きせず、本能寺に似たことが起こるのは
充分期待できると思うよ。
問題は、名門武田家が徳川並みに耐えることができるとは思えない点。
そんなことをすれば、勝頼自身がその気になっても部下は反対する
だろうし、強引に進めたら追放されるか殺される。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 10:52:31ID:IyT14g/l一つ、優秀な前線指揮官及び兵士、幹部クラスの人材がほとんど死んだ(全軍の90%喪失)
一つ、この超絶望的大敗(絶望的大敗の基準は全軍の50%喪失)により武田の勢威大幅に低下
一つ、織田家は対武田用戦力をしばらくの間他の戦線に投入することができるようになり
対織田包囲網が瓦解していく
・・・・まあ原因は全て信玄にあるのだが(勝頼を後継者にしなかった、信玄は信勝を跡継ぎにしており勝頼はあくまで信勝
が成人するまでの代行者だったこと。そんな状態で武田軍の指揮権取れるか)
ここでみなさんに聞きたいのですが、この戦いで武田家は全武田軍の何割を喪失
したのですか?
教えてください
0185魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/12(土) 11:29:42ID:g2CzyB7b90%も失っていないだろ。
武田二十四将中、長篠に参加したのは十五将。
そのうち戦死したのは八将
さらにこの頃、信長にとって包囲網などもう機能していなく、長篠で武田が勝とうが負けようが各戦線に支障はないくらい圧倒的。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 11:37:27ID:IyT14g/l・・・・・マジですか
織田ってそのころになるとそんなに強かったのね・・・
俺は本願寺と武田と雑賀衆と松永と毛利と西播磨の小大名群と上杉
の包囲網でまだ挽回できると思っていましたが・・・
やっぱり石高と経済力の違いがものをいったんですか?
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 12:52:47ID:hSThjkRf本願寺→朝廷を仲介役に休戦の措置を取ったり
武田→徳川を盾に凌ぎぎる
上杉→本格的に接したのはかなり後
毛利→基本的にヒッキーの上、尼子を使って撹乱
松永→あっさり
結局、これらが同時的な攻勢に出ない限りは無理、特に毛利。
戦術家としての才能は信玄の方が上かもしれないが、戦略家としての才能は信長が上じゃないかと。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 13:37:47ID:VVdNE9+Wこの状況で負けたら徳川にとって最も辛い退却戦が始まるわけだ
当然長篠城は落ちるだろうしそれ以外にも浜松岡崎といった本拠地にも
危機が迫るわけで徳川は大名として機能しないおそれがある。
織田家の被害も尋常ではなく岩村城を攻める余裕なんかない
1577上杉が織田と同盟破棄、武田、本願寺と
同盟が締結
1579に信康騒動もしかしたら家中分裂の恐れあり
織田は上杉にも向ける必要は出てくるし
松永はまた蜂起するし
徳川はもう動けない
だから
史実どおり尼子は見殺し松永上杉の押さえを引いて
かつ武田より多くの兵を率いてもういちど武田と戦う必要が出てくると思うんだ
0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 13:47:03ID:IyT14g/lなるほど
それじゃ武田は勝てねえな
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 14:21:48ID:HwC4lmsB長篠で勝っても、信長を討ち取るでもせんかぎり織田の優勢は揺るがない。
経済力が違うのですぐに回復してしまう。
経済・軍事力で上回る相手に勝つのは、一番多いのは相手の体制が腐敗して
無能で庶民からも見捨てられた場合。よく中国の王朝の末期が当てはまるが
織田は敵こそ多いものの、旭日の勢いの最も実力主義が徹底していた大名。
次に、軍事的天才が現れたり技術力の差で、大国を打ち破る場合。
これも技術・制度面では織田が進んでいるし、戦略的に大国に勝つのに
必死と思われる敵が回復する間を与えず連続した打撃で一挙に滅ぼす
戦いかたを武田は取ってないし恐らくできない。
むしろ朝倉を滅ぼした際の織田が当てはまる。
結局勝てども勝てども出口の見えない消耗戦に自国の経済がボロボロに
なって最終的には物量に押し潰されてしまう。
最後に、大国側の兵担に問題があったり、敵が多く戦力を集中できなかった
場合。
これが一番可能性がある。信玄があと10年長生きではなく、1,2年早く
浅井・朝倉が健在なうちに動けていたら織田もやばかったかもしれん。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 16:22:11ID:aX2WKQiQ信長包囲網っちゅーのはね
将軍・足利義昭(総指揮)
石山本願寺・一向宗・雑賀衆・その他一揆勢
毛利(石山本願寺の補給係)
浅井・朝倉
武田(信玄と顕如は縁戚関係)
これらが一斉に蜂起したんだよ
だから信玄の西上作戦の時は徳川を見殺しにせざるを得なかった
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 16:52:24ID:VVdNE9+Wなるほど、やっぱり最後は経済力がものをいうってことか
たしかに甲斐国人衆は随分不平不満を述べてたみたいだし
そういえば
1577年上杉が織田と同盟破棄、本願寺と和議したとき
織田は一度、勝頼に和議の使者をだしたみたいなんだが
これって本当?
勝頼?というか家臣団と国人衆が反対したから決裂したんだけど・・
武田存亡を語る上ではどうしても資金と国人衆が問題になるんだよな
資金は上方、港を押さえてた織田が圧倒的なのは仕方ないとして
あと国人衆って織田家ではそんなに問題になってないんだが
何でかな?
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 17:56:26ID:EEUBDJH9>これって本当?
「軍鑑」にある記録なので眉唾だが、「上杉文書」に「公方の要望を入れて越・甲・相和議」
とあるから、上杉との密約があった可能性は高い。信長は北陸で上杉・本願寺に
押されてたから、「これまでのことは水に流して、ともに上杉を討とう。越後一国切り取り次第」(軍鑑)ということだろう。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 18:15:09ID:d/OXSldY0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 18:22:49ID:lFBE/AKq武田(勝頼)の方が織田に和議を申し入れたじゃなかったっけ?たしか人質付きで。
時期は長篠合戦の数年後だと思ったけど。
詳しい方、教えて下さい
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 18:25:21ID:rXY9D9vs武田が上洛した時は朝倉しか機能していなかった
信長包囲網の時点で信長の力は絶大だったし
徳川への3千の援軍も、信長自身が武田に手を出すなと言ったわけだし
篭城するんなら兵糧とかも必要になるし少ない兵でいいかなと思ったわけだろう
信長は朝倉の抑えに明智か羽柴辺りに1万持たせておけば残りの4〜6万を武田にぶつけれるわけだ
本願寺も鉄砲持ってたから守りには強かったが攻めには適さない だから信玄が数年先に兵を動かしていたとしても結局同じこと
0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 18:45:52ID:EEUBDJH9仮想軍記モノじゃないか?
>>196
信玄と顕如は義兄弟。永禄初期から一貫した同盟関係にある。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 18:57:46ID:rXY9D9vsそれで信玄が出れば本願寺も動くと言いたいのか
本願寺の強さは鉄砲 鉄砲は城や砦に立てこもるなら強いがそれ以外ならそれほどでもない
鉄砲使えない本願寺なんて・・ 本願寺も内部はなかなか厳しいからね 一枚岩というわけでもない
蓮如が行けといえば総動員できたかすらも微妙
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:01:47ID:EEUBDJH9蓮如は一向一揆に反対だったから、行けとは言わないだろうな。
年代もかなり違うし・・・。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:37:33ID:rXY9D9vsそれじゃ蓮如は動かない 織田4万以上VS武田2万
長篠の戦いのスタートです
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:41:55ID:EEUBDJH9わざわざ指摘したのに、バカですか?
蓮如(15世紀の人物)×→顕如(信玄と同時代)○
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:50:03ID:rXY9D9vsゴメン、本願寺といえば蓮如っていう考えで固まってた
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:57:13ID:VVdNE9+W>>198顕如信玄の関係はかなり濃いもので
越中における一向一揆も信玄が要請したものらしい
で武田が上杉と同盟を結ぶと謙信も本願寺と和議
苦戦していた一向一揆も収まる
要するに信玄が顕如に頼めば期待通り動いてくれる
そんな関係です
余談だが越中の一向一揆はやっぱり信玄→顕如→越中ルート?
それとも信玄が顕如と義兄弟という立場を利用して信玄が直接煽ったの?
それはやっぱり無理かな・・
0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:58:24ID:VVdNE9+Wそれは良い意味で珍しいなw
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 20:04:03ID:EEUBDJH9永禄4年の川中島の時に、信玄が顕如を通じて上杉をけん制したのが史実。
文書も残ってる。ために、上杉は斉藤朝信・山本寺定長らを越中国境に割かなければならなかった。
小説なんかでは三条夫人を通じての援軍だが・・・。
永禄3年の上杉の小田原攻めの時(北条からの支援要請)にも、信玄はこの手を使ったが、北条が一向宗を禁止していた
ために、かなり揉めた。結果的には北条も一向宗を解禁に。有名な話だ。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 00:59:37ID:MYkhHule気づかなかったんですかね?
そのせいでどうしても信玄を高く評価してしまうのだが。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 01:57:13ID:Txw0mjpM北条は武田が滅ぼうが安泰
ただ長曽我部みたいにきられる恐れも十分あるが
上杉毛利は滅ぶ
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 02:37:12ID:w//MUFX8信長存命中に対北条方面軍が設定されてますが?
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 02:43:03ID:49DZM+EF0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 02:50:00ID:MYkhHule0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 03:23:52ID:am3Zojak0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 03:46:19ID:CGD/bYWV武田・今川・北条の三国同盟の頃の事を言っているんだろうけど
その時期だとまだ今川も斉藤も安泰で織田は小国、徳川など影も形もない時代だ。
今川領を素通りして三河や尾張を攻めるのは不可能だし
両国は今川が狙っている地域なので武田は手を出すべきではない
それ以前に、武田の国力じゃ美濃(斉藤)は落とせんと思うよ
ていうか時系列ちゃんと考えて書け
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 04:12:26ID:49DZM+EF上杉と組んで武田は駿河に南下が良かったんじゃないか?
0214名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 05:32:06ID:Txw0mjpM滝川一益なら違う
そもそも織田家と北条家は婚姻の話もあったわけで
本能寺の変直前まで親密な関係だった
ようするに織田家は長曽我部や毛利、上杉とはちがって
北条家に対北条軍を配置するってことは多分なかったんだと思う
一益には確かに北条家を牽制するって役はあったんだろうが
むしろ里見や佐竹芦名といった外交のほうが主だったはずだよ
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 09:22:12ID:jzR88ii9そんなに織田家と親密な北条家が信長死後は
手のひら返したように一益に襲い掛かってる
やっぱり一益の一軍は北条家に対する軍事的
脅威だったと考えるべきじゃないのかな
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 16:03:16ID:unAUpN8f0217名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 16:20:58ID:jzR88ii9降り掛かる火の粉は払わなければならないでしょ
北条と織田は敵対関係にあったから本能寺を好機と
して滝川軍に侵攻したと考えるのが自然
>>214の言うような同盟を結ぼうとしていたんなら
信長が死んだからって織田家は存在しているんだし、
いきなり襲い掛かっては来ないでしょ
少なくとも従来の北条家のイメージには馴染まない行動だよ
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 17:24:20ID:QXOIIC57それでは「脅威だったと考えるべき」の説明になってないよ
あのタイミングなら脅威じゃなくても攻撃するだろハゲ
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 18:42:11ID:Txw0mjpMハゲはひどいww
>>217
一応北条が織田に不満をもっていた、っていう解釈はできるよ
滝川が関東管領を名乗ったみたいな話は聞いた事あるし
滝川がそんなこといったら自分たちの立場がないからね
でも織田と敵対しちゃいけない事くらいわかってたはずだし
それで仲良くしてたんだよ
信長親子が死んで織田も終わったな、みたいな風潮があってもおかしくないし
じゃあ上野はいただきだってことで攻め込んだのかと
だからそれだけじゃ本能寺の変の前から北条と織田が敵対していたということにはならない
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 18:57:30ID:QXOIIC57脅威と感じるほどの強大な勢力に対しては
表面的には従順な態度を取る
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 19:35:16ID:w//MUFX8しかし徳川に甘えてそんな態度とってないぞ。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 22:24:09ID:QXOIIC57日本語でOk
0223魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/13(日) 22:34:03ID:SAWYDUor0224名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 22:38:04ID:7QgkMmUE0225奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/13(日) 22:46:45ID:F/6z2Gyi結果から推論するなら、早期に織田家に本領安堵を狙えばよかったと言ってみる。
0226名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 22:57:41ID:Whq8qiJs信玄時代からの年寄りたちに謀反起こされる
と妄想
0227奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/13(日) 23:00:05ID:F/6z2Gyi0228名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 23:07:37ID:Whq8qiJs0229奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/13(日) 23:11:39ID:F/6z2Gyi0230名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 23:13:26ID:Whq8qiJs0231奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/13(日) 23:17:02ID:F/6z2Gyi0232名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 23:18:30ID:Whq8qiJs0233魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/14(月) 00:49:41ID:WkBAxp9c勝頼の代だとやはりもう首回らない状況になってますよね…
信玄の代なら打つ手はあるかと思うんですけどねぇ
やっぱり武田滅亡の原因は信玄の代に起因してるのだろうか
0234奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/14(月) 00:53:15ID:o2n1HPQA0235名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 01:03:51ID:cqv4eITkそれに長篠以前だったら降伏しようと考えないだろうな
0236魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/14(月) 01:07:34ID:WkBAxp9c0237奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/14(月) 01:10:05ID:o2n1HPQA0238名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 09:53:28ID:2TTdNl/o甲斐一国安堵でも信玄なら怖い。
そもそも甲斐信濃で戦争なんかできんわ。
0239名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 10:32:12ID:aFAzdIIc・よりにもよって相手は織田信長
・部下は無能揃い
・しかも無駄にプライドだけは高い
ということで無理です
0240無名武将@お腹せっぷく
2006/08/14(月) 12:05:54ID:sixgfYjS国力不足及び高税率による国の疲弊が抜けている
0241名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 17:05:17ID:aBZPlcfm降伏して、その時は許されるかもしれないけど
数年後に難癖を付けられて、追放か切腹の沙汰があり武田家滅亡かと
その頃には武田家臣達も切り崩しにあってそう
0242名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:20:44ID:DyjPtRf1駿河を取って海の利があったり、
重税なのに資金難になるのはどうして?
0243名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:52:50ID:CMVtD4uu0244名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:36:34ID:OJXqiBtQ>部下は無能揃い
真田昌幸さえも無能ですか、そうですか。
0245名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:40:44ID:AEwiLMBEただ大名としては疑問。
0246名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:43:30ID:XyJO+XLN0247名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:46:38ID:Ie4QDkRrでも無能な統治者が数十万両の財産を残せるかえ?
0248名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:46:50ID:OWuFKeTZ0249名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:47:54ID:OJXqiBtQなんで俺に聞くんだよw
0250名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:53:42ID:AEwiLMBEしかも首脳部じゃないし、この時期はまだ昌幸が有能かどうかもわかってないし。
0251名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:55:54ID:2TTdNl/o0252名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 20:15:21ID:Ie4QDkRrでも無能な統治者が数十万両の財産を残せるかえ?
0253名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 20:40:48ID:nknPDeHq0254名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 20:43:07ID:BzfeC0pv0255名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 21:05:35ID:aFAzdIIc秀吉ならば石田三成みたいな奴がいなかった というか出世できなかった 重要なポジションじゃなかった
というのが一番問題な気が・・
0256名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 21:16:43ID:OWuFKeTZ0257名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 21:24:44ID:jG5bxuY8住友家の当主。
別に有能でもないやつがもっとお金残してたよ。
0258名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 21:26:44ID:hLHfdyhHお金残す事において有能でしょ?
何を言ってるんだ君は。
0259名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 21:59:43ID:Vpq1WxnX大名というか小名として凄いんだと思うが。
彼は大名になった事などない。
0260名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:00:41ID:aFAzdIIc・外敵がいないと国内がまとまらないといういまの中国みたいな状態
・最初は今川北条織田などと同盟結んで上手くやってたがバカな信玄は結局その全てを敵に回した
・度重なる戦争で国内は疲弊し金山は掘り尽くした 信虎以上の重税
・トップ(信玄)がバカなら部下も無能 最終的には単なる老害に
・村井みたいな内政面に優れた人材がいない(いることにはいたのだろうが重要な役職ではない)
滅べるべくして滅んだというかなんというか・・
0261名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:06:20ID:Ol0ZDqpQ石高が一万石を超えれば大名でしょ?
なってるでしょ?大名に。
0262魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs
2006/08/14(月) 22:17:47ID:WkBAxp9c虎昌と義信の謀反が成功していればよかったんだよ!
いや…すまん…
0263奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/14(月) 22:19:45ID:o2n1HPQA信玄の放逐が信虎のようにうまく出来たかどうかが非常に疑問。
0264無名武将@お腹せっぷく
2006/08/14(月) 22:26:53ID:sixgfYjS信虎以上の重税ってマジですか?
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:41:20ID:aFAzdIIcマジです
信長は人でなしとか信玄はいい奴とか言う奴はこの事実を知らない
つかこれを知れば大抵の奴は信玄オタをやめるわな
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:45:43ID:Ol0ZDqpQそんな事言う人いるのかね。
0267名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:48:47ID:zo9pf4Xlつ【信玄堤】
お前精神病院池よwwwwwwwww
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 22:51:13ID:Ol0ZDqpQ信玄堤作ったらなんでいい奴になる訳?
というかあんたvip臭いんだけど。
0269名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 23:01:41ID:2TTdNl/o0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 23:02:18ID:aFAzdIIcたまに信玄は善政をしいたとかいうバカがいるだろ
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 23:41:58ID:ukjteF6D確かだな。
甲州金は純度の高さで信用があり、武田氏が重量(額面)を刻印(保障)
することで、同じ斤量の金塊よりも高く交換された。
四進法の単位も江戸時代の貨幣の原型となった。立派な貨幣だね。
>>127のリンク先より
武田氏は領内の豊富な金を用いて、品質の純良な円形または長方形の金貨を発行した。
この金貨は、甲州金と称されているが、甲州金の場合、その通用価値が重量を基準として
定められるとともに、額面金額として表面に打刻されているところに特色がある。
写真の金貨の額面は「壱両」である。
このほか甲州金で採用されている額面単位は、
「両」=約15g、
「分」=1/4両、
「朱」=1/4分、
「朱中」=1/2朱、
「糸目」=1/2朱中、
「小糸目」=1/2糸目、
「小糸目中」=1/2小糸目
という4進法・2進法によっている。
この単位のうち、両・分・朱の4進法の単位は、
江戸時代の幣制において金貨の単位として踏襲された。
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 01:34:42ID:xo0PgBVC重税を課せられるぐらい統治が堅固であったとか考えられませんか?ww
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 02:28:37ID:peyucZuy一理あるが、
妙法寺記なんかの悲惨な記録見てると
民衆にとっては悪夢だったろうね。
0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 02:28:59ID:m6RjZXVs内政手腕に優れ、治水・土木工事は完璧、しかも税金は軽い
信玄の地元で勝頼の人気がないのは、勝頼が諏訪の人間である事と
税金が高かったという事が理由に挙げられます
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 09:38:42ID:C7zraKUK>民衆にとっては悪夢だったろうね。
たとえばどんな記録が悲惨なのだ?
そもそも妙法寺がどこにある寺院なのか、知ってるのか??
0276名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 11:07:38ID:KJRcV2Ej具体的に教えてください
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 13:06:40ID:Zz2ooYzIほうけ?そんなのは甲府ぐらいだらw
その甲府ですら戦前生まれの爺様婆様は信玄公ではなく
信玄さんとむしろ親しみを持った呼び方をしちょる。
バカみたいに信玄を信玄公だ、神様だ、なんだとお熱を上げるように
なったのは戦後に入ってからずら。
浅間神社の本宮問題もそうだけど、戦後に一部のバカが騒ぎ出した
愚行に過ぎない。
あと、勝頼のことを悪くいうもなにも今の甲府なんて三河から来た
来たり者が作ったようなもんやけ、勝頼の人気がないのはその来たりもんの
洗脳教育のおかげずら。甲府以外の地域の人間は勝頼(信玄もだが)なんて
どうでもいいというのが本音。
そして、信玄の地元と書かず素直に甲府の場合と書けし。あほんだら。
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 13:17:37ID:7p1sybpfこのスレでそのレベルの釣りは不可能でしょう
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 13:33:29ID:tlAELzPC税金は安い×
税金は信虎時代よりも高い○
嘘が伝わってるというのもさてはて
0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 15:44:16ID:80F6xA0n0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 15:53:42ID:VAAGVuh0織田が美濃を取る前に取る。
0282名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 16:13:38ID:bdR8PJT7そっちの地理に詳しくないんで聞くんだが
甲州から直で美濃を攻める場合の侵攻ルートって
東海道に出る以外にどんなのが考えられるだろ
要は今川領通らずに美濃に行く道ってあるんかな
飛騨高山ルートはマジでアルプス超えになっちゃうし
木曽路から美濃に入るとしても結局三河(尾張?)で
東海道に合流しちゃうし
0283名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 16:39:40ID:aTvm4Ew2飛騨以外なら、木曽谷ルートや小笠原信嶺の所領から(地名がよく分からん、妹尾だっけ?)じゃない?
そっち方面は、秋山信友が担当してた気がするけど。まぁ、美濃東部(遠山氏所領)は勝頼の代でとってるわな。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 16:43:41ID:aTvm4Ew2よく見たら木曽谷等にも触れてんな…orz
スレ汚しスマソ
0285名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 18:00:10ID:g2yyZkvGでも美濃ルートからの西上も考えて木曽を傘下にしたんじゃなかったっけ?
0286君?らいこねん ◆6oIPj/ojoY
2006/08/15(火) 18:05:57ID:JPWNUV0V勝頼でなくて景勝だったら家は残せててた気がする。
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/15(火) 19:24:48ID:tlAELzPC部下がバカだから能力が一緒な景勝でも一緒よ
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 00:03:57ID:pbt35IOH伊那・飯田からふつうに東山道(中山道)だろ?
現在でも中央高速で恵那に逝けるわけだし。
飯田城は武田の領域。東美濃(遠山・苗木)へのルートなら木曾は必要ない。
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 01:28:37ID:jHbgm08p攻め込むことも地理的には可能だろう
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 01:45:12ID:crbWC6kiそれはなかなかに難しかったりする
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 02:15:10ID:mOlRpuhV興味あるkwsk
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 02:18:07ID:bFM7Yzg3なかったか?短期決戦だったから維持とか関係なさそうだし。
0293名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 03:44:03ID:qONAO5/X山梨県南巨摩郡増穂町
毎年、飢餓で多量の農民が死ぬのが
当たり前と記録されてる。
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 08:14:03ID:qONAO5/X税金が軽い?
棟別銭の事知らないのか?
武田家は豊かな家で200文、
普通の家からは100文も
税を取ってた。
他の大名は高くても20文程度だぞ。
0295名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 08:22:44ID:5AgxAM2O0296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 09:36:43ID:Ge/oPR2r織田家は平氏
ちなみに大名級で信長に使えた源氏は徳川家だけ
よって、武田家滅亡確定
以上
0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 09:57:21ID:77rKho1U0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 10:14:50ID:iohTaeCz0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:09:18ID:HC6gnpIq0300名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:10:25ID:L+KPrsGm源氏でないと征夷大将軍になれないでしょ?
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:15:50ID:vdfq6wWt松平っていうのは源氏も平氏も関係ないくらい身分の低い土豪じゃないですか
だから都合に合わせて「源氏」という事にすればいいんだよね
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:22:05ID:L+KPrsGmあくまでも源氏は自称って事?
0303名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:24:08ID:pbt35IOH>>275
>山梨県南巨摩郡増穂町
>毎年、飢餓で多量の農民が死ぬのが
>当たり前と記録されてる。
やっぱり何も知らないらしく、まともに読んでるとは思えんな(冷笑)
おまいがネットで調べた(?)妙法寺と妙法寺記(勝山記)はもって異なる
寺院に由来するものだ。場所も「山梨県富士河口湖町小立」が正しい(爆笑)
この土地が「郡内」と呼ばれ、武田信玄の領内というよりも、小山田信茂の
直轄地だったことすらも知らないだろ?
たしかに妙法寺記には飢饉のことも書かれているが、年によっては物価が
安いことや庶民の暮らしぶりが安泰なことも記されている。飢饉の多くは
天変地異や日照りによるもの、とも。
0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 12:05:07ID:qcxSm6Zhんなこたぁない
0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 12:59:35ID:Ge/oPR2rでも、平氏が征夷大将軍になれてないじゃん
平清盛とか
信長だって平氏だし、征夷大将軍になってないのは事実
そして将軍の要請があったとか言うんだろうけど、そんな文献残ってねーし
0306名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:07:36ID:vdfq6wWt平安時代と安土桃山時代を比較してどうすんの?w
それと、信長は正親町天皇と仲が悪くて
将軍にならないだけでなく大臣職も返還してるからね
将軍になりたくてならなかったのとは違うから
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:14:14ID:Ge/oPR2r平清盛は平安時代にいませんが・・・?
頭悪いんですか?
( ´,_ゝ`)プッ×200くらいでいいかなww
0308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:15:39ID:vdfq6wWt四代目以降は藤原氏だの皇太子だのが将軍職に就いています。
源頼朝が将軍になる前は公家が将軍職に就いていました。
それと、「将軍になって武家を束ねよう」という発想を最初にしたのは源頼朝だから
平清盛の時代にはそういう発想自体がありませんでした。
平清盛が将軍職を希望して平氏だからという理由で拒否されたという文献などありません。
0309名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:16:15ID:mOlRpuhV俺も呆けたか
0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:17:35ID:vdfq6wWt中学生か?
教科書持ってたら読め
なければぐぐれ
307 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/16(水) 13:14:14 ID:Ge/oPR2r
>>306
平清盛は平安時代にいませんが・・・?
頭悪いんですか?
( ´,_ゝ`)プッ×200くらいでいいかなww
307 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/16(水) 13:14:14 ID:Ge/oPR2r
>>306
平清盛は平安時代にいませんが・・・?
頭悪いんですか?
( ´,_ゝ`)プッ×200くらいでいいかなww
307 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/16(水) 13:14:14 ID:Ge/oPR2r
>>306
平清盛は平安時代にいませんが・・・?
頭悪いんですか?
( ´,_ゝ`)プッ×200くらいでいいかなww
0311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:24:16ID:mOlRpuhV0312名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:28:31ID:vdfq6wWt296 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/16(水) 09:36:43 ID:Ge/oPR2r
武田家は源氏
織田家は平氏
ちなみに大名級で信長に使えた源氏は徳川家だけ
よって、武田家滅亡確定
以上
0313名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:31:03ID:imKc9qJl工エエェェ(´д`)ェェエエ工
めちゃくちゃひどい状況ですね・・・
0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 13:38:57ID:Tp5/Ex3l地元民としては妙法寺記(勝山記)と書く君も如何なもんかと。
もともと勝山記というのは河口湖畔勝山村にある御室浅間神社(里宮)の
社記録で、妙法寺記の写本も加筆されているもの。
言い換えれば妙法寺記のように僧が残した寺だけの記録ではなく
戦国期よりはるか前からの富士山の活動状況や周辺地域の生活等を
記した神社の記録であって厳密に言えばこの2点は似て非なる物。
0315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 14:00:41ID:vdfq6wWtまあそれはそれとして
妙法寺が郡内にあるというのは本当なんでしょ?
郡内は武田の同盟者(家臣ではない)の小山田の領地だから
武田の統治の範囲外なんだけど
0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 15:09:59ID:qcxSm6Zh清盛が征夷大将軍になりたかった、という事を初めて聞いたんだが、
文献が残ってないのなら信用できないと言うお前なら文献があるんだろう。
一体何の文献に記述されているんだ??
ちなみに「なれなかった」のと「ならなかった」のとは大きな隔たりがあるのは理解してるよな?
0317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 15:10:35ID:XsbdyWwe他の大名は高くても20文?
比較的税が安い北条でも棟別役は50文だぞ
0318名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 15:13:16ID:1W/QzT85本当だよ。(314も否定しているようには思えないが)
ただね、勝山の人にとって御室の浅間さんは誇りだし
勝山記はその浅間さんが大事に所蔵していた社宝であり
村の宝でもあるからね。
そりゃ、変に混合されては黙っておれないんだよ。
その気持ちは理解してやって欲しいと思う。
0319名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 15:57:55ID:QwQQKJ4Hできれば、武田直轄領だと最高なんだが。
しかし、これらの話だと武田軍は税を減免する代わりに軍役を大量に課した
という話は間違いだったのかな。
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 22:46:19ID:svHe6wEk0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 23:19:22ID:BtX7WTZg0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 23:33:53ID:fXzMgJlI狙ってたら新府城なんか無理して建てんって
0323名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 23:54:28ID:MUWyoOvW夢を追っていた時期があったはず
長篠前とか
0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 00:54:23ID:rDS6mMpi0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 00:56:49ID:U3uI4hwY信玄は武田にふさわしい大きな城を築城していたのか?
おしいですねえ。
0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 01:15:37ID:+LJu6eXuその発想は安土城から始まって秀吉の時代に定着してそこで終了。
江戸期には身分相応の小さな城にしないといけなくなったよ。
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 03:00:47ID:JpE/1PXW信長が桶狭間で戦死していれば、長男死なず(まあ義元死んだ後攻めたかもしれないが)
で武将として勝頼も活きて、滅亡はなかったんじゃない?
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 03:52:31ID:BHE4EBDX信玄が早めに死んだらよかったんじゃね?
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 04:12:36ID:+LJu6eXu307 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/16(水) 13:14:14 ID:Ge/oPR2r
>>306
平清盛は平安時代にいませんが・・・?
頭悪いんですか?
( ´,_ゝ`)プッ×200くらいでいいかなww
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 07:44:21ID:l7ueHa/f参考にならんって事は残念ながらない。
棟別銭の豊かな家200文、貧しい家100文は大変な重税だ。
北条氏も最初は50文だったが後に32文に減額した。
それで甲州法度にある規定では
一 棟別銭は逐電したり死亡したものがいたら郷中で弁済せよ。
一 家を捨てあるいは売り国中をうろうろしている者はとことん追いかけて聴衆せよ。
というような項目があり、棟別銭が払えず逃げ出した連中も
たくさんいるのは確かだ。
ただし半農半士が年貢を減免されーたという話しだけは本当だ。
0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 07:49:53ID:l7ueHa/f甲乱記とか武田三代軍記には
武田滅亡の時、日ごろ年貢を大量に取られた恨みで国中の農民が蜂起し
武士の屋敷を遅い、財産や妻女を奪おうとしたため、
東に所領のある武士は西へ西に所領のある武士は東に逃げ
中には穴山や小山田の領内に逃げ込む者もいたと書いてある。
実際、勝頼が新府を焼き天目山に落ちようとしたとき、
武士も人夫も集まらず200人程度で城を出たという。
0332名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 10:51:54ID:uWQc5Nf7でもそういうのは織田の謀略で起こってるのかも知れないじゃん
武田領の時に民衆の支持を下げておいて、織田と徳川が占領したら
「ああ、織田様・徳川様に助けていただいた」となるように
やろうと思えばいくらでも出来るよね。
0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 11:00:23ID:1tkPJE+a河尻(織田)が甲斐の領民からヌツ殺された理由が説明できん。
0334名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 11:38:39ID:AsbWeIBEヒント:徳川家康
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 11:55:14ID:uWQc5Nf7親父がやった延暦寺の焼き討ちみたいに
そこにいた人を逃げられなくして焼き殺したんだとか。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 13:01:00ID:JaTIYPEc0337名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 14:50:37ID:D5vgj25f信長の比叡山焼き討ちもそうだが、意味がないなんてことはない。
恵林寺は六角義治他武田旧臣など織田に反抗して降服していない連中を匿っていた。
その引渡し要求を蹴ったので、戦闘となった。
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 15:21:42ID:uWQc5Nf7延暦寺の焼き討ちは政治的な意味があったけど
恵林寺の焼き討ちは逆効果でしょうに
戦闘じゃなくて一方的ななぶり殺しだし
0339名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 15:56:43ID:2fdg1z+O棟別銭の話は最初から武田氏のものか。
妙法寺記だか勝山記だかって方が、小山田の話か。
ごっちゃになってたよ。
0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 15:58:51ID:CBOhUJVJへえ、徳川家康が裏で糸引いてたなんて初耳だな
で、その根拠は?まさかきみの妄想ではないだろ
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 19:04:42ID:l7ueHa/fおいおい・・・・
武田が200文or100文の棟別銭を取ってたのは
間違いないんだよ。
甲州法度にそう書いてある。
とりあえず、人の話にケチつけずに「棟別銭 武田」でグクってみろ。
0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 20:06:04ID:l7ueHa/f「領民」とか言ってるが
戦国時代の一揆というのは
江戸時代と違って農民主体ではないのだがな。
あくまで指揮するのは武士だ。
例えば「葛西・大崎一揆」とか
関が原の時の「越後の旧上杉家臣の一揆」とか
明らかに武士主体の蜂起も一揆と表現する。
ようするに川尻を殺した一揆勢とは純粋な百姓とかではなく、
織田家に支配される事で土地や権力を失った
武士や半農半士といった連中だ。
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:20:42ID:B1CH6Vq3ストやデモ(強訴)など、それが起こす行動とはまた別。
戦国期以前は当然、武士主導の一揆、或いは武士同士の一揆も起こるが、
それ以外の一揆、馬貸し一揆(現在で言うところの運送業)なんてのも室町には起こってる。
0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:28:45ID:2+pwa8Dn文句なんか全然つけて無いんだが…
普通の年貢はかなり安かったらしいが、まぁ200文を埋めるほどではないんだろうな。
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:50:48ID:D5vgj25f本能寺の変後、家康は甲斐の土豪たちの所領安堵を大量に発している。
まだ川尻秀隆が生存中にね。どうして家康が織田領である甲斐の土豪
にそんなものを出せるんだ?その後決起した一揆によって川尻は死亡。
後に乗り込んできた家康に対して甲斐の土豪は何故か抵抗することなく
そのまま服従。不思議ですねえ。
ちなみみ、この文書は現存している。
ああそれから。武田征伐時に織田が武田旧臣を大量虐殺して、家康が
それを匿ったからとか言い出さないように。
これは家康顕彰そして甲斐支配を正当化するためのプロパガンダだから。
0346名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 21:57:00ID:C8PPAw+a>この文書は現存している
ソースは?
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/17(木) 23:16:12ID:xgMOamYh0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 00:13:44ID:Ak2gvVGK甲州伝ってやつが古本屋にあるから読んでみ
江戸時代に作られたもんやから、本物か知らんが
0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 00:21:58ID:FvxAmSuy小牧長久手の条で終わってるところに、小幡が旧武田武士団の晴れ姿を
描いたという説もあるね。つまり、家康の配下になった武田旧臣の晴れがましい
戦いだったと。「軍鑑」が徳川本家の治世教典(?)になったことからも、
この仮説は信憑性がある。
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 01:23:39ID:TQ4yJUh1「この文書」は>>345の一行目の
>土豪たちの所領安堵を大量に発している。
にかかるんじゃないの?
だからこの場合、軍記などではなく所領安堵状を出して貰わないと困るんだが。
0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 07:02:06ID:Ak2gvVGKじゃあ、お前は信じなくていいじゃね?
ウザいよ
0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 07:45:24ID:EobUh/r2議論に勝ちたい、と
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 07:47:05ID:VVgilk8E0354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 08:09:30ID:BGA70UAn本物か知らんがって>>348であんた自身も書いてるんだから
自分自身も半信半疑なんでしょ?
なら、そんなに必死にならんでもいいと思うんだけど。
0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 08:43:19ID:X3lX260Qというか「出す」てのはどこにあったか、どこで見たか言えば言いだけじゃないのか…?
自分で「所領安堵を大量に発している」と言い切ってるんだから見たのは確かなんだろ。
後は見たい奴が自分でそれを探して見れば良いんだし。
所在を明かせないようなレベルの史料でもあるまい。
0356名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 08:50:11ID:3XjpXViE0357名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 10:46:26ID:bWltSlKN0358名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 10:55:55ID:X3lX260Qいいんじゃないかと思っただけなんだが……
何か聞くのが失礼なほど既知とか、機密性の高い史料とかだったのならごめん。
0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 13:37:33ID:RxacKpi2織田信長か信忠。
0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 20:27:55ID:QVSkJOHx駿河くれてやってもいいから同盟
信康側室に武田の姫を入れる
怒った信長はまず家康を討とうと
するはずだからそこからどうするか
0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 20:52:16ID:VJUdg9V10362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 20:59:03ID:npWcwe/0徳川くらいなら武田が踏み潰しますから
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 00:22:42ID:dJYoQ2+a毛利・上杉と反織田包囲網を形成、二万五千をかきあつめて
三河・美濃へ同時侵攻する。見方が原で徳川を蹴散らし
翌年の農繁期前を目処に上洛を目指す
0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 00:53:54ID:5T3w7D6G天正9年の段階で、武田上杉毛利の反織田包囲網はまだ健在だったんだが。
それでも史実ではどこも守勢に回り、攻勢なんてとれずに終わってますが。
だいたい天正9年の武田なんて、織田どころか徳川ともロクに勝てなくなって
いるんだが(背後の北条の存在があったとはいえ)。
0365sage
2006/08/19(土) 01:14:55ID:KzIfaFik信長が上洛して西へ勢力を拡大していた。慌てて西上作戦とかやっても
後の祭り。
例えて言うと引き潮の時、浅瀬を渡り沖の小島で魚釣りをする。
まだまだ釣れるぞと時を忘れ釣り続ける。気が付くと潮が満ちて
来て元の所へ戻れなくなる。時を巧く使えなかった武田に生き残る
のは難しい。
0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 02:14:41ID:8EA2oUht0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 04:54:25ID:5UHbDq/d信濃・駿河を割譲
勝長を養子
↑これで安泰だろ
0368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 04:59:08ID:Yr+tQvJu0369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 11:13:11ID:5T3w7D6G国力的には武田が上だが、軍事的にはほぼ同格?
なにしろこの後の徳川は、織田に援軍を要請することなく単独で三河・遠江の
失地を回復していった。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 13:35:30ID:YKbG55pAそういう単純な話じゃないよ
武田は四方に軍事力を分散させなければならないのに
徳川は対武田に集中投入すればいい
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 14:28:25ID:5T3w7D6G長篠以降の武田は、まだ北条とも上杉とも結んでいて四面楚歌にはなっていない。
その時期に徳川は単独で武田と戦っている。ついでにいうとこの時期の織田は武田
眼中になしで美濃尾張の支配者信忠は謹慎くらったり播磨に援軍に派遣されたりで
武田に対する軍事行動はまったくない。つまり、武田徳川両者単独で勝負。
武田が北条を敵に回してどうにもならなくなるのは御館の乱以降。
0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 14:50:14ID:YKbG55pAでも武田と徳川が全兵力を使って全面対決したという事実はないでしょう
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 15:53:25ID:A/DhEhVl三方ヶ原の教訓で
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:17:30ID:YKbG55pAいや、だからぁ、そういう話をしてるんじゃなくてね
1つの発言だけ読んでレスするんじゃなくて
流れを読んでレスする練習をしようや
366「長篠以降の武田と徳川の力は同格ですか?」
369「徳川の独力で武田に当たって失地を回復していたので兵力は同格ではないか」
370「四方を敵に囲まれた武田と徳川では使える兵力が違うのでそれだけでは推し量れないのではないか」
371「当時はまだ囲まれていないので両者とも相手に全力投球できるはずだが」
372「長篠以降の徳川の失地回復戦で両者が全兵力を使って戦った事実がないのでやはり推し量れないのではないか」
373「 」
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:43:35ID:bpjvo9w80376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:48:55ID:QkfpwoKJ0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:50:50ID:YKbG55pAママみたいに優しく教えてもらいたかったの?
0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:56:14ID:QkfpwoKJ0379名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 16:57:02ID:bpjvo9w8>>377
だからその上から目線な態度は何とかならんのか?
普通にレスすればいいやん。
0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 17:04:30ID:QkfpwoKJ0381名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 17:08:10ID:Yr+tQvJuお子様ランチだから許してやれよ
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 17:15:32ID:QkfpwoKJ0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 17:32:27ID:QkfpwoKJhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155976161/l50
0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 17:53:30ID:ZqgTosxl今更だが、その論争、
武田と徳川の兵力が同格とかいうのは
無理ありすぎだね。
徳川は全兵力を使えるが
武田にとって遠江あたりは一部でしかないからね。
ましてや北信濃や上野の兵なんて
そう簡単には使えないだろう。
0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 19:22:50ID:YGM1gsY6分散するってことはそれだけ国がでかいってことだ。
織田は徳川以外の全方向から包囲されても全部打ち破ってる。
ID:YKbG55pAはなんか勘違いしてんじゃないか、同兵力同士でのフェアな戦いなんて
あるわけない。
強い奴はそれでも勝つんだよ
0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 19:37:47ID:bWJM8SCe戦国の世に生を受けていたら迷将として名をはせていただろう。
0387名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 20:14:22ID:5T3w7D6G兵力を集中できなかった、とか、国力的に大軍を動かせなくなったというだけ
のいいわけだよな。
>>385も言っているが、信長は全方位を敵に回して兵力の集中運用で打ち破った。
で、武田は?
0388名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 23:59:44ID:QXg5TzNQ0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 00:04:19ID:Pxp6bCfJまだ分かってないのはお前だけ
「武田が徳川に言い訳」とかそういう話をしているのではなく
単純に「武田と徳川の兵力はどうだったか」という話をしているんだよ。
それが分かってないからお前一人だけ流れと違う勘違い発言を続けてるんだよ。
0390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:03:23ID:0dYvBjPH信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。
【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。
【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:38:32ID:Pxp6bCfJ0392名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 02:48:43ID:RYpX/tpy単純に、(長篠以降の)武田と徳川は兵数はともかく軍事力は同格だったと言ってる
のに、やれ周囲が敵で兵力を集中できなかったとかなんとか言い訳を言い出したのが
お前。
0393名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 03:38:35ID:U/ZiC8Ds0394名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 03:56:19ID:Pxp6bCfJ話の流れも読めないんだったら書き込むなよ
夏休みの宿題でも片付けてろよ・・・
アフォでも分かるように>>374で要約してやってるのに・・・
0395名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 03:56:37ID:B1zlXR/U徳川と武田と互いだけを攻めれる状況だったが、全力でぶつかった記録が無かったので、
軍事力が同格かどうかは測れないのではないか?という話だったんじゃなかったけ??
0396名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 07:00:41ID:xQcksKDTそもそも、ここ自体が矛盾してるような・・・・
0397名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 08:34:00ID:UTed88nC武田は国力が疲弊していたんだ・・・・!
0398え
2006/08/20(日) 08:34:45ID:AQTHHCHAこれしかない
0399名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 08:42:44ID:UXEICiMN信長はもっと簡単に落とせそうな気が・・・
0400名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 08:49:59ID:GYL6Cwo70401え
2006/08/20(日) 08:56:56ID:AQTHHCHA結果論になるがリスクを侵してでも信長より先に美濃をとるべきだった。
越後の戦争狂に北信濃を譲渡し不可侵条約を締結し北条今川との3国同盟を
を生かして全軍をもって美濃に侵入する。
そして総力を結集して稲葉山城を陥落させ本拠地を美濃に移す
足利義昭が上洛の救いを求めたのは信長ではなく信玄だったかもしれない
0402名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 09:07:17ID:UXEICiMNいやいや、織田から見たら稲葉山城なんてすぐに日帰りで行けるじゃん
それでも力攻めで落とせず10年かかって調略で落としたんだよね
信玄が稲葉山城を落とそうと思うと甲斐から出発して諏訪を通って
斉藤の領地を通って到達できますかね?
それが出来るんだったら長野平野の防衛のために生涯を費やさなくても
春日山城を落としてしまえばいいんじゃないの?
0403え
2006/08/20(日) 09:28:19ID:AQTHHCHA美濃攻略のためには当然本拠地を信濃に移す必要がある
武田の美濃侵攻の成功率は所詮ifなので安易に予想することは出来ないが天下取りと武田家の存続という観点から見れば10数年にわたって川中島で北信濃の石高ごくわずかの領土
をめぐって越後の狂人と激戦を行うよりはこれを手なずけ美濃に侵攻したほうがはるかに有意義だったように思う。
武田の美濃侵攻が成功すれば信長の台頭も抑えることができたし
京都に武田菱の旗を掲げ天下に号令することも可能だったかもしれない
0404名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 10:29:30ID:A2t/o6oQ0405名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 10:56:00ID:+6o1o3xz美濃に長期遠征してる間に上杉にやられる点はどうすればいいんだ?
まぁ仮に戦争下手の信玄が稲葉山城を取ったとしよう その間に信濃を取られて甲斐は孤立
ここから先どうするんだ
0406名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 10:57:11ID:AK6o5Ragだいぶ変わったと思うよ
0407名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 10:58:13ID:UXEICiMN本拠地を諏訪に置くとか領内の道路網を整備するとか
いろいろやっても難しそう
しかも信玄から見たら信長が脅威になるなんて事はもう晩年の話で
信長が美濃を取った後の話だし
三国同盟が成立した後に信玄がまずやるべき事は
本拠地を諏訪に移転する事だった。でもこれは不可能に近い。
それなら道路網を整備する必要があるがそれも国防の観点から何もやってない。
信玄がやったのは川中島から甲府までの狼煙通信網の整備くらい。
0408え
2006/08/20(日) 11:14:48ID:AQTHHCHA私はあえて北信濃を思い切って上杉に譲渡するのもひとつの手だと思う。
その上で両家に婚姻を結び上杉と不可侵条約を結ぶ。
結果論だが武田と上杉は川中島で決戦を行う必要性はなかったと思う。
謙信は中央よりも関東管領の虚名に酔いしれ関東の沃野に関心があった。
上杉をうまく手なずければ美濃を攻略しその後は浅井と同盟を結び上洛することも出来たし美濃から
南下し信長を滅ぼすことも可能だったかもしれない。
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 11:53:47ID:yhYgXua2そんなに簡単に不可侵条約や同盟なんか結べると思ってるのか?
第一武田に信長が10年かかった美濃を攻略できるわけない、箕輪城に20年もかかった奴なのに。
浅井が武田と同盟して何のメリットがあるかも不明だ、むしろ混乱に乗じて美濃を取ろうとするだろ、
信長も同じようにする。
0410え
2006/08/20(日) 12:08:52ID:AQTHHCHA私は仮定を述べているに過ぎない
上杉と不可侵条約を結べるわけがない
美濃を攻略できるわけがないと断定するのならこのスレッドが
そもそも不要ということになる。
上杉との決戦を避けリスクを侵してでも美濃を獲り中央に進出すべきし
というのが私の武田滅亡を防ぎうるプラン
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 12:23:11ID:aiixr5QY当然後者のほうが美濃攻略は容易だろう
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 12:27:03ID:UTed88nC0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 12:36:19ID:C417WSw40414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 12:36:21ID:hS3h6l97現代人が考える以上に甲斐→信濃→美濃の行軍は
困難だったんだろう
雪に閉ざされたらアウトだし補給も大変
0415え
2006/08/20(日) 12:45:32ID:AQTHHCHAそれは言えてる
武田の美濃侵攻には兵農分離と本拠地の移動が不可欠だったのだろう。
それが出来た信長と一生甲府盆地から拠点を動かさず農民兵に依存し続けた信玄の差は
我々が考える以上に大きいのかもしれない。
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 13:23:47ID:0dYvBjPH「恵林寺領御検地日記」には、
御給衆 12人 検地高 79貫 免除79貫
軍役衆 17人 検地高 60貫 免除37貫
惣百姓 79人 検地高134貫 免除61貫
御給衆(専業武士)軍役衆(半農)のみが兵力で、
俗説の「農繁期に戦えない」はウソ。
織田や上杉も同じような構成。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 13:34:25ID:C417WSw40418名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 13:42:09ID:KsRzjcYf0419名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 14:31:14ID:xQcksKDTだから上野攻略は全然うまくいってない。
そんな例え出してどうする?
0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 14:34:39ID:xQcksKDTどうやって美濃一国を持つ斉藤氏の稲葉山城を落とすんだか?
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:12:06ID:ESJF3TIl0422名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:21:25ID:hS3h6l97美濃>>>>>上野
0423え
2006/08/20(日) 15:39:53ID:AQTHHCHA長野氏にてこずったから武田には美濃を攻略出来ないという間接比較は
あまり意味がないのではないかな。実際に武田は斉藤氏の治める美濃に侵攻してないわけだから。
それと斉藤氏は美濃一国を持つといっても専制君主ではなく各豪族の集合体の長という脆弱な基盤の上に成立
していたので
付け入る隙はいくらでもあったと思いますね。
本拠地を信濃に移動し絶え間なく侵攻と調略を繰り返す。
信玄が川中島に注いだ十数年に及ぶ無駄な努力を美濃攻略につぎ込めば
不可能を可能にすることも出来たと思いますね。
また武田が美濃に血眼になることで武田を恐れる信長の美濃侵攻を抑える
ことが出来たかしれない。
。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:53:28ID:3QyEC1HP0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:53:37ID:g2csi57v0426名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:54:44ID:YoCEX9kX0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 15:55:19ID:xQcksKDT武田にはムリぽい。
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 16:00:57ID:U/ZiC8Ds0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 16:14:31ID:di8VclHjそれまで通り北条と同盟関係でいられるのか?
ついでに信長が美濃に手を付ける前の1561年ぐらいを基準に国力考えると
武田は北信濃譲ったとしたら甲斐と信濃上野の一部で多めに考えても60万石
当時の織田は尾張+水野で60万石弱
服部と織田信清と水野除いても織田は50万石ぐらいはあるのでは
それほど織田武田に差は無い
0430え
2006/08/20(日) 16:38:16ID:AQTHHCHA仮に北信濃譲って上杉と同盟したとして
それまで通り北条と同盟関係でいられるのか
北条の当面の敵は上杉。これ以上周辺に敵は増やしたくないだろう。武田と上杉の
不可侵条約を苦々しく思うも黙認するしかないのではないかな。
下手に武田に喧嘩をうって上杉と武田に関東方面で共闘されては戦略論としては下の下
だろう。北条から武田と
を刺激する可能性は限りなく低いように思われる。
>>それほど織田武田に差は無い
当時の武田が織田に上回っていたもの・・・それはぽっと出の出来星大名に過ぎない
織田氏と比べて甲斐源氏としての名門と
声望と甲府・信濃・上野で激戦を勝ち抜いてきた兵員の質だったと思う。
所詮はifでしか語ることは出来ないが当時の織田に出来て武田には出来ない
ことはないと思う。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 17:03:02ID:di8VclHj過去に武田と今川が婚姻した時敵だらけにも関わらず今川に喧嘩売った
武田が今川攻めた時上杉や関東諸勢力という敵がいたのに武田に喧嘩売った
御館の乱時に関東に敵がいるのに武田と敵対した
北条の行動から考えると・・・
まあ血筋はどうしようもないが激戦を勝ち抜いてきた兵員の質と言う点では
織田も激戦を潜り抜けている、武田よりも不利な情勢での戦いが多かった分
兵員と将の質では劣ると考えることは難しい
また織田は美濃に様々な人脈がある、森坂井金森など美濃出身者も多い
遠山氏とは縁がある、大垣は一時期織田の占領下、正室が斎藤家
あと北信濃譲るってどこまで譲るの?
小笠原領の返還は不可能だろうけど
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 17:37:23ID:yhYgXua2>していたので 付け入る隙はいくらでもあったと思いますね。
>>430
おまえ専制君主の意味わかるか?専制政治を行う君主だよ。
戦国大名に専制君主なんているわけないだろ、全部御恩と奉公の関係。
政治は地方領主との合議制で成り立っている。信長は専制君主を目指していたようだけど。
だから斎藤に限らずどこの大名でも付け入る隙なんてあったわけで。
おまえの理論で言えば武田も脆弱な基盤の上に成り立っているから美濃侵攻なんて
無茶したら上杉や今川に付け入られてるんじゃないの
0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 17:43:50ID:di8VclHj>していたので 付け入る隙はいくらでもあったと思いますね。
まあこれは長野氏にも言えることだな
史実でも各豪族を離反させて箕輪を落として領土にという流れだし
0434名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 18:25:40ID:+6o1o3xz美濃に一軍を置いた場合は信濃を取られ(上杉と同盟? 和睦? 無理に決まってんだろ もし上手くいったとしても甲斐ごと北条に食われるのがオチ)
甲斐は孤立する 美濃を攻めたりその領土を守ったりするのにはほとんどの兵が必要なので甲斐も速攻で奪われる
勿論豪族達の裏切り続出(←これが一番重要) はい、武田崩壊
0435名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 18:56:09ID:Q9YOov70同じ横に長い東海の今川と違って山間部だから兵の移動も時間がかかる。
信長並に兵力の集中運用ができたとしても守れそうにないのに、
信玄にこの領地を維持・拡大できるとは思えない……
0436名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 18:58:38ID:di8VclHj50万石ほどだから単独でも十分対抗できる
それよりも信玄からの独立の可能性の方が大きそう
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:26:24ID:U/ZiC8Ds0438名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:27:42ID:xQcksKDT美濃に攻め込むってのも歴史ゲームみたいで変だ。
特に武田って考えが古くさいからな。
特に攻め込む口実も何もない美濃に
突然、攻め込むとは思えないんだが。
それよりも紛争が続いている北信濃や上野に粘着し続けるほうが
信玄らしい。
0439名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:45:07ID:3E0Qi1WQ0440名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:51:32ID:yhYgXua2やらなかったのはできなかったからだ、信玄は甲斐で精一杯。天下など思いもよらない
極々普通の地方大名でした
0441名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:57:09ID:hS3h6l97まあ一応「やらなかった」=「できなかった」の他に
「できるけどする気がなかった」って理由も考えられるけど
確かに信玄に関して言えば前者のほうが理由として強そうだ
0442名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 19:58:27ID:di8VclHj現地の兵じゃないの
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 20:00:17ID:di8VclHj0444名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 21:57:07ID:Efzt80ka0445名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 23:02:49ID:C/9wh//x謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。
※謙信自身が敗北を認めている書状↓
晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日 虎(花王)
[三洲寺社古文書]
【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。
1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。
上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。
謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである
本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0446名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:35:47ID:Ye3+8w8x416にも書いてあるけど、半農武士を専業化した所で、その分農作業の働き手が減るだけだよな?
生産能力を落とすのって致命的過ぎないか?
それに、奴隷狩りなんかで刈ってきた連中を農作業に使ってた、って話もあるわけだし
だったら、半農武士が農繁期に農作業し続けないといけない理由がわからない。
奴隷使えば、農繁期に出動できるんじゃないのか?
0447名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 02:40:46ID:X3dt2Row農繁期に徴兵されることや練兵ができないことのデメリットを考えろよ。
鎌倉時代の三流兵学者と同じこと言うなアホ
0448名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 02:41:16ID:WRRrx5gl夏休みが終わるまで書き込むのやめようかな
0449名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 02:58:57ID:Ye3+8w8x0450名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:09:47ID:Ye3+8w8x実際、官僚化してしまうとかえって武力は落ちるんじゃないのか?
国民皆兵の方が、より近代的だと思うし。
0451名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:19:39ID:topecO9e例えば奴隷を使うにしてもその奴隷の食料はどうする?
それに昔は人口が今程ないし大量の奴隷をどこで集める?
地方大名がそこまで財力があるか?
農村は訳の分からない連中に留守を任せられるか?
武士は武装農民が起源だし江戸時代みたいな下級武士と農民の区別がされてないが?
0452名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:26:55ID:WRRrx5glここは中学や高校の日本史レベルの話をする場じゃないんだぞ
0453名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:27:44ID:Ye3+8w8x留守中に誰も居なくなるわけじゃないでしょ?人口の数%しか徴兵されないわけだから。
残った人間が奴隷を指揮すればいいんじゃない?
武田家が大量の奴隷狩りをしていたというのだから、問題ないでしょ。
兵糧も現地調達するんだから、奴隷も調達すればいいんじゃないの。
それに、兵農分離するとやっぱり動員も農業労働力も減ると思いますが?
なぜ、武田家が兵農分離すべきだったのかわからんのです。
よく、武田家は兵農分離できなかったから滅んだと言われますが、
未分離である事が武田家にとって、最上の策だったのではないのですか?
0454名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:39:13ID:X3dt2Row信長や秀吉が兵農分離を進めるわけない。特に戦国で四六時中戦っていなければ
ならない時に農繁期なんで長丁場はできませんなんて話にならない。信玄や謙信も
その辺の理由で苦労しまくってるしな。
常備軍の有用性はイェニチェリやストレリツィの恐るべき強さを見ればわかると思うが。
0455名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:43:44ID:Ye3+8w8x兵農分離による働き手の減少(専業化させるわけですからそれだけ労働力は減りますよね)、それによる生産力の低下は、致命的な財政危機を招くと思うんです。
やっぱり武田には未分離しかないんじゃないかと。
武田が兵農分離すべきだった、ということはないと思うんです。
0456名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 03:56:33ID:x6ubExrF0457名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:06:54ID:5FouZFFb織田、豊臣、徳川といった中央政権の途方もなく大きな経済力が前提であって、
武田、上杉とかにとても真似できる代物じゃないだろう。
そもそも、武田は兵農分離じゃなくても、
棟別銭200文なんていう破格の高税を領民にかけてたくらいなのに
どうやって専業軍隊なんて維持する金を摘出するんだか?
0458名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:11:16ID:5FouZFFb>16世紀以後の世界で常備軍が普通、だいたい半農兵士の方が効率がいいのなら
江戸時代では徳川は良いとして
諸藩は兵農分離は財政逼迫を引き起こした。
そして皮肉にも江戸時代に入ってからも
兵農分離を行っていない。
薩摩、長州、土佐の各藩が倒幕に成功したというのは面白い。
0459名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:37:09ID:OAgQYYpQ西洋の常備軍と信長秀吉の常備軍構想は根本が全く逆
このスレにそれ関連のレスがあるから最低限それぐらい目を通せ
0460名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:42:24ID:WRRrx5gl>薩摩、長州、土佐の各藩が倒幕に成功したというのは面白い。
ほらほら、もう少しちゃんと勉強しようぜ。
0461名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:44:54ID:WRRrx5gl>兵農分離による働き手の減少
まずは「どういう立場の人間が専業の兵士に志願したか」
という事をきちんと調査した上で書き込んでくれ。
それが分からなければこれ以上アフォな事を書き込んで荒らすのはやめろ。
0462名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:44:58ID:Ye3+8w8x基本は合議制だし、わざわざ金をかけてまで領土拡大をする気はなかったのかもしれん。
0463名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 05:00:03ID:Ye3+8w8xいや、兵農分離って
在地の武士を上のクラスだけじゃなく、ある程度下のクラスまで
城下町に集住させるものでしょ?
例えば、このソースとか。
ttp://www.sky.sannet.ne.jp/kyoshio/furuya/nazo/nazo12.html
半士半農を、士か農かに分離した。
>専業の兵士に志願
これは傭兵でしょ?主に農家の次男三男や流れ者が志願した。
元々農家じゃ別に動員と変わらない。働き手が減るのは同じ。
流れ者じゃそもそも「農」じゃないので、兵農分離じゃない。
0464名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 05:10:19ID:Ye3+8w8xまた、すべての武士が分離されたわけではない。
最下層の地侍あたりは、そのまま残された。もちろん、有事には動員されてる。
ただし、指揮官は兵農分離された武士だったりする。
指揮官クラスの方は土地から分離されているので、
徴兵される側としてはよそ者に指揮される事になり、いまいち士気が上がらない。
0465名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 05:15:35ID:WRRrx5gl0466名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 05:19:04ID:+YvXZXQgttp://www1.ezbbs.net/cgi/reply?id=silver-owl&dd=36&re=404
0467名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 05:28:04ID:BxyPIB25向こうで語ると過去スレで既出とか言われちゃうから、こちらへ来たんですか?
0468名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 06:45:38ID:5FouZFFb薩摩というか島津領の兵農未分離は有名だが、
というか半農半士が圧倒的に多かったんだが。
長州に関しては領地を減らされた事で半士半農を作らざるやおえなかった。
土佐は有名な上士と下士の制度ね。
長宗我部家の武士は下士として差別され、
ごく一部を除いては農業義務があった
0469名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 07:00:37ID:hknbIDBl夏厨ごときそんな叩くなってw
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/game/1155916160/
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/game/1148836016/
このスレみたいにマターリいこうよ。
0470名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 07:33:55ID:WRRrx5glまだ間違いに気づいてないのかw
本気で間違えてるのかwww
0471名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 12:19:33ID:U+lQUGZh何処が間違っているんだ
合ってると思うが
0472名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 15:17:20ID:7WPA1FtKちゃんと>でヒントを出してもらってるのに?
0473名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 17:47:22ID:3kUfbJ3/坂本竜馬は土佐の藩士でもない
0474名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 21:22:10ID:N5MBa07T武市を始めとする非主流が討幕派
0475名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 03:31:45ID:FGZNbJpv0476名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 04:40:34ID:R2eymqSU藩士ではなく藩から碌はもらえないので大抵は農業を営んでいる。
ただし武士なので苗字を名乗る事と刀を持つ事を許可されている。
NHKの連続テレビ小説「おしん」を見た人には
「おしんの旦那の実家」と言えば分かってもらえるだろう。
坂本竜馬のような土佐の郷士は、
関が原で長宗我部が滅んで山内一豊が入った時に
山内の家臣には取り込まないけど土佐に残る事を許可された
旧長宗我部家の家臣たち。藩とは一切関わりがない。
0477名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 04:49:22ID:sY96lpNq郷士のような半農の人間の力はすごかった、って事が言いたかったんじゃないかと思うんだけど。
専業武士より、奇兵隊の方が強かったりするのと混同してる可能性はあるけど。
0478名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 05:54:16ID:sY96lpNq8月から9月に行われてる。おもいっきり農繁期。しかも2万人近い動員。
1553年4月、1555年10月、1557年4月、1561年9月、1564年8月
ほとんど農繁期だった!
0479名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 08:14:00ID:639H7DnJおいおい・・・
戦国時代の月と現代の月を一緒にするなよw
アフォかお前はwww
0480名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 08:43:38ID:sY96lpNq旧暦8月は収穫ど真ん中だと思うが?
旧暦4月は田植えど真ん中だし。
それに、ほとんど一年中出兵してるようだぞ?
0481名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 08:52:07ID:SA2n1GVV農繁期は九月だと思うけどな。
0482名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 09:46:20ID:f4349fLwどっちみち中途半端な知識しか持ってないもの同士なんだから
仲良くしようよ。
0483名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 11:53:38ID:fb+fnrUbその地域やその年の気候によるから
ゲームみたいに画一的に「何月だ」と決めつけるのはアホ
0484名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 12:59:25ID:nZYsDaDe0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 13:13:40ID:HslwPE1e0486名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 14:38:33ID:SA2n1GVVhttp://www.toukei.maff.go.jp/dijest/kome/kome05/kome05.html
これによると山梨の稲刈りの時期は九月下旬だ。
ただし、状況によってある程度ズレるのも事実だろう。
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/22(火) 23:28:35ID:KVLldTIw0488名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 07:11:21ID:foEpFSkIこれがメイン。兵農分離について激論がされている。未分離派は農繁期でも出兵している事を挙げている。
ttp://makimo.to/2ch/hobby5_warhis/1117/1117827440.html
50,61,72,74,79,96,102,115,131,145,153,296,336,352,367,387,388,390,391,394,431,496,665,708,722,795
529に織田家の兵農分離の話があるが、越前の話で一向一揆の再発を潰すためのもの。
659は、月別出兵数
696,687は田植えの時期。確かに、田植えは旧暦5月、稲刈りは旧暦9月と書いてあるな。
ただ、668,684、このスレの486の話もある。これによれば、旧暦3月・旧暦8月となる。
しかし、686,699のとおり出兵している。月平均の割合は8.3%、4月・5月の割合はそれぞれ7%・8%9月は11%で平均以上
武田は、稲刈りの時期に出兵することが多いそうだ。稲を頂こうという算段だろうか?
701で信長の出兵例。むしろ信長の方が5月9月は少ない。
808,810領地換えの話
補足
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1140/1140425180.html
768
ttp://makimo.to/2ch/hobby8_warhis/1131/1131364515.html
52
とりあえず、兵農分離しなくても農繁期の出兵や長期出兵を普通に行える事は証明されたんで満足。
0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 07:16:52ID:foEpFSkI土佐で倒幕に参加した郷士の力が大きかったのは確かだろうし。
0490名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 11:40:04ID:DETGlvje土佐「藩」は倒幕とは関係ないだろハゲ
0491名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 12:32:52ID:jFpWL5Wqはっハゲ!
なぜバレタ。。。。
0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 20:00:51ID:/k/YhzYW川中島の合戦は
主要な二回以外は疑問視されてるんだが、
もっとも甲陽軍艦に書かれているような大規模な動員ではなく
小競り合い程度ならあったろうけど、
>>488
うーん、定説を覆す話しだし、
そんなに簡単に結論出してはいかんと思うが。
もっとも学会に発表するわけでもなく、
単なる2chの討論レベルなんだが。
0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 21:10:06ID:YYca1k/M0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/23(水) 21:58:15ID:xnElqMpW兵糧の現地調達
0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 01:13:55ID:kxQ89tcb武田が農繁期に出兵してるというのは正しいだろ
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/24(木) 06:21:28ID:waX1Q3t90497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 12:55:58ID:sQW8kcTQ国を疲弊させた
討ち滅ぼした娘は嫁にしちゃいかん豊富がいい例だ
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 13:03:16ID:gIzZegLm0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:28:09ID:lLPw8xYO0500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:31:57ID:5qACzwmBそれで家中統制が中々取れなかった、と言いたいんじゃないの?
それが真実かどうかは知らんが。
0501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 00:16:33ID:v26YgGv40502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 06:49:51ID:kiuFJhb00503名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 11:59:14ID:qNBhlOgz0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 12:12:12ID:W4EnkYQq本当にウザいな。
05059io
2006/08/26(土) 16:20:48ID:YgG8EtIK1本拠地を信濃の諏訪あたりに移す。
2北信濃の数郡を譲歩して謙信との決戦は避ける。
3今川北条との3国同盟締結
4美濃に侵攻
5信長より先に美濃を占領し信繁を稲葉山城に駐屯させる。
6今川に難癖をつけ駿河 遠江を占領
7その後三河に侵攻し徳川を滅ぼす
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 20:11:01ID:qNBhlOgz0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 21:40:54ID:v26YgGv42北信濃の数郡を譲歩して謙信との決戦は避ける。 ←謙信が約束を守る保証などない
3今川北条との3国同盟締結 ←そんな武田の優位を保つ為の同盟成立するわけないだろ
4美濃に侵攻 ←勝てません
5信長より先に美濃を占領し信繁を稲葉山城に駐屯させる。 ←論外
6今川に難癖をつけ駿河 遠江を占領 ←そんな余裕あるんならやってます
7その後三河に侵攻し徳川を滅ぼす ←上以上に無理
0508名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 21:51:57ID:ke612yy92北信濃の数郡を譲歩して謙信との決戦は避ける。 ←数郡だけじゃ村上達が納得しません。
3今川北条との3国同盟締結 ←自分から破っといてそりゃネーヨ。
4美濃に侵攻 ←万に一つの可能性で勝っても、維持できるかどうか・・・。
5信長より先に美濃を占領し信繁を稲葉山城に駐屯させる。 ←そりゃ信玄の仕事です。
6今川に難癖をつけ駿河 遠江を占領 ←同盟復活と反するのでは?
7その後三河に侵攻し徳川を滅ぼす ←半年ROMりなさい。
0509名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/26(土) 22:37:47ID:kiuFJhb00510名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 00:55:25ID:cI2ps57Nお主こそ日本語を勉強しなおしてきたほうがいいんじゃねえの?
0511名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 05:41:06ID:EkUgPgrJ0512名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 11:48:18ID:j9RPGY2U>>508
文句言うだけなら誰でも出来る
対案は?
0513名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 11:57:53ID:j9RPGY2U例えば今川義元の上洛の時に
同盟軍として一緒について行くことは
できなかったのかな
義元の油断がなければ圧倒的な兵力差で
この時点の信長を討つことは充分可能でしょ
もしくは義元が桶狭間で討たれた直後に
背後から(又は正面から)清洲城を襲うとか
0514名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 13:20:58ID:MVTnCScm再度信濃に侵攻する前年に兵力を割いて尾張侵攻軍に当てるのか?
どのぐらいの期間かかるのかすら分からないのに。
それに、清洲を落としたとして、どうやってその飛び地を維持するのさ?
0515名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 13:35:32ID:1/r2+WhB既に圧倒的兵力差が織田と今川にはあったと言われているから、
援軍送ろうなんて言わないだろうし、送ろうと言っても断られる。
今川にとっては簡単な戦で、完全に尾張を支配化に置くための戦なので、
武田に領地を掠め取られる可能性を残すはずが無い。
それにどのルートから武田が清洲にいくのだろう。
飯田街道ってその頃にもう完成させてた?
長尾(上杉)を中心とする関東情勢が不穏で、
織田を滅ぼすための兵数を割けるかどうかもわからないし、
義元が死んでから今川領に入ったら今川と戦が始まると思う。
織田が攻めてきての防戦ならともかく、尾張を攻めるためには、まず通れない。
0516名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 14:31:43ID:kala2jh1それより前に信長滅ぼせば武田滅びずに済む
とかいう理屈をかましている奴はなんか浅はかすぎる。
なんだか日本史スレでも毛利・島津を関が原で滅ぼしておけば
幕末維新で江戸幕府が倒れることもなかった。
というバカスレが立ってたなあ。
歴史なんてのはそんな単純なものではなく、
信長のいない世界ではまた別の流れで
武田が滅ぼされるかもしれんのだがなあ。
あと信長が尾張の小大名だった頃から
「将来、滅ぼされるので」という理由で「信長滅ぼせ」とか
言ってる奴はなんかおかしい。
まるで18歳になる自分の息子に殺された男が
「事前にその息子をもっと早く殺しておけば殺されずに済んだ」
というような空論を聞いてる気分だ。
0517名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 14:45:32ID:AYXj8juRバカが多いな。ID:j9RPGY2Uとか。だいたい桶狭間の時期の信玄は長野業正に
ボコボコにやられて川中島で連続対陣しててとても遠征できる状況じゃないし
0518名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:05:42ID:UAFBtzCd0519名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 16:41:44ID:0hqu6HdD無意味に西上野の攻略なんてしなければ
上杉や長野を本気にさせる事もなかったズラ
0520名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:00:03ID:RnEkG8tB(´艸`)ププ
0521名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:10:35ID:IqhNJKgJ織田より早く美濃に攻めるとかいってるやつは
信長の野望のやりすぎ。
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:49:26ID:0hqu6HdD本当に無意味、むしろやらないほうがよかったズラ
0523名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 18:49:03ID:AYXj8juR無意味か無理かのどっちかだったんだろう
0524名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:02:14ID:RnEkG8tB0525名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:21:23ID:HWfOvRe10526名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 19:52:42ID:MVTnCScm0527名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:11:52ID:kala2jh1いいと思うんだがな。
0528名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:23:34ID:IqhNJKgJ0529名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:12:52ID:ISuGmI2s0530名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:18:24ID:KTS7H+3a俺はいつもそうしてる。
若しくは、南信濃経由で三河。
0531名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:23:17ID:UAFBtzCd俺はいつもそうしてる
0532名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:44:37ID:uO7yC/zJ0533名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:15:37ID:NUSAe+pS実現可能そうな対案があるようなら信玄が史実でとってると思う。
0534名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:43:01ID:SYlN0D+i無意味
0535名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 01:29:19ID:FX0Wrotvこのスレは根底から間違ってた。敢えて言うなら勝頼が
泣きながら信長に絶対服従しますと降伏してればもっと長く存続したかもね
0536名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 04:31:19ID:47fsT+Ex\_____ ____
∧_∧ |/
(´;ω;`) ()] l二ヽ
(っ つ □ ̄⊃ ) )
⊂ と_)_) _⊃ / ̄ ̄ ̄ヽ
⊂_ ._⊃ | (\/) |
⊂__⊃. | > < |
| (/\). |
ヽ___/
0537名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 09:28:13ID:xQtnz3+e0538名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 10:11:44ID:8W1BUlO0理由は?ゲーム脳じゃない素の意見を聞かせてくれ給え
0539名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 17:08:10ID:FX0Wrotv負けまくってるからじゃないのか、倒したのは業正が死んだ後だしな。
着眼点はよかったが肝心の信玄に戦の才が欠けていた
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 18:46:31ID:8SBECYNWそれに西上野は武田に取って戦略的には何の意味もない
むしろ上野などは無視して上杉と北条に争わせたほうが武田に取っていい事ずくめ
なのに何故信玄が西上野に手をかけたかというと、
甲斐の南には今川、東には北条、信濃の北は上杉、南は今川、
信濃の北西は行軍不可能な北アルプス、南西は木曽谷→美濃と
攻められない地域と攻めても実りが少ない地域しかなかったから
時間がもったいなかったから比較的攻撃しやすくて占領する価値がある西上野を攻めた
という目先の判断でしかなかった
0541名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 21:50:39ID:u7wC7eIHということはこのスレの意見全て
実現不可能だということで終了?
0542名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 23:55:34ID:E5FcZRHjその頃の関東情勢を見ればわかるが、
北条方vs上杉方の主戦場は武蔵で、上野はほぼ上杉方。
上野進出+北条の戦線を上野まで引き上げはやっておいた方が、信濃の安全は段違い。
上野方面は共闘が可能になるし、北条と息を合わせての同時侵攻・時間差侵攻で上杉に対してアドバンテージを握れるのも大きい。
0543名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 01:49:00ID:/ibkVJNzあとは、本願寺に後方撹乱頼めれば、猶良し。
最悪な世の中になりそうだけどね。」
0544名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 08:54:08ID:sEtvk0qi0545名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 10:00:56ID:CGWsqOC20546名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 18:59:00ID:zxHWPno70547名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:02:31ID:0lpSbr3b全力で美濃奪取すればいいじゃん
美濃なら上杉相手にする必要もなくなるし
0548名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:15:13ID:y5GqwkIEえ?現代の人間以上に土地に対して愛着を持つ人間に対して故郷を捨てて他国に侵略する事を
強要するのか?しかも女房と子供、畑はどうするんだ?
0549名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:17:29ID:CGWsqOC20550名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:18:27ID:FoRd8+Ks「国を捨てた大名」が新しい土地をどうやって治めるのか
っていうのもあるしね
ゲームじゃないんだから
0551名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:45:34ID:AabMrtDX勝頼隠居で甲斐一国安堵が妥当。うまく立ち回れば甲斐、信濃
諏訪地方安堵もあるかも。
0552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 21:10:01ID:CGWsqOC20553名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 21:11:40ID:y5GqwkIE0554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 22:40:23ID:e+Auvb5Hなんとか信長の援軍が来るまで持ちこたえ、甲斐安堵の夢が叶えられるか。
勝頼次第
0555名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 23:26:55ID:hpHfmu500556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 23:35:17ID:OcOpkj8j武田が滅亡しない方法を考えるスレだぞ。天下取る方法なんてあるわけないだろ
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 00:36:24ID:gT0UUybQなりそう・・・信濃の国人衆木曽さんや小笠原さん諸々その他は
反発せずに勝頼といっしょに信長さんにご挨拶にいくのでは?
勝頼と一緒に北条征伐の先陣を願えば合理主義者の信長さんなら
所領安堵してくれそうと思って書き込んだのですが・・・
甘すぎますかねぇ・・・
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 00:40:55ID:spRtfdZf0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 02:09:23ID:6FosYcR0甘い。朝倉残党の結末を見ろ
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 07:15:35ID:yqP6q/Fh>小山田
wikを御覧になられることをおすすめします。
0561名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 18:09:49ID:fGTBkXJo0562名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:44:38ID:E3PFdhfjつまらん(´・ω・`)
0563名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:50:33ID:FXq8oTMO一族も含めて、降服したものはほとんど赦免されて領地安堵。さらに支配権まで
認められていますが?>朝倉残党。
朝倉旧臣が殺され尽くしたのはその後の旧臣同士の内紛と一向一揆の蜂起。
もっともここで生き残って一向一揆に従った朝倉旧臣は、後の越前征伐で皆殺し
の憂き目にあったが。
0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 23:55:18ID:EICYKsMk>>540ですでに結論が出ているので
あえて反論(といっても同じ文章をそのままコピペするだけでOK)する必要がないんですが
0565559
2006/08/31(木) 01:29:26ID:9UBNSfzg俺が言いたかったのは
>朝倉旧臣が殺され尽くしたのはその後の旧臣同士の内紛と一向一揆の蜂起。
こっちのことだよ。支配者が変わって新体制を敷くには多くの困難があるから
膿を出す作業をしなければならんが、その過程でまた消える勢力もあるし、
そういうのを信長もある程度予想してた範囲のことだろ。うざったかったら
何かと理由やら課題やらつけて殺すさ。
0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 02:14:34ID:PXn534YB火薬関係は港経由で入る事を考えれば港の確保が出来るかどうかってでかいと思うけど。
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 02:45:42ID:oJShTA4p>うざったかったら何かと理由やら課題やらつけて殺すさ。
これについては同意。実際、信長は能登越中の征服が完了した後に豪族達の
粛清を行っている(織田と上杉の間を何度もいったりきたりの連中だったが)。
ただ、その例示として朝倉旧臣を持ち出すのは間違ってないか?と言いたい
だけです。
0568名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 05:10:01ID:3xiO//G8説得力ゼロなんですが、上州攻めによるマイナス面と上州攻めがなかった場合はどうなっていたかを論じてくれますか
0569名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 06:53:34ID:ISIokhn7単に誰も相手してないだけじゃないの?
>>540の他に攻撃するような場所が無かったというのは同意だが。
0570名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 08:30:39ID:3xiO//G8また実入りが少ない地域とあるがあまりにもナンセンス、収入を増やすために攻めるってゲームのやりすぎ?
あと信濃の北西だけど越中は無理でも飛騨には行軍可能、行軍不可能なら江馬氏が武田方になるはずがない
美濃も木曾から進攻可能だけどこの時の情勢から見ればやはり西上野か
まだ北條は武蔵でもたついていたし
0571名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 11:25:27ID:8WkH4Vpr一人に違いないと妄想してる時点で
議論が出来る相手ではない事が確定してますが
0572名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 17:58:40ID:b94zfzJB君はまず、当時の戦国大名がどういうつもりで合戦をしていたのかを
知る必要があるだろう
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 23:31:14ID:3xiO//G80574名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 11:34:31ID:RNtkuD5Z0575名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 17:17:40ID:lmXrtZCP信玄死の直後に奥平親子がいきなり調略されて徳川方になったりとかね。
調略されたと言うか、元が徳川方だから元の鞘に戻ったと言う感じでもあるが。
0576名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 19:52:36ID:EcmPpTW9これしかないな
0577名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 19:54:47ID:kp+WcZ+3.く /:::!::::i:::!:::ヽ:::ヽ::::::ヽ::ヽ、::::::::::\:::ヽ:::::::ヽヽ::::::', 目
な. /:l::::!::::ヽ!::ヽ:::::::ヽ:::::::\:::ヽ、::::::::ヽ:::ヽ::::::::!::i:::::::! だ
ん ハ:::l:::::、::::ヽ::::\:::::\:::::::\:::`ヽ、:::ヽ::ヽ:::::!:::!:::::l
と /:::::::l::::::!ヽ:ヽ::::、:::::ヽ:::、:\::::: \::::::\::::!::::ヽ:!:::i:::l:l こ
か !:/!:::::!::::::!::ヽ:ヽ{:::\:::ヽ::::\:::\::ヽ:::::::ヽ!:::::::}!::::l::li| い
し j/:::l:::::!:、:::!::ト、:、:ヽ:::::`ヽ{、::::::\::::\{、::::::::::::::::i::!::l:l ! つ
な l:i:l::::i::i:、:l::lテ=-、:ヽ、_、::\_,≧ェュ、_、\:::::::::i::li::!::リ ら
い !ハト:{:!:i:トN{ (:;;)ゝ、i >、{ イ (:;;) 》\::l::!:ト!!:l::l!ノ
と ヽ i、ヽ:ト{、ヾ ̄"´ l!\ `" ̄"´ |::!:l::! j:ll:!
: !::、::::i l u |:::/lj/l:!リ
: ヾト、:!u j!/ j|:::リ
ヾ! ヽ ‐ u /イ´lハ/
}ト.、 -、ー-- 、__ /' !:://
リl::l゛、 `二¨´ / |/:/
rー''"´ト!::i{\ / / !:/
/ ^ヽ ヾ! ヽ _,,、'´ / j/
0578名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 21:50:46ID:Ln448tu80579名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 22:07:04ID:3+pwKW6D0580名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 00:13:03ID:G7nGAV3x滅亡の遠因。金は掘り尽くせばなくなってしまう。
逆に上杉が生き残ったのは、麻の一種の栽培と、当時の唯一
の工業地帯である京都への販売を経済基盤にしていたから。
麻はいつまでも収穫可能で、無くなる事はない。とはいえ、
換金できる生産物が、麻以外にもいっぱいあった織田には、
とても及ばなかった。今でいう「モノカルチャー経済」という
訳だね。
0581名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 01:51:10ID:ljyRLyI5日本トップクラスの港ですよ。
武田はあの地理的条件でよく北条上杉と戦えるまで育てたよ。
0582名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 02:05:41ID:hmrlbI7Qしかし信長には適わない
たとえ武田と上杉が長生きして同盟し、連合軍を組んでも信長には適わないだろう
現に信長は本能寺以外では負けてないし
0583名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 02:56:48ID:Dl/mbi1n?
0584名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 02:59:22ID:z+XszZud>>582
>>582
0585名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 03:22:46ID:ljyRLyI50586名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 03:53:08ID:VnfMuSUS北陸戦線でボロ負けしていますが勝家が…
0587582
2006/09/04(月) 04:10:03ID:hmrlbI7Q0588名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 13:06:42ID:VnfMuSUS0589名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 13:33:44ID:PEpt5LOD勝ち戦ばかりが有名だがトータルすると負け戦のほうが多い
0590名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 14:45:22ID:NEseVCKw小説ですw
0591名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:05:36ID:hmrlbI7Q最大20万の兵力に3000もの鉄砲、巨大鉄船に難攻不落の 安土城!
まさに無敵!
0592名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:10:41ID:5GJJfJGoスレ違い、二度とくんなハゲ
戦国最強の信長軍団スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150140141/l50
0593名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:18:54ID:HB072HsB聯合艦隊だって実現できたのに・・・
0594名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:37:06ID:S9+B9pqn0595名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 21:44:03ID:3U/9Lx6x0596名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 23:27:46ID:lSUOJ4vg信長にも敗戦はある
ってんなら問題なく同意だけど、
トータルすれば敗戦の方が多い
ってのは何を根拠に言っているのか?
0597名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 00:57:03ID:SG9XzEl3いいからよそで聞けよ
戦国最強の信長軍団スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150140141/l50
0598名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 01:03:26ID:TT2/aH4iあと、いくら雪で遮断されるとはいえ、信長を討てる(かもしれない)機会を
みすみす逃してしまう朝倉はトロい気が・・・・。信玄が文句いうのも道理な気がする
0599名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 03:29:16ID:QQicupVS0600名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 03:38:59ID:J5W4I3Xa撤退は当然なのでは。
それに武田が織田を倒しても、武田が織田に代わるだけだしね。
信玄が養生にもっと気を遣うとか……それくらいしか思いつかない。
0601名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 06:27:18ID:3WLHm9/i0602名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 06:32:54ID:aPYhys4R信玄西上の時に朝倉が撤退したのは信玄が遅れたのが原因じゃないか
むしろ皆が信玄に文句を言いたいだろ
0603名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 06:52:40ID:ubIpKyX6長年、長尾カンチ君と川中島付近を巡り、意地の張り合いをしてるからだべさ
0604名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 11:47:53ID:/OO1V1lL0605名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 12:46:32ID:rVi2TzoL0606名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:01:40ID:ubIpKyX60607名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:30:47ID:TT2/aH4i0608名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:07:14ID:k9us9wM1甲陽軍艦に「うはwww徳川領地略奪しまくりんぐwwwwwww」
とか書かれているし。上洛目的だったとかあり得なさそう。
0609名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:54:30ID:p+erPneAその程度の領土拡張なら、そこまで事前に用意周到なことはしないだろう。
結構、行けるだけいく気だったのでは?
0610名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 22:56:29ID:s8hd3fCkできなくてもとりあえず食えるだけ食っておくか
0611名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:34:15ID:8nBqEqP10612名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:39:35ID:Gb4qYLBD越後を攻略してもあそこの領民が上杉ファンで
上杉との領地替えで越後に入ったヤツは大変だったらしいぞ
0613名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 00:49:42ID:ZYJK1vIa0614名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 14:50:00ID:GXAf8SFP本人は当然、寿命なんて判らないわけだから
0615名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 17:21:04ID:sXODDHnf本願寺からも再三急かされてるし
実際には準備不足で長期戦には耐えられなかったと思う
0616名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 17:23:31ID:kFqhkHzWなんで、あんなに優柔不断で政治力0で赤子のように無能なわけ?
他の小説と読み比べてみたいのだが、良い本は無いでしょうか?
0617名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 17:52:59ID:lRUwF3JR基本的に勝頼は「勇猛だが短気で短慮」みたいな書き方されてる。
PHP文庫なら多少はよく書かれるだろうが、PHPでいい小説となると
期待薄。
0618名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:07:44ID:kFqhkHzWなんで短気だったら家督を継ぐと同時に穴山梅雪を無礼討ちでバッサリやらないわけ?
それが一番、腹立たしい。
信長だったら容赦せずにバッサリやってるはずだ。
0619名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:29:04ID:Zf6SE/Ql0620名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 18:40:28ID:2FGFBmFK0621名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:13:27ID:OenxZSrp俺はそういうPHP文庫が大好き。
0622名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:14:13ID:OenxZSrp0623名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 19:40:06ID:Zf6SE/Ql0624名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 20:28:01ID:1D+vmI0e0625名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 21:54:59ID:vBVTr/JW0626名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:17:01ID:yffr2aSC三国同盟だって元々は今川と北条の不戦同盟に
仲介者として武田が入ってる感じだし
0627名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:21:42ID:kJYkuOYE三国同盟維持しつつ信長が美濃を落とすよりさきに上杉を滅亡させて他国に圧倒的な差をつけないと厳しい。
上杉を関東から追い出したところで今川へ侵攻したけど、今川侵攻を取りやめ、
北条・神保・一向宗・本庄と連携して上杉を追い詰める。
リスクを恐れず川中島級の決戦を再度試みて完勝しないと上杉を滅ぼすのは厳しそうだけど。
川中島以降決戦を避けてたから領土拡張速度が鈍ってる。
A美濃侵攻
三国同盟を維持し、氏真に家康、氏康に謙信を牽制させて織田より先に美濃へでる。
謙信は信濃より関東重視だし、これなら現実的では?
0628名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:29:22ID:Fe/0zsg30629名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:50:18ID:82/hOuo5信長に先んじる絶対封建君主をクーデターで追放。後釜は神輿は立派だが一族・宿老ら重臣による合議制では…
0630名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:18:24ID:gfnOwL0G自ずと限界は見えてたな。
その限界近くまで持ってきた信玄はさすがだが
遥かに豊かな地を有する北条や織田らに比べると見劣りする。
個人的に後継者の勝頼は有能な人間だったと思うが
もはや武田には伸びしろが全く無かった。
0631名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 06:41:58ID:CR1VQoPkいくら小説とは言え流石に史実でしてないことをしたことにするのは難しいだろ。
0632名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 07:42:01ID:TGTvX9lLむしろ、勝頼を諏訪から戻して、きっちり武田家を継がせなかった信玄が問題。
諏訪が当主に座ってしまったら、勝頼にとっての側近重臣は諏訪地方の人間になってしまう。
それを甲斐の譜代が面白いわけがない。
勝頼を諏訪の権力構造から引き離さなかった信玄の責任は大きい。
0633名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 08:29:03ID:ffQtKXXnいや、小説にはそんなん関係ないやろが
0634名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:11:42ID:cb+i25Da国力的に今川が上なら北條を駿河から追い出してるよ
0635名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 17:14:46ID:KxYoW8czその短絡的でゲーム的な発想なら
信長が今川なんぞ倒せるわけがないのだが
0636名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 17:19:17ID:ffQtKXXn0637名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 22:13:53ID:t44Vo8K60638名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 22:46:45ID:KxYoW8cz真田の何十倍の国力だ?って感じだな
0639名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 22:55:20ID:IkdIs8k2惨敗という惨敗はないだろ。
なによりも家康自ら主力を率いて、真田攻略を掲げて失敗した訳ではないんだから。
0640名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 23:18:37ID:KxYoW8cz流れ嫁
流れを読まずに1つの発言にレスすんな
0641名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 23:36:58ID:uwNFrnhxそれと、信玄は戦争下手 長野にも村上にも上杉にも負けてるからな
戦略は少しはマシかと思いきや最後は敵だらけ もうどうしようもねー
0642名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:13:07ID:dQT4TxIa0643名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 04:56:14ID:3baIF0Obもちろんその為には反織田ではなくなる必要があるわけだが、
織田の跡目が武田の血筋になるわけだから悪くないと思う。
名門のプライドが邪魔するかもしれんがね。
0644名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 07:22:08ID:oYyXryYPそれをするには信玄晩年の外交を改めないと
0645名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 10:20:05ID:WKB4Qpkmどうしようもないな。お前みたいな馬鹿は。
そもそもあの時代の城攻めの難しさをわかってないし
信玄の敗北なんて長野、村上以外ほとんど無い。
0646名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 10:30:31ID:FNJ95IG30647名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 17:15:56ID:RNpf2AXd0648名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 06:39:28ID:pBkQz1ny政治、外交、戦略、戦術どれも一流だけど超一流には届かない
0649名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 08:52:08ID:cnrL8ypv武田家で重きをなしている穴山梅雪をたいした理由もなく無礼打ちなんかにしたら
間違いなく家臣の心が離れ、家中が動揺・混乱して武田家滅亡が早まりそうだが?
君は武田滅亡寸前に穴山が裏切った事からそんな事を言っているのだろうが、
そんな事は予想されてなかったし、
そもそも穴山が裏切ったのは状況的にどうしようもないと判断し、
武田の血脈を残すために織田にくだったという見方もある。
0650名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 08:55:38ID:cnrL8ypvたいして負けてないよ。
第一次上田城 家康は出陣してない。
第二次上田城 実はたいして戦闘はなく、秀忠地産も準備不測と悪天候が主なもの。
大阪城 確かに幸村は徳川に一泡吹かせたが、負けは負け。
0651名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 09:35:31ID:cnrL8ypv武田の滅亡寸前にしかたなく裏切った連中を元凶にしても仕方ないと思う。
そもそも武田家に重きをなした穴山梅雪、武威を誇った小山田信茂がいたからこそ、武田はあれだけ持ったともいえるわけで、
戦国ゲームみたいに重要武将を追放して、すぐに後任の武将をあてがうなんて無理。
ちなみに穴山は武田西上戦でも犀ヶ崖から奇襲する徳川兵を鉄砲隊で追い払ったり、
長篠の戦いでも、一説、鉄砲隊で勝頼の退却を援護して退却成功させたといった話しもあり。
彼は文武両面で武田家の功労者なんだけどね。
あんまり善玉・悪玉をはっきりしすぎるような俗書を信じないほうがいい。
そもそも、武田が天目山に落ち延びようとしたとき、
ほとんどの武将は「自分の領地を守る」という名目で勝頼一行を見捨てた。
木曽、小山田、穴山だけを攻めるのは筋違いと思われ。
あと、ほとんどの武将が勝頼一行を見捨てる中、
俗書などで奸臣扱いされている跡部が天目山で勝頼と共に果て
長坂も天目山のほんのちょっと手前までついていったとか。
イメージってあてにならんね。
0652名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 10:45:08ID:Yhbl1A9r0653名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:04:44ID:pBkQz1ny今更、江戸時代の武士倫理を〜云々とか言う気はないけど離反者が出るのは仕方がなかったと思う
>>651が言うように木曽、小山田、穴山だけを攻めるのは筋違いだよ
むしろ、攻められるべきは逍遙軒じゃね?
0654名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:11:51ID:/UNWZ+oC0655名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 13:12:53ID:y7bmdE9a0656名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:45:41ID:82rh0RxT自領も独自で家臣もいるんだから、
共倒れするより存続の道を選ぶのが妥当な道だろうね。
0657名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 15:51:48ID:pBkQz1nyどこの家でも滅ぶときは同じように雪崩式に離反者が出るものだからね
0658名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:39:04ID:y7bmdE9a0659名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:49:18ID:pBkQz1nyありゃ、確かに悪辣だけど寝返るタイミングとしてはホントに最後
それまで裏切るか裏切るまいかの葛藤があったんだろう
結局裏切っても助からなかったがな〜
まぁ、元々小山田が武田にくっついて滅亡する責任はないからな
あの時代に縁戚なんて都合悪くなるとポイだよ
0660名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 16:59:51ID:ubh9fMkw穴山が裏切らなければ新府城である程度粘ることも出来ただろうか?
0661名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 17:50:34ID:kDs3UWBr木曽は話し合いで最後のほうで家臣団に入った外様中の外様
0662名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 19:48:28ID:y7bmdE9a0663名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 20:06:58ID:pBkQz1ny逃亡→信忠軍に捕縛→処刑
せめて城に拠って討ち死してりゃ、随分後世の評価も代わったろうに
話変わるけど信繁の息子の信豊(だっけ?)が家臣に謀殺された背景ってどんなの?
0664名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 20:27:08ID:y7bmdE9aなるほど
サンクス!さすが逍遥軒はしょぼいな
武将としてはたいした実績もないが、最後の一戦で評価をあげた人
それって仁科五郎やんw
0665名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 04:16:56ID:j+mWIgmj内藤昌月、高坂昌澄、馬場昌房、山県昌次・・と。いくら山県昌景、馬場信春らが有能でも主君と折り合いが悪いなら最悪。
0666名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 09:50:39ID:1M9vaAod亀レスだが、信玄堤は有名なくせに信玄が作らせたという当時の記録がないので信玄の治績にしていいか怪しいものなわけだが
0667名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 09:59:52ID:9s0cu97f0668名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 10:06:59ID:ynoK0V+lそれはあくまで収穫を守るためのものだが。
それを領民に対する仁愛みたいな話しされてもねえ。
0669名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 11:05:11ID:vz0ZHFPK0670名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 11:50:18ID:hRcGVNqC北信濃の豪族を反武田で結束させた決定的な作戦。
0671名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 12:23:57ID://40uG+Pさすが、馬鹿の勝頼のパパ
0672名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 14:14:49ID:3YWElOm29日午前7時45分ごろ、甲府市善光寺の甲斐善光寺で、墓石や灯ろう、地蔵の計11個が
倒されているのを寺の職員が見つけ、甲府署に通報した。先月末から東光寺、法泉寺など
市北部の四つの寺と甲州市の恵林寺でも何者かに墓石が倒された。六つの寺は夜間も墓地
の立ち入りは自由で、悪質ないたずらとみられる。関連は不明。
甲斐善光寺では、9日未明に警備員が見回った際には異状はなかった。墓石は高さ
約50〜70センチで、墓地の入り口近くの墓石が飛び飛びに倒されていた。家の名前などが
刻まれた墓石は台の上に乗せ簡単に接着してあるだけのものもあり、1人で押しても倒れる
こともあるという。藤井明雄住職は「いたずらにしては度が過ぎている」と話す。
また、同市東光寺の東光寺(更屋秀法住職)では9日午前、檀家(だんか)の墓石13個が
倒されていた。7日午後には同市和田町の法泉寺(田中孝昭住職)で檀家の墓石7個が倒さ
れた。同市内の別の二つの寺でも、8月27日〜今月5日、3個の墓石と2個の灯ろうが倒れて
いるのが見付かった。【吉見裕都、小林悠太】
毎日新聞 2006年9月10日
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/yamanashi/news/20060910ddlk19040293000c.html
武田の残党狩りは現代でも行われているようですw
0673名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 19:58:48ID:jtkgqMcp0674名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 21:52:50ID:WGbn4LjZ長篠後に強制的に次世代に移行したけどね。
でも滅亡時に内藤、高坂、馬場、山県の跡継ぎは皆殺しにされたけどね
0675名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:04:03ID:LsQ2Orzyまあ名門の家系がそうさせないのかも知れないが。
0676名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:17:54ID:G6oZgR+n内藤昌月は滝川、北条に使えてるよ。
0677名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:25:31ID:ynoK0V+l慎重すぎたというより
全てにおいて中途半端だったのが滅亡の原因だが、
川中島を巡って10年以上も争ったり。
織田と婚姻をも含む強い交流を持ちながらも
死の直前に全面的に喧嘩を売ったり・・・・
むしろ最後の西上は慎重どころか大博打すぎた。
0678名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 00:18:48ID:L2+tHf1pそうだったんですか?その話、初めてなので詳しくお聞かせねがえないでしょうか。
0679名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 02:01:40ID:HGET73Ky領民は勝頼一向が落ち延びていくのを見てみぬふりしていたのかな
0680名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 02:40:43ID:4Wu99ffB0681名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 03:05:37ID:FT3KC51G手元にないので詳細な説明はできないんだが、これに棒道のことも説明されているので是非読んでみてくれ
0682名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 15:51:41ID:zyk6dWAn0683名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 17:47:23ID:f0bIhSM9死の直前以外は信玄ほど慎重な武将も珍しいと思うけど。
川中島で争うとなぜ中途半端になるのかわからない。
外交なんてものは流動的に動くに決まってるし。
0685名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 22:04:12ID:3aexT83/いや、ガンガンに落ち武者狩りされてる。土屋が何人も農民切ってる。
最後なんて疲労と空腹で箱に腰掛けたま切り殺されたと最近刀の跡から立証されたそうだよ。
0686名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 22:08:28ID:b24kN/Vuソースは?
0687か
2006/09/13(水) 00:09:38ID:yw+0gX+/配下の家臣豪族達も生き残るためには主家の鞍がえを選んだまで。求心力を無くした武田家が原因であって家臣団は当然の行動をしたまで。
「節操がない」との批判は江戸時代の考え方だね。
0688名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 05:54:15ID:zaEEdbNoそんなもう何度も出てることを偉そうに力説されてもな・・・
0689、で
2006/09/13(水) 10:45:07ID:yw+0gX+/然るに、現代においても転職=主家換えは当然のこと。転職は裏切り行為という発想は高度成長期のものだ。
私は今の主家=会社において、軍役=仕事や、バレたらそれこそマスゴミ沙汰になるような裏工作=策略にも手を染めてきた。
社長さん、もうあなたへの忠義はそれなりにやった。苦言を呈す忠臣退けちゃあいかんですよ。不渡り出すのはもう時間の問題だね?あなたのワンマンの結果ですから。
自分もここらで離反させてもらいますよ。お世話になりました。
0690名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 11:01:40ID:fP9Eb479いい年こいて転職してくるのはカスみたいのしかいないし。
0691名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 11:35:55ID:zaEEdbNoヒント:裏工作=糞藝爪覧
0692名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 11:38:28ID:fP9Eb4790693名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 22:23:33ID:wX18s43i自分で調べろアホ
0694あへ
2006/09/13(水) 22:49:06ID:yw+0gX+/面白半分で行くにはヤバい雰囲気だよ、あの場所。
0695名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 22:53:55ID:QCZICT2Eソースなしに書き込むな、ボケカスコラ
0696名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 23:07:30ID:+fBiWZSkkwsk
0697天目山
2006/09/13(水) 23:42:06ID:yw+0gX+/笹子峠から少し甲府寄りに田野はある。この笹子峠で小山田に銃撃されたんだっけ?
幹線道路から脇に入り進む。信号標識の地名に「千人斬」。既にこれだけでヤバい。岡部正綱が慰霊に建立した景徳院?が現存。
その附近に勝頼の首を洗ったとされる首洗い池や、婦女子が身投げした谷が有り。
いわくつきの為か、何か関ケ原のような陰気な土地。戦国ロマンとやらは悲劇と殺し合いなのかと考えてしまうような、戦国の闇の面がモロに現れてる。
……て印象だった。
近くに見事な桜の木と、秘湯天目山田野温泉があるよ。
0698名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 01:28:50ID:Hnp2uf9Eヤバイ雰囲気なんて感じなかったけど?
ただ、ここで悲惨な殺戮が・・・とか想像したり、噂に踊らされたり
気候や天気などで不気味さを感じることはあるだろう。
山中の寺だしね。
だいたい、ほとんどの古戦場跡につきものだよな、霊話は。
戦国の古戦場・・・といったら何か出る!
みたいな単純な思考の霊スポットマニアがそういう気でいくと、
都合よく何かを感じるんじゃないの。
0700名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 06:07:15ID:9QtN9CXH0701名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 08:23:01ID:8grreMWx肥社員なら良いところに転職できるかもな
0702武田家滅亡を防ぐには?
2006/09/15(金) 00:23:28ID:mwlFaJ6n上杉跡継ぎ問題ではギリギリの選択だったとは思うけど。北条に味方すると上杉領は北条の分国化してしまうから、北条勢力圏がでかくなりすぎてしまうし。
上杉と和睦後、北条には「佐竹の仲介によるもの」と釈明しているが、そこで北条の怒りを抑えられなかった。
北条討伐に活路を見いだし関東諸勢力と包囲網築くも、北条の外交力は織田・徳川を加えた逆包囲網を造ってしまった。この外交戦に敗北し、軍事侵攻で手間取った事で運命は決まったのかもしれない。
この頃の勝頼はなんと信長に贈答品を送ったりしてるそうで、生き残りになりふりかまわぬ様子が伺える。しかし、最早信長がそれでどうにかなるはずがなかった。
北条の怒りをなだめるか初めから味方するかして、甲越相同盟を結び兵力を西に集中する以外武田の生き残る道はなかったと思う。
0703名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 03:51:28ID:voWTviyNいや、怒りだけではなく打算も大きかったろう。
この時点で北条が武田に見方する理由なんてない。
景色虎死亡の件で怒り狂ったフリして、
織田・徳川側に回れば体裁も立つ。
0704名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 05:37:12ID:ZEZGDvp5そんな信用出来る相手じゃない。
まあ上杉が北条に従属化したかは疑わしいけどな。
いずれにしても勝頼はもう無理だろ。
信玄死んで信長が包囲網を一気に突破したから
西に全力投球しても国力に差がつきすぎた。
可能性あるなら信玄死亡直後から三河攻略した場合だな。
0705703
2006/09/15(金) 06:44:36ID:voWTviyN>上杉と和睦後、北条には「佐竹の仲介によるもの」と釈明しているが、そこで北条の怒りを抑えられなかった。
いや、怒りだけではなく打算も大きかったろう。
この時点で北条が武田に味方する理由なんてない。
景虎死亡の件で怒り狂ったフリして、
織田・徳川側に回れば体裁も立つ。
それと追加文だが、
まず景虎は氏政の従兄弟説や腹違いの弟説もあって
そんなには氏政に愛情があったとも思えない。
実際、御館の乱の時も北条軍はさっさと撤退してしまい本気で景虎を
助けようとしたとも思えなかった。
それと北条・武田同盟は信玄が氏政を恫喝して結んだもので(氏康が死の食膳に締結したというのは俗説)、
北条側にそんなに義理はなかったと思われ。
それよりも北条は打算で動くと思うよ。
0706名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 08:51:21ID:klf8JGflあ
0707滅亡を防ぐには?
2006/09/15(金) 10:02:48ID:mwlFaJ6n上杉重臣でも景虎派は多くいたわけだし、その危険性は充分あっただろう(北条の上杉家臣への調略もあったかも)。
オレが勝頼ならどちらを選ぶだろう。どちらを選んでも、危機的状況に変わりはなかったと思う。
何より誤算だったのは、北条が織田を頼った事かも。北条包囲網が逆効果になってしまった。北条を速攻で撃滅できればまだ良かったが、それも出来なかった。
そう考えていくと、武田家滅亡の最大の原因は敵を造りすぎた信玄といえる。
0708名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 15:33:01ID:7fgo7SW3肝心の斎藤朝信には、出兵拒否されてる
木曽が裏切った状態じゃ、焼け石に水か…
0709名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 17:55:37ID:JMZiYxx5景虎に味方しようと敵対しようと、北条はどちらにしても織田と手を結んで
武田は滅亡だと思う。
むしろ景虎に味方していたら武田滅亡時には越後からも攻められるのでは
0710か
2006/09/15(金) 19:46:15ID:mwlFaJ6n勝頼の出方次第では織田北条の連携も様変わりしたかもしれない。
北条にとっても関東諸勢力と武田の2正面は避けたかっただろうから、勝頼はそこをうまく利用し、北条を反織田に誘導出来れば少しは生き延びられたかも。
それでも「延命」程度だろうけど。北条にとっては、武田と結んで関東の反抗勢力潰せば武田は用済みだからな。
長篠以降、雑兵で数合わせした武田軍ではいずれ同じ結果だったろうな。
0711名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 21:51:20ID:voWTviyN北条も落ち目の武田よりは
織田・徳川だと思うが。
北条がわざわざ織田・徳川を敵に回して
徳する事があるのか?
0712名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 22:14:02ID:MIfoMHcl裸で戦える武田軍だぞ。
0713マジレス
2006/09/15(金) 22:16:14ID:mwlFaJ6nそのせいか北条は織田に従属しはじめた。信長公記だかに「関八州御分国に入るの由」との記述があるそうだ。
北条が織田と関係をもつのを何としても阻止する必要があっただろう。そのためには上杉問題でこじれた甲相関係を修復し、織田に対して敵対か中立してもらわねばならない。至難の技だが「延命」には他に方法がなかったと思う。
……が、実際、北条は武田と開戦する前から織田と親密だったのだろうか?
0714名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 22:21:09ID:1bxtUe6K北条は信長に「関八州を安堵してくれ」と言っているんだよな
北条はまだ関八州なんか制覇してないのにだよ
0715名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 23:30:41ID:T8ssPOYT「織田傘下に入りますんで、関八州の攻略は任せてちょ」、じゃないか。
0716名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 23:52:22ID:1bxtUe6Kそうそう
だから「上野とかの関東地方は全部オレの領地になる予定だから
取らないでクレクレ」って言ってるんだよ
0717名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 00:02:17ID:9VJv+/0x自分の領地でもない土地をまるで自分の領地であるかのように「安堵してくれ」と
信長の傘下に入る条件のようにして言ってるんだよな
0718名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 09:32:27ID:7UbWRnI4亀でスマンが
勝頼が優柔不断というよりも 梅雪を筆頭とにして
御親類衆が勝頼を四郎殿と呼び
命令を聞かなかったんじゃなかったケカ?
地元の人間は信玄崇拝がお約束で
勝頼は愚将と決め付けてる人が多い。
それを否定した勝頼像が描かれてるのが
新田二郎の「武田勝頼」 ではでは?
0719名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 10:20:06ID:9VJv+/0xその手の小説だの映画だののレベルで話をすると
映画「影武者」では、勝頼は信玄没後も「諏訪殿」として扱われていたな
0720名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 11:07:26ID:Pk0BOfzW0721名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 11:16:22ID:lX5D4IIp信玄の時と違っていたのは事実。
でも筆頭御親類衆として有能な武将だし、長篠でいち早く逃走したというのは俗説。
甲州崩れの際の願文に勝頼を非難する内容があるが、失政続きの勝頼より自分が当主になるべきいうのは少なからずあっただろうね。
0722名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 11:39:14ID:zzobLEaT>落ち目とはいえ実際武田は北条には戦局有利だった。戸倉城主笠原氏が武田に寝返ってるくらいだ。
>そのせいか北条は織田に従属しはじめた。信長公記だかに「関八州御分国に入るの由」との記述があるそうだ。
笠原の寝返りは81年だから織田に従属してるのはそれ以前からじゃ。
どっちにしろ関係修復は不可能なんじゃ北条は織田に従属するため武田と敵対したと考える方が自然なんじゃ。
当時は伊達や島津も織田と関係を持ち始めている。
0723名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 12:18:01ID:93SltQDc北信越担当はアホの信豊
0724 足柄城は夜景がきれいだぞ
2006/09/16(土) 16:22:01ID:SzztS+eD笠原っていや北条の重臣の家系なのにな。
0725名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 16:57:14ID:uN4Y7uQt0726名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:37:39ID:YI9rsfh4長篠の撤退場面はともかく、穴山が武田家の力を弱めるために
新府城の築城を進言したというのはいくら何でも違うだろうと思った。
0727名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 21:52:32ID:RGvvy0WA0728名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 23:17:58ID:iY/5QDoq問題は長篠の決戦に惨敗した事。これ語らねば・・・・どうしようもないよ
0729名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 23:41:46ID:t3oJbOnN激同
新田次郎の創作した小説である「武田信玄」での作中設定を、
色々と話に持ち出すのが疑問。
人物の思想や性格だって、作家それぞれの方向性や昨話術によって
個々多様な描き方をされるものだろう。
信玄を描いた創作のなかで、抜きん出て著名なものだし
大河化もされて流布してるから、例えに出したくなるのだろうが
小説は小説だからね。
0730名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 00:49:24ID:pdoQ8WBa安田信清か
後に武田姓にしたんだっけか?
0731名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 07:45:33ID:JGPszQO7あまりにも創作した話が多すぎて信頼出来る資料とは言い難い始末なのですが
0732名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:14:19ID:Yli+Zi850733名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 10:25:15ID:qmYM2cIw0734名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:20:26ID:x4mIkbuR0735名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:28:41ID:QuF6xbW1絶好の機会で信玄・謙信が死ぬから足利義昭の包囲網はアウトで、新たに包囲網を作るか単独討伐しかない。
もしくは信長暗殺。これ。
0736名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:17:37ID:mcO//NFB長篠で勝たなくても、奥平の篭る長篠城を落して甲斐に引けばよかったんじゃね?
最悪だったのは長篠合戦後の処理だよな
敗戦の汚名晴らすために、無意味な出兵を繰り返して国人の離反を促す結果になっちまったし
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 18:47:41ID:k6kP0Nic現実離れした教科書でしかないし
作者は山本勘助の子孫なので
ただの武将である勘助を軍師のように仕立て上げて持ち上げてる
0738名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 18:58:15ID:dFQMGl4E信玄は結束を高めるために、積極的に家臣と尻を掘っただろ。
その結果、鉄の結束をもつ家臣団が生まれた。
しかし、勝頼は信玄存命中より、男色にふけることはあまりなかった。
本気で武田家の後を継ぐきだったら、信玄勝頼親子と3Pで、
穴山の穴を掘ったり、
山県の山に掘られたり、
高坂の坂に踏まれたり、
小山田の小山を舐めたり
すればよかったんだよ。。。
0739名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 19:46:45ID:nJI7t9AY0740名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 21:57:23ID:Y777f9U20741名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 22:33:02ID:dFQMGl4E長篠の戦でも重臣達と素直な意見交換ができたはず。
結果、長篠の戦で大敗せずに、武田家は生き延びた可能性は高い。
0742名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 22:44:56ID:rLJfRe0thttp://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1157592259/
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1158554124/
ヒョー
∧_∧
(@∀@∩ ヒョー
( ⊃ ノ ∧_∧
ヒョー (_( /⊃ヽ (@∀@∩ 日帝の家族を分裂させるため、両派に分かれ、
.∧_∧ し..\\\ ( ⊃ ノ ,r'⌒ ⌒ヽ、 どんどん書き込め既婚女性板住人ニダ!
(@∀@∩ \\\\ (_( /⊃ f ,,r' ̄ ̄ヾ. ヽ.
( ⊃ ノ \\\\ し´\ ゞ‐=H:=‐fー)r、)
(_( /⊃\ \\\\ \\ ゙iー'・・ー' i.トソ
し´.\\\ \(⌒) l、 r==i ,; |'
\\\/⌒⌒ / /ノリ^ー->==__,..-‐ヘ___
\\|│││ |(/ ノ ハヽ |_/oヽ__/ /\
((. `┴┴┴゙ \ / / / |.
\ \ノ y' /o O ,l |
0743名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 15:40:03ID:mHR6KA/W0744名有り
2006/09/22(金) 21:00:31ID:V3RId7vO0745名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 21:24:31ID:cP2RqI6Wんだよね?
何をやっても結局は信長に滅ぼされるということか
0746名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 21:47:46ID:aFOynOCO0747名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 23:53:44ID:S+n8aKNq武田から真田に臣下の礼取ってきたテラワロスwwwwwww
0748名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 00:54:59ID:7mcMIyYOあるよ。
0749名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 01:11:03ID:oo+jGCa50750名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 01:45:00ID:AhhQdHKp0751名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 02:21:45ID:hSrTU0X3直進する時間の概念だからだ。
0752名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 02:41:12ID:ZyamTvLT武田滅亡を防ぐ方法を否定するわけじゃないでしょ
>>746みたいに、滅亡を防ぐ方法があったら史実で
やってるとか言うけど、「あってもそれに気づかなかった」又は
「気づいていたけど事情があって動けなかった」可能性も
考えないと
信玄だって神様じゃないんだから、常にベストの選択を
していたわけじゃないし、歴史の結果を知ってる現在だから
気づくことだって沢山ある
それを踏まえて意見交換するのがこのスレの主旨だと
思うんだが
0753名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 05:29:16ID:TM8y9DPHみたいな論調の人はどうかと思うけどね。
0754名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 08:11:25ID:/o743/bj1・・信長台頭以前に織田家を滅ぼすor勢力台頭の目を摘む
2・・屈辱を承知で信長に降伏する。本能寺の変後に自立 秀吉か家康の幕僚として
後世に名を残す
0755名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 08:19:02ID:FUMIJnIm0756名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 08:23:58ID:p3kKMBAC残念だったな織田厨!はっはっは!
0757名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 08:25:05ID:uCuPsW8N0758名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:01:04ID:AhhQdHKpただ少数派がかっこいいとかなんとか思ってるだけでしょ?
0759名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:04:38ID:VkhtV3W90760名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:13:00ID:/o743/bj0761名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:22:25ID:VkhtV3W9傑物の次代で潰れた、大幅に縮小した大名家。
0762名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:35:45ID:l4FfJB8uやはり伊達政宗様は別格だね
そこに挙げられた面々より遥かに上だ
0763名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:38:55ID:90vOhqNV事情はそれぞれ違うし、1代で隆盛した後に縮小したのと累代の勢力が消えるのも違う
その列挙に何の意味があるのかまったくもって意味不明
0764名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:45:02ID:HxnzVevS信長の息子の信忠は死んでるし、元就の場合自分より先に子供死んでるし(まぁ孫がヘボだったわけだが)
それはそうと 武 田 信 玄 が抜けてますよ 一応朝倉も 三好も入れておけよ
0765名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 10:56:04ID:AhhQdHKp0766名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:04:02ID:VkhtV3W9滅亡を防ぐには死なないことだ。
0767名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 13:31:47ID:7mcMIyYO考察するのは史学ではないかな?
0768名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 14:09:42ID:cjgLNoPn0769名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 14:12:18ID:cjgLNoPn政略・知略のなさが原因だよ
0770名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 14:30:03ID:mWQw5FmY0771名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 14:36:37ID:XABSPg8p0772名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 14:39:17ID:cjgLNoPn武田家変わってたかも
0773名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 16:39:07ID:xBGhaKgy例えば上杉景勝は御館の乱や信長軍侵攻で同じ様に四面楚歌になったわけだけれども景勝の直臣は最後まで景勝を見捨てなかったじゃん。
その小さな抵抗が良い意味で時間稼ぎとなって窮地から脱する事ができたわけでさ。
その勝頼を見捨てた家臣や領民の子孫が現代の武田関連の祭りで勝頼公まんせーとか言ってるのを見ると正直抵抗を感じるな。
それとも、そういうのって山梨の県民性みたいなもんなのか?
0774名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 17:51:14ID:TJjENti4上杉の場合、簡単に降れない事情もあるから
御館の乱では、百年来の仇敵が相手陣営にいるとか
織田家の時は、先に降った越中・能登の連中が大量粛清されたとか
見捨てなかったというより、他に選択肢がなかったんだと思うよ
0775名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 18:17:47ID:woPbbrCF江戸期の場合、
禄高が1万石以上で「大名」
それ以下は「旗本」
0776名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 19:04:13ID:p3kKMBAC【偉大なる信玄の弟達】
武田信繁・・・信玄の采配ミスで討ち死に。
武田信友・・・織田信長によって処刑される。
武田信廉・・・戦わずして城を捨てて逃げるが織田信長に捕まり処刑される。
一条信龍・・・上野で徳川軍に大敗。捕らえられて親子共々処刑される。
武田信実・・・長篠の戦いで松平伊忠に討ち取られる。
松尾信是・・・目立った功績もなく病死
【高貴なる息子達】
武田義信・・・嫡男。謀反が発覚。東光寺に幽閉され殺害される
海野信親・・・二男。生まれつきの盲目で僧となる。勝頼と供に自害
武田信之・・・三男。生まれつきの病弱で十歳の若さで病死
武田勝頼・・・四男。長篠の戦いで優秀な重臣達を皆殺しにさせ、十倍もの軍を擁しまがら鳥居峠で
寡兵の木曾義昌に大敗。織田の本格的進行からたった二ヶ月で武田家を滅亡へ追いやる
仁科盛信・・・五男。名城高遠城を信忠に1日で陥落され自害
葛山信貞・・・六男。織田信長によって善光寺で処刑される
武田信清・・・七男。武田家滅亡後、景勝側室甲斐御前を頼って落ちのび上杉家の家臣となる
【誠実なる一門衆】
木曽義昌・・・義理の息子。武田家を裏切り勝頼を破り武田家を滅亡へと追いやる
穴山信君・・・義理の息子。武田家を裏切り勝頼を見捨て降伏。
勝沼信元・・・従兄弟。謀反の疑いで処刑
【優秀なる武田一族】
武田信勝・・・武田勝頼の嫡男。天目山で討ち取られる。
一条信就・・・一条信龍の嫡男。上野で徳川軍に大敗。親父と供に処刑
武田信俊・・・武田信実の子。滅亡後も生き残り1600石の旗本となる
武田信堯・・・武田信友の子。信長によって処刑
望月信頼・・・武田信繁の長男。目立った功績もなく地味に死亡
武田信豊・・・武田信繁の二男。部下の下曾根覚雲斎に裏切られ死亡
望月信永・・・武田信繁の三男。長篠で無残に討ち死に
武田信道・・・海野信親の子。滅亡時に出家。命だけは助かる
0777名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:48:53ID:D37tPeObhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BF%A1%E4%B9%8B
0778名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:09:05ID:t/mBgtOGプッ、お子ちゃま発見
0779名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 18:15:53ID:ayk8bZTUただこの異様なまでの武田への憎しみは…。
0780下曽根覚雲斎は佐久衆の子孫か?
2006/09/24(日) 22:01:46ID:ARBKJrMt詳細キボンヌ
0781名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 22:29:52ID:lwpOzLOQないから
0782名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:26:33ID:x5qvfPqL0783名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:34:45ID:HCNJEqJBあるから
0784名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 23:53:56ID:dNU3TE7I裏切って当然だと思うんだけど
0785名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 00:14:45ID:WMzpA2Iz怨みは怖いからなぁ
0786名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:02:54ID:fLD+xXzv一応上総武田関連の書籍は全部そうなっている。
越相同盟締結後に直ちに里見と武田の同盟が成立したのは武田豊信が信玄の息子だったからと普通に千葉の郷土史書には記述されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E6%B0%8F#.E4.B8.8A.E7.B7.8F.E6.AD.A6.E7.94.B0.E6.B0.8F
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/k_take_k.html
http://www.h2.dion.ne.jp/~ezawa/takedaKZ.html
0787名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:10:46ID:WMzpA2Izそれが根拠になる訳ねぇだろ
0788名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:12:51ID:48CoNqwr0789786
2006/09/25(月) 02:55:56ID:fLD+xXzv文句はそれこそ地元(上総武田氏の研究している)の郷土史関係者に言ってくれ。
こっちは現実問題として向こうではそういう記述が行われて出版されているという事実を指摘しただけ。
0790名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:16:14ID:WMzpA2Izだから、だったらそんなもんを張り付けるなと言う事だ
0791786
2006/09/25(月) 03:20:08ID:fLD+xXzvむしろそっちの粘着振りの方がドン引きだが。
0792名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:25:08ID:ZCyWvy73否定したくてしょうがないんだろ。
0793名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:34:38ID:WMzpA2Iz0794名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:41:48ID:48CoNqwr0795名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:43:15ID:WMzpA2Iz根本的に根拠がない物をソースにする奴は問題ないのか?
話はそこからだろう
0796名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 03:46:45ID:48CoNqwrちゃんと資料を読んだ上で否定してる?
0797名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 04:07:56ID:ad5F6n2v0798名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 07:33:14ID:ZCyWvy73根拠が無いものをソースって。ただの雑談のこんな話もありますよ〜ってだけだろ。
頭おかしいなこいつ。
0799名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:03:18ID:UpGM3zBF793 :名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] :2006/09/25(月) 03:34:38 ID:WMzpA2Iz
ID変えたのかw
0800名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:55:53ID:U3nDHS4+0801名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 00:11:08ID:Y5ZPjtHz0802名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 07:04:01ID:DxTcHQGu0803名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 09:10:28ID:xm1JvbDB冷静にレスすりゃいいのに何を怒ってんのか意味わからん。
0804名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 10:06:34ID:GQ/vkAAF夜はマスかいたらさっさと寝ろ
0805名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 12:46:16ID:DxTcHQGuそいつ以外にも熱くなってたのがいるからこーなるんだろw
0806名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 18:28:23ID:pYLhutor0807名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:20:59ID:xm1JvbDBそうでもない。
0808名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 01:31:09ID:UoPeMVT70809名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 01:04:31ID:H5akvafc本当のことかどうかはわからないし。
0810名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 13:52:30ID:Sux++sE+0811名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 14:19:11ID:yUwIBNGI0812名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:42:29ID:Hxrr4N8g0813名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 19:51:55ID:u5vBWbSY最低でも三方が原後に家康滅ぼすまでは
寿命が欲しい
>>812
義信廃嫡前に死んでいれば案外義信中心に
家臣団がまとまった?
0814名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 21:33:33ID:zjFTpWZM簡単には無理じゃね?
0815名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 22:20:19ID:niRHBcdz今川のみにする
信濃はほっとくか諏訪湖か松本周辺までにして
関東に乱入
北条と敵対していた勢力を集めて武蔵をとる
信長が岐阜をとるまでに関東平定して今川を従属させて決戦かな
0816名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 23:57:06ID:O7LSNEgK信玄が遂に落とせなかった遠江の要所高天神城を調略で落とし、
信玄では遂にかなわなかった信長との直接対決を挑むとこまで来た。
長篠の合戦での敗北後勝頼は戦場での鉄砲のあり方を学び
積極的に軍備再編を行い鉄砲を取り入れていったという。
信長にとっては戦術家、統治家としては優れていたが戦略的視点から見れば
ただの山国の一領主の器にすぎない信玄よりも
戦略に優れた勝頼の方が脅威だったのではないだろうか?
実際に信長は勝頼が高天神城を調略で落とした時、家康宛に当てた
「勝頼は人の裏表をよく知っている。油断ならぬ相手だ。」
という内容の手紙が残っているそうだ。信長、家康は勝頼を恐れていた。
強敵だからこそ長篠の合戦での勝利の後も直接対決を避け7年もの間
上杉跡目争いの時、調略や信濃侵攻で北条養子援護の兵を引かせ北条と
不仲になるように仕向け、高天神城の降伏を断固拒否し続け勝頼が
城兵達を見殺しにしたように吹聴し、徹底的に勝頼の評判を下げて
内紛を起こさせてから滅ぼしてる。勝頼が今でも過小評価されてるのは
この信長家康の徹底的な評価下げ調略の名残で勝頼は有能な人物だと思う。
0817名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 03:33:49ID:K0AiR8gk三方ヶ原当時、信長の圧力から足利義昭を救うのが緊急課題だったわけだが
0818名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 03:44:25ID:5caLaknf0819名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 10:09:58ID:ClwIUW9r上杉に圧迫され北条に潰されて終了でござい
0820名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 10:39:15ID:mEfdo24w義昭には「上洛するため、当面の敵徳川を
叩いております」程度に返事しておけば
いいんでないの
個人的には信長に足利幕府潰してもらった
ほうが、信玄にいろんな大義名分ができて
好都合な気もするけど
0821名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 12:20:31ID:7H7MsorE信長を討伐する大義名分など発生しないのですが
0822名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 13:42:08ID:y2EKLiPS要は勝てば官軍
0823名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 16:42:25ID:mEfdo24w本能寺の変が秀吉にとってチャンスだったように
義昭追放は信玄にとってチャンスじゃん
史実では信玄が死んで包囲網に隙ができたことで信長に追放の
機会を与えてしまったけど、当の信玄が生きている
状態で義昭が追放されれば、信玄がこれに取って代わる
名分ができ、旧体制もこぞって味方につくでしょ
0824名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 17:17:39ID:7H7MsorEほんとアホだなw
義昭が追放されれば信玄が上洛する理由がなくなるんだよ
大軍をもって京に攻め上って来るただの基地外でしかない
だから信長は朝廷から信玄討伐命令をもらえばいい
0825名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 18:01:25ID:DpIQC5WR朝廷が討伐命令を出すって?クソワラタ
0826名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 18:10:25ID:WIK8HKxK0827名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 18:33:17ID:ClwIUW9r大義名分なんてものはいくらでも作れるんだよ。
それくらい考えてからレスした方がいい。
0828名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 18:36:57ID:NxQ2dg2b0829名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 19:50:51ID:mEfdo24wじゃあ何で信長は信玄存命中に義昭追放しなかったの?
追放して信玄の上洛する大義名分がなくなってくれれば
信長にとって好都合じゃん
それをしなかったのは信玄にだけは大義名分を与えたく
なかったからだと気づかないのかな
0830名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:00:42ID:RwhmMR5YID:mEfdo24wは釣りだと気づかないのかな
0831名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:54:16ID:mEfdo24w釣りって言葉は便利だねえ
じゃあ>>824はこっちの意見に
一切異論なしということでいいんだね
0832名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 20:55:40ID:y2EKLiPS勘違いしすぎ。お前のレスが釣り扱いされてるんだよ。天然なのか?
0833名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 21:10:07ID:mEfdo24w別に釣ってるつもりはないんだけど
釣り扱いするならそっちの意見も
述べてくれないと納得できないよ
0834名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 21:27:56ID:vJTGPuJhと同盟者や家臣に説明できなくなる。
→どこの家でも意見が割れるのが常。織田派の勢いが強まる
→連鎖する
重病を患う信玄の戦略
「信玄が来る!」→武田軍に期待して、反織田の諸侯・豪族が抵抗を続ける
→武田軍が織田軍を撃破→勝ち馬に乗るために、織田に組する者達が離反
→連鎖
→適当なところで兵を収めて畿内の膠着状態を長引かせる
→その間に領土を拡大し、統治を万全にする
→武田家優位の状況の中、全権を勝頼に引き継がせる
→故郷甲斐の国で大往生
上洛を成功させてしまうと、直後に信玄病死→包囲網形勢の最悪な展開に
陥ってしまうので、勝頼が統治しやすい武田家を残しておくのが最良かと。
0835名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 21:58:48ID:DpIQC5WRこれこそまさに大義名分なんだか…
0836名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 23:30:29ID:NxQ2dg2b義昭が頼ったの毛利だし
0837名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:52:45ID:mQdd62a2義昭は京都から追放されたけど、将軍職にはそのままついていた。
正式に解任されたのは1588年の准三宮待遇時。
0838名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 04:05:30ID:1wTP1yux幕末における朝敵征伐なんてのは典型的な大義名分。
ただ戦国時代は幕末のように朝廷が決定的な力にはなってない。
信長にしか大義名分が無いと思ってる奴は
歴史を学んだ経験あるのか?
0839名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 06:09:29ID:SGYqQsVy大義名分なんてそれぞれの欲望を正当化する為の飾りにすぎないよ
0840名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 08:41:54ID:UShQkzCk信長が信玄存命中に義昭を追放しなかったのは
追放するだけの大義名分がなかったから
武士ほど世間の評判を気にする人種はいないからな
足利義昭は信長討伐で挙兵したから追放された
朝廷は義昭が追放された途端に毎年信長を出世させてる
つまり朝廷も義昭追放を追認しているという事
0841名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 22:44:31ID:BL2zScZe武田幕府スレ
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1159965965/l50#tag8
0842名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:15:45ID:oQdAK7Rfそれもみんな信長の釣りだったりね
0843名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 15:35:49ID:nWLcBpyl言っとくけど、信長は降伏した大名や謀反を起こした部下とかもけっこう許してんだぞ。
確かにきっぱり切り捨てなくちゃいけないとこはきっぱりしてるけど、それ以外は基本的に人身売買していたような信玄や謙信よりよっぽどやさしいんだぞ。
0844名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 17:18:18ID:CnZ8cvEh上手かったが食べにきー
戦場なら笹ごと食うしかないなw
0845名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 10:07:37ID:K89fnil8「武田家が滅亡すること」の定義を1がどう考えて
いるかだろうな
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
勝頼が子供作りまくってその子らが江戸時代まで
潜伏し続けてれば多分武田姓を名乗っても問題
なかっただろう
むしろ今川家同様、高家扱いされていた可能性もある
でも多分>>1の言わんとしていることは
新羅三郎義光以来の甲斐源氏の嫡流としての
武田家が堂々と領地を持ったまま戦国時代を生き残る
方法のことを聞いているんだろうから、自分と同格の
大名に対する従属や降伏を選択肢に入れてはいけないんだろう
それはすでに「(独立大名としての)武田家滅亡」と
同義なんだろうし
まあ、それを言ってしまうと徳川だって上杉だって
一度は豊臣家に従属しているってことになるけど、
少なくともこの統一政権ができるまでは独立大名
だったわけだし、これは同格の大名に対する従属では
なく、関白豊臣家を頂点とする朝廷に対する降伏と
考えられるから
0846名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 16:45:38ID:m93VC/zzいいから宿題やれよ
0847名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 16:58:58ID:L6iSzskI0848名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 17:01:29ID:m93VC/zz甲斐とか若狭とか平地の少ない地域の守護大名である事が多いですね
元々甲斐にしても武田氏の流刑地だったらしいし
後に流刑地をそのまま拝領して大名になったらしい
0849名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 20:58:12ID:K89fnil8おまいは自分の意見を
述べることもできないんか
0850名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 21:28:32ID:jsPbyr6Nもう少し早く気がついて下さい
0851名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 21:55:54ID:K89fnil8絵本しか読めないお子ちゃまでちゅかw
ママに読んでもらってね
0852名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 22:39:12ID:jsPbyr6N「石油がなくなる」の場合は
「油田から完全に原油がなくなった上にこれ以上新しい油田も見つからない」
という事を指すのではなく、
「何らかの理由で原油が流通しなくなるか流通量が激減し一般市民が使用出来なくなる状態」
の事を指すよな?それくらいわかるよな?
それでは、自分で書いたキチガイ発言を読み返して見てください。
0853名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 23:33:39ID:K89fnil8恐らく武田家滅亡の定義について言ってるんだろうけど
もう少し上手な例えはできないものかい
チミの土俵に乗ってやるけど、
「油田から完全に原油がなくなった上にこれ以上新しい油田も見つからない」
というのも普通に「石油がなくなる」ということだと思うんだけど
1が明確に定義をしていない以上、こういう解釈もアリって程度で
指摘しただけで、キチガイ呼ばわりは心外だよな
0854名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:20:16ID:DX7w4YJ6武田「家」滅亡を防ぐには、だ。
武田一族全滅を防ぐには、ではない。
0855名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:50:55ID:twjt6p+cだから独立大名としての武田家を
存続させる方法が必要だと>>845で
言っているんですが
ちゃんと最後まで読んでいるんかい
0856名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 00:57:55ID:t9NrmKIO0857名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 01:00:04ID:twjt6p+cそれじゃあ議論する資格が無いので
帰ってねw
0858名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 01:13:02ID:t9NrmKIO例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
0859名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 01:43:45ID:DX7w4YJ6そもそも疑問に感じていたんだが、独立大名って何?
0860名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 01:51:35ID:twjt6p+cスマン
やっぱり回りくどい言い方についていけない
お子ちゃまだったんだね
>>845をキミが判るように書き換えるよ
>>843に対する意見として、
武田が自分と同格の大名である織田に
従属することは独立大名としての武田家
滅亡と同義だから、これは武田家滅亡を
防ぐ方法には該当しない
これでいいかな
お兄さん、明日からお仕事だからもう寝るね
0861名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 07:34:19ID:t9NrmKIO例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
例えば、生物的に武田の血筋を絶やさない方法なら
0862名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 11:51:20ID:H+PheOFAあのさ、お前の言うようなやり方をしなくても高家として武田家は存続しているわけだが?
しかも信玄からの嫡流だからお前の言う生物的?に少なくとも江戸初期には存続していた。
それ以降は系図を知らないから俺には分からないが、絶えていたとしても子供を生ませろの一言で終わる。
大体それを>>1は知らなくて書いただけじゃないのか?
それに明治と上杉と書いている時点で従属は含まれるだろ。
それとも豊臣家と同様に徳川家への従属は一外部組織を通じての朝廷への従属として取るのか?
0863名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 12:10:02ID:dyaD5Ls2半年くらい前にTVに出てたけど
0864名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 13:14:40ID:Avg+ay57それによって同格かどうか変わるんでは?
0865名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 14:10:39ID:fbCNqT3C0866名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 17:23:37ID:sjjelm1n0867名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 11:43:52ID:KZ7vEqo+武田家って勝頼とその息子が死んだ時が滅亡ってのが
やっぱり普通の感覚でしょ。
義昭さんが信長に京都から追放された時だって、
歴史家は「足利幕府は事実上滅亡した」と表現している。
別に朝廷がその任を解いたわけでもないのにな。
0868名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 15:36:15ID:SyqpOXeTたとえば武田商事が倒産したとして、
武田勝頼社長の生死に関わりなく、
会社として社会に及ぼす影響力は無くなる。
それと同じで、当主や子孫が生きていようと、
武家勢力として存在出来なくなった以上、滅亡だろう。
0869名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 17:53:15ID:WowVVWzpまあそれが当たり前なのだが
今さら生物学だのを持ち出して
一人でアホな持論を展開するヤツがいるから始末が悪い
0870名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 18:53:32ID:dVfZg8ZU0871名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 19:00:32ID:t1YpxNAe後は織田幕府ができるか史実通りになるかは分からんけど、ひたすら勝つほうについていけば
明治まで大名として残れただろうね。
0872名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:06:54ID:wNHgsXJQ生物的って・・・・
生物学的に武田の血を引く人間なんか今でもそれなりにいるな。
大名として武田が残るには信玄が織田と敵対しなければ生き残れたんじゃまいか。
うまくいってれば信玄の娘が信忠の嫁になるわけだし
武田の織田政権内の地位はそれなりに安定したんじゃまいか。
0873名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 00:50:30ID:Gx02LK2p0874名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 01:32:02ID:WZCT2qBpそれを読むのが一番困難
0875名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 11:09:16ID:FNgY/cej一つの幕府が消滅したのと一つの戦国大名家が消滅した事の違い
0876名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:40:39ID:VvJk8vpe0877名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:11:21ID:59UeBk9N0878名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 21:31:25ID:Wox2r5Em0879名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:18:18ID:WZCT2qBp徳川
0880名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 22:40:00ID:9iM9Fouq信玄の方は嫡男だけは幽閉に留め関係者に責任を負わしたからなー
0881名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:21:24ID:k7RziOzO0882名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 04:47:04ID:7Xn23MqT0883名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 19:13:19ID:Nkdc4xkb0884名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/15(日) 23:27:02ID:fjFxiaJR0885名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 21:29:57ID:kC7cl/8+かなりいい所までいけるんじゃね?
0886名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:37:22ID:Vi8pN7ec信玄にはできなかったからこそ、二度も大敗をして優秀な部下達を死なせたのが現実。
どうあがいても村上でつまづく。最悪真田が味方に付かなかったらそのまま上杉に蹂躙されて滅亡してただろ
0887名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 22:42:16ID:NI04m9ny0888名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 23:21:36ID:a/DhGCqO0889名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 23:25:29ID:UIb8VDpq上杉家の一家臣として家名を残す。
0890名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 23:33:52ID:NI04m9ny景勝の嫁さん頼って、実際に落ち延びてる
0891名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:41:33ID:gMN1VTLnよく北条が見逃してくれたもんだよ。
0892名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:46:06ID:0zz7/Amg0893名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 20:54:25ID:DscVluxf上手くすれば、あとあと甲信を支配下にする大義名分に使えるからだろ
0894名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 23:28:25ID:k9JJTV2mhttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1161351986/l50#tag6
0895名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 01:55:45ID:+bN07+xa信玄の6男だろ。
娘は御館の乱の直後に景勝の正室として上杉に入った。
0896名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:08:59ID:6jsYDMhKそれまでは固い同盟関係で友好的だったのに。
信長が仮に包囲網を全部突破した後としても、家康の拡大は防げたろうし、
信長の天下統一の暁にはそれなりに発言権も与えられたろうし、
それどころか家康以上に扱ってもらえただろうに。
0897名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 00:10:44ID:v5Ybxv+f0898名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 11:52:52ID:6jsYDMhK0899名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 17:57:10ID:2cYHd+Nm0900名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 18:07:38ID:Dsn9oEzv(武田滅亡時に光秀いじめた、という俗説から
武田征伐の成功が理由の三職推任まで)
粘っても粘ってもダメかもわからんね
0901名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 20:49:43ID:L1Befmtt光秀がやらなくてもいずれ秀吉とかの司令官クラスの誰かが
同じ事をするはずだよ
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:00:04ID:VCv40Htg0903名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 23:40:05ID:m19DuJ3+厳密に謀反という意味では、せいぜい荒木と明智くらい。
元亀年間に離脱したような連中は、その時点では信長に臣従していたとはいえないから。
0904名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:41:03ID:3FuuwEXV0905名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 01:48:40ID:VXxeRRvt0906名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 10:57:01ID:guKY52hr村上でつまづいている以上、上杉には蹂躙されないのでは?
村上だって好きで謙信を頼ったわけではないだろうに。
0907名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 11:01:12ID:guKY52hr場合が違うと思う。
家康の場合は主人に処刑を要求されたんじゃなかったけ?
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 11:10:42ID:0hfWWvh3でもまあ嫡男を当主の意志で殺されて、
まともに残った家って少ないよなあ。
豊臣もそうだし。
0909名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 12:20:15ID:guKY52hr・長篠で大勝し、三河か美濃の重要拠点を攻略するか信長の首を取る
・織田との同盟を守り、やがては従属
・信長包囲網時に信長を暗殺
この辺が現実的みたいだな。(もちろんどれも大きな困難を抱えるが)
特に暗殺案は武田に可能だったという意味で最も現実的。
成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
0910名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:09:43ID:BgNhRgOT成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
特に暗殺案は武田に可能だったという意味で最も現実的。
成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
特に暗殺案は武田に可能だったという意味で最も現実的。
成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
特に暗殺案は武田に可能だったという意味で最も現実的。
成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
特に暗殺案は武田に可能だったという意味で最も現実的。
成功の可能性は低いが、不可能な作戦でもなかったと思う。
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 18:22:09ID:6YSxOnii0912名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 20:22:12ID:crlxjrCiいまじゃあほとんど否定されてますよ。
0913名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 22:22:10ID:9BebyjRaネプキン=家康
ウォーズマン=信玄
ロビンマスク=謙信
ブロッケンjr=浅井
ウルフマン=朝倉
カナディアンマン=今川
スペシャルマン=足利
0914名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 23:55:04ID:EnRj96rG武田家を救えたのに
0915名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:31:01ID:WHX/uPTy0916名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:31:52ID:G9arV/t00917名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/26(木) 00:56:55ID:RwPJXedE0918名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 20:26:12ID:kfpPaSWH0919名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 01:35:48ID:PPmZ7dPR0920名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 11:02:40ID:e+Itp+ZLそれ以下の武田がほろんだって・・・
まあ北条は一応大名として残ったが
0921名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 11:26:23ID:29tEuQgs0922名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 12:00:01ID:j7jFZy/3北条氏規の系統が狭山藩1万石で明治維新まで残った。
0923名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 18:59:44ID:B6yYG/pW織田に早期に臣従したとしても領国は全て召し上げられるだろうし
一武将としてなら可能だったかもしれないが、
プライドの高い勝頼の事だから潔しとしないはず
0924名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 22:05:47ID:8625rVaW0925名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 23:44:30ID:JD8ETW9y嫡男・義信が家督を継いでいたら、後世は大きくかわったかもしれない。
仮定ですよ。
0926名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 00:44:48ID:VF9pNde4粛清の的になっていたかもな。
0927名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 06:53:00ID:cqzaQRFqはじめから敵対していなければ領地召し上げはないと思う。
というか信長が降伏した相手の領地全て召し上げた事ってあったか?
0928名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 20:54:28ID:QNB6nu7i下につくというのなら、領国は削られるにしても、ある程度は安堵されただろうよ。
臣下大名が絶対嫌というなら残念だが、武田は滅ぶしかないだろう。
もちろん、織田方がとんでもないへまをすればありえるだろうが、そんなこといったら織田にやられた大名みんな、
織田がへますれば、という話になってしまう。
相手のへまを期待して考えても仕方がない。
0929名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 23:55:02ID:C2oQ/u0Tところで、家康の長男で信康って有能だったの?
0930名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 23:56:53ID:C2oQ/u0T0931名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 23:58:33ID:C2oQ/u0Tだから、滅亡ではないでしょう・・・
0932名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 01:59:41ID:zOtsBYRL荒れるネタだが、その末裔は公明書記長から→創価の飾り会長。
0933名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 06:33:15ID:LtsH4uR20934名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:36:01ID:mgK6yMsn長篠以降だと逆にこじれすぎててどうしようもないし
仮に降伏したとしても、家の後継ぎは信長の子の誰かを養子にとかで実質吸収されるだろうな
0935名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 16:27:01ID:zkVU3IO50936名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 23:40:53ID:U3Iu5kQI0937名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 00:58:31ID:J8xzMw4B0938名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 01:16:18ID:t0dZRxTs時期が来たら長宗我部のように一方的に同盟を打ち切られて攻撃される
0939名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 02:51:03ID:yFxzb0cW武田も甲斐と諏訪くらいでガマンすれば滅亡はしなかったかもな。
0940名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 03:01:32ID:xIvYCDGB0941名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 09:20:08ID:4H9ZaAlX四国への信長の方針転換は、中国戦線の側面が脅かされる危険性を考えたものだろう
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:35:13ID:EZYmGbOm土佐一国の安堵は認めてただろ
0943名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 03:34:50ID:NbKM3KXeそりゃ秀吉政権の方針では?
0944名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 05:07:27ID:U9oEP0dG0945名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 06:05:22ID:X63f+rE1信親の烏帽子親までして、信長の信の字を与えておきながら
四国で勢力拡大したのがダメというのはあまりに理不尽
0946名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 06:12:58ID:X63f+rE1ちなみに信長は四国征伐を決める前に、土佐一国と阿波南部を認めたはず
長宗我部が拒否したけど
0947名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 08:03:40ID:jdLCYzyf土佐一国と阿波と伊予南部じゃなかったっけ?
0948名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 14:27:51ID:dSYX2JAF北畠や神戸のように乗っ取られるのであれば可能。生死は知らないが。
0949名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 16:35:00ID:X63f+rE1四国征伐の時点での支配地域は土佐一国に阿波の大半と讃岐の西部、伊予の一部かな
伊予は毛利と同盟してる河野が居るから後回しだったはず
南部には攻め入ってるみたいだけど
>>944
信長との同盟は当初、四国は切り取り次第だったらしい
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 15:52:11ID:rNRgrYWaどうであれ、結局は元親の対織田外交の失敗が原因だが。
0951名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:11:25ID:c+mFttTI要は「関八州はオレのもの」と宣言してるんだけど、
その当時北条は関八州なんか全然手に入れていない状態。
武田が滅び毛利と長宗我部を滅ぼした後は北条が滅ぼされていたのは確実だな。
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 02:22:52ID:SNM49w3t四国は切り取り次第といっても、いくらなんでも信長領も切り取っていいなんてならないだろう。
長宗我部が同盟したときは三好が信長と敵対していたので問題なかったが、後に三好が信長に降服
すればそこは三好領であっても織田領国の一部。元親は、この理屈が理解できなかったのか?
0953名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 03:22:00ID:gdEYOaUJいったん認めたものを自分の都合で反古にするなんて、わがままだな>信長
よくあることだが
信長が同盟時に「○○地方は勝手次第」みたいなこと言っても、信じちゃダメって事か
長宗我部とかについては、信長は「どーせ無理だし、リップサービスだ」
くらいにに思ってた気もするが
0954名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 14:02:12ID:joeAjtDkみんな口だけってこと分かってたと思う。
0955名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 16:03:25ID:SNM49w3tというわけで、別に信長は自領への攻撃なんぞ認めてませんよ>953
0956名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:22:39ID:uvHcCXqi関八州の立場を強調しているのは確かだが、
「関東八州御分国に参る」の前の文句も考慮にいておけよ。
「御縁辺相調え、関東八州云々」の御縁辺相調えはかなり重要な文句。
要するに、切り取り次第或いは、よく働きますんでそこのところよろしく、のような意味じゃないか。
0957名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:38:37ID:f9/kygzYいや、「切り取り次第」っていうのは
「お前が取った地域はお前の領地だぞ」という意味なんだけど
0958名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:43:48ID:gdEYOaUJ勝手次第を認めたところに後から自領をつくって「ここダメね」ってのがちょっと狡っぽいなと感想言ってみた
実際にはよくある事だし当然念頭に入れておくべきで、織田関係の外交戦略失敗して三好と同盟された以上は
攻め込んだ長宗我部がアホなのは重々承知しております
0959名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 19:58:47ID:gdEYOaUJ切り取り次第って、ある種の恩賞として認められることもあるぐらいだし
テリトリーとしてその土地のことを任せると認めたと解釈できるとおもう
切り取り次第を認めた土地に他の同盟者を作る信長も信長で随分わがままだが
事実として三好に外交でしてやられて織田との同盟が結ばれてしまったのに、
十分な対応策や根回しもとらずに攻め込んだ長宗我部もアホだとも思う
0960名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:19:31ID:uT6HoMBK0961名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:29:34ID:KH8xWOAK0962名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:52:28ID:oEKNL2Zzお前は蟻が象に勝てると思うのか
鳥と蝙蝠どころじゃない、蟻と象ほどの差があったんだぞ(長宗我部と織田には)
0963名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 22:46:50ID:QLUEx/+U0964名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 22:47:55ID:b6XKJRus0965名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:00:26ID:KJ9KrNBE0966名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 00:57:08ID:OZY7Ox6u甲冑軍隊蟻… 学名(エジプティアン・キラー・アント)体長20mm
別名「砂漠のピラニア」といわれるほどの凶暴性と集団性にその特徴がある
百匹のこの蟻が集まれば、駱駝一頭を三分以内に白骨化してしまうという
知能も高く、飼育すれば人間の命令にも従うようになる為、
古代エジプトでは麻製の手袋にこの蟻を詰め、労働力の補助としていた
ちなみに現代でも、エジプトでは忙しくて人手が欲しいとき
「蟻の手も借りたい」と表現するのは、これに源を発する
民明書房刊
『実用動物辞典』よりwww
0967名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:06:07ID:hAN+cDRK0968名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:41:36ID:HSZq0ngX0969名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 01:48:09ID:OZY7Ox6uすまん、象と蟻のネタを見た瞬間に書きたくなったんだ
無視して話を進めでくれw
0970名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 00:22:07ID:1hWC90E30971名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 11:44:06ID:M7ojKck20972名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 01:02:15ID:X3HDUkrY0973名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:14:03ID:g90RQt3qもっともいち早く武田本家に滅ぼされるかもしれん
0974名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 02:59:45ID:2ltbio0j届けて買収する。
0975名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:49:00ID:8DRnl1Pq0976名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 07:19:22ID:KJYrlwKe洒落にマジレスの無粋は承知ですが
Egyptian のtiは/∫/(sheの子音)の音なので
エジプシャン が近い。固よりカタカナだから、
こっちも、飽くまで近いというに過ぎないが。
ナショナルnationalをナティオナルと言われると
違和感があるのとおなじ。
0977名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 15:38:04ID:babb+KSC学名って普通ラテン語じゃねーの?
0978名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 19:21:43ID:uf5bGPsi0979名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:48:01ID:gNefcWoq北条との密約の書状が現存してるから間違いないね
0980名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:45:52ID:WAdc98qG0981前田 ◆LIBERALCQY
2006/11/27(月) 12:11:46ID:2YsX0Is3武田勝頼は織田信忠と戦い敗れた後、太平洋の島まで流れた。
勝頼は現地の人に日本の技術をおしえ、歓迎された。
人当たりがよく島人に慕われた勝頼は島の長となった。
島長はそれから代々勝頼の子孫がつとめることとなる。
勝頼が死しんだずっと後、島に19世紀が訪れる。
遠くの国から海軍の長官がやってきて、かつて先祖を追い出した日本を支配下にしたいと言う。
子孫は快く島を拠点とすることを認め、捕鯨などにも協力したと伝わる。
0982名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 23:14:17ID:hVUNnX/S0983名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 17:18:54ID:YQ1D5h9W0984名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 23:34:26ID:20XCNPR10985名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/28(火) 23:40:42ID:CkZG3wdKレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。