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戦国大名の経済力

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 19:17:52ID:Erco/VI7
田舎大名の大内なんかが1番経済力を持っていたなんてうそ臭い
戦国大名の経済力について資料を持っている人は詳しく教えてくれ
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 20:34:50ID:W4NIp2kl
>>5
それだとそこそこにしかならないような。何のかんので信長は畿内を押さえたことが
一番大きいよ。やっぱり先進地帯はあのへんなわけで。
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 20:44:01ID:nf5VjE7o
>>5
その辺りは一国当りの石高がでかいからね。
毛利元就なんてあれだけ国を手に入れてやっと100万石ぐらいか。
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 20:54:33ID:5UHI0Yi/
武田の収入の半分以上は人身売買(笑)
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 21:00:19ID:czP6dbyj
そんなに人身売買が儲かるならそれこそ年貢なんぞ後回しで生んで
増やさせりゃいいから楽チンだよなぁ……真面目な話、そこらへんは
あくまで(経済的にみてだが)副収入としてしか機能しないんじゃないか?
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 21:36:03ID:suDAZjtH
武田の金山収入を忘れては困るな
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 22:25:09ID:bUKSqObQ
武田は紙や漆などの産業を興して特産品作りもしてたかな。
しかしそれでも人が集まる地方で税金をとった方が
手っ取り早く収入になるのは現在の法人税と同じだな。
なんだかんだで堺や京都を押さえた大名は経済力も桁違いだろう。
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 23:01:01ID:duvPxe83
人身売買は上杉じゃなかった?
しかも拉致付き。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 23:36:09ID:h8lOTGe/
人身売買は武田、上杉、大友がダントツ
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 23:58:18ID:5UHI0Yi/
島津もだろ
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 00:11:23ID:J0DVdHdy
というか話題を降るならせめてその経済効果の話も降ってくれ。
まず人身売買がどの位一国の経済に貢献してたのが分からん。
単に戦費の穴埋めレベルならここで話す意味ないし。

単に人身売買の話がしたいなら該当スレがあるからそちらへ。
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1151510417/
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 01:22:06ID:ZjoKvg/o
じゃあこの際スレに合わせて便乗して聞くけど
江戸期の島津は昆布だったりするけど当時の大内って何捌いて稼いでたの?
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 01:27:44ID:XCszf9EW
ほう
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 01:42:00ID:iQaPl/13
>>16
銅や鉄などの鉱物と、農海産物じゃない?
ちなみに室町時代の記録で、中国の寺が精進料理作るのにつかってた
干し椎茸が日本産だったそうだが、当時貿易権を握ってたのが細川か大内だったわけで
この辺も考証にはなるかと。
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 01:50:26ID:3i3D8rxq
>>16
右で買ったものを左に高く売り
左で買ったものを右に高く売ったんじゃない
0020ネットの問題点2006/08/05(土) 02:15:05ID:JaZh7UQ9
【前頭前野の異常】インターネットをやり過ぎると以下のことが起こります。
・キレやすい性格になる。
・協調性の低下。
・人をいじめたり、日常会話で暴力的な発言をする。
・羞恥心の欠如
・時間感覚の欠場
(深夜までずっと2ch)
・すぐに理屈をこねる
・集中力の低下,ぼーとしてる時が多い。
・常に2chのことを考えたり、ネットがやめられない。
・学校や会社をサボり易くなる。
・世の中に対して悲観的になる。

↑どれに当てはまりますか?ネットはやめましょう。
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 02:16:44ID:3i3D8rxq
時間感覚の欠場ってのを見て心がなごんだ
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 02:26:17ID:0CNP/5sw
武田の金山支配や上杉の港湾都市支配(商品は越後上布)は確実な史料もあり、
鋳造金貨(武田金貨は伊勢でも流通が考古学的に実証)もあるが、
織田の経済基盤は一次史料では不明らしい。矢銭(用心棒代)は
確実なのだが・・・。
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 03:14:16ID:FC5Ojv7f
ほうほう金貨が一般に流通していたのか。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 03:24:46ID:FC5Ojv7f
なんかで織田は銭をだいだい的に輸入してた。
と見た覚えがある。
大内もだけどな。
尼子の銀鉄、毛利(村上)、里見、安東の海運は確実だろ。
今川の金も。
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 03:26:15ID:iQaPl/13
>>23
このころの「金貨」は、削って重さは買って使ってたはず。
統一的な金貨は流通してなくても、金は流通しているんだよ?
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 07:01:45ID:VMCSM4vN
当時の貨幣の単位って「貫」でしたっけ?
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 07:07:06ID:VMCSM4vN
ぐぐってみたらこんなところが。
当時って貨幣と金銀を併用していたから紛らわしいな
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~sirakawa/A014.htm#J1
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 07:45:56ID:1pjm4/Kp
>>7
尾張・美濃・伊勢だけで160万石越えるからね。

ちなみに武田家は信玄のころに110万石くらい、
勝頼の代の最盛期で120万石くらい。
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 07:49:38ID:Ehh5ppcy
大内といえばこれだな
金の力は偉大なり
http://www.asahi-net.or.jp/~JT7T-IMFK/taiandir/x004.htm
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 11:34:51ID:Y+IxZwti
>>16
昆布といえば蝦夷地だろ?
なぜ南の島津が昆布なんだ?
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 14:58:56ID:AyLKuq6z
>>30
当時は錦江湾内でも取れたんだよ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 17:44:22ID:iQaPl/13
>>30
江戸期の北前船による国内貿易をなめるな。
北海道で取ったニシンを瀬戸内で木綿や菜種の肥料にして京大阪の工業地帯で
製品化しさらにそれを北前船で全国に流通させるシステムも完成されてたんだぞ。
北海道の昆布を薩摩が買い付け輸出するなんで造作もないこと。
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 18:50:59ID:Y+IxZwti
>>32
島津家の昆布って国内向けじゃなくて海外へ輸出品ってことか?
だったら納得できる
以前のNHKの歴史番組で観たのは大阪の商人が蝦夷の昆布を買い付けて
国内向けに販売していたという内容だったのでもしも蝦夷産昆布だったら
薩摩が出られる幕は無いと思っていたんだよ
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 19:01:23ID:iQaPl/13
>>33
沖縄を使った密貿易だね>島津
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 19:01:49ID:HZ11RaKr
大名の収入って両?石?
わからんけど現在で言うとどのくらいだったんだろ?
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 00:47:19ID:GD3DUskR
>>25
それは金が流通していたと言う事で、武田鋳造金貨が流通していたと言わない。
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 00:49:17ID:vUw9C6kj
>>36
そりゃ武田産の金は「碁目金」って呼ばれるように
金貨の形じゃなかったし、重量で価値の判断がされてたわけだから
「武田の金が流通してた」のは間違いじゃないと思うが…
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 02:26:53ID:ijr2LQXz
>>37
多分>>36は、武田鋳造金がコインとして流通してないと納得しないんでしょ。
ヨーロッパですら金貨ってものは18Cくらいまでは基本的に削って使うものだったのに。

ただ、武田金は純度の高い「ブランド」として信用があったから、全国どこでも使えたけどな。
これは過去西方における基軸通貨であるペルシァ金貨、ローマ金貨、ビザンチン金貨、
アラブ金貨への「信用」と意味は同じだ。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 19:54:19ID:HAxga73m
甲斐のヒルモ金(碁石金を延べた形状)が畿内にも流通してたらしい。
勝沼氏(武田一門)の居館跡で発掘されたものと、三重県で発見されたものが一致。
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 20:50:17ID:VR5NH+LM
>>33
越中商人に裏で昆布を運ばせてた
対価は島津藩内での商売許可と禁制の中国産薬種
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 20:53:39ID:HAxga73m
>>40 ちょ、それって江戸時代の話じゃね?




甲州金サイト、見つけますた。

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_06.htm
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 22:39:54ID:fLNuy+9R
税の歴史
http://homepage1.nifty.com/keimurata/mm/s/21/tax.htm

大名の財源は蔵入地と関銭・津料
それに段銭ってところか?
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 22:48:20ID:fLNuy+9R
石見銀山年3,600貫
http://www.kankou.pref.shimane.jp/cgi-bin/odb-get.exe?wit_template=navidict-SearchDetail&WIT_oid=F92z3ftbTiBVPrmt3fWHXwWNt90HhghZi0Cjy

堺の商人が村上水軍に支払った礼銭の額は、1年間で2000貫文以上
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sakura/5469/real16.html
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/07(月) 22:56:41ID:fLNuy+9R
遣明船の利益は恐るべきものがあった。遣明船は新造されることはなく、瀬戸内海水運に使
用されていた民間の船舶を借り上げられた。ある例では、安芸高崎の船が1800貫文ほどで調
達され、積荷が1500貫文ほど用意された。そして、明に進貢船として入港するため、幕府から
の勘合符をうる必要があった。その際に納める礼銭は最低300貫文くらいであった。こうして少
なくとも3600余貫文の資金が必要となった。
 これら資金の捻出は、すでにみた有力な寺社といえども簡単なことではなく、他家から借用し
たり、便乗する商人に割り当てたり、所領の農民に段銭を賦課して調達したりした。しかし、日
本で1駄10貫文の銅が明では40-50貫文で売れ、また明で1斤250文の唐糸は日本では20倍の
5貫文になった。いろいろな史料から、遣明船の利益は少なくとも10000貫文くらいの純利益に
はなったとみられている。
http://www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi2/page011.html
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 00:21:50ID:6SvlRwfa
>>42-44
サンクス、勉強になるよ。
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 10:21:47ID:vG6JlWnq
織田信長は本願寺5000貫文(8億5000万)、堺に2万貫文(34億)の矢銭を要求したそうな
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 10:26:24ID:vG6JlWnq
「人間・上杉謙信」(渡辺慶一)によれば、直江津・柏崎の「船道前」だけで
年間4万貫文(4000万文目=現代の金額で10億円)を超えたとされている。
金山の直接支配はなかったが、商人や国人領主への貸付金(金融)も莫大な規模だった
らしい(死後、土蔵から発見された証文など)越中能登を分国化した時も、放丈津や七尾を
直轄領にしているので、港湾都市支配の経済政策は一貫していたとされている。

1万貫=現在の17億?2.5億?
どっちのレートが正しい?
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 11:59:18ID:yLGBMV4j
最近は江戸期の一両=十万円っていうので(もっと高い説もあるけど)、
一貫文=千文〜四千文=一両でいえば二万五千円

いいや、戦国の一貫文はもっと高い、江戸期の一両に相当する、これで十万円
いやそれ以上だ、と諸説ある
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 12:57:17ID:jwWEk1Xp
基本的に当時の金銭価値の現代価換算は米価基準だったりするが
主食における五穀の比重が高かった当時の米は今よりは高級だっただろうからな。
単純に換算した金銭価値よりかなり高めに見積もった方が感覚的には近くなるんでない?
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 14:57:14ID:EcgF3uw/
三好はどうだったんだろ?
一時期は京や堺といった重要な都市を抑えてた時期があったけど。
経済力はすごかったのだろうか?
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 15:19:08ID:UHRk6rSp
>>50
三好は知らないけど
細川だったら大内に次ぐ経済力を持っていたよ
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/12(土) 15:49:27ID:yLGBMV4j
大陸との貿易の拠点は、博多か堺
この主導権争いが、大内と細川とのあいだに繰り広げられたのが室町期

三好長慶は堺押さえてたから、経済力はあったはず
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 18:27:12ID:49DZM+EF
北海道で現在並に米が取れたら蠣崎家の石高は400万石超えるのにな
早稲があれば蠣崎の天下も夢じゃないかもw
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 18:30:16ID:btYgBfhe
人がいない。
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 20:10:32ID:T+/o2OPo
むしろ北方貿易を活性化して後金辺りと宜しくやってほしかった。
北方領土どころか沿海州まで日本の勢力範囲になったかもしれん
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 20:28:59ID:bjKSe5Ri
彼らはその前にアイヌをどうにかしないといけなかったからねえ。
しかし、当時の満州と北海道って互いに交易する時の交易品って何かいい物あったのかね?
不勉強だがあまり思い浮かばない。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 20:44:03ID:EZRoyV6N
「蝦夷錦」と呼ばれる絹織物は大陸から輸入していたね
アイヌからは毛皮を輸出していたと以前NHKの番組でやっていた憶えがある。
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 20:57:29ID:bjKSe5Ri
>>57
しかし、後金とということになると、
後金の領土って毛皮の産地だと思うのだけどどんなものだろう?
0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 20:59:55ID:EZRoyV6N
そういえばそうだな?
毛皮くらいいっぱいあるよね?
当時北海道にしかいなかったような動物がいたのかな?
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 21:11:06ID:THbYQM55
>>59
安かったからとか?
今で言う中国産みたいなものだったのも。
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 21:21:26ID:bjKSe5Ri
>>59
北海道産に希少価値があったとしても、それほど大規模な交易にはならないような気がする。
まあ、そんな大規模になっていればもっとよく知られていてもおかしくないし、
つまりそれほど大規模ではなかったということでよいのだろうか。
少なくとも戦国時代においては。

>>60
現地でとれる毛皮より、海を越えて運んでくる毛皮の方が安いってあまりないと思う。
近代的な工業品なら人件費でって話も分かるが、毛皮では?
仮にそうでも、それほど利益が上がるほどの差額は出来ないだろうし。
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 21:45:54ID:pkortCxW
鰊でも鮭でも昆布でも
干物になる海産物はどれだけでもある
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 21:50:01ID:bjKSe5Ri
そういうのはむしろ内地向けでは?
需要もあるだろうし、大陸より近いし。
大陸は大陸の沿岸部で生産があるだろうしね。

一応大陸との交易はどうだろう?って話だから。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 22:31:03ID:49DZM+EF
内地に大陸からの貿易品流して
大陸に内陸からの貿易品流せばいいじゃないか
別に蝦夷だけのもので交易する必要はない
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 23:41:47ID:KcFc2+GT
まず、金や銀などの鉱物がどれ程の価値があったのか知りたいな。
結局これらの鉱物は貨幣としての需要しかなく、各国で貨幣を鋳造したり、大陸の銅銭代用していたような時代に、国力を計る尺度になるとは思えない。
当時の貨幣は現代のような「価値の保存」機能があったとはおもえない。真の意味での単なる余剰品だったんじゃね。
0066名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 23:47:24ID:v5qIJgb+
貨幣としての金や銀は兵器や食料の購入にあてることができるのに
余剰品であって国力にはならないと考えるのが全然分からないので
良ければ説明してくれ。
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 23:48:49ID:KcFc2+GT
徳川政権になって、鎖国にして米建ての財政をひいたのはこのためだと思われる。
当時は現代のような為替とか外貨という概念がないのだから、貿易なんか国の資本の流失でしかないからな。
内需中心の米経済をこのスレで語るべきじゃね?
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 00:01:02ID:KcFc2+GT
>66
海外との貿易だと単なる資本の流失。国内でも共通した価値貨幣がないのだから、金や銀にそれ程需要があったとはおもえない。
あなたがいう食糧や兵器の生産力が国力につながるじゃないかと言いたかったのです。
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 00:05:42ID:TUKlVX2t
貨幣って言っても秤量貨幣と計数貨幣があって
戦国時代の日本では、計数貨幣としての金貨・銀貨は統一されてなかったけど
秤量貨幣としての金・銀は流通してたでしょ? 金屋や銀屋があるんだから。
まぁ参考サイト ttp://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/feature_gra1-4.htm
>領国貨幣
 戦国時代後期から江戸時代初期にかけて、各地の戦国大名が自国領内で流通させた貨幣。
金銀鉱山の開発とともに金銀の保有が戦国大名の経済力を左右する重要な要素となったため、
鉱山の争奪戦が各地で繰り広げられた。
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 00:46:56ID:CYYZ4ot3
とりあえず東アジア圏じゃ明末期には国際間決済通貨として銀は流通している。
明産貿易財を信用担保として永楽銭が流通してたなら当然同様の理由で
銀も流通可能と考えられる。
もっとも高級貨幣故に大名大商人クラスの大口取引以外じゃ
そうそう使われなかっただろうけど。
弥生時代の鉄挺みたいなもんだな。
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 13:36:00ID:k6UflQCw
>>58
後金は漢民族の王朝のように朝貢貿易という形式だったのかな?
だとしたらアイヌ側の交易品の商品価値はあまり関係ないかも知れないよ
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 20:35:53ID:i+oyXVAC
朝貢貿易が気取れるほど余裕ないでしょう。
少なくとも経済的には。
0073名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 21:35:08ID:ukjteF6D
>国内でも共通した価値貨幣がないのだから、
>金や銀にそれ程需要があったとはおもえない。

黄金商売には「京目」や「田舎目」という基準があったわけだし、
信玄や信長も金銀「両」の貨幣価値を永楽通宝との比率で定めてる。
鳥目(貫文)は重過ぎて使えないという意味合いよりも、自然性的な金本位制
が発生していたとみるのが妥当な考えだ。事実、戦国大名間の和議交渉(例として甲越同盟)
には金が使用されているし、帰参(穴山信君の織田への降伏)も黄金が代償になることが多かった。
とくに室町末期は文化的に金銀の付加価値(使用価値)もあったので、戦国大名は永楽銭を
金に換える(上杉謙信の「かい金」)ことが多かったとされている。
上のほうにもあったが、甲州金は領内通貨としてだけでなく、畿内でも発見されている。

0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 11:39:04ID:6B+2H7T5
秤量貨幣なんだから、域外で取引に使用されていてもまったく問題ないし
特別なことでもないと思うが?
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 16:28:28ID:NpIkDzPc
銭や米は重いからね
0076名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/21(月) 06:22:10ID:a7NMvEE5
>>65
大内尼子の合戦の殆どは石見銀山の奪い合い。
大内は金銀を国外との交易にも使ってるしな。
当時兵農分離してない毛利が尼子攻めで数年にわたり数万の兵を駐屯させ
兵糧攻めができたのも石見銀山からあがる莫大な経済力のおかげ。
戦国大名にとって金山銀山は最重要拠点。
まぁ、石見銀山が特別ってのもあるけどな。
最盛時には当時の世界の産出量の三分の一を占めてたらしいから。
現在、世界遺産に申請してるらしいな。
0077名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 00:36:57ID:SkG0HrWl
>>76
三行半かも

すごいな
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 00:38:08ID:SkG0HrWl
>>76
三分の一を占めてた

すごいな
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 20:53:00ID:1+M8dLCp
>76
三分の一ってのは世界中の産出量に対して?
だったらスゴいな…
0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 23:22:59ID:Enf1AC3C
上杉は経済的には恵まれてたそうだけどそれは鉱山の収益が大きかったのか
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 01:46:12ID:CA8zNSRt
>>80

鉱山は直轄領じゃない。越後麻布の冥加金と津料が収入の大半だったらしい。
佐渡金山も部分的にしか開発してないし。津料(港湾関税)だけで、年間4万貫はすごいが。
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 01:07:45ID:qRvB2DQC
>>76-79
厳密には日本の産出量が世界の三分の一を占め、国内の銀の殆どを産出してたのが石見銀山だったらしい。
当時、石見銀山は世界の二大銀山としてボリビアのポトシと共に欧州にも知れ渡ってた。
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 01:53:40ID:d1UwBrn9
>>82
そんなに大量に掘り出された日本の銀は
今現在、地球上のどこに・どれだけ・どんな形で存在しているのだろうか??

貿易で大半が欧州に渡っちゃったのかな・・・
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 20:47:38ID:WPgKrB0r
>>83

銀→銅銭→阿片→賠償金→戦艦・近代化の基礎
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 10:41:53ID:gC+YxcWA
>>83
銀は、日本における銀貨の価値がヨーロッパ圏における銀の価値より低い為に
錬金術としてがんがん使われました。
銀貨を貨幣として取得する⇒貴金属の銀としてヨーロッパに売る
⇒差額で儲かる⇒ウマー

よって、さんざん海外流出してしまいました。

確か、だいぶ後になって幕府がその事に気づいて何かの方策は立てたと思ったけど。
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 12:10:44ID:0nLNfgL8
江戸時代は金と銀の交換比率が安すぎて
金が流出したんだよな
0087名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 12:19:49ID:pTR5zfKX
>>86
金だったか。すまん。
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 12:38:50ID:qJSoFmO0
>>84 >>85
>>83は別にそんなことを聞きたいんじゃないんジャマイカ?
むこうで銀食器とかになったみたいなことを知りたいんじゃね?
まぁ、どこで採掘された銀か?なんて解らないから探すの難しいだろうけど。
そういや関連自治体で探してたな、石見銀山に関連する欧州製の銀製品や諸々の情報を。
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 15:42:54ID:n7caQM+F
はい
日本の銀山石見銀山

ttp://www.silveracce365.com/japan-silver.html
0090名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 21:24:59ID:kjuyS6JO
信長は尾張にいた頃サラリー制に近いことをやっていた、
っていうのは司馬の妄想でせうかね。
司馬の妄想が正鵠を得ているとしても
後に信長が明らかな領主制を布いていることをみれば、
サラリー制にすることのむずかしさがよくわかる。
0091名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 21:30:54ID:gBkPCcPP
>>90

貫高取りは馬廻り衆(旗本)・弓衆・小姓のことだろ。
城下に住まわせて知行地もないんだから当然といえば当然の処置。
つか、他の大名でも同じことやってる。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 03:04:26ID:4V5CNAUV
安土山時代の日本の経済力は西洋のすべての国を含めて同等は言い過ぎかなw
0093名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 14:42:14ID:PmqO7y/o
金銀の産出量はすごいだろうね
0094名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 02:15:21ID:dy4u1H0t
0095名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 02:21:44ID:nGiPcoih
西洋の国家は、動員兵力などからみても、当時は大国とは言いがたい。
当時の大国は、トルコ、インド、明、でしょう。
オスマントルコは、西洋全部とどんぱちして、優勢だったんだし。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 02:32:38ID:5E9h8INv
戦国末期には金が取れなくなっていたところもあったんでしょ?
なら最盛期は同等かもね
0097名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 09:20:12ID:iX722n1U
この時期のインドはムガール帝国か
0098名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 10:40:54ID:UBDijh52
ていうかその頃のオスマントルコはヨーロッパの領土も獲得してたからな
0099名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 13:54:53ID:M8uX8Bul
戦国末期のヨーロッパ
・ポルトガル
順調に新大陸経営を行うものの、1578年にモロッコとの戦いで王が戦死し、
後を継いだ高齢の王の叔父も子供が無く、1580年にスペインに併合。
ちなみに王が戦死した戦いで多数の貴族が捕虜となったために、身代金で財政は破綻寸前。
・スペイン
レパントでオスマンを破り、新大陸でウハウハ……の筈だったが、
銀の輸入でヨーロッパ全体がインフレ。フェリペ2世の在位中に四度破産している。
末期には軍事費負担で財政が傾くわ、オランダ独立戦争は勃発するわ、アルマダはボロ負けするわ。
・オランダ
スペイン(ハプスブルグ家)独立戦争中
・イングランド
エリザベス1世万歳! でも、まだ大国ではない。
・フランス
ユグノー戦争で激しく内乱中
・オスマントルコ
スレイマン1世崩御後、産業革命まで緩やかに下降線を描く。
0100名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 15:41:22ID:gKxwlAYS
そういう状況で東アジアまで進出し、
さすがに現地のまともな国家と戦うのは無理でも、
台湾やフィリピン等を占領して拠点を作ったのはたいしたものだけどね。
鉄砲や大砲といった軍事技術の発展は非常に大きい。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 22:37:04ID:iX722n1U
大航海時代は英国以外はみんな赤字になるんだよな
その英国もアヘンで儲ける始末
0102名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 09:57:39ID:mgb0rhez
へ〜 俺のヨーロッパのイメージはランペルールだから勉強になる
0103名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 11:02:14ID:PqIukoPF
いや、17世紀の時点で当時のオランダの経済力っていうのは、そりゃ凄いわけなんだが…
あんな小さい国が、世界規模で貿易ネットワークを整備し、アムステルダムには巨大な金融市場が成立し、
植民地としてはインドネシアとモルッカを押さえてる。
モルッカの香料貿易でヨーロッパ市場を独占、砂糖もインドネシアで栽培して、アジア市場で売りさばいて
大もうけ。ヨーロッパでは、自国製の織物を輸出し、アジアではプランテーションを展開し、
自分の販売ルートで売りさばく。
これで、莫大な資本を本国に蓄積させているわけで、経済的な実力から言えば、当時の日本は
残念ながら足許にも及ばないです。
というか、当時の日本が大量に流出させた銀の流れている先こそヨーロッパで、
そこでは、銀を国際決済通貨とした金融市場と株式市場が成立してる仕組み。
そこを抑えてるのは17世紀はオランダ、17世紀後半以降、フランスとイギリスが
競争相手として参入する感じ。

経済史では、17世紀のオランダ、19世紀のイギリス、20世紀のアメリカは、それぞれの時代の世界の中で、
ぶっちぎりのトップ(覇権国家)だと言われている。
0104名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 12:43:23ID:Zxex518E
とはいえ、オランダがスペインと長いこと争っていて、
必ずしも一方的に優勢ではなかったのも事実。他の西欧諸国も互いに争っている。
逆に言うとそういう状況でも西欧諸国は東アジアまで進出してきていた、
造船技術・航海術と軍事技術においては明らかに東アジアよりも発展していたといえる。
ただし、さすがに送り込む兵力に限りがあるので、
本格的に侵略とまでいえるほどの影響力を持つようになるのは、18・19世紀以降。
0105名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 14:25:01ID:HQu5/pCX
>>103
>アムステルダムには巨大な金融市場が成立し、

国内に金融市場が成立して、大規模に資本が蓄積・運用できるシステムが
あるかどうかは、近代的な経済体制の成立に不可欠だな
 
スペイン・ポルトガルが、新大陸から莫大な銀を手に入れながら
結局17世紀に衰退してしまったのは、それを王室の奢侈品や教会建設に
使ってしまったから
そりゃ経済は成熟しないし、工業化もできんわ
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