【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0898名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:30:36ID:5uZicWC6目先の欲に釣られて、しかもそれを果たせない
もっとも景勝が追撃を禁じたという話が有力かもしれんけど
0899名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:33:18ID:YMQKvEMs0900名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:47:10ID:EgyHpgVBなんていうかね、だいたいどこもそうだよ。
0901名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 22:35:45ID:vasX5TPS予想外も何も西軍が勝つために何をしなければならないかわかってなかったとしか思えん。
最上とやりあって勝っても西軍主力が負けたらそれっきり。
それに対して少なくとも家康と小山まで来た東軍諸大名は戦略目標を理解してた。
だから反転したんだが……。
0902名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 22:55:45ID:9Bxf0Capそれについては詳しく知らないし、政宗厨とかはどうでもいいんだが、
歴史ヲタの俺らからすれば他所の観光開発なんてどーでもいい事より
石垣の方がはるかに重要だと思うんだが。
0903名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 23:16:52ID:sDh6EVE3>西軍が勝つために何をしなければならないか
長引けば西軍と結んだだろうことは想像に難くないが、この時点で上杉は別に
西軍と連動して動いてたわけじゃないし、家康を追い落とそう、といったすごく
大雑把な最終目的の共有はあっても戦略目標といえるようなレベルの話は
理解以前に知らされてなかったんじゃないか?
0904名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 03:33:21ID:k1cAQpjjてか、その台詞からありえないって考えるのはどうかと。
その台詞自体は景勝が嫁に言った”ワシは謙信公を父に持つ。ワシと、ソナタの間の子は、謙信公と信玄公の血を引く”
というのと同じで実際は景勝は謙信の血は引いてない。でもそういう風にいう事もある。稚気というか、なんというか。
直江が謙信のいた頃にはただの下っ端だった。
↓
だからその台詞は真実を示していない
↓
だからこのエピソード自体嘘
あなたの論法はおかしい。
0905名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 03:34:37ID:k1cAQpjj田舎大名が自慢していい気になってたのを、陪臣に馬鹿にされた。
政宗は田舎ものというエピソード。
0906名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 04:22:46ID:7v2rHn3G家康を追い落とそうと思ったら西軍と連携するのは当たり前だと思うんだが。
防衛に徹するなら最上に手を出す必要はないわけで。
それを知らされなければ判断できないようではどうしようもないぞ。
領土を広げるにしてもまだ旧領の堀を狙った方が筋がある。
上杉のやったことは西軍の一員として火事場泥棒をやっただけだろう。
0907名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 05:28:34ID:prVrAEiRそういう逸話ならそれはそれで良いんだけど
言ってる台詞が単なる嫌味で面白くもカッコ良くも無いのが問題。
ただの嫌な奴だよあれじゃ。
あと蒲生氏郷かなんかがもうちょって典雅も交えて言ったのならカッコ良いんだけど、
兼続じゃ「お前も田舎者だろ」って感じになってしまって、なんか必死。
いずれにせよカッコ悪いエピソードだ、
創作な上に創作した人物の出来が悪いんだと思われる。
0908名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 05:38:46ID:x2hq917A堀は一揆を煽動して動きを止めてたから後回しでもよかろ。
ただ、>>777で書いたが戦略的に評価できないという点は同意。
西軍が転けたら自分たちも危ないから協力しようもしくは西軍が転けたらマズいから西軍とは距離を置こう、
この程度のことが考えられないようではお話にならない。
二つに割れたとはいえ中央政権は存在しており、
もう切り取り勝手の戦国にはもどらないというのが理解できなかったのか不思議だ。
伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で、
直江もその家老止まりの器じゃないかというのが自分の評価。
民政家としても教養人としては大いに、前線指揮官としてはそれなりに評価できるが、
戦略家や謀臣としては評価できない。
0909名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 07:05:39ID:X+Xe2EJt>伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で
上杉が「中央政局を理解できない田舎大名」なのは事実だが、伊達家は伝統的に
時の中央政局と終始一貫して政治的、外交的に結びついているよ。最も顕著な
のが政宗で諸大名中、親家康派の筆頭。慶長4年の忠輝と五六八姫の縁組み、
秀忠の養女振姫の忠宗への輿入れ等、徳川家康にとっても天下統一のために
伊達家の力は必須だったわけだ。おまえが「田舎大名」というのは、大方和賀
一揆攪乱あたりを指しているのだろうが、それについての知識も脆弱だろう。
>前線指揮官としてはそれなりに評価できる
戦術家としてのこの部分がまるで駄目だな。最上義光との戦いを調べれば自明の
こと。上山筋では上杉は大敗を喫し総崩れ、長谷堂では義光の術中にはまる。
小説では「名参謀、名軍師」扱いされているが、実態は才能はその程度にすぎない。
0910名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 07:13:42ID:x2hq917A伊達の場合は主に豊臣政権下での進退が無様すぎる。
中央政局に結びついてる?
そりゃまた贔屓の引き倒しだよ。
徳川の養女もらった大名なんて山のようにいるし、
その伝で行けば父や兄を殺されたのにもかかわらず、
家康の娘を娶って関ヶ原の前哨戦で先鋒を務めた池田輝政や、
秀吉政権下から一貫して動いた藤堂高虎の方がよほど親家康派だ。
つか、伊達なんぞは分権指向の家康にフォローされなければ豊臣政権下で潰されてた野良犬大名だよ。
0911名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 07:35:30ID:X+Xe2EJtおまえは「田舎大名」だの「野良大名」だのと、感情的に主観を述べているだけ。底が浅い。
「贔屓の引き倒し」も何も、伊達氏の中央政局との強い結びつきは、奥州国守護の伊達氏植宗は無論、
それ以前の十一世伊達持宗、茂宗以来の伝統なのだから仕方あるまい。
家康が諸大名に養女を諸大名に与えたのは実際そうだが、その中で家康に信任された「筆頭」が政宗と
いう意味も理解できないと思われる。
これでは、直江兼続が「指揮官としてはそれなりに評価できる」とした根拠も具体的には述べられまい。
0912名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 07:50:27ID:4xFt2wr3伊達論議はスレ違いなんで余所でやってくれ。
ちなみに、外様の筆頭は藤堂高虎だと自分も思う。
譜代大名格、江戸城の設計に参与、臨終の席で枕頭に侍るなどから考えて。
敗北して将兵に見捨てられず、殿を努めて軍を返す。
水準以上の指揮官だと思うよ、兼続は。
0913名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 11:14:18ID:e3tUMtU4おいおい捏造櫓建設より
400年前の実物を採った方が基地外なのかよw
0914名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 21:49:39ID:VLr+cjSq>>913大分前に九州かどこかわからないけど、昔の石垣に勝手に市長が勝手に桜の樹を植えて
大問題になってたよ。歴史研究家に考古学者に大学教授まで出てきちゃって
ニュースになってたよ。歴史板にあるレスとは確かに思いたくないわな……。
結構保全保護頑張ってるんだな。大変そうだが。
0915名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 22:57:42ID:Gxn+jiUX一夜城が長良川堤防、放水路を利用した水堀と
石垣をもった白亜の天守閣をもった城になって
桜を植えて花見もできる。
…勘弁してほしい。
0916名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 22:58:28ID:p/h0ESWoそいつは、東大出ているくせに、仕事はイマイチで
何より社会性、協調性に欠くんだよな
嫌われているんだけど、ゴマスリで上司には好かれるんだよ
皆の職場にも、直江って居るんじゃないか?
0917名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:00:31ID:ZID7zoir直江はおらんが、大した能があるわけでもないが、何かと言うと
すぐに人を嫉み、陰口に精出すやつならいる。まあ、お前みたいな奴だw
0918名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:29:17ID:o5TTdvr+小判の話は、面白くもカッコよくも無いのは、史実だからじゃないかな?
創作なら、もっと面白く機知に富んだ話になるのでは
確か、その場に居合わせた大名のコメントも残っていたんじゃなかったけ?
0919名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 01:59:03ID:ZID7zoirそういう読み方は恣意的に過ぎるんじゃないのか?
0920TAB
2006/11/13(月) 02:00:20ID:KVIrBY2O0921名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 02:06:06ID:EHqFK+1dがんばって出典探して来い、て事でいいんじゃね?
名将言行録とか言い出す奴がいたら笑うけどな。
0922名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 02:10:15ID:49cznrm5扇子で器用にひっくり返してまで小判を良く眺めてから返してるのがなんか滑稽。
だったら、最初からそう言って突っ返せばいいじゃんって思った。
見得張ってる割にいかにも田舎者っぽく興味津々だったような印象まで受ける。
創作だと思うけどなぁ。
0923名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 02:17:16ID:49cznrm5居並ぶ諸侯に見せててその中で受け取ったらしいけど、
それなら初めから受け取るなよと思った。
政宗も珍しく、「陪臣だからと言って気にしないくていいよ」とか珍しく好意的、
これを単に突っぱねるのって、仮にも上杉家の外交代表として来てるのにどうなの?って思う。
こんなくだらない事で外交関係悪化したらそれこそアホとしか言いようが無いし、
この件だと政宗は「珍しく」何にも悪くないわけでw
どうにも不自然さが拭えない逸話。
0924名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 08:12:32ID:beOU7Rg1黄金1万両を景勝に献じたのは黙っている。
0925名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 08:16:09ID:lwbgtrgo上杉に反伊達の感情があったから、代表者の逸話に付託されたんじゃないの?反感の原因がいまだによくわからんが……
0926名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 10:57:01ID:IXHCxQ31会津陣物語だったはず。
0927名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 12:19:14ID:8ka48ebi伊達のほうは屁とも思っていなかったかも知れんが
0928名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 17:31:45ID:RrzbFUG5そんなところだと思うが、「上杉に反伊達の感情」ってのがいまいちわからん。
これは豊臣政権時代の話だったが、理由が思いつかないんだよなぁ。
伊達が米沢などを引き払う前に、何か迷惑な事情を残していったとかその辺だろうか・・・
0929名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 18:25:03ID:InIy6Rc6他のやつにやった一揆煽動とかは、ばっちり伝わってるんだし
単純に警戒心からくる反感にもみえないし、小判エピソードの時点だと
伊達→上杉はむしろ愛想良さ気だから余計に分からん。
0930名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 18:27:10ID:YQ84OYeTそれがどこかで直江の逸話に変わってしまったとか
それにしても逸話の多くはわざわざ景勝の代理役で出てくる事多いよな
史実でも表向きに出ることは少なかったのだろうか
0931名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 19:24:03ID:3tcSUMnM上杉家と伊達家なのであれば、基本的に歴史もあり大きい家だったわけだし、
奥州で中央から大名家として認められてるのもこの2家だし、
天分の大乱で色々あったとはいえ、婚姻関連のいざこざであって逆にそのぐらい密接だったとも言えるから、
あえてこの2家がいがみあう理由は特に無い。
だけどちょっと上で言われてるけど、上杉としての反感じゃ無くて
長尾家としての反感と言われれば非常に合点がいく。
兼続も景勝も本来、長尾家の人間であって、正統な上杉家にとっては
仇敵、にもかかわらず、思わぬところから上杉を名乗れる事になったわけで、
しかも謙信と違って上杉を名乗る正統な理由とも言える憲政を殺してなお
上杉姓を名乗っているのが景勝の代の上杉家な訳だ。
かたや政宗の伊達家は上杉と並び称された当時となんら変わらぬ家格で保ってきているわけで。
劣等感はあったかもしれない。
逸話自体は創作だと思うんだけども。
0932名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 20:57:48ID:lhh51Byz「本当は二人は仲良しだったんだよ。」
と頓珍漢な思考回路ですすみたくなってきた
0933名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:49:58ID:++37chnMそうだったのね
今まで、家格的には
上杉(関東管領)≧伊達(陸奥の国守護、奥州探題)
かと思っていたら、実は
長尾系上杉(守護代、謙信以外は)<伊達
つうことね
竹に雀の紋所も、伊達が他にも違った紋も併用しているのは上杉に対する遠慮かと思っていた。
ホントは堂々と使っていいってことなのかな?
0934名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:57:09ID:EHqFK+1dというか当時は複数の家紋を所持、使用するのが当たり前。
ちなみに仙台の史跡には九曜紋が多い。
竹に雀なんて複雑で細かいのは石に刻むのとか難し過ぎるから。
0935名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 23:07:48ID:ZID7zoir使うようになったと言う話をどっかで読んだ気がする
0936793石 ◆wfGsWQJm.U
2006/11/13(月) 23:14:24ID:hfsqF/+O0937名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:06:33ID:PVdyzPBrっていうかそれが天分の大乱の発端。
それはあくまで伊達稙宗が進めた婚姻外交の一環だったが、
息子の晴宗が猛反発、同格の上杉家に遠慮をする必要は無いとして父を幽閉してしまった。
ちなみにこの養子縁組を求めていた当時の越後上杉当主は上杉定実といって
越後の悪鬼・長尾為景に殺された上杉房能の養子。
その後も定実は兄を頼り捲土重来をはかるけど、その兄も為景の前に敗死。
結局定実も幽閉されるが、家格の利用価値はあるので、以後定実は傀儡としておかれていた。
その後、為景が死んで、長尾家内での内乱が起こった際に、
存在感を戻し始めて、その隙に後継のいない定実は越後上杉家の断絶を恐れて、
伊達家を頼ったと思われる、稙宗にとっても渡りに船という気分だったろう
だが先に言ったように天分の大乱により中止、後継のいない定実は失意のまま死去、
越後上杉家はここで断絶する。だけど竹に雀だけは何故か伝わったのかね。
0938名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:22:18ID:h0Li8JLK0939名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:34:48ID:PVdyzPBr表に出たもの、この父子のいさかいはその前からあった。
しかも晴宗は輝宗とこれまたいさかいがあり、政宗はこの父輝宗を尊敬している。
同じ伊達でも晴宗側の視点から言えばあるいはそういう見方もあるかもしれないけど、
政宗からすれば祖父と言えど晴宗の肩を持つ理由は特に無い。
上杉と繋がりを作るのはむしろ良かった事だし、横槍を入れた祖父の方が邪魔だと感じたかもしれない。
それを匂わす逸話の中で、成実が出奔した際の逸話がある。
0940名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 00:41:38ID:h0Li8JLK結局単なる「お話」なんだし、他の書き込みも作ったの誰か分からんのをみな好き勝手に
想像してるだけみたいだから「作った奴が昔身内死んだりしてたのかもねー」的なノリ。
0941名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 01:10:03ID:PVdyzPBr余程のことでもない限り天分の大乱で上杉が悪いなんて穿った見方する奴は居ない。
万が一そう見る人がいたとしてもその対象は上杉定実であって、彼の上杉家は
蜻蛉のごとく儚く散ってしまって、政宗の代には影も形も無い。
もちろん陪臣の長尾家など余計に関係ない。
上杉にとって長尾家は1000年恨んでも恨みきれなかったろうけどね。
0942名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 01:30:07ID:eQPNJsWd将軍
(鎌倉公方)
管領(執権)
関東管領・・・・・・・・・室町幕府における実質的ナンバー3
侍所所持
政所執事
門注所執事
引付頭人
評定衆
九州探題
西国探題
奥州探題
羽州探題
・・・
0943名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 09:06:32ID:2BVMzhVZ長尾上杉はなんと言っても景勝が憲政をブッ殺しているのが痛い
謙信以外は、上杉を勝手に名乗っているっつー感じなのね
0944名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 12:23:36ID:oK2NTkOl悪趣味で、グロな「黄金の茶室」を造り、悦に入っていた時期だ。
兼続がどう感じていたか興味があるな。
0945名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 12:36:20ID:9S1dPIcA黒楽嫌いの秀吉に対する利久一流の皮肉。
0946名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 16:54:06ID:uzBC6y0o害虫
0947名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 17:22:28ID:ZpYpDPkL我が国のスーパーエリート官僚のお一人であらせられた八幡和郎先生が、ご著書の中でその様に仰っておられますが何か?
世界を知り、日本を知る知見の広い先生と、仙台のど田舎しか知らない野人ではどちらの考えが大局的に正しいかは小学
生でもわかりそうなものだが。
0948名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 23:46:10ID:gJiTMzeG0949名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 20:16:17ID:DzASZiza仙台人必死ですね。
0950名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:16:48ID:sh4zpMl5一般的な仙台人からすれば石垣なんかより観光施設が拡大してくれた方が嬉しいだろうし、
外から言ってるから他人事なのかもしれんけど。
俺は歴史的な石垣やらが壊されていくのは忍びない。
こういうのはどの武将のファンとか関係なく、歴史系の板住人の総意だと思うんだが・・・。
0951名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 02:37:51ID:Mr6i6l3I愛、義って書いてあるけど、あれは愛宕権現の愛をとっている。
0952名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 04:02:28ID:jdsRbrck0953名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 16:18:44ID:NduWTfUm0954名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 08:27:47ID:W9SG1Gcxもしそれらだけの意味だったとしたら本人がそう言い残すんでないかと
上でも誰か書いてたけど、エロス至上主義者だったとか
0955名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:43:08ID:zvaZjXmr上越市の林泉寺には毘の前立ての兜が残ってる。
言い伝えはないが毘沙門天から取ったのは明らか。
毘沙門天の絵や木像が残っているのが何よりの証拠。
さて愛がなぜ愛染明王から取ったという説が高いのかというと過去スレにも出てるが同じ宝物館に愛染明王の絵や旗があるため。
それに対して愛宕権現の絵や木像は現存していないため愛染明王説に比べ確率は低い。
そのため米沢市で売られている直江兼続グッズには愛染明王の説明文が書かれている。
ただし上越市の林泉寺の近くは谷愛宕と呼ばれ、米沢市の林泉寺の近くの山は愛宕山と呼ばれているので100%愛染明王説が正しいとも言い切れない。
0956名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/19(日) 23:55:00ID:AnwiR2p0ttp://www.kougetsu.co.jp/htmls/1180-58.html
そういえば前立てって金でできてたのかな。
0957名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 18:37:22ID:C6eJamIV愛染明王と愛宕権現という二つの神様に共通する「愛」の字をとって
ゲンかつぎしたのではないだろうか
ちょうど景勝の前立てみたく三つの神の名をあしらうのを
直江はあえて一文字にしてシンプルにしたと思えばしっくりくる
0958名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:04:36ID:xKQxS6Kt0959名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:12:08ID:wDQuejY2花の慶次まで全然しられてなかったでしょうに・・・
石田のみっちゃんと評価違いすぎ・・・
似た物同士なのに・・・
0960名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:18:07ID:/7al+RTL上杉家が現在まで存続する名家で全国的なネームバリューがあり
その江戸期の中興の祖鷹山公が敬愛した人物であることが大きい。
これがなければ世間的にはただのネタキャラであったと思われる。
実際は地味に有能で不遇な人物。
0961名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 22:49:48ID:/Enw7obK逆じゃね。派手で無能でなのにラッキーに出世した人物。
このスレで散々議論したじゃん
0962名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 23:53:24ID:BM2vQXIv0963名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 08:03:04ID:PwENJ8zm議論したというよりお前が粘着してるだけだが?
0964名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 08:07:14ID:lbLWhipmおれはそもそも花の慶次って読んだこと無いがw
コミックだと掲載時中高生くらいだった世代以外あまり読ま無いとおもうが
0965名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 08:11:55ID:uhw1mZHG正確に言うと、文官として能力あったかもしれないが、家老として無能、と言ったところだろう
0966名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 09:29:02ID:HhCEVq5a0967名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 10:59:07ID:uUf8A/9b0968名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 13:36:09ID:0u5CU7/Vお家が栄えれば良家老、衰退すればバカ家老。
お家は衰退したけど、名宰相なんてことありえない。
0969名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 14:17:09ID:ypg7SrPg議論?
いつ議論になったっけ?
議論しようと史料を基に議論しようとするとアンチは逃亡ばかりしてるが
勝手な推測で二言目には『無能』
もうワンパターンで厭きちゃったよ
0970名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 19:12:35ID:LgIwqL1g0971名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 21:11:14ID:T975fEhwネタ切れになってるし
0972名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 22:58:04ID:aASNdgLw史料史料って言うけど、公的な史料になるほどきれいごとしか書かれない
「直江公は無能でした」などと藩の恥になるようなホントの事は書かれないでしょ
行動、顛末から判断して、二流人物であることは明らか
0973名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 06:42:23ID:3NbezaHE90万石もの「実」を没収した家康は実に巧妙だな。
0974名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 11:57:27ID:yayZOzavほう、行動か。
新潟県史に記載されている新潟市最初の干拓は直江兼続によるものだ。
また信濃川と阿賀野川流域の固定工事を最初に行ったのも直江兼続だ。
これによって田畑が安定し稲作の収穫も計算できるようになった。
文字通り新潟は開拓されてから日が浅い。
湿地帯が多かったため面積の割には石高が少なく、稲作以外で生計を立てるしか術がなかった。
謙信時代までは越後の財政は海上交通による税とあおその輸出でまかなっていた。
越後=金というイメージがあろうが謙信時代までは越後でそれほど金は発掘されていない。
その証拠に謙信時代の記録には他国の金を買っていた記載が残っている。
それが景勝時代になると全国の6割の金が越後と佐渡によるものになる。
会津に国替えになった後も秀吉は兼続に佐渡金山の仕置きを任せている。
無能な者が日本国一番の金山を所有する国の仕置きが出来るわけがなかろう。
記録上で見る限り少なくとも農業・鉱業・土木の才能があった事が伺える。
0975名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:41:05ID:EKD0K5Duうーん、治水工事は、いずれもはじめて手を着けたってだけで、大きな成果挙げた分けじゃないからね。
米沢藩の治水については、兼続の時代ではないけど、失敗を藩士に及ぼさないようするために、
さんざん冥加金出させていた御用商人に罪おっかぶさせて責任取らせた逸話のほうが心に残るなあ。
佐渡金山の話は、秀吉が特に命じたのは抱き込みたい筆頭家老だからということで、
特に兼続が鉱山官僚として手腕が合ったわけではないと思うよ。
秀吉の命じた伏見城などの土木工事も、総監督としての奉行はもちろん兼続だけど、
実務レベルの奉行の名を調べると、「誰がほんとうにうまい奉行だったか」がわかるので面白いよ。
「あ、こいつはあそこの工事にも名前でているから、ほんとの専門家だな」って感じで。
0976名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 23:55:50ID:23F+lSh0治水事業はどこの藩でもやっている。
たとえば最上は、
「北楯利長を登用し、庄内平野の水不足を解消した。
利長は立谷沢川の水を使って狩川から庄内平野に疎水することに成功、庄内平野の石高は十倍にふくれ上がった」
伊達も、
「後に貞山堀と呼ばれる運河を整備した。北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。
この結果、仙台藩は表高62万石に対し、実高100万石を越える米の生産量を確保した。一説には江戸中期には300万石を超えていたと言われる」(ともにWikipediaより)
治水事業をやらない藩ってあるの?
筆頭家老の直江が、大事業の責任者になるのは当然で、
>>974にもあるように、そもそも成果があったのかがまず問題。
そして成果がどれだけ直江の力量によるのかも何ともいえないところだ。
筆頭家老の仕事は内政だけじゃない。この時代の転換期に、軍事や外交が大事だったであろう。その点で無能だった。
家老として、というより将として無能だった、というほうがより正確かな。
それより、秀吉のものになった旧領の金山の管理を直江が続けているって何か変なものを感じるな?
二君に仕えるのが平気なのが直江の変なところ
0977名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 00:37:30ID:5jkkobdi0978名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 06:57:03ID:04rwrkmSさすがにそれと比べるのは酷かと。
0979名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 10:35:20ID:HdeCrsobそれに比べて>>972はケチをつけることしか能がないのかね。
藩の記録で兼続を叩く様な記載をするわけがないというが悪政を行えば何かしらの史料が見つかるはずだ。
例えば反兼続派の人間達の史料とかな。
藩内にそういった史料がなければ隣国の大名家や藩の史料に書き記されてるはずだ。
いろんな大名家や藩の史料を調べてみろ、悪政を行った人間の史料のひとつやふたつは見つかるぞ。
米沢藩でいえば上杉重定の時代の家老森平右衛門が私利私欲に走って悪政を行っていた史料が存在しているぞ。
もっと有名なところでは鷹山時代の七家騒動もある。
藩の恥だから史料を残さないなんて発想は知識云々以前の問題。
馬鹿馬鹿しいを通り越して呆れるばかりだ。
0980名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 11:04:53ID:HdeCrsob軍事や外交が無能だって?
確かに関ヶ原で西軍につかせたのは失敗だっただろう。
といっても、それは結果論であって結果を知っている後世の人間はどうとでもいえる罠。
ギャンブルの結果を見て第三者が賭けて外した奴に「何故当りに賭けなかったの?」といってるのと同じだよ。
以前では柴田勝家と秀吉どっちに組するかで秀吉に組して成功してるが。
ここで勝家に組していたならば北条氏と同じ運命を辿っていたかもしれないぞ。
関ヶ原の敗戦で景勝流罪、兼続斬首で決りかけていたところから減封まで持っていった。
これ等を見て総合して見る限り外交手腕がなかったと言い切る方がおかしいんじゃないか?
0981名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 11:48:49ID:SKOwiYGQ反論できやすいところしか反論しないレスに萎えた。
史料史料という割には、何もいえていないに等しい。
おまいさんがみごとにスルーした部分(治水とか奉行評価とか)に価値があるのに……。
0982名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 12:24:56ID:FhOq6G0e越後全体では禄高は微増だが1582年にはじまった治水工事によって阿賀野川流域は人口も石高も大幅増で1598年には現在でいうところの阿賀野市が新潟県中越と下越地区で一番栄えていて人口は5000人を超えて石高は5000石越え
越後国内では春日山城下の上越に湊町として栄えた柏崎に次いで3番目の規模だよ
それまでは越後北部で栄えていたのは本庄氏の城下町だった村上市と新発田氏の城下町があった新発田市
0983名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 12:30:59ID:FhOq6G0e信濃川流域は直江家や上田長尾氏や栖吉長尾氏の領地が点在するんで栄えていて当然という意見が出るとおもうのでやめとく
0984名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/23(木) 22:17:44ID:ExlUqGJs減封で済まされたのは、外交が良かったからじゃない。
徳川の基準は、利用価値があるかどうか、だ。
上杉には利用価値がある。それは、伊達の押さえに役に立つ、ということ。
だから、30〜15万石で生かさず殺さず貧窮させて残しておこう、ということだったのだろう。
まあ、直江は家中で自分の外交が良かったようなポーズを見せたのだか、それは知らんが
0985あ
2006/11/23(木) 23:51:05ID:NxtfJ2cO筆頭家老なのにいつの間にやら名前見なくなってしまったよ。
0986名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 07:34:15ID:BNo8KCrbとりあえず目の前の箱がなんだったか思い出せ
0987名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 11:29:15ID:zcpJLMSAそれをいったら幕府にとっては徳川本家以外はどうでもいい扱いでしょ。
西軍についた武将は当然の事、東軍についた武将でも後にケチをつけて改易してるし。
東軍について改易された武将が一番馬鹿をみてるわけでさ。
高台院も家康の掌の中で転がされて豊臣家が滅亡直前になって気付いたが時既に遅し。
家康を支えた本多家ですら秀忠の代にはケチをつけられ改易。
とどのつまり利用できるものは利用していらなくなったらポイ捨てっちゅうことやね。
古今東西権力者のよくやる手段ですわ。
0988名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 13:33:11ID:3mKwPNgb直江家は、 断 絶 !
直江も可哀相な椰子だね。こまネズミの様に働いたのに否定されちゃったのね。
正確には、直江自身だか妻だかが潰した。反対派の攻撃を予想しのことだろう
0989なにい?
2006/11/24(金) 15:06:54ID:vi5ViKm/え?兼続の代であぼ〜んしたの?嫡子無しとか?あるいは不手際?
0990名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 16:08:09ID:hQAkwL7K兼続の実弟の子を養子にしたりと最初は直江家存続のために動いてたみたいだ。
婿養子の本多政重が直江家を去ってからは御家存続の動きがパッタリとなくなってるな。
直江家が断絶した理由は兼続夫妻の意向だったのか上杉家の意向だったのかは不明。
知っているとすれば上杉家の末裔と兼続の実弟の大国家と樋口家の末裔だけだろうな、今のところは。
0991名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 19:23:07ID:aOkC2Kax友達に直江って名字の奴がいるんだけど、直江家の末裔だと言ってた。
嘘だったのか…?
新潟県上越市在住。
0992あ
2006/11/24(金) 19:38:38ID:8pHjlx180993名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 20:11:35ID:hYfwIKz+上越なら近くに直江津ってあるだろ?
あそこから苗字が取られているんだよ
0994名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 22:03:00ID:BfyxElnb多分、同一人物が繰り返し暴れているというのもあるんだろうけど。
0995名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 09:16:00ID:o74+jMog一概に嘘とも決め付けられまいて
直江家の分家筋にあたるのかもしれない
景綱には男子はいないとされてるけどお船の方には姉がいたとされていて、その姉に謙信が恋心を抱いていたとの逸話が残ってる
もしかするとその姉の血筋かもしれない
この姉とされる人物は史実で存在したのか怪しい部分があるのだが逆に絶対存在していなかったという証拠もない
それから景綱より前の先祖で分かれた血筋という線もあるしな
少し前までは鬼小島弥太郎とて逸話上の人物とされていたけど今では存在した可能性があるとの見解が増えているくらいだ
確か長野県に住む人が鬼小島の子孫を証明するために宝物の鑑定依頼をしてたな
まだ真意は発表されていないが
0996名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 12:54:08ID:5Fj9pmLd0997名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 13:35:23ID:iIWx8c6fレス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。