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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0853名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:39:39ID:3hLTuwWJ
>>852
史料批判は基本中の基本だから当然の事だけど、それにはまずその
「史料」を批判しなきゃいけないんであって、史料の内容、成立過程を
検証もせずにいきなり「正史は権力者が好き勝手にできるから」とか
言い出してしまうと説得力など何にもなくなるぞ?
0854名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 11:25:22ID:nq805ss1
>>849>>852
おまいら上杉家の事あまり知らないだろ?
知っているのは一般に出回っている歴史書の知識くらいでさ。
兼続亡き後の景勝の書状にはお船の方の指示を仰げといった書状が何通か残ってるぞ。
今年、米沢で上杉景勝展が行われたんだが、その資料の一部を抜粋すると、
『直江兼続の妻直江後室が他の女性とは異なり米沢藩内で特別な地位にあったことを、編纂物ではない史料「越後供養帳」において確認でき、さらに上杉定勝にとって特別な女性であることが確認できた。』とある。
ここ数年、米沢では鷹山、謙信、景勝と連続して特別展を開いて研究結果を公表しているんで、早ければ来年あたりにも直江兼続特別展を開いて研究結果を公表するだろう。
こういう調査は国や県レベルによっての研究結果であるんで信頼性はピカ一。
世の中の人は、おまいらの勝手な想像と国や県レベルの調査とどちらを信用するよ?
いわなくても結果はわかるよな?

0855名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 12:09:15ID:AFoQgqWv
>>854
>国や県レベルの調査

 県や市町村単位でも、地元所縁の有名武将などは、それなりにバイアスが
 かかることがあるよ。むしろ市井の民間の研究者なんかが、地味ながらいい
 ものを発表することがあるし。
 
0856名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 12:20:07ID:VtsWCXTQ
>>855
それは同意だが、その場合はまずその「いいもの」を具体的に上げないと意味無くないか?
市井の研究で信頼のおけるものが、国の研究でも信頼できるないものがあるかないかなら
そりゃ両方とも一定数はあるだろうね、としか答えられないわけで。

一定の信用がおける、広く手に入る基礎研究であること、を基本にして話すんでないなら
更に遡って元史料を自分で調べた結果をここでちゃんと説明しないといけなくなるわけだし。

……無論、本当にそこまでしてくれるんなら興味深く拝聴するけれども。
0857名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 14:23:49ID:s+CxYDz2
くだらねー争いしてる奴らがいるなw

資料を疑うのは結構だが、個々が独自に信頼する資料に基づいて争って
たら、議論にならんだろ。
普通は通説に基づいてなされるもんだ。

別の説に基づくなら、確たる根拠を呈示しなければならん。
「〜だと思う」というような個人的見解は根拠にならん。
0858名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:40:46ID:VtsWCXTQ
普通は通説にも史料が付随するもんだから結局変わらなくないか、それ。
0859名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:47:58ID:s+CxYDz2
各専門家が研究した結果、多くの専門家の意見が一致したのが通説。

一ちゃねらが独自の判断で、或る資料に基づいて考えついた説とは違う。
0860名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:57:53ID:VtsWCXTQ
だからその研究家が研究したのにも史料があったはずだよな、て事。
その元史料に疑いがあるとか言い出すのが絶対居るから。

そもそも「多くの専門家の意見が一致してる」という判断自体がすでに
恐らく個人で違っちゃってるし。
0861名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 16:20:41ID:p9bLwhqh
>>854
直江ってのは、とにかく権力者には覚えめでたい奴
だから、藩主には信頼されるけど、有能かどうかは別問題じゃないかい?
0862名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 16:24:08ID:ggizQ0+N
家康に逆らって120万石を30万石に減らした時の家老だからな
評価が辛くなるのが普通だけど、小説とかだとかっこよく書かれてるんだよなぁ
0863名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 22:14:02ID:kyJJO2PV
>>854
米沢の歴史研究関係は相当キモいぞ?
商工会議所などからのオラが村バイアスかかりまくりで、
兼続&上杉マンセー以外のこといったら即刻会追放w

基調講演とかが、尻尾振りちょうちん持ち作家の童門冬二だから、
ここまでくると、もう「米沢市民が調べた」だけですでに疑わしさ100%オーバー。
発表会何ざ、キモい田舎者のオナニー討論会以外の何者でもない。
会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
さすがに会津のあれほどではないが。

0864名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 22:36:05ID:VtsWCXTQ
>>863
正誤はこの際置いておくとして、どんな史料を主にして論考してます?

別に是非を問いたいわけではなく、ある史料を信じる人の批判、反対をする側が
元にしてる史料も知りたいと思うだけなので、端的に史料、論文名さえあげて
頂ければいいです。じゃないとその賛否で無駄に荒れそうですし。
0865名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 11:05:13ID:Z2KOUBlW
>>863
あほですか?
米沢市の史料はきちんと国の管理下で行われているが
だいたい米沢市だけで調べてどうやって国宝や重文に指定できるんだよ
市町村がOKすれば国宝になるのか?
それで済むなら全国中国宝や重文だらけだ
史料で太刀打ちできなくなったら逸話で対抗して、それが通用しなくなったからって今度は上杉の史料叩きかよw
めでてーな
0866名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 11:56:57ID:Kg4Zpdtb
『正伝 直江兼続』渡邊三省(恒文社)は、確か越後のお膝元の直江の研究者だろ。
巻頭で、地元の商工会議所の会長だかが、著者の直江像をよいしょしている。
伊達家との抗争などは、ほとんど伝承と憶測で描かれている。
0867名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 14:35:29ID:vRibD+2j
なんで伊達家は上杉に目の仇にされてるの?
政宗が大判を見せたのを兼続がおちょくった逸話なんてその台詞からして創作であることがばりばり
「謙信公以来軍配を授かった手で伊達の金なんかもてねーよ( ´,_ゝ`)」
歳や履歴からして謙信存命中に軍配預かったなんてありえねーのに…
0868名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 14:57:31ID:2OTVaJlx
>>867
創作なんだから誰が作ったのか分からんと思うだが。

辿った出典が上杉の史料だったりするなら寡聞ですまん。
0869名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 21:01:41ID:PZPRN2VU
史料の真意はまぁ、いろいろあるけどさ
なんていうか評価が極端すぎるんだよ。有名になる人物だから明もあれば暗もある
史料を疑っていたら他の武将だって扱き下ろせてしまうだろ
あと、〜よりもなんていう話はナンセンス
立場が違えば行動も違ってくる。それだけで愚将扱いはアンチ以外の何者でもない
0870名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 21:39:41ID:2OTVaJlx
別に極端でもいいと思うけどな、どうせ2chだから(さすがに荒らしは勘弁だけど)。
信じる信じないは読み手の勝手、てのは板、スレ問わず暗黙の了解なんだし。

ただそれなりにまとまった意見を言うのに論拠となる元史料すら書いてないんじゃ
読んでる人間がその判断をできないから読み飛ばすしかなくて書き込む意味が
あんまりないとは思うけど。
0871名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 01:00:32ID:dCdKcNVn

つまり、

内政能力があり、功績があった。しかしそれ以外は無能だった。
人格は悪く、嫌われていたが、権力者にはしっかり信頼されていた。

だから、良い部分は正史に書かれ、悪い部分は逸話として残った。
それだけのことでしょ。
なにも矛盾無いんじゃないかい?
史料がどうとか、話をこじれさせる奴がいるな
0872名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 01:09:30ID:9Bxf0Cap
兼続の評価はまた別として、
まぁ100%創作だろうけど、兼続が政宗の見せてくれた金を扇子で受け取った話は俺は普通に引いた。
なんか嫌な奴だなって思った。もっと洒落の効いた事で返すならともかく、面白くもカッコよくもない、陰湿。

これは一体どういう筋から出てきた逸話なんだろうな。
0873名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 02:23:52ID:Xb8vgE8/
>>865
資料資料と言うけれど、たとえば、
>>866みたいな出版物で現代の米沢の人間が
キモい兼続よいしょをしている、というのは「たしかな資料を元にした批判」ジャマイカ?
実際、米沢の上杉&兼続よいしょは、いかにも偏狭な田舎者のファビョり混じりの盛り上げで、
会津の次くらいに気持ち悪い。
ついでに、おまえさんのようなファンがキモイのもたしかな資料に基づく批評だw
0874名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 02:30:42ID:sDh6EVE3
>>873
865がしてるのは、そもそも資料じゃなくて史料の話じゃないのか?
0875名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 07:18:42ID:UJzrfXZr
>>869
それだけで名将扱いは信者以外の何者でもないけどな。
0876名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 10:10:23ID:Z1i6b+6k
地元だから多少のバイアスがかかっているというのは一理あるとしても、
それでも資料に基づいて学説や論文をだしているわけだから、それを一読
したうえで判断ずればよい訳だし、何よりも>>873の書き込みからは議論云々
というより、「僕は直江山城守が嫌いです」ということしか伝わってこない。
0877名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 11:52:20ID:i/pc5ykU
僕は与六が嫌いです
0878藤田信吉2006/11/11(土) 12:35:06ID:FP8iAXO1
僕は直江山城が嫌いです
0879名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:00:41ID:Plu2zAo+
ゴネ厨を地獄送りにした逸話は大好きです
0880名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:52:27ID:xrL28nFr
>>871>>873
無能だったという史料を提示せよ。この一言だ。
お前達の個人的な感想など俺達は聞いちゃいない。
直江兼続が無能だったという確かな史料があるなら俺達は素直に見てみたいし、大いに興味がある。
当時を生きていた人間が現代にいない以上、確かな史料によって判断するしかないのが現状だ。
国宝や重文に指定されたものは上杉家だけでなく関係を持った朝廷や大名や人物の史料とも照らし合わせた上で信頼性が高いと判断されてお墨付きを頂いた代物だ。
現状でこれ等の史料を信じないで何を信用しろというのか?
ひとついっておくが勘違いしないで貰いたい。
誰のファンであれ真のファンなら史実の人物像を知りたいわけだ。悪い部分も含めてな。
大坂の役で安田能元の功績をわざと家康に伝えなかった時の兼続は俺は嫌いだし、人の上に立つ者としては失格だと思う。
だがそういった部分も含めて総合で見て好きな奴は好きなんだよ。
好きな人物の良い部分しか見ようとしなかったり、悪い部分を良い方に見ようと勝手に解釈する様な奴は真のファンとはいえない。




0881藤田信吉2006/11/11(土) 14:02:54ID:FP8iAXO1
>>880
客観的な史料出せと言ってる一方で、主観バリバリの発言もしてるし。
矛盾だらけだなチミは
0882名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:08:41ID:xrL28nFr
>>881
最後の一行か?
確かに我ながら突っ走り過ぎた書き込みだ。
0883名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:12:46ID:c9mg8A0p
>>578
>己個人の想像で書き込みしてる輩ばっかだな。残ってる史料で見てみろよ。
 関ヶ原合戦前の上杉家は徳川秀忠と親密な関係だぞ。
 慶長5年3月21日付の手紙では上杉家が城下の整備と武力増強をするのはもっとも
 な事といった内容の書状が秀忠から送られている。
 少なくとも慶長5年3月21日までは上杉家と徳川家との親交はあった。
 上杉家にしてみれば秀忠と親睦を深めていたわけだから、よもや戦争をふっかけてくる
 とは思わなかった部分もあるのではなかろうか

家康親子にまんまと騙されたんだろ。徳川の詰問使の伊奈昭綱と河村長門が
「景勝非違八ヶ条」の弾劾状をを景勝に突きつけたのが、慶長5年4月1日。
この時点で、上洛勧告はもはや上洛「命令」に変化している。
景勝、兼続がいかに甘い現状認識だったかがわかるな。
0884名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:30:03ID:y4mnUolf
前立の愛はラブじゃなくて愛染様からでよろし?
0885名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:45:38ID:sDh6EVE3
愛宕からって説もある。
0886名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:31:49ID:rNRgrYWa
>>872
それは自分も思った。別段とんちや機知を働かせたわけでもないのに、なんだって
あんなに持ち上げられてるんだろう。

もう一つ、「閻魔への手紙」のエピソードもひいた。
これも兼続の人格マンセーに使われているけど、事象をみればようするに理論で説得
することも出来ず、金銭なり利得なりで和解も出来なかった裁判を暴力で黙らせた
だけだろう。しかも被害者側の遺族斬り殺して。
たんに無能なだけじゃん。
0887名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:37:55ID:/EPkIcep
戦国にはよくあること
0888名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:49:33ID:/EPkIcep
ゴネ厨を地獄送りにすりゃ現代でも拍手喝采するよ 俺はw
0889名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:54:44ID:9Bxf0Cap
>>867
別に上杉に目の仇にされる言われは無いはずだが、長尾となると色々あるのかもね。
成実が政宗と喧嘩別れした時に、景勝が成実の武勇を買って破格で召抱えようと言ったら、
「何故家来筋に仕えねばならんのだ」って断ったっつー逸話もあるし。

確かに本来で言う上杉家の流れで言うなら
管領上杉から名前一字と竹に雀を拝領してる成実の流れと、
その管領をぶっ殺して越後を乗っ取ったが、憲政がその辺完全無視してくれたおかげで
上杉家を名乗ることになった長尾家が本来は家来筋と言うのは間違った認識じゃない。
これは上杉を名乗る長尾家にとっては我慢できないかも。
0890名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:07:32ID:xrL28nFr
>>884
現在では愛染明王から取ったとの説が高い。
根拠として上越市の長尾上杉家の菩提寺であった林泉寺に歴代長尾上杉家当主が拝んでいたとされる愛染明王の絵画がある事と愛染明王の字が書かれた旗が残っている事の2点。
その次に高いのが>>885氏のいう愛宕神から取った説。
春日山と林泉寺の間は現在も谷愛宕と呼ばれており長尾上杉家時代は越中や加賀方面に向かう時はこの谷愛宕の道を通っていた。
現在も上杉謙信の母虎御前の墓所がある。

>>886
逸話で引くのは勝手だが、それで史実の兼続が無能と決め付ける考えはおかしいだろ。
逸話の中の兼続が無能だというのなら、まだ話はわかるが。
お前は史実とフィクションと混同してしまってる。
0891名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:36:33ID:47Xq/3rM
>>872 >>889
小判の話は本当なのではないかな。
会津移封以来、伊達の番犬は上杉の役割だと思われ。
伊達に噛み付いて、職務に忠実である、と秀吉にアピールしていたのではないかと。

直江の権力者からの好かれ方は尋常で気がする。
権力者の痒い所によく手が届く奴だったのではないかな
0892名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:45:46ID:LrqJo9CT
>>891
伊達の番犬兼徳川の背後で牽制が会津大名の仕事。

つか、前任の蒲生と伊達の関係を見ていれば伊達に好意的にはなれんのではないかと。
伊達の側も一時期だけとはいえ旧領になった土地に入った自分の押さえに好意的になれるはずもなし。
0893名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:49:25ID:RpX9Oo0E
政宗は時の権力者から嫌われまくってるね どさくさに一揆は扇動するわ
0894名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:59:05ID:sDh6EVE3
>>891
ていうかこれだけ話題に出てるのに結局誰も、そしてどの出典も明らかにならない
時点ですでに単なる作り話なんじゃないかって気もするけどな。
0895名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 17:10:25ID:94NTnaIS
だんだん政宗がゴネ厨に思えてきた・・・
0896名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 18:25:20ID:EgyHpgVB
>>895
モチツケw

ていうか、何でこんなに直江の人格批判が……。
そんなによいしょされてんのかぃ
0897名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:26:52ID:xrI7RRT/
>>863
> 会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
> さすがに会津のあれほどではないが。

いや、それだったら会津だけじゃなく政宗厨の集団である仙台の団体よりも随分ましな部類に入るぞ。あいつらも基地外だ。
こいつらときたら、城の石垣にこだわって観光開発のチャンスを自ら潰してしまうような愚劣な連中だからな。
0898名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:30:36ID:5uZicWC6
関ヶ原の時、西に戻る家康を追撃せず最上相手に領地稼ぎに走ってしかし食い止められる、という時点で戦略家としてはあまり評価できるとは思えないなぁ
目先の欲に釣られて、しかもそれを果たせない
もっとも景勝が追撃を禁じたという話が有力かもしれんけど
0899名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:33:18ID:YMQKvEMs
関ヶ原が早く終わりすぎた 東西両陣営予想外だったろうよ
0900名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:47:10ID:EgyHpgVB
>城の石垣にこだわって観光開発のチャンス
なんていうかね、だいたいどこもそうだよ。
0901名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 22:35:45ID:vasX5TPS
>>899
予想外も何も西軍が勝つために何をしなければならないかわかってなかったとしか思えん。
最上とやりあって勝っても西軍主力が負けたらそれっきり。
それに対して少なくとも家康と小山まで来た東軍諸大名は戦略目標を理解してた。
だから反転したんだが……。
0902名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 22:55:45ID:9Bxf0Cap
>>897
それについては詳しく知らないし、政宗厨とかはどうでもいいんだが、
歴史ヲタの俺らからすれば他所の観光開発なんてどーでもいい事より
石垣の方がはるかに重要だと思うんだが。
0903名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 23:16:52ID:sDh6EVE3
>>901
>西軍が勝つために何をしなければならないか

長引けば西軍と結んだだろうことは想像に難くないが、この時点で上杉は別に
西軍と連動して動いてたわけじゃないし、家康を追い落とそう、といったすごく
大雑把な最終目的の共有はあっても戦略目標といえるようなレベルの話は
理解以前に知らされてなかったんじゃないか?
0904名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 03:33:21ID:k1cAQpjj
>>867
てか、その台詞からありえないって考えるのはどうかと。

その台詞自体は景勝が嫁に言った”ワシは謙信公を父に持つ。ワシと、ソナタの間の子は、謙信公と信玄公の血を引く”
というのと同じで実際は景勝は謙信の血は引いてない。でもそういう風にいう事もある。稚気というか、なんというか。


直江が謙信のいた頃にはただの下っ端だった。
        ↓
だからその台詞は真実を示していない
        ↓
だからこのエピソード自体嘘



あなたの論法はおかしい。

0905名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 03:34:37ID:k1cAQpjj
>>872
田舎大名が自慢していい気になってたのを、陪臣に馬鹿にされた。
政宗は田舎ものというエピソード。
0906名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 04:22:46ID:7v2rHn3G
>>903
家康を追い落とそうと思ったら西軍と連携するのは当たり前だと思うんだが。
防衛に徹するなら最上に手を出す必要はないわけで。
それを知らされなければ判断できないようではどうしようもないぞ。

領土を広げるにしてもまだ旧領の堀を狙った方が筋がある。
上杉のやったことは西軍の一員として火事場泥棒をやっただけだろう。
0907名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 05:28:34ID:prVrAEiR
>>905
そういう逸話ならそれはそれで良いんだけど
言ってる台詞が単なる嫌味で面白くもカッコ良くも無いのが問題。
ただの嫌な奴だよあれじゃ。

あと蒲生氏郷かなんかがもうちょって典雅も交えて言ったのならカッコ良いんだけど、
兼続じゃ「お前も田舎者だろ」って感じになってしまって、なんか必死。
いずれにせよカッコ悪いエピソードだ、
創作な上に創作した人物の出来が悪いんだと思われる。
0908名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 05:38:46ID:x2hq917A
>>906
堀は一揆を煽動して動きを止めてたから後回しでもよかろ。

ただ、>>777で書いたが戦略的に評価できないという点は同意。
西軍が転けたら自分たちも危ないから協力しようもしくは西軍が転けたらマズいから西軍とは距離を置こう、
この程度のことが考えられないようではお話にならない。
二つに割れたとはいえ中央政権は存在しており、
もう切り取り勝手の戦国にはもどらないというのが理解できなかったのか不思議だ。

伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で、
直江もその家老止まりの器じゃないかというのが自分の評価。

民政家としても教養人としては大いに、前線指揮官としてはそれなりに評価できるが、
戦略家や謀臣としては評価できない。
0909名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:05:39ID:X+Xe2EJt
>>908
>伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で

 上杉が「中央政局を理解できない田舎大名」なのは事実だが、伊達家は伝統的に
 時の中央政局と終始一貫して政治的、外交的に結びついているよ。最も顕著な
 のが政宗で諸大名中、親家康派の筆頭。慶長4年の忠輝と五六八姫の縁組み、
 秀忠の養女振姫の忠宗への輿入れ等、徳川家康にとっても天下統一のために
 伊達家の力は必須だったわけだ。おまえが「田舎大名」というのは、大方和賀
 一揆攪乱あたりを指しているのだろうが、それについての知識も脆弱だろう。

>前線指揮官としてはそれなりに評価できる

 戦術家としてのこの部分がまるで駄目だな。最上義光との戦いを調べれば自明の
 こと。上山筋では上杉は大敗を喫し総崩れ、長谷堂では義光の術中にはまる。
 小説では「名参謀、名軍師」扱いされているが、実態は才能はその程度にすぎない。
0910名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:13:42ID:x2hq917A
>>909
伊達の場合は主に豊臣政権下での進退が無様すぎる。
中央政局に結びついてる?
そりゃまた贔屓の引き倒しだよ。

徳川の養女もらった大名なんて山のようにいるし、
その伝で行けば父や兄を殺されたのにもかかわらず、
家康の娘を娶って関ヶ原の前哨戦で先鋒を務めた池田輝政や、
秀吉政権下から一貫して動いた藤堂高虎の方がよほど親家康派だ。

つか、伊達なんぞは分権指向の家康にフォローされなければ豊臣政権下で潰されてた野良犬大名だよ。
0911名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:35:30ID:X+Xe2EJt
>>910
おまえは「田舎大名」だの「野良大名」だのと、感情的に主観を述べているだけ。底が浅い。
「贔屓の引き倒し」も何も、伊達氏の中央政局との強い結びつきは、奥州国守護の伊達氏植宗は無論、
それ以前の十一世伊達持宗、茂宗以来の伝統なのだから仕方あるまい。
家康が諸大名に養女を諸大名に与えたのは実際そうだが、その中で家康に信任された「筆頭」が政宗と
いう意味も理解できないと思われる。

これでは、直江兼続が「指揮官としてはそれなりに評価できる」とした根拠も具体的には述べられまい。
0912名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:50:27ID:4xFt2wr3
>>910-911
伊達論議はスレ違いなんで余所でやってくれ。

ちなみに、外様の筆頭は藤堂高虎だと自分も思う。
譜代大名格、江戸城の設計に参与、臨終の席で枕頭に侍るなどから考えて。

敗北して将兵に見捨てられず、殿を努めて軍を返す。
水準以上の指揮官だと思うよ、兼続は。
0913名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 11:14:18ID:e3tUMtU4
>>897
おいおい捏造櫓建設より
400年前の実物を採った方が基地外なのかよw
0914名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 21:49:39ID:VLr+cjSq
藤堂高虎が筆頭というのは納得できる。伊達もそれに次ぐという感じ。

>>913大分前に九州かどこかわからないけど、昔の石垣に勝手に市長が勝手に桜の樹を植えて
大問題になってたよ。歴史研究家に考古学者に大学教授まで出てきちゃって
ニュースになってたよ。歴史板にあるレスとは確かに思いたくないわな……。
結構保全保護頑張ってるんだな。大変そうだが。
0915名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:57:42ID:Gxn+jiUX
>>897の理想は墨俣。
一夜城が長良川堤防、放水路を利用した水堀と
石垣をもった白亜の天守閣をもった城になって
桜を植えて花見もできる。
…勘弁してほしい。
0916名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:58:28ID:p/h0ESWo
うちの職場には直江みたいな奴がいる
そいつは、東大出ているくせに、仕事はイマイチで
何より社会性、協調性に欠くんだよな
嫌われているんだけど、ゴマスリで上司には好かれるんだよ

皆の職場にも、直江って居るんじゃないか?
0917名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:00:31ID:ZID7zoir
>>916
直江はおらんが、大した能があるわけでもないが、何かと言うと
すぐに人を嫉み、陰口に精出すやつならいる。まあ、お前みたいな奴だw
0918名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:29:17ID:o5TTdvr+
>>907
小判の話は、面白くもカッコよくも無いのは、史実だからじゃないかな?
創作なら、もっと面白く機知に富んだ話になるのでは
確か、その場に居合わせた大名のコメントも残っていたんじゃなかったけ?
0919名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:59:03ID:ZID7zoir
>>918
そういう読み方は恣意的に過ぎるんじゃないのか?
0920TAB2006/11/13(月) 02:00:20ID:KVIrBY2O
sw
0921名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:06:06ID:EHqFK+1d
もういいから肯定にしろ否定にしろその話したい奴は
がんばって出典探して来い、て事でいいんじゃね?

名将言行録とか言い出す奴がいたら笑うけどな。
0922名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:10:15ID:49cznrm5
その逸話の兼続って「そんな不浄なものを持っては穢れる」と言いながら
扇子で器用にひっくり返してまで小判を良く眺めてから返してるのがなんか滑稽。
だったら、最初からそう言って突っ返せばいいじゃんって思った。

見得張ってる割にいかにも田舎者っぽく興味津々だったような印象まで受ける。
創作だと思うけどなぁ。
0923名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:17:16ID:49cznrm5
あぁあとこの逸話って別に兼続だけに見せたわけでも無くて、
居並ぶ諸侯に見せててその中で受け取ったらしいけど、
それなら初めから受け取るなよと思った。

政宗も珍しく、「陪臣だからと言って気にしないくていいよ」とか珍しく好意的、
これを単に突っぱねるのって、仮にも上杉家の外交代表として来てるのにどうなの?って思う。
こんなくだらない事で外交関係悪化したらそれこそアホとしか言いようが無いし、
この件だと政宗は「珍しく」何にも悪くないわけでw

どうにも不自然さが拭えない逸話。
0924名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 08:12:32ID:beOU7Rg1
黄金を「不浄」なものと軽蔑しているのかと思えば、奇人の岡野左内が
黄金1万両を景勝に献じたのは黙っている。
0925名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 08:16:09ID:lwbgtrgo
相手が政宗だったから嫌味やったんでしょ(実話ならね)
上杉に反伊達の感情があったから、代表者の逸話に付託されたんじゃないの?反感の原因がいまだによくわからんが……
0926名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 10:57:01ID:IXHCxQ31
たしか「銭は下賤のものが」という、政宗とのエピソードの出展は
会津陣物語だったはず。
0927名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 12:19:14ID:8ka48ebi
直江が勝手にライバル視してたんだろ
伊達のほうは屁とも思っていなかったかも知れんが
0928名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 17:31:45ID:RrzbFUG5
>>925
そんなところだと思うが、「上杉に反伊達の感情」ってのがいまいちわからん。
これは豊臣政権時代の話だったが、理由が思いつかないんだよなぁ。
伊達が米沢などを引き払う前に、何か迷惑な事情を残していったとかその辺だろうか・・・
0929名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 18:25:03ID:InIy6Rc6
実際何かやってたとしたら、どっかに話が残ってても良さそうなんだがなあ
他のやつにやった一揆煽動とかは、ばっちり伝わってるんだし
単純に警戒心からくる反感にもみえないし、小判エピソードの時点だと
伊達→上杉はむしろ愛想良さ気だから余計に分からん。
0930名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 18:27:10ID:YQ84OYeT
案外伊達からの逸話だったりしてw
それがどこかで直江の逸話に変わってしまったとか
それにしても逸話の多くはわざわざ景勝の代理役で出てくる事多いよな
史実でも表向きに出ることは少なかったのだろうか
0931名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 19:24:03ID:3tcSUMnM
>>928
上杉家と伊達家なのであれば、基本的に歴史もあり大きい家だったわけだし、
奥州で中央から大名家として認められてるのもこの2家だし、
天分の大乱で色々あったとはいえ、婚姻関連のいざこざであって逆にそのぐらい密接だったとも言えるから、
あえてこの2家がいがみあう理由は特に無い。

だけどちょっと上で言われてるけど、上杉としての反感じゃ無くて
長尾家としての反感と言われれば非常に合点がいく。
兼続も景勝も本来、長尾家の人間であって、正統な上杉家にとっては
仇敵、にもかかわらず、思わぬところから上杉を名乗れる事になったわけで、
しかも謙信と違って上杉を名乗る正統な理由とも言える憲政を殺してなお
上杉姓を名乗っているのが景勝の代の上杉家な訳だ。

かたや政宗の伊達家は上杉と並び称された当時となんら変わらぬ家格で保ってきているわけで。
劣等感はあったかもしれない。
逸話自体は創作だと思うんだけども。
0932名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 20:57:48ID:lhh51Byz
何だかあまりな展開なので
「本当は二人は仲良しだったんだよ。」
と頓珍漢な思考回路ですすみたくなってきた
0933名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 22:49:58ID:++37chnM
>>931
そうだったのね
今まで、家格的には

上杉(関東管領)≧伊達(陸奥の国守護、奥州探題)

かと思っていたら、実は

長尾系上杉(守護代、謙信以外は)<伊達

つうことね

竹に雀の紋所も、伊達が他にも違った紋も併用しているのは上杉に対する遠慮かと思っていた。
ホントは堂々と使っていいってことなのかな?
0934名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 22:57:09ID:EHqFK+1d
>>933
というか当時は複数の家紋を所持、使用するのが当たり前。

ちなみに仙台の史跡には九曜紋が多い。
竹に雀なんて複雑で細かいのは石に刻むのとか難し過ぎるから。
0935名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 23:07:48ID:ZID7zoir
竹に雀はたしか、伊達実元が上杉氏の養子になると言う話が上がった際に
使うようになったと言う話をどっかで読んだ気がする
0936793石 ◆wfGsWQJm.U 2006/11/13(月) 23:14:24ID:hfsqF/+O
baba
0937名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 00:06:33ID:PVdyzPBr
>>935
っていうかそれが天分の大乱の発端。
それはあくまで伊達稙宗が進めた婚姻外交の一環だったが、
息子の晴宗が猛反発、同格の上杉家に遠慮をする必要は無いとして父を幽閉してしまった。

ちなみにこの養子縁組を求めていた当時の越後上杉当主は上杉定実といって
越後の悪鬼・長尾為景に殺された上杉房能の養子。
その後も定実は兄を頼り捲土重来をはかるけど、その兄も為景の前に敗死。
結局定実も幽閉されるが、家格の利用価値はあるので、以後定実は傀儡としておかれていた。

その後、為景が死んで、長尾家内での内乱が起こった際に、
存在感を戻し始めて、その隙に後継のいない定実は越後上杉家の断絶を恐れて、
伊達家を頼ったと思われる、稙宗にとっても渡りに船という気分だったろう

だが先に言ったように天分の大乱により中止、後継のいない定実は失意のまま死去、
越後上杉家はここで断絶する。だけど竹に雀だけは何故か伝わったのかね。
0938名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 00:22:18ID:h0Li8JLK
すると伊達側の「上杉の申し入れが元で無駄に荒れた」という昔の恨みパターンも考えられるのか。
0939名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 00:34:48ID:PVdyzPBr
そんな単純じゃない、あくまで発端になっただけで、大乱自体は伊達家の内紛が
表に出たもの、この父子のいさかいはその前からあった。
しかも晴宗は輝宗とこれまたいさかいがあり、政宗はこの父輝宗を尊敬している。

同じ伊達でも晴宗側の視点から言えばあるいはそういう見方もあるかもしれないけど、
政宗からすれば祖父と言えど晴宗の肩を持つ理由は特に無い。
上杉と繋がりを作るのはむしろ良かった事だし、横槍を入れた祖父の方が邪魔だと感じたかもしれない。

それを匂わす逸話の中で、成実が出奔した際の逸話がある。
0940名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 00:41:38ID:h0Li8JLK
いや別にそんな上の方の政治的判断が絡む話じゃなくて。

結局単なる「お話」なんだし、他の書き込みも作ったの誰か分からんのをみな好き勝手に
想像してるだけみたいだから「作った奴が昔身内死んだりしてたのかもねー」的なノリ。
0941名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 01:10:03ID:PVdyzPBr
そんな難しい事言ってない、そういうノリなら晴宗か稙宗恨むだろうねってだけの話。

余程のことでもない限り天分の大乱で上杉が悪いなんて穿った見方する奴は居ない。
万が一そう見る人がいたとしてもその対象は上杉定実であって、彼の上杉家は
蜻蛉のごとく儚く散ってしまって、政宗の代には影も形も無い。
もちろん陪臣の長尾家など余計に関係ない。

上杉にとって長尾家は1000年恨んでも恨みきれなかったろうけどね。
0942名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 01:30:07ID:eQPNJsWd
室町幕府:

将軍
(鎌倉公方)
管領(執権)
関東管領・・・・・・・・・室町幕府における実質的ナンバー3
侍所所持
政所執事
門注所執事
引付頭人
評定衆
九州探題
西国探題
奥州探題
羽州探題
・・・
0943名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/14(火) 09:06:32ID:2BVMzhVZ
どっちかと言うと伊達のほうが竹に雀正当継承者でないかい
長尾上杉はなんと言っても景勝が憲政をブッ殺しているのが痛い
謙信以外は、上杉を勝手に名乗っているっつー感じなのね
0944名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 12:23:36ID:oK2NTkOl
景勝らが上洛して秀吉に会ったのは天正13年〜14年。ちょうど秀吉が、
悪趣味で、グロな「黄金の茶室」を造り、悦に入っていた時期だ。

兼続がどう感じていたか興味があるな。
0945名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 12:36:20ID:9S1dPIcA
黄金の茶室は黒楽茶碗のための最高の舞台であり
黒楽嫌いの秀吉に対する利久一流の皮肉。
0946名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 16:54:06ID:uzBC6y0o
後年の秀吉はさっさと死んだ方が良かった
害虫
0947名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 17:22:28ID:ZpYpDPkL
>>913
我が国のスーパーエリート官僚のお一人であらせられた八幡和郎先生が、ご著書の中でその様に仰っておられますが何か?
世界を知り、日本を知る知見の広い先生と、仙台のど田舎しか知らない野人ではどちらの考えが大局的に正しいかは小学
生でもわかりそうなものだが。
0948名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/15(水) 23:46:10ID:gJiTMzeG
そりゃ政治家にとって自分の利権を発揮する地元振興を阻害する奴は邪魔者以外の何物でもないからなw
0949名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/17(金) 20:16:17ID:DzASZiza
>>948
仙台人必死ですね。
0950名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/17(金) 22:16:48ID:sh4zpMl5
っていうか仙台人じゃないからこその意見だろう、
一般的な仙台人からすれば石垣なんかより観光施設が拡大してくれた方が嬉しいだろうし、
外から言ってるから他人事なのかもしれんけど。

俺は歴史的な石垣やらが壊されていくのは忍びない。
こういうのはどの武将のファンとか関係なく、歴史系の板住人の総意だと思うんだが・・・。
0951名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/18(土) 02:37:51ID:Mr6i6l3I
直江兼続のかぶとの愛て、愛するの愛ではないよ。
愛、義って書いてあるけど、あれは愛宕権現の愛をとっている。
0952名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/18(土) 04:02:28ID:jdsRbrck
福原愛ちゃんのファンだったんだろ
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。