【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0847名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 13:51:18ID:WVO8XHP/景勝死去から定勝・お船の方政権が14年間も続いてるわけだが。
景勝死去と同時に定勝が藩主となり、その定勝から3000石の禄高と手明組40人の家臣が与えられている。
「山城守相果て候とも大小の事ども後室へ相計られ候よし。」
それまで米沢藩は相談事の大小にかかわらず兼続に相談して決めていた。
藩では兼続亡き後、冷静かつ客観的に物事を裁ける人物がいなくなり困っていた。
そこでお船の方に相談したところ相談事が解決しだして藩内から全幅の信頼を置かれるようになり藩政に参画。
米沢藩の記録には、その姿はまるで尼将軍であった北条政子の様だと記載されている。
定勝・お船の方政権時の大きな事件としては藩内の切支丹弾圧がある。
内部告発により幕府の知れる事となったわけだが迅速に対応し事を沈めている。
一方で兼続が行っていた事業を更に推進させ、お船の方が亡くなった翌年には実石51万石を記録する。
この51万石は米沢藩264年の歴史の中でトップの禄高となっている。
また定勝時代の記録には米沢城の金蔵の床が金子の重みでこわれたとの記載も残っている。
そういった功績に報いるため、定勝はお船の方に京都や奈良や高野山への寺社参詣の旅をプレゼントしている。
今でも毎年長尾上杉家一族の末裔の方々が直江夫妻の墓参りに訪れている。
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