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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0822名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:51:15ID:fKaBaJ+L
>>821
全員参謀としても活躍してますが何か?
参謀としても軍司令官としても活躍するのが当時の補佐役。
まさか近代の参謀のようなイメージで見てたの?
0823名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:57:08ID:fKaBaJ+L
「公儀の事は宰相存じ候」:秀長
「『誓約を守ったからこそ、毛利家が豊臣政権下で安泰でいられる』と隆景の自慢の一つとして聞かされた」:隆景
「隆信の首を送っていただいたお気持ちは非常に有り難く存じますが、このような不運の首を此方が貰い受けてもしょうがないこと、
どこへでも捨て置いて下さい」:直茂

三人とも参謀として十分な実績があり、主家の戦略に影響を与えてますが。
0824名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 18:18:51ID:SKlvs/A8
goo辞書 参謀
@高級指揮官の幕僚として、軍の作戦・用兵などの一切を計画して指揮官を補佐する将校。
A表立った指導者・指揮者の下にいて補佐し、意志決定に際して進言・献策など重要な役割を果たす人。

@は作戦時における参謀、なので別働していた事が多い彼らは違う。
Aは三成や本多らの事。「進言・献策」などであって

>>823の三つはいずれも自分で決定してるし判断してる事項。
参謀などというクラスでは無いと思われる。
だから、それでは決めきれない「内々の事は利休に」ひいては秀吉になる。
直茂の件なんか特に主君の首を受け取らないなんていう事を決定してる時点で
参謀なんて地位じゃない。軍司令官とかは全く関係ない。

だが、兼続はあくまで自主決定するまでに至ってるとは思えないので、
参謀という地位で置くのは極めて妥当かと。
0825名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 18:31:53ID:fKaBaJ+L
>>824
それだけ影響力のある参謀(補佐役)だってことですが。
それとも三人は主君とでも言うつもりですか?

それだけ主君に信任されたり影響力があるからこその補佐役なんですが。
公儀(外向きのこと)に関しても最終決定はもちろん秀吉でした。
羽柴との講和に関しては吉川が強硬派、小早川が融和派でどちらも進言してます。
最後に関しては、補佐役が執政として権限を委任されることは十分あり得る話です。

貴方は単にこじつけて否定してるだけでしょう。
少なくとも彼らが参謀であり補佐役であることに関しては書籍も出てますし、
そういう評価は私だけのものではありませんがね。
0826名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 19:09:39ID:XanxXVUk
直江兼続みたいな武将は好かれる
ライバルは伊達家の片倉小十郎かな
0827名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 19:46:55ID:f/OkIUAz
>>824
今更辞書引いて適当な俺解釈をでっち上げられてもなあ。
信長の野望とか他人に言う前に、ちゃんと文献に当たった方が良いぞ。

それに結局>>798には回答してないし。
補佐役でなければなんて呼ぶんだ?
0828名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 20:40:07ID:GfwtFa7z
>>822
参謀っつーと近代の陸海軍を想像してしまうからな。
しかし、あんま言葉遊びせんほうがいいと思うよ御両人。
0829名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 22:16:06ID:arnhDATB
>>826
片倉は正反対だろ
直江と一緒にされたら、片倉が迷惑だろ

ちなみに、片倉は結構イケメンだったらしい
小早川秀秋に好かれて追っかけ回されたんだと
秀秋が小早川に養子に出される前だとしたら、天下人候補だった
ホモとして抱かれていたら大名になれていたかもしれん
しかし彼は、衆道の趣味は無く、イヤで逃げ回っていたんだと

この点が、主君とのホモ関係が権力基盤だった直江と大違い
0830名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 22:34:56ID:kUwLypR1
>>829
またホモ男が来てるのか
同じ片倉小十郎でも、景綱と重綱を混同してないか?
0831名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 01:52:00ID:s9IK3Feu
>>829
それネタ元片倉代々記。

本人の日記に書いてあったから本当です、てのはさすがに無茶だよ。
それとも他に補足資料があるのか?
0832名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 02:06:02ID:f676CQw5
まぁ確かに信憑性という意味では疑問なのは同意。
ただこういうのはさすがに日記でもないと残らないだろうと言うのも事実。
秀秋が衆目の前で追っかけまわしてた変態だと言うならともかく。

また
〜〜と言う手強い武将の首を取ったぜ
とか言う記述が日記に書いてあっても信憑性の点で微妙だが、

秀秋にケツ追っかけられたぜ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
って言う記述をわざわざ日記に嘘ついてまで書く奴なんているのかなw

俺の美貌は城中の女性を虜にしたぜ、とかならともかく。
0833名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 02:24:11ID:s9IK3Feu
当時に日記、特に後に家記になってるようなものは基本的に人に読ませる事を
念頭に置いて書かれてるからある程度の「作り」はあるものと考えた方が良い。

政宗に紹介されそうになって寺に逃げたとかさすがにどうかと思うし、今と違って
当時男色が特別視されてなかった事もあるから、好みじゃないお偉いさん(秀秋)に
色目使われて参った、くらいの状況の方が近いんじゃないだろうか。
0834名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 07:19:53ID:a0TXlCwt
片倉重綱は、父の景綱と一緒に十七歳で上杉征伐に従軍。当時の軍事要衝の白石城を
陥落させている。甘粕不在の情報は伊達には筒抜けで、そこを一気に突いた。
甘粕への後の対応をみると、この城を奪われた景勝がいかに悔しがったかが見て取れる。
0835名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 09:01:44ID:aOYECXdY
>>829
イケメンだったのは息子だよ。
それくらい知識がなくてもちょっと検索すりゃわかるだろうに。
直江兼続も「長高く、姿容美しく、言語清朗なり」と名将言行録に書かれてるくらいだ。
少なくとも当時のイケメン基準をクリアしていたのは間違いない。
現存する甲冑の大きさは謙信や景勝の甲冑より一回り大きいので名将言行録の記載はそれなりに信用できるかと。
もっとも>>829はなにがなんでも直江兼続を認めようとしない偏ったモノの見方をしているから信用しないだろうがな。
ま、おまいに信用してもらおうなんて誰も思っちゃいないけど。
0836名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 13:16:40ID:rvdJFihV
単に直江を貶したいからって二代目小十郎をもちあげてんじゃねーよ
0837名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 13:17:48ID:rvdJFihV
まぁ片倉は優秀だけど…。変なくらべかたすんなって感じ
0838名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 23:50:32ID:gXNZAolb
直江のキャリアはホモとして寵愛されて始まり、清野に取って代われて、つまりホモとして振られて終わっている。
つまり、ホモに始まりホモに終わっている。ホモありきの奴。

これに対し、片倉重綱は、目の前に出世がちらつこうがホモなどになりたくないという男

こう言えば分かりやすくてOKかな?
0839名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:01:49ID:s9IK3Feu
本人の日記だけを盾にさしたる根拠もなく出世すらちらつかせて
片倉のケツ追っかけた事にされてる小早川秀秋(´・ω・) カワイソス
0840名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 00:12:27ID:q81nfyuJ
そっか、根拠が薄いかな?ごめんね小早川秀秋...(´・ω・)ヾ(^ー^;)
0841名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 10:19:42ID:qy0kGyQ7
>>838
たしかに清野は「長門殿」の名前が米沢の町中に残っており、米沢の城下
形成に影響あった。だけど、奉行職になるのは死ぬ前年だし、定勝の養育に
直江兼続室が大きく関わっているあたり、生前に取って代わられたという
ものでもないだろうよ。与板衆が本格的に弾かれたのはお船の方が死んだ後
くらいじゃないか?菩提寺破却の件も含めて・・・・
0842名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/05(日) 16:13:05ID:yNTRiWS3
>>839-840
ここで兼続を叩いてる奴の根拠の多くは逸話を基にしたものばかりでね。
逸話を基に己個人の勝手な想像を膨らませて書き込んでるのばかりだよ。
そりゃあ逸話の中にも信憑性の高いものもあるだろうが裏付ける史料が他に見つかっていない状態では参考話か、おもしろ話にしかならない。
昔の人の常識と現代人の常識は違うかんね。
現代人の感覚で物事を語る事自体が大きな間違いの基。
だから議論をするなら信憑性の高いネタを基に議論するべき。
0843名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 00:02:20ID:2DkfB7Gc
>>841
直江が、次代の藩主の定勝を掌握して盾に取っていたから、反対派が手を出せなかった、ということでしょ
ここが直江の抜け目無いところだね
直江が死んでから、一気に反対派の怒りが行動になったのかな
0844名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 00:19:39ID:B6v0vZrO
>>843
兼続が亡くなったのは1619年で景勝はまだ生きている。
それに藩主の座すら定勝に譲ってはいない。
自分勝手な想像ばかりしてないで、ちゃんと調べてから書き込めよ。
0845名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/06(月) 01:02:38ID:cD7ZDJ85
>>844
定勝は直江兼続が死んだ時点で16歳だもんな。それにまだ景勝は健在だし
0846名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 00:05:17ID:mVZ9UAbb
景勝が先に死んでいたらどうなっていたんだろうな。
お船が定勝にいかに信頼されていようとも、
過去の責任を取って引責辞任はさけられないかもしれない。
美しく生きるという表看板からして、殉死として死ぬのが精いっぱいで、
そこを詰め腹扱いにするのか、どうするかで暗闘がありそう。
0847名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 13:51:18ID:WVO8XHP/
>>846
景勝死去から定勝・お船の方政権が14年間も続いてるわけだが。
景勝死去と同時に定勝が藩主となり、その定勝から3000石の禄高と手明組40人の家臣が与えられている。
「山城守相果て候とも大小の事ども後室へ相計られ候よし。」
それまで米沢藩は相談事の大小にかかわらず兼続に相談して決めていた。
藩では兼続亡き後、冷静かつ客観的に物事を裁ける人物がいなくなり困っていた。
そこでお船の方に相談したところ相談事が解決しだして藩内から全幅の信頼を置かれるようになり藩政に参画。
米沢藩の記録には、その姿はまるで尼将軍であった北条政子の様だと記載されている。
定勝・お船の方政権時の大きな事件としては藩内の切支丹弾圧がある。
内部告発により幕府の知れる事となったわけだが迅速に対応し事を沈めている。
一方で兼続が行っていた事業を更に推進させ、お船の方が亡くなった翌年には実石51万石を記録する。
この51万石は米沢藩264年の歴史の中でトップの禄高となっている。
また定勝時代の記録には米沢城の金蔵の床が金子の重みでこわれたとの記載も残っている。
そういった功績に報いるため、定勝はお船の方に京都や奈良や高野山への寺社参詣の旅をプレゼントしている。
今でも毎年長尾上杉家一族の末裔の方々が直江夫妻の墓参りに訪れている。






0848名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 18:37:50ID:LoGpB35x
まるでまつやねねのような待遇だな
それだけの女性なのにマイナーなのは勿体無い
0849名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 22:30:18ID:PGSQ/otv
>>846
お船の方政権ってw
それは、兼続が死んで、お船が寡婦(=政治的に中立と思われる存在)だからできたことであって、
(これは子供がいなかったねねや、中立ではないが前田家の本流そのものだったまつにも通じる重大な資質)
それを拒むことが出来るのは、景勝と言う「大人の男の君主」だけ。

君主でも「こども」ではそういうことができないのは、定勝よりもはるかに位が高い秀頼が
大事な時にどんな意思も家臣団に押し通せなかったことでも証明できる。
ある意味、兼続によって最大の被害をこうむった景勝が「処罰しない、重用する」と言えば
逆らうものはいないが、それ以外の人間がなにを言おうとも、兼続は責められるし、
景勝の容認なしでそれに抗弁したり、自分を守ろうとしたりしたら、たちまちその名声は傷が付く。
景勝が先に死んでいたら、兼続に残された道は殉死しかないし、当時のシンパもそれを望むだろう。

0850名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 22:32:00ID:PGSQ/otv
すまん、一行消してしまっていた。

(これは子供がいなかったねねや、中立ではないが前田家の本流そのものだったまつにも通じる重大な資質)

※「兼続に責任を取らせろ」という家中からの意見が出たときに

それを拒むことが出来るのは、景勝と言う「大人の男の君主」だけ。
0851名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 22:41:04ID:3hLTuwWJ
何で景勝が被害こうむった事になるんだ?

兼続が景勝を操って上杉の全権握ってるほどの存在だったならいざ知らず、
景勝は幼年でもなきゃ傀儡でもない歴とした当主として存在し、上杉家の
選択の最終決定権をちゃんと持ってたはずだろう。
0852名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:08:20ID:HOb4u2eR
>>847
権力者は、正史に好き勝手に良いことだけかけるんだよ。
むしろ、些末な逸話にホントのことが残っていたりするかもしれない。
2ちゃんねるで正史の講釈をしたってしょうがなくないかい?

たとえば、北朝鮮の正史には将軍様は偉大です、とでも書いてあるんだよ
それを真に受けてるバカと同じレベルになっちゃうよ
そんなに個人崇拝が好きなら、北朝鮮にでも移住するのがいいんじゃなかい

お船の方にしても、単に権力者と近かったから、給料を好きに設定していた可能性が考えられる
一般藩士が貧窮だったのに、そんな法外な給料を取っていたら当然嫌われるよ
だから、直江家を断絶せざるを得なかったんだろうし、
そうじゃないと言うなら、それ以外の理由が考えられるかい?
0853名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/08(水) 23:39:39ID:3hLTuwWJ
>>852
史料批判は基本中の基本だから当然の事だけど、それにはまずその
「史料」を批判しなきゃいけないんであって、史料の内容、成立過程を
検証もせずにいきなり「正史は権力者が好き勝手にできるから」とか
言い出してしまうと説得力など何にもなくなるぞ?
0854名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 11:25:22ID:nq805ss1
>>849>>852
おまいら上杉家の事あまり知らないだろ?
知っているのは一般に出回っている歴史書の知識くらいでさ。
兼続亡き後の景勝の書状にはお船の方の指示を仰げといった書状が何通か残ってるぞ。
今年、米沢で上杉景勝展が行われたんだが、その資料の一部を抜粋すると、
『直江兼続の妻直江後室が他の女性とは異なり米沢藩内で特別な地位にあったことを、編纂物ではない史料「越後供養帳」において確認でき、さらに上杉定勝にとって特別な女性であることが確認できた。』とある。
ここ数年、米沢では鷹山、謙信、景勝と連続して特別展を開いて研究結果を公表しているんで、早ければ来年あたりにも直江兼続特別展を開いて研究結果を公表するだろう。
こういう調査は国や県レベルによっての研究結果であるんで信頼性はピカ一。
世の中の人は、おまいらの勝手な想像と国や県レベルの調査とどちらを信用するよ?
いわなくても結果はわかるよな?

0855名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 12:09:15ID:AFoQgqWv
>>854
>国や県レベルの調査

 県や市町村単位でも、地元所縁の有名武将などは、それなりにバイアスが
 かかることがあるよ。むしろ市井の民間の研究者なんかが、地味ながらいい
 ものを発表することがあるし。
 
0856名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 12:20:07ID:VtsWCXTQ
>>855
それは同意だが、その場合はまずその「いいもの」を具体的に上げないと意味無くないか?
市井の研究で信頼のおけるものが、国の研究でも信頼できるないものがあるかないかなら
そりゃ両方とも一定数はあるだろうね、としか答えられないわけで。

一定の信用がおける、広く手に入る基礎研究であること、を基本にして話すんでないなら
更に遡って元史料を自分で調べた結果をここでちゃんと説明しないといけなくなるわけだし。

……無論、本当にそこまでしてくれるんなら興味深く拝聴するけれども。
0857名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 14:23:49ID:s+CxYDz2
くだらねー争いしてる奴らがいるなw

資料を疑うのは結構だが、個々が独自に信頼する資料に基づいて争って
たら、議論にならんだろ。
普通は通説に基づいてなされるもんだ。

別の説に基づくなら、確たる根拠を呈示しなければならん。
「〜だと思う」というような個人的見解は根拠にならん。
0858名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:40:46ID:VtsWCXTQ
普通は通説にも史料が付随するもんだから結局変わらなくないか、それ。
0859名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:47:58ID:s+CxYDz2
各専門家が研究した結果、多くの専門家の意見が一致したのが通説。

一ちゃねらが独自の判断で、或る資料に基づいて考えついた説とは違う。
0860名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 15:57:53ID:VtsWCXTQ
だからその研究家が研究したのにも史料があったはずだよな、て事。
その元史料に疑いがあるとか言い出すのが絶対居るから。

そもそも「多くの専門家の意見が一致してる」という判断自体がすでに
恐らく個人で違っちゃってるし。
0861名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 16:20:41ID:p9bLwhqh
>>854
直江ってのは、とにかく権力者には覚えめでたい奴
だから、藩主には信頼されるけど、有能かどうかは別問題じゃないかい?
0862名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 16:24:08ID:ggizQ0+N
家康に逆らって120万石を30万石に減らした時の家老だからな
評価が辛くなるのが普通だけど、小説とかだとかっこよく書かれてるんだよなぁ
0863名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 22:14:02ID:kyJJO2PV
>>854
米沢の歴史研究関係は相当キモいぞ?
商工会議所などからのオラが村バイアスかかりまくりで、
兼続&上杉マンセー以外のこといったら即刻会追放w

基調講演とかが、尻尾振りちょうちん持ち作家の童門冬二だから、
ここまでくると、もう「米沢市民が調べた」だけですでに疑わしさ100%オーバー。
発表会何ざ、キモい田舎者のオナニー討論会以外の何者でもない。
会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
さすがに会津のあれほどではないが。

0864名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/09(木) 22:36:05ID:VtsWCXTQ
>>863
正誤はこの際置いておくとして、どんな史料を主にして論考してます?

別に是非を問いたいわけではなく、ある史料を信じる人の批判、反対をする側が
元にしてる史料も知りたいと思うだけなので、端的に史料、論文名さえあげて
頂ければいいです。じゃないとその賛否で無駄に荒れそうですし。
0865名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 11:05:13ID:Z2KOUBlW
>>863
あほですか?
米沢市の史料はきちんと国の管理下で行われているが
だいたい米沢市だけで調べてどうやって国宝や重文に指定できるんだよ
市町村がOKすれば国宝になるのか?
それで済むなら全国中国宝や重文だらけだ
史料で太刀打ちできなくなったら逸話で対抗して、それが通用しなくなったからって今度は上杉の史料叩きかよw
めでてーな
0866名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 11:56:57ID:Kg4Zpdtb
『正伝 直江兼続』渡邊三省(恒文社)は、確か越後のお膝元の直江の研究者だろ。
巻頭で、地元の商工会議所の会長だかが、著者の直江像をよいしょしている。
伊達家との抗争などは、ほとんど伝承と憶測で描かれている。
0867名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 14:35:29ID:vRibD+2j
なんで伊達家は上杉に目の仇にされてるの?
政宗が大判を見せたのを兼続がおちょくった逸話なんてその台詞からして創作であることがばりばり
「謙信公以来軍配を授かった手で伊達の金なんかもてねーよ( ´,_ゝ`)」
歳や履歴からして謙信存命中に軍配預かったなんてありえねーのに…
0868名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 14:57:31ID:2OTVaJlx
>>867
創作なんだから誰が作ったのか分からんと思うだが。

辿った出典が上杉の史料だったりするなら寡聞ですまん。
0869名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 21:01:41ID:PZPRN2VU
史料の真意はまぁ、いろいろあるけどさ
なんていうか評価が極端すぎるんだよ。有名になる人物だから明もあれば暗もある
史料を疑っていたら他の武将だって扱き下ろせてしまうだろ
あと、〜よりもなんていう話はナンセンス
立場が違えば行動も違ってくる。それだけで愚将扱いはアンチ以外の何者でもない
0870名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/10(金) 21:39:41ID:2OTVaJlx
別に極端でもいいと思うけどな、どうせ2chだから(さすがに荒らしは勘弁だけど)。
信じる信じないは読み手の勝手、てのは板、スレ問わず暗黙の了解なんだし。

ただそれなりにまとまった意見を言うのに論拠となる元史料すら書いてないんじゃ
読んでる人間がその判断をできないから読み飛ばすしかなくて書き込む意味が
あんまりないとは思うけど。
0871名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 01:00:32ID:dCdKcNVn

つまり、

内政能力があり、功績があった。しかしそれ以外は無能だった。
人格は悪く、嫌われていたが、権力者にはしっかり信頼されていた。

だから、良い部分は正史に書かれ、悪い部分は逸話として残った。
それだけのことでしょ。
なにも矛盾無いんじゃないかい?
史料がどうとか、話をこじれさせる奴がいるな
0872名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 01:09:30ID:9Bxf0Cap
兼続の評価はまた別として、
まぁ100%創作だろうけど、兼続が政宗の見せてくれた金を扇子で受け取った話は俺は普通に引いた。
なんか嫌な奴だなって思った。もっと洒落の効いた事で返すならともかく、面白くもカッコよくもない、陰湿。

これは一体どういう筋から出てきた逸話なんだろうな。
0873名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 02:23:52ID:Xb8vgE8/
>>865
資料資料と言うけれど、たとえば、
>>866みたいな出版物で現代の米沢の人間が
キモい兼続よいしょをしている、というのは「たしかな資料を元にした批判」ジャマイカ?
実際、米沢の上杉&兼続よいしょは、いかにも偏狭な田舎者のファビョり混じりの盛り上げで、
会津の次くらいに気持ち悪い。
ついでに、おまえさんのようなファンがキモイのもたしかな資料に基づく批評だw
0874名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 02:30:42ID:sDh6EVE3
>>873
865がしてるのは、そもそも資料じゃなくて史料の話じゃないのか?
0875名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 07:18:42ID:UJzrfXZr
>>869
それだけで名将扱いは信者以外の何者でもないけどな。
0876名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 10:10:23ID:Z1i6b+6k
地元だから多少のバイアスがかかっているというのは一理あるとしても、
それでも資料に基づいて学説や論文をだしているわけだから、それを一読
したうえで判断ずればよい訳だし、何よりも>>873の書き込みからは議論云々
というより、「僕は直江山城守が嫌いです」ということしか伝わってこない。
0877名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 11:52:20ID:i/pc5ykU
僕は与六が嫌いです
0878藤田信吉2006/11/11(土) 12:35:06ID:FP8iAXO1
僕は直江山城が嫌いです
0879名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:00:41ID:Plu2zAo+
ゴネ厨を地獄送りにした逸話は大好きです
0880名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 13:52:27ID:xrL28nFr
>>871>>873
無能だったという史料を提示せよ。この一言だ。
お前達の個人的な感想など俺達は聞いちゃいない。
直江兼続が無能だったという確かな史料があるなら俺達は素直に見てみたいし、大いに興味がある。
当時を生きていた人間が現代にいない以上、確かな史料によって判断するしかないのが現状だ。
国宝や重文に指定されたものは上杉家だけでなく関係を持った朝廷や大名や人物の史料とも照らし合わせた上で信頼性が高いと判断されてお墨付きを頂いた代物だ。
現状でこれ等の史料を信じないで何を信用しろというのか?
ひとついっておくが勘違いしないで貰いたい。
誰のファンであれ真のファンなら史実の人物像を知りたいわけだ。悪い部分も含めてな。
大坂の役で安田能元の功績をわざと家康に伝えなかった時の兼続は俺は嫌いだし、人の上に立つ者としては失格だと思う。
だがそういった部分も含めて総合で見て好きな奴は好きなんだよ。
好きな人物の良い部分しか見ようとしなかったり、悪い部分を良い方に見ようと勝手に解釈する様な奴は真のファンとはいえない。




0881藤田信吉2006/11/11(土) 14:02:54ID:FP8iAXO1
>>880
客観的な史料出せと言ってる一方で、主観バリバリの発言もしてるし。
矛盾だらけだなチミは
0882名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:08:41ID:xrL28nFr
>>881
最後の一行か?
確かに我ながら突っ走り過ぎた書き込みだ。
0883名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:12:46ID:c9mg8A0p
>>578
>己個人の想像で書き込みしてる輩ばっかだな。残ってる史料で見てみろよ。
 関ヶ原合戦前の上杉家は徳川秀忠と親密な関係だぞ。
 慶長5年3月21日付の手紙では上杉家が城下の整備と武力増強をするのはもっとも
 な事といった内容の書状が秀忠から送られている。
 少なくとも慶長5年3月21日までは上杉家と徳川家との親交はあった。
 上杉家にしてみれば秀忠と親睦を深めていたわけだから、よもや戦争をふっかけてくる
 とは思わなかった部分もあるのではなかろうか

家康親子にまんまと騙されたんだろ。徳川の詰問使の伊奈昭綱と河村長門が
「景勝非違八ヶ条」の弾劾状をを景勝に突きつけたのが、慶長5年4月1日。
この時点で、上洛勧告はもはや上洛「命令」に変化している。
景勝、兼続がいかに甘い現状認識だったかがわかるな。
0884名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:30:03ID:y4mnUolf
前立の愛はラブじゃなくて愛染様からでよろし?
0885名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 14:45:38ID:sDh6EVE3
愛宕からって説もある。
0886名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:31:49ID:rNRgrYWa
>>872
それは自分も思った。別段とんちや機知を働かせたわけでもないのに、なんだって
あんなに持ち上げられてるんだろう。

もう一つ、「閻魔への手紙」のエピソードもひいた。
これも兼続の人格マンセーに使われているけど、事象をみればようするに理論で説得
することも出来ず、金銭なり利得なりで和解も出来なかった裁判を暴力で黙らせた
だけだろう。しかも被害者側の遺族斬り殺して。
たんに無能なだけじゃん。
0887名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:37:55ID:/EPkIcep
戦国にはよくあること
0888名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:49:33ID:/EPkIcep
ゴネ厨を地獄送りにすりゃ現代でも拍手喝采するよ 俺はw
0889名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 15:54:44ID:9Bxf0Cap
>>867
別に上杉に目の仇にされる言われは無いはずだが、長尾となると色々あるのかもね。
成実が政宗と喧嘩別れした時に、景勝が成実の武勇を買って破格で召抱えようと言ったら、
「何故家来筋に仕えねばならんのだ」って断ったっつー逸話もあるし。

確かに本来で言う上杉家の流れで言うなら
管領上杉から名前一字と竹に雀を拝領してる成実の流れと、
その管領をぶっ殺して越後を乗っ取ったが、憲政がその辺完全無視してくれたおかげで
上杉家を名乗ることになった長尾家が本来は家来筋と言うのは間違った認識じゃない。
これは上杉を名乗る長尾家にとっては我慢できないかも。
0890名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:07:32ID:xrL28nFr
>>884
現在では愛染明王から取ったとの説が高い。
根拠として上越市の長尾上杉家の菩提寺であった林泉寺に歴代長尾上杉家当主が拝んでいたとされる愛染明王の絵画がある事と愛染明王の字が書かれた旗が残っている事の2点。
その次に高いのが>>885氏のいう愛宕神から取った説。
春日山と林泉寺の間は現在も谷愛宕と呼ばれており長尾上杉家時代は越中や加賀方面に向かう時はこの谷愛宕の道を通っていた。
現在も上杉謙信の母虎御前の墓所がある。

>>886
逸話で引くのは勝手だが、それで史実の兼続が無能と決め付ける考えはおかしいだろ。
逸話の中の兼続が無能だというのなら、まだ話はわかるが。
お前は史実とフィクションと混同してしまってる。
0891名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:36:33ID:47Xq/3rM
>>872 >>889
小判の話は本当なのではないかな。
会津移封以来、伊達の番犬は上杉の役割だと思われ。
伊達に噛み付いて、職務に忠実である、と秀吉にアピールしていたのではないかと。

直江の権力者からの好かれ方は尋常で気がする。
権力者の痒い所によく手が届く奴だったのではないかな
0892名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:45:46ID:LrqJo9CT
>>891
伊達の番犬兼徳川の背後で牽制が会津大名の仕事。

つか、前任の蒲生と伊達の関係を見ていれば伊達に好意的にはなれんのではないかと。
伊達の側も一時期だけとはいえ旧領になった土地に入った自分の押さえに好意的になれるはずもなし。
0893名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:49:25ID:RpX9Oo0E
政宗は時の権力者から嫌われまくってるね どさくさに一揆は扇動するわ
0894名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 16:59:05ID:sDh6EVE3
>>891
ていうかこれだけ話題に出てるのに結局誰も、そしてどの出典も明らかにならない
時点ですでに単なる作り話なんじゃないかって気もするけどな。
0895名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 17:10:25ID:94NTnaIS
だんだん政宗がゴネ厨に思えてきた・・・
0896名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 18:25:20ID:EgyHpgVB
>>895
モチツケw

ていうか、何でこんなに直江の人格批判が……。
そんなによいしょされてんのかぃ
0897名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:26:52ID:xrI7RRT/
>>863
> 会津の会津藩研究の次ぐらいに身内びいきで狂っている。
> さすがに会津のあれほどではないが。

いや、それだったら会津だけじゃなく政宗厨の集団である仙台の団体よりも随分ましな部類に入るぞ。あいつらも基地外だ。
こいつらときたら、城の石垣にこだわって観光開発のチャンスを自ら潰してしまうような愚劣な連中だからな。
0898名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:30:36ID:5uZicWC6
関ヶ原の時、西に戻る家康を追撃せず最上相手に領地稼ぎに走ってしかし食い止められる、という時点で戦略家としてはあまり評価できるとは思えないなぁ
目先の欲に釣られて、しかもそれを果たせない
もっとも景勝が追撃を禁じたという話が有力かもしれんけど
0899名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:33:18ID:YMQKvEMs
関ヶ原が早く終わりすぎた 東西両陣営予想外だったろうよ
0900名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 20:47:10ID:EgyHpgVB
>城の石垣にこだわって観光開発のチャンス
なんていうかね、だいたいどこもそうだよ。
0901名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 22:35:45ID:vasX5TPS
>>899
予想外も何も西軍が勝つために何をしなければならないかわかってなかったとしか思えん。
最上とやりあって勝っても西軍主力が負けたらそれっきり。
それに対して少なくとも家康と小山まで来た東軍諸大名は戦略目標を理解してた。
だから反転したんだが……。
0902名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 22:55:45ID:9Bxf0Cap
>>897
それについては詳しく知らないし、政宗厨とかはどうでもいいんだが、
歴史ヲタの俺らからすれば他所の観光開発なんてどーでもいい事より
石垣の方がはるかに重要だと思うんだが。
0903名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/11(土) 23:16:52ID:sDh6EVE3
>>901
>西軍が勝つために何をしなければならないか

長引けば西軍と結んだだろうことは想像に難くないが、この時点で上杉は別に
西軍と連動して動いてたわけじゃないし、家康を追い落とそう、といったすごく
大雑把な最終目的の共有はあっても戦略目標といえるようなレベルの話は
理解以前に知らされてなかったんじゃないか?
0904名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 03:33:21ID:k1cAQpjj
>>867
てか、その台詞からありえないって考えるのはどうかと。

その台詞自体は景勝が嫁に言った”ワシは謙信公を父に持つ。ワシと、ソナタの間の子は、謙信公と信玄公の血を引く”
というのと同じで実際は景勝は謙信の血は引いてない。でもそういう風にいう事もある。稚気というか、なんというか。


直江が謙信のいた頃にはただの下っ端だった。
        ↓
だからその台詞は真実を示していない
        ↓
だからこのエピソード自体嘘



あなたの論法はおかしい。

0905名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 03:34:37ID:k1cAQpjj
>>872
田舎大名が自慢していい気になってたのを、陪臣に馬鹿にされた。
政宗は田舎ものというエピソード。
0906名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 04:22:46ID:7v2rHn3G
>>903
家康を追い落とそうと思ったら西軍と連携するのは当たり前だと思うんだが。
防衛に徹するなら最上に手を出す必要はないわけで。
それを知らされなければ判断できないようではどうしようもないぞ。

領土を広げるにしてもまだ旧領の堀を狙った方が筋がある。
上杉のやったことは西軍の一員として火事場泥棒をやっただけだろう。
0907名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 05:28:34ID:prVrAEiR
>>905
そういう逸話ならそれはそれで良いんだけど
言ってる台詞が単なる嫌味で面白くもカッコ良くも無いのが問題。
ただの嫌な奴だよあれじゃ。

あと蒲生氏郷かなんかがもうちょって典雅も交えて言ったのならカッコ良いんだけど、
兼続じゃ「お前も田舎者だろ」って感じになってしまって、なんか必死。
いずれにせよカッコ悪いエピソードだ、
創作な上に創作した人物の出来が悪いんだと思われる。
0908名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 05:38:46ID:x2hq917A
>>906
堀は一揆を煽動して動きを止めてたから後回しでもよかろ。

ただ、>>777で書いたが戦略的に評価できないという点は同意。
西軍が転けたら自分たちも危ないから協力しようもしくは西軍が転けたらマズいから西軍とは距離を置こう、
この程度のことが考えられないようではお話にならない。
二つに割れたとはいえ中央政権は存在しており、
もう切り取り勝手の戦国にはもどらないというのが理解できなかったのか不思議だ。

伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で、
直江もその家老止まりの器じゃないかというのが自分の評価。

民政家としても教養人としては大いに、前線指揮官としてはそれなりに評価できるが、
戦略家や謀臣としては評価できない。
0909名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:05:39ID:X+Xe2EJt
>>908
>伊達も上杉もあの時点では所詮は中央政局を理解できない田舎大名で

 上杉が「中央政局を理解できない田舎大名」なのは事実だが、伊達家は伝統的に
 時の中央政局と終始一貫して政治的、外交的に結びついているよ。最も顕著な
 のが政宗で諸大名中、親家康派の筆頭。慶長4年の忠輝と五六八姫の縁組み、
 秀忠の養女振姫の忠宗への輿入れ等、徳川家康にとっても天下統一のために
 伊達家の力は必須だったわけだ。おまえが「田舎大名」というのは、大方和賀
 一揆攪乱あたりを指しているのだろうが、それについての知識も脆弱だろう。

>前線指揮官としてはそれなりに評価できる

 戦術家としてのこの部分がまるで駄目だな。最上義光との戦いを調べれば自明の
 こと。上山筋では上杉は大敗を喫し総崩れ、長谷堂では義光の術中にはまる。
 小説では「名参謀、名軍師」扱いされているが、実態は才能はその程度にすぎない。
0910名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:13:42ID:x2hq917A
>>909
伊達の場合は主に豊臣政権下での進退が無様すぎる。
中央政局に結びついてる?
そりゃまた贔屓の引き倒しだよ。

徳川の養女もらった大名なんて山のようにいるし、
その伝で行けば父や兄を殺されたのにもかかわらず、
家康の娘を娶って関ヶ原の前哨戦で先鋒を務めた池田輝政や、
秀吉政権下から一貫して動いた藤堂高虎の方がよほど親家康派だ。

つか、伊達なんぞは分権指向の家康にフォローされなければ豊臣政権下で潰されてた野良犬大名だよ。
0911名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:35:30ID:X+Xe2EJt
>>910
おまえは「田舎大名」だの「野良大名」だのと、感情的に主観を述べているだけ。底が浅い。
「贔屓の引き倒し」も何も、伊達氏の中央政局との強い結びつきは、奥州国守護の伊達氏植宗は無論、
それ以前の十一世伊達持宗、茂宗以来の伝統なのだから仕方あるまい。
家康が諸大名に養女を諸大名に与えたのは実際そうだが、その中で家康に信任された「筆頭」が政宗と
いう意味も理解できないと思われる。

これでは、直江兼続が「指揮官としてはそれなりに評価できる」とした根拠も具体的には述べられまい。
0912名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 07:50:27ID:4xFt2wr3
>>910-911
伊達論議はスレ違いなんで余所でやってくれ。

ちなみに、外様の筆頭は藤堂高虎だと自分も思う。
譜代大名格、江戸城の設計に参与、臨終の席で枕頭に侍るなどから考えて。

敗北して将兵に見捨てられず、殿を努めて軍を返す。
水準以上の指揮官だと思うよ、兼続は。
0913名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 11:14:18ID:e3tUMtU4
>>897
おいおい捏造櫓建設より
400年前の実物を採った方が基地外なのかよw
0914名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 21:49:39ID:VLr+cjSq
藤堂高虎が筆頭というのは納得できる。伊達もそれに次ぐという感じ。

>>913大分前に九州かどこかわからないけど、昔の石垣に勝手に市長が勝手に桜の樹を植えて
大問題になってたよ。歴史研究家に考古学者に大学教授まで出てきちゃって
ニュースになってたよ。歴史板にあるレスとは確かに思いたくないわな……。
結構保全保護頑張ってるんだな。大変そうだが。
0915名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:57:42ID:Gxn+jiUX
>>897の理想は墨俣。
一夜城が長良川堤防、放水路を利用した水堀と
石垣をもった白亜の天守閣をもった城になって
桜を植えて花見もできる。
…勘弁してほしい。
0916名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/12(日) 22:58:28ID:p/h0ESWo
うちの職場には直江みたいな奴がいる
そいつは、東大出ているくせに、仕事はイマイチで
何より社会性、協調性に欠くんだよな
嫌われているんだけど、ゴマスリで上司には好かれるんだよ

皆の職場にも、直江って居るんじゃないか?
0917名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:00:31ID:ZID7zoir
>>916
直江はおらんが、大した能があるわけでもないが、何かと言うと
すぐに人を嫉み、陰口に精出すやつならいる。まあ、お前みたいな奴だw
0918名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:29:17ID:o5TTdvr+
>>907
小判の話は、面白くもカッコよくも無いのは、史実だからじゃないかな?
創作なら、もっと面白く機知に富んだ話になるのでは
確か、その場に居合わせた大名のコメントも残っていたんじゃなかったけ?
0919名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 01:59:03ID:ZID7zoir
>>918
そういう読み方は恣意的に過ぎるんじゃないのか?
0920TAB2006/11/13(月) 02:00:20ID:KVIrBY2O
sw
0921名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/13(月) 02:06:06ID:EHqFK+1d
もういいから肯定にしろ否定にしろその話したい奴は
がんばって出典探して来い、て事でいいんじゃね?

名将言行録とか言い出す奴がいたら笑うけどな。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。