>>798
そうじゃなくて彼ら三人の業績を並べるとだね。

秀長・・・既に稲葉山城攻めから別働隊を指揮していて、信長にも個別に仕えている状況。
     補佐役的な部分は黒田官兵衛らが有名だが彼らとは違う。
隆景・・・元就の視点から見れば息子であり、方面軍司令官。秀吉の視点から見れば
     もはや毛利の代表、輝元の補佐なんて位置じゃない。
直茂・・・初期は隆信と同盟関係に近いなか、慶ギン尼の策で無理矢理兄弟になる事で一門化
     それでもなお戦功を上げる直茂は逆に疎まれる、隆信死後は逆に秀吉から見れば
     もはや龍造寺などというものは眼中に無く、政家も完全に直茂に全てを任せていた。

とりあえず他人にケンカ売ってないで落ち着け、別に俺は兼続の業績に文句をつけているわけじゃない、
彼らとは全然違うというだけ。

いわゆる補佐役というのは、片倉や本多らの事だろう。
上記の連中は信長にとっての光秀や勝家みたいなもんだよ。
彼らを信長の補佐役とは呼ばないだろう。