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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0737名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 22:28:32ID:sL0uSnzw
そんな余裕なし
0738名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 00:25:34ID:sX+fr6SE
まぁ同意、景勝はあそこでは家督を継げただけでも充分凄い。
それ以上先の事まで見通すのは相当な器で無いと無理だろう。

まして景勝は実務面や、行動力の面では実力あると思うんだけど、
器と言うか、将才というか、先見性のような部分は微妙だし。
0739名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 22:15:12ID:H6/D1fvM
>>732>>736
上手く景虎だけ殺して、室(姉妹)と道満丸は手元に確保したとして
実子がない景勝が道満丸を養子にするとして
さて養子にされた道満丸がどれほど複雑な立場に立たされるか

他ならぬ景勝が嫌というほど分かってるはずなんだが。
なに考えてたかは知らんが、道満丸殺した景勝が謙信より好きだ。
0740名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 02:48:09ID:yzt2K/IK
定勝生まれる前に景勝が頓死したりしたら家そのものがキケンだよな。
ほかに家を継げる一門もいないし。養子を迎えるわけでもなく、かなり歳食うまで
側室持つわけでもなし、もし景勝が頓死でもしたらどうするつもりだったんだろう。
0741名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 12:45:36ID:xO2bSsoI
普通なら即時空中分解だな。
兼続に鍋島@沖田畷をやらせるなら、直江家では足りない。
仙桃院が樋口家に再嫁するくらいの離れ技が必要だろ。
0742名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 12:57:05ID:6ycUiLSp
本多政重を養子にしたのはそのためって説もあったな。
いきなり持って来ると反発大きいから取り合えず娘婿にして藩内に確保したって説。
0743名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 13:00:08ID:6ycUiLSp
あ、もちろん定勝が生まれた後だから「もしものため」て意味で。
0744名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 20:32:40ID:K8OYHt9t
景勝が死んでも代わりに長尾家の誰かが継いだだろう。たしか長尾家に
は謙信の実家の長尾家と景勝の実家の長尾家と2つあったはずだからその
甥か謙信の親父世代の兄弟一族の誰かが名跡を継いだかと。それか>>742
みたいに他の家の名家を養子に入れて一族の娘を嫁にさせてたか
0745名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/24(火) 11:32:21ID:aUwztpBY
上杉一門だった上条政繁の子孫も候補になるっしょ。
三郎景虎と同じく景勝の姉か妹を娶ってるから血筋は受け継がれてるよ。
確か綱勝急死後の御家断絶の危機の時に上条家の子孫が候補のひとりになってたはず。
0746名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/28(土) 21:39:28ID:+6nJw2pG
ここまでを総合して、貴方の直江度チェック!

@合戦は苦手だ
A天下人にはつい懐柔されてしまう
B勉強は得意だが、詩歌などの創作はそれに比してやや弱い
C最上みたいな地味な奴を見るとついなめてかかってしまう(で痛い目にあう)
D伊達みたいな自分に無いものがある奴を見ると、ついムカついてカラんでしまう
E失策の責任は、自身が取らなくても、借り物の家を断絶させれば済むと思っている

2つ以上で貴方も直江兼続と認定!
0747名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 00:32:16ID:J90OzQ07
あらら・・・・
コピペ荒らしに走り始めたよ
0748名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 07:58:11ID:z1CRjS2n

 「女房は顔をけわひ、口紅をつけ、衣装をあらため、笠をかぶり、
  しりをかかげ、黒き身にも、白ききやふをして、田におり立ち、
  早苗をうゆべし」(「四季農戒書」直江兼続)
0749名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 08:43:27ID:BYh14c27
>>748
なんか、ここまで「女房の理想像」をコト細かく書くツーことは、
実生活は、さぞかし理想とかけ離れたものなんだろうな。
嫁が家事放棄(噂では+不倫)している先輩がいるんだけど、
理想の女房を語らせたらすげー話が長くなる・・・。
0750名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 18:49:12ID:BJ7zB3rg
彼の立場を考えればわからなくもないw
てか夫が死んでからも権威を失われない時点で相当な人物かと
0751名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 02:01:33ID:/Eydqj1d
>>749
お前の先輩のケースとは違うだろwまあ、しりをかかげ云々など言っているがw

>>750
定勝からもかなり信頼されていたみたいだからな。
0752名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 23:23:21ID:exi5CviP
質問。
長谷堂戦の時、なんで兼続は本隊を小滝街道から進ませたのでしょうか?
大軍の運用なら上山ルートの方が動かしやすいのでは?
0753名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 23:35:24ID:exi5CviP
失礼。小滝ではなく狐越。
0754名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 00:01:48ID:4sm9zCel
質問2。綱吉の時代に江戸家老も国家老も直江家じゃないのは何故でしか?
0755名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 01:23:20ID:5xdura5+
>>748
しりをかかげどうのこうのなどと、植○教授みたいなセクハラ野郎だったんじゃね?
0756名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 10:19:15ID:yWDKrK10
まぁ尻に魅力を感じるのはとっても同意するけどね。
外人もおっぱいよりケツ好きが多いよな。
まぁ人間らしくていいんじゃね
0757名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 11:50:51ID:5UGbihwT
>>752
本人に聞け
0758名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 16:57:41ID:AYSzOZGI
>>754
直江家自体が断絶したから
0759名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 17:48:42ID:4sm9zCel
↑そなんだw(゚o゚)w 何でどうして?
0760名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 18:44:36ID:XAPNmzeM
釣り乙〜♪w(゚o゚)w
0761名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 00:43:11ID:Ak/H0ZO2
もともと低い身分だったのが、直江家を継がせてもらったんだから、直江家を残すのが義務であるはず。
それが出来ないほど、よっぽど嫌われていたんだね。
兼続自身かお船の方の一方だか、その両方だか知らんが。
0762名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 10:55:32ID:47t86JKa
だから、嫌われてたとかそういう証明できないようなことを理由にすんなと
0763名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 14:52:43ID:Jq6ePaSJ
嫌われてなけりゃ普通家を残すだろ
人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?
0764名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 17:12:43ID:Rx957kQZ
>>761
また、おまいかw
直江夫妻が嫌われていた?
だったら夫妻亡き後に藩主自らが高野山に夫妻の墓を建立するなんてできないだろ。
高野山に墓を建立するとなると莫大な金がかかる。藩主といえど家臣の賛同を得なければならないわけだ。
墓が建立されたわけだから家臣内の多数決では間違いなく建立賛成派が多かった事がわかるよな。
少なくとも高野山に直江夫妻の墓が建立されたまでは上杉家家臣内でのいざこざはなかったようだ。


0765名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 00:42:56ID:EJuTIlAC
おいおい無理がありすぎるよ
まるで見て来た様な話しぶりだ
直江夫妻を如何に埋葬するか衆議にかけて多数決を取ったなんて記録があるの?

そもそも藩主が直江夫妻に掌握されて、自家薬籠中で育てられている。
当然、直江夫妻を厚く葬ろうとする
それに、藩士達は面と向かっては反対できないと想像できる
だから、直江夫妻の葬り方に藩士の意向が反映されるとはいえない
0766名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 06:06:17ID:3ajGs9b9
家中が直江支持だったら、兼続死後すぐに与板衆の追い落としなどはおこらないだろうな。
嫌わえた権力者の取り巻きを一掃するなんてこと、しかもそれが家中の反対がなくスムーズに行くことで、
故人の人気度は計れると思うのだが。
0767名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 07:47:44ID:Ytk77sQ5
事実としては、政争に負けた、という事実があるのみであって、
要因に人望の無さを挙げるならむしろ人望が無かった証拠がないと
話の流れがおかしいと思うのだが。

人望があった、だから政争に負けるはずがない、てどんな理屈だよ。
0768名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 09:29:15ID:3TQdYTqR
与板衆があっけなく政争に負けたってのは、与板衆が良くも悪くも直江夫妻あっての
ものだからだったんだろうな。それに元来上杉家臣団は越後の豪族の寄合所帯だったから
というのもあると思う。
0769名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 09:49:31ID:LgS6uxE4
>>767
横レスだが、家中の人望があったと主張するなら人望があった証拠を出すのが筋じゃないかい?
揚げ足を取り合っても不毛だと思うんだが。
0770名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 10:25:46ID:Ytk77sQ5
>>769
人望が有ったなんて主張を俺は全くしてないわけだが?
事実として存在するのは「政争に負けた」という点のみだと言ってるだけで。

その理由として「嫌われていた」「人望がなかったから」という原因をあてはめたいなら
まずそのを証拠を示さなきゃならないよ、という話。

そもそも >>763 が 「人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?」という
聞き方をしている時点で「人望なかったとか成人君子でなかったとかって記載あんの?」と
聞き返されるのは当たり前だろう。
自分が質問するのは良くて他人に同じことされるのは駄目って訳分からんし。

ちなみに「知らないから聞きたかった」というのはこの場合通じない。
意見である「嫌われていた」を最初に主張してるから、「その意見」の論拠を求めてるので。
0771名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 11:06:29ID:zIHcp7IH
>>770
なかったという証明は悪魔の証明なので不毛。
その場合は「嫌われていた」という証明だな。
0772名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 11:07:31ID:zIHcp7IH
つか、これも揚げ足だな。
馬鹿馬鹿しいので撤回しとく。
まあ好きにやってくれ。
0773名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 11:52:56ID:5BfzF39Y
同じ論議の不毛なループ…おまえらよく飽きねーなw
0774名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 11:59:26ID:sMFItHyq
死んだ後の祭祀を延々と行っていたと言うから与板衆には人望があったと思う。
ただ、同僚が直江の家を残すべきだとか祭祀をしたとか言う話は知らないので、
同僚には関ヶ原前後のこともあって親しまれていたとは言えないんじゃないかと推測する。

上司や部下には評価されても同僚には……という気がするがどうだろう?
0775名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 13:55:22ID:hGmpEYVU
>>774
どこの大名家に限らず、戦国時代に限らず、政権を握っている者や急昇進した者への妬みや嫉妬はあるわけで。
俺等の身の回りでもあるだろ?
同僚なんかが出世していくと取り残された者は仲間同士で悪口の言い合いをしたりすんのは。
例え、そいつが人一倍仕事が出来ていたとしても取り残された者は素直に認めたくないんだよ。
秀吉や三成もその点で苦労してる。
俺も営業の仕事でトップ1に立った途端に陰口を叩かれた経験があるよ。
日本人てのは横並び主義でそこから良くも悪くも頭ひとつ飛び抜けたら平均的な連中の餌食になっちまう。
直江兼続も同じだったと思うよ。
0776名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 14:38:35ID:sMFItHyq
>>775
それでも愛される奴は愛されると思うが。
秀吉なんかは嫉妬されたし敵も多かったが仲の良い同僚もいたわけだから。
三成も大谷吉継とか政権内で友人がいたわけだし、政敵も「三成が死んでから殿中の風儀が悪くなった」などと
懐かしむような言葉を残してる。

直江のそういう話を自分は知らないんだが、何か具体的な事例をご存じなら教えて欲しい。
0777名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 15:03:07ID:m4WXXzCb
つかね、若くして主君の信任を集めた上に、
主家(自分たち)の所領が削られたことの
責任を取らされるようなポジションの人物は好かれないと思うね。

個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。

上杉が巻き込まれたというなら専守防衛、
三成と連動していたなら外線の一翼として
徳川に仕掛けて拘束するのが戦略。
西軍としては史実のように各個撃破されるのが一番危険なんだから。
最上領に攻め込んで叩き出されたのはどちらの立場からしてもマズい。
0778名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 16:48:08ID:9vIleui2
>>771
どうでもいいが、めちゃくちゃなことを言ってるので釘を刺しておく。
悪魔の証明の意味わかってないじゃないか。
「嫌われていた」が「なかったこと」ってどういうことよ?
「人望があった」にせよ「嫌われていた」にせよ、そういったエピソードでもなんでも話一つ見つけてくりゃいいわけで。
誰も「人望があった」なんて言ってないのに、いきなり>>761で「嫌われていた」と決め付けるんなら、
言った人間が何か話の一つでも出すのが筋だろう?
何でも言いだしっぺが挙証責任あるんだよ。
悪魔の証明という言葉使ってみたかっただけなんじゃないの?と勘ぐってしまうよ。
0779名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 16:55:27ID:m4WXXzCb
>>778
エピソードを出せずに煽るだけなら黙ってた方が良いぞ。
煽ってるだけじゃないか。
0780名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 17:02:18ID:9vIleui2
>>779
煽りの気持ちも全く無かったとは言えないが、勘違いを正して何が悪い?
0781名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 17:04:41ID:6nOnXZkT
>>779
自分じゃ何も建設的な話を出さずに他人にだけ根拠を要求するような奴は放っておいた方がいい。
どうせまともな議論なんかできないんだからな。

直江山城に関しては上杉の外の人間の評価が多いんだよな。
つか、上杉の中で家臣同士の評価というのがあまり多くないような気がする。

とはいえ上杉減封の後も家老を務めてるし、それに関する表だった不満が出てなかったようなので
人格は評価されてたんじゃないかと思う。
0782名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 17:09:19ID:6nOnXZkT
あー、まあこれに関しては景勝の信任が云々という話も聞くが、
徳川での本多正信は家康の信任にもかかわらず家中からかなり悪く思われてたという評価が残ってるので、
それに比べるとという話だな。
0783名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 20:00:55ID:UqBlsB2u
正信しかり、三成しかり、言えることは参謀ポジションは嫌われやすいというのがよくわかるなw
むしろあのポジションで好かれたのが珍しいくらいじゃないか?
知っている中では(講談になってしまうが)片倉、秀長くらいかな
0784名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 20:08:19ID:6nOnXZkT
後は鍋島直茂と小早川隆景くらいかねえ。
両方とも参謀だけじゃなく、前線司令官としても有能というのもあるが、
魅力は高そうだ。
0785名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 23:01:16ID:CI3ulHwl
>>777
>個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
>徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
>もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。

自分もこの意見に禿同
これが出来るのが真の名参謀だと思う
徳川と戦うなら、もっと徹底して、三成、毛利、宇喜田らと連携して勝つべくやるべき
勝てないなら、最初からひたすら現状維持。なるべく豊臣政権から距離を置くべきだっただろう。
自分らが、中途半端で徳川につぶされるべきヤバイ存在になっていることを客観視できなかった
とても名参謀とはいえない。ただのホモで欲張りのバカ家老でしょ
0786名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 23:08:00ID:mv/XYSu0
>>784
参謀が好かれると当主の影が薄くなる(下手すりゃ乗っ取られる)という好例ですねw
三成はともかく、兼続正信あたりなら御家のため自ら悪名引っ被るかも。
このふたり、関ヶ原後に親交があったようだが何か通じ合うものがあったんだろう。
0787名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 23:19:00ID:mv/XYSu0
>>785
関ヶ原の上杉が狙ってたのは、小牧長久手の徳川みたいなのじゃないかな。
つまり、大勢力にひとあてした後逃げ切り粘って、最良の条件で相手の傘下に入る。
自ら天下を狙わないものが誇りを守ったまま屈服するための古くからのある種の手続き。
まあ、いろいろ予定も狂ったが、大筋では間違っちゃいなかったと思う。
べたべたの豊臣恩顧とちがって家も残せたし。
0788名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 00:42:00ID:MKHJ/W7s
>>784
>小早川、鍋島、片倉、秀長
これら諸将には、戦闘指揮能力と謙虚さがあるね
直江には、この大事な二つがない
0789名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 00:49:34ID:SKlvs/A8
秀長は参謀じゃねぇぇぇ。
隆景は大名じゃないか。
直茂に至っては隆信の代から既に義兄弟で参謀なんて軽々しい立場じゃない。
小十郎ぐらいだろ、その面子で参謀と言えるのは。

兼続と立場的にも重なりそうなのも小十郎くらい、他三人は別の意味で格が違う。
0790名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 03:45:06ID:tWToRFMO
>>787
小牧長久手の徳川と違って上杉は大勢力に一当てしてないでしょ。
そのためには最上でなく徳川とやり合って一泡吹かせないと。
手強いと思わせるか、筋が通ってると思わせる、上杉はどっちもできてないよ。

30万石に減封されたのは「最良の条件で相手の傘下に入る」とはほど遠いしね。
その意味では失敗してるよ。

それができたのは立花とかでしょ。
ちゃんと大名に返り咲いてる。
0791名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 03:47:52ID:tWToRFMO
>>789
兼続も石高見れば立派な大名だし、兄弟や義兄弟、叔父でも
参謀というか補佐役的ポジションにいたという点では同種だと思うが。
要は補佐役での人望ということを比較しているわけで。

肉親で補佐役的立場でも人望がないなんてのはいくらでも例があるわけだから。
0792名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 05:44:51ID:gbJeYaTf
>>787
つか、誇りを持ったまま相手に下るのであれば上杉は理不尽な戦を挑まれた立場だとして専守防衛路線を取るべきだし、
高く売りつけるつもりなら他の人も書いてるが徳川と戦う&その後の外交で踏ん張らないと駄目。

最上と戦って追い返されるなんて、誇りのためにもならないし高く売りつけるネタにもならない。
結果から見ても戦略としても下策。

蜂須賀、前田、鍋島などと比べても処世としては拙劣。

>>790
ああ、立花は筋が通ってると思われて敬意を表されてるな。
0793名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 06:39:59ID:0jTsoWRq
最上攻めは最低の愚策だよ。案の定、義光に粘られて苦戦して時間切れ。
甘粕が不在中に陥落させられた白石城を奪い返すくらいの気概すらない。

戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。
0794名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 12:52:57ID:PN+U90H+
>>787
ひと当てってあんた、オモロイこと言うね。
力量のある人間なら、軽くひと当てかましても良いかもしれないけど、直江程度の力量でひと当てかましてしまったのが問題かもね。
ひと当てして示威するどころか、大衰退しちゃった(^^)
残念ながら、昔日の名も実も失った哀れな貧乏藩、ってのが大方の米沢藩の見方でないかい?

正確には、ひと当ても出来ずスカされて、背後の小勢力に領土(庄内、白石)かじり取られた

>戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
>「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。

禿同。さらには、直江を懐柔しとけば上杉はおとなしいだろう、という読みもあると思われる
0795名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 13:39:21ID:dQneD50g
敵対した場合には肝心なところで戦わない者は相手の敬意を得られない。
それを何よりも理解して実行してきたのが相手の家康だからなあ。

織田、豊臣相手にはそれぞれ今川から独立後や小牧長久手のガチ勝負で自分を高値で売りつけ、
武田相手にも三方原で覚悟を見せつけた。

その家康を相手にして見当外れの最上を攻めたんじゃ駄目だろう。
つか、最上に勝ったとしてどんなビジョンがあったのさ。

いくら領土を切り取っても西軍が負ければどうしようもないことくらいわかっていただろうに。
上杉が徳川を拘束するか討ち破った上で西軍が勝てば大幅加増を望めることも。
最上領を切り取ったのが役に立つのは、東西どちらも勝たずに膠着状態に陥るか、
どちらが勝利したにせよ中央政権が弱体化して大名領の処分を行えなくなった時くらいだろうが。
0796名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 13:52:01ID:SKlvs/A8
>>791
その補佐役的ポジションと言うのにそもそも当てはまらんと言ってるの。
その人らは。信長の野望じゃないんだから。
0797名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 13:55:21ID:dQneD50g
ついでに言っておくと小牧長久手の徳川は外交も含めて打てる限りの手を打ってるぞ。

・後北条と同盟して背後を固める
・織田信雄と同盟して大義名分を得る
・根来・長宗我部・佐々などと同盟を結んで秀吉を牽制する

最近の研究では信雄の三家老は親秀吉派だったので家康側が切らせたという説も出るくらい、
用意周到に準備して家康側から戦機を見切って仕掛けてる。

しかも、三河の中入り阻止では緻密な諜報網、本陣を空けるという決断、
迅速な行軍で後々まで秀吉に対するアドバンテージになる大勝利を得ている。

大勢力とやり合うというのは生半可なことじゃないのさ。
増して一当てして自分を高く売りつけるためにはその後も難しい外交を行わなけりゃならん。
簡単に考えすぎてると思うぞ。
0798名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 13:57:13ID:dQneD50g
>>796
果たした役割から言ったら補佐役じゃないか?
他になんて呼ぶんだ?
一門だって補佐役とそれ以外がいると思うぞ。
0799名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:25:41ID:dKtLt6JG
それぞれのスレで
「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。
0800名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:41:09ID:dQneD50g
>>799
答えになってないぞ。
きちんと質問に答えろよ。

補佐役でなければ何と呼ぶんだ?
0801名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:43:41ID:dQneD50g
つか、想像って……想像したって仕方がないだろう。
何言ってるんだ。
0802名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:44:30ID:Rgpz5AyJ
>>788
片倉は好きだが参謀として完璧かというとそうじゃない。
上杉と最上の戦いで決着がついて弱った勝者を叩くという考えは上杉、最上、伊達三者の戦いなら良い考えだ。
が、この戦いはあくまで豊臣と徳川の手伝い戦。
戦闘の親分つまり伊達の場合は徳川が勝てば、その時の戦闘の様子が後に家康に告げられるわけだ。
事実、南部での一揆の誘発も含めて関ヶ原の合戦中の伊達の不穏な動きを指摘され伊達はほとんど加増されていない。
そういう、どっちつかずの動きを仮に政宗の独断で行われたとしたら、それを止めるのが参謀の役目。
摺上原の戦いの時も秀吉の息のかかった佐竹・芦名を攻めてるが戦を止め様とした形跡がない。
合戦後は領地没収の上、左遷。
戦闘の見極めは良かったとしても家の存亡がかかった時の舵取りはうまかったとはいえんね。
0803名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:47:38ID:dKtLt6JG
いや別に質問されてるつもりもなけりゃされて答える気ないし……

そんなに気になるならそもそも直江スレで勝手に比較相手の役割を決め付ける
議論に時間費やすより、比較相手のスレでどう評価されてるか見て来る方が
早いんじゃじゃないかと思うだけで。
0804名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 14:50:11ID:dQneD50g
>>803
>それぞれのスレで
>「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
>と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。

お前は聞いてこいと言ってるんじゃなくて「想像してみればいい」としか言ってないんだが。
何言ってるんだ。

まともに議論する気のないバカとは思わなかった。
お前が書き込む方がよっぽど時間の無駄だ。
0805名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:00:31ID:dKtLt6JG
>>804
そんな事わざわざ聞いたら他スレの人に失礼じゃないか。

804だって単に自分の疑問に答えを見つけたり、個人の考えをまとめたいだけだろ?

勝ち負けの決まるものでなし、元々2chで議論して得られるのはそれだけなんだから。
ならそのためにヒントになりそうなのはむしろここじゃなく他スレなんじゃないかと思う、
と言ってるだけ。別に随う必要はないし、わざわざ抗われても困る。
0806名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:04:32ID:dQneD50g
>>805
だからそんなことをお前は>>799で言ってないだろ。
他スレを想像して何か得られると言ってるお前がおかしいと言ってるんだが。
持論の根拠も挙げない、信長の野望を引き合いに出す、
質問に答えるつもりはなく、他スレの反応を想像しろと主張する。

本物のバカだよ、お前。
参考文献や研究を挙げるなり、検索しろとアドバイスすることもできないほど無能だから仕方がないけどな。

お前のレスなんぞ無駄だからとっとと消えろ。
0807名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:14:11ID:dKtLt6JG
ちょっと待て、俺は799,803,805しか書き込んでないぞ?
もしかしてそこらへん勘違いして自分が攻撃されてるとか思ってるのか。
0808名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:17:57ID:dQneD50g
>>807
なんだ、>>796じゃないのか。
なら>>799のような狂ったレス付けて話に割り込むな。

言っておくが>>799だけで本物のバカだぞ。
他人のやり取りに割って入ってバカなレス付けてる時点でな。

こっちは>>796の意見を聞いてるのに他のスレの反応を想像しても全く意味がないからな。

まあバカだから自分がどれだけバカか理解できないんだろうが。
0809名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:30:48ID:dKtLt6JG
割り込んだ事に怒りを覚えているなら謝って終わりにするけど、
無関係の第三者が常に存在する2chのスレで特定個人との個人的な
議論を行おうとするのはちょっと無理があるから止めた方がいいと思うよ。
0810名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:31:30ID:4EOFoq+U
>>808
このスレには建設的な議論ができない癖に他人のレスにはケチ付ける奴がいるから放っておいた方がいい。
相手にしても話にならないから。
0811名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:32:22ID:4EOFoq+U
>>810
いいから消えろクズ。
全員がお前のようなクズじゃないんだ。
0812名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:34:45ID:dQneD50g
>>810
了解。
バカを相手にしても仕方がないしな。
自分がどんなにバカなことを書き込んだのかも理解してないようだし。
相手にするだけ無駄だな。
0813名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:43:23ID:4EOFoq+U
>>811
苛立ちのあまり自分にアンカー付けてたよw
>>810>>809だな。
しかし他のスレの反応を想像してみればいいとは大笑いだ。

>812
お疲れさん。
0814名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 15:47:30ID:4EOFoq+U
>>802
小十郎は前線指揮官とか城代とかで活躍してるから戦略家としてのイメージはあまりないなあ。
軍師とか頭脳じゃなくて片腕とかのイメージというか。
0815名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 16:57:19ID:ifHqu7q9
>>802
結局、景勝・直江主従、政宗・片倉主従共に関ヶ原が長期化すると踏んだんだろう。
最上の戦略は伊達・宇都宮の秀康との連携で自分は盾役。関ヶ原が長期化しても、
三者連合で何とかできるという前提で立てている。

少なくとも、東北諸大名、九州の黒田にしても短期決戦は想定してない。
史実の上杉の行動は
1.上杉の戦略はまずは庄内の飛び地を解消し、後顧の憂いを立つ。(出羽侵攻)
2.旧領北越後の奪取。(越後の一揆煽動)
と取り合えず、周囲への領土拡張でしかない。スレの前のほうにもあったように
石田と直江の書状でも越後取得後の権利確約のやり取りだ。

戦国大名的な戦略眼でしかないが、日本全国的戦略を立てれる人間そのものが
少数だからやむを得ないんじゃないかな。ましてや東北と言う地方に位置する大名
ではね。
だから、中央に近かった家康のように豊家との一戦で存在感を示し、組下に入るという
戦略は余りもてなかったのではないかと思う。
0816名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:14:07ID:SKlvs/A8
>>798
そうじゃなくて彼ら三人の業績を並べるとだね。

秀長・・・既に稲葉山城攻めから別働隊を指揮していて、信長にも個別に仕えている状況。
     補佐役的な部分は黒田官兵衛らが有名だが彼らとは違う。
隆景・・・元就の視点から見れば息子であり、方面軍司令官。秀吉の視点から見れば
     もはや毛利の代表、輝元の補佐なんて位置じゃない。
直茂・・・初期は隆信と同盟関係に近いなか、慶ギン尼の策で無理矢理兄弟になる事で一門化
     それでもなお戦功を上げる直茂は逆に疎まれる、隆信死後は逆に秀吉から見れば
     もはや龍造寺などというものは眼中に無く、政家も完全に直茂に全てを任せていた。

とりあえず他人にケンカ売ってないで落ち着け、別に俺は兼続の業績に文句をつけているわけじゃない、
彼らとは全然違うというだけ。

いわゆる補佐役というのは、片倉や本多らの事だろう。
上記の連中は信長にとっての光秀や勝家みたいなもんだよ。
彼らを信長の補佐役とは呼ばないだろう。
0817名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:18:00ID:4EOFoq+U
>>816
横レスだけど、兼続も景勝の幼少時から仕えてる上に関ヶ原じゃ別働隊を指揮してる。
秀長や隆景、直茂を補佐役として扱ってる書籍もあるよ。

それに、信長に補佐役はいないでしょ。
それはパーソナリティの問題。
毛利元就なんかにも補佐役らしき補佐役はいないんだから。

果たした役割から言ったら三人や兼続も補佐役で良いでしょうが。
0818名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:22:13ID:4EOFoq+U
書き込んだ後思ったが、根本的に論点が違うんだな。
果たした役割で見るか家中の立場?で見るか。

つか、秀吉の視点から見ればってお話にならないよ。
それを言ったら徳川の視点から見れば兼続は上杉の代表でしょうが。
0819名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:27:05ID:Cx9+AiQO
>>816
ググるとこの3人は全員補佐役として評価してる記述も多いぞ
光秀や勝家は信長の補佐役とは呼ばれないがこの3人は補佐役として一般にも評価されてると言える
0820名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:36:46ID:DhsC9/xL
つーか普通に補佐役でしょ。
妙に補佐役でないとか言い張ってる人がいるだけで。
そんなに直江が名将と比較されるのが嫌なのかと勘ぐりたくなるねw

>819
童門冬二とか堺屋太一は書名にまでしてるから。
0821名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:50:00ID:SKlvs/A8
>>783
で参謀ポジションと言ってるので、そういう意味での補佐役だと思ったんだがな。
違うのか?
0822名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:51:15ID:fKaBaJ+L
>>821
全員参謀としても活躍してますが何か?
参謀としても軍司令官としても活躍するのが当時の補佐役。
まさか近代の参謀のようなイメージで見てたの?
0823名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 17:57:08ID:fKaBaJ+L
「公儀の事は宰相存じ候」:秀長
「『誓約を守ったからこそ、毛利家が豊臣政権下で安泰でいられる』と隆景の自慢の一つとして聞かされた」:隆景
「隆信の首を送っていただいたお気持ちは非常に有り難く存じますが、このような不運の首を此方が貰い受けてもしょうがないこと、
どこへでも捨て置いて下さい」:直茂

三人とも参謀として十分な実績があり、主家の戦略に影響を与えてますが。
0824名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 18:18:51ID:SKlvs/A8
goo辞書 参謀
@高級指揮官の幕僚として、軍の作戦・用兵などの一切を計画して指揮官を補佐する将校。
A表立った指導者・指揮者の下にいて補佐し、意志決定に際して進言・献策など重要な役割を果たす人。

@は作戦時における参謀、なので別働していた事が多い彼らは違う。
Aは三成や本多らの事。「進言・献策」などであって

>>823の三つはいずれも自分で決定してるし判断してる事項。
参謀などというクラスでは無いと思われる。
だから、それでは決めきれない「内々の事は利休に」ひいては秀吉になる。
直茂の件なんか特に主君の首を受け取らないなんていう事を決定してる時点で
参謀なんて地位じゃない。軍司令官とかは全く関係ない。

だが、兼続はあくまで自主決定するまでに至ってるとは思えないので、
参謀という地位で置くのは極めて妥当かと。
0825名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 18:31:53ID:fKaBaJ+L
>>824
それだけ影響力のある参謀(補佐役)だってことですが。
それとも三人は主君とでも言うつもりですか?

それだけ主君に信任されたり影響力があるからこその補佐役なんですが。
公儀(外向きのこと)に関しても最終決定はもちろん秀吉でした。
羽柴との講和に関しては吉川が強硬派、小早川が融和派でどちらも進言してます。
最後に関しては、補佐役が執政として権限を委任されることは十分あり得る話です。

貴方は単にこじつけて否定してるだけでしょう。
少なくとも彼らが参謀であり補佐役であることに関しては書籍も出てますし、
そういう評価は私だけのものではありませんがね。
0826名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 19:09:39ID:XanxXVUk
直江兼続みたいな武将は好かれる
ライバルは伊達家の片倉小十郎かな
0827名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 19:46:55ID:f/OkIUAz
>>824
今更辞書引いて適当な俺解釈をでっち上げられてもなあ。
信長の野望とか他人に言う前に、ちゃんと文献に当たった方が良いぞ。

それに結局>>798には回答してないし。
補佐役でなければなんて呼ぶんだ?
0828名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 20:40:07ID:GfwtFa7z
>>822
参謀っつーと近代の陸海軍を想像してしまうからな。
しかし、あんま言葉遊びせんほうがいいと思うよ御両人。
0829名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 22:16:06ID:arnhDATB
>>826
片倉は正反対だろ
直江と一緒にされたら、片倉が迷惑だろ

ちなみに、片倉は結構イケメンだったらしい
小早川秀秋に好かれて追っかけ回されたんだと
秀秋が小早川に養子に出される前だとしたら、天下人候補だった
ホモとして抱かれていたら大名になれていたかもしれん
しかし彼は、衆道の趣味は無く、イヤで逃げ回っていたんだと

この点が、主君とのホモ関係が権力基盤だった直江と大違い
0830名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/03(金) 22:34:56ID:kUwLypR1
>>829
またホモ男が来てるのか
同じ片倉小十郎でも、景綱と重綱を混同してないか?
0831名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 01:52:00ID:s9IK3Feu
>>829
それネタ元片倉代々記。

本人の日記に書いてあったから本当です、てのはさすがに無茶だよ。
それとも他に補足資料があるのか?
0832名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 02:06:02ID:f676CQw5
まぁ確かに信憑性という意味では疑問なのは同意。
ただこういうのはさすがに日記でもないと残らないだろうと言うのも事実。
秀秋が衆目の前で追っかけまわしてた変態だと言うならともかく。

また
〜〜と言う手強い武将の首を取ったぜ
とか言う記述が日記に書いてあっても信憑性の点で微妙だが、

秀秋にケツ追っかけられたぜ(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
って言う記述をわざわざ日記に嘘ついてまで書く奴なんているのかなw

俺の美貌は城中の女性を虜にしたぜ、とかならともかく。
0833名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 02:24:11ID:s9IK3Feu
当時に日記、特に後に家記になってるようなものは基本的に人に読ませる事を
念頭に置いて書かれてるからある程度の「作り」はあるものと考えた方が良い。

政宗に紹介されそうになって寺に逃げたとかさすがにどうかと思うし、今と違って
当時男色が特別視されてなかった事もあるから、好みじゃないお偉いさん(秀秋)に
色目使われて参った、くらいの状況の方が近いんじゃないだろうか。
0834名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 07:19:53ID:a0TXlCwt
片倉重綱は、父の景綱と一緒に十七歳で上杉征伐に従軍。当時の軍事要衝の白石城を
陥落させている。甘粕不在の情報は伊達には筒抜けで、そこを一気に突いた。
甘粕への後の対応をみると、この城を奪われた景勝がいかに悔しがったかが見て取れる。
0835名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 09:01:44ID:aOYECXdY
>>829
イケメンだったのは息子だよ。
それくらい知識がなくてもちょっと検索すりゃわかるだろうに。
直江兼続も「長高く、姿容美しく、言語清朗なり」と名将言行録に書かれてるくらいだ。
少なくとも当時のイケメン基準をクリアしていたのは間違いない。
現存する甲冑の大きさは謙信や景勝の甲冑より一回り大きいので名将言行録の記載はそれなりに信用できるかと。
もっとも>>829はなにがなんでも直江兼続を認めようとしない偏ったモノの見方をしているから信用しないだろうがな。
ま、おまいに信用してもらおうなんて誰も思っちゃいないけど。
0836名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/04(土) 13:16:40ID:rvdJFihV
単に直江を貶したいからって二代目小十郎をもちあげてんじゃねーよ
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