【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0716名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:14:32ID:o3s4mRqJ失敗し、縮小した組織のナンバー2、
あるいは実務担当のトップとしての責任。
日本はトップを傷つけないようにする文化があるから、
失敗の責任はすべてナンバー2が負うことになる。
0717名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:16:58ID:o3s4mRqJお前さんは家康が独裁的な主君だったと思っているのか?
家康ほど家臣に気を使わなけらばならなかった君主もめずらしいぞ。
三河家臣団のことをもう少し調べてから物を言いたまえ。
0718名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:17:48ID:XFB+8mVIむしろ三河家臣団がそういう性質だから、>>712の
>個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。
はありえないと思う。
0719名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:27:38ID:Pf/lIXYFあるいはグルで上杉を引っ掛けたのか、てのが肝って事でいいのかな。
この時期だと正信の地位権力ってどんなもんだったんだろ。
大久保長安との政争はもっと後だよな?
0720名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:42:44ID:XFB+8mVIそれプラス上杉側の思惑も。
まさか、上杉は一途に徳川派だったのに、徳川に捨てられた。
なんてナイーブな訳ないだろ。
当然上杉側にも思惑はあったはず。
0721名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:57:45ID:Pf/lIXYFそれに関しては前スレ含めてここまでのレスである程度話が出て来てたし。
別に繰り返すのが悪いって意味じゃなく、今の流れの肝はそこからちょっと
離れた所にあるよな、と。
0722名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 14:23:19ID:qmnUfddN佐竹と同じくどちら側にも組しない立場だった様な気ガス。
幸か不幸か120万石の大国でしかも大老のひとりだったから嫌でも他人より早く立場をハッキリしろといったプレッシャーがあったんでは?
豊臣家に恩があると書いてる奴がいるけど、住み慣れた越後から会津に移封されて恨みに思っていた人間も多かったと思う。
戊辰戦争の時、ドサクサにまぎれて越後に戻れるかもと喜んでいた家臣が結構いたと聞く。
越後の住民は住民で米沢藩士の姿を見てやんやの大喝采を送ったとも聞いた事がある。
豊臣家にしても徳川家にしても上杉家が義理立てするほど恩は受けていないよ。
0723名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:06:11ID:cOTPv4fv本田の息子は、江戸時代の話。天下人に懐柔されたわけでも何打もなく、5万石で前田家にスカウトされた。直江とは事情が違う。
あと、仲良しだから大丈夫だとか、手紙のやり取りがあったから仲良しだとか、なんか甘いような気がするな。
0724名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 22:40:00ID:KePicsg0中国の士大夫も階層としての横のつながりは緊密でも、
上からの公的な命令がからめば、話は別。
つか、近世になってそういう世界が確立されたから
(直江の世代がその最初、それまではそういうジレンマのない中世)
友情がクローズアップされてきた。
0725名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 23:04:46ID:Pf/lIXYFきちんと現在に残る書状のやりとりがあったからこうやっていろいろ意見が出てるわけで、
組織の上位構成員同士が行った折衝、交渉の話をしてるんだよ。
どんな組織だってトップが全部自分で決めてるわけじゃないんだから、その判断に対して
影響を及ぼしたであろう「過程」が必ずあるし、そこに携わる人間がいるはずなんだから。
0726名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 01:20:12ID:RoOrRLRpこれ史実と違うの?ホントは徳川と仲良くしたかったってか?
0727名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:00:33ID:4Q6US5NQ石田と直江が示し合わせて徳川を挟み撃ちにした。
というのは確証が取れないし、疑わしい話であるとされている。現在ではね。
0728名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 02:02:37ID:4Q6US5NQ補足。
0729名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:39:03ID:65ykv6TX家康からすれば、格好の軍事挑発として映ったのは確かだろう。
家の存続が目的なら、前田のように土下座したり、山内のように
城そのものを明け渡した方が、結果的に賢明だったわけだ。
0730名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 09:37:29ID:5728FpTpまず1600年の上半期に兼続が三成の元を訪れていたかだが、1600年は正月に藤田信吉の出奔騒動からはじまり2〜3月には秀忠に領内整備と軍事補強を認める許可のやり取り、4〜5月にかけては書状は残っていないが家康本人との交渉があったとされる。
どう見ても景勝の右腕であり城下整備等の総責任者である兼続が自国を離れている暇などない。
挟み撃ち説は今のところ想像のレベルの話。
ただし1600年7月の兼続が会津の清野に送った書状の中に会津に石田の、須賀川にいた兼続の元へは佐竹の使者が来訪していた事が書かれているので上杉家はこの時は完全に石田側に組している。
>>729
前田は家康にだけ頭を下げていたわけじゃないぞ。
利長は東軍、弟の利政は西軍につき、どちらが勝っても前田家が生き残れる策を取っている。
真田家と同じ手法だよ。
この時期、上杉家には当主の兄弟や子がいなかったため東西に分かれる事が出来なかった。
この時に定勝が生まれていて、しかも元服を終えていたなら上杉家も東西に分かれて前田家や真田家と同じ様にどちらが勝っても禄高を減らす事無く生き残れたんだけどね。
0731名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 14:50:43ID:B8q5WNzc思うのだが上杉家はつくづく子宝、後継者関連に恵まれない
0732名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:14:14ID:5728FpTpただ、結果論で見たならば、その嫡男の道満丸は生かしておくべきだった。
養子の子とはいえ景勝の妹(姉とも)の血が半分流れていたわけだし。
もし生きていたならば関ヶ原の時には20代前半。
景勝の家臣の中に密かに道満丸を匿う人物がいたなら・・・
仮定の話をしても仕方が無いのはわかっちゃいるんだけど。
0733名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 16:33:26ID:RSqIwyP/知れないし、やっぱり後世から見た結果論だろうなぁ。
生まれたら始末する、てのもさすがに使い捨て感ばりばりで拙そうだし。
子供の存在ばかりは天の差配だな……その最たるものが秀吉だけど。
0734名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:16:47ID:wZ442tkC片方は養子だけど、謙信と信玄のお孫さん…。
0735名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 17:28:02ID:B8q5WNzc恨み買うかもしれないがそれは珍しい事でもないけどね
生まれたら生まれたで養子に出されるか真田幸村のように捕虜の身として
転々としていくという形になるんじゃないかな
>菊姫の子供
ファンとしては見てみたいな
両方の血は間接ながらも継いでいるんだし
もしかしたら徳川から特別扱いされたかも
0736名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:09:11ID:y1gm+moIいざという時に呼び寄せる手があったと思うんだが
0737名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 22:28:32ID:sL0uSnzw0738名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 00:25:34ID:sX+fr6SEそれ以上先の事まで見通すのは相当な器で無いと無理だろう。
まして景勝は実務面や、行動力の面では実力あると思うんだけど、
器と言うか、将才というか、先見性のような部分は微妙だし。
0739名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/22(日) 22:15:12ID:H6/D1fvM上手く景虎だけ殺して、室(姉妹)と道満丸は手元に確保したとして
実子がない景勝が道満丸を養子にするとして
さて養子にされた道満丸がどれほど複雑な立場に立たされるか
他ならぬ景勝が嫌というほど分かってるはずなんだが。
なに考えてたかは知らんが、道満丸殺した景勝が謙信より好きだ。
0740名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:48:09ID:yzt2K/IKほかに家を継げる一門もいないし。養子を迎えるわけでもなく、かなり歳食うまで
側室持つわけでもなし、もし景勝が頓死でもしたらどうするつもりだったんだろう。
0741名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:45:36ID:xO2bSsoI兼続に鍋島@沖田畷をやらせるなら、直江家では足りない。
仙桃院が樋口家に再嫁するくらいの離れ技が必要だろ。
0742名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 12:57:05ID:6ycUiLSpいきなり持って来ると反発大きいから取り合えず娘婿にして藩内に確保したって説。
0743名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 13:00:08ID:6ycUiLSp0744名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:32:40ID:K8OYHt9tは謙信の実家の長尾家と景勝の実家の長尾家と2つあったはずだからその
甥か謙信の親父世代の兄弟一族の誰かが名跡を継いだかと。それか>>742
みたいに他の家の名家を養子に入れて一族の娘を嫁にさせてたか
0745名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 11:32:21ID:aUwztpBY三郎景虎と同じく景勝の姉か妹を娶ってるから血筋は受け継がれてるよ。
確か綱勝急死後の御家断絶の危機の時に上条家の子孫が候補のひとりになってたはず。
0746名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/28(土) 21:39:28ID:+6nJw2pG@合戦は苦手だ
A天下人にはつい懐柔されてしまう
B勉強は得意だが、詩歌などの創作はそれに比してやや弱い
C最上みたいな地味な奴を見るとついなめてかかってしまう(で痛い目にあう)
D伊達みたいな自分に無いものがある奴を見ると、ついムカついてカラんでしまう
E失策の責任は、自身が取らなくても、借り物の家を断絶させれば済むと思っている
2つ以上で貴方も直江兼続と認定!
0747名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 00:32:16ID:J90OzQ07コピペ荒らしに走り始めたよ
0748名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 07:58:11ID:z1CRjS2n「女房は顔をけわひ、口紅をつけ、衣装をあらため、笠をかぶり、
しりをかかげ、黒き身にも、白ききやふをして、田におり立ち、
早苗をうゆべし」(「四季農戒書」直江兼続)
0749名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 08:43:27ID:BYh14c27なんか、ここまで「女房の理想像」をコト細かく書くツーことは、
実生活は、さぞかし理想とかけ離れたものなんだろうな。
嫁が家事放棄(噂では+不倫)している先輩がいるんだけど、
理想の女房を語らせたらすげー話が長くなる・・・。
0750名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 18:49:12ID:BJ7zB3rgてか夫が死んでからも権威を失われない時点で相当な人物かと
0751名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 02:01:33ID:/Eydqj1dお前の先輩のケースとは違うだろwまあ、しりをかかげ云々など言っているがw
>>750
定勝からもかなり信頼されていたみたいだからな。
0752名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 23:23:21ID:exi5CviP長谷堂戦の時、なんで兼続は本隊を小滝街道から進ませたのでしょうか?
大軍の運用なら上山ルートの方が動かしやすいのでは?
0753名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 23:35:24ID:exi5CviP0754名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 00:01:48ID:4sm9zCel0755名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 01:23:20ID:5xdura5+しりをかかげどうのこうのなどと、植○教授みたいなセクハラ野郎だったんじゃね?
0756名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 10:19:15ID:yWDKrK10外人もおっぱいよりケツ好きが多いよな。
まぁ人間らしくていいんじゃね
0757名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:50:51ID:5UGbihwT本人に聞け
0758名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 16:57:41ID:AYSzOZGI直江家自体が断絶したから
0759名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 17:48:42ID:4sm9zCel0760名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 18:44:36ID:XAPNmzeM0761名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 00:43:11ID:Ak/H0ZO2それが出来ないほど、よっぽど嫌われていたんだね。
兼続自身かお船の方の一方だか、その両方だか知らんが。
0762名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 10:55:32ID:47t86JKa0763名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 14:52:43ID:Jq6ePaSJ人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?
0764名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 17:12:43ID:Rx957kQZまた、おまいかw
直江夫妻が嫌われていた?
だったら夫妻亡き後に藩主自らが高野山に夫妻の墓を建立するなんてできないだろ。
高野山に墓を建立するとなると莫大な金がかかる。藩主といえど家臣の賛同を得なければならないわけだ。
墓が建立されたわけだから家臣内の多数決では間違いなく建立賛成派が多かった事がわかるよな。
少なくとも高野山に直江夫妻の墓が建立されたまでは上杉家家臣内でのいざこざはなかったようだ。
0765名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 00:42:56ID:EJuTIlACまるで見て来た様な話しぶりだ
直江夫妻を如何に埋葬するか衆議にかけて多数決を取ったなんて記録があるの?
そもそも藩主が直江夫妻に掌握されて、自家薬籠中で育てられている。
当然、直江夫妻を厚く葬ろうとする
それに、藩士達は面と向かっては反対できないと想像できる
だから、直江夫妻の葬り方に藩士の意向が反映されるとはいえない
0766名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 06:06:17ID:3ajGs9b9嫌わえた権力者の取り巻きを一掃するなんてこと、しかもそれが家中の反対がなくスムーズに行くことで、
故人の人気度は計れると思うのだが。
0767名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:47:44ID:Ytk77sQ5要因に人望の無さを挙げるならむしろ人望が無かった証拠がないと
話の流れがおかしいと思うのだが。
人望があった、だから政争に負けるはずがない、てどんな理屈だよ。
0768名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 09:29:15ID:3TQdYTqRものだからだったんだろうな。それに元来上杉家臣団は越後の豪族の寄合所帯だったから
というのもあると思う。
0769名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 09:49:31ID:LgS6uxE4横レスだが、家中の人望があったと主張するなら人望があった証拠を出すのが筋じゃないかい?
揚げ足を取り合っても不毛だと思うんだが。
0770名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 10:25:46ID:Ytk77sQ5人望が有ったなんて主張を俺は全くしてないわけだが?
事実として存在するのは「政争に負けた」という点のみだと言ってるだけで。
その理由として「嫌われていた」「人望がなかったから」という原因をあてはめたいなら
まずそのを証拠を示さなきゃならないよ、という話。
そもそも >>763 が 「人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?」という
聞き方をしている時点で「人望なかったとか成人君子でなかったとかって記載あんの?」と
聞き返されるのは当たり前だろう。
自分が質問するのは良くて他人に同じことされるのは駄目って訳分からんし。
ちなみに「知らないから聞きたかった」というのはこの場合通じない。
意見である「嫌われていた」を最初に主張してるから、「その意見」の論拠を求めてるので。
0771名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:06:29ID:zIHcp7IHなかったという証明は悪魔の証明なので不毛。
その場合は「嫌われていた」という証明だな。
0772名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:07:31ID:zIHcp7IH馬鹿馬鹿しいので撤回しとく。
まあ好きにやってくれ。
0773名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:52:56ID:5BfzF39Y0774名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 11:59:26ID:sMFItHyqただ、同僚が直江の家を残すべきだとか祭祀をしたとか言う話は知らないので、
同僚には関ヶ原前後のこともあって親しまれていたとは言えないんじゃないかと推測する。
上司や部下には評価されても同僚には……という気がするがどうだろう?
0775名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 13:55:22ID:hGmpEYVUどこの大名家に限らず、戦国時代に限らず、政権を握っている者や急昇進した者への妬みや嫉妬はあるわけで。
俺等の身の回りでもあるだろ?
同僚なんかが出世していくと取り残された者は仲間同士で悪口の言い合いをしたりすんのは。
例え、そいつが人一倍仕事が出来ていたとしても取り残された者は素直に認めたくないんだよ。
秀吉や三成もその点で苦労してる。
俺も営業の仕事でトップ1に立った途端に陰口を叩かれた経験があるよ。
日本人てのは横並び主義でそこから良くも悪くも頭ひとつ飛び抜けたら平均的な連中の餌食になっちまう。
直江兼続も同じだったと思うよ。
0776名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:38:35ID:sMFItHyqそれでも愛される奴は愛されると思うが。
秀吉なんかは嫉妬されたし敵も多かったが仲の良い同僚もいたわけだから。
三成も大谷吉継とか政権内で友人がいたわけだし、政敵も「三成が死んでから殿中の風儀が悪くなった」などと
懐かしむような言葉を残してる。
直江のそういう話を自分は知らないんだが、何か具体的な事例をご存じなら教えて欲しい。
0777名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 15:03:07ID:m4WXXzCb主家(自分たち)の所領が削られたことの
責任を取らされるようなポジションの人物は好かれないと思うね。
個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。
上杉が巻き込まれたというなら専守防衛、
三成と連動していたなら外線の一翼として
徳川に仕掛けて拘束するのが戦略。
西軍としては史実のように各個撃破されるのが一番危険なんだから。
最上領に攻め込んで叩き出されたのはどちらの立場からしてもマズい。
0778名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 16:48:08ID:9vIleui2どうでもいいが、めちゃくちゃなことを言ってるので釘を刺しておく。
悪魔の証明の意味わかってないじゃないか。
「嫌われていた」が「なかったこと」ってどういうことよ?
「人望があった」にせよ「嫌われていた」にせよ、そういったエピソードでもなんでも話一つ見つけてくりゃいいわけで。
誰も「人望があった」なんて言ってないのに、いきなり>>761で「嫌われていた」と決め付けるんなら、
言った人間が何か話の一つでも出すのが筋だろう?
何でも言いだしっぺが挙証責任あるんだよ。
悪魔の証明という言葉使ってみたかっただけなんじゃないの?と勘ぐってしまうよ。
0779名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 16:55:27ID:m4WXXzCbエピソードを出せずに煽るだけなら黙ってた方が良いぞ。
煽ってるだけじゃないか。
0780名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 17:02:18ID:9vIleui2煽りの気持ちも全く無かったとは言えないが、勘違いを正して何が悪い?
0781名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 17:04:41ID:6nOnXZkT自分じゃ何も建設的な話を出さずに他人にだけ根拠を要求するような奴は放っておいた方がいい。
どうせまともな議論なんかできないんだからな。
直江山城に関しては上杉の外の人間の評価が多いんだよな。
つか、上杉の中で家臣同士の評価というのがあまり多くないような気がする。
とはいえ上杉減封の後も家老を務めてるし、それに関する表だった不満が出てなかったようなので
人格は評価されてたんじゃないかと思う。
0782名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 17:09:19ID:6nOnXZkT徳川での本多正信は家康の信任にもかかわらず家中からかなり悪く思われてたという評価が残ってるので、
それに比べるとという話だな。
0783名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:00:55ID:UqBlsB2uむしろあのポジションで好かれたのが珍しいくらいじゃないか?
知っている中では(講談になってしまうが)片倉、秀長くらいかな
0784名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:08:19ID:6nOnXZkT両方とも参謀だけじゃなく、前線司令官としても有能というのもあるが、
魅力は高そうだ。
0785名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:01:16ID:CI3ulHwl>個人的には、関ヶ原では専守防衛に徹するか、
>徳川とガチで戦うかどっちかをしておけば、
>もう少し筋が通っていたし評判も高くなったと思うんだが。
自分もこの意見に禿同
これが出来るのが真の名参謀だと思う
徳川と戦うなら、もっと徹底して、三成、毛利、宇喜田らと連携して勝つべくやるべき
勝てないなら、最初からひたすら現状維持。なるべく豊臣政権から距離を置くべきだっただろう。
自分らが、中途半端で徳川につぶされるべきヤバイ存在になっていることを客観視できなかった
とても名参謀とはいえない。ただのホモで欲張りのバカ家老でしょ
0786名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:08:00ID:mv/XYSu0参謀が好かれると当主の影が薄くなる(下手すりゃ乗っ取られる)という好例ですねw
三成はともかく、兼続正信あたりなら御家のため自ら悪名引っ被るかも。
このふたり、関ヶ原後に親交があったようだが何か通じ合うものがあったんだろう。
0787名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 23:19:00ID:mv/XYSu0関ヶ原の上杉が狙ってたのは、小牧長久手の徳川みたいなのじゃないかな。
つまり、大勢力にひとあてした後逃げ切り粘って、最良の条件で相手の傘下に入る。
自ら天下を狙わないものが誇りを守ったまま屈服するための古くからのある種の手続き。
まあ、いろいろ予定も狂ったが、大筋では間違っちゃいなかったと思う。
べたべたの豊臣恩顧とちがって家も残せたし。
0788名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 00:42:00ID:MKHJ/W7s>小早川、鍋島、片倉、秀長
これら諸将には、戦闘指揮能力と謙虚さがあるね
直江には、この大事な二つがない
0789名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 00:49:34ID:SKlvs/A8隆景は大名じゃないか。
直茂に至っては隆信の代から既に義兄弟で参謀なんて軽々しい立場じゃない。
小十郎ぐらいだろ、その面子で参謀と言えるのは。
兼続と立場的にも重なりそうなのも小十郎くらい、他三人は別の意味で格が違う。
0790名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 03:45:06ID:tWToRFMO小牧長久手の徳川と違って上杉は大勢力に一当てしてないでしょ。
そのためには最上でなく徳川とやり合って一泡吹かせないと。
手強いと思わせるか、筋が通ってると思わせる、上杉はどっちもできてないよ。
30万石に減封されたのは「最良の条件で相手の傘下に入る」とはほど遠いしね。
その意味では失敗してるよ。
それができたのは立花とかでしょ。
ちゃんと大名に返り咲いてる。
0791名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 03:47:52ID:tWToRFMO兼続も石高見れば立派な大名だし、兄弟や義兄弟、叔父でも
参謀というか補佐役的ポジションにいたという点では同種だと思うが。
要は補佐役での人望ということを比較しているわけで。
肉親で補佐役的立場でも人望がないなんてのはいくらでも例があるわけだから。
0792名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 05:44:51ID:gbJeYaTfつか、誇りを持ったまま相手に下るのであれば上杉は理不尽な戦を挑まれた立場だとして専守防衛路線を取るべきだし、
高く売りつけるつもりなら他の人も書いてるが徳川と戦う&その後の外交で踏ん張らないと駄目。
最上と戦って追い返されるなんて、誇りのためにもならないし高く売りつけるネタにもならない。
結果から見ても戦略としても下策。
蜂須賀、前田、鍋島などと比べても処世としては拙劣。
>>790
ああ、立花は筋が通ってると思われて敬意を表されてるな。
0793名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 06:39:59ID:0jTsoWRq甘粕が不在中に陥落させられた白石城を奪い返すくらいの気概すらない。
戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。
0794名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 12:52:57ID:PN+U90H+ひと当てってあんた、オモロイこと言うね。
力量のある人間なら、軽くひと当てかましても良いかもしれないけど、直江程度の力量でひと当てかましてしまったのが問題かもね。
ひと当てして示威するどころか、大衰退しちゃった(^^)
残念ながら、昔日の名も実も失った哀れな貧乏藩、ってのが大方の米沢藩の見方でないかい?
正確には、ひと当ても出来ずスカされて、背後の小勢力に領土(庄内、白石)かじり取られた
>戦後、撤退戦を褒められたというが、老獪な家康や敵方の義光の褒め言葉
>「さすが直江殿」には相当な皮肉が込められている。
禿同。さらには、直江を懐柔しとけば上杉はおとなしいだろう、という読みもあると思われる
0795名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:39:21ID:dQneD50gそれを何よりも理解して実行してきたのが相手の家康だからなあ。
織田、豊臣相手にはそれぞれ今川から独立後や小牧長久手のガチ勝負で自分を高値で売りつけ、
武田相手にも三方原で覚悟を見せつけた。
その家康を相手にして見当外れの最上を攻めたんじゃ駄目だろう。
つか、最上に勝ったとしてどんなビジョンがあったのさ。
いくら領土を切り取っても西軍が負ければどうしようもないことくらいわかっていただろうに。
上杉が徳川を拘束するか討ち破った上で西軍が勝てば大幅加増を望めることも。
最上領を切り取ったのが役に立つのは、東西どちらも勝たずに膠着状態に陥るか、
どちらが勝利したにせよ中央政権が弱体化して大名領の処分を行えなくなった時くらいだろうが。
0796名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:52:01ID:SKlvs/A8その補佐役的ポジションと言うのにそもそも当てはまらんと言ってるの。
その人らは。信長の野望じゃないんだから。
0797名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:55:21ID:dQneD50g・後北条と同盟して背後を固める
・織田信雄と同盟して大義名分を得る
・根来・長宗我部・佐々などと同盟を結んで秀吉を牽制する
最近の研究では信雄の三家老は親秀吉派だったので家康側が切らせたという説も出るくらい、
用意周到に準備して家康側から戦機を見切って仕掛けてる。
しかも、三河の中入り阻止では緻密な諜報網、本陣を空けるという決断、
迅速な行軍で後々まで秀吉に対するアドバンテージになる大勝利を得ている。
大勢力とやり合うというのは生半可なことじゃないのさ。
増して一当てして自分を高く売りつけるためにはその後も難しい外交を行わなけりゃならん。
簡単に考えすぎてると思うぞ。
0798名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 13:57:13ID:dQneD50g果たした役割から言ったら補佐役じゃないか?
他になんて呼ぶんだ?
一門だって補佐役とそれ以外がいると思うぞ。
0799名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:25:41ID:dKtLt6JG「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。
0800名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:41:09ID:dQneD50g答えになってないぞ。
きちんと質問に答えろよ。
補佐役でなければ何と呼ぶんだ?
0801名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:43:41ID:dQneD50g何言ってるんだ。
0802名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:44:30ID:Rgpz5AyJ片倉は好きだが参謀として完璧かというとそうじゃない。
上杉と最上の戦いで決着がついて弱った勝者を叩くという考えは上杉、最上、伊達三者の戦いなら良い考えだ。
が、この戦いはあくまで豊臣と徳川の手伝い戦。
戦闘の親分つまり伊達の場合は徳川が勝てば、その時の戦闘の様子が後に家康に告げられるわけだ。
事実、南部での一揆の誘発も含めて関ヶ原の合戦中の伊達の不穏な動きを指摘され伊達はほとんど加増されていない。
そういう、どっちつかずの動きを仮に政宗の独断で行われたとしたら、それを止めるのが参謀の役目。
摺上原の戦いの時も秀吉の息のかかった佐竹・芦名を攻めてるが戦を止め様とした形跡がない。
合戦後は領地没収の上、左遷。
戦闘の見極めは良かったとしても家の存亡がかかった時の舵取りはうまかったとはいえんね。
0803名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:47:38ID:dKtLt6JGそんなに気になるならそもそも直江スレで勝手に比較相手の役割を決め付ける
議論に時間費やすより、比較相手のスレでどう評価されてるか見て来る方が
早いんじゃじゃないかと思うだけで。
0804名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 14:50:11ID:dQneD50g>それぞれのスレで
>「この人は上杉で言う直江兼続と同じような役割をしてた人ですよね?」
>と聞いたらどんな反応返ってくるか想像してみればいい。
お前は聞いてこいと言ってるんじゃなくて「想像してみればいい」としか言ってないんだが。
何言ってるんだ。
まともに議論する気のないバカとは思わなかった。
お前が書き込む方がよっぽど時間の無駄だ。
0805名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:00:31ID:dKtLt6JGそんな事わざわざ聞いたら他スレの人に失礼じゃないか。
804だって単に自分の疑問に答えを見つけたり、個人の考えをまとめたいだけだろ?
勝ち負けの決まるものでなし、元々2chで議論して得られるのはそれだけなんだから。
ならそのためにヒントになりそうなのはむしろここじゃなく他スレなんじゃないかと思う、
と言ってるだけ。別に随う必要はないし、わざわざ抗われても困る。
0806名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:04:32ID:dQneD50gだからそんなことをお前は>>799で言ってないだろ。
他スレを想像して何か得られると言ってるお前がおかしいと言ってるんだが。
持論の根拠も挙げない、信長の野望を引き合いに出す、
質問に答えるつもりはなく、他スレの反応を想像しろと主張する。
本物のバカだよ、お前。
参考文献や研究を挙げるなり、検索しろとアドバイスすることもできないほど無能だから仕方がないけどな。
お前のレスなんぞ無駄だからとっとと消えろ。
0807名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:14:11ID:dKtLt6JGもしかしてそこらへん勘違いして自分が攻撃されてるとか思ってるのか。
0808名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:17:57ID:dQneD50gなんだ、>>796じゃないのか。
なら>>799のような狂ったレス付けて話に割り込むな。
言っておくが>>799だけで本物のバカだぞ。
他人のやり取りに割って入ってバカなレス付けてる時点でな。
こっちは>>796の意見を聞いてるのに他のスレの反応を想像しても全く意味がないからな。
まあバカだから自分がどれだけバカか理解できないんだろうが。
0809名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:30:48ID:dKtLt6JG無関係の第三者が常に存在する2chのスレで特定個人との個人的な
議論を行おうとするのはちょっと無理があるから止めた方がいいと思うよ。
0810名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:31:30ID:4EOFoq+Uこのスレには建設的な議論ができない癖に他人のレスにはケチ付ける奴がいるから放っておいた方がいい。
相手にしても話にならないから。
0811名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:32:22ID:4EOFoq+Uいいから消えろクズ。
全員がお前のようなクズじゃないんだ。
0812名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:34:45ID:dQneD50g了解。
バカを相手にしても仕方がないしな。
自分がどんなにバカなことを書き込んだのかも理解してないようだし。
相手にするだけ無駄だな。
0813名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:43:23ID:4EOFoq+U苛立ちのあまり自分にアンカー付けてたよw
>>810→>>809だな。
しかし他のスレの反応を想像してみればいいとは大笑いだ。
>812
お疲れさん。
0814名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 15:47:30ID:4EOFoq+U小十郎は前線指揮官とか城代とかで活躍してるから戦略家としてのイメージはあまりないなあ。
軍師とか頭脳じゃなくて片腕とかのイメージというか。
0815名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 16:57:19ID:ifHqu7q9結局、景勝・直江主従、政宗・片倉主従共に関ヶ原が長期化すると踏んだんだろう。
最上の戦略は伊達・宇都宮の秀康との連携で自分は盾役。関ヶ原が長期化しても、
三者連合で何とかできるという前提で立てている。
少なくとも、東北諸大名、九州の黒田にしても短期決戦は想定してない。
史実の上杉の行動は
1.上杉の戦略はまずは庄内の飛び地を解消し、後顧の憂いを立つ。(出羽侵攻)
2.旧領北越後の奪取。(越後の一揆煽動)
と取り合えず、周囲への領土拡張でしかない。スレの前のほうにもあったように
石田と直江の書状でも越後取得後の権利確約のやり取りだ。
戦国大名的な戦略眼でしかないが、日本全国的戦略を立てれる人間そのものが
少数だからやむを得ないんじゃないかな。ましてや東北と言う地方に位置する大名
ではね。
だから、中央に近かった家康のように豊家との一戦で存在感を示し、組下に入るという
戦略は余りもてなかったのではないかと思う。
0816名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 17:14:07ID:SKlvs/A8そうじゃなくて彼ら三人の業績を並べるとだね。
秀長・・・既に稲葉山城攻めから別働隊を指揮していて、信長にも個別に仕えている状況。
補佐役的な部分は黒田官兵衛らが有名だが彼らとは違う。
隆景・・・元就の視点から見れば息子であり、方面軍司令官。秀吉の視点から見れば
もはや毛利の代表、輝元の補佐なんて位置じゃない。
直茂・・・初期は隆信と同盟関係に近いなか、慶ギン尼の策で無理矢理兄弟になる事で一門化
それでもなお戦功を上げる直茂は逆に疎まれる、隆信死後は逆に秀吉から見れば
もはや龍造寺などというものは眼中に無く、政家も完全に直茂に全てを任せていた。
とりあえず他人にケンカ売ってないで落ち着け、別に俺は兼続の業績に文句をつけているわけじゃない、
彼らとは全然違うというだけ。
いわゆる補佐役というのは、片倉や本多らの事だろう。
上記の連中は信長にとっての光秀や勝家みたいなもんだよ。
彼らを信長の補佐役とは呼ばないだろう。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています