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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0672名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:14:16ID:sPVpGdOA
>>670
だからさ、秀忠と個人的に仲が良くても徳川家と仲が良かったとはとても言えんよな。
上で散々指摘されてるよな。
大老同士でやり取りせずに、その息子とやり取りしている状態で、
仲が悪くなかったと説明してみたら。
0673山城守2006/10/15(日) 22:21:48ID:r+73t1Mw
たしか上杉討伐のきっかけになったチクリの藤田が最初逃げ込んだのは
秀忠のところでなかったか?
0674名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:26:41ID:r+73t1Mw
>>671

でも家康に返信したのは間違いないんでしょ?書物マニアで京都の寺に出入り
して知り合いの坊主は多かったはずだからその方面からでも家康に回答が送られて
るんでないの?
0675名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:28:15ID:0T2UP0aw
この場合、誰とのやり取りかという事より書状の内容が問題だと思うのだが。
秀忠は元服してる徳川の継嗣なんだから、当時上方にいる父に代わって関東に
おける軍事、政治の采配をある程度任されてもおかしくない立場なわけだし。

つまり書状が公的な形で、かつ政治的な内容を記述してるならそれは秀忠個人との
私的なやりとり(仲良いとかそういうレベル)ではなく「徳川」との折衝であると判断
できると思うのだが。

ま、要は内容分からんと議論するだけ無駄じゃね?という話。
0676名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:44:53ID:RmSsuQsK
>>672
残念ながら今の段階では家康との親密さを表す手紙はないな。
あるのは形式的な手紙ばかりでね。
ただし家康の参謀である本多正信とのやり取りの手紙は何通かあるな。
世間一般では関ヶ原後の上杉家の処分が減封で済んだのは結城秀康のおかげといわれてるが今年米沢で行われた上杉景勝展では研究の結果本多正信の力が大きかったと公式に発表しているのよ。
無論、結城秀康や徳川秀忠の力もあったのは事実だろうて。
事実、本多正信の次男政重は直江家に婿養子になっとるわけ。
人によってはスパイとして送り込んだという連中もいるのだが、後に前田家に仕官した政重の現存する甲冑は直江兼続の甲冑と色違いの代物だ。
常識的に嫌いな人間や表面上の付き合いをしている人物と同じデザインの甲冑を生涯大事に残すかね?
破棄するか他人に譲るだろ。

0677名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 23:03:32ID:RmSsuQsK
>>675
書状が写っているサイトを探したけどないのよね。
そのサイトがあればいちいち説明しなくて済むから楽なんだけども。
本当に知りたければ米沢市や新潟県に問い合わせてくれとしかいえん罠。
今年、米沢で上杉景勝展があったんで見れた人はラッキーだと思うよ。
展示品は国宝に指定された品や重要文化財クラスを中心に展示してたから。
0678名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 01:30:56ID:H1Uwmtr1
次期将軍の秀忠と懇意にするのは外交上非常に重要だと思うが
0679名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 01:47:51ID:20dw4k3h
なんだかんだ言っても関ヶ原以後の外交手腕は目を見張るべき物があると思う。
関ヶ原のそもそもの原因を作った大名なのに、御家を存続できたのはやはり評価
できるだろ。本多や結城、秀忠とのパイプをつくったにしても。

あと、米沢の城下の発展についても、当初は割合小さな城下町だったみたいだし。

どうも、こういう十分に評価できる事績に関してもどさくさに紛れて否定されてるし、
吉良の倅が養子に入った事に至っては直江山城が死んで40年くらい経ってからの話だぜ。
0680名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 02:34:45ID:9b/oE0Ih
外交も平凡だ。
同じ負け組みの毛利と比べてみ。毛利の方が発展してる。
島津、前田、鍋島とはどうなんだ?
同じく負け組の佐竹とも衰退率で大差ないだろ。
外交、内政が優れていたんなら、同じ負け組み諸藩の中で比べてより発展している、というものを示さなくては。
徳川幕府の名家好みに加え、遠国であるという条件も有利に働いていることも考慮すると、特に優れているものは見つからない。
むしろ、名門中の名門の武家の割にはイジメられている方と思うが。
どんな、小さな大名にも家格相応の取次ぎ=パイプは居るからな
0681名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 06:30:04ID:9AHv2FoU
うちのご家老はすごいんです。幕閣も大物扱いしてるんです。
だからオラたちも頑張って荒地を耕すぞ!

という心の支えが必要だったんじゃないかな。
昔20勝くらいしたことがあるピッチャーが楽天に入団したら
今年は25敗でもやっぱりファンの間ではエース。
人を奮い立たせるウソがある。
話題にもならない人間が頭になるより、賛否両論の人間が頭のほうが
物ごとが動きやすく、今すぐ動かないと飢え死に状態の米沢では
まさにそれが必要だった。
兼続がおめおめと生き残ったのもそんなウソのためじゃないかね。
0682名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 11:18:07ID:nfE0TxwX
しかしまあ一陪臣のためにあーだこーだ意見がでますな。
やっぱり大物だね。
0683名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 15:34:45ID:NVxn/HrZ
ついに大河で出てきたのにその事について触れる奴はいないのねw
0684名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 15:54:09ID:RRN63zk4
>>683
史実厨といわれるだろうが1600年の正月になんで直江兼続が佐和山城にいるんんだよw
会津城下の整備で忙しい上に積雪で簡単に移動出来ないっちゅうに
けど、ドラマとしては楽しく拝見させてもらったよ
こういうドラマを見て史実と勘違いする奴がまたたくさん誕生してくるんだろうな
0685名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 23:50:45ID:+km7rIIu
この人の頑張りは認める。でも、やっぱりサムライとして何かが間違っているような気がするな〜
失策の責任を取らない、というのはやはり如何だったんだろう?

思うに、長谷堂の撤退のときに、殿軍で玉砕していたらカッコよかったんじゃないだろうか?
そうすれば、失策は明らかであっても、「大した能は無かったけど、奴なりに頑張った」ってことで、
家中で嫌われるようなことも無かったんじゃないだろうか?
そして、直江家もつぶさずにすんだのでは
0686名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 23:56:57ID:20dw4k3h
>>685
玉砕ってのも無責任だと思うがね。

直江としては、御家再建に力をつくし、かつ家を絶やすという方法で
責任を取ろうとしたんだと思うが。
0687名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 00:55:09ID:Ik4O3gna
以前直江関連のwikiがアンチによって好き放題書かれてたが
直江を叩く為に藤田信吉とかをこれでもかと言うほど褒めてたな





それはともかく叩かれっぷりでは鍋島直茂の方が悲惨だと思う
直茂自身は最後まで龍造寺を守り立てようとしたのに化け猫だの言われて当時から叩かれてたんだからな
0688名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 05:55:15ID:uTrZc+wh
>>687
叩かれて悲惨なのは勝茂の代以降だな。
直茂生前はそれほど叩かれてない。
0689名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 09:53:43ID:qQW8R5ck
戦国武将関連のwikiはもう有名人物なら尚更酷い事になってる。
大変だね…人気武将は。こういうの観ると信者もうざいっていうけど、
酷いアンチは最低って思うわ。
0690名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 11:44:08ID:1ae4ayD6
>>687

だからその血筋に幕末、妖怪が出てきたんです。
0691名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 11:50:58ID:1ae4ayD6
そういや上杉家って執政の直江以外にも謙信以来の重臣とか年寄り
連中はたくさんいると思うけどそういう連中は関が原後、減俸されて
ここぞとばかり兼続を叩いたり責任の追及はなかったの?若いクセに
俺たちを差し置いてと不満が鬱積してそうだけど。
0692名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 13:51:09ID:AvDE3uRD
景勝の後ろ盾があったから地位を保持できたけど
家中からはかなりの反感があったようだよ
米沢へ移ってからは微禄しか受けなかったり
直江家が断絶したり、配下の与坂衆が没落していったのも
その顕れであると言える
0693名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 14:44:44ID:BssOouLD
関が原以後も高給取りでいられたのは、景勝とのホモの絆ゆえでしょ
お家の台所事情を考慮せず、開き直っているって感じ
0694名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 21:15:36ID:hh4ioRVO
ホモネタいい加減ウザイ
あれだけ兼続がいい待遇受けたのは景勝以外に直江家というバックグラウンドもあるだろうね
むしろそれが強いといえるかも
直江家は謙信の時代から側近中の側近という家だから高禄貰えるのも当たり前
そんでもって禄が少なくなっても権力があったのもその名残
上杉の中でも特別な存在だから他の家臣が面白くなかったのかもな
兼続というより直江家自体煙たがれていたと考えられるかも
もし、彼自身が面白くないなら断絶しなくても死んだ後に直江家の地位を
下げればいいだけなんだから
0695名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 21:24:03ID:Ik4O3gna
>>694
>直江家自体煙たがれていたと考えられるかも
柿崎景家、晴家変死の黒幕が直江景綱って話もあったような
0696名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 21:34:03ID:PDG6te1w
直江は、関が原後は仏門にでも入ればよかっただろ
「直江は坊主になって反省しています」って言えれば、徳川の機嫌も良かろうに
学問も出来るし、ご意見番になってもいいだろうし
0697名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/17(火) 21:44:27ID:HATxHQFh
そもそも直江って主戦派だったんだろうか?
直江状のイメージでそんな事になってるだけで。
0698名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 01:03:13ID:KKY74F2U
>>695
景家は病死らしい。たしか、景家が誅殺されたとされる年より遅くの
上杉氏の軍役帳に晴家の名前があるからな。直江黒幕説に興味有ります、
よかったらソース教えてくだされ
0699名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 01:58:46ID:sm+2qk15
兼続自身が本来責任をとるべきなのに、責任をあいまいにしたために、
直江家のお家のほうがつぶれるハメになってしまったわけね。
兼続にとって、本来借り物だから、直江家を潰したところでなんら惜しくないわけだ
サムライじゃねーよ、兼続は
0700名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 10:14:11ID:jcUaechS
>>699
何度同じ事書き込んでんだよ。
直江家の断絶は妻お船の方の意向が強かったとされるんだよ。
お船の方は兼続亡き後も上杉家から一目置かれ、3000石の所領に江戸鱗屋敷が与えられてんの。
特に3000石の所領は女性としては破格の待遇で当時1000石以上貰っていた女性は秀吉の妻寧々と春日局だけ。
つまり養子を迎えて直江家を継がせ様と思えば簡単に出来た立場だ。
0701名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 10:28:38ID:jo3bT8Xs
>>699
君のサムライの定義は何よ一体。
0702名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 23:14:11ID:VMbu4DFg
女でなぜそんな高給が必要なんだか?
いずれにせよ、人望、人徳があるなら直江家を終わらせる必要はなかっただろう。
彼女かあるいは兼続に対する批判に耐えかねて、あるいは反対派に攻撃されることを予想して、断絶したんだろう
0703名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 23:28:08ID:/Jqlksv+
>>696

学問好きなので崇伝の師匠に坊主でもならないか?お前なら出世する
ぞと勧誘されたとは聞いたけど。

>>697

堀家と越後のことで争ってたのが絡んでるのかと。長引いて訴訟として中央に持ち込まれて
裁決を受けた場合、親家康派の堀に有利な判決が下る可能性は高かった。その場合上杉家は何ら
かの処分を受けるだから執拗に上洛を拒否していたと考えられなくもないんでないか?
0704名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/18(水) 23:40:29ID:/Jqlksv+
>>702

>女でなぜそんな高給が必要なんだか?

謙信以来の重鎮の家というのと、景勝が上杉家を継ぐ時に功績があったから
だろう。お船の方の母ちゃんが謙信の臨終を看取っていて跡取りは景勝と聞いたと
証言した。この直江家の景勝支持ってのは国内の豪族の帰趨に影響を与えただろ
うとおもうし
0705名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 02:11:09ID:lyAheW6+
>>701
結果に責任を取る。出処進退いさぎよい。懐柔されない。主家が第一。
んなところでないかい?直江にはどれも…

直江家ってのはそんなに影響力のある家だったんだ。
それを断絶させる、ってのは、よっぽど兼続かその妻に非難轟々だった?
0706名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 10:15:28ID:3ze3MH2f
>>702
>女でなぜそんな高給が必要なんだか?

景勝の正妻、側妾(嫡男母)ともに景勝の嫡男生誕の前後に死んでしまったため
嫡男定勝が生活する江戸屋敷の奥向きの仕事を直江室が取り仕切ることになった。
いわば定勝の母代わり。この職務は兼続死後も続行する。
0707名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 10:21:32ID:DSsTm1y5
>結果に責任を取る。出処進退いさぎよい

米沢での働きは彼なりに責任は取っていると思うよ
それを自分なりにやりつくして家を断絶させて身を引くのもある意味潔くないかい?
直江家ばかり強くなってしまうと後々トラブルになるのは目に見えてるし
非難というか関ヶ原の責任は誰か取らないと拙いわけだから仕方ない
彼自身の行動もあるけど強すぎた権力も仇になっているかもね
0708名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 10:58:28ID:pEdFuXuc
>>705
てかここ戦国板だから。
0709名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 14:11:48ID:1myA7UjN
清野が現れて、直江は身を引かざるを得なかった、というのが実情じゃね。
それまでは、地位をキープしているし、給料ももらい過ぎ
家中の人々は、責任が取り切れたと認めなかったんだろう
0710名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 14:31:06ID:pEdFuXuc
そもそも直江の取るべき「責任」て何に対しての責任なんだろう。
0711名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 21:34:33ID:b+cVVizE
豊臣家に過剰に恩を受けたり、反徳川の連中と交友をしたり、浪人を雇って戦争準備をしたりして
徳川に敵と思われて、合戦を仕掛けられてしまったことでしょ
0712名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 22:06:46ID:gi/YjytH
>>711
また馬鹿のひとつ覚えの煽りかよ。少しは過去スレぐらい嫁。
・豊臣からの過剰な恩→どこが過剰だ?屋敷を貰う程度は過剰の内には入らないだろ。それに豊臣政権下での兼続の石高は5〜6万石しか貰っていない。
江戸時代の加賀藩に仕えた本多政重は5万石を貰っている事から数字的には常識的な石高だ。豊臣姓は誰でも貰っている。秀吉の形見は豊臣家が勝手にくれたもので兼続に過失はない。
・浪人を雇って→旧領の越後に何割か家臣を残してきたので会津に来た時は不足しているのは明らか。また家康から領内の整備や仕置きの許可を得ており整備中も秀忠から許可を得ている。
直江状ではないが戦争の準備をするなら道路の閉鎖等を行うのが常套手段だ。上杉は道路の拡張等の整備をしていたわけでから辻褄が合わない。
・徳川に敵と思われて→徳川秀忠や本多正信と外交交渉をしていて1600年の3月までは親密な内容の書状のやり取りが見て取れる。上杉としてはやれるだけの事はやっている。
逆に石田方とのやり取りをした書状が少なく信憑性の高い史料は1600年7月の書状一通のみ。証拠隠滅で破棄したとするなら石田方の書状は全部破棄するはず。一通とはいえ残っているのは不自然だ。
個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。
なんとしても目の黒い内に己が天下を掌握したいがために。


0713名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 22:08:52ID:sMHH+dBM
ギーギーとか言ってた馬鹿と同一人物だろ。
0714名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 22:36:58ID:lyAheW6+
>>712
>個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。なんとしても目の黒い内に己が天下を掌握したいがために。

当たり前じゃね。家康がどうやって天下を取るかは家康が決めるんだよ。何で秀忠や正信の進言を守らにゃならんの?決まったルールなんてあるの?
天下を狙う家康の目に映った直江上杉が潰すべき存在だったんだよ。そうなった直江の行為が失策だろ
0715名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 22:47:52ID:pEdFuXuc
>家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。

関ヶ原後の直江−正信を通じての働きかけも、家康が意見を退けた正信の面子を
立てる意味を含んでたと考えるとしっくりくるな。
0716名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 23:14:32ID:o3s4mRqJ
>>710
失敗し、縮小した組織のナンバー2、
あるいは実務担当のトップとしての責任。
日本はトップを傷つけないようにする文化があるから、
失敗の責任はすべてナンバー2が負うことになる。
0717名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/19(木) 23:16:58ID:o3s4mRqJ
>>714
お前さんは家康が独裁的な主君だったと思っているのか?
家康ほど家臣に気を使わなけらばならなかった君主もめずらしいぞ。
三河家臣団のことをもう少し調べてから物を言いたまえ。
0718名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 00:17:48ID:XFB+8mVI
>>717
むしろ三河家臣団がそういう性質だから、>>712

>個人的な予想になってしまうが家康が秀忠や正信の進言を無視して独断で上杉に喧嘩を売ったとしか思えない。

はありえないと思う。
0719名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 00:27:38ID:Pf/lIXYF
要は秀忠、正信と家康の間に意見の相違があったのか、
あるいはグルで上杉を引っ掛けたのか、てのが肝って事でいいのかな。

この時期だと正信の地位権力ってどんなもんだったんだろ。
大久保長安との政争はもっと後だよな?
0720名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 00:42:44ID:XFB+8mVI
>>719
それプラス上杉側の思惑も。
まさか、上杉は一途に徳川派だったのに、徳川に捨てられた。
なんてナイーブな訳ないだろ。
当然上杉側にも思惑はあったはず。
0721名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 00:57:45ID:Pf/lIXYF
>上杉側の思惑
それに関しては前スレ含めてここまでのレスである程度話が出て来てたし。
別に繰り返すのが悪いって意味じゃなく、今の流れの肝はそこからちょっと
離れた所にあるよな、と。
0722名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 14:23:19ID:qmnUfddN
>>720
佐竹と同じくどちら側にも組しない立場だった様な気ガス。
幸か不幸か120万石の大国でしかも大老のひとりだったから嫌でも他人より早く立場をハッキリしろといったプレッシャーがあったんでは?
豊臣家に恩があると書いてる奴がいるけど、住み慣れた越後から会津に移封されて恨みに思っていた人間も多かったと思う。
戊辰戦争の時、ドサクサにまぎれて越後に戻れるかもと喜んでいた家臣が結構いたと聞く。
越後の住民は住民で米沢藩士の姿を見てやんやの大喝采を送ったとも聞いた事がある。
豊臣家にしても徳川家にしても上杉家が義理立てするほど恩は受けていないよ。
0723名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 22:06:11ID:cOTPv4fv
上杉家はさほどでないかもしれないが、直江自身は6万石でもやはり十分優遇されていただろう。
本田の息子は、江戸時代の話。天下人に懐柔されたわけでも何打もなく、5万石で前田家にスカウトされた。直江とは事情が違う。
あと、仲良しだから大丈夫だとか、手紙のやり取りがあったから仲良しだとか、なんか甘いような気がするな。
0724名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 22:40:00ID:KePicsg0
仲良しでも殺すのが武装官僚たる武士ですよ。
中国の士大夫も階層としての横のつながりは緊密でも、
上からの公的な命令がからめば、話は別。
つか、近世になってそういう世界が確立されたから
(直江の世代がその最初、それまではそういうジレンマのない中世)
友情がクローズアップされてきた。
0725名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 23:04:46ID:Pf/lIXYF
仲良しとか友情とかそんな話は誰も論じてないと思うのだが……。

きちんと現在に残る書状のやりとりがあったからこうやっていろいろ意見が出てるわけで、
組織の上位構成員同士が行った折衝、交渉の話をしてるんだよ。

どんな組織だってトップが全部自分で決めてるわけじゃないんだから、その判断に対して
影響を及ぼしたであろう「過程」が必ずあるし、そこに携わる人間がいるはずなんだから。
0726名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 01:20:12ID:RoOrRLRp
直江が「功名が辻」で出てんじゃん。「三成殿、義のため、わが上杉は協力いたしまするー」
これ史実と違うの?ホントは徳川と仲良くしたかったってか?
0727名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 02:00:33ID:4Q6US5NQ
>>726
石田と直江が示し合わせて徳川を挟み撃ちにした。
というのは確証が取れないし、疑わしい話であるとされている。現在ではね。
0728名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 02:02:37ID:4Q6US5NQ
「した」じゃなくて「する予定だった」だな。
補足。
0729名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 04:39:03ID:65ykv6TX
城を増築したり、車丹波らの浪人を多数雇ったりという上杉の動向は、
家康からすれば、格好の軍事挑発として映ったのは確かだろう。
家の存続が目的なら、前田のように土下座したり、山内のように
城そのものを明け渡した方が、結果的に賢明だったわけだ。
0730名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 09:37:29ID:5728FpTp
>>726-727
まず1600年の上半期に兼続が三成の元を訪れていたかだが、1600年は正月に藤田信吉の出奔騒動からはじまり2〜3月には秀忠に領内整備と軍事補強を認める許可のやり取り、4〜5月にかけては書状は残っていないが家康本人との交渉があったとされる。
どう見ても景勝の右腕であり城下整備等の総責任者である兼続が自国を離れている暇などない。
挟み撃ち説は今のところ想像のレベルの話。
ただし1600年7月の兼続が会津の清野に送った書状の中に会津に石田の、須賀川にいた兼続の元へは佐竹の使者が来訪していた事が書かれているので上杉家はこの時は完全に石田側に組している。

>>729
前田は家康にだけ頭を下げていたわけじゃないぞ。
利長は東軍、弟の利政は西軍につき、どちらが勝っても前田家が生き残れる策を取っている。
真田家と同じ手法だよ。
この時期、上杉家には当主の兄弟や子がいなかったため東西に分かれる事が出来なかった。
この時に定勝が生まれていて、しかも元服を終えていたなら上杉家も東西に分かれて前田家や真田家と同じ様にどちらが勝っても禄高を減らす事無く生き残れたんだけどね。


0731名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 14:50:43ID:B8q5WNzc
景虎が生きていれば何とかなったかもな。絶対不可能な話だけど
思うのだが上杉家はつくづく子宝、後継者関連に恵まれない
0732名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 16:14:14ID:5728FpTp
三郎景虎の処置は仕方が無かったよ。
ただ、結果論で見たならば、その嫡男の道満丸は生かしておくべきだった。
養子の子とはいえ景勝の妹(姉とも)の血が半分流れていたわけだし。
もし生きていたならば関ヶ原の時には20代前半。
景勝の家臣の中に密かに道満丸を匿う人物がいたなら・・・
仮定の話をしても仕方が無いのはわかっちゃいるんだけど。
0733名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 16:33:26ID:RSqIwyP/
そこらへんは景勝に後で子供が生まれてたらまた面倒事だったかも
知れないし、やっぱり後世から見た結果論だろうなぁ。
生まれたら始末する、てのもさすがに使い捨て感ばりばりで拙そうだし。

子供の存在ばかりは天の差配だな……その最たるものが秀吉だけど。
0734名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 17:16:47ID:wZ442tkC
菊姫との子供は見たかったなぁ。
片方は養子だけど、謙信と信玄のお孫さん…。
0735名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 17:28:02ID:B8q5WNzc
>生まれたら始末する、てのもさすがに使い捨て感ばりばりで拙そうだし

恨み買うかもしれないがそれは珍しい事でもないけどね
生まれたら生まれたで養子に出されるか真田幸村のように捕虜の身として
転々としていくという形になるんじゃないかな

>菊姫の子供
ファンとしては見てみたいな
両方の血は間接ながらも継いでいるんだし
もしかしたら徳川から特別扱いされたかも
0736名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 22:09:11ID:y1gm+moI
とりあえず道満丸は生かしておいて林泉寺に坊主として預けておいて、
いざという時に呼び寄せる手があったと思うんだが
0737名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 22:28:32ID:sL0uSnzw
そんな余裕なし
0738名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 00:25:34ID:sX+fr6SE
まぁ同意、景勝はあそこでは家督を継げただけでも充分凄い。
それ以上先の事まで見通すのは相当な器で無いと無理だろう。

まして景勝は実務面や、行動力の面では実力あると思うんだけど、
器と言うか、将才というか、先見性のような部分は微妙だし。
0739名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 22:15:12ID:H6/D1fvM
>>732>>736
上手く景虎だけ殺して、室(姉妹)と道満丸は手元に確保したとして
実子がない景勝が道満丸を養子にするとして
さて養子にされた道満丸がどれほど複雑な立場に立たされるか

他ならぬ景勝が嫌というほど分かってるはずなんだが。
なに考えてたかは知らんが、道満丸殺した景勝が謙信より好きだ。
0740名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 02:48:09ID:yzt2K/IK
定勝生まれる前に景勝が頓死したりしたら家そのものがキケンだよな。
ほかに家を継げる一門もいないし。養子を迎えるわけでもなく、かなり歳食うまで
側室持つわけでもなし、もし景勝が頓死でもしたらどうするつもりだったんだろう。
0741名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 12:45:36ID:xO2bSsoI
普通なら即時空中分解だな。
兼続に鍋島@沖田畷をやらせるなら、直江家では足りない。
仙桃院が樋口家に再嫁するくらいの離れ技が必要だろ。
0742名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 12:57:05ID:6ycUiLSp
本多政重を養子にしたのはそのためって説もあったな。
いきなり持って来ると反発大きいから取り合えず娘婿にして藩内に確保したって説。
0743名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 13:00:08ID:6ycUiLSp
あ、もちろん定勝が生まれた後だから「もしものため」て意味で。
0744名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/23(月) 20:32:40ID:K8OYHt9t
景勝が死んでも代わりに長尾家の誰かが継いだだろう。たしか長尾家に
は謙信の実家の長尾家と景勝の実家の長尾家と2つあったはずだからその
甥か謙信の親父世代の兄弟一族の誰かが名跡を継いだかと。それか>>742
みたいに他の家の名家を養子に入れて一族の娘を嫁にさせてたか
0745名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/24(火) 11:32:21ID:aUwztpBY
上杉一門だった上条政繁の子孫も候補になるっしょ。
三郎景虎と同じく景勝の姉か妹を娶ってるから血筋は受け継がれてるよ。
確か綱勝急死後の御家断絶の危機の時に上条家の子孫が候補のひとりになってたはず。
0746名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/28(土) 21:39:28ID:+6nJw2pG
ここまでを総合して、貴方の直江度チェック!

@合戦は苦手だ
A天下人にはつい懐柔されてしまう
B勉強は得意だが、詩歌などの創作はそれに比してやや弱い
C最上みたいな地味な奴を見るとついなめてかかってしまう(で痛い目にあう)
D伊達みたいな自分に無いものがある奴を見ると、ついムカついてカラんでしまう
E失策の責任は、自身が取らなくても、借り物の家を断絶させれば済むと思っている

2つ以上で貴方も直江兼続と認定!
0747名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 00:32:16ID:J90OzQ07
あらら・・・・
コピペ荒らしに走り始めたよ
0748名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 07:58:11ID:z1CRjS2n

 「女房は顔をけわひ、口紅をつけ、衣装をあらため、笠をかぶり、
  しりをかかげ、黒き身にも、白ききやふをして、田におり立ち、
  早苗をうゆべし」(「四季農戒書」直江兼続)
0749名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 08:43:27ID:BYh14c27
>>748
なんか、ここまで「女房の理想像」をコト細かく書くツーことは、
実生活は、さぞかし理想とかけ離れたものなんだろうな。
嫁が家事放棄(噂では+不倫)している先輩がいるんだけど、
理想の女房を語らせたらすげー話が長くなる・・・。
0750名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 18:49:12ID:BJ7zB3rg
彼の立場を考えればわからなくもないw
てか夫が死んでからも権威を失われない時点で相当な人物かと
0751名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 02:01:33ID:/Eydqj1d
>>749
お前の先輩のケースとは違うだろwまあ、しりをかかげ云々など言っているがw

>>750
定勝からもかなり信頼されていたみたいだからな。
0752名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 23:23:21ID:exi5CviP
質問。
長谷堂戦の時、なんで兼続は本隊を小滝街道から進ませたのでしょうか?
大軍の運用なら上山ルートの方が動かしやすいのでは?
0753名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/30(月) 23:35:24ID:exi5CviP
失礼。小滝ではなく狐越。
0754名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 00:01:48ID:4sm9zCel
質問2。綱吉の時代に江戸家老も国家老も直江家じゃないのは何故でしか?
0755名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 01:23:20ID:5xdura5+
>>748
しりをかかげどうのこうのなどと、植○教授みたいなセクハラ野郎だったんじゃね?
0756名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 10:19:15ID:yWDKrK10
まぁ尻に魅力を感じるのはとっても同意するけどね。
外人もおっぱいよりケツ好きが多いよな。
まぁ人間らしくていいんじゃね
0757名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 11:50:51ID:5UGbihwT
>>752
本人に聞け
0758名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 16:57:41ID:AYSzOZGI
>>754
直江家自体が断絶したから
0759名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 17:48:42ID:4sm9zCel
↑そなんだw(゚o゚)w 何でどうして?
0760名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 18:44:36ID:XAPNmzeM
釣り乙〜♪w(゚o゚)w
0761名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 00:43:11ID:Ak/H0ZO2
もともと低い身分だったのが、直江家を継がせてもらったんだから、直江家を残すのが義務であるはず。
それが出来ないほど、よっぽど嫌われていたんだね。
兼続自身かお船の方の一方だか、その両方だか知らんが。
0762名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 10:55:32ID:47t86JKa
だから、嫌われてたとかそういう証明できないようなことを理由にすんなと
0763名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 14:52:43ID:Jq6ePaSJ
嫌われてなけりゃ普通家を残すだろ
人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?
0764名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/01(水) 17:12:43ID:Rx957kQZ
>>761
また、おまいかw
直江夫妻が嫌われていた?
だったら夫妻亡き後に藩主自らが高野山に夫妻の墓を建立するなんてできないだろ。
高野山に墓を建立するとなると莫大な金がかかる。藩主といえど家臣の賛同を得なければならないわけだ。
墓が建立されたわけだから家臣内の多数決では間違いなく建立賛成派が多かった事がわかるよな。
少なくとも高野山に直江夫妻の墓が建立されたまでは上杉家家臣内でのいざこざはなかったようだ。


0765名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 00:42:56ID:EJuTIlAC
おいおい無理がありすぎるよ
まるで見て来た様な話しぶりだ
直江夫妻を如何に埋葬するか衆議にかけて多数決を取ったなんて記録があるの?

そもそも藩主が直江夫妻に掌握されて、自家薬籠中で育てられている。
当然、直江夫妻を厚く葬ろうとする
それに、藩士達は面と向かっては反対できないと想像できる
だから、直江夫妻の葬り方に藩士の意向が反映されるとはいえない
0766名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 06:06:17ID:3ajGs9b9
家中が直江支持だったら、兼続死後すぐに与板衆の追い落としなどはおこらないだろうな。
嫌わえた権力者の取り巻きを一掃するなんてこと、しかもそれが家中の反対がなくスムーズに行くことで、
故人の人気度は計れると思うのだが。
0767名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 07:47:44ID:Ytk77sQ5
事実としては、政争に負けた、という事実があるのみであって、
要因に人望の無さを挙げるならむしろ人望が無かった証拠がないと
話の流れがおかしいと思うのだが。

人望があった、だから政争に負けるはずがない、てどんな理屈だよ。
0768名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 09:29:15ID:3TQdYTqR
与板衆があっけなく政争に負けたってのは、与板衆が良くも悪くも直江夫妻あっての
ものだからだったんだろうな。それに元来上杉家臣団は越後の豪族の寄合所帯だったから
というのもあると思う。
0769名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 09:49:31ID:LgS6uxE4
>>767
横レスだが、家中の人望があったと主張するなら人望があった証拠を出すのが筋じゃないかい?
揚げ足を取り合っても不毛だと思うんだが。
0770名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 10:25:46ID:Ytk77sQ5
>>769
人望が有ったなんて主張を俺は全くしてないわけだが?
事実として存在するのは「政争に負けた」という点のみだと言ってるだけで。

その理由として「嫌われていた」「人望がなかったから」という原因をあてはめたいなら
まずそのを証拠を示さなきゃならないよ、という話。

そもそも >>763 が 「人望あったとか成人君子だったとかって記載あんの?」という
聞き方をしている時点で「人望なかったとか成人君子でなかったとかって記載あんの?」と
聞き返されるのは当たり前だろう。
自分が質問するのは良くて他人に同じことされるのは駄目って訳分からんし。

ちなみに「知らないから聞きたかった」というのはこの場合通じない。
意見である「嫌われていた」を最初に主張してるから、「その意見」の論拠を求めてるので。
0771名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/02(木) 11:06:29ID:zIHcp7IH
>>770
なかったという証明は悪魔の証明なので不毛。
その場合は「嫌われていた」という証明だな。
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