>>582
だから、関ヶ原の合戦前の上杉家は徳川とも石田とも外交交渉してるんだって。
すなわち中立の立場だった可能性が高いんだよ。
おまいがどこの歴史書を読んで決め付けた考えを持ってるか知らんが残ってる史料がなによりの証拠だろ。
しかも上杉家の史料は国が鑑定し、国宝に指定した史料だ。そんじょそこいらの二流歴史書とはわけが違う。
上杉家が徳川に反抗する態度を示したのは慶長5年6月10日付で景勝から家臣に出した書状からはじまっている。
兼続が主君を無視して先走ったというのは勝手な想像にしかならない。現時点でその様な史料は残っていないから。
おまいさんの考えを正当化したいなら信憑性の高い史料を探してくるこった。
それと兼続の愛は愛染明王からとったもので人間愛とかそういった類のモノじゃない。
上越市の春日山林泉寺の宝物館には当時に描かれたとされる愛染明王の絵と御旗がある事から今は愛染明王説が高い。