トップページsengoku
1001コメント489KB

【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0583名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 13:56:11ID:OU2Exzj9
>>582
それに関してはすぐ上の >>578 にあるように徳川側との交渉も確認できると思うのだが。
三成側とやりとりした書状はどんなものが現存してるの?
0584名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 14:29:28ID:+XcZjf+m
>>582
だから、関ヶ原の合戦前の上杉家は徳川とも石田とも外交交渉してるんだって。
すなわち中立の立場だった可能性が高いんだよ。
おまいがどこの歴史書を読んで決め付けた考えを持ってるか知らんが残ってる史料がなによりの証拠だろ。
しかも上杉家の史料は国が鑑定し、国宝に指定した史料だ。そんじょそこいらの二流歴史書とはわけが違う。
上杉家が徳川に反抗する態度を示したのは慶長5年6月10日付で景勝から家臣に出した書状からはじまっている。
兼続が主君を無視して先走ったというのは勝手な想像にしかならない。現時点でその様な史料は残っていないから。
おまいさんの考えを正当化したいなら信憑性の高い史料を探してくるこった。
それと兼続の愛は愛染明王からとったもので人間愛とかそういった類のモノじゃない。
上越市の春日山林泉寺の宝物館には当時に描かれたとされる愛染明王の絵と御旗がある事から今は愛染明王説が高い。



0585名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 17:18:29ID:JrbDgUw6
やめとけ
なまじゲームの知識から妄想広げている厨房に何言ったたて
曲解して必要以上に貶めるんだから
「義」から「愛」にしたって言葉からしてアホだろ
何にもそんな記述無いだろ。てか、「愛」の前立ての兜はいつ出来たと
思ってるんだ?まさか関ヶ原後なんて言わないよなw
0586名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 19:06:25ID:5DZNAGqq
だな
>>582

こいつはこのスレにズーと張り付いて直江兼続を叩いて喜んでいる厨房だ
煽るにしてもちゃんと調べてから煽れ
着色された時代劇や小説の見過ぎ
0587名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 19:10:38ID:jEP5KylN
無双厨の臭いがプンプンするしな
0588名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 20:10:49ID:pB7Dj8Vc
おいおい、上杉は大老だったんだから、同じ職の徳川と手紙のやり取りするのは当たり前じゃん
交渉してるから中立だったなんていえないぜ。
直江が三成と仲良しで、上杉が親文治派になってしまっていたのはある程度周知じゃないか?
0589名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 20:27:45ID:bo7Jb+DN
>>584
>上杉家が徳川に反抗する態度を示したのは慶長5年6月10日付で景勝から家臣に出した書状からはじまっている。

慶長5年の正月からだろ。家康は藤田信吉に景勝の上洛を命じたが、景勝は拒否。
2月には堀直政が景勝の不穏な動きを家康に注進している。
家康相手に一戦覚悟したが、直前で臆病風に吹かれ、最上攻めと相成った。
0590名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 21:35:40ID:KZ7vEqo+
もし景勝が要請通り上洛してたら数ヵ月後突然病死していたに一票
0591名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 21:38:42ID:1IjWrLbG
>>590
何故?
0592名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 22:06:14ID:+XcZjf+m
>>589
では逆に訊ねるが秀忠から慶長5年3月21日に出された会津領内の工事や軍備補強の了承の書状はどうなるんだ?
藤田や堀のチクリ後の書状だぞ。
この書状も国が鑑定し本物と認められ国宝に指定されていて信憑性は高い。
上杉家に対して危機感を抱いていたなら領内の工事や軍備補強は認めないだろうに。
いっとくが俺は徳川にも上杉にも肩入れしてるつもりはない。
あくまでも現在残っている信憑性の高い史料を元に話をしている。
小説や時代劇で作られた話をするつもりはない。
0593名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 22:41:41ID:Ew74GAEb
兼続が稀代のブ男で、顔や立ち居振る舞いのボーナス得点なしに美形好きの景勝に重用されてたり
他の大名武将から好かれたりしていたら、この板での評価はどんなものだったんだろう。

個人的には、中世の最後から近世の最初という、人間の好き嫌いの感情がすごく大きな要素だった時代で
美形だったことはものすごい得点だったと思う。
それを生かすほかの能力がなかったらもちろんダメだけど、この時代のイケメンの価値は今の比じゃないと思われるし。
0594名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 22:48:58ID:OU2Exzj9
そもそも兼続ってそんなに特筆されるほどの美形だったのか?

外見は本人が整える気さえあればそれなりになるもんだし、何人かの
同時代人が客観的に外見を褒める記述を残してるとか、それなりに
有名な逸話があるとかないと「美形」だったかどうかなんてわからんだろ。

森乱なんかと一緒で、重用された小姓、近習=美形という後世の
イメージである可能性も高いと思うが。
0595名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 23:16:06ID:5QdSvPCK
重用された小姓というだけで反射的に美形なんだ、
つまり美形なら小姓近習になれるんだ、みたいな言い方されても困るよな。
そんな馬鹿なという…。
だいたい穴小姓なんて、当時でも蔑み対象だろうが。
森乱は外見が美形なんてことは証明できんが、まぁああいう最後だと
後世の人間はどうしてもね…。
0596名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 23:22:14ID:YfnUcqRt
書状のやり取りしてたとしても、それだけじゃ親密にも険悪にも判断できないよ。
特に大国同士は。

現代でも国交断絶になり大使館引き上げとかになっても、第三国で情報のパイプは繋いでおくもんだ。
子供の喧嘩じゃないんだから、仲違いして一切口をきかないなんてありえんよ。
交戦状態でなければ、儀礼的な意味でも書状のやり取りくらいするさ。

むしろこの場合は、書状の相手方が家康でなく秀忠であることに意味があるだろ。
仲良くなくても、少なくとも中立であれば、同じ大老同士なんだから、互いにやり取りしていいはず。
それがそうではなく、正式なトップである家康でなく、サブの秀忠であることの意味。
今で言えば、他国の大統領が総理大臣とやり取りせず、事務レベルと折衝してるようなもの。
これがどういう意味かわかるだろ。
0597名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 23:27:22ID:OU2Exzj9
>>596
それはいくら何でも秀忠の事を軽んじ過ぎだ。
0598名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 23:31:00ID:JrbDgUw6
彼を美形と評した記述があるのは一つだけだね
立ち振る舞いがスマートで洗練されているという意味にも取れるけど
でも、そこそこ良かった程度のものだと思う

景勝は美形好きというより機転が利いて比較的立ち回りが上手い人間を
求めていたんじゃないだろうか。美形なら別に直江に似たタイプの奴を
後釜にしなくてもいいだろうし
0599名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/11(水) 23:42:43ID:+XcZjf+m
>>596
秀忠の上杉家に対する行いは儀礼的なものじゃない事くらいわかるはずだが。
関ヶ原後も最後まで抵抗し戦闘態勢を強いていた上杉家に対し江戸城桜田門前に屋敷を与えた上に直江兼続にも屋敷を与えている。
それに兼続が亡くなった時には香典として銀50枚を送っている。
譜代の大名ですらこういう扱いはほとんど受けていない。
また景勝にも些細な事でも書状を送って連絡を取っている書状がいくつも残っている。
0600名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:03:03ID:aBPJ52wh
まあ、事務レベルというのが低すぎというのなら、官房長官でいいだろ。同じことだが。
他国の大統領が、総理大臣と連絡を取らずに官房長官とのみ連絡をとっている。
この意味だけで、両国の仲が険悪なのはわかる。例え官房長官と他国の大統領が個人的に仲が良くても、だ。
0601名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:12:05ID:rX+ffjhw
現代の法治国家を例にして戦国の延長である当時の「国」の概念や
政治形態を例えるのは無理だから止めとけ。
0602名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:23:26ID:aBPJ52wh
じゃあその

>戦国の延長である当時の「国」の概念や政治形態

に照らし合わせて、同じ大老同士の大名が、同じ大老同士で書状をやり取りせず、
大老の息子とやり取りをしてる。
この状況が、険悪ではないという説明をしてくれ。
0603名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:31:35ID:aBPJ52wh
それとは別に、

上でも書いてる人いたが、家老の立場で江戸屋敷もらうのはどうかと思うよ。
いくら仲が良かろうともね。
中国国家主席と仲がいい大臣が、北京に個人用大使館を貰うようなもんだ。
自国としての大使館が、すでに別にあるにもかかわらず。
それとも、これも
>戦国の延長である当時の「国」の概念や政治形態
ならば問題ない話なの?
0604名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:46:35ID:rX+ffjhw
というか何でそんなに「同じ大老だから」という事に拘るのかがまずわからん。

あと鱗屋敷を貰ったのはすでに江戸幕府が成立してからだ。
これだけ言えばその例えはおかしい事が自分で分かるよな?
0605名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:55:06ID:b0oMWdKX
>>576
佐竹義宣は叩かれない代わりに、褒められてもいないねw
0606名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 00:58:32ID:aBPJ52wh
説明になってないよ。
同じ大老同士に拘るのがおかしいというのなら、おかしいという理由を説明してくれよ。
そして、大老同士でやり取りせずに、大老の息子とやり取りするのが普通だと説明してくれ。
それが説明できれば、秀忠との書状をもって、徳川と上杉が険悪でなかったという主張に同意しよう。

また、幕府開府後も藩は国だよ。直江は陪臣にすぎん。おかしいことに変わりはない。
0607名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:02:43ID:ONSvQh0K
いや、隣国には江戸屋敷の話を断ってる家老がいるからな
主家を立てる、二心無きを示す、というような意味で辞するのが常だろう
0608名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:03:14ID:ONSvQh0K
>>607>>603宛て
0609名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:07:14ID:ed5yGJ+M
直江は、豊臣政権で懐柔されて失敗して、性懲りもなく徳川にも懐柔されている感があるな。
秀吉の、直江をおだてて懐柔しておく政策を、徳川も踏襲している
武士としてのモラルに甘さがある。
上杉家よりも、名士としての自分が大事なんだろ。だから独自の江戸屋敷なんか貰ってたんだろ
0610名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 01:14:50ID:MpVHLchu
>>603
お気に入りの陪臣が屋敷を賜るのは、秀吉時代からの慣例だね。
直江の場合、徳川家の好意を無視する方が危ないかもしれんよ。
上杉家中の不和にしても、いまさらって感じだし…。
0611名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 05:44:42ID:RBCAfabt
このスレ読むと、上杉にとって悲劇だったのは書状のやりとりが「秀忠」経由
でなされていて、それを脳天気に、額面通りに受け取っていることだな。甘い。
伊達政宗と比較すれば、一目瞭然。政宗と家康は関ヶ原の直前、頻繁に文書を
やりとりをし連携を強めていく経過がみてとれる。また家康とは別に秀忠や結城
秀康とも書状を交わしているが、それは戦術的な軍事作戦などの打ち合わせといった
類。家康は4月には島津惟新に、はっきり上杉征伐の意を伝えている。
当初から景勝と直江は、情報戦からも孤立していたことがわかる。
0612名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 10:25:53ID:CoaaIhSn
>>603
おまい秀忠の性格をわかっていないな。
代々徳川家を支えてきた本多家は本多正純の代に一度改易になったわけだ。
しかし先代正信やそれまでの正純の功績を考慮され5万5千石が再び与えられたわけだよ。
だが正純は固辞しちまった。
この対応に秀忠は怒り心頭となって本多家は再び改易となり出羽横手に流罪となった。
秀忠というと一般に温厚な性格だったと勘違いされてる部分があるが実際は全然違うわけだ。
もし兼続が屋敷の拝領を拒んだなら、もしかしたら上杉家が取り潰しにあっていたかもしれんのだぞ。
0613名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 12:03:18ID:CoaaIhSn
>>611
その伊達も充分に甘いんだがな。
100万石のお墨付きを家康から貰いながら南部領で一揆を誘導した事がばれて反故されとる。
加増はたったの2万石で家康側につきながら戦前の所領からの増加率はワースト1。
家康と直接連絡を取っていても何の意味もなかった結果だ。
0614名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 15:15:15ID:UT4fgVdD
>>613
そりゃあしょうがないだろ。政宗はどこまで行っても所詮政宗なんだからw
0615名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 16:55:54ID:pAN3M70Z
>>613
>100万石のお墨付きを家康から貰いながら

馬鹿だなあ。この文書は証文ではなく単なる「覚え」。
リアリストの政宗が信じる訳もない。ナイーブな上杉ならありえるがw
慶長6年早々に家康と政宗で上杉を討伐した際にでも実現されただろうが、
残念ながら上杉は、慶長5年暮れには徳川に土下座してしまっている。
なお、家康はこの件を負い目に思っていたため、大阪の陣で宇和島10万石
を与え、政治的な手打ちを行っている。
0616名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 18:06:10ID:ukOpH00r
宇和島・・・って体よく力を分散されているんじゃねぇかよ
0617名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 22:39:24ID:eh1wXMcv
いずれにせよ、この独自の江戸屋敷をもらったことは、他の家臣との亀裂を決定的にしただろう
直江の、ダメなところは、独善的で、他の家臣と仲良くやれないことだ。

伊達の片倉は、オレは殿様じゃねーただの家老だ、専用の屋敷なんかいらね。といって断っている。
とがめられていないところをみると、幕閣とツーカーの仲だったんだろう
0618名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 23:10:22ID:9TTiLC9B
まあ、結局、2ch上で、世間一般の評価が高い武将や政治家を叩く事が
カッコいいと思ってる奴が多いからなあ・・・。ここもその例に漏れず・・・。
0619名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 23:21:06ID:b0oMWdKX
直江の場合は実際大した実績が無いんだから仕方ない。

最上義光が好きな俺みたいな奴からしたら、景勝も兼続も、
結局、家康の掌中で操られて追い詰められただけなのに、
武士の意地などと言ってる割に、徳川にぶつからず、勝てそうな相手の小城を掠め取ろうとした
卑怯者にしか見えない。

しかもそこまでして何倍もの兵力で包みながら負けて逃げただけのクセに。
義光の方が遥かに名将だ。
0620名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 23:51:55ID:aBPJ52wh
>>613
家康と直接やり取りしていた伊達は、少なくとも徳川と険悪だったとは言えんよな。
恩賞の話は関係ない。
この話の発端は、景勝は秀忠とやり取りしていたから徳川と険悪ではなかった、という主張だろ。
で、大老であるはずの景勝が同じ大老である家康と直接やり取りせず、その息子とやり取りしていた事実に対して、
家同士が険悪でなかったという説明はできるようになったか?
0621名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 00:11:15ID:qGv4R/l2
>>617
幕府からの屋敷の話とか秀吉からの領土の話とか聞く度思ってたんだけどさ、
兼続が申し出を「受けた」事は実際に現物受け取ってるから明白として
景綱が「受けなかった」史実はどうして後世に残ってるんだ?と。

>伊達の片倉は、〜といって断っている。
明確に断っているという事はやっぱり曖昧な話でなく、そのものずばり領土、
屋敷の授与打診あるいは逆にその申し出を蹴った書状なりが残ってるって事か。
良ければ教えて欲しいんだけど。

元ネタが片倉代々記あたりだったら探すの楽だけどどうしようとか思ってたw
0622名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 00:13:21ID:+cfm/xO3
>>619
後年、米沢藩財政を建て直した産物にしても、義光が開削・整備した
最上川水運で上方に運ばれたわけだが、そういう所はスルーなんだよな。
あくまで最上家は、上杉によって滅亡寸前まで追い詰められながら、
関ケ原の結果で助かったラッキーな奴、としておかないといけないらしい。
まあ、そうでもしないと長谷堂合戦の言い訳がたたないんだろうけど。
0623名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 01:04:22ID:1BcCUvO0
直江スレから、直江を貶めるために最上伊達を語るスレになってきてるぞ。
0624名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 01:13:03ID:vLipYRQN
>>623
前からこんな感じだよ。
たまにマトモなレスがあって、それを見るのが楽しみ。
0625名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 01:25:48ID:VXfa/LDC
>>623
というか、アンチ直江兼続の何が何でも認めないといった書き込みが多いよな。
上杉の証拠物件にはあれこれといちゃもんをつけ、他家の証拠物件は信用できるみたいな。
その時点で既に冷静さを欠いている事に気付かんか?
判断を下す前から既に片方に肩入れして物を見ていて何学者気取りでいるんだか。
そんなに直江兼続を認めたくないならアンチスレでも立ててそこで議論すればいいじゃん。
0626名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 01:28:54ID:qGv4R/l2
伊達スレも何故か同じような感じなのは何故なのだろう。
そして伊達スレでも直江スレでも最上は評価してもらえるのに何で
本スレには人がいなくて寂しいんだろう。
正直、そんなに語るネタがあるなら最上スレに来て欲しいんだけどね。

誰か最上から見た長谷堂とか熱く 語 ら な い か
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156478887/
0627名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 11:05:10ID:Fs+aafYN
>>625
どこもアンチってそんな感じだよね。ちなみに伊達スレも黒田スレ
もこういう感じ(ただの罵倒レスとかばっかになる時すらある)。
どこいってもそうだといい加減いやんなるよね。
0628名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 11:33:12ID:5ZHTiaoc
つーか、直江って嫌われる要素が全部揃っているっしょ。
無能で傲慢で無責任なのに高禄とりで。
一般世評と実際の解離がマジで大きいからじゃね
0629名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 11:46:58ID:5bE2UwuA
>一般世評と実際の解離がマジで大きいからじゃね

武将の評価なんて大概そうなんだよ。直江だけじゃないの
お前の評価基準はあからさまに偏ってる
そんなに貶めたいならアンチスレ立てて来い
0630名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 11:56:05ID:5bE2UwuA
>>622
直江好きだけど最上に関してはもう少し評価してもいいと思っている
長谷堂は失敗なのは明らかだし、評価されているのは撤退戦だからね
あの戦いは義光が凄い

だからって直江は軍略皆無とは思わないよ
そうだったら死んでいたじゃんw
0631名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 12:10:50ID:K8StY98P
>>628
少なくとも秀吉は評価してたんじゃないの?
0632名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 12:22:39ID:+GjaTene
無能の兼続を重用した景勝。
その二人に、合わせて約150万石も与えた秀吉ってことにならんだろうか?

というか、重臣とはいえ懐柔に30万石も必要だったのか?
秀吉の目的が、直江の懐柔だったとしたらだが。
0633名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 14:31:43ID:ADl8QEV4
いや、120万石のうちの30万石でしょ?
0634名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 15:28:26ID:HHUIo5nh
そもそも30万石ももらっていないらしいが。
0635名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 15:30:35ID:/HgveGbj
30万石を管轄するだけで、兼続の直領は5万石でしょ。
秀吉の親任による佐渡代官も兼任したままだし。
0636名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 15:34:44ID:lZqm0taz
秀吉は直江に30万石与えて独立させたかったんじゃないの?
0637名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 17:16:53ID:ALg3d2y9
ここのアンチって>>632みたいな初歩的な知識もない奴ばかりで呆れるよ。
義をつけれないから愛を前立てにつけたとかさあ。
徳川家との親交を暖めていた証拠となる手紙があるってのに無いと決め付けてたり、
あったらあったで信憑性が低いと勝手に決め付けてたり・・・なんだかなあ。
相手にすんのもアホらしくなってきた。
0638名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 18:10:01ID:hPbai+Yb
そもそも一陪臣のスレがのびるということが不思議。
0639名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 19:02:04ID:qGv4R/l2
>>630
上でも書いたけどさ、そういうのって最上スレでやりたいんだよね。

「ここでやるな」っていうんじゃなくて、ちゃんと個別にスレが立ってるんだからそっちで
史料出し合ったり適当にダベったりしながら最上の評価を見直したいんだけど……
結局、ここで不必要に最上を持ち上げてる人間は単に直江を悪く言いたいだけ何だろうね。

最上の事なんかそもそもまともに知る気すらないんだろうなぁ……
評価してるって言いながらたまに明らかにおかしい事言ってたりするし。
0640名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 19:03:44ID:qGv4R/l2
ごめん、最上スレじゃなく東北の大名スレだな。他家好きの人には失礼だった。
0641名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 19:09:37ID:5bE2UwuA
>>619
でも伊達も上杉も戦後生き残ったのに
最上はいとも簡単に滅亡させられたしな。
0642名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 23:21:45ID:gTRA4sfH
>>639
前スレでやった「長谷堂合戦」ネタは楽しかったなぁ…。
直江に興味ある人なら、最上に関しても普通に調べてますよ。
個人的には、庄内別働隊の殲滅はヤラれたと思ってます。
米沢追撃戦後の最上勢の動きは、敵ながら天晴れかと。
0643名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/13(金) 23:32:07ID:GxThLTPr
上杉も、結局は幕閣に乗っ取られているから、最上と大差ない

なんか、直江をマンセーしたいヤシらもせこいな。少しぐらいけなされたぐらいでギーギー鳴くなっつーの
直江がそんなに偉いんなら、多少けなされたぐらいで揺るがないだろ
最上だとか伊達なんてのは、直江を語っていたら当然出てくるキャラで、比較されるのも当然だ
比較を避けて他のスレに誘導したり、せせこましいぞ
堂々と比較されて、直江の欠点も含めて愛してやれ。それでこそ真の直江厨だ
0644名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 00:09:53ID:NwRN4qd0
自分がしたことは他人にされても文句は言えない。
「けなす」なら「けなされる」のは当たり前。
批判の返ってこない批判なんて最初から批判になってない。
良かったじゃないか、ちゃんとけなしてるととってもらえて。
0645名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 00:10:34ID:p2Kt5S74
>>643
冷静な分析の比較なら大いに結構。
だがアンチは他家の情報は疑いもなく信用し、上杉の情報は眉唾モノというだろ。
で都合が悪くなったらスルーか、もしくは言い訳のオンパレード。
それとな、ここは直江スレだからマンセー信者が集うのは当たり前。
叩きに来る連中の方がどうかしてるだろ。
異議があるなら、ちゃんとした情報を元に訴えろ。
0646名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 00:49:33ID:KP/oLjO1
>>645
>>他家の情報は疑いもなく信用し、上杉の情報は眉唾
具体的に何?
0647名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 01:03:23ID:edHqJ/n3
伊達スレのアンチの方がよっぽど酷いと思うが
直江好きな人間にはナイーブなのが多いのかしらん
0648名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 01:21:02ID:lDCWhErT
まあまあ、そうカッカせず、まったり行こうよ

話は少し戻すけど、天下人の陪臣への贈与、優遇ってのは、
直江みたいにもらうのが一般的だったの?
それとも片倉みたいに、断るのが一般的だったの?
0649名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 01:26:00ID:cwj7AD1L
>>647
伊達スレのアンチは、たまに鋭いツッコミがあるから楽しいぞ
こっちは喚くだけで、史料を使った反論もねーし
0650名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 02:14:15ID:xid7S/LL
>>648
伊達家では、鬼庭綱元が秀吉の愛妾を下賜されてる。
徳川家では、大久保忠隣が小田原への入封を斡旋されてる。
で、断った片倉は秀吉の子飼い連中と諍いを起こしてる。
例の「ちんちくりん〜」で、福島らを小バカにした逸話ね。
出所が怪しいから、いまいち信用できない話だけど。


0651名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 04:58:47ID:CsHuQP3M
直江は、ファンともども打たれ弱いというってことだろ。
政宗が比較されるのは、例の小判だの、戦場で後ろ姿しか見かけなかっただの
という、人物が狭量なイメージを与える直江の逸話によるもので自業自得だ。
清濁合わせ飲む器量のない官僚タイプで、現代なら山形出身の加藤紘一のような
人物だっだように思う。
戦争は下手だろ。格下と舐めていた最上に翻弄され、上山では完膚なきまでに
叩かれ、惨敗している。
0652名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 06:52:07ID:bgMXn79v
>>651
いや、それは酷い暴言だよ。
直江スレでいちいちそんないやみ言わなくても、

だいたい、数週間くらいで最上領、攻略はできんだろうし、
それに山形、長谷堂、植山以外は席巻してるんだが。
0653名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 07:26:28ID:p2Kt5S74
>>651
>小判だの、後ろ姿

そもそもそういう逸話をまともに信用しちまってるところからして痛々しい。
本当にそういった行動や発言をしたという信憑性の高い記録が残ってるのか?
あるのなら教えてくれよ。
そういった話が全て本当なら源義経はモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになって、上杉謙信は女で、織田信長は本能寺を脱出し生き延びたという事になるわけだが。

>>646
ここ一週間、このスレで議論されていた関ヶ原の合戦の話や徳川との関係の話を見れば?



0654名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 08:53:32ID:NwRN4qd0
>>648
>>650
それはそもそも「断った」場合の史料がないと比較できないだろ。

「もらった」場合は物なら現物に関する記録、権限なら付随した行使の
記録を探せるから証明の方法もいろいろあるんだけど、「断った」事実を
証明するのは結構難しいぞ。

そのまんまな書状でも存在すれば一発だけど…上の方で出てた
小十郎が「自分は家臣だから」って断ったって出典とかどうなんだ?

>>651
それは直江を叩いてるのが問題なんじゃなくて、単純に逸話を元に批判
しようとしてるのが駄目なんだと思うぞ?
0655名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 11:49:41ID:zITNAMx/
他スレから一言。「片倉代々記」なんてどーだ。
0656名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 13:15:29ID:U90YyjMK
脱糞
0657名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 13:53:59ID:qGn4smi+
脱肛
0658名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 16:02:17ID:zmiaubEg
>>647
しまいにゃ身体障害者が有能なわけ無いとか言い出す品。まぁシカトだろうけど。

しかし、「>小判だの、後ろ姿」だのの逸話で人格否定を元に
何故か直江の政治手腕まで叩くのはおかしいわな。それはそれっていう感じだ。
0659名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 18:21:53ID:ihUkUGj4
>>628
政宗の紹介、乙(wってところだな。政宗にも良く当てはまる指摘だ。

>>653
小判が卑しいんじゃないんだよ。卑しいヤツが触った小判が汚らわしかっただけなんだよ。
0660名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 19:16:07ID:NwRN4qd0
>小判
もしかすると直江は岡左内のアレを見てしまったのかもしれんな。
想像するだにトラウマもんだろw
0661名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 19:51:07ID:tTJoyy79
ああ、そして兼続は、関ヶ原直前に
左内の汗にまみれた小判を献上金として受け取った。


関ヶ原時の兼続の調略はあきらかに精彩を欠いている。
越後への動きのお粗末さは、まるで兼続が金の使い方を忘れたかのようだ。
その原因が……献上された小判を通じて上杉の金蔵に満ちた
左内の汗のにおいに対する嫌悪感であったのではないか……?
……その軍資金で積極的に働きたくなくなったという気持ちが
兼続に芽生えても、俺は責めない。
0662名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/14(土) 23:13:19ID:zcp2dEnf
秀吉の懐柔を受けて、領土や官位、城をもらってしまうという、間違った陪臣といえば

直江兼続、安国寺恵瓊、大久保忠隣

共通点があるね。才走って独善で。お家よりも我が身が大事っていう

自身の身代は破滅し、主家に大迷惑をかける点でも同じ
0663名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 08:43:38ID:RmSsuQsK
またネタ投下か、暇だから付き合ってやるよ。
俺自身、案国寺と大久保の知識は乏しいんで、この二人を語るのはやめとくよ。史実と逸話と混同してるかもしれないから。
で、直江だが主家に迷惑とはどんな迷惑だ?まさか関ヶ原の合戦の事をいってんのか?まさか家康に宣戦布告をしたのは直江の独断と思ってんのか?
おいおい勘弁してくれよ。
家康に宣戦布告宣言をした信憑性の高い最初の文献は景勝が家臣に宛てた書状だぞ。
それとて内容は家臣に対して「家康が自分の言い分を認めないので頭にきたから一戦も交えずと思うのだが、おまいらどう思う?」という様な内容。
早い話が家臣に対してアンケート調査をしている様なもんだ。で多い意見を採用した結果が戦を行う方だったっちゅうわけね。
この書状から二ヵ月後には会津に石田三成の使者が来訪し、直江の下には佐竹の使者が来ていて完全に戦闘モードに突入しとる。
残されている直江状は写しでしかも後世の人間が手を加えている可能性があるから信憑性となると???
小説や時代劇をおもしろくするためのネタとしてなら評価するけど。
0664名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 11:24:58ID:eSK7nPSe
講談に描かれている直江は誉められたもんじゃない面もあるし、
よくビジネス書に紹介されている名将エピソード集の
「あの世に迎えに行け」と訴訟人を殺した逸話なんざ、
別にいい逸話でも何でもないし松永が同じ事してたらニュアンス違っただろと思うが、
実際の兼続は別にそんなにドキュンじゃないよなあ。
0665名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 13:08:40ID:KtZgbyVP
直江は豊臣から格別な恩を受け、その交友を見ても、三成、前田、真田、など、親三成反徳川は明らか
家康から観て、討伐されるべき対象になってしまっていたことに失敗がある
まさか、家康が戦争を仕掛けると思っていなかったとしたら、甘さがある
失策自体は直江自身が直江家を断絶させて認めている
何より、上杉家が彼を否定して審判を下している
0666名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 16:48:06ID:OjlHVsTS
もっと単純に考えるんだ。
会社が倒産しかかって、規模が四分の一になったとき、オーナー社長の責任はもちろんあるが、
普段から決裁からなんからすべてやっていたCEOの立場にいた人間はその手腕を疑問視されても仕方ないだろう。
ましてや同業の集まりには社長ではなくこのCEOが顔として出ていたとしたらなおさら。
それがよいがどうかは別として、まわりから人格否定されることもありうる。
0667名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 17:46:32ID:0T2UP0aw
そういう例えをしてしまうと、とむしろ解任されずに留まってる時点でCEO一人の
責任では無かったと周囲が考えている、と取るのが自然になってしまうわけだが。
0668名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 18:08:43ID:nsAZceM1
もー、そこまで直江否定しなくてもいいじゃん。たまにまぎれてる最上伊達景勝
否定も。ほんとつまらん。
0669名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 18:27:16ID:Ub0DOJh7
関ヶ原付近の話になれば、当たり前だが最上の話になっちまうし、
どう繕った所で、あの合戦は始めたきっかけから結果まで良い所が無いので、
アンチよりになっちまう。

かと言ってそれ以外の話は政治的な駆け引きの話ばかりなので、
ドロドロした話ばかりになる。

誰か気分一新するために、他の合戦の話は無いもんかね。
御館の乱とかでは彼は何してたん?
0670名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 19:55:14ID:dbpXyDmF
>>665
おまえ過去スレ嫁よ。
関ヶ原前から徳川秀忠とは仲がいいんだぞ。他の奴が何度も書き込んでるだろうに。
おまえの勝手な想像による書き込みと国宝に指定されている書状とどちらが信用性が高いよ?
あとな、直江家の断絶を決めたのは妻のお船の方の可能性がひじょうに高い。
兼続は婿養子で元々直江家の人間ではない。直江家の家臣の多くが兼続に従ってきたというよりもお船の方に従ってきたといって過言じゃない。
もし兼続あっての直江家ならば兼続が亡くなった1619年に直江家はもちろんの事、菩提寺の徳昌寺に与板衆も除外されるだろ。が、現実にはされていない。
除外されたのはお船の方が亡くなった1637年直後。それまで直江家に対していい感情を抱いていなかった家臣もお船の方が生存中は手出しが出来なかった事がわかるだろ。
いかに上杉家内でお船の方の力が強かったかが理解できると思う。
いつまでも小説や時代劇や逸話で抱いてしまった自分勝手なイメージで物事を語るなよ。
見ていて呆れるを通り越して情けなく感じるよ。あまりの知識の無さに。

0671名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 20:21:47ID:ojRVZm/5
直江状は後世に作られた偽文書
0672名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:14:16ID:sPVpGdOA
>>670
だからさ、秀忠と個人的に仲が良くても徳川家と仲が良かったとはとても言えんよな。
上で散々指摘されてるよな。
大老同士でやり取りせずに、その息子とやり取りしている状態で、
仲が悪くなかったと説明してみたら。
0673山城守2006/10/15(日) 22:21:48ID:r+73t1Mw
たしか上杉討伐のきっかけになったチクリの藤田が最初逃げ込んだのは
秀忠のところでなかったか?
0674名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:26:41ID:r+73t1Mw
>>671

でも家康に返信したのは間違いないんでしょ?書物マニアで京都の寺に出入り
して知り合いの坊主は多かったはずだからその方面からでも家康に回答が送られて
るんでないの?
0675名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:28:15ID:0T2UP0aw
この場合、誰とのやり取りかという事より書状の内容が問題だと思うのだが。
秀忠は元服してる徳川の継嗣なんだから、当時上方にいる父に代わって関東に
おける軍事、政治の采配をある程度任されてもおかしくない立場なわけだし。

つまり書状が公的な形で、かつ政治的な内容を記述してるならそれは秀忠個人との
私的なやりとり(仲良いとかそういうレベル)ではなく「徳川」との折衝であると判断
できると思うのだが。

ま、要は内容分からんと議論するだけ無駄じゃね?という話。
0676名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 22:44:53ID:RmSsuQsK
>>672
残念ながら今の段階では家康との親密さを表す手紙はないな。
あるのは形式的な手紙ばかりでね。
ただし家康の参謀である本多正信とのやり取りの手紙は何通かあるな。
世間一般では関ヶ原後の上杉家の処分が減封で済んだのは結城秀康のおかげといわれてるが今年米沢で行われた上杉景勝展では研究の結果本多正信の力が大きかったと公式に発表しているのよ。
無論、結城秀康や徳川秀忠の力もあったのは事実だろうて。
事実、本多正信の次男政重は直江家に婿養子になっとるわけ。
人によってはスパイとして送り込んだという連中もいるのだが、後に前田家に仕官した政重の現存する甲冑は直江兼続の甲冑と色違いの代物だ。
常識的に嫌いな人間や表面上の付き合いをしている人物と同じデザインの甲冑を生涯大事に残すかね?
破棄するか他人に譲るだろ。

0677名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/15(日) 23:03:32ID:RmSsuQsK
>>675
書状が写っているサイトを探したけどないのよね。
そのサイトがあればいちいち説明しなくて済むから楽なんだけども。
本当に知りたければ米沢市や新潟県に問い合わせてくれとしかいえん罠。
今年、米沢で上杉景勝展があったんで見れた人はラッキーだと思うよ。
展示品は国宝に指定された品や重要文化財クラスを中心に展示してたから。
0678名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 01:30:56ID:H1Uwmtr1
次期将軍の秀忠と懇意にするのは外交上非常に重要だと思うが
0679名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 01:47:51ID:20dw4k3h
なんだかんだ言っても関ヶ原以後の外交手腕は目を見張るべき物があると思う。
関ヶ原のそもそもの原因を作った大名なのに、御家を存続できたのはやはり評価
できるだろ。本多や結城、秀忠とのパイプをつくったにしても。

あと、米沢の城下の発展についても、当初は割合小さな城下町だったみたいだし。

どうも、こういう十分に評価できる事績に関してもどさくさに紛れて否定されてるし、
吉良の倅が養子に入った事に至っては直江山城が死んで40年くらい経ってからの話だぜ。
0680名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 02:34:45ID:9b/oE0Ih
外交も平凡だ。
同じ負け組みの毛利と比べてみ。毛利の方が発展してる。
島津、前田、鍋島とはどうなんだ?
同じく負け組の佐竹とも衰退率で大差ないだろ。
外交、内政が優れていたんなら、同じ負け組み諸藩の中で比べてより発展している、というものを示さなくては。
徳川幕府の名家好みに加え、遠国であるという条件も有利に働いていることも考慮すると、特に優れているものは見つからない。
むしろ、名門中の名門の武家の割にはイジメられている方と思うが。
どんな、小さな大名にも家格相応の取次ぎ=パイプは居るからな
0681名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 06:30:04ID:9AHv2FoU
うちのご家老はすごいんです。幕閣も大物扱いしてるんです。
だからオラたちも頑張って荒地を耕すぞ!

という心の支えが必要だったんじゃないかな。
昔20勝くらいしたことがあるピッチャーが楽天に入団したら
今年は25敗でもやっぱりファンの間ではエース。
人を奮い立たせるウソがある。
話題にもならない人間が頭になるより、賛否両論の人間が頭のほうが
物ごとが動きやすく、今すぐ動かないと飢え死に状態の米沢では
まさにそれが必要だった。
兼続がおめおめと生き残ったのもそんなウソのためじゃないかね。
0682名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/16(月) 11:18:07ID:nfE0TxwX
しかしまあ一陪臣のためにあーだこーだ意見がでますな。
やっぱり大物だね。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています