【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0484名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:02:49ID:Rex1XuR6自身が優秀だから優遇されて誉められている、とカン違いしてテングになってしまったことである
0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:26:37ID:PHWngRXdしかも自分が上杉家という名家を背負う立場にあるなら尚更だろ
むしろ主と仲の悪い大名との間を取り持ったりしなきゃならん立場だろうに
0486名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:27:22ID:tz1wLI2b懐柔されたのは徳川の方かもしれんがな
戸田氏鉄や土井利勝を籠絡するなんて普通じゃないぞ
特に戸田なんて、アンチ上杉の急先鋒だったのに
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:47:01ID:PHWngRXd毒饅頭食らわしたんだろ
0488名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:50:14ID:7qxLiKVWちょっと話が戻るけど、確かにお家が吉良に乗っ取られたのは、吉良が悪い、というよりも、
「吉良しか養子を出してくれる友達が居ない上杉家の孤立」こそが問題
直江時代に人脈が出来なかったから、友好藩が少なかったんじゃまいか?
直江みたいな高慢ちきな奴じゃなく、人事を刷新してフレンドリーな奴を家老にしておけば、違っていたんじゃなかろうか?
0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:02:11ID:EuBJyMVK別に乗っ取られてなんかいないだろう。
当時は養子相続なんて当たり前だし。
0490名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:11:35ID:6hDHWBjS再三言われてるけど、そもそもいわゆる逸話以外で「史実として」
無礼な態度をとった記録がないからそれは難癖にしかならなくないか?
0491直江の兜
2006/09/24(日) 10:43:54ID:YnhEU3kK0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:35:37ID:F18QG3HB「受」からはじまった稚児小姓:与六が成長して、
点だのヒゲだの少し増やして「愛」になった。
0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:51:26ID:EuBJyMVK0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:31:35ID:gYRhAToe俺もそう思いたい。というか、義理人情に厚くて信頼できる人物
で…て最初の印象みたいなのがあるから、そういう不思議な逸話を信じたくない。
二つ三つそういう逸話があるのはちょっと…とは思うが。
>>493
何が?
0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:50:23ID:DPR+ztcU前田方の史料だから信憑性は?だけど
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:20:01ID:J9enR60R綱勝急死後の跡継ぎ候補は二人いた。
綱勝の妹と吉良上野介の子と、もう一人は謙信時代に養子として上条家を継いだ上条政繁と景勝の妹(姉の説もある)の子孫。
家臣の多くは綱勝が吉良家を訪れた直後に腹痛と嘔吐を繰り返した挙句に急死した事から吉良家に疑いの目を向けていたため上条家の子孫を押す声が多かった。
そこへ綱勝の正室の父であり幕閣でNO1の実権を握っていた保科正之が米沢に来て独断で吉良家の子を跡継ぎに決めた。
家臣の多くは不満を抱きながらも渋々これに従う。
本来なら御家断絶であった上杉家が半知になったとはいえ生き残れただけでもよしとする考えに変わった。
保科正之の対応に恩義を感じた米沢藩は後の戊辰戦争の時に会津藩生き残りのために奔走する。今でも米沢市と会津若松市は親交が深い。
それと友好藩が少なかったと買いてるが上杉家は他藩より御家断絶の危機に晒されている。
けど、全て他藩が上杉家存続のために奔走している。
譜代大名でも御家断絶になりやすかったのに外様大名でこれだけしぶとく生き残った藩も珍しい。
0497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:26:34ID:yILp3oCLエピソードを史実で無いと片付けられるなら、世の中に伝承されているエピソードが全部価値無いってことになっちゃうよ
やはり、直江が傲慢な奴だったというエピソードが複数伝承されている、ということは、
大体そうゆう奴だった、と考えるのが自然ではないだろうか
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:50:31ID:GZcqKf6R本多正信とのパイプをつくり、10万石分の役儀の免除を得たりもしているし、
外交面ではかなり上手くやっている感がある。直江兼続という人の本領は、
領内の統治や外交にあるんだと思う。
>>497
誰もそんな極端なことは言ってないだろ。直江の場合派手な逸話が多く、それが一人
歩きしている感があるという話。
0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:54:07ID:wNuMXyQ30500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 06:51:04ID:wdrkJuQ9米沢住民うんぬんと同じく、都合のいいところは逸話OK、
都合の悪いところは逸話は史実じゃない、じゃ、肩手落ちが過ぎる。
0501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 12:32:55ID:YYrtHmpW当時男色の相手だったのは(特に後に栄達した場合)恥ずべき事でも何でもなかったわけで。
相手が謙信であれ景勝であれ、本当に関係があったとしたらどこかにそういう話がちゃんと
残ってる方が自然だと思うんだが、不思議とどこにもないんだよな。
0502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 13:15:11ID:ik9pqEaA信玄の手紙だって絶対あれ一枚だけじゃないと思う
0503名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 13:44:06ID:gS3KysVv叩きたい奴はどんな理由を引っ張り出してでも叩きたいだけだよ。
まともに相手にするな。
直江兼続が本当に陰険で卑怯で薄情な人物なら勝ち目の薄かった御館の乱で景勝を見捨ててるはずだ。
その後の織田軍侵攻でも滅亡直前まで追い込まれていながらも最後まで裏切らなかっただろ。
武田家を見てみろよ、命欲しさに家臣のほとんどが武田家を見捨ててんだぞ。
大坂の役で不仲だった安田の手柄を申告しなかった等の嫌な部分は確かにある。
けど、人間は神じゃないから全員平等には見れない罠。どうしても贔屓目が入ってしまうよ。
0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:22:27ID:EF/0tWeBそれから、外様はどんどんつぶされた、というが、それは豊織政権下で大名になった家だ。それ以前から元々大名だった外様はそんなに潰されて無くないか?
直江の内政が良かった、というなら、他家よりも発展した、ということを示さなくてはならない。
とくに同条件だった毛利よりも発展しているか?
0505名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:54:19ID:gS3KysVv特に家康、秀忠、家光の三代で131家の改易と圧倒的。
更に関ヶ原の合戦後に88家が改易されているので三代での改易数は219家で江戸時代全体では336家でお世辞にも少ないとはいえないな。
有名どころでは福島家に加藤家に播州浅野家といったとこか。
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:49:37ID:GZcqKf6R幕府にとって目障りだったり、落ち度があったら容赦なく潰されているぞ。
最上氏が良い例だろう。あと、里見氏や筒井氏とかも潰されている。
0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:18:17ID:3hXtegE2取り潰しまでに何度も幕府使者が建て直そうとしたが、内紛が納まらずに止むなく改易。
幕府がそこまで肩入れした背景には、義光とか家親とかあると思われるが。
0508名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 21:47:08ID:48CoNqwrネタにしても無理がある。
0509名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:21:25ID:iBiQVKO5個人的には其処にこそ直江の才が発揮されてると思う。
直江は30万石程度の中堅大名の家老として、御家存続の保身の才に長けた人だよな。
120万石の宰相としては軍略、戦略面で明らかに力不足。
天下人に恩を売り、120万石の主家を守った小早川には
数段に及ばないにも関わらず秀吉の為に比較されたり
変に謙信公以来の家風とか言いだすから変にアンチが増える。
最初から中堅大名の保身、殖産に功のある家老扱いならよかったんだよな。
0510名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:32:26ID:YYrtHmpW0511名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 23:43:10ID:iBiQVKO5じゃあ、>>509の最終行は
>家老程度の人物だよ。
なら良いのか?
それで何かレスの意味が変わるか?
0512名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 01:25:15ID:2+nBZVaL佐竹だって毛利だって同じように残っているだろ
直江の外交が良かったなんてことは無い
家老ってのは、外交官だから、直江のような懐柔される奴、勝手な発言をする奴、人当たりの悪い傲慢な奴は向かない。
どんな家の家老にもふさわしくない。
藩内で完結する事務仕事がいいとこだろ
0513名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 13:11:37ID:YHn5WXLqおまいの書き込みを見てるとろくに調べもしないで書き込んで他人に間違いを指摘されるといろんな言い訳をして最後に直江兼続は凡将だったという書き込みばかりだな
おまいの直江兼続嫌いはわかったよ
好き嫌いは個人の自由だしな
ただな、その考えを他人に押し付けんなって
0514名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 14:33:49ID:7PqgunUJ直江が軍事的に最も活躍した時期は、
御館の乱
〜本能寺
本能寺後〜
どの辺り?
0515名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 14:49:53ID:Y6XJm2X/0516名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 14:50:47ID:d/Tnatzq秋田杉伐採しすぎて大変だったらしいからな
0517名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 16:18:22ID:2bmEttu4佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬に
いたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。
お前の場合、>>513の言うように恣意的に捻じ曲げている。まあ、どうしても
直江を並以下の評価にしたいと頑張っているのは見て取れるがな
0518名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 17:37:06ID:OkiUzJLb0519名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 18:03:24ID:Bti+VP1q情報伝達の遅れから、酒田衆と尾浦衆の大半を失ったのは痛すぎる。
なんつーか、状況が状況だけに、仕方のない側面もあるけどね。
元々、後方を顧みることなく突撃するよう命令された部隊だし。
0520名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:06:28ID:qFWVHEaU禿同。
開墾とか労役の軽減嘆願とか、何処の藩でもやっているようなことで直江をマンセーするのはキモい。
他藩と比べて、直江のおかげで、外交に成功していた、あるいは内政で藩が発展した、というのを示してくれ。
特に、関が原西軍組という同じ境遇の毛利と比べて発展、成功しているか?
>>517
>>佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬にいたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。
オマイ、何が言いたいんだ。岩城も相馬も全然徳川に潰されてないだろ。岩城は秀吉に潰されたんでなかったか?オマイこそ恣意的に捻じ曲げてないか?
0521名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:32:51ID:Y6XJm2X/決着ついちゃうと思ってた人間はそういなかっただろうしね。
0522名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 20:33:59ID:Y6XJm2X/0523名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 22:30:26ID:d/Tnatzqんー、でもさぁ、どこの藩でもやっているからという理由で、
結果を出していることを評価しないってのもどうよ?
独創的じゃなくちゃ絶対駄目なの?
0524名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/26(火) 22:49:50ID:OkiUzJLb功績として。
他にはない?
0525名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 00:13:44ID:G22zcPcX・関ヶ原合戦後の短期間に、本多正信との協力関係を築いたこと。
・家康や土井利勝に蔵書を貸し、個人的なパイプを築いたこと。
・禅林文庫を公開し、江戸初期の儒学・医学の発展に貢献したこと。
・国友、堺の鉄砲職人を招聘し、白布で極秘に開発させたこと。
・谷地河原堤防の難工事を成功させ、新田開発に貢献したこと。
・これらの作業を、徳川幕府の普請命令と平行して実行したこと。
ざっとこんな感じ。こりゃ、家中から憎まれるのも分かる気がする…。
0526名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 01:36:31ID:Vz0wvxgn岩城は常隆のあと、佐竹義宣の弟(貞隆)が家督を継いで、12万石を知行したものの
関ヶ原で動かなかった為改易されている(まあ、後に再び大名になるが)。相馬も同じ
理由で一旦は改易と決定したものの、三胤(相馬義胤の子)が江戸へ向かい交渉するとともに
ともに、水谷だかの助言を得て上杉方の城に夜襲をかけたりして、結局安堵されているんだが?
>>523
同意。「どこの藩もやってる=評価対象にならない」はおかしい。
米沢の城下町の整備、直江堤の造築、本多正信や戸田氏鉄とかの結びつきを深めたりとか。
直江兼続の功績として大きいのは「直江版」の出版とか、禅林寺の創立など
の文化事業や藩の人材教育などがあるだろうな。
あと、やはり関ヶ原のきっかけをつくり、さらに積極的に交戦したにも関わらず、御家存続に
こぎ着けた事もやはり評価できると思う。
軍事に関しては長谷堂の撤退戦くらいか?有名なのは。あと、新発田討伐や佐渡平定とかでも
働きはあったみたいだな。
0527名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 07:59:48ID:6wkcJDjf所詮は同じ日本人の領土なんだから日本人にはなんら損失はないのだが、
それに引き替え太平洋戦争では。樺太とか千島とか日本が永遠に所持すべき貴重な領土をわずか数年の戦争で永遠に失ったのだしな。
あーもったいない。
0528名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 09:55:50ID:VeyFU4xM0529名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 11:35:33ID:PAvxfh8H0530名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 13:35:29ID:svOekBA1たしかに冬場はマイナス60度くらいでロシアと樺太北西部の海が凍って、
2時間くらいで歩いて渡れるんだけど、
夏場は暑くて30度近くあるんだよ樺太
密林が多い
0531名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/27(水) 22:43:21ID:5jSvFLDSまあ、内政をシコシコやっとくのが良かったんじゃなかろうか
誰がこの男をおだててしまったんだろう
0532名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 01:13:08ID:m7ZrCSZFお前なんだか痛いよw
0533名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 13:38:38ID:oPR2wUTnからかった奴にアムロ行きマース!と言って殴りかかった後
殴るたびに口でガシャーンとか効果音つけてたのには笑った
0534名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 14:20:54ID:MN86f3wwよかったな そいつ俺のクラスにいなくて。
俺にちょっかい出してきたやつがいて、授業中に俺が椅子で頭を弾き飛ばしたから。
なんか、いい音した。
0535名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 15:50:23ID:7MxNoylCホモの絆で出世してもバチがあたるのね
0536名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 17:37:17ID:Lx6gk7v1ホモだけで出世したっていう根拠を忘れとる
0537名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 23:52:42ID:45Z3N2J00538名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 04:55:01ID:Rdwxp1XF兼続と同じく見目麗しく、弁舌が爽やかで、上司をいらつかせない人だったらしい。
イラチで好き嫌いが激しい景勝は、こういう人間を好んだ。
側に寄せるのも重要なことをまかせるのも、こうした頭の回る美男子。
もちろん兼続も清野も、頭は用紙、教養もある(これも景勝の好み)、
低い身分から取り立てられて努力もしたし、高い能力も合った。
だけど、その価値観「だけ」を重視、というより偏向した景勝は、
清濁併せ呑めないというか、醜いもの、爽やかさに欠けるものは他の点が有能でも遠ざけた。
この器量の小ささが上杉を迷走させる一番大きな原因だったんじゃないだろうか。
0539名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 09:32:56ID:eqhysZkh無口で何を考えているのかわからないので、家臣達は物凄い
緊張感を強いられていた。
白石城を留守にしていた甘糟は景勝に疎まれた。家康が甘糟の不遇
に同情し、召し抱えの話を持ち出した際などは、横やりを入れ反古
にしている程だ。
0540名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 14:08:42ID://SIK0Dk0541名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:44:31ID:siXPyF5U禿同。直江-景勝のホモカップルの専横で家中は段々シラけていったのではないかと。
家康を牽制し伊達を抑えるという会津120万国の責務は、このホモカップル主従には重すぎたか。
0542名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:45:22ID:7vTC00+hそこでなぜそういう結論になるwただ、景勝が相当仕えにくいタイプの主君である
件については同意。まあ、謙信にも似てるっちゃあ似てるがw
0543名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 18:35:02ID:2nCmKKNh何回謀反起してんだよ、内部争いしてんだよってくらいに
それでよく家保てたよな
0544名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 18:55:27ID:H61T9X0K一国一城令がでるまではどの大名もにたりよったりだ。
0545名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 19:00:42ID:oqlx4rDp大抵の大名家も元々はそうやって成立して来たわけだし。
0546名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:45:41ID:Juunhrh1直江批判で何故最上義光まで貶される(´゠ω゠`)
0547名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 21:41:17ID:2Lpdxj8o最上如き〜というのは、国力が小さいからだと思う
でも、一般的に最上ってどうしてこうマイナスイメージなんだろ?
0548名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 22:52:21ID:i07NiDFs謀略によって城を落とす事で、傷つかないようにはしていたのだが、
客観的に見れば暗殺になるわけでその辺のイメージもあると思う。
あと政宗側の視点での悪役のイメージが強すぎる。
にもかかわらず、最上家は断絶してしまっているので、
現存する資料が伊達家側からのものばかりになってしまっているらしい。
マイナスイメージばかり残るのはそこが原因かと。
0549名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:05:36ID:PigdwLE4あれで一気に悪のイメージが定着。
あの凄みを凄みと取れる人間は少ない。
今ほどではないにしても、大河ドラマの圧倒的多数視聴者は
無学単純な「TVが一番の娯楽」階層だからな。
0550名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 23:41:40ID:oIhmW4az(それが解決であるか否かは別として)話が終わってしまうから止めた方がいい。
結局は「物を知ってる自分達」による「バカは仕方ない」or啓蒙論にしかならないから。
真面目な議論として話すなら、だけどな。
0551名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 00:52:33ID:CRBrCpRK陰険な義光に毒殺されそうになりながら、間一髪脱した政宗とか、
最上をあと一息まで追い詰めながら、東軍勝利により無念の涙を飲む兼続、
って書くとそれらしい物語になるからな。
まあ、実際は物語とは違うようだが。
それから、>>548にもあるように、実際の義光はダーティなイメージとはちと違う可能性あり。
開墾、水運開発、町割り、寺社振興に力を入れ、義光治世では一揆がおきず。
謀略により倒した相手に対し、会津に逃げたその一族を呼び戻し家を再興させる。
上方では当代一流の連歌師に交じり歌会に出ている。など。
0552名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 10:24:46ID:mNsPDU6n> 陰険な義光に毒殺されそうになりながら、間一髪脱した政宗とか、
> 最上をあと一息まで追い詰めながら、東軍勝利により無念の涙を飲む兼続、
> って書くとそれらしい物語になるからな。
> まあ、実際は物語とは違うようだが。
本当は
陰険な政宗に暗殺されそうになりながら、間一髪脱した義光とか、
直江をあと一息まで追い詰めながら、伊達の協力が得られず無念の涙を飲む義光
なんだけどね。
0553名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 11:28:38ID:p2ufK7YS小説の話か
0554名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 23:50:42ID:iGVpHEvIでも妹の身案じたり駒姫の助命の為に愛や北政所に土下座までしたりしてる辺り単なる悪役ともとれなかったぞ
0555名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 23:55:35ID:Lcl0/k2h0556名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 00:38:42ID:6VGuyQu+駒姫の件は確かに可哀想だからなぁ。
例え大名の身分でも、娘の命のために土下座でも何でもする気持ちもわかる。
実際の義光も、助命の為かなり奔走したみたいだしね。
そしてこの件が、最上が反豊臣、徳川の強固な味方になることを決定づけた。
あと、義光は駒姫のために専称寺を建ててるね。
0557名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 01:20:42ID:BA5HjqL7それほとんど政宗の方が上をいってるじゃん・・・
いや、確かに功績があるのは解るんだが・・・
0558名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 21:26:17ID:GsISoc0iでも何か直江よりか功績あんじゃね。政宗>>義光>直江ってかんじ
0559名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 21:41:47ID:P8NyNVvV政宗>>義光>>>>>直江
でしょ、秀吉の覚えめでたかったと言う以外、
上の二人より秀でた部分など見当たらない。
0560名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:54:30ID:ZLVfZnRsお、伊達厨言い切ってくれるじゃんw
0561名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 01:18:58ID:/HP0NQ8nこのスレも500まで議論しても、いやほんとに秀でた部分が見つからないよな〜軍事でも政治でも
知識人だったかもしれないけど、家老が学者でなくちゃいけない理由ないもんな
学者なんてのは、飼っとけばいいわけだし
ホモとして寵愛されて、懐柔されやすさで優遇された、ただそれだけの人
0562名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 04:33:45ID:0Va/7jP0佐竹義重>最上義光>>>津軽為信>>>>>>>>>>>>>>直江=景勝=ヘタレ南部親子(信直利直)だろ
なのに直江は名将扱いで反面義光や為信は極悪人呼ばわりで義重に至っては空気
それに新発田重家の反乱鎮圧するのに8年近く掛かってる時点で景勝も無能だろ
こんなホモ上杉が生き残って勝頼や氏政が滅びたのは本当に皮肉としか言えない
0563名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 22:27:51ID:Zikz5EUS0564名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 00:50:28ID:rL6yG+cY@天下の家老と言われ
A30(6?)万石を領し、大名級の待遇
B伊達のような大大名にも対等にケンカを売り
Cはたまた天下人家康にまで堂々ケンカを売った
と、ここまではいい
その後
@主家を大衰退させ
A恩があるはずの豊臣を攻撃し、滅亡させ
B家中で嫌われて
C主人の景勝にも見捨てられ
D大事なはずの直江家を断絶させ
E死後も家中で否定され、その一派は左遷され粛清された
何か、極端すぎて、爽快感すら感じる
ヤバイ俺、このスレ読んで直江が好きになってきた。バカっぷりが見事すぎる
0565名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:05:23ID:6xIECSwG0566名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:07:09ID:6xIECSwGちなみに直江巡り行く話の流れで上杉神社が出た事へのレスだ。
美味いんだぞ、あれ。
0567名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 01:08:24ID:6CgUlD8u小早川隆景とか鍋島直茂とかと並び称されてるから智将のイメージが出回ってるけど
>>564を見てるとなんだか福島正則の方が近い気がするな。
あぁでも考えてみれば並び称された時も三要素のうち智恵が無い言われたのは彼だっけ?
天下を狙うなという毛利の遺訓を守る隆景が勇気が無くて、
主君をあくまで立てようとする鍋島が大気が無いってのはわかるけど、
智恵が無いって言われたって事は秀吉の評価もあながち間違って無いか。
智恵が無いのに勇気と野望だけは一人前で自滅したのって
まさに直江と福島にピッタリの評価だ。
0568名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 02:18:29ID:vQ0PN0Lgしかも景勝は御館の乱で味方してくれた上条政繁の聡明ぶりに嫉妬して追放した程の狭量者
変に意地張って武門の誇りとか言ってる分痛いし見苦しすぎる
大名やめたいと黒田如水に泣きついた毛利輝元の方がまだ人間味があって良い
このホモ主従には戦国最低の評価くれてやってもいいだろうよ
0569名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 12:19:08ID:qkOU6jEFだいたい直江が義だ何とか言うのはやっぱ宿命じゃないかね。
家康に喧嘩売られたとき、利家以来世渡り上手で存続している前田家と違い、
武勇と大義を売り物にしてきた上杉家が「家康様。我々は悪くないですけれど謝ります」
なんて言えるもんかいな。
景勝をそれで説得すれば家中が景勝を侮るだろうし、ここはやっぱ直江がずいと前に出て
「武門の意地」とやらを示さにゃいかんかったでしょうよ。
結局は家康に従うことになったけれど、総合的な大戦で敗北した上でのことだから、
戦う前から屈服した家の連中とはわけが違う。
御家を残すかどうかも大事だが、それだけが大事じゃないと思った頭の固い連中に、
少しばかり温かみを持ってみてやるのが、それこそ人間味って奴じゃないかい?
まあ愛って奴だ。
0570名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 12:50:31ID:6xIECSwGよる変動はあれど結局どっちが「良い」かなんて別にないんじゃないかね。
確かに命は残ったけど、それで子孫が幸せになるかというとまた別だし、
命あっての物種とはいうが、それを押し付けるのはまた本末転倒だし。
何かの小説で赤穂浪士の中で途中で外れた人間の子孫だかの話があったけど、
生まれた時から臆病者、卑怯者の血と言われて生きるのも大変だよなって話。
0571名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 14:17:01ID:WmAn2AAW0572名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 17:43:30ID:y/3tP3Woそこまでやった以上、もしもそれで徳川とぶつかって、玉砕した上に
お家取り潰しにでもなっていたなら、戦略としてはどうかと思うが、
まぁ義と越後兵の意地を貫いたというのもわかる、現在の風評も納得がいく。
だけどさ、違うじゃん。
上杉がやったのは、留守居とは言えそこそこの兵力を持っていた
結城秀康をおっぽり出して、石高4分の1以下の最上のそのまた支城に攻め込んでるわけよ。
駒姫の一件から考えても、最上が徳川につくのは当たり前とはいえ、
どう見ても火事場ドロボーにしか映らんわけよ。
0573名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:52:30ID:vQ0PN0Lgしかもそれで負けてるしな
関ヶ原語の本領安堵で活躍したのは千坂景親
直江とは対照的に本庄繁長は大量の伊達軍を相手に奮戦
このホモ主従は何一つやってない
どころか景勝は甘粕景継の僅かな失態を責めて以降死ぬまで冷遇した
しかし景継はそれでも上杉に忠誠を誓った
本当に評価されるべきは千坂、本庄、甘粕、色部とかだろ
0574名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 19:14:57ID:6xIECSwG言いだしっぺの法則。
上杉謙信の親衛隊長●千坂対馬守景親
ttp://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155402933/
人が来なくて寂しいから思う様評価してくれ、いっそアンチが来る位に。
0575名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 01:39:41ID:HXK7VIkB結局、上杉は大阪の陣で豊臣を攻撃しているんだぜ。名を取っているように見えんが。
名をとるなら、真田幸村みたいに最後まで豊臣に付けといいたい。
特に直江は一人でも大阪城にこもれと。
実を取るっていうなら、最初っから徳川に付けと。
威勢よく啖呵を切っておいてケンカを売っておいて、その後、「やっぱりごめんなサ〜イ」
ヘタレっぷりをむちゃくちゃさらしていると思うが。
0576名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 03:13:44ID:ICWsoHno>特に直江は一人でも大阪城にこもれと。
景勝にそれを言うのは流石に酷だが直江はそうするべきだよな
ところで直江と似たような境遇の佐竹義宣はあまり叩かれんね
0577名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 16:18:55ID:5bzIzW/N家康にケンカ売られる時点でそれ以前に間違いを犯している
直江らは、反徳川親三成の流れに持っていってしまっているのが失態。
そもそも上杉は名誉も国力もあり、天下を狙わないなら現状維持が目標なのは明白だったはず。
天下が豊臣だろうが徳川だろうが上杉には関係ない。
三成らと必要以上に親しくして、不必要なリスクを犯した時点で大局観が無かったというほか無い。
実力以上に領土をもらったり、役職に着いたりすることもできれば避けるべきだったかも。
0578名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 17:31:39ID:jokQnuAT関ヶ原合戦前の上杉家は徳川秀忠と親密な関係だぞ。
1598年以降に出された徳川秀忠からの書状が米沢上杉博物館に複数残っている。
慶長3年9月20日付の手紙では景勝が会津に下向したお祝いとして秀忠から書状が送られている。
慶長5年3月21日付の手紙では上杉家が城下の整備と武力増強をするのはもっともな事といった内容の書状が秀忠から送られている。
少なくとも慶長5年3月21日までは上杉家と徳川家との親交はあった。
上杉家にしてみれば秀忠と親睦を深めていたわけだから、よもや戦争をふっかけてくるとは思わなかった部分もあるのではなかろうか。
秀忠の上杉家への信頼は戦後も変わる事無く続いているところから秀忠に上杉家を戦闘に巻き込もうとした考えがあったとは思えない。
となると上杉家を戦闘に引きずり出した人物は家康しかいない。
上杉家がどんなに徳川家に媚びを売っても無理矢理戦争に持っていっただろう。
つまり上杉家には戦う道しか残されていなかったと見る。
0579名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 20:07:17ID:ICWsoHnoでもあれは死人に口無しって感じだし明治になってから家名再興許されてるからな
如何に畠山や宇佐美の影響があったからと言って直江家が再興されないってのは
やっぱ兼続と与板衆はある意味上杉家の癌化してたんじゃないのか?
尼子の新宮党みたいに
0580名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 11:33:31ID:KZ7vEqo+本当は前田家みたいに「ありません。景勝に上洛させます」と答えていたのに、
家康が「嘘つけ」と激怒していたとかだったら面白いな。
0581名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 11:58:00ID:OU2Exzj9評価外だし、手紙に怒った事自体パフォーマンスである可能性はあると思う。
0582名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 13:48:23ID:XaoTpbUE家老が勝手に徒党を組んでお家の運命を決めてしまったことが間違い。
直江はまさに上杉家の「癌」だ。
結局、大阪の陣で豊臣を攻撃して、さすがに「義」などとは言えなくなっただろ
だから「愛」だなんて言い出したんじゃね
0583名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 13:56:11ID:OU2Exzj9それに関してはすぐ上の >>578 にあるように徳川側との交渉も確認できると思うのだが。
三成側とやりとりした書状はどんなものが現存してるの?
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