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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0452名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 08:57:28ID:dpJ2D2/q
直江兼続の男色相手は誰でしたかの?
0453名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 09:32:41ID:M/PUPP56
景勝。
0454名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 10:37:41ID:JSFivn9d
>>450
> 対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。

直江が変わり者なら、政宗は奇人変人か狂人としか思えない。
0455名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 10:53:02ID:VDuv3ajs
まあ変わってるというのも、ある意味褒め言葉でもあるからな。
0456名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 11:06:56ID:0mraRwdX
そもそも変わったエピソードでもなけりゃ書き留めないしな。
いつも通り、ごく普通に過ごしてる姿を一々メモってたらやだよ、
個人の日記じゃないんだからw
0457名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 16:10:58ID:gjZGID3B
詩歌と軍才は、天賦の才能を要し、秀才でもどうにもならない部分だ。
直江が大秀才であるにもかかわらず、ちょっと弱かった部分だね
この部分を持ち合わせて居たのが、隣国の伊達政宗という奴
好対照だね。
0458名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 17:12:58ID:M/PUPP56
なぜ政宗?
0459名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 17:29:01ID:IiWrpxsH
直江兼続は、たとえると旧日本軍のエリート軍人、辻政信に似ている。
ビールを飲んでいた連隊長を、義憤にかられて怒鳴りつける姿など
酷似している。戦いはヘタ。長谷堂の義光はさしずめ、ジューコフのように
直江を翻弄し尽くした。
0460名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 18:06:56ID:8Nr9+mib
上杉の撤退戦は非常に評価高かったと思ったが。
0461名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 18:30:15ID:9wdGs0qA
あれ?最上軍弱すぎて文句言われてなかったっけ。
0462名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 19:44:29ID:KmqTgFa5
また、アンチの出現かよ。
でも、その最上はあっと言う間に取り潰されたんだよな。
0463名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 21:14:06ID:6QseYasx
>>462
藩が取り潰されなければ軍は強いのか?

前の方にも長谷堂で長期化しても最上が落ちない可能性が
高く戦略、戦術共に最上が上杉、直江を上回っていた。
と書かれたら、最上は取り潰された云々書いてる奴がいたが
後継者の内紛があれば直江の軍略が
最上を上回ったことになるのか?
軍の強さと後の内紛はどう関係するんだ?

もう少し考えて書き込むべきだと思うぞ。
少なくともアンチを本気で駆逐したいなら。
0464名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 22:23:32ID:VFpl9zOH
天才肌と秀才肌は似てるようでまったく違うもんな
石田三成とかも秀才肌の人間

突き詰めていくと、
秀才肌の人間は評価の基準が外にあるのに対して、
天才肌の人間は評価の基準を内に持っている

天才肌=内向的で直感的
秀才肌=外向的で思考的
0465名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 22:29:18ID:0mraRwdX
このスレで単なる言葉の定義を決めることに一体何の意味があるのやら。
0466名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/21(木) 23:38:23ID:gt5xLAAj
撤退戦は見事だったが、手柄は水原と前田のものだろ。
直江は本陣を切り立てられ、切腹覚悟するような有様だったし。
よく巷に出回ってる読み物だと、なぜか直江の手柄になってるけど。
0467名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 01:10:02ID:Lb+7ndJP
撤退戦、撤退戦って、他になんか武勇無いのかよ
そもそも何で撤退戦するんだよ。
城が取れなかったから、戦略がマヌケだったから、方針が間違っていたからじゃね?

撤退戦は見事だった
撤退戦はすばらしかった
撤退戦の名人!直江
特技:撤退戦

ず〜っとやってろって
0468名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 12:28:37ID:mbYxyj41
>>466
撤退戦が上手かったで評価されると言う事は実際には侍大将レベルの話で
120万石の藩の宰相、将帥としては侮蔑以外何者でもないんだけどな。

金ヶ崎でも撤退戦で名をあげたのは部将である羽柴や佐々であって
信長が撤退戦で評価される訳が無い。
信長が仮に評価されるとしたら、機動力であって、撤退戦の見事さではない。

退き佐久間、遁弾正でも一部将だから誉め言葉なのであって、120万石の宰相が
撤退戦上手じゃあ話にならん。少なくとも、将帥の器ではない。
0469名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 12:42:25ID:E6Tkj3EL
>>467
それくらい自分で調べろよ
主だったところで新発田重家の乱鎮圧、佐渡鎮圧、北条攻め
0470名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 15:22:49ID:XrWuBAKB
秀吉が30万石与えたんだから伊達じゃないだろうw
0471名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 15:52:14ID:m4zCCWYp
それって懐柔策じゃん。
中国から女あてがわれる外交官と一緒。
0472名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 18:09:26ID:bRcecpUy
中国もタンザニアあたりの外交官ならわざわざ女あてがったりしないだろう。
0473名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 22:31:32ID:Yr6leUur
>>472
その通りで、外交官の背後にある日本、直江の背後にある上杉家が真の目的。
秀吉は、「人たらしの名人」といわれ、懐柔できる家老を狙っては懐柔していた。
直江は、懐柔される奴として眼を付けられたに過ぎない
0474名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 22:40:03ID:fW3Q3VT2
直江も秀吉に目をつけられていたのか
0475名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 22:55:11ID:m4zCCWYp
懐柔策に乗せられ、見かけの石高は120石高だが本拠地越後を追われたうえに庄内は飛び地領
120石高に捕われず冷静に考えると、秀吉にしてやられたのかもな
0476名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/22(金) 23:05:36ID:tSoY93GS
しかし、そのおかげで徳川を牽制する役目を果たせなかったのでは?
0477名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 03:34:14ID:IbUN3BBN
伊達家の片倉景綱も懐柔されそうになったんだよな
ま、断ってるんだけど
ちなみにこの人は家康にも懐柔されそうになった
やっぱり片倉と比べると・・・なんかなぁ
0478名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:44:12ID:I309iCUR
>>477
されそうになった、と言うと片倉にもその気が合ったような言い方だな。
実際には迷うことなく初手から跳ね除けてるし。
0479名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 06:58:31ID:AEUmR8Kn
直江って好色じゃね? 農家の女房に化粧がどうのうと指示してたり。
一見堅物そうだが、漢詩などもエロさが漂っている。

  織女惜別

  二星何ぞ恨みん隔月に逢うを
  今夜床を連ねて鬱胸を散ず
  私語未だ終わらざるに先ず涙をそそぐ
  合歓枕下五更の鐘
0480名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 11:32:18ID:IbUN3BBN
>>478
うむ、確かに
0481名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 11:54:25ID:YfqTdZ+M
まぁ色一つ興味無いっていうのはつまらんし、
いいんじゃない。>直江エロ説
0482名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 12:08:22ID:/r7KNI+/
神主の息子ととこぞの大名の男色の相手の差かな
0483名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/23(土) 17:19:01ID:OgyopnIy
>>477
徳川にも懐柔された、といっていいんじゃない。独自の江戸屋敷なんかもらって、いい気になってたみたい。
独立した江戸屋敷をもらう=藩の命令系統が2つに割れる=団結した決然とした行動が取れなくなる
上杉は、直江さえ懐柔しておけばいい、ってことで、豊臣も徳川もやりやすかっただろう
0484名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:02:49ID:Rex1XuR6
直江の最大の問題点は、懐柔策として優遇されておだてられているのを、
自身が優秀だから優遇されて誉められている、とカン違いしてテングになってしまったことである
0485名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:26:37ID:PHWngRXd
正直自身の感情だけで、他国の大名に無礼な態度を取るのはどうかと思う
しかも自分が上杉家という名家を背負う立場にあるなら尚更だろ
むしろ主と仲の悪い大名との間を取り持ったりしなきゃならん立場だろうに
0486名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:27:22ID:tz1wLI2b
>>483
懐柔されたのは徳川の方かもしれんがな
戸田氏鉄や土井利勝を籠絡するなんて普通じゃないぞ
特に戸田なんて、アンチ上杉の急先鋒だったのに
0487名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:47:01ID:PHWngRXd
懐柔ってゆか、媚でしょ、それは
毒饅頭食らわしたんだろ
0488名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 02:50:14ID:7qxLiKVW
>>411
ちょっと話が戻るけど、確かにお家が吉良に乗っ取られたのは、吉良が悪い、というよりも、
「吉良しか養子を出してくれる友達が居ない上杉家の孤立」こそが問題
直江時代に人脈が出来なかったから、友好藩が少なかったんじゃまいか?
直江みたいな高慢ちきな奴じゃなく、人事を刷新してフレンドリーな奴を家老にしておけば、違っていたんじゃなかろうか?
0489名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 07:02:11ID:EuBJyMVK
>>488
別に乗っ取られてなんかいないだろう。
当時は養子相続なんて当たり前だし。
0490名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 07:11:35ID:6hDHWBjS
>>485
再三言われてるけど、そもそもいわゆる逸話以外で「史実として」
無礼な態度をとった記録がないからそれは難癖にしかならなくないか?
0491直江の兜2006/09/24(日) 10:43:54ID:YnhEU3kK
なあ、愛って一体何だろうね?
0492名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 11:35:37ID:F18QG3HB
>>491
「受」からはじまった稚児小姓:与六が成長して、
点だのヒゲだの少し増やして「愛」になった。
0493名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 11:51:26ID:EuBJyMVK
つーか真の上杉ファンとやらの自演かな?
0494名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 16:31:35ID:gYRhAToe
>>490
俺もそう思いたい。というか、義理人情に厚くて信頼できる人物
で…て最初の印象みたいなのがあるから、そういう不思議な逸話を信じたくない。
二つ三つそういう逸話があるのはちょっと…とは思うが。

>>493
何が?
0495名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 16:50:23ID:DPR+ztcU
微妙に前田家ともトラブル起こしてたね
前田方の史料だから信憑性は?だけど
0496名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 17:20:01ID:J9enR60R
>>488
綱勝急死後の跡継ぎ候補は二人いた。
綱勝の妹と吉良上野介の子と、もう一人は謙信時代に養子として上条家を継いだ上条政繁と景勝の妹(姉の説もある)の子孫。
家臣の多くは綱勝が吉良家を訪れた直後に腹痛と嘔吐を繰り返した挙句に急死した事から吉良家に疑いの目を向けていたため上条家の子孫を押す声が多かった。
そこへ綱勝の正室の父であり幕閣でNO1の実権を握っていた保科正之が米沢に来て独断で吉良家の子を跡継ぎに決めた。
家臣の多くは不満を抱きながらも渋々これに従う。
本来なら御家断絶であった上杉家が半知になったとはいえ生き残れただけでもよしとする考えに変わった。
保科正之の対応に恩義を感じた米沢藩は後の戊辰戦争の時に会津藩生き残りのために奔走する。今でも米沢市と会津若松市は親交が深い。
それと友好藩が少なかったと買いてるが上杉家は他藩より御家断絶の危機に晒されている。
けど、全て他藩が上杉家存続のために奔走している。
譜代大名でも御家断絶になりやすかったのに外様大名でこれだけしぶとく生き残った藩も珍しい。


0497名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 02:26:34ID:yILp3oCL
擁護したい奴は、直江のエピソードを「史実でない」と片付けたがるが、
エピソードを史実で無いと片付けられるなら、世の中に伝承されているエピソードが全部価値無いってことになっちゃうよ
やはり、直江が傲慢な奴だったというエピソードが複数伝承されている、ということは、
大体そうゆう奴だった、と考えるのが自然ではないだろうか
0498名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 02:50:31ID:GZcqKf6R
>>486>>487
本多正信とのパイプをつくり、10万石分の役儀の免除を得たりもしているし、
外交面ではかなり上手くやっている感がある。直江兼続という人の本領は、
領内の統治や外交にあるんだと思う。

>>497
誰もそんな極端なことは言ってないだろ。直江の場合派手な逸話が多く、それが一人
歩きしている感があるという話。
0499名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 02:54:07ID:wNuMXyQ3
いや、地味で陰険なエピソードが多いが
0500名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 06:51:04ID:wdrkJuQ9
逸話を取り除いていたら、自信過剰の稚児武将ってところだけが残るよ。
米沢住民うんぬんと同じく、都合のいいところは逸話OK、
都合の悪いところは逸話は史実じゃない、じゃ、肩手落ちが過ぎる。
0501名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 12:32:55ID:YYrtHmpW
よく出る話だけど、稚児とか色小姓とかって話が実は一番眉唾っぽいと思うんだよなぁ。

当時男色の相手だったのは(特に後に栄達した場合)恥ずべき事でも何でもなかったわけで。
相手が謙信であれ景勝であれ、本当に関係があったとしたらどこかにそういう話がちゃんと
残ってる方が自然だと思うんだが、不思議とどこにもないんだよな。
0502名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 13:15:11ID:ik9pqEaA
当時あった文書で今に残ってるものの方が少ないわけで・・・
信玄の手紙だって絶対あれ一枚だけじゃないと思う
0503名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 13:44:06ID:gS3KysVv
>>501
叩きたい奴はどんな理由を引っ張り出してでも叩きたいだけだよ。
まともに相手にするな。
直江兼続が本当に陰険で卑怯で薄情な人物なら勝ち目の薄かった御館の乱で景勝を見捨ててるはずだ。
その後の織田軍侵攻でも滅亡直前まで追い込まれていながらも最後まで裏切らなかっただろ。
武田家を見てみろよ、命欲しさに家臣のほとんどが武田家を見捨ててんだぞ。
大坂の役で不仲だった安田の手柄を申告しなかった等の嫌な部分は確かにある。
けど、人間は神じゃないから全員平等には見れない罠。どうしても贔屓目が入ってしまうよ。
0504名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 15:22:27ID:EF/0tWeB
合戦に負ければ、寵童なんてのは殿様と一緒に殺される。だから、景勝と一体になって頑張るのは当たり前だ。むしろ寵童だった証拠だ。
それから、外様はどんどんつぶされた、というが、それは豊織政権下で大名になった家だ。それ以前から元々大名だった外様はそんなに潰されて無くないか?
直江の内政が良かった、というなら、他家よりも発展した、ということを示さなくてはならない。
とくに同条件だった毛利よりも発展しているか?
0505名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 15:54:19ID:gS3KysVv
江戸時代の改易大名の数は248家。
特に家康、秀忠、家光の三代で131家の改易と圧倒的。
更に関ヶ原の合戦後に88家が改易されているので三代での改易数は219家で江戸時代全体では336家でお世辞にも少ないとはいえないな。
有名どころでは福島家に加藤家に播州浅野家といったとこか。
0506名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 18:49:37ID:GZcqKf6R
>>504
幕府にとって目障りだったり、落ち度があったら容赦なく潰されているぞ。
最上氏が良い例だろう。あと、里見氏や筒井氏とかも潰されている。
0507名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 20:18:17ID:3hXtegE2
最上の場合は容赦なくではないぞ。
取り潰しまでに何度も幕府使者が建て直そうとしたが、内紛が納まらずに止むなく改易。
幕府がそこまで肩入れした背景には、義光とか家親とかあると思われるが。
0508名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 21:47:08ID:48CoNqwr
裏切らなかったのが寵童だった証拠ってのは
ネタにしても無理がある。
0509名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 23:21:25ID:iBiQVKO5
>>505
個人的には其処にこそ直江の才が発揮されてると思う。
直江は30万石程度の中堅大名の家老として、御家存続の保身の才に長けた人だよな。

120万石の宰相としては軍略、戦略面で明らかに力不足。

天下人に恩を売り、120万石の主家を守った小早川には
数段に及ばないにも関わらず秀吉の為に比較されたり
変に謙信公以来の家風とか言いだすから変にアンチが増える。

最初から中堅大名の保身、殖産に功のある家老扱いならよかったんだよな。
0510名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 23:32:26ID:YYrtHmpW
何にせよ「こうだったら良かったのに」を論ずるのは戦国板でやることじゃないな。
0511名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/25(月) 23:43:10ID:iBiQVKO5
>>510
じゃあ、>>509の最終行は
>家老程度の人物だよ。
なら良いのか?
それで何かレスの意味が変わるか?
0512名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:25:15ID:2+nBZVaL
徳川幕府は、名門の武家には甘いんだよ。どんどん潰したのは、織田と豊臣の家臣で大名に成り上がったた家。加藤とか福島なんかがそうだ。
佐竹だって毛利だって同じように残っているだろ
直江の外交が良かったなんてことは無い

家老ってのは、外交官だから、直江のような懐柔される奴、勝手な発言をする奴、人当たりの悪い傲慢な奴は向かない。
どんな家の家老にもふさわしくない。
藩内で完結する事務仕事がいいとこだろ
0513名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 13:11:37ID:YHn5WXLq
>>512
おまいの書き込みを見てるとろくに調べもしないで書き込んで他人に間違いを指摘されるといろんな言い訳をして最後に直江兼続は凡将だったという書き込みばかりだな
おまいの直江兼続嫌いはわかったよ
好き嫌いは個人の自由だしな
ただな、その考えを他人に押し付けんなって
0514名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 14:33:49ID:7PqgunUJ
兼続が秀吉に高く評価された、ってのはつまり華々しい軍歴があるってことだよね。
直江が軍事的に最も活躍した時期は、
御館の乱
〜本能寺
本能寺後〜
どの辺り?
0515名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 14:49:53ID:Y6XJm2X/
せめて過去レスくらい読もうよ。
0516名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 14:50:47ID:d/Tnatzq
>>512佐竹は秋田に飛ばされてるじゃん。秋田はきついで。
秋田杉伐採しすぎて大変だったらしいからな
0517名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 16:18:22ID:2bmEttu4
>>512
佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬に
いたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。
お前の場合、>>513の言うように恣意的に捻じ曲げている。まあ、どうしても
直江を並以下の評価にしたいと頑張っているのは見て取れるがな

0518名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 17:37:06ID:OkiUzJLb
じゃあ、並以上の理由もしりたい。
0519名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 18:03:24ID:Bti+VP1q
兼続の失策を挙げるなら、関ヶ原合戦における別働隊の壊滅かなぁ。
情報伝達の遅れから、酒田衆と尾浦衆の大半を失ったのは痛すぎる。
なんつーか、状況が状況だけに、仕方のない側面もあるけどね。
元々、後方を顧みることなく突撃するよう命令された部隊だし。
0520名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 20:06:28ID:qFWVHEaU
>>518
禿同。
開墾とか労役の軽減嘆願とか、何処の藩でもやっているようなことで直江をマンセーするのはキモい。
他藩と比べて、直江のおかげで、外交に成功していた、あるいは内政で藩が発展した、というのを示してくれ。
特に、関が原西軍組という同じ境遇の毛利と比べて発展、成功しているか?

>>517
>>佐竹だってほとんど動かなかったのに、半分以下に減封だし、岩城や相馬にいたっては改易されてる(相馬は伊達のとりなしでセーフ、岩城も後復帰)。

オマイ、何が言いたいんだ。岩城も相馬も全然徳川に潰されてないだろ。岩城は秀吉に潰されたんでなかったか?オマイこそ恣意的に捻じ曲げてないか?
0521名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 20:32:51ID:Y6XJm2X/
関ヶ原時は一番派手だから取りざたされるけど、さすがに一日で
決着ついちゃうと思ってた人間はそういなかっただろうしね。
0522名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 20:33:59ID:Y6XJm2X/
悪い、誤爆。
0523名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 22:30:26ID:d/Tnatzq
>開墾とか労役の軽減嘆願とか、何処の藩でもやっているようなことで〜

んー、でもさぁ、どこの藩でもやっているからという理由で、
結果を出していることを評価しないってのもどうよ?
独創的じゃなくちゃ絶対駄目なの?
0524名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 22:49:50ID:OkiUzJLb
まあ、開墾とかは最上領内でも伊達領内でもやってるし、同じように評価していいんじゃないかな。
功績として。
他にはない?
0525名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 00:13:44ID:G22zcPcX
>>524
・関ヶ原合戦後の短期間に、本多正信との協力関係を築いたこと。
・家康や土井利勝に蔵書を貸し、個人的なパイプを築いたこと。
・禅林文庫を公開し、江戸初期の儒学・医学の発展に貢献したこと。
・国友、堺の鉄砲職人を招聘し、白布で極秘に開発させたこと。
・谷地河原堤防の難工事を成功させ、新田開発に貢献したこと。
・これらの作業を、徳川幕府の普請命令と平行して実行したこと。

ざっとこんな感じ。こりゃ、家中から憎まれるのも分かる気がする…。
0526名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 01:36:31ID:Vz0wvxgn
>>520
岩城は常隆のあと、佐竹義宣の弟(貞隆)が家督を継いで、12万石を知行したものの
関ヶ原で動かなかった為改易されている(まあ、後に再び大名になるが)。相馬も同じ
理由で一旦は改易と決定したものの、三胤(相馬義胤の子)が江戸へ向かい交渉するとともに
ともに、水谷だかの助言を得て上杉方の城に夜襲をかけたりして、結局安堵されているんだが?

>>523
同意。「どこの藩もやってる=評価対象にならない」はおかしい。

米沢の城下町の整備、直江堤の造築、本多正信や戸田氏鉄とかの結びつきを深めたりとか。
直江兼続の功績として大きいのは「直江版」の出版とか、禅林寺の創立など
の文化事業や藩の人材教育などがあるだろうな。
あと、やはり関ヶ原のきっかけをつくり、さらに積極的に交戦したにも関わらず、御家存続に
こぎ着けた事もやはり評価できると思う。

軍事に関しては長谷堂の撤退戦くらいか?有名なのは。あと、新発田討伐や佐渡平定とかでも
働きはあったみたいだな。
0527名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 07:59:48ID:6wkcJDjf
しかし何で上杉が120万石失ったのがそんなに悔しがることが出来る奴がいるのかがわからない。
所詮は同じ日本人の領土なんだから日本人にはなんら損失はないのだが、
それに引き替え太平洋戦争では。樺太とか千島とか日本が永遠に所持すべき貴重な領土をわずか数年の戦争で永遠に失ったのだしな。
あーもったいない。
0528名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 09:55:50ID:VeyFU4xM
突然何を言い出すんだお前は
0529名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 11:35:33ID:PAvxfh8H
おれも驚いたw
0530名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 13:35:29ID:svOekBA1
樺太って寒そうに見えるけど、
たしかに冬場はマイナス60度くらいでロシアと樺太北西部の海が凍って、
2時間くらいで歩いて渡れるんだけど、
夏場は暑くて30度近くあるんだよ樺太
密林が多い
0531名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/27(水) 22:43:21ID:5jSvFLDS
幕府の宿老級の人物が、上杉の取次ぎになるのは当たり前だ。上杉が大物なんだから
まあ、内政をシコシコやっとくのが良かったんじゃなかろうか
誰がこの男をおだててしまったんだろう
0532名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 01:13:08ID:m7ZrCSZF
>>531
お前なんだか痛いよw
0533名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 13:38:38ID:oPR2wUTn
高校の頃からかわれたガンオタの奴がキレて
からかった奴にアムロ行きマース!と言って殴りかかった後
殴るたびに口でガシャーンとか効果音つけてたのには笑った
0534名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 14:20:54ID:MN86f3ww
>>533
よかったな そいつ俺のクラスにいなくて。
俺にちょっかい出してきたやつがいて、授業中に俺が椅子で頭を弾き飛ばしたから。
なんか、いい音した。
0535名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 15:50:23ID:7MxNoylC
結局、家中で嫌われちゃったのね。
ホモの絆で出世してもバチがあたるのね
0536名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 17:37:17ID:Lx6gk7v1
>535
ホモだけで出世したっていう根拠を忘れとる
0537名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/28(木) 23:52:42ID:45Z3N2J0
そこそこの行政能力+ホモの力+懐柔による優遇ってとこか
0538名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 04:55:01ID:Rdwxp1XF
兼続の後釜に座り、与板衆の切り崩し、左遷人事を完成させた清野も景勝の寵童あがり。
兼続と同じく見目麗しく、弁舌が爽やかで、上司をいらつかせない人だったらしい。
イラチで好き嫌いが激しい景勝は、こういう人間を好んだ。
側に寄せるのも重要なことをまかせるのも、こうした頭の回る美男子。
もちろん兼続も清野も、頭は用紙、教養もある(これも景勝の好み)、
低い身分から取り立てられて努力もしたし、高い能力も合った。
だけど、その価値観「だけ」を重視、というより偏向した景勝は、
清濁併せ呑めないというか、醜いもの、爽やかさに欠けるものは他の点が有能でも遠ざけた。
この器量の小ささが上杉を迷走させる一番大きな原因だったんじゃないだろうか。
0539名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/29(金) 09:32:56ID:eqhysZkh
景勝に嫌われたら終わりって雰囲気があったんじゃないか。
無口で何を考えているのかわからないので、家臣達は物凄い
緊張感を強いられていた。
白石城を留守にしていた甘糟は景勝に疎まれた。家康が甘糟の不遇
に同情し、召し抱えの話を持ち出した際などは、横やりを入れ反古
にしている程だ。
0540名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/30(土) 14:08:42ID://SIK0Dk
その程度の殿様に寵愛された、その程度の人だったんだ…
0541名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 01:44:31ID:siXPyF5U
>>538
禿同。直江-景勝のホモカップルの専横で家中は段々シラけていったのではないかと。
家康を牽制し伊達を抑えるという会津120万国の責務は、このホモカップル主従には重すぎたか。
0542名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 01:45:22ID:7vTC00+h
>>540
そこでなぜそういう結論になるwただ、景勝が相当仕えにくいタイプの主君である
件については同意。まあ、謙信にも似てるっちゃあ似てるがw
0543名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 18:35:02ID:2nCmKKNh
上杉家は主君も主君なら部下もそうとう扱いづらいと思うぞw
何回謀反起してんだよ、内部争いしてんだよってくらいに
それでよく家保てたよな
0544名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 18:55:27ID:H61T9X0K
あの信長にも謀反おこしてるのがいる。
一国一城令がでるまではどの大名もにたりよったりだ。
0545名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 19:00:42ID:oqlx4rDp
下克上は戦国の習いだしな。
大抵の大名家も元々はそうやって成立して来たわけだし。
0546名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/02(月) 20:45:41ID:Juunhrh1
よく「直江は最上如きに苦戦〜」とか言われるけど







直江批判で何故最上義光まで貶される(´゠ω゠`)
0547名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/04(水) 21:41:17ID:2Lpdxj8o
いやこのスレでは最上は十分評価されているよ。合戦で、最上>>直江は明らか。
最上如き〜というのは、国力が小さいからだと思う
でも、一般的に最上ってどうしてこうマイナスイメージなんだろ?
0548名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/04(水) 22:52:21ID:i07NiDFs
義光は自分の兵力が傷つく事を非常に嫌う大名だったので、
謀略によって城を落とす事で、傷つかないようにはしていたのだが、
客観的に見れば暗殺になるわけでその辺のイメージもあると思う。

あと政宗側の視点での悪役のイメージが強すぎる。
にもかかわらず、最上家は断絶してしまっているので、
現存する資料が伊達家側からのものばかりになってしまっているらしい。
マイナスイメージばかり残るのはそこが原因かと。
0549名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/04(水) 23:05:36ID:PigdwLE4
NHKの独眼竜政宗で原田の演技がすごすぎた。
あれで一気に悪のイメージが定着。
あの凄みを凄みと取れる人間は少ない。
今ほどではないにしても、大河ドラマの圧倒的多数視聴者は
無学単純な「TVが一番の娯楽」階層だからな。
0550名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/04(水) 23:41:40ID:oIhmW4az
自分たちとは違う単に「出来の悪い誰か」がいるからだ、と仮定してしまうとそこで
(それが解決であるか否かは別として)話が終わってしまうから止めた方がいい。
結局は「物を知ってる自分達」による「バカは仕方ない」or啓蒙論にしかならないから。

真面目な議論として話すなら、だけどな。
0551名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/06(金) 00:52:33ID:CRBrCpRK
まあ、政宗とか兼続の引き立て役に利用されてる面もあるだろからな。
陰険な義光に毒殺されそうになりながら、間一髪脱した政宗とか、
最上をあと一息まで追い詰めながら、東軍勝利により無念の涙を飲む兼続、
って書くとそれらしい物語になるからな。
まあ、実際は物語とは違うようだが。

それから、>>548にもあるように、実際の義光はダーティなイメージとはちと違う可能性あり。
開墾、水運開発、町割り、寺社振興に力を入れ、義光治世では一揆がおきず。
謀略により倒した相手に対し、会津に逃げたその一族を呼び戻し家を再興させる。
上方では当代一流の連歌師に交じり歌会に出ている。など。
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