【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 13:55:29ID:tXqRB9HU直江状は後世に作られた偽文書。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 15:49:21ID:Ir2khmcOまず新潟県立歴史博物館にある上杉景勝から安田、甘粕、岩井、大石、本庄宛に出された書状。
慶長5年6月10日付の書状で内容は景勝の言い分全てが却下され、何度も無条件で上洛する様、家康が催促している事に理不尽過ぎると景勝が怒っている。
これ以上ふざけた要求をしてくるなら一戦を交える覚悟。で家臣に対しておまえ等、俺についてくるのかハッキリしろといった様な感じの書状。
もうひとつは米沢市上杉博物館所蔵の直江兼続書状。
慶長5年8月6日付で福島県須賀川市に出陣していた兼続から会津の清野助次郎に宛てたもの。
三成の使者が会津に来ている事を知り、三成の書状を兼続が見て返事を出すと指示。
また三成と兼続が中心となって立てられた越後の一揆衆の指揮は上杉軍に任せるといった内容。
また市立米沢図書館には上杉軍の白河口での戦闘配備の図がある。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 15:35:26ID:g+RQ65Rf狸おやじのせいで忠臣蔵でも敵役にされるわ幕末まで苦しまされるわ
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 16:43:27ID:fnrvemNo吉良上野介が討たれた事件では米沢藩の人間も喜んでいるんだよ。
悲しんでいたのは藩主綱憲と妻で先代藩主の妹の参姫くらいではなかろうか。
当時、吉良家は上杉家にたかっていて上杉家の蓄財を使い果たした上に借金までさせていた。
当然そのツケは米沢藩の家臣や領民の負担となり苦しめられた。
また先代藩主綱勝が吉良家を訪れた後に腹痛を起して急死してる事から毒殺したとの説すらある。
吉良上野介が討たれた時、米沢の人々は「ざまあねえや。」と同情すらしなかった。
それどころか重税から開放されるってんで大喜びしたとの言い伝えが残ってるのな。
今でも米沢市民は吉良家と藩主綱憲に良い感情を抱いていない。
もっとも、この綱憲の悪政があったおかげで後の上杉鷹山の功績が輝くわけだが。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 17:00:55ID:g+RQ65Rf否定しないよね? スレの話題とは離れるけど、大学さんはマジでかわいそう・・・
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:04:04ID:XxaCjzskはあ?
なに恩知らずな事言ってんだ?
吉良が本来は自分の嫡男であるはずの綱憲出して、
しかも、幕府に上杉家尊属を嘆願してくれたからこそ、
本来は世継ぎが耐えて取り潰されるはずの上杉家が存続したんだよ。
まあ、吉良も人間だから、この事でちょっとは上杉に
たかったのも事実だろうけど、それを補ってあまりある恩義が上杉にはある。
それと米沢藩の財政が傾いたのを全面的に綺羅のせいにしてるが、それも違う。
そうなったのは120万石から30万石に減封されたのに
武士の数をほとんど減らさなかった上杉家の構造的問題が
一番大きいんだよ。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 18:06:54ID:tPQw5K+0005250
2006/08/31(木) 18:07:52ID:XxaCjzsk0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 19:00:49ID:jwN6Cuxp長尾氏系断絶の原因をである、減封をやらかした直江の責任は大きいね
直江の専横が続いたせいで、家中がシラケて、吉良に抵抗できなくなったんだよね。
それ以外に、直江が江戸で嫌われていたから、上杉が他家から孤立していたんじゃないだろうか?
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 19:26:44ID:XxaCjzsk>吉良が嫡子を暗殺したんじゃなかったっけ?他にも謙信の血のつながりがあるヤシも居たのに吉良が…違ったっけ?
はあ?
どこの四流歴史小説にそんなアホな事が書いてあった?
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/31(木) 20:01:23ID:g1ZHg0x40056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 06:49:56ID:HMVUTs8z偏執的なアンチ直江がいるな。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 08:05:46ID:8KjBIJVKこの口調の思考停止した奴が。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 08:16:25ID:Zep5gooB長谷堂城を一気に下し、義光と政宗の母親を人質にして半年くらい粘って、
外交交渉にもちこんでいれば、70万石位は残せたんじゃないだろうか。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 08:33:54ID:HMVUTs8zそりゃ無理だろう。
最上は当然、城に篭ろうとするだろうし。
あとの観測も甘すぎ。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 10:13:55ID:oweLabW7上杉家臣なのに、秀吉から大領土もらう時点でおかしくね?
自分に大封与えてくれた豊臣家に、結局大阪の陣で弓を引いてんじゃん
そんなヤシ他にいね〜よ?
自分の主家にも100万石級の大損を与えているんだよね。
それで責任取らない。そんなヤシも他にいないんだよね
武士じゃねーよ。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 17:29:37ID:Ukfuhi2i0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 18:33:10ID:HMVUTs8z120万石が30万石に削られたからこそ、
潰されもせずに存続したとも言える。
俺が徳川ならそんな危険な存在はさっさと潰す。
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 19:37:04ID:JbRbUwCT島津は井伊直政を死に到らせ、家康の上洛命令を無視しているのに、
寸土も領土を失っていない。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 00:14:45ID:3vkChvc8直江兼続って、頑張った人であることは間違いないね。
でも、天下人に懐柔されてしまうところと、権力にしがみ付くところは、元々は下級の身分だった卑しさかな〜
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 03:59:55ID:2ed5KjJt「うまかった」というか「下手だった」から生き残れた気がする。
島津義久が非現実的な中立主義や中央政権を理解しない行動をし続けて
変に粘って上洛命令を無視したり徳川の船を焼いたりしたが、
島津忠恒が最終的には義久の命令を無視して勝手に上洛して家康と
会見したから助かった。
ちなみに義久はそれを「親不孝の極み」と罵ったという。
どう見ても義久の「老獪で巧みな事後交渉」とかではなく、
単なる勘違いに満ちた出たとこ勝負が功を制しただけ。
それをたまたま状況などが左右してうまくいったと思われる
0066蒲倉
2006/09/02(土) 04:43:41ID:7DJrqRIc0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 06:57:16ID:2ed5KjJtそもそも事の発端は上杉景勝が上洛を拒否して
少なくとも表向きは豊臣秀頼の命令による上杉討伐令を
受けてしいまったのですから。
全ての責任を直江に押し付けるのは無理ありすぎてす。
それと毛利についても無理です。
なんせ毛利輝元が西軍総大将を引き受けてしまったのですからね。
いくら吉川広家が裏で手を回しても減封は逃れられないです。
上杉、毛利ら比べれば島津は末端だし、見逃されたのでしょう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 08:03:54ID:FaAevv4Z無嗣断絶?
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 12:02:42ID:Ok3a6Ez+0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 12:25:24ID:KBI7UUBOだれか理由を教えてくれ…
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 12:54:39ID:LOIrDxZ5直江も上杉も小早川秀秋に敗北したんだよ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 13:06:20ID:yTv2hmTY評価はマシだと思うがな
しかも、吉川は主家が大事で、むしろ吉川家だけで処理しようとした策が
裏目に出た結果なのにな
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 15:16:36ID:2ed5KjJt「毛利家は当主が西軍総大将に就任した件で全所領没収。
吉川広家は毛利家の進撃を防いだ功績で中国地方に1、2カ国を与え栄転」
だったのを吉川が「我が所領はいいから、主家を助けてください」と必死で懇願した結果、
「格別の計らいで本来は吉川広家に与える予定であった周防・長門両国を毛利家に与える」
に変更されたわけだからね。
毛利家は本来は全所領没収の処置だったのだが。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 00:47:08ID:+QmH0gpz片倉とは前と悪の正反対の好対照としてよく比べられる
片倉景綱は、秀吉が領土をくれる、といってももらわなかった。主君がくれるものしかもらわない、と。
子の重綱は、家康に江戸屋敷をやる、といってももらわなかった。自分は伊達家の一家老でいい、と。
〜守などの官位も一切もらわなかった。小十郎のままでいい、と。
徹底して懐柔されないヤシだった。
直江は、領土も官位も江戸屋敷も何でもかんでももらっていたね。
その結果、伊達家は大藩のまんま残り、上杉は吉良上野の殖民地に…
直江は、家中で嫌われて養子縁組も解消されて、結局直江家は断絶してるよ。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 01:22:30ID:I9xthLQj切り盛りできる器量があるなら1石でも多く取り込んだ方が自家にとっても有利に決まってる
0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 01:23:32ID:ycUybHwC0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 01:38:11ID:7R9GSlRnゆっくりと鋸で切り刻んで殺してやりて〜本当むかつく!!(#・∀・)
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 07:52:02ID:L15f1A31なんか直江が嫌いで嫌いで
しかたない奴がいるね。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 08:28:49ID:MzvCfoUv/::::::: \
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(、`ーー、ィ } ̄` ノ
`ー、、___/`"''−‐" 自己愛
義理チョコ
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 17:57:11ID:sU42Z7+Y(゚Д゚)
義
(゚Д゚)
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 22:02:07ID:L15f1A31厨が多すぎるインターネットですねプw
さっさとゲームの世界にお帰りw
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 02:10:41ID:ZXEgz/tH吉良上野の植民地って、直江家断絶後だぜ、それ
それから、直江氏断絶も直江兼続の意向だったらしいが?
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 06:58:44ID:XPJd0XAK直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
吉良が自分の嫡男出さなければ上杉は取り潰されてただろうに。
それとそもそも上杉が120万から30万に減封されたからこそ、
米沢の発展があったのだが。
あと関が原で上杉から奪った領地の多くは
天領になって領民は厚遇を受けたわけだし、
所詮は外様の上杉家の領地であるよりよっぽどラッキーだっただろ。
江戸時代、外様一の大身であった加賀藩の租税の多さはトップクラスだったし、
上杉も、もし120万石のままなら、広大な領内の領民は塗炭の苦しみだったと思われ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 07:14:43ID:XPJd0XAK領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
上杉鷹山の改革も酷すぎる状況という前提があったから
うまくいっただけだろうよ。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 11:07:24ID:ejJU/E62>直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
功労や恩もあったけど、それ以上に実害が大きかった、ってかんじじゃね?
>いっその事、上杉なんて取り潰された方が領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。この版もいらないってことに。
ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 13:37:21ID:Q8w8P6gc>そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。
>ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと
これ同意。正論だと思う。実際、領民サイドはなかなか確かめようもないし、
真面目に調べるには戦国板では手に余る。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 14:35:29ID:XPJd0XAK天領の租税なんて外様大名の半分程度だよ。
しかも飢饉の時は餓死者を出さないように蔵を開いて領民救済の措置がとられた。
戦国オタは徳川を嫌い親豊臣・西軍派、外様大名などを好意的に論じるが、
実際は豊臣とか福島とか真田とか毛利とか上杉とかの領民は高い税負担にどこも苦しんでた。
これは江戸幕府の工事などを外様に押し付けて
経済的余裕を与えず謀反を起こさないようにする政策でもあるんだけどね。
まあスレ違いならやめるけど
あんまりにも、スレに感情的な直江・吉良叩きがはこびってるのが気になってね。
こういう反論してみた。
他スレでは「直江は関が原で切腹すべき」とか頑固に主張してる人がいたね。
同じ人なのかな?
あんま、そんな暗い主張はやめて欲しいんだが。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 14:58:18ID:Ed6tyshC上杉家が外様大名である以上、その制約内でどういう施政が可能だったとか
具体的な政策を論じないと仕方ないんじゃないか???
取り潰されて天領になりゃいいって、そんなこと言っても無意味でしょう。
あんま、そんな馬鹿な主張はやめて欲しいんだが。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 15:38:58ID:0HQKSdzu0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 16:17:39ID:NB/zibNY全然違うがな。
直江兼続を貶したい奴は”120万石を30万石にしてしまった=愚かな家臣”としか見ないが、それはあくまで結果論。
景勝流罪で上杉家取り潰しが決りかけていたのを減封までもっていった手腕はさすが。
また、城下町を10年以上かけて整備し、これといった産業がなかった藩にたくさんの産業を興し、米沢藩を最大時で実石51万石までにした。
ちゃんと減封の責任を取ってるわけね。
本人は質素な生活を貫き、継ぎはぎだらけの着物に食は一汁一菜。
”負けた責任=切腹”と短絡的な考えをする奴もいるだろうけど直江兼続も切腹の方が楽と考えたろう。
生きて責任を取る方が苦しく辛い人生だと思うぞ。
例えていうなら交通事故の加害者が死ぬまで被害者に詫び続ける様なもんだ。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 17:06:19ID:n/4p7qub0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 17:29:06ID:XPJd0XAK吉良もそんなに悪い奴じゃないぞ。
少しくらいはたかっただろうけどさ。
そもそも植えすぎの財政が傾いたのを
吉良のせいにするのは間違ってるぞ。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 17:42:05ID:pmh6df1F景勝は120万石を守り抜きたかっただけなのを、直江が率先して
家康との大戦争に発展させちまった。
その意味でバカになった前田の方が遙かに利口だった。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 18:21:31ID:EPwo0hySスレ違いだがこれだけは訂正してもらおう
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 18:28:03ID:XPJd0XAKは? ソースは?
確かに飛騨で起きた一揆の時のように悪質な代官の判断で過剰取立てが行われたり、
徳川吉宗の時にある家臣が勝手に「百姓と菜種油は絞れば絞るほど出る」
とか言って高い租税をかけた事件はあったが、
それらはかなり例外的なケースだが。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 18:43:09ID:XPJd0XAKしかし、それでも外様よりは軽いよ。ただ今までの年貢が非常に軽かったので苦しんだだけ。
ましてや農民が過酷な取立てで村ごと離散するような
上杉とは比べものにならない。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 19:05:23ID:JTYpiF/e天領が年貢が軽かったというのは通説だと思ってた
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 19:33:10ID:EPwo0hyS役人共は飢饉の救済も拒否して飢える民衆を無視し米買い漁って将軍家に送るのみで
やむなく大塩先生は家財を投げ売り救済活動するも個人の資産でたかが知れてる
商人と役人は結託し暴利を貪るばかりで
ついには成功する事のない反乱へと踏み切らなければならなかった
また世直し一揆も天領より始まった
今までの百姓一揆ではなく政治や幕府そのものを批判するものである
そこまで民衆は追い詰められていた
武州騒動を皮切りに全国へと飛び火し明治まで治まる事はなかった
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 19:54:25ID:EPwo0hyS切実な思いが伝わってくる
ttp://www.cwo.zaq.ne.jp/oshio-revolt-m/gekibun.htm
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 20:11:46ID:GUbjCYCz事件の原因が、なぜ天領は年貢が重いっていう誤解になるのか理解できん。
調べてみろ。
一般に天領は年貢が比較的軽かったって、大抵の入門書でも書いてあるから。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 20:41:04ID:XPJd0XAKあ、ちょっと反省しすぎたな。
天領の年貢は外様より原則として軽いよ。
ただ、例外的事項として天領でも過酷な年貢が課されることがあって、
その時は騒動になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E5%AE%98
それと世直し一揆はやはり幕府が相手だからだろうね。
あと一揆についてだが、
普通の外様藩では年に何十回も起こってるものものだしさ。
そんで何はともあれ平均的に天領の年貢が
外様より重かったとかいう具体的なソースがあったら
提出してくれ。
0102101
2006/09/04(月) 20:45:26ID:XPJd0XAK正徳の治の時代の天領の年貢の平均が2割7分6厘と書いてあるぞ。
ただし、開く代官のいるとこでは例外的に凄い年貢が取られてたようだ。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 23:00:19ID:EPwo0hyS洒落で暴動起こすわけじゃない
この時代は命懸けなんだから
自分自身、今の政治に不満あるからといって命懸けてまで糾弾する気あるか?
普通ないだろ
そこに至るまでにはどれだけ生活が逼迫していたかなんて簡単に分かる事じゃないか
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 01:43:53ID:pF4s24iQ>”120万石を30万石にしてしまった=愚かな家臣”としか見ないが、それはあくまで結果論
結果論と言い捨てるが、武士の世界は結果が大事なんよ。お家を興隆させれは善。衰退させれば悪。
悪い家臣と言われないように命を懸けているのが武士というもの。直江はどうもそれが甘い。
軽々しくケンカを売ったり、懐柔されたり、武士としてのモラルの感覚が甘いといわざるを得ない。
開墾したって100万石に達しない。それに開墾なんぞどこの藩でもやっている。開墾したからって直江の罪が消えるわけではない。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 04:11:07ID:j5idIIgYで、そういう理屈が何で「天領の農民が外様以上に年貢率が高い」
「天領の農民が外様の農民以上に困窮してた」になるわけ?
その具体的史料をさっさと明示してください。
明示してくれたらすぐにでも認めますからね。
「一揆が起きた」とかは残念ながら証拠にはなりません。
少なくとも定説とは別の事を言っているわけですから、
ちゃんと史料示してくれないと困ります。
そもそも現代ですら15年ほど前に起きた米不足の年に東北では日射量不足で収穫ゼロ
なんて年があったくらいなので
農作物、特に米の農業技術や品種改良が少ない昔ならなおさらでしょう?
幕府がたとえベストを尽くしたとしても
不作だと困窮する農民、餓死する農民は確実に出てきます。
前にも言ったとおり一揆なんてのは外様の藩では毎年たくさん起きてました。
例えば江戸初期の長州藩では年間に三百件もおきたという記録があります。
江戸中期の天領での一揆は単に普段は低年貢率なので一揆が起こりにくく、
その対策が不備だったと考えられます。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 05:00:16ID:EWVimYCS上杉米沢30万石、かたや治水開墾が進み伊達仙台250万石(全国1位)
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 05:23:32ID:RYbn2Lpt大坂城代領(天領)は、江戸と並んですごく恵まれてるんだよ。
この二都市の町人は御用金は課されるけど、租税は優遇されてるし、
いわば例外的な扱い。
そんで大坂は米相場の中心地で集積地だから、とんでもない飢饉の時以外は、
他の地方が餓死者がでてても、ここでは基本的に米が手に入る。
つか、大坂城代領の住民も大塩の時にはそりゃ困っただろうけど、
東北諸藩では、藩の人口自体が餓死者で激減してる状態なわけで。
江戸時代を通じて、大坂と江戸の人口が増え続けたのをみればわかるだろ?
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:03:24ID:j5idIIgY1 盛岡(南部) 97件
2 広島(安芸) 69件
3 秋田 65件
4 荻(長州) 61件
5 金沢(加賀) 57件
6 宇和島 56件
7 徳島(阿波) 42件
8 鳥取 38件
9 松山(伊予) 36件
10 会津 35件
11 庄内 32件
12 仙台 31件
13 高知(土佐) 29件
14 福山 29件
15 名古屋(尾張) 28件
16 岡山 27件
17 新庄 24件
18 延岡 22件
19 上田 22件
20 熊本 21件
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:10:33ID:j5idIIgY天領で起きた一揆の原因は
「天領を外される事に抗議して」のものだったらしい。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1889004
今まで天領として無税だったのに
庄内藩に割譲されることに抗議して
一揆が発生したそうなる
もしも天領になるのがそんなに嫌なのなら、
喜んで庄内藩に組み込まれるのを望む筈だが?
0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:23:27ID:j5idIIgY面積が全然違う。
ちなみに仙台藩では領内での農作物の売買を禁止し
農民が自分たちで使うわずかな分以外は全て藩に強制的に売らされた。
藩はその農作物を江戸に売って儲けたわけだ。
とはいえ、それは当初はむしろ農民なとっても有利なものであったが、
物価はどんどん値上がりするものなのに対して
藩の作物買い上げ価格はいつまでも据え置かれたために
江戸中期以降くらいから買い上げ価格と相場の差が相当にかけ離れたものになってしまい、
実質、第二の年貢となってしまい農民を苦しめたという。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:46:21ID:0MrX+PLB>地方の天領は年貢の徴収が出来ず放置されていました。
有名なのは庄内南部の天領で、実質年貢ゼロだったの
ですが、庄内藩の転封問題が起きた後(転封は中止となった)、
そのお詫びとして幕府が庄内南部の天領を庄内藩に組み入れ
ることになりました。いままで年貢ゼロだったのに明らかに
徴税可能な藩の領地になるという事で一揆が起きています。
当然の話だし、庄内の貧窮ぶりを示すエピソードだろうな。
>会津や和歌山は酷かったと言われており、会津降伏後に新政府が
進駐したら領民の体型が異様に小さかったと報告され、米の配給
を行う政策が行われています。また、会津の転封予定先であった
猪苗代では、会津の地獄統治を知っていましたので、転封反対運動
が起きています。
会津は地獄だなw
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 08:07:39ID:j5idIIgY中には酷いとこもあったみたいだね。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 08:16:23ID:j5idIIgYナンバー1が南部藩であり、ナンバー2が秋田藩なのは有名だがな。
その次が長州か。
あとは会津とか津軽とか加賀なんかが有名だが。
加賀藩は農作物の質にまで拘って農民どもを困らせたという。
酷くスレ違いになってきた。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 08:37:58ID:jwKSZ52pこのところ話題がループしてたからかも知れんけど
しかし、遠くまで話題が流れ流れてきたもんだ・・・
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 09:41:53ID:AXgUSJ17結果で語るなら家康に加勢した後に用済みで潰された最上家や福島家はどうなるんだ?
それこそ藩主はもとより家臣一同おまぬけっちゅうことになるな
幕府からの言いがかりはどこの藩でも大なり小なりあったわけで
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 11:04:30ID:u8IUHEAz一体何に対して反論してるんだよw
天領も他と変わらず領民の生活は逼迫していたと言ってる
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 11:26:49ID:WuVS1bSL江戸時代の領民は、そりゃ支配されてる方なんだから、ぶっちゃけ誰でも逼迫
しているといえば逼迫しているわけでしょうよ
その困窮にも度合いがあって、年貢の割合が天領では他と<比較すると>
軽かったという、ごくごく簡単な事実が、何でこの馬鹿にはわからんのかw
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 12:09:05ID:u8IUHEAz呆れたものだ
くだらん煽りで息巻いてないでちゃんとログを読む事だな
検討違いな事を俺に反論されても困る
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 12:45:34ID:EuDDkmJIこれ何年頃の話?
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 12:51:19ID:odcK6tZM第三者から見ても、どうみても>>118の方が的外れとしか思えない。
つか、あなたのは感情論でデータもないし、反論にもなってない。
簡単な話で、天領と他の地域の人口増加率とか、年貢の比率とか、
施策の客観的なデータを出せばいいだけの話です。
あなたの相手は、そういうデータを出してるわけです。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:23:32ID:J5y3Ydapあのブラックユーモアのセンスは現代でも通用するよ
直江って、「義ー」だ何だかんだって名分を振りかざして実はエゴイストだけど、
個人で接する分には結構オモロイおっさんだったんじゃね。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:25:25ID:1ZI4RVNf盛岡と秋田はひどかったノカー。
具体的にどうひどかったのか教えてくれといったらやっぱりスレ違いかのう?
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:28:14ID:nz2H5nsG伊達のエピソード2つを見る限り凄まじく嫌味な奴だと思う。
傍から見聞きする分にはいいけど直接は接したくないタイプ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:38:13ID:1ZI4RVNfどんなエピソード2?
教えてくれといったらやっぱりスレ違いかのう?
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:53:45ID:u8IUHEAzだからさ…
実際に貧しさを訴えでて暴動も幾度も起きてるだろ
天領でも領民が貧しかったのは事実だよ
現実を否定する意味がわからん
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:01:00ID:+7Isozqnこのことをもって叩くのは筋違い。
後に上杉家が会津から米沢へ移ったことがこの説に拍車を駆けた。
実際には6万石程度。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:02:39ID:j5idIIgYそんなこたあわかってるよ。
あくまで比較の問題だ。
天領でも飢饉の時や悪代官のせいで
領民が酷い目に合うことはあるだろうよ。
そういうピンポイントの例を上げられてもね・・・
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:10:19ID:j5idIIgY徳川吉宗の改革のせいで五公五民にされた。
それでも外様に比べれば税負担は軽かった。
あと、天領の暴動とか一揆に関してだが、
それは必ずしも「貧しさを訴えて」のものではなく、
>>111の事例のように天領から藩領への鞍替えに抗議してのものとか、
今まで全然年貢を取られてなかったのに
改革で取るようになったのを抗議してのものとかいう事例も多い。
>>122
ググればわほかるよ。
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/kikin.htm
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N309L200.HTM
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:10:33ID:6LgNpXIL日本は敗北したが、戦後、日本は発展したんだから、
牟田口は悪くなかったというようなすり替えにみえる。=直江擁護
直江が戦略を見誤り、戦術的にも最上に負けているのは事実だが。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:20:36ID:1ZI4RVNf撤退戦はうまくやったんじゃないの?
兼続自身は弱音吐いて、前田慶次郎に叱責されているっぽいけど。
関が原の戦いで石田三成がたった一日で敗北するなんて考えなかっただろうし。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:27:36ID:j5idIIgY天領でも「暴動があったから貧しかった」という理屈なら
現代でもメーデーでの講義やストライキや騒動や生活保護者があるから貧しい」という事になってしまう。
そもそも一揆=暴力行為というのは間違いでほとんどは抗議や直訴程度のものなのだが。
あと、農業には必ず凶作がある。
1993年米不足では日射量不足が原因で日本中大飢饉だった。
特に東北や北海道では収穫ゼロの農家が相次いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90%E3%81%AE%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
こんな時にはどこの地方の農民でも植えるだろう。
それで天保の飢饉の時は天領でも「食い物くれ」騒動が起こり、幕府は
蔵を開いて備蓄米を出して民を救ったりした。
しかし、大名たちはそんなわけにも行かず特に農民たちはほとんど飢餓で全滅した。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:30:23ID:j5idIIgYhttp://lin.lin.go.jp/alic/month/dome/1993/nov/ryutu.htm
こういう状況なら天領だろうと、どこだろうと
騒動は起こるだろうが。
ましてや、農業技術が低い昔なら、
なおさら飢饉の年は多かった。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:40:28ID:u8IUHEAzお前は天保の飢饉で幕府に対して起きた大塩平八郎の乱を知らんのか
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:42:51ID:j5idIIgYあのさ・・・・
君、俺の文章読んでないだろ?
飢饉の時はどこでも
そういう騒動は起こるんだよ。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:48:39ID:j5idIIgYそもそも、それが本当に天領の民が餓死する程のものではない。
平成米不足同様に満足に米を食えない不満とか
大商人による買占めに不服を感じて起きた事件だ。
それのどこが「天領の農民が・・・」と繋がるかわからん。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:02:02ID:nz2H5nsG1.
黄金をばら撒いた時に、他大名が触って物色する中、
直江だけが扇子の上で転がしたりしているだけだった。
そこで伊達政宗が陪臣の立場である直江が気後れして
触っていないのだと思い、「手にとって見れば?」といって
気を使ったところ、直江曰く「先代謙信公より采配を預か
る身にて黄金(のような下品なものを)を触るつもりはない。」
2.
江戸か大阪か忘れたけれど、陪臣の直江が大名である政宗
とが城の廊下で対面した。陪臣である直江は当然礼をすべき
だが無視して通り過ぎようとしたので、政宗がとがめたところ、
直江曰く「戦では後姿ばかりしか拝見しなかったので、顔が
わからなかったので、他意はない。」(お前の後ろでくっついて
たんでわからんかった。おまえはつよいあーすごい。)
と言われたので政宗はそれ以上何もいえなかった。
(同陣でも戦で後ろ姿だけって事は無いだろう普通。)
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:41:50ID:u8IUHEAzいい加減ログ読めよ…
その事を何度も言ってるんだろ
どこも貧窮してた
天領に限って暮らしがよかったなんて事はないんだよ
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:57:28ID:TT2/aH4i西軍についた事を理由に直江=アホは短絡的すぎやしないか?
長谷堂の件にしても力攻めで城が落ちなかった場合に、城を囲んでじっくりというのは
寧ろ正道じゃないか?そして、撤退戦で名を挙げているんだし・・・。
そして、直江兼続の本領というのは領地経営にあると思うんだが。
武将としてはともかく(それでも凡庸ではないはず)、政治家、経営者と
しては一流の部類になるんじゃないか?
ファビョったように喚くお前らがわからん
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:57:42ID:nz2H5nsGがいう、「その時代」に暮らしがよかった国家なんてあるのか?
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:02:52ID:nz2H5nsG名臣といわれ、天下の三家老なんていわれてるが
過大評価って事だろ。
藩の再建治世家程度の評価なら多分叩かれてないと思われ。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:17:22ID:xKIST5qm0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:24:54ID:u8IUHEAz少なくても日本にはないな
だから天領だけが良かったような口ぶりで語るのはやめろと言っている
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:29:33ID:OyzRG2gqつまり幕府が諸悪の根源
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:34:00ID:nz2H5nsG世界でもどうだ?
今の時代でもどうだ?
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