【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0408名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:45:22ID:D9s9r47A須田・芋川・色部・千坂・長尾・清野・平林って、いずれも家老クラスの
重臣ばかりだな。
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:33:28ID:ulaUoMbRこの時期は米沢藩だけが財政苦だったわけじゃない。
米沢藩がトップクラスの貧乏藩だったのは間違いないが何処の藩も苦労してんだよ。
鷹山来なかったら米沢藩は変わらなかったって?
そうかもしれんが現実には変わってるわけだ。
領民の考えや意識が変わっただけでも凄い事だぞ。人間年齢を重ねれば重ねる程己の意識や考えを変え様としない。
>>408
七人の重臣の反乱だから七家騒動。
ちなみに切腹させられた芋川家と須田家は二年後に許されている。
七家騒動の首謀者藁科立沢は斬首になったが息子の立遠は鷹山に養蚕業を薦めた人物でその功績により御記録所勤めに取り立てられる。
NHKその時が歴史が動いたでも放送されたが鷹山35歳までの改革は失敗している。
漆・桑・楮の三百万本の植樹は未達に終わり漆を原料にして作られた蝋燭も全く売れず。
重臣にイエスマンばかり起用したせいで竹俣当綱の不正の発見が遅れ、とどめは天明の大飢饉。改革失敗の責任を取る形で藩主の座を降りた。
10代藩主冶広時代の改革は鷹山の改革とは違った方向の改革をしたが領民はついて来なかった。
領民からは鷹山時代の改革に戻せとの声が多く上がって再び鷹山が表舞台に登場した。
0410名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 17:50:00ID:rdPXLJc6いいかげん、あきらめろ。
君の言っていることをどんなに積み上げても、米沢の人間=上杉がすごいという理由にはならない。
借金背負ったダメ人間が、いい弁護士とであって、借金をゼロ近くにまで返済した。
このダメ人間は、普通に貯蓄した人間よりも有能だろうか?
ちなみにそのダメ人間の人生(藩の一生)のうち、上手くいったのは、その弁護士と二人三脚であゆんだ
ほんの一時期だけだったとする。
すごかったのはダメ人間? 弁護士?
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 18:43:13ID:dJ+kVHhHただそれが
都合の悪い事は一部の特定人物に押し付け
都合の良い事は自分たちの努力とかいう
偏った発想になってるのが感心できないだけ。
なんつーか「お前のせいじゃなくて♪ お前のおかげ♪」とか
いう歌詞の歌があるけど、もっと人間、功罪両面で見ないとね。
養子を出してくれた吉良や米沢藩の礎を作った直江にもっと感謝しても良いと思うんだが。
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:11:58ID:3Esnrqtu0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 06:49:41ID:B/NXct9G改革しようとしても官僚やら族議員やら地方自治体やらに抵抗されて全然うまく行かないね。
良い意味での独裁がないと改革はうまく行かないんだろう。
長州や薩摩みたいに借金踏み倒すわけにもいかんしね。
かなりスレ違いな雑感でした。
0414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 06:47:35ID:Tk5p70sFただの田舎たたきだと思っていたけど、ここを見るとあながち間違っていないかもしれない。
よいことは俺らの為したこと
わるいことはよそ者が持ち込んだこと
事実はまるで逆なのに。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:41:02ID:Ce80QaOC彼は楽天的なエゴイストで、時代や流行から超然とした耽溺派であった。
この男は時代や流行に投じる媚がなかったが、時代の流れから投影される理想もなかった。
彼は通俗の型を徹底的に軽蔑し、通俗を怖れる理由を持たない代りに、
ひとりよがりで、三成すらも自分の趣味の道具のひとつに考えているばかりであった。
家康も直江山城を怖れなかった。怖れる理由を知らなかった。
直江山城も家康を嫌っていたが、それはちょっと嫌いなだけで、実は好きなのかも知れなかった。』
(坂口安吾「二流の人」)
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:01:55ID:Ce80QaOC今読んでも人物造型が新鮮で面白かった。家康も秀吉も黒田も直江も
みんなキャラが立ってて魅力的でした(伊達政宗がイマイチなのもイイ!)
坂口安吾は新潟出身だけど、ひとひねりある上杉ファンという感じで
なかなか魅力的でしかもうがった直江や上杉家の描き方をしています。
安吾には「直江山城守」という短編もある。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:18:54ID:TW7aTLFu世間知らずだな
どこでも郷土ゆかりの武将は祭り上げられてるわ
それが当時地元民が見限った武将でもな
0418名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:27:52ID:r/UmDa210419名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:42:00ID:E++2pBxz中で最も外征に積極的で、秀吉をけしかけた、なんて平気で嘘を書いている。
伊達政宗にコンプレックスもっていたとしか思えない。
あまりにも適当極まりない政宗像なので、宮城県民から総すかんを食らっている。
本人も気にしたらしく、牡鹿半島へ旅行したときは、子供から石までぶつけられ、
ガキ相手に睨み返した等、被害妄想的に書いているのが微笑ましかったな。
0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:49:46ID:jUFfl9fK歴史家じゃなくて小説なのに。
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:58:29ID:r/UmDa210422名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:02:18ID:8rXmuc2tアホか
単に小説家として、伊達政宗に人間類型としての魅力を感じなかっただけで、
コンプレックスも何も関係あるか
安吾は、大して伊達政宗に関心も興味もなく、単に当時の一般的な政宗像に
まんま則って書いただけだろうに
主人公ですらないチョイ役まで、いちいち史料に当たって書けるか
伊達厨は、どうしてこう都合よく誇大妄想的になれるのか理解できん
0423名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:06:15ID:r/UmDa21史料当たってない、史実と違う、とツッコミ入るのは当たり前だと思うぞ。
そもそもここに書き込むって事はそういう反応を期待してるんだろ?
小説としての面白さの話なら該当のスレや板に行けばいいんだし。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:11:59ID:66e9dMzZその小説に直江がでてくるんなら別に内容について語っても
何もおかしくないと思うが。直江や上杉もの書いてる作家みたいだし
伊達厨の脈略のない自慢や、天領の年貢の話を延々続けたときより、
よっぽどスレタイどおりでは?
0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:23:38ID:66e9dMzZ勝手によそのスレまできて、何を文句つけて逆上してるんだ??
他スレの話題まで、排他的に押し付けるな
0426421
2006/09/20(水) 10:30:02ID:r/UmDa21引用から始まってて面食らっただけなんだが。
他スレでは普通、だからここであっても普通、という認識で良いって事ね。
0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:42:38ID:0LoSP+zC正論だと思う。折角上杉や直江の話を誰かがふっても、言葉尻を捉えて
すぐ伊達と関係ある話ばっかりにつなげようとするし(伊達スレでやれ)
結局同じ話題がループして、叩きあいの繰り返しでちょっとうんざり。
正直、伊達厨は巣に帰ってほしい。
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:48:34ID:7BQt4vE+殿様と家老という身分の違いがあるので、政治や軍事では同じ土俵で比べられないけど、文才ってのは同じ土俵で比べられる
漢籍などの知識では、断然直江が上だよね。
でも、詩歌、という点が、直江が(知識人にしては)弱い部分で、負けてる
「義」という直江が信奉する道徳を、屁とも思っていないようなやつに負けている
これは、悔しかっただろ
だから、ああして殿中でイチャモンつけたんじゃね
0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 11:02:29ID:r/UmDa21古い話だが三船の才の故事とか。
0430名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:07:06ID:D6XomfJEそういう話をすればこういう流れになっても仕方なかろう。殿中とか長谷堂とか。
それが嫌なら、完全に領内で完結する話をすれば。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:16:41ID:l2m+U1U6過去ログ読み返してみろ
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:26:06ID:l2m+U1U6考えてみろ 厨がひどすぎるからだろうが
0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:39:48ID:D6XomfJEどっちにしても、完全に領内で完結する話をしたらいいよ。
0434名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:53:55ID:vTGWTQPMこの矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気。強弁擁護する人達…
要するに、オマイら伊達コンプレックスか。なるほど…
確かに伊達と比べると何一つ勝っているところが…
こういうのを書き込む厨はうざくないとでも?しかも何の脈略も根拠もなく。
だからどこでも嫌われるんだよ。
0435名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:54:11ID:w6qNEjwI0436名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 13:08:15ID:OBIzE5Xgあぁ確かにそういう厨と似た様な臭いのするアンチはうざいわな。
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 13:24:22ID:TwJe6SQi0438名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:33:17ID:odn9sVeA大納言・藤原公任か(藤原道長の従弟)
三舟の才(漢詩・管弦・和歌)
上杉謙信も、管弦(琵琶の名手)と、
和歌(細川幽斎から古今伝授を受けた)は当代屈指の名手だった
漢詩も優れていたが、源氏物語や太平記をこよなく愛したことは有名
信長の野望にはまったく反映されてないけどねw
0439名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:36:25ID:odn9sVeA今日最も高く評価されてる点は、
北大路魯山人や海原雄山や味皇も真っ青のグルメ家であったという点
作法から調理法まですべてにおいて、
伊達政宗ほどグルメを極めた武将は戦国江戸通期でも一人もいない
0440名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:47:31ID:sZB/byUq0441名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 00:16:41ID:9wdGs0qA言ってることはだいたい間違っては無いとは思うがwww
>戦国江戸通期でも一人もいない
てとこは微妙だがな。
0442名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:47:27ID:FPyHHPzyここは、直江を語るスレ、でしょ。直江をマンセーするスレ、ではなく。
だったら、直江との比較、として隣国の奴を大いに語られるべきでしょ。
直江と無関係に語ったらスレ違いだけど。
直江をマンセーしたいなら、スレ名をマンセーするスレ、を立てればいいじゃん。
伊達と比較されたくないなら、殿中で伊達に無礼を働いている直江本人が悪いわけで、直江本人に文句を言えばいい。
それこそ、先ず閻魔大王に掛け合ってから
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 03:04:28ID:K2hOXFyvまあまあ。お前も落ち着けよ。マンセーもそうだが、過度なアンチも
五月蝿いんだよ。まったり語ろうよ。
0444名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 03:29:49ID:O30zgF/s0445名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:01:25ID:KmqTgFa5いや伊達自身が名調理師というわけではない。
もっぱら食う方としての側の話だ。
それとグルメすぎて胃を壊したとか情けない話も多い。
>>444
その「250万石」とかいうのが
開墾とかの賜物だけではなく、
固定相場制で領民から無理矢理買い叩く文含めての話しと思われ。
0446名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:07:02ID:KmqTgFa5領民が自分たちで消費するわずかなに分以外全て藩にわずかの金と引き替えに
強制的に納めさせる制度であった仙台藩の実質の石高は
せいぜい120万石程度だったと思われ。
0447名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:16:25ID:jaxwILz8自分で見事に包丁式やれた大名では、細川幽斎・忠興のとこがそう
忠興が、利休の前で魚を捌いて包丁式やって見せてるよ
0448名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:24:18ID:dn+Q1YWp一切、手を触れずに魚を捌くやつね
0449名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 05:12:47ID:O30zgF/s0450名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 06:02:52ID:Eq2z/wEcこの書物自体が、上杉にとって、政宗と戦えたということがいかに
名誉なことだったかが全編に渡って記されている。
この本の中で、直江の人物像が描かれている。人に決して頭を下げる
をよしとしない人物だったとある。それが登城中で、幕府の要人とす
れ違おうともスタイルは同じ。
政宗が座興の席で出した小判を直江は扇で受け取り、このような卑賤
なものは直接手では触れないと語っている。
対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。
0451名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 06:20:38ID:BCQEWhKw兼続への評価はさっぴいて考えなくてはならない。
0452名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 08:57:28ID:dpJ2D2/q0453名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:32:41ID:M/PUPP560454名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 10:37:41ID:JSFivn9d> 対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。
直江が変わり者なら、政宗は奇人変人か狂人としか思えない。
0455名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 10:53:02ID:VDuv3ajs0456名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 11:06:56ID:0mraRwdXいつも通り、ごく普通に過ごしてる姿を一々メモってたらやだよ、
個人の日記じゃないんだからw
0457名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 16:10:58ID:gjZGID3B直江が大秀才であるにもかかわらず、ちょっと弱かった部分だね
この部分を持ち合わせて居たのが、隣国の伊達政宗という奴
好対照だね。
0458名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 17:12:58ID:M/PUPP560459名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 17:29:01ID:IiWrpxsHビールを飲んでいた連隊長を、義憤にかられて怒鳴りつける姿など
酷似している。戦いはヘタ。長谷堂の義光はさしずめ、ジューコフのように
直江を翻弄し尽くした。
0460名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 18:06:56ID:8Nr9+mib0461名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 18:30:15ID:9wdGs0qA0462名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 19:44:29ID:KmqTgFa5でも、その最上はあっと言う間に取り潰されたんだよな。
0463名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:14:06ID:6QseYasx藩が取り潰されなければ軍は強いのか?
前の方にも長谷堂で長期化しても最上が落ちない可能性が
高く戦略、戦術共に最上が上杉、直江を上回っていた。
と書かれたら、最上は取り潰された云々書いてる奴がいたが
後継者の内紛があれば直江の軍略が
最上を上回ったことになるのか?
軍の強さと後の内紛はどう関係するんだ?
もう少し考えて書き込むべきだと思うぞ。
少なくともアンチを本気で駆逐したいなら。
0464名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:23:32ID:VFpl9zOH石田三成とかも秀才肌の人間
突き詰めていくと、
秀才肌の人間は評価の基準が外にあるのに対して、
天才肌の人間は評価の基準を内に持っている
天才肌=内向的で直感的
秀才肌=外向的で思考的
0465名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 22:29:18ID:0mraRwdX0466名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 23:38:23ID:gt5xLAAj直江は本陣を切り立てられ、切腹覚悟するような有様だったし。
よく巷に出回ってる読み物だと、なぜか直江の手柄になってるけど。
0467名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 01:10:02ID:Lb+7ndJPそもそも何で撤退戦するんだよ。
城が取れなかったから、戦略がマヌケだったから、方針が間違っていたからじゃね?
撤退戦は見事だった
撤退戦はすばらしかった
撤退戦の名人!直江
特技:撤退戦
ず〜っとやってろって
0468名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 12:28:37ID:mbYxyj41撤退戦が上手かったで評価されると言う事は実際には侍大将レベルの話で
120万石の藩の宰相、将帥としては侮蔑以外何者でもないんだけどな。
金ヶ崎でも撤退戦で名をあげたのは部将である羽柴や佐々であって
信長が撤退戦で評価される訳が無い。
信長が仮に評価されるとしたら、機動力であって、撤退戦の見事さではない。
退き佐久間、遁弾正でも一部将だから誉め言葉なのであって、120万石の宰相が
撤退戦上手じゃあ話にならん。少なくとも、将帥の器ではない。
0469名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 12:42:25ID:E6Tkj3ELそれくらい自分で調べろよ
主だったところで新発田重家の乱鎮圧、佐渡鎮圧、北条攻め
0470名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 15:22:49ID:XrWuBAKB0471名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 15:52:14ID:m4zCCWYp中国から女あてがわれる外交官と一緒。
0472名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 18:09:26ID:bRcecpUy0473名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 22:31:32ID:Yr6leUurその通りで、外交官の背後にある日本、直江の背後にある上杉家が真の目的。
秀吉は、「人たらしの名人」といわれ、懐柔できる家老を狙っては懐柔していた。
直江は、懐柔される奴として眼を付けられたに過ぎない
0474名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 22:40:03ID:fW3Q3VT20475名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 22:55:11ID:m4zCCWYp120石高に捕われず冷静に考えると、秀吉にしてやられたのかもな
0476名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/22(金) 23:05:36ID:tSoY93GS0477名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 03:34:14ID:IbUN3BBNま、断ってるんだけど
ちなみにこの人は家康にも懐柔されそうになった
やっぱり片倉と比べると・・・なんかなぁ
0478名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 06:44:12ID:I309iCURされそうになった、と言うと片倉にもその気が合ったような言い方だな。
実際には迷うことなく初手から跳ね除けてるし。
0479名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 06:58:31ID:AEUmR8Kn一見堅物そうだが、漢詩などもエロさが漂っている。
織女惜別
二星何ぞ恨みん隔月に逢うを
今夜床を連ねて鬱胸を散ず
私語未だ終わらざるに先ず涙をそそぐ
合歓枕下五更の鐘
0480名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:32:18ID:IbUN3BBNうむ、確かに
0481名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 11:54:25ID:YfqTdZ+Mいいんじゃない。>直江エロ説
0482名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 12:08:22ID:/r7KNI+/0483名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/23(土) 17:19:01ID:OgyopnIy徳川にも懐柔された、といっていいんじゃない。独自の江戸屋敷なんかもらって、いい気になってたみたい。
独立した江戸屋敷をもらう=藩の命令系統が2つに割れる=団結した決然とした行動が取れなくなる
上杉は、直江さえ懐柔しておけばいい、ってことで、豊臣も徳川もやりやすかっただろう
0484名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:02:49ID:Rex1XuR6自身が優秀だから優遇されて誉められている、とカン違いしてテングになってしまったことである
0485名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:26:37ID:PHWngRXdしかも自分が上杉家という名家を背負う立場にあるなら尚更だろ
むしろ主と仲の悪い大名との間を取り持ったりしなきゃならん立場だろうに
0486名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:27:22ID:tz1wLI2b懐柔されたのは徳川の方かもしれんがな
戸田氏鉄や土井利勝を籠絡するなんて普通じゃないぞ
特に戸田なんて、アンチ上杉の急先鋒だったのに
0487名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:47:01ID:PHWngRXd毒饅頭食らわしたんだろ
0488名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 02:50:14ID:7qxLiKVWちょっと話が戻るけど、確かにお家が吉良に乗っ取られたのは、吉良が悪い、というよりも、
「吉良しか養子を出してくれる友達が居ない上杉家の孤立」こそが問題
直江時代に人脈が出来なかったから、友好藩が少なかったんじゃまいか?
直江みたいな高慢ちきな奴じゃなく、人事を刷新してフレンドリーな奴を家老にしておけば、違っていたんじゃなかろうか?
0489名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:02:11ID:EuBJyMVK別に乗っ取られてなんかいないだろう。
当時は養子相続なんて当たり前だし。
0490名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 07:11:35ID:6hDHWBjS再三言われてるけど、そもそもいわゆる逸話以外で「史実として」
無礼な態度をとった記録がないからそれは難癖にしかならなくないか?
0491直江の兜
2006/09/24(日) 10:43:54ID:YnhEU3kK0492名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:35:37ID:F18QG3HB「受」からはじまった稚児小姓:与六が成長して、
点だのヒゲだの少し増やして「愛」になった。
0493名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 11:51:26ID:EuBJyMVK0494名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:31:35ID:gYRhAToe俺もそう思いたい。というか、義理人情に厚くて信頼できる人物
で…て最初の印象みたいなのがあるから、そういう不思議な逸話を信じたくない。
二つ三つそういう逸話があるのはちょっと…とは思うが。
>>493
何が?
0495名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 16:50:23ID:DPR+ztcU前田方の史料だから信憑性は?だけど
0496名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 17:20:01ID:J9enR60R綱勝急死後の跡継ぎ候補は二人いた。
綱勝の妹と吉良上野介の子と、もう一人は謙信時代に養子として上条家を継いだ上条政繁と景勝の妹(姉の説もある)の子孫。
家臣の多くは綱勝が吉良家を訪れた直後に腹痛と嘔吐を繰り返した挙句に急死した事から吉良家に疑いの目を向けていたため上条家の子孫を押す声が多かった。
そこへ綱勝の正室の父であり幕閣でNO1の実権を握っていた保科正之が米沢に来て独断で吉良家の子を跡継ぎに決めた。
家臣の多くは不満を抱きながらも渋々これに従う。
本来なら御家断絶であった上杉家が半知になったとはいえ生き残れただけでもよしとする考えに変わった。
保科正之の対応に恩義を感じた米沢藩は後の戊辰戦争の時に会津藩生き残りのために奔走する。今でも米沢市と会津若松市は親交が深い。
それと友好藩が少なかったと買いてるが上杉家は他藩より御家断絶の危機に晒されている。
けど、全て他藩が上杉家存続のために奔走している。
譜代大名でも御家断絶になりやすかったのに外様大名でこれだけしぶとく生き残った藩も珍しい。
0497名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:26:34ID:yILp3oCLエピソードを史実で無いと片付けられるなら、世の中に伝承されているエピソードが全部価値無いってことになっちゃうよ
やはり、直江が傲慢な奴だったというエピソードが複数伝承されている、ということは、
大体そうゆう奴だった、と考えるのが自然ではないだろうか
0498名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:50:31ID:GZcqKf6R本多正信とのパイプをつくり、10万石分の役儀の免除を得たりもしているし、
外交面ではかなり上手くやっている感がある。直江兼続という人の本領は、
領内の統治や外交にあるんだと思う。
>>497
誰もそんな極端なことは言ってないだろ。直江の場合派手な逸話が多く、それが一人
歩きしている感があるという話。
0499名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 02:54:07ID:wNuMXyQ30500名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 06:51:04ID:wdrkJuQ9米沢住民うんぬんと同じく、都合のいいところは逸話OK、
都合の悪いところは逸話は史実じゃない、じゃ、肩手落ちが過ぎる。
0501名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 12:32:55ID:YYrtHmpW当時男色の相手だったのは(特に後に栄達した場合)恥ずべき事でも何でもなかったわけで。
相手が謙信であれ景勝であれ、本当に関係があったとしたらどこかにそういう話がちゃんと
残ってる方が自然だと思うんだが、不思議とどこにもないんだよな。
0502名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 13:15:11ID:ik9pqEaA信玄の手紙だって絶対あれ一枚だけじゃないと思う
0503名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 13:44:06ID:gS3KysVv叩きたい奴はどんな理由を引っ張り出してでも叩きたいだけだよ。
まともに相手にするな。
直江兼続が本当に陰険で卑怯で薄情な人物なら勝ち目の薄かった御館の乱で景勝を見捨ててるはずだ。
その後の織田軍侵攻でも滅亡直前まで追い込まれていながらも最後まで裏切らなかっただろ。
武田家を見てみろよ、命欲しさに家臣のほとんどが武田家を見捨ててんだぞ。
大坂の役で不仲だった安田の手柄を申告しなかった等の嫌な部分は確かにある。
けど、人間は神じゃないから全員平等には見れない罠。どうしても贔屓目が入ってしまうよ。
0504名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:22:27ID:EF/0tWeBそれから、外様はどんどんつぶされた、というが、それは豊織政権下で大名になった家だ。それ以前から元々大名だった外様はそんなに潰されて無くないか?
直江の内政が良かった、というなら、他家よりも発展した、ということを示さなくてはならない。
とくに同条件だった毛利よりも発展しているか?
0505名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 15:54:19ID:gS3KysVv特に家康、秀忠、家光の三代で131家の改易と圧倒的。
更に関ヶ原の合戦後に88家が改易されているので三代での改易数は219家で江戸時代全体では336家でお世辞にも少ないとはいえないな。
有名どころでは福島家に加藤家に播州浅野家といったとこか。
0506名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 18:49:37ID:GZcqKf6R幕府にとって目障りだったり、落ち度があったら容赦なく潰されているぞ。
最上氏が良い例だろう。あと、里見氏や筒井氏とかも潰されている。
0507名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 20:18:17ID:3hXtegE2取り潰しまでに何度も幕府使者が建て直そうとしたが、内紛が納まらずに止むなく改易。
幕府がそこまで肩入れした背景には、義光とか家親とかあると思われるが。
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