【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0359名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 18:55:52ID:epbnn6VG秀吉の腹は伊達対策に決まってるだろ。会津は伊達の旧領で、
火薬庫みたいな場所だ。景勝にとっては迷惑な話だったが。
会津が伊達の脅威にさらされているのは上杉自身、認めている。
「蓋し福島、梁川は伊達政宗を押える枢要の地たるに依而本庄、須田両豪家、
其撰に当るものか」(「上杉文書」)
0360名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:11:26ID:voWTviyN0361名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:21:20ID:2bx5qZmT御館の乱以降のガタガタな内部を纏めて、景勝の正統性を主張するために
謙信公のカリスマを利用したに過ぎないと思うのだが。
俺も兼続は性格悪そうな人だと思うんだが、
かといって義だ何だとその辺で嫌悪感を抱くのには違和感がある。
>>351
調所広郷の改革の成果。
その過程で奄美琉球の搾取や密貿易の拡大もしているが、借金対策も大きい。
調所の前にも蘭癖大名重豪が幕府への影響力を拡大していたが、
そのために財政を逼迫してとんでもないことになっていた。
>>354
惟宗氏は秦(はた)氏の一族。
似たようなのに後漢霊帝の子孫を名乗った坂上氏なんてのもいる。
0362名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:34:06ID:wkWCUzUY秀吉の時代すらも伊達中心の妄想かよ、幸せなやつだ
0363名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:44:35ID:NAOSCXZP義ーだの「謙信公に采配を任された」だの言って、家中で権力を拡大していったんだろう。
あと、景勝の寵愛と秀吉の都合だろう
0364名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:45:29ID:nP1NoPxC上杉を本拠地からずらして弱体化させるのが本音だろ。
家康の関東移封とか。
0365名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:47:24ID:F4l1yF2O0366名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:47:33ID:m6MWQ6Jbだろう、だろう、て想像かよ。
0367名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 19:59:23ID:7UJ/QArb0368名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 20:19:20ID:voWTviyN経済的に改革があったからではなく、
単に商人からの膨大な借金を踏み倒したからだろ。
それに尽きる。
0369名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 20:33:13ID:6Z096M6V義ー義ーなんて言ってるのは無双の中の兼続だけですから。
ゲームと現実を混同して想像の中の兼続像を勝手に作らんように。
漢籍、儒教に造詣が深かったとはいえ、ね。
0370名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 21:00:43ID:VbRbt9fP蒲生・佐竹・上杉の三者体制で抑え込むのが理想的だったような
氏郷が欠けたのが痛すぎる…
0371名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/15(金) 21:02:16ID:voWTviyN含めての話じゃないのか?
領民から二束三文で物資を買いあさるあれね。
独り言なんだが、このスレ読んでると
正義とか悪とか立場によってガラリと変わるもんなんだとわかる。
幕末の薩摩・長州の借金踏み倒しも
薩摩・長州のファンには痛快な話なんだろうが。
債権者の商人にとっては地獄のように理不尽な話しだからね。
0372名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 01:28:59ID:yiEUhavE「義」が家中で飽きられて、次は「愛」にしたんじゃね。でも、景勝に見捨てられた。
そのまんま逝ってたら、次は「何」を掲げるつもりだったんだか?
0373名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 02:12:00ID:o/RQ+dxGゲームの中だけ。「愛」も愛染明王の「愛」らしいが・・・
0374名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 02:21:58ID:eI+FjK5N伊達藩は固定相場で買い取ってたからな
0375名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 04:10:47ID:h/bC5FRW上杉史年表からも伺えるな。景勝が会津に移封したのは、慶長3年の
3月のことだが、何とその月に、伊達政宗が攻めてきて、それを撃退し、
3月29日に兼続が諸将にに感状を与えたとある。
この頃、伊達政宗は京の伏見屋敷に在住して、秀吉らと有名な醍醐の花見
などに列席している。幻覚を見たのだろうが、伊達勢が何かちょっとした
動きを見せると、政宗本人が攻めてきたと、たびたび記されているのをみると
気の毒としかいいようがない。
すべては氏郷の死が引き起こしたことではあるが。
0376名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 04:39:11ID:4YgabpCk伊達がいるんだから過剰になってもしかたあるまい。
0377名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 09:57:43ID:pQR+kDBG0378名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 10:11:51ID:XUQl4NpNまぁ、それが本音だろうて。
もちろん隣接する大名への牽制とか新しい領地を治めるだけの器量とかも当然理由としてあるだろうが。
将来豊臣家を脅かす勢力になりそうな大名を出来るだけ大坂から遠ざける。
新しい領地へ移るとなれば莫大な大金を使う事になる。
領内を治めきれなかったら佐々成政と同様に切腹させて責任を取らせる。
どういう形に転んでも豊臣家がおいしい思いをする様に出来てんのな。
0379名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/16(土) 10:21:39ID:qJZFvIVp太閤が天下人なんだから、そりゃそうだ
0380名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 12:36:41ID:GhLrK+q2利に釣られた松田の裏切りを許したのもおかしいし
0381名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 12:53:08ID:0nWEc25E天下統一できた面も大きいから、難しいところではあるな。
0382名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 12:54:20ID:/1nXa+npこの矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気。強弁擁護する人達…
要するに、オマイら伊達コンプレックスか。なるほど…
確かに伊達と比べると何一つ勝っているところが…
0383名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 13:03:03ID:LeusHrzd伊達厨よ、日本語でおk
0384名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 13:27:23ID:GhLrK+q2長谷堂でも伊達は兼続に撃退されたし
0385名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 13:42:46ID:LeusHrzd昔、上杉家も直江も嫌いだったんだけど(何というかこの人態度でかいし)
この頃その矛盾に満ちたあたりがかえって面白いと思うようになった。
0386名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 14:15:56ID:xbwYYD2P毛利は、小早川隆景と吉川元春の両川なきあと、凡人ばかりになっていた。
しかし、凡人ばかりだからこそ、凡人輝元を中心に団結し、開墾や殖産興業に励み、
士風も保たれ、豊かな藩になっていく。というもので、いい番組だった。
直江という、政治も軍事も外交も任された、特大家老の長期政権ってのが、果たして上杉にホントによかったのかどうか。
まあ、こればかりは直江本人に非があるわけではないけど。景勝と秀吉の責任かな
0387名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:01:37ID:03Om5swp>>384
長谷堂で撃退されたのは伊達じゃなくて直江だろーがw
0388名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:22:00ID:WAjY4koB>長谷堂でも伊達は兼続に撃退されたし
そりゃ、掃討・追撃戦のことだろ。撃退されたのは上杉。最上に援軍として派遣されていた
伊達政景の軍は、関ヶ原の敗報を聞き、米沢へ遁走する兼続を、最上と一緒に叩いている。
兼続は営舎を焼き、転がるように逃げ帰っている。
ちなみに、政宗は、この勝利の様子を家康の側近井伊直政へ報告している。
0389名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 17:40:17ID:hJd0pZqO伊達厨は、腐るほどある伊達スレへ帰ればいいのに
粘着も自演もいい加減にすればいいのに
0390名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:06:15ID:FnPfldfd> ちなみに、政宗は、この勝利の様子を家康の側近井伊直政へ報告している。
当時の武将が書いた書状が真実を語ってるわけじゃないことは知ってるよね?
そう。これもいわゆる「大本営発表」ってやつさ。実際には勝っちゃいないのさ。
0391名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:20:13ID:GhLrK+q20392名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 18:28:40ID:WAjY4koB劣勢著しい上杉が伊達を「撃退」したとはとお世辞にも言えない、とレスしたまでのこと。
反論があれば「撃退」? した、のそのソースを示すのが先だろ。
長谷堂城では兼続が十日以上包囲しても、義光は動じていないし、上山で上杉が大敗したことも事実。
兼続の指揮に疑問を呈した上泉泰綱は、その進言を聞き入れられず、里見に攻められ、戦死してもいる。
直江が、戦術家としても失敗を犯した事実は変わりはないよ。
0393名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 19:53:37ID:A3k/xO3y十日で落ちる城ってどんな城?
きちんと守りが固められた城が十日程度で落ちるわけ無いと思うけど。
0394名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:10:53ID:03Om5swp何度も攻撃失敗して攻めあぐんだのは、時間が無かったとは別だろ。
0395名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/17(日) 20:24:01ID:k+f2hnOZ上杉方の白石城。
千人近い兵力に守られていて、たった2日で落ちたよ。
0396名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 00:44:39ID:P3PliyDgどうせ断念するんだろと思ってたら家康死後マジで挙兵して
幕軍と戦い出したからびびった
0397名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 01:31:49ID:W+dOI3Sr上泉泰綱かわいそう。(つД`;)
白石の甘糟は、直江のヘタレ指揮に対する仕事ボイコットでしょ
0398名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 02:31:17ID:D9s9r47A本文くらい読もうね。「きちんと守りが固められた城」でしょ?志村伊豆の籠る長谷堂と、
城主不在で、いるのはヘタレ(としか思えない)登坂だけの白石とは比較できまいて。
>>397
本当にお前いろんなとこに出てくるな。甘糟は白石城を守っていたが、会津にいた
奥方が亡くなったそうで、白石を空にしていたらしい。そこを攻められて落ちたらしい。
やはりこの不手際に上杉景勝は激怒したらしく、直江がかろうじて取りなしたらしい。
ちなみに、甘糟自体は徹底抗戦を主張したらしいな。
0399名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 03:18:11ID:rdPXLJc6うーん、でもその「白石城はきちんと守りを固められなかった城」という解釈はおかしくないか?
城主(代行)がへたれだからきちんと守られたうちに入らない、といっているわけでしょ?
城代も含めて城の防御能力=大名、武将の実力なんだから。
城主不在でそれこそ名も伝わらない城代が大軍相手に城を守りきった例など幾らでもある。
「登坂がへたれだから、白石城は落城のうちにカウントしないっ!」ていうのは、
上杉びいきの俺から見てもみっともない意見だ。
奇襲を受けたといっても白石城は十分な兵力を残していたはずだし、
そもそも奇襲を受ける受けない、城代を選ぶ時点で
すでのそこに大名、武将の器量、城の防御力、すべての能力が試される。
極論すれば、「登坂を城代に選んだ甘糟、甘糟を城主に選んだ景勝の責任」だ。
そこに目をつぶっては、この手の議論なんか何の意味もない。
0400名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 08:27:40ID:dJ+kVHhHなんつーか「綱憲の悪政があったおかげで後の上杉鷹山の功績が輝くわけだが」とか言ってるが、
都合の悪い事は外部の人間(つまり綱憲や吉良)に押し付けるくせに
綱憲と同じく他家から養子に来た鷹山は「上杉家の誇り」みたいな言い方している。
せめて、どっちかに統一して欲しいもんだ。
別に上杉鷹山は上杉家の血もたいして引いてないし、10歳で養子入りしたので
上杉の者に先見の明があったとは思えない。
そのうえ「上杉鷹山が上杉家家風の元、改革を行った」なんておせじにもいえないだろ?
なんせ七家騒動を見ればわかるとおり、上杉鷹山が生涯を通じて戦った相手は
まさに「上杉家そのもの」だ。別に外部の連中と戦ったわけではない。
鷹山は借金まみれの藩政を立て直すために上杉家の本流たる保守派の連中と激しく争い続けて改革をなしとげた。
上杉家があれだけ借金まみれになったのも、武士を減らさなかった事や
直江以来さして改革をしなかったことが主因で吉良や綱憲のせいで少々膨らんだ借金など副次的なものでしかないだろう。
それなのに「上杉家の英君、鷹山公の改革により直江や吉良のせいでガタガタになって藩政が立て直された」
みたいな意識になってるのはイタすぎる。
0401名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 09:51:18ID:T9yf9HEeあっちは、八幡太郎義家以来の御当主様だから
転封直後に即実戦ってのが、そもそも無茶だわ
0402名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 10:58:13ID:nMYh4TUmおまい、なんか勘違いしてないか?
>>48の書き込みは当時の米沢領民の気持ちを代弁してるだけじゃないか
個人の感情的な表現じゃなくて
そういった史料は今でも米沢に残ってるぞ
史料が信用できないなら直に米沢市民に聞いてみれば?
米沢市民の大半が上杉家の家臣や上杉家に仕えていた商人とかの末裔だから
0403名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 11:11:04ID:rdPXLJc6たとえ>>48が当時の米沢領民の声というか感情を代弁しているものだったとしても、
史実を考えていけば、上杉の困窮は上杉自身が生み出したもので、
鷹山は外から来た改革者であることには変わりがない。
なんというか、他県から集めて入学させた選手で甲子園に行った地元高校を
さすがオラの地元!!と大騒ぎする市民のような気持ち悪さがある。
0404400
2006/09/18(月) 11:11:07ID:dJ+kVHhHふーん、そうなの?
それがもしも史実だとしたら、あんまり失礼な事は言いたくないが、
米沢の人たち自身がイタイと言わざるやおえない。
自分たちでしっかりこさえた借金を全て吉良や綱憲に責任転嫁する癖に
自分たちが執拗に抵抗した鷹山の改革を「我らが鷹山公と共に成し遂げた」みたいな思考になってるという事か。
まあ確かに人間なんてものはそんなものだけどね。
都合の悪い事は外部の特定の人間に押し付け。都合の良い事は自分たちが成し遂げた。
みたいになるのは確かに普通って言えば普通だ。
0405名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 11:25:19ID:6oeyWng8薩摩・長州も完全にスルーしてるから、どこでも一緒だべ。
ザルツブルグもモーツァルト解雇して追放したのに、
モーツァルト生誕の地ということで、観光客呼びまくり。
0406名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 12:02:55ID:nMYh4TUmいくら鷹山公が名君とはいえ一人では改革はできんよ
多くの領民が賛同し協力してくれたからこそ改革が成功したんじゃないのか
鷹山公が普通の藩主と違ったのは自らも倹約したからでしょ
鷹山公以前の藩主も倹約令を出したりはしていたけど自らは倹約していなかったから領民はついていかなかっただけで
鷹山公の二代前の藩主宗房公は結構頑張っていたけど運悪く早世しちまったが
養蚕業を広めたのは表向きは鷹山公の功績だけど実質は側室のお豊の方の力だし
鷹山公の功績というのは米沢領民のやる気を引き出した点だとおもう
0407名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:38:34ID:rdPXLJc6そのやる気を引き出すだけの人材すら自前で生み出せなかったのは、どこの土地かね?
やる気を引き出すトップと言うのがいかに難しいか、
そういうトップがいれば、後の人間はどんなものでもなんとかなるというのが日本人の習性。
鷹山以前に上杉が自前で改革をしていて、その路線に乗っただけなら
そういう主張をしてもいいが鷹山の改革を見る限り、よそから鷹山が来なければ
何も変わらなかった、というのが米沢藩のクオリティだったことは間違いない。
0408名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 13:45:22ID:D9s9r47A須田・芋川・色部・千坂・長尾・清野・平林って、いずれも家老クラスの
重臣ばかりだな。
0409名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 16:33:28ID:ulaUoMbRこの時期は米沢藩だけが財政苦だったわけじゃない。
米沢藩がトップクラスの貧乏藩だったのは間違いないが何処の藩も苦労してんだよ。
鷹山来なかったら米沢藩は変わらなかったって?
そうかもしれんが現実には変わってるわけだ。
領民の考えや意識が変わっただけでも凄い事だぞ。人間年齢を重ねれば重ねる程己の意識や考えを変え様としない。
>>408
七人の重臣の反乱だから七家騒動。
ちなみに切腹させられた芋川家と須田家は二年後に許されている。
七家騒動の首謀者藁科立沢は斬首になったが息子の立遠は鷹山に養蚕業を薦めた人物でその功績により御記録所勤めに取り立てられる。
NHKその時が歴史が動いたでも放送されたが鷹山35歳までの改革は失敗している。
漆・桑・楮の三百万本の植樹は未達に終わり漆を原料にして作られた蝋燭も全く売れず。
重臣にイエスマンばかり起用したせいで竹俣当綱の不正の発見が遅れ、とどめは天明の大飢饉。改革失敗の責任を取る形で藩主の座を降りた。
10代藩主冶広時代の改革は鷹山の改革とは違った方向の改革をしたが領民はついて来なかった。
領民からは鷹山時代の改革に戻せとの声が多く上がって再び鷹山が表舞台に登場した。
0410名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 17:50:00ID:rdPXLJc6いいかげん、あきらめろ。
君の言っていることをどんなに積み上げても、米沢の人間=上杉がすごいという理由にはならない。
借金背負ったダメ人間が、いい弁護士とであって、借金をゼロ近くにまで返済した。
このダメ人間は、普通に貯蓄した人間よりも有能だろうか?
ちなみにそのダメ人間の人生(藩の一生)のうち、上手くいったのは、その弁護士と二人三脚であゆんだ
ほんの一時期だけだったとする。
すごかったのはダメ人間? 弁護士?
0411名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 18:43:13ID:dJ+kVHhHただそれが
都合の悪い事は一部の特定人物に押し付け
都合の良い事は自分たちの努力とかいう
偏った発想になってるのが感心できないだけ。
なんつーか「お前のせいじゃなくて♪ お前のおかげ♪」とか
いう歌詞の歌があるけど、もっと人間、功罪両面で見ないとね。
養子を出してくれた吉良や米沢藩の礎を作った直江にもっと感謝しても良いと思うんだが。
0412名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 20:11:58ID:3Esnrqtu0413名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/19(火) 06:49:41ID:B/NXct9G改革しようとしても官僚やら族議員やら地方自治体やらに抵抗されて全然うまく行かないね。
良い意味での独裁がないと改革はうまく行かないんだろう。
長州や薩摩みたいに借金踏み倒すわけにもいかんしね。
かなりスレ違いな雑感でした。
0414名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 06:47:35ID:Tk5p70sFただの田舎たたきだと思っていたけど、ここを見るとあながち間違っていないかもしれない。
よいことは俺らの為したこと
わるいことはよそ者が持ち込んだこと
事実はまるで逆なのに。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 08:41:02ID:Ce80QaOC彼は楽天的なエゴイストで、時代や流行から超然とした耽溺派であった。
この男は時代や流行に投じる媚がなかったが、時代の流れから投影される理想もなかった。
彼は通俗の型を徹底的に軽蔑し、通俗を怖れる理由を持たない代りに、
ひとりよがりで、三成すらも自分の趣味の道具のひとつに考えているばかりであった。
家康も直江山城を怖れなかった。怖れる理由を知らなかった。
直江山城も家康を嫌っていたが、それはちょっと嫌いなだけで、実は好きなのかも知れなかった。』
(坂口安吾「二流の人」)
0416名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:01:55ID:Ce80QaOC今読んでも人物造型が新鮮で面白かった。家康も秀吉も黒田も直江も
みんなキャラが立ってて魅力的でした(伊達政宗がイマイチなのもイイ!)
坂口安吾は新潟出身だけど、ひとひねりある上杉ファンという感じで
なかなか魅力的でしかもうがった直江や上杉家の描き方をしています。
安吾には「直江山城守」という短編もある。
0417名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:18:54ID:TW7aTLFu世間知らずだな
どこでも郷土ゆかりの武将は祭り上げられてるわ
それが当時地元民が見限った武将でもな
0418名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:27:52ID:r/UmDa210419名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:42:00ID:E++2pBxz中で最も外征に積極的で、秀吉をけしかけた、なんて平気で嘘を書いている。
伊達政宗にコンプレックスもっていたとしか思えない。
あまりにも適当極まりない政宗像なので、宮城県民から総すかんを食らっている。
本人も気にしたらしく、牡鹿半島へ旅行したときは、子供から石までぶつけられ、
ガキ相手に睨み返した等、被害妄想的に書いているのが微笑ましかったな。
0420名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:49:46ID:jUFfl9fK歴史家じゃなくて小説なのに。
0421名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 09:58:29ID:r/UmDa210422名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:02:18ID:8rXmuc2tアホか
単に小説家として、伊達政宗に人間類型としての魅力を感じなかっただけで、
コンプレックスも何も関係あるか
安吾は、大して伊達政宗に関心も興味もなく、単に当時の一般的な政宗像に
まんま則って書いただけだろうに
主人公ですらないチョイ役まで、いちいち史料に当たって書けるか
伊達厨は、どうしてこう都合よく誇大妄想的になれるのか理解できん
0423名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:06:15ID:r/UmDa21史料当たってない、史実と違う、とツッコミ入るのは当たり前だと思うぞ。
そもそもここに書き込むって事はそういう反応を期待してるんだろ?
小説としての面白さの話なら該当のスレや板に行けばいいんだし。
0424名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:11:59ID:66e9dMzZその小説に直江がでてくるんなら別に内容について語っても
何もおかしくないと思うが。直江や上杉もの書いてる作家みたいだし
伊達厨の脈略のない自慢や、天領の年貢の話を延々続けたときより、
よっぽどスレタイどおりでは?
0425名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:23:38ID:66e9dMzZ勝手によそのスレまできて、何を文句つけて逆上してるんだ??
他スレの話題まで、排他的に押し付けるな
0426421
2006/09/20(水) 10:30:02ID:r/UmDa21引用から始まってて面食らっただけなんだが。
他スレでは普通、だからここであっても普通、という認識で良いって事ね。
0427名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:42:38ID:0LoSP+zC正論だと思う。折角上杉や直江の話を誰かがふっても、言葉尻を捉えて
すぐ伊達と関係ある話ばっかりにつなげようとするし(伊達スレでやれ)
結局同じ話題がループして、叩きあいの繰り返しでちょっとうんざり。
正直、伊達厨は巣に帰ってほしい。
0428名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 10:48:34ID:7BQt4vE+殿様と家老という身分の違いがあるので、政治や軍事では同じ土俵で比べられないけど、文才ってのは同じ土俵で比べられる
漢籍などの知識では、断然直江が上だよね。
でも、詩歌、という点が、直江が(知識人にしては)弱い部分で、負けてる
「義」という直江が信奉する道徳を、屁とも思っていないようなやつに負けている
これは、悔しかっただろ
だから、ああして殿中でイチャモンつけたんじゃね
0429名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 11:02:29ID:r/UmDa21古い話だが三船の才の故事とか。
0430名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:07:06ID:D6XomfJEそういう話をすればこういう流れになっても仕方なかろう。殿中とか長谷堂とか。
それが嫌なら、完全に領内で完結する話をすれば。
0431名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:16:41ID:l2m+U1U6過去ログ読み返してみろ
0432名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:26:06ID:l2m+U1U6考えてみろ 厨がひどすぎるからだろうが
0433名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:39:48ID:D6XomfJEどっちにしても、完全に領内で完結する話をしたらいいよ。
0434名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:53:55ID:vTGWTQPMこの矛盾に満ちた不思議な人への不思議な人気。強弁擁護する人達…
要するに、オマイら伊達コンプレックスか。なるほど…
確かに伊達と比べると何一つ勝っているところが…
こういうのを書き込む厨はうざくないとでも?しかも何の脈略も根拠もなく。
だからどこでも嫌われるんだよ。
0435名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 12:54:11ID:w6qNEjwI0436名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 13:08:15ID:OBIzE5Xgあぁ確かにそういう厨と似た様な臭いのするアンチはうざいわな。
0437名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 13:24:22ID:TwJe6SQi0438名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:33:17ID:odn9sVeA大納言・藤原公任か(藤原道長の従弟)
三舟の才(漢詩・管弦・和歌)
上杉謙信も、管弦(琵琶の名手)と、
和歌(細川幽斎から古今伝授を受けた)は当代屈指の名手だった
漢詩も優れていたが、源氏物語や太平記をこよなく愛したことは有名
信長の野望にはまったく反映されてないけどねw
0439名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:36:25ID:odn9sVeA今日最も高く評価されてる点は、
北大路魯山人や海原雄山や味皇も真っ青のグルメ家であったという点
作法から調理法まですべてにおいて、
伊達政宗ほどグルメを極めた武将は戦国江戸通期でも一人もいない
0440名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/20(水) 16:47:31ID:sZB/byUq0441名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 00:16:41ID:9wdGs0qA言ってることはだいたい間違っては無いとは思うがwww
>戦国江戸通期でも一人もいない
てとこは微妙だがな。
0442名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 02:47:27ID:FPyHHPzyここは、直江を語るスレ、でしょ。直江をマンセーするスレ、ではなく。
だったら、直江との比較、として隣国の奴を大いに語られるべきでしょ。
直江と無関係に語ったらスレ違いだけど。
直江をマンセーしたいなら、スレ名をマンセーするスレ、を立てればいいじゃん。
伊達と比較されたくないなら、殿中で伊達に無礼を働いている直江本人が悪いわけで、直江本人に文句を言えばいい。
それこそ、先ず閻魔大王に掛け合ってから
0443名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 03:04:28ID:K2hOXFyvまあまあ。お前も落ち着けよ。マンセーもそうだが、過度なアンチも
五月蝿いんだよ。まったり語ろうよ。
0444名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 03:29:49ID:O30zgF/s0445名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:01:25ID:KmqTgFa5いや伊達自身が名調理師というわけではない。
もっぱら食う方としての側の話だ。
それとグルメすぎて胃を壊したとか情けない話も多い。
>>444
その「250万石」とかいうのが
開墾とかの賜物だけではなく、
固定相場制で領民から無理矢理買い叩く文含めての話しと思われ。
0446名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:07:02ID:KmqTgFa5領民が自分たちで消費するわずかなに分以外全て藩にわずかの金と引き替えに
強制的に納めさせる制度であった仙台藩の実質の石高は
せいぜい120万石程度だったと思われ。
0447名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:16:25ID:jaxwILz8自分で見事に包丁式やれた大名では、細川幽斎・忠興のとこがそう
忠興が、利休の前で魚を捌いて包丁式やって見せてるよ
0448名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 04:24:18ID:dn+Q1YWp一切、手を触れずに魚を捌くやつね
0449名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 05:12:47ID:O30zgF/s0450名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 06:02:52ID:Eq2z/wEcこの書物自体が、上杉にとって、政宗と戦えたということがいかに
名誉なことだったかが全編に渡って記されている。
この本の中で、直江の人物像が描かれている。人に決して頭を下げる
をよしとしない人物だったとある。それが登城中で、幕府の要人とす
れ違おうともスタイルは同じ。
政宗が座興の席で出した小判を直江は扇で受け取り、このような卑賤
なものは直接手では触れないと語っている。
対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。
0451名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 06:20:38ID:BCQEWhKw兼続への評価はさっぴいて考えなくてはならない。
0452名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 08:57:28ID:dpJ2D2/q0453名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 09:32:41ID:M/PUPP560454名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 10:37:41ID:JSFivn9d> 対抗意識なのかどうかは不明だが、変わった人物だったことは確かだろう。
直江が変わり者なら、政宗は奇人変人か狂人としか思えない。
0455名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 10:53:02ID:VDuv3ajs0456名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 11:06:56ID:0mraRwdXいつも通り、ごく普通に過ごしてる姿を一々メモってたらやだよ、
個人の日記じゃないんだからw
0457名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 16:10:58ID:gjZGID3B直江が大秀才であるにもかかわらず、ちょっと弱かった部分だね
この部分を持ち合わせて居たのが、隣国の伊達政宗という奴
好対照だね。
0458名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 17:12:58ID:M/PUPP56■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています