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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0269名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 09:30:50ID:oLTG1QDD
最近家康厨が多くて困る
0270名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 09:46:00ID:9Pn1GhN7
おれもそう思う。何でなんだろうな。
0271名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 10:04:37ID:ynoK0V+l
このスレでは家康が全て見越していたとか全て家康に踊られてたみたいな異見が多すぎ。
家康はそこまで神様じゃないだろう。
関が原開戦も最初は渋ってたらしいが、
福島らに岐阜城落とされて催促され無理矢理、開戦せざるおえなかったようだし。
家康はもう少し準備したかったらしい。秀忠が到着しなかったのも、
真田の妨害というよりも準備不測によるものだったらしいしな。
0272名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 11:53:12ID:hRcGVNqC
御館の乱では、直江はどの程度関与していたの?
小説やゲームだと直江が景勝を動かした、みたいなシナリオで書かれることが多いけど……。
0273名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 11:57:02ID:xb5Hdrnl
>>271
同意。関ヶ原の勝利も「勝つべくして勝った」ものではなかっただろう。
家康が八つ当たりに家来の旗指物を切り落とした話など、家康はそれなりに
焦っていただろ。もし小早川が寝返らなかったり、東軍が不利になったら、
吉川もどう動くか分からないだろうし・・・・・。

>>259
米沢へ移された後も、臨時雇いの浪人は別としても基本的に上杉は暇を
出してないが。それで、石高の割りに家臣がかなり多かったらしい。で、
のちに15万石にされたときもそのままで、財政は破綻しかかっていたらしい。

で、「金は汚し」のエピも事実ではないのでは?米沢の殖産興業、領内整備を
メインで進めた直江が、金を(=経済を)軽視してたとは到底思えない。

そまた、お船の方に3千石という破格の待遇を受けていたのは単純に景勝、
定勝の信頼を受けていたことの現れだと思う。現に、定勝の養育を行ったのはお船の方というし、
お船の方が病に倒れた際に定勝は自ら見舞いに訪れ、伊勢神宮に大神楽を奉納させ病気平癒の祈願、
亡くなったら亡くなったで高野山に常灯料を出して墓石を立てている。いくら直江の後室とはいえ、
ふつうそこまでしないだろ。
「山城守相果て候とも大小の事ども後室へ相計られ候よし」という『米沢雑事記』の言葉が
全てを物語っているだろう。

それに、直江は上杉再建のために奔走しているし、本多正信とのパイプをつくって10万
石ぶんの免除を引き出している。そして、嫡子の死後も養子をもらおうと思えばできたのに、
あえて家を絶やしたのは、やはり意図的にしたことで、敗戦の責任をとってのことだろうと思う。

0274名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 12:05:22ID:xb5Hdrnl
>>268
同意。直江の本領は軍事よりも政治、殖産興業、「文選」などにあると思う。

また、過大評価されているのもあると思う。これは直江に限らず、信玄や謙信など
世間一般で神の如く語られる事の多い「名将」にも言える事だと思う。ただ、その反動
として、アンチが必要以上に有能でなかった、無能だったと躍起になっている傾向も
つよい。2chでは特にその傾向がつよい。
0275名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 13:06:54ID:eGwfPTzF
国宝になってる史記・漢書・後漢書やら、
日本で初の銅活字である直江版あたりの、
文芸面では、謙信をも抜いて飛び抜けて戦国一に
なっちゃうと思う。

0276名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 13:42:09ID:BUy/S2Ui
戦国の人間国宝・細川幽斎みたいなもんか
0277名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 16:30:02ID:LRWx4dEB
景勝といい、直江といい、戦い方が一辺倒で素直すぎる。
所詮、政宗と義光の敵ではない。
政宗の城攻めは、ほとんどが謀略、内応工作で篭絡させている。
白石城などはその典型で、城代が説得される形で投降してきた。
梁川城攻めも謀略をこらし、それが上手くいかなければすぐに引き上げる。

上杉は、長谷堂城も真正面から正攻法でぶつかっているから、老獪な義光の
思うつぼになっている。
「上杉」の看板だけでは勝てないということだね。 
0278名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 20:07:42ID:ynoK0V+l
ああ、そう言えば花の慶次で「この男戦人として優しすぎる」の意味がよくわからなかったけど、
ひょっとすると直江のバカ正直で謀略がないとこを評したのかもしれんね。
思えば閻魔大王の逸話も案外、直江のバカ正直なとこを表したものかも。
0279名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 20:39:39ID:ynoK0V+l
しかしなあ、伊達はともかくとして最上は結局、
嫡子殺害が遠因となってあっという間に滅亡したんだろ?
まさに義光の「策士、策に溺れる」じゃないか?

それに引き替え、真っ直ぐに真っ当に生きた上杉は
二度の減封はあったものの直江や鷹山の善政もあり、
堂々と維新まで続き、その名をアメリカ大統領にまで
聞こえさしたんじゃないの?

このスレで最上を讃え、上杉を貶めている奴は
これにどう答えるんだか?
0280名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 22:01:47ID:c0xBw+Tt
>>263
> 政治は得意だが軍事は得意でなく性格悪い。。

何だ、政宗と仲悪いのは単なる同属嫌悪であったかw
0281名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 00:37:05ID:sCC+nMok
>>279
伊達は策を廻らせて生き延び、上杉は(減封されたが)剛直だった故に生き延びれた
感がある。それに対し、最上の場合は謀略を駆使しすぎた故に結果没落している感がある。

まあ、三者とも領国を経営する手腕は非常に優れていたと思うが。
0282名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 02:04:09ID:HGET73Ky
直江の意見を取るか藤田信吉の意見を取るか悩ましいところだ
0283名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 02:32:32ID:pAYLBO90
関ヶ原の報告が遅れていたら、伊達と最上の連合と対決していただろうね。
そうなったら見ものだったね。
あるいはさらに結城が加わっていたかも。
直江の力量では、コテンパンにやられていただろう。

上杉が細々とでも残ったからいいとはいえないと思う。
弱体化して貧窮して、ごぞんじ吉良上野介に植民地化された上杉は、もう一般的に皆が知る上杉ではないよ。
武勇の上杉は、直江によって終わらせられた…

藤田が正しかったね
0284名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 04:18:36ID:f0bIhSM9
はいはいスゴいスゴい
0285名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 04:19:56ID:hPFLqodB
なんか定期的に吉良ネタ持ってくる奴いるね。
そんな問題か?植民地って言っても上野介そのものは見殺しにされてるし。。
0286名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 04:57:12ID:aWIvDglo
上杉の枝をおろして酒はやし 
武士はなるまい町人になれ
 
景虎も今や猫にや成りにけん 
長尾を引いて出もやらねば

綱憲も幕府の手前助けるわけにもいかず、吉良を見殺しにしても
腰抜けだと馬鹿にされ、つらいところだ・・・。
しかし、江戸の庶民って残酷というか容赦ないなw
0287名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 10:02:39ID:Vt7dMbK/
ねらー並みの口の悪さだw 
景虎って謙信のことで合ってるよね?
0288名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 10:08:16ID:CtSxrR6e
>武士はなるまい町人になれ
旗本も借金で首がまわらなくて、
町人に旗本株を売るのが続出してた。
江戸時代の武士なんてそんなもの。

0289名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 10:26:44ID:Vt7dMbK/
その節は、うちの殿さまやその家臣が斬りつけたり、
討ち入ったり、吉良にも上杉家にも迷惑かけてごめんな。
気の利かない殿をフォローできなかった浅野の江戸家老が悪いんです。
許してください。
0290名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 12:56:24ID:sCC+nMok
>>283
なんかお前を見てると必死すぎて・・・・

ウィキペディアの西方藩の項目書いたのはお前かいw
0291名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 18:26:58ID:o8LGRvHd
このスレとか他のスレで直江兼続と吉良上野介に対する怒りを
ぶちまけてる奴って同一人物なんだろうね。
先祖の上杉家臣が兼続のせいで酷い目にあったとか言ってるらしいが、
そんなもん、今のお前に関係ないだろうがと言いたい。

実際は兼続も吉良もむしろ上杉を救った人物だと思うが。
0292名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 18:38:02ID:pAYLBO90
>>290
真の上杉ファンなんよ。
直江と吉良が嫌いってのが真の上杉ファンと思う。
ウイキペディアは知らんかった。
藤田のその後ってのを始めて知った。旗本でなく大名になったんだ。
ウイキペディアの直江っての読んでみた。
かなり贔屓目に書かれてるね。
0293名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 19:06:20ID:nM8X54hq
贔屓っつうか、たまに勘違いしてる奴いるけどウィキペディアは「百科事典」だから。
読み物でもまして専門書でもないし。
0294名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 19:41:08ID:o8LGRvHd
>>292
>真の上杉ファンなんよ。
>直江と吉良が嫌いってのが真の上杉ファンと思う。

それは君が勝手にそう思ってるだけだろう。
吉良が養子出さなければ上杉は滅びてたし、
直江は功労者であるる
あと120万石のままだったら上杉は潰されてたかもしれにない。
だから意味のないIFだ。
つーか、歴史にIFはない。
0295名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 19:52:34ID:Ie8nQIxR
擁護したい奴らも必死だな。
冷静に分析していこうじゃないの
確かにこの人物はよく働いた。
しかし、傲慢さ、独善性、偽善、うぬぼれ、がある。
それが、実は上杉をとんでもない方向に持っていっているのだ
0296名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 20:26:49ID:o8LGRvHd
>>294
アフォ?
人にはそれぞれ考え方とか好き嫌いがあるんだよ。
別に「冷静な分析」だの必要ない。
個人の好き嫌いの問題だ。

ただ「こう考えるのが真の上杉ファン」だのいう
決め付けた発想があまりに傲慢な考え方だと思うだけだ。

>>290は自分と同じ考え方以外は認められないようで、
他の人間にも自分の考え方を正しいと考えて押し付けて
考えの統一をしようとしているのが不快だ。
そんなの「上杉ファンにも尚江隙な奴もいれば嫌いな奴もいる」
でいいんじゃないの?
0297名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 20:31:28ID:o8LGRvHd
>>294
アフォ?
人にはそれぞれ考え方とか好き嫌いがあるんだよ。
別に「冷静な分析」だの必要ない。
個人の好き嫌いの問題だ。

ただ「こう考えるのが真の上杉ファン」だのいう
決め付けた発想があまりに傲慢な考え方だと思うだけだ。

>>290は自分と同じ考え方以外は認められないようで、
他の人間にも自分の考え方を正しいと考えて押し付けて
考えの統一をしようとしているのが不快だ。
そんなの「上杉ファンにも直江好きな奴もいれば嫌いな奴もいる」
でいいんじゃないの?
全員が自分と同じ考え方・感じ方じゃないと我慢ならないの?
0298名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 22:07:44ID:sCC+nMok
>>296
お前、自分に自分でレスして何が楽しい?
0299名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 22:23:51ID:sCC+nMok
俺もそれで良いと思う。別に好き嫌いはあるから良いと思うが、
しつこく粘着するから嫌なんだよ
0300名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 10:14:32ID:amflpogI
関ヶ原の際の上杉の行動は、結局最上との庄内の領土争いの延長戦だった。
「義」のために戦ったわけではない。あくまでも自家の利益、保全のためだ。
ただ、表向きは義という精神論を掲げているので、そこにしらじらしさを
感じてしまう人間もいるということ。
0301名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 10:26:51ID:j86rv/H+
てかそもそも「義を掲げた」て何を元に言ってるんだ?
良くある戦争のお題目以上に重んじていたようには感じないんだが。
0302名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 10:36:27ID:QLZSGOTf
愛は掲げてるがなw
0303名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 10:53:51ID:GCWDYpHh
>>294
自分は直江の事をよく知らんから評価出来んが、
>直江は功労者である
>あと120万石のままだったら上杉は潰されてたかもしれない。
>だから意味のないIFだ。
>つーか、歴史にIFはない。
この文章の意味がよく分からん。
0304名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 11:55:11ID:01bJKHD5
毛利、上杉等の大大名は東軍についてもいずれ潰された説だろ
0305名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 12:54:08ID:HVUkv/KD
前田は100万石で残ったけどな。
あと江戸初期は、外様の池田輝政とその弟で播磨・備前・因州を与えられ
実質的に100万石越えだったから「姫路宰相100万石」と呼ばれた。
まあ池田は豊臣恩顧でも、家康の娘婿だったんで例外だけど。
それでも輝政の死後は、速攻で国替えされて要地の播磨52万石を失ってるから、
やっぱり、毛利・上杉はよほどうまく立ち回らない限り
100万石超えた石高で残るのは難しかったと思う。
ただ、両家とも、立ち回りによっては、50・60万石くらいの大大名で残る
可能性は十分あったとは思うけどな。
そう考えると前田はすごい。普通なら潰れてるだろ、あれ。
0306名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:07:54ID:KqRUk1Qa
>>305
つうか前田以外のヤシは最果ての地の島津以外潰されたり領土減らされてるから
50・60万石クラスは無理だったと思う。
前田は関が原以前から人質出して徳川に隙を見せなかったから領土を
安堵されたんだろう。
0307名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:38:47ID:mQPZCzlT
一番勝ち組だったのは、伊達家だよ
政宗の指示で治水開墾を進めたおかげで、
江戸時代には実石250万石まで増えたからな
外様筆頭、徳川家についで第二の勢力だった
0308名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:47:50ID:j86rv/H+
しかしおかげで幕末にああいうことになったのを考えると、
世の中ずっと勝ち組なんてのはありえないんだとしみじみ思うな。
0309名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:48:31ID:mQPZCzlT
栄枯盛衰だな
0310名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 15:49:48ID:mQPZCzlT
まあそれを考えると皇紀2600年以上の歴史を誇る天皇家は凄いよな
万世一系でよく続いたもんだ
0311名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 16:05:54ID:01bJKHD5
天皇ネタは厄介なので持ち込まないで欲しいな。
0312名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 16:34:47ID:XPL9sfnl
確かに
面倒というか、人によってはかなり微妙な問題だしな
0313名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 17:02:26ID:v9yGzXMf
前田があの石高を許されたのは、地理的なのもあるんじゃないかな。
あの辺は、特に交通の要衝と言うわけではないし。
毛利は西国筋だし、上杉は東北への道筋だから、大石高は許されなかったと思う。
ただ、今の東北道を放棄して、会津5〜60万石なら可能性はあったんじゃない?
0314名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 17:11:07ID:01bJKHD5
>>313
俺の現住所をバカにすんな!裏日本とは言え日本の中心近くにあんぞ!
0315名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 17:26:51ID:ncMhuotW
>>313
加賀を要衝とみるか僻地とみるかは、微妙かな。
江戸へはだいぶ遠いと見ると僻地。
京都に近いと見ると要衝。
個人的は、前者かな。京都への水運的にも、越前のほうが重要。


0316名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 17:40:12ID:oMy0r3E9
政宗は、和賀一揆攪乱の件で刈田郡のみの加増となったが、
これがなければ、約50万石の加増は無理としても、伊達
(約7万石)、信夫(約5.5万石)、二本松(約3.5万石)
辺りの約16万石程度は、最低でも恩賞として与えねばならんわな。
また最上には最大の被害を与えているから、長井約17万石を献上。
これでもまだ90万石近くは残ってるが、家康が残り30万石をペナル
ティとして没収して、半分の60万石程度の家として残す。

問題は、上杉もすぐに頭を丸めるなりして全面恭順を示せばいいのに、
意地を張りまくって、慶長6年の4〜5月辺りまで伊達最上を敵視して、
小競り合いをしていたことが、家康の心証をさらに悪化させたんじゃないかな。

0317名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 17:59:31ID:DPxwkQt3
>>294は少し卑怯な上杉ファンという印象があるな。
都合の悪い事を上杉家の外の人物の仕業にしているような気がする。
まず上杉の経済が破綻したのは吉良がたかったからというより、
家臣を減らさなかったのと30万石→15万石に収入半減したのだろう。
吉良が少々、たかったのはあったが、それは一因に過ぎず、
まるでそれが経済危機の原因の全てみたいに言われてもね。

それと直江兼続に至っては正真正銘、上杉家内部の人物じゃないか。
当時の「○○家」というのは勢力そのものをあらわす名称だしね。
江戸期のOO藩とは俗称に過ぎず正確にはOO家というんだしね。
で、直江は別にどこかから押し付けられたわけでもないんだし、
上杉家生え抜きの人物で上杉景勝が信任した人物なんだしさ。
上杉家そのものの人物を叩いてもあまり意味がない気がする。
0318名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 18:08:29ID:DPxwkQt3
>>307
うーん「その後の開墾・開発」という要素は
その時点での勝ち組・負け組とはあまり関係ないと思うが?
関が原でちゃんと一貫して東軍として働いてれば
表高で100万石もらえてたのをフイしたわけだしね。
それと>>110の話しもあるとおり、
領民にとっては強制買取制度は過酷な支配だったみたいだしね。

あと、その後、伊達政宗は接待のし過ぎと心労で
健康を壊したという話もある。
実際は「天下をうかがってた」どころではなく
徳川への恭順に身を砕いてたわけだ。
いや、この話しはNHKの「そして歴史は動いた」で
やってたのを見ただけだが。
0319名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 18:22:46ID:v9yGzXMf
>>315
そりゃもちろん、江戸にとってだよ。江戸幕府なんだから。
江戸から京に行くにしても、第一に中仙道、第二に東海道があるから、北陸街道は重要度が薄い。
もし仮に京への道が北陸街道しかないような状況なら、
北陸街道を守るよりも江戸のほうが危機に直面してるわけで。
そんなわけで、前田の位置は、大大名の存在が許せる位置だったと思う。

>>316
そう思う。
西軍につくにしても日和見とか、すぐに恭順なら会津とかで5〜60万石残せた可能性はあったかも。
0320名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 19:16:26ID:ZnFn2pPc
う〜ん、そもそものキッカケを作ったのが上杉だからなあ・・・・。
割と簡単に大坂を退去した毛利ですら3分の1以下に減らされるわけだし
0321名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 19:45:51ID:KqRUk1Qa
>>310
天皇家は政治の実権を手放したから存続したんだろう。
>>319
無理。
上杉家は謙信原理主義だから謙信がやらない事を景勝がやったら家臣がついてこない。
家中が分裂したところを家康に潰されてたと思う。
0322名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 20:39:49ID:BOIZ8x1k
>西軍につくにしても日和見とか、すぐに恭順なら会津とかで5〜60万石残せた可能性はあったかも。

こんなんじゃ、上杉もその他大勢のワン・オブ・ゼン。
これしてたら、俺は今上杉ファンじゃないね。

0323名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 20:41:49ID:DPxwkQt3
大体、直江兼続と上杉120万石を分離して考える事自体がナンセンスだと思う。
秀吉が大のお気に入りで高く買っている直江兼続という男が居たからこそ上杉に120万石与えたんじゃないのか?
秀吉は高く買ってる人物には割とポンと大封与えるからね。
蒲生氏郷とか丹羽長秀とか小早川隆景とか鍋島直茂とか前田利家とか徳川家康とかがそうだ。
その代わりその男が死ぬと簡単に領地取り上げるけどね。
パッとしない上杉景勝とまとまりのない家臣たちの集団体制では
上杉にそんな大封は与えないだろう。

「直江兼続が居なければ上杉は大封失わずに済んだ」なんて理屈自体が空論としか思えない。
まあ元は越後40万石だったんだし、
豊臣政権に貰った領地を豊臣政権のために戦って返上したと思えばあまり惜しくないと思うが?
0324名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 22:48:57ID:ARykyBrd
>>323
違うだろ、秀吉が上杉家を豊臣の柱石にするために、都合のいい直江を見つけて、大封をくれて懐柔したんだろ
0325名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:28:49ID:SuyM2dyM
大封もらって大厚遇されたのに、いざとなったら全く役に立たなかった
前田利長に比べたら景勝も直江も百倍律儀だし、正直それでよかったんでは
上杉の意地を見せて、名は残したんだから
0326名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:32:27ID:j86rv/H+
とりあえず名と実をバランス良く後世に残せたとは思うな。
0327名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:35:04ID:DPxwkQt3
>>324
そうかねえ?
どっちにしろ直江がいなければ、あれだけの厚遇はうけなかったと思う。

なんにせよアンチの理屈は
都合の良い部分だけ切り貼りして繋ぎ合わせ上杉に良い話として、
直江や吉良に都合の悪い部分だけ押し付けてるようにしか思えない。

直江がいなければ120万石にはなってないだろうし、
吉良が自分の嫡子を養子出さなければ上杉は取り潰されてたし。
0328名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:39:00ID:DPxwkQt3
そうなんだよね。
前田家なんてヘタレのイメージは
今の世まで伝わってるし。
前田利長以降の卑屈な徳川屈従政策は
実はかなり取れたけど、名の方は最低だな。
0329名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 23:54:02ID:v9yGzXMf
いや、前田に名が無いというのはかなり言いすぎだな。
戦国オタならいざしらず、一般的にはどっちもどっち。
人を引き付ける魅力としては、残念ながら金沢>米沢だし、戦国オタに人気高いと言っても、
その人気のもとは直江がどうこうより、謙信とその家臣団にあるわけだし。
残念ながら、景勝と直江だけではそんなに人気はあがらないだろう。

どうも、ここの直江好きは何でもかんでも直江擁護になればそれでいいという感じがする。
直江擁護の価値基準がブレすぎ。
0330名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 00:17:07ID:lgLIur7B
上杉は、庄内や佐渡も領地化していたから実質100万石近かった。
会津移動で、増封になって美味しい思いをしたのは直江だけ。
家老おだてて懐柔するのは秀吉の得意技なんだよ。
直江に加えて、徳川の石川数正、毛利の吉川なんかが懐柔されて主家を売ったバカたちだ。
俗に、天下三大バカ家老と言う
0331名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 00:41:41ID:xFNxemK+
その三人を天下三大バカ家老とするソースきぼんぬ
0332名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 00:51:58ID:cVARx9B9
吉川広家がなんで入っているかがわからん。そもそも吉川は
家康に通じて毛利の生き残りを画策したものの、ツメが甘く
転けた。秀吉に懐柔されたとか分け分からん事を抜かすな。

石川数正の場合は、対秀吉の対応に苦慮した末に家中で孤立し、
内通疑惑などが持ち上がり白眼視されるようになり、徳川にいられなく
なってしまったという側面が大きい。懐柔されたというよりも、離間策に
かかってしまったという感じ。

会津へ国替えになったのに直江はあまり関係ない気がする。米沢30万石の話だって
実際は6万石程度らしいし。それに、基本的に家中の連中の禄高は上がっているからなあ。
なんか論になっていない気がする。

>>330を筆頭にアンチも擁護派もなんかギスギスしているし、必死さを感じる。

0333名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 01:22:03ID:xFNxemK+
自称真の上杉ファン(直江は秀吉に懐柔されて主家を関ヶ原で負け組にさせたバカ家老と主張。
やたら吉良ネタを持ち出す。レス例>>27、74、104、283、292、330など)が自説を繰り返すから
みないい加減にウザくなってんじゃね?
0334名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 01:25:17ID:+7fkRVR6
関ヶ原の戦いって吉川広家のオナニ-ショ-でしょ(笑)阿呆だよ広家は
0335名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 02:47:49ID:PGOv53G4
>>330
吉川は親父の元春の代から、毛利家の中では豊臣嫌いの家なんだが。
秀吉が優遇したのは小早川隆景と秀包で、吉川はやや冷遇された。
しかし、別に関ヶ原の裏切りの土壇場まで親徳川だったわけでもない。
当時、毛利家の中で東軍へ内応を一番疑われていたのは毛利秀元だった。
吉川広家は、内応の仲介をすべて黒田長政を通して行っているように
徳川家とのコネクション自体が薄かったくらい。
黒田家は豊臣政権下で毛利家担当の外交係で、昔から吉川家と最も仲の
よかった家だから、長政を頼ったのも正しい判断。
関ヶ原では、小早川隆景が秀吉の中国大返しで恩を高く売って所領安堵
されたやり方を目指して、結果的にこけた感じ。
狙い自体はそう悪くない。時間があまりにもなくて(徳川の使者と作戦
について直接話したのは関ヶ原前日)家康の言質が取れなかったのが
甘かっただけ。
0336名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 04:00:49ID:hKoTMlhN
>上杉は、庄内や佐渡も領地化していたから実質100万石近かった。

無理ありすぎるぞ
0337名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 04:25:56ID:xFNxemK+
行政能力:かなり高いと言っていい。(一部アンチは誰でも出来ると主張するが)
軍事能力:微妙。議論アリ。
政治・外交感覚:微妙。議論アリ。西軍についたことで叩かれるが、結果論でいくなら
徳川とそれについていった大名以外は先見性ナシってことになっちゃうからなぁ。
信長だって家臣に背かれる程度の男ってことになりかねん。

ところで人格はどうなんだろう?伊達との絡みを見ていると割と厨っぽいのだが。
三成タイプの良く言えば剛直悪く言えば傲慢・偏狭って感じなのかね。

      
0338名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 06:44:16ID:hKoTMlhN
>>332
どうかねえ。
秀吉が最も信頼した家臣の蒲生氏郷の後釜という事で、
かなりのお気に入りの直江がいる上杉をあてたと思うぞ。
あと、直江自身の石高というより尚江が取り仕切る上杉家というのが
大事なんだと思うが。
0339名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 07:22:30ID:hKoTMlhN
どっちにしろ転封を受けなければ
織田信雄と同じ運命・・・・
0340名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 07:53:41ID:NsNSi0bS
名を捨て実を得た>前田
名も実も失った>毛利
名をとり、実を失った>上杉
名も実も得た>島津

島津は遠方だから云々という意見があるが、武力征伐の危険に
最大限さらされていた。黒田、加藤をはじめとする九州勢は
島津侵攻計画を練っていたが、家康に最終決断を躊躇させる
何かがあったということだろう。気の狂ったような撤退戦、
井伊直正の致命傷を、その目で一部始終をみていたし。
外交的な勝利者は、島津だった。

0341名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 08:49:23ID:hKoTMlhN
>>340
ただ、それが島津義久の老獪な外交手腕というよりは
単に状況や運が重なってものだと思われ。
島津義久は関が原以前から実現不可能な中立主義を強硬に主張し
関が原後も徳川の船を焼いたり、かたくなに上洛命令を拒否したりで、
結局は島津忠恒が独断で上洛して島津家を救った。
義久はそんな忠恒を「親不孝の極み」と罵った。
どうやら中立主義を貫けると思いこんでて徳川の臣下とかは思考の外だったらしい。
0342名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 08:55:28ID:hKoTMlhN
それに福島正則の伊奈事件で
正則の無茶な要求に屈さざるやおえなかったように
関が原戦後は家康と言えど万能ではなかったと思われ。
やはり状況とか時間的制約とか一杯あったろう。
島津攻めも遠すぎ精強な島津の本拠に攻め込みがたく
討伐軍が負けたりしたら厄介なので、
ここは徳川の天下のために穏便に収めておこうと思ったんだろうね。
0343名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 09:24:11ID:sq2368/z
実は地味に名実(の総和)とってるのは真田のような気がする。
0344名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 09:29:31ID:9QtN9CXH
越後は石高以上に豊かな地だったよ
0345名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 09:32:39ID:JnI5SWij
蜂須賀家政も、ものすごく頭のいい方法で豊臣家に義理を立て、
名も家も守ったんで褒めてあげて。
0346名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 10:10:30ID:IwpCcjJd
豊臣5大老

徳川家康   → 天下人
前田利家   → 加賀百万国
宇喜多秀家  → 滅亡
毛利輝元   → 30万国
小早川隆景  → 断絶
上杉景勝   → 30万国

 こうみると、上杉はそう悪いほうじゃないと思う。良くもないけど。
0347名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 10:20:22ID:07vbO7sX
石だ。そんなに国の数はない。
0348名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 19:27:32ID:4TIhtZWQ
島津は辺境すぎて毛利や上杉に比べて戦略的価値が紙くず同然だったからお目こぼし
されただけ
0349名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 23:07:41ID:bXVlMINi
外様の勝ち組は、伊達と前田だよ
島津は実石高は40万石程度しかないのに参勤交代は鬼のように大変だぞ
0350名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 07:01:49ID:voWTviyN
そうそう普通は実高は表高よりはるかに高いのが普通なのに
島津だけは特別で実高は表高の2/3程度、
しかもいろんな建築や土木工事を命じられたり、
遠くて大人数の参勤交代をしたりで大変。

まあ、島津家や上級武士はそれでもよかったが、
農民や中下級武士は大変。
西郷や大久保が農作してたように中下級武士にも農役があった。
0351名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 12:06:27ID:AA6C8EGS
にもかかわらず島津が幕末雄藩になれたのは
やっぱり、琉球(中国貿易)・奄美(砂糖)を持ってたからか?
一種の藩内経済植民地があったっていうか
0352名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 12:39:47ID:2eMiqltJ
「義ーぎー」などと鳴くのなら、いっそ豊臣政権などという不義なものに加担してはいけません!
0353名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 13:01:03ID:TF5MNCg3
一説には島津氏は、秦の始皇帝の一族が朝鮮半島に落ち延び、
その後平安時代になって日本に渡来してきたときの子孫だそうだ
鎌倉時代以来の名門だったので官位や領地を認められたというのが公式見解
0354名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 13:52:39ID:fhi4+FEc
>>353
初耳だなあ。島津は惟宗氏の系統で、初代忠久が頼朝の落胤であると自称した
ってのは聞いた事あるが
0355名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 15:18:17ID:7fgo7SW3
上杉家の会津移封は、単に家康対策では
他にやり合える人物がいなかったというか
しかし、転封二年目の合戦は早すぎた…
0356名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 16:49:10ID:/bmBmYHP
伊達対策でしょ
0357名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 17:04:16ID:w8wOe+b1
まあ、いくら義を掲げても人身売買がホントだとするとな・・・
0358名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 18:32:20ID:NKCZ5fdj
>>356
ワロタwなぜ伊達ごときに?
0359名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 18:55:52ID:epbnn6VG
>>358
 秀吉の腹は伊達対策に決まってるだろ。会津は伊達の旧領で、
 火薬庫みたいな場所だ。景勝にとっては迷惑な話だったが。
 会津が伊達の脅威にさらされているのは上杉自身、認めている。

 「蓋し福島、梁川は伊達政宗を押える枢要の地たるに依而本庄、須田両豪家、
 其撰に当るものか」(「上杉文書」)
0360名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:11:26ID:voWTviyN
前任者の蒲生氏郷はありとあらゆる点で政宗を凌駕し彼は手も足も出なかったのだが?
0361名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:21:20ID:2bx5qZmT
義っていうのは単に大義名分じゃないの?
御館の乱以降のガタガタな内部を纏めて、景勝の正統性を主張するために
謙信公のカリスマを利用したに過ぎないと思うのだが。
俺も兼続は性格悪そうな人だと思うんだが、
かといって義だ何だとその辺で嫌悪感を抱くのには違和感がある。

>>351
調所広郷の改革の成果。
その過程で奄美琉球の搾取や密貿易の拡大もしているが、借金対策も大きい。
調所の前にも蘭癖大名重豪が幕府への影響力を拡大していたが、
そのために財政を逼迫してとんでもないことになっていた。

>>354
惟宗氏は秦(はた)氏の一族。
似たようなのに後漢霊帝の子孫を名乗った坂上氏なんてのもいる。
0362名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:34:06ID:wkWCUzUY
>>359
秀吉の時代すらも伊達中心の妄想かよ、幸せなやつだ
0363名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:44:35ID:NAOSCXZP
>>361
義ーだの「謙信公に采配を任された」だの言って、家中で権力を拡大していったんだろう。
あと、景勝の寵愛と秀吉の都合だろう
0364名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:45:29ID:nP1NoPxC
伊達対策じゃなくて、
上杉を本拠地からずらして弱体化させるのが本音だろ。
家康の関東移封とか。
0365名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:47:24ID:F4l1yF2O
兼続がかかげたのは「愛」だったとおもたが
0366名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:47:33ID:m6MWQ6Jb
>>363
だろう、だろう、て想像かよ。
0367名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 19:59:23ID:7UJ/QArb
そもそも会津を伊達が治めていた期間って少ないだろう。
0368名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 20:19:20ID:voWTviyN
ていうか、長州と薩摩が幕末に活躍したのは
経済的に改革があったからではなく、
単に商人からの膨大な借金を踏み倒したからだろ。
それに尽きる。
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