>>231
まず、長谷堂側にも相応の被害はでているんだよな。楯岡光直が須川方面から
奇襲をかけようとして、水原親憲に見破られて失敗していたりする。
それから、何度も繰り返すが、城攻めに際して、力攻めしてダメだったら、
持久戦に持ち込むというのは基本中の基本。そして、痛手と言うが、本村討死は
痛いとは思うが、その他は実際戦局が動くほどのものではないだろうに。

そして、徳川秀忠の上田攻撃とは状況も大分違うだろ。同列には語れないはず。
秀忠の場合は、上田攻略は目的ではないし、是が非でも上田を陥落させなきゃならない
何て事はない。押さえにある程度の兵を割いての進軍も可能だった。それにたいして
直江は長谷堂攻略は最上攻撃のための必須事項。

そして、秀忠の場合藪蛇な真似をした結果の損害という感じで、いたずらに兵を疲弊させて
しまっている。さらに、各将が功を焦っていた節もあり、大久保配下の奉行が処刑されている。
秀忠は明らかにトロい指揮をしていた。

まあ、真田昌幸も志村伊豆も優れた将であるのは確かだが。ちなみに、苅田は
城攻めの際の寄せ手の基本戦術だから、これを云々いうのはどうかな?

そして、直江の部下が凄かったんだろ?みたいな事をあんたは言っている。たしかに
水原や前田の働きは特筆すべきものがあるが、それでもその総指揮を執っているのは
直江なわけで、彼の指揮あってのものだろう。現に、直江があそこで討たれたとしたら、
前田や水原が頑張った所でダメだったはずだし。

「最上単独で勝ったようなもの」と言っているが、東軍が本戦で勝ったから、
自動的に最上が勝ち馬に乗れたようなもの。実際城側にも損害は出ているし、
西軍が勝利していたら最上の側こそ一気に窮地に陥ったわけだし。