【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:28:14ID:nz2H5nsG伊達のエピソード2つを見る限り凄まじく嫌味な奴だと思う。
傍から見聞きする分にはいいけど直接は接したくないタイプ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:38:13ID:1ZI4RVNfどんなエピソード2?
教えてくれといったらやっぱりスレ違いかのう?
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 13:53:45ID:u8IUHEAzだからさ…
実際に貧しさを訴えでて暴動も幾度も起きてるだろ
天領でも領民が貧しかったのは事実だよ
現実を否定する意味がわからん
0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:01:00ID:+7Isozqnこのことをもって叩くのは筋違い。
後に上杉家が会津から米沢へ移ったことがこの説に拍車を駆けた。
実際には6万石程度。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:02:39ID:j5idIIgYそんなこたあわかってるよ。
あくまで比較の問題だ。
天領でも飢饉の時や悪代官のせいで
領民が酷い目に合うことはあるだろうよ。
そういうピンポイントの例を上げられてもね・・・
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:10:19ID:j5idIIgY徳川吉宗の改革のせいで五公五民にされた。
それでも外様に比べれば税負担は軽かった。
あと、天領の暴動とか一揆に関してだが、
それは必ずしも「貧しさを訴えて」のものではなく、
>>111の事例のように天領から藩領への鞍替えに抗議してのものとか、
今まで全然年貢を取られてなかったのに
改革で取るようになったのを抗議してのものとかいう事例も多い。
>>122
ググればわほかるよ。
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/kikin.htm
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N309L200.HTM
0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:10:33ID:6LgNpXIL日本は敗北したが、戦後、日本は発展したんだから、
牟田口は悪くなかったというようなすり替えにみえる。=直江擁護
直江が戦略を見誤り、戦術的にも最上に負けているのは事実だが。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:20:36ID:1ZI4RVNf撤退戦はうまくやったんじゃないの?
兼続自身は弱音吐いて、前田慶次郎に叱責されているっぽいけど。
関が原の戦いで石田三成がたった一日で敗北するなんて考えなかっただろうし。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:27:36ID:j5idIIgY天領でも「暴動があったから貧しかった」という理屈なら
現代でもメーデーでの講義やストライキや騒動や生活保護者があるから貧しい」という事になってしまう。
そもそも一揆=暴力行為というのは間違いでほとんどは抗議や直訴程度のものなのだが。
あと、農業には必ず凶作がある。
1993年米不足では日射量不足が原因で日本中大飢饉だった。
特に東北や北海道では収穫ゼロの農家が相次いだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%88%90%E3%81%AE%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95
こんな時にはどこの地方の農民でも植えるだろう。
それで天保の飢饉の時は天領でも「食い物くれ」騒動が起こり、幕府は
蔵を開いて備蓄米を出して民を救ったりした。
しかし、大名たちはそんなわけにも行かず特に農民たちはほとんど飢餓で全滅した。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:30:23ID:j5idIIgYhttp://lin.lin.go.jp/alic/month/dome/1993/nov/ryutu.htm
こういう状況なら天領だろうと、どこだろうと
騒動は起こるだろうが。
ましてや、農業技術が低い昔なら、
なおさら飢饉の年は多かった。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:40:28ID:u8IUHEAzお前は天保の飢饉で幕府に対して起きた大塩平八郎の乱を知らんのか
0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:42:51ID:j5idIIgYあのさ・・・・
君、俺の文章読んでないだろ?
飢饉の時はどこでも
そういう騒動は起こるんだよ。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 14:48:39ID:j5idIIgYそもそも、それが本当に天領の民が餓死する程のものではない。
平成米不足同様に満足に米を食えない不満とか
大商人による買占めに不服を感じて起きた事件だ。
それのどこが「天領の農民が・・・」と繋がるかわからん。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:02:02ID:nz2H5nsG1.
黄金をばら撒いた時に、他大名が触って物色する中、
直江だけが扇子の上で転がしたりしているだけだった。
そこで伊達政宗が陪臣の立場である直江が気後れして
触っていないのだと思い、「手にとって見れば?」といって
気を使ったところ、直江曰く「先代謙信公より采配を預か
る身にて黄金(のような下品なものを)を触るつもりはない。」
2.
江戸か大阪か忘れたけれど、陪臣の直江が大名である政宗
とが城の廊下で対面した。陪臣である直江は当然礼をすべき
だが無視して通り過ぎようとしたので、政宗がとがめたところ、
直江曰く「戦では後姿ばかりしか拝見しなかったので、顔が
わからなかったので、他意はない。」(お前の後ろでくっついて
たんでわからんかった。おまえはつよいあーすごい。)
と言われたので政宗はそれ以上何もいえなかった。
(同陣でも戦で後ろ姿だけって事は無いだろう普通。)
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:41:50ID:u8IUHEAzいい加減ログ読めよ…
その事を何度も言ってるんだろ
どこも貧窮してた
天領に限って暮らしがよかったなんて事はないんだよ
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:57:28ID:TT2/aH4i西軍についた事を理由に直江=アホは短絡的すぎやしないか?
長谷堂の件にしても力攻めで城が落ちなかった場合に、城を囲んでじっくりというのは
寧ろ正道じゃないか?そして、撤退戦で名を挙げているんだし・・・。
そして、直江兼続の本領というのは領地経営にあると思うんだが。
武将としてはともかく(それでも凡庸ではないはず)、政治家、経営者と
しては一流の部類になるんじゃないか?
ファビョったように喚くお前らがわからん
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 15:57:42ID:nz2H5nsGがいう、「その時代」に暮らしがよかった国家なんてあるのか?
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:02:52ID:nz2H5nsG名臣といわれ、天下の三家老なんていわれてるが
過大評価って事だろ。
藩の再建治世家程度の評価なら多分叩かれてないと思われ。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:17:22ID:xKIST5qm0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:24:54ID:u8IUHEAz少なくても日本にはないな
だから天領だけが良かったような口ぶりで語るのはやめろと言っている
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:29:33ID:OyzRG2gqつまり幕府が諸悪の根源
0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:34:00ID:nz2H5nsG世界でもどうだ?
今の時代でもどうだ?
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:35:23ID:nz2H5nsGまちがえた。
天領と上杉領ではどちらがマシだったか?
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:41:14ID:QQicupVS全体として天領の方が農民は豊かだったとは言えるんじゃないの?
天領の方が全体として大名領よりはマシだったと。
それに対して稀な例外を持ち出しても反論にならないでしょ。
勝ち負けじゃないんだから、間違いを認めればいいのに。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 16:45:08ID:nz2H5nsGどこも、極悪非道な搾取藩ばかりだったと。
そりゃ現代と比べりゃ、悲惨な時代だよ。
それは、各種公害、労災が起こったり、AIDSが治せない今の時代は未来より悲惨で、
その犠牲になって、国に訴えでて、プライバシーを
晒さねばならない今の日本も未来から比べりゃ
戦後の世界で、日本の政治は他の国よりよかったって言っちゃいけないんだな。
未来から比べりゃ悲惨だもんな。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 17:05:15ID:u8IUHEAz他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないよ
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 17:22:22ID:QQicupVSもう少し他人の文章を読む力を養って下さい…。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 18:04:08ID:j5idIIgYわけのわからん奴だなあ。
「やや悪い」と「凄く悪い」なら「やや悪い」の方がマシに決まってるだろう。
少なくとも俺は江戸時代で天領の農民と南部藩の農民とどちらとして生きるほうがいい?
と聞かれたら間違いなく天量の農民がいいと答えるな。
ついでに言うと米沢藩の農民と天領の農民でも天領の農民がいいと選択するな。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 18:06:56ID:nz2H5nsG148が思う、いい国家は何処ですか?
時代、地域関係なく。
他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないのを踏まえて。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 18:49:31ID:u8IUHEAz両方よくないに決まってるだろ
そう言うのを五十歩百歩と言うんだよ
本質は同じだろうが
>>151
論点がずれすぎ
理想国家について語りたいならそういう団体に聞けよw
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 18:56:00ID:j5idIIgY良くない良くない。
五十歩百歩ともいえない。
南部藩で餓死するよりは
比較的マシな地方で生きたいよ。
0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:06:58ID:nz2H5nsG違うな。
勝手な理想政治を作り上げてるのはお前さん。
(歴史上の事実の比較として)天領は上杉領よりましだったって話を
(理想政治に比べれば)天領も上杉領も悲惨だった。
に摩り替えてるのはおまいさん。
だから、>>148で
>他がもっと悪いからって悪い事が良い事にはならないよ
って言ってるおまいさんの
論法では
「全ての時代、国家、歴史は全て悲惨だった。悲惨じゃないところなどない。
それを良かったような口ぶりで語るのはやめろと言っている」
となる。
だから、聞いてるんだけどね、悲惨じゃない国家や時代はどこかあるのかね?と。
答えられなければ、勝手な理想政治と歴史上の政治を比べてるだけに過ぎん。
天領の統治を貶めても、上杉領や南部領より領民はマシだったってのは
変化しないよ。どっちもダメで、上杉を擁護したいのかどうか知らんけど。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:20:02ID:1ZI4RVNf直江兼続の話が聞きたいもんじゃ。ナムナム
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:27:35ID:u8IUHEAzそういや上杉スレだしな
俺の言いたい事は>>94で言った通り
事実だろ?
それだけの事にやたらつっかって来るのは変だとは思ったが
0157名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:30:26ID:j5idIIgYあのさ。
その理屈だと現在の日本の民も苦しんでるぞ。
俺り生活も余裕がなくて苦しいしかも今度、消費税を上げるらしいしさ。
だからといって現代の日本がダメという事にはならない。
0158157
2006/09/05(火) 19:32:53ID:j5idIIgY一応、文章追加しとくが
だから何度も同じ事言わせるな。
あくまで比較の問題だ。
収奪の非常に激しい南部藩や米沢藩や長州藩よりは
天領の民ははるかに楽だ。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:38:13ID:ztzS6Hrl馬鹿なお前に教えてやろう。
大塩平八郎自身が陽明学流の体制改革を目指した行動主義者だった上に、
いわゆる戦後史学はマルクス主義の影響が強かった。
戦後の日本史の研究者はな、大塩平八郎の乱に封建制打倒のチャンスを
<過大に>読み込んで解釈する傾向が強かったんだよ。
つまり、暗黒の幕藩体制=封建制を虐げられた民衆が立ち上がって打破するという
<市民革命論>を、投影しているわけ。
いいか悪いか別にして、当時の日本史研究者には理想国家像があって、
それは何かって言うと社会主義革命後の共産主義社会なの。
みんな平等で、階級と国家がない社会な。
で、マルクス自身は歴史的にそんな社会は存在したことがないって
言ってるの。未来にしかないの。お前はそれに無意識に影響を受けてるの。
(おれはマルクス主義者じゃないから、未来にもないと思うけどな)
マルクス主義では、封建制は民衆による革命によって倒されるべき悪だから
(だから、幕末の世直し一揆は革命である言う解釈で、よく研究されたわけ)
1960年代あたりは幕藩体制は評価がすごく低かった。
そんで、お前はそういう学説的な背景を知らずに、
大塩平八郎の話に感化されて、ひたすら幕藩体制は絶対悪のクソだった
と、戦後史学から40年たった現在も思いこんでるわけ。
まあ、わからないと思うが。そういうことだ。
でも幕藩体制を憎むあまり、天領そのものを憎んでいるのは
あまりにアホすぎて、おれにはお前の頭の構造が理解できんwww
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:43:15ID:RkyN/GVi反論になってないよ。
やけにつっかかるのは君みたいだよ。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:44:31ID:u8IUHEAzあのさ
何だよ比較って
俺は天領の民も苦しんでいたと言っただけだよ
他の話なんか関係ない
天領の生活は豊かだったと反論するなら分かるが
他は他はって俺の話と全く関係ないだろ
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:45:36ID:j5idIIgY何で奥羽の領民が天領の民になりたいがために
意図的に一揆を起こしたりしたんだ?
何で天領の民はあんなに誇り高いんだ?
俺は白峰村という昔、天領だったとこにいた事が
そこの人は「昔はここらは天領やった」と自慢し誇り高いよ。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:48:04ID:j5idIIgYじゃあ、天領の民は豊かだったと反論してやるよ。
白峰村の天領の民は天領ゆえに暮らしにやや余裕があり、
金沢の商人のお得意様だったという。
そう、その村の老人に聞いた
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:48:36ID:u8IUHEAz苦労して長々書いたのに悪いが俺は幕藩体制批判してないけどw
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:50:16ID:u8IUHEAz天領は白峰村だけじゃないぞ
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:54:51ID:j5idIIgY天領は大塩平八郎の乱だけじゃないぞ?
ググれば嫌という程、天領の租税は安かったという
とこにヒットするが。
ここは司馬の発言だが。
http://www.kurikomanosato.jp/to-siba14-edo.htm
あと、お前にはなんの権威もないんだから、
あんまえらそうにすんなよ。
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:57:40ID:ztzS6Hrlあのな、おまえは頭が悪いから自分の影響を受けているイデオロギーに
気づいてないだけで、歴史観=読んだ本の内容がそうだと言ってるの。
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 19:58:11ID:M4Hdy8asもう辞めておけ
話に横槍入れられても口は悪いが
皆が話してる議題とおまいさんが論点が違うと
説明してくれてんのにあがいてるのは
やっぱりお前さんだ
そら現代に比べたら専制支配化の被支配者は悲惨だわな
解ったからスレ汚すの辞めよう。
ただでさえ上杉厨はと肩身狭いんだから
つまらんことで揉めるのは辞めよう。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:00:38ID:j5idIIgYようするに大飢饉なのに商人の買い占めや
江戸に米を送るという事柄に対する反論で
そんなピンポイントな話しを全てみたいに岩手も名。
そりゃ飢饉になれば天領だろうと
どこの藩だろうと窮乏するのは当たり前で(現代の平成米不足でも)
そんな話しを全てみたいに言われてもな。
飢饉以外の平時に天領の民はそんなに窮乏してたのか?
0170名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:02:18ID:j5idIIgYようするに大飢饉なのに商人の買い占めや
江戸に米を送るという事柄に対する反乱で
そんなピンポイントな話しを全てみたいに言われてもな。
そりゃ飢饉になれば天領だろうと
どこの藩だろうと窮乏するのは当たり前で(現代の平成米不足でも)
そんな話しを全てみたいに言われてもな。
飢饉以外の平時に天領の民はそんなに窮乏してたのか?
0171名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:18:28ID:u8IUHEAzお前が自分の考え押し付けようとしてるだけだろw
つうか長文書いて煙に巻こうとしただけだろうけど
2chでは古くからある手だから正直つまらんぞ
0172名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:20:40ID:u8IUHEAz天領での一揆は大塩の乱だけじゃないぞ
調べてみな
0173名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:25:40ID:j5idIIgY無論、知ってるよ。
でも他の領地に比べれば我侭みたいな一揆も多いし、
天領から諸藩に移されるのを反対しての一揆というケースも多い。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:30:51ID:ztzS6Hrlこうかけば、わかるかな?
ものすごくわかりやすくかいてあげたのに、わかりませんでしたか?
かんじがよめないときや、じぶんのしらないことばは、じしょでひいて、
りかいしようとしましょう。
おれがしんせつなひとじゃなきゃ、あんなにまじめなちょうぶんかくものか。
あれは、実に親切に真面目に書いたんだけどな。
ちゃんと読む気になれば、理解できると思うんで、もう一度読んでみ。
学説のダイジェストを、あれ以上わかりやすく書けるものかよ。
おれは、ちょっとさすがにお前に疲れたんで去るわw
0175名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:33:24ID:u8IUHEAz他と比べる事から抜けられないのね…
別に他より酷いと言ってるわけじゃないんだから
比較する必要はないんだって
0176名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:40:00ID:RkyN/GVi豊かな時代、国を挙げてみな。
挙げれるならな。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:52:46ID:u8IUHEAz0178名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:54:49ID:QQicupVS比較とかではなく。
必死に反論してる奴は何を言いたいのか理解出来ない。
幕府の政治はあくまでも糞だったと言いたいのか?
0179名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 20:55:13ID:j5idIIgY幕府が善政をしいたからというよりは
単に諸藩に経済的余裕を与えないように
様々な工事を押し付けたからなんだけどね。
それが結果的に諸藩の領民に経済的圧迫を加えたと。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:09:32ID:i+Cq35L7新手のウィルスか何かじゃないのか?
0181名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:17:37ID:u8IUHEAz実際に各地で反発が起きてるだろ
なんで都合の悪い所だけ認めない
0182名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:51:51ID:j5idIIgYでも現代でもデモとか抗議とか起きてるぞ。
現代の一揆といえるな。
よく「一揆」というと武力的なものばかり重い浮かべがちだが、
実際はデモや直訴程度でも一揆扱いになる。
天領の一揆も多くはその程度だが。
あと天領の飛騨の一揆については
あそこの代官の暴走で
農民の採算の抗議が認められたりしてる。
代官の暴走とか飢饉の時の年貢軽減とか
天領の一揆とはようするにそういうものる
諸藩の一揆はそうもいかない。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:53:53ID:HiMAaVte直江も、そろそろあの世の大塩平八郎のところに、
こいつを迎えに行かせてもいい頃なのにな
0184名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 21:57:42ID:j5idIIgYりんご箱で勉強してる子供も珍しくなかった。
貧富の差なんて当たり前と思っていたんだ。
まあ、今がそれだけ豊かになったってわけだし、
この60年間、それを目標にしてきたわけだが、
世の中、いつまでもそううまくは行かないんだろうな。
ある人が言っていた。「自分の曽祖父が何を生業(なりわい)に
してたか知らない人のほうが多いんじゃないの」って。
知りたくないだろうけどね。ちなみに、その人は50歳くらいだから、
3代前っていうと、明治・大正になるけど。
紀田順一郎「東京の下層社会」を読みましょう。人生観が変わるかも
しれないよ。
ところで、本当に生活保護の必要な人は、どれくらいいるんだ?
0185名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 22:00:22ID:EuDDkmJI0186名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 22:17:01ID:HiMAaVte「江戸時代の天領の年貢は、外様諸藩に比べて軽かった。」
これに一名を除いて、参加者全員が同意したようなのでここで打ち切り。
年貢論争も前半は面白かったけど、さすがにもうみんな疲れたでしょう。
勝手に仕切ってごめんな。
以下、生まれ変わった心で 直 江 ス レ 再 開
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
0187名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 22:29:19ID:QQicupVS秀吉が評価したせいで前者のイメージが強くなってるんだよね。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 23:54:18ID:sSCH4AkL0189名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 00:29:35ID:RqKebeL2謙信から采配を任された、と言うけど、軍功がないよな
>>136
伊達との小判のエピソードだけど、オレって天下三大家老ってうぬぼれている直江がよ〜くあらわれているね。
秀吉は、懐柔するためにおだてているんであろうに。真に受けてたんだろう。
実は、話に続きがあって、そのとき居合わせた他の大名が、直江ってキザなやつだな、経済を軽んじてどうやって家を治めるの?
と言ったらしい。
禿同だよね。
実際、お家の利害を無視した戦争をおっぱじめて、家が衰退したんではどうしようもないと思うんだけど。
オレは謙信公から采配を預かった、っていうのが直江の得意の台詞で、それを言うと、家中の誰も直江に文句言えなかったのかも。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 00:34:50ID:1GNI/S75何というか…結構閉口しちまうわなw
0191名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 01:06:06ID:lRUwF3JR記録に残ってないも何もねえだろw。謙信公から采配を預かった云々も、
謙信が死んだ時に直江兼続は数え年で19歳だし、直江家すら継いでいない。せいぜい
上杉景勝の近習か、直属の馬廻といったところだろう。そんな奴が采配を預かっている
わけが無い。それに、上杉氏の執政として、米沢を整備し、殖産興業に務めた直江が経済を
軽視しているとは考えにくいのではないか?
そもそも天下三家老の話も、鍋島と小早川と直江だったり、それが堀直政と入れ替わってたり
するし、ハッキリ言って眉唾な話。
直江兼続の場合、閻魔様の話にせよ、政宗との絡みにせよ奇妙なエピソードが多く、かつ大大名の
政治を取り仕切っていた人物というせいで、逸話だけが一人歩きしている感がある。
それに御家の利害を無視して云々も、当時の状況からしてどうよ?って感じだ。当時の情勢で、
家康が勝つか西軍が勝つかなんてわからん話。お前さんが言ってるのは結果論というやつだ。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 06:29:06ID:dVIVq40zいや別にホモ相手=無能という事はない。
信玄と高坂の関係もあるし。
0193名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 15:17:43ID:V9Xhjw8V>御家の利害を無視して云々も
上杉家自体が謙信の神話で纏まってる組織だったので「先代ならこうしたはず」という
基準から外れたら家中の結束が取れない状況だった訳で。故にああ動くしか
無かったと思う。直江の凄さは徳川に徹底抗戦した後上杉家を存続できた
交渉能力にあると思います。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 17:06:51ID:YFx5SdAk結局、上杉は謙信様々なんだよ。結城秀康がたまたま謙信を崇拝していたため、
伊達に、頼むから上杉をこれ以上叩かないでくれって、戦後頼んでたりな。
あと、90万石は減らされすぎだよ。翌年の3〜4月に最上に簡単に庄内かっさらわれ
たため、失わなくてもいいはずの領土を義光に既製事実化された。約30万石は余計。
60万石程度は、交渉で何とか残ったような気もするね。直江は家康に長谷堂の撤退
を上手く煽てられたという始末。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 20:00:16ID:lRUwF3JRまともに戦わなかった毛利や佐竹ですら所領を半分以下に減封されてるし、
ましてや謀反云々を吹っ掛けられた挙げ句、派手な軍事行動を起こしているんだから
30万石でも残るようにしただけ大したものだと思うけどな。
謙信を結城秀康が崇拝していたということよりも、本多正信らに働きかけた
ことが大きいんじゃないのか。「景勝は流罪で上杉は改易」という意見も
あったみたいだし。
なんかどうしても直江を貶めたいやつがいるみたいだが・・・・2ch的に直江兼続は
人気ないのか?
0196名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 20:29:41ID:1D+vmI0e0197名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 00:24:07ID:SwlkvAqM毛利の場合、なんとか戦わせまいと吉川広家がいろいろ工作していたな。
ただ、吉川の場合、ツメが甘いというかなんというか・・・・・
0198名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:00:43ID:mYdEUvwy領土を攻め取られているのは上杉だけ。しかも、国力半分以下の伊達や最上に。
むしろ、直江のようなスタンドプレイやる奴がいない毛利のほうが、その後発展し、しまいにゃ徳川にリベンジしている。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 09:04:34ID:XKLFbRfY中国大返しで静観して豊臣家に恩を売ったように、関ヶ原で徳川家に恩を売るという
吉川の作戦自体は、そう悪くないもないんだがな・・・
まあ、吉川は不憫なところも大いにあるよ。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 12:37:03ID:SwlkvAqM鍋島は東軍に寝返って柳川を攻めているし、前田は母親を人質に出して、
当初から東軍に属している。また、島津は家を挙げて東西どちらかに属した
わけじゃないからな(この時当主は義久で、義弘の個人行動に近い状態)。
これらと同列に語る事はできないだろ。
また、毛利は総大将とはいえ、伊勢や大津(末次元康)で戦った程度で、
関ヶ原では全く動かず、大坂城を退去したのに所領を今までの3割程度まで
減らされたんだから、それを考えてみろ。
合戦を起こし、かつ積極的な軍事行動を展開しているんだから、それで
改易されなかっただけマシというもの。宇喜多など、西軍に付いたら基本改易だし、
佐竹に至ってはろくに動いてないのに秋田へ飛ばされてるわけで。
白石城はあっけなく落ちたとは言え、最上の所領をかなり切り取っているんだし、
一概には言えないんではないか?また、戦後庄内を攻められたのは、孤立した
別働隊の下吉忠が降伏したというのもあるだろうし。
最後の一文に至っては関係ない。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 20:05:03ID:67uTS19G「毛利の方が四万石多く残せたんだぞ」とか威張るようなことでもない。
そして、島津や鍋島はともかく前田なんてまるっきりの東軍だが。
何で前田を持ち出すのかさっぱりわからない。
0202名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 20:07:48ID:0biAsPJ2徳川家が800万石、伊達家が250万石、前田家が102万石、島津家は実石は40万石程度
0203名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 20:09:27ID:RZW5nU1D0204名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 20:13:18ID:67uTS19Gわずか二週間程度で最上領を席巻し
長谷堂城と山形城を残すだけになった。
現実はゲームと違って一国取るのに数十年の自体だし、
三十万石もある最上領をたった二週間で城二つ残して切り取っただけでも立派立派。むしろかなり早い。
実際、当時の上杉と最上の力関係は武田と徳川程度だが、徳川なんて信玄相手に10年も粘ったんだしさ。
あと山形城と長谷堂城を落とせなかった件だが、
城なんてのはいかなる攻撃を受けても数ヶ月持って当たり前。
奥平はたった五百の兵で武田一万五千を開いてに長篠城を二ヶ月も持たせたし。
高橋招運は八百の兵で島津の四万の大軍に二週間ほど粘った。
ましてや山形城と長谷堂城には東軍勝利を信じた、
最上の主力が必至で防戦している以上、二週間程度では落とせないだろう。
しかも、もう少し関が原が長引いてたらこの二城もまな板の上の鯉で
遅かれ早かれ落ちてたわけだしさ。
0205名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 21:12:16ID:F9ViLa5z2ちゃん的というか、どの武将のスレにも一人二人はまぁいる感じ…。
たまに寂しくなるわな。
0206名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 21:43:48ID:gfnOwL0G直江と信玄はアンチが目立つね。
信玄なんて名将評価なのは当たり前なのに、ちょっと誉めると
必死に叩く奴がいる。
0207名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 23:01:34ID:WI1mYWNE大谷みたいに一大名として西軍に与したなら立派なんだが
家臣だからな、結局そこだろ。
0208名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:22:04ID:KNiSbWi1伊達とのエピソードその2、は江戸城での話だね。
戦場出会ったってのはおそらく事実ではないね。伊達の影武者か、伊達家の他の将でしょ。
直江のほうも、対伊達の合戦を指揮してんの?
白石を速攻で攻め取られていて、自身にも多少責任があろうに、どんな顔してこんな軽口をたたいたんだろう?
伊達の無反応は、あきれてたんじゃまいか?
(伊達)「???バカじゃね、こいつ???…」
そもそも、伊達って結構、幕閣や将軍とツーカーだったみたいだから、そんな椰子にケンカ売って、上杉に何の利益があるんだろう?
大藩の家老を務めるような人物ではないことが、この一事を見ても明らか
0209名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:35:30ID:Fw7QTX9Jさすがにこれは史実ではないだろ。直江が直接政宗と戦ったことはないはずだし、これは江戸城での話だから、30万石にされてから。この状況でわざわざ喧嘩売るようなまねしないだろ
0210名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:36:23ID:jPy7JdkFえーと、最上領で快進撃に見えるのは、最上が各個撃破を避けるため、
山形城への撤収命令をだしていたから。
畑谷城にしても、義光は撤収命令を出していたが、江口五兵衛が玉砕を選んだ。
最上の防衛ラインは始めから山形−長谷堂−上山だったわけで、それを一つも崩せなかったわけだ。
特に長谷堂では、直卒なのにいいようにやられてるし。
あのまま戦っても勝てたとは言えないだろうな。
>>200
庄内を孤立させたのも、元はと言えば最上領進行に失敗したからだろう。
0211名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 01:20:53ID:jPy7JdkFそれから、撤退戦にしてもしかり。
退却側が不利とはいえ、兵数的には圧倒的直江有利。
にも関わらず、兼続自身は寡兵の最上勢に攻め立てられ、一時切腹を覚悟。
水原など部下の奮戦で窮地を脱する。退却戦は見事だったが、直江の手柄ではなく部下の手柄だろう。
もっとも、最上攻めの失敗を以て直江に軍事的才能が無いとまでは言わない。
この件は寧ろ、義光以下の最上勢が過小評価されているのだろう。
要所に兵を集め、他は形だけの防戦にする思い切った防衛戦略。上山と長谷堂の用兵。
直江がダメダメだったのではなく、最上がよかったということだろう。
最上への過小評価が、兵をほとんど居なくした最上領内の席巻、部下に助けられた撤退戦を
直江の功績にすることにつながっていると思うが。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 08:25:31ID:myi3FzZY何度も言うが攻城戦とはそういうものだ。
城というのは元々、兵数的に大幅に上回る軍勢相手に戦えるように作られてる。
そんな事言ってたら五百の兵の篭る長篠城を二ヶ月も落とせなかった勝頼はどうなるんだか?
あと、あの状況の退却戦に兵力の多寡など関係ない。、
本当なら確かに退却戦は深追いは禁物で
相手が大軍なら逆に方位される可能性もあるが、
上杉軍はもはや徳川方の最上に逆襲なんて事もできないし、
最上もそれはわかりきっていたので好き勝手に攻撃しまくれたと。
それだけ。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 08:31:20ID:myi3FzZY別に対等な条件で最上が上杉を打ち破ったわけではないのだが、
城に篭って防戦したのと、
もはや関が原が終わって撤収するしかなかった、
上杉を追い立てるくらいしか出来なかったわけで、
そういうのを比較するのは意味がない。
そもそも最上は本庄繁長単独に
してやられた程度なのだが。
0214212 213
2006/09/08(金) 08:41:06ID:myi3FzZY確かに最上は相当な奮闘はしたと思うよ。
ただ>>210-211の言い方を見ると
まるで
「最上が単独で上杉を打ち破った」
「関が原の東軍勝利が無くても上杉に勝ってた」
というふうに読めてしまうのがどうかと思った。
関が原の東軍勝利が無ければ
遅かれ早かれ最上は上杉に潰されてたろう。
勿論、これは兵力の多寡の問題でもあるが。
0215名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 08:53:36ID:L8qlOjFN前提からして直江の評価が高まるような要素はない。
0216名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 09:46:39ID:KhAokWpB>家臣だからな、結局そこだろ。
結局、これに尽きると思うがな。家老としての結果責任を問われるのは仕方ない。
ただ、戦後の徳川家との交渉で米沢30万石保ったのは、誰かが言っていたけれど、
上出来の部類だと思うし、そこは直江の業績として素直に褒めてもいいと思うけどな。
0217直江スレより転載
2006/09/08(金) 10:13:01ID:7Vqbm7Ua確かにな。例えば、韮山城で北条氏規は、4000くらいの兵で3万くらい
いた豊臣軍を3ヶ月近く凌いでいるわけだしな。そして、夜襲して上杉を脅かした
などの話が出てくるが、正直戦局を変えるようなものでは到底無いんだな。
>>215
家康の方が一枚上手だったとは思うが、上杉としては、ほかに選択肢があったかどうか。
会津から庄内、佐渡を押さえている上杉は前田よりも排除せにゃならん相手であるはず。
また、家康が勝つべくして勝ったみたいにいう人が居るが、決してそんな事は無い。
0218名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 10:43:20ID:5tXCVslv同意。
何故いきなり伊達に?という感じ。何かよく言われる直江像みたいな
もんから物凄く遠ざかる一件。これ史実だったらホントショックだわ。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 11:10:33ID:WInRutzc人格者の直江にして、反発したくなる何か不快なものを持ってるんだよ。伊達政宗という目障りな子鼠は。
0220名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 11:11:39ID:KhAokWpB畿内に隣接する北陸(前田)は、上方に至る北からの路だから
軍事的にすごく重要なんだけど
大坂に距離的に近いから、ここが徳川方に落ちると豊臣家には
直接的な脅威なわけで…
0221名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 01:18:47ID:1vamj7rF前田の場合、利家が死んだ直後で、利長になったから父より与し易かろうが、
上杉、直江の場合はそうもいかへんだろって話。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 01:38:17ID:LBRMglE2徳川政権下では上杉はほとんど用無しで、かろうじて利用価値があるとすれば、伊達の押さえに使えるかも、と言ったところではないかな。
だから、考えようによっては、その残ったわずかな存在価値を必死にアピールしたのかもね。
こう考えると、お家の利害に一致する。
でも、武勇の名門上杉の家老がそんなことに汲々とするなんて、上杉ファンとしてはなんか悲しいな〜
直江っていったい何なの…
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