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【義】【義】直江兼続を語るスレ 2【愛】【義】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:17:04ID:EL/8vuxv
何故か三戦板のスレが削除された件

【愛の戦士】 直江兼続を語るスレ 【無双に見参!】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1137033419/
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 17:49:41ID:/u6VFqZ1
削除されたんじゃなくて、コピペ豚に潰された。
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 22:28:58ID:9wqCiR3T
>>1
0004名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 23:42:07ID:5t/qrieV
1の兄でございます。

この度は愚弟がかように愚かしき板を立ててしまい、一族郎党お詫びの言葉もござりません。
愚弟は生まれつき親族の気ままと出奔癖ばかり受け継いでしまい、
若年に若君の乳兄弟を切り殺して出奔して以来、
主家に仇なす家ばかりを渉り奉公する毎日でございます。
先だっての関ヶ原の戦では自壊寸前の宇喜多家にわざわざ与力してわが殿の首を狙ったあげく
ぼろ負けし死に損なって近江に落ち逃げたこと誠に情けない次第にござりまする。
その上厚顔にも豪姫の縁を辿ってか最後の豊臣恩顧ともいえる前田家に再仕官し、
このままでは本多家存亡の一大事に なりかねませぬ。
しかし、ご安心下さいませ。愚弟には徳川の間諜として働いてもらう手はずにございます。
宇喜多中納言の助命と引き換えに反徳川の不穏分子である上杉家に送り込む密約
父佐渡守と上杉家家老山城守との間にて既に整っておりまする。
その後は実子に恵まれぬ上杉公の後嗣を差配し、
徳川の世に抗する気風を一掃する算段でございます。

皆々様方には迷惑をおかけして、まことに申し訳ござりませぬが、今しばらくの辛抱でございます。
なにとぞ、なにとぞ愚弟の此度の所業をお許し下さいませ。

http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150189191/l50
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 22:03:49ID:djGRg9l+
>>1
とりあえず乙
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 07:24:27ID:QSkZtSD/
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
   (  人____)
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ    
 (__/\_____ノ_____∩___
 / (__))     ))_|__|_E) ̄´
[]_ |  |  ロリゲー命ヽ
|[] |  |______)
 \_(___)三三三[□]三) 
  /(_)\:::::::::::::::::::::::/ 
 |文教堂|::::::::/:::::::/←⊂)
 (_____);;;;;/;;;;;;;/   
     (___|)_|)   

フッ、このスレは夜になると伸び悩むんだな。
住人の厨房っぷりを物語っているかのようだ。お子様共が(w
  そこにいくと俺は違う。
夜になってからが俺の真の姿の見せ所とでも言うべきか。
外にはハイエナ共が蠢き、恐喝、暴力、強姦、何でもありだ。
この愚物どもを蔑みながら、俺は今日も夜の街に繰り出す。
何、お前も絡まれるって? だったら自慢の鉄拳で頭蓋骨を砕いてやるよ。
「明日は早いからもう寝よー」などど甘ったれてる貴様らとは格が違うぜ(w
くぐった修羅場の数が違うんだよ、はっきりいってな。
  さて俺もそろそろ寝るか。まだ暴れ足りないが致し方ない。
少しは俺を見習ってその貧弱な精神を叩き直したらどうだ?
これからは俺のことを「闇の帝王」と称して崇めることだな。フッ
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 16:25:32ID:oW4cFEkw
清木場俊介
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 16:44:19ID:97PJ/FU2
聞いたふう(ry
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 18:25:32ID:q+AUJc8M
つか普通に上杉スレで話せばいいんでねーの。
そんなに話題あるわけでもないし。
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 19:37:22ID:Q37p9U1m
愛はわかるが、なんで義?
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 03:14:28ID:bmpc9E0X
上杉家だから
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 15:30:02ID:YH6l3pst
不義は栄えないのだ!
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 22:35:40ID:54Y8XOvN
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/09(水) 18:02:56ID:3TtMrt1r
上杉は上杉、直江は直江で別に論じよう

だから、上杉ネタをコピペするのはやめてね

直江を冷静に分析していくと、ほとんど戦国一くだらない奴だってことが分かってくる

だから、アンチ上杉こそ、コピペしないでスレを大事に育てろと言いたい
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/10(木) 14:33:23ID:G5IRk6/E
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 00:42:11ID:YzR92UGZ
この男の「義」も「愛」も胡散臭い
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 04:03:19ID:ExAesCDp
つ愛をいつわり、釣った三成

の件について、
0018直江兼続2006/08/13(日) 08:49:44ID:Jm5t+eUI
義のため!!愛のためにっ!!
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 11:12:39ID:67uRvigj
直江って口ばっかのイメージなんだけど、何した人なのか教えてよ
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 12:50:23ID:AefIJj7u
死んだ息子に合わせろって家族をぶった切って
自分で会いに行けって素晴らしい屁理屈をこねた男
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 16:21:12ID:67uRvigj
わろす
0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 23:10:05ID:IseL1MaB
^^;
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 02:50:03ID:nruv47bC
>>19
豊臣家に懐柔されて、上杉家を滅亡させた男。天下三大バカ家老の一人です

【愛の前立て】直江山城守兼続【樋口与六】
ttp://live14.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1153573603/l50
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 08:16:27ID:NxfTSpCr
上杉滅亡してないから。
むしろ自分が滅亡。いいんじゃない?
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/15(火) 00:28:33ID:vvji1+qt
  愛
( ゚Д゚) ちわっす、直江っす。

私にとって上杉はどうでもよかったんです。上杉より豊臣が大事だったんです。
だって、30万石ももらっちゃいましたから。30万石。
え、それは懐柔されただろうって? 他の家来が面白くないだろって?

合戦はいつも負けてただろう、って?
いいんです。合戦なんか出来なくてもいいんです。
大事なことは、「義ー義ー」って言い続けること。そうすれば皆だまされます。
みんなも一緒に、言いましょう。
ハイ、「義ー義ー」
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/15(火) 12:39:54ID:k8GyOPDL
不義=自分より強いモノと曲解している直江モエス
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 14:41:44ID:B2Ld0xyk
>>24
江戸期の上杉は、貧乏に困って、さらに士風が退廃して、結局、吉良上野介の植民地になっちゃってるよ
それ以降は、一般的に武勇の名門として知られる杉上杉家ではないでしょ
家の貧乏と士風の退廃をもたらした人、ってことで、「直江が上杉をつぶした」といっても、
まあジャスト当たらずとも、まあまあ遠からず、といったところじゃまいかい?
0028名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 16:00:24ID:NpIkDzPc
会津120万石→米沢30万石は仕方ないとして
上杉の場合綱勝の急死→吉良の子綱憲を末期養子で15万石が痛かった

これだって保科正之が相当骨を折っての結果だけど
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 21:07:43ID:zTDMq4Xd
確か、家の貧乏が原因で吉良上野と付き合っていたら、上杉の嫡流の人が夭折したんだよね。
これが吉良が暗殺したとか、しないとか。
長尾氏系の男子も居たのに、吉良がゴリ押しで自分の子供を世継ぎに。
この頃は、上杉家が活気無くなって、他家からも孤立していた。
大した反対も無くこれが通った、こんな感じではなかったかな?
直江の専横が長く続いた影響が大きいのではないかな。
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 23:43:56ID:eRL+udP+
【謙信最強は創作】
謙信が戦国最強の武将(軍神)とされたのは、江戸時代の創作ですね。
武田の甲州流兵学が幕府公認となったので、紀州徳川家(頼宣公)が
上杉流兵学(軍記書)を宇佐美定祐に作らせたというのが最新の学説です。
臼井城攻めの失敗など謙信が敗北した合戦も、複数の史料で明らかになっています。

※謙信自身が敗北を認めている書状↓
 晴信年(念)を入れ、いかにも堅固ニしらわれ候間、落居さうなくつき堅候、
併馬を為寄候上者、善悪ニ不及候間、無ニセめへきそうふんにて、当月七日より
取詰候ヘ共、(中略)佐(佐竹)・宮(宇都宮)を始、弓矢かいなくわたられ候、
房州(里見)・太田いくさにまけ(第二次国府台合戦)候時よりも、たゝいまきうくつなんきニ候、
とかくこのたひハかた〜〜にあふへき事いかんなるへく候やと、心ほそく候間、
早くはりをやるへきために一昨夜ハちゝんをやり候ヘは、めのまえの者ともはらを
たて候て、うたてしかり候、これ又よきなく候へ共、さゆうなくゆたん候へ者こと
のひ候てきうしくちおしく候(中略)
 かいほつ又ろう人のうちに一両人ておい候、さセるきなくうすてニ候、返々
いつもよりかへり(帰り)たく候間、このたひハおつと(落ち度)あるへく候やと
心ほそく候、
永禄七年三月十三日                  虎(花王)
[三洲寺社古文書]


【上杉家の歴史】
上杉謙信が小田城を攻め落とした時、小田城下がたちまちにして奴隷市場に早変わりし、上杉謙信自身から差配して人の売り買いを行った。
奴隷の値段はひとりあたり20〜30銭の安さだった。

1561年(永禄4年)、謙信は関東管領の就任式で忍城城主成田長泰の非礼に激昂し、顔面を扇子で打ちつけた。
諸将の面前で辱めを受けた成田長泰は直ちに兵を引きいて帰城してしまった。
原因は諸将が下馬拝跪する中、成田長泰のみが馬上から会釈をしたためであったが、成田氏は藤原氏の流れをくむ名家で武家棟梁の源義家にも馬上から会釈を許された家柄であった。
だが、謙信は無知でこの事を知らなかった。
この事件によって関東諸将の謙信への反感が急速に高まり、以後の関東侵出の大きな足かせとなった。

上杉謙信は臼井城の原胤貞を攻めた際、数千の死者を出して逃げ帰っている。
これを機に由良成繁が上杉謙信を見限って離反。
長野業盛が武田信玄に攻撃により滅亡。
臼井城攻撃に失敗した謙信は
信玄に箕輪城を奪われ氏康に金山城を取り込まれてしまい
とうとう厩橋城までもが謙信の手からこぼれ落ちた
上杉家重臣の北条高広も上杉家から離反。
謙信の関東経略は失敗し北条家と同盟という救いの手に助けられる。

謙信の死後、養子の景勝(謙信の姉の子)と景虎(北条氏康の子)が後継者の座を巡って内紛を起こし、越後を二分した争いは天正7年(1579年)の御館の乱で景虎が討死する事により景勝が勝利した。
しかしこの内乱によって、上杉家家臣の新発田重家は離反し、柴田勝家率いる織田勢は能登や加賀、越中に侵攻して同地を1581年までにほとんど奪ってしまった。
つまり、謙信が築き上げた勢力は、この内乱によって完全に失われるとともに、上杉氏は大きく衰退してしまったのである

本能寺の変の直前には、柴田勝家が率いる方面軍に越中の城は次々と落とされ、
信濃からは森が、三国峠からは滝川がと、三方から侵略を受けて防戦も無理な状態だった。
新発田氏の反乱で越後国内はボロボロ。 反乱を鎮圧する力さえも残っていなかった。
景勝自身も死を覚悟しており、本能寺の変が無ければ上杉家は数ヶ月後に滅亡していただろう。
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/21(月) 17:32:09ID:4dkMS/B9
ここは謙信じゃない、直江だっつーの
狂信的なアンチ上杉ってのが居るんだな
ゲームで上杉が最強になってたりして、その反動でこういうアホが現れるのかな
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 16:31:23ID:8a7DfjTq
上杉は、越後の一国の国持大名のままで居るべきだったね。
大老にもならず、中立のままで。
直江が懐柔されたから、そうもいかなくなったね
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 19:47:08ID:u8W1UmF7
>>32
それは無理という物です
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 23:01:10ID:jcaF2fs6
いけたんじゃね。秀吉の横車もてきとーにいなしておけば。
移封も直江の増封も断り、多少の領土の割譲に応じたり、佐渡の金山くらい手放しても
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 07:05:05ID:JLjH59NR
>>34
無理だと思うよ。
秀吉相手じゃ。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 20:29:23ID:3vshDa2Z
家康・秀忠ならともかく秀吉は結構甘いと思うけどな
北条と信雄ぐらいでは
痛い目みたのは
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 22:14:42ID:uPr19sGu
現実に、毛利は領土の割譲で何とかいなしているしな。
直江の増封のエサに釣られたって感じかな。

上杉にも、徳川と敵対するべきではない、って家臣も居たみたいね。
その人達がまともな人達だったね。
直江は、天下三大ナントカなんておだてられて、自身を過信しちゃったんだろうね。
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 14:22:38ID:hXh4ifcw
白石城が簡単に伊達に取られているのが、関が原前後の上杉の事情を象徴しているような気がするんだよね
白石は土地も豊饒で、要衝だし、どうみても捨てるような場所ではない
攻めている伊達家の連中も、上杉のあまりの弱さに呆気に取られたんではないかな

おそらく、甘糟を初めとする守備の連中はヤル気が無かったんではないかな?
豊臣政権下で直江ばっかリいい思いして、勝手に戦争を始めた。
どうせ、勝ったって直江ばっかりいい思いするんだろう。直江のために命張ったってしょうがない。
サッサと開城してしまえ。ってな感じで。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/29(火) 10:48:42ID:dWjDTNER
俺は無敵だ!貴様なんぞに負けるわけがない
0040名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/29(火) 16:30:28ID:Gzff//Yu
戦国ランスのスパッツ直江兼続 エロイ
0041名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/29(火) 19:48:25ID:0YeHk7ar
やる気があったのは、直江の周囲の連中だけだったんだろ
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 01:03:38ID:b6by+w4e
秀吉の横槍をいなすのはおそらく無理。
家康旧領への転封を拒んだ織田信雄は有無をいわさず改易だし、
とくに晩年のボケ爺と化した秀吉相手というのを考慮すれば・・・なあ

0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 10:39:38ID:KEtKCe76
最初は、上杉家としての矜持があって、家康なにするものぞという気概があったの
だと思う。ところが、じっくり慎重派の家康が、あっという間に牙を向いて、武力討伐
にでてきた。上杉としてはメンツを重視するのが大事で、徳川との一戦は想定外のこと
だったんじゃないか。反転した家康を追いかけられなかったのは、もとより自信がなかっ
たからだし。
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 13:24:27ID:fCFUZ5OU
一戦は覚悟してたんじゃね。だからこそ、前田慶次だの浪人衆を飼っていたわけで。
直江状でケンカ売っているわけだし。
でも、上杉家中の他の連中は冷めていたんだろ。何で徳川と戦わなくちゃなんないの?ってな感じで。
豊臣の恩恵を受けたのは直江だけじゃん、みたいな
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 13:55:29ID:tXqRB9HU
>>44
直江状は後世に作られた偽文書。
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 15:49:21ID:Ir2khmcO
一戦を決意した書状が残っているわけだが。
まず新潟県立歴史博物館にある上杉景勝から安田、甘粕、岩井、大石、本庄宛に出された書状。
慶長5年6月10日付の書状で内容は景勝の言い分全てが却下され、何度も無条件で上洛する様、家康が催促している事に理不尽過ぎると景勝が怒っている。
これ以上ふざけた要求をしてくるなら一戦を交える覚悟。で家臣に対しておまえ等、俺についてくるのかハッキリしろといった様な感じの書状。
もうひとつは米沢市上杉博物館所蔵の直江兼続書状。
慶長5年8月6日付で福島県須賀川市に出陣していた兼続から会津の清野助次郎に宛てたもの。
三成の使者が会津に来ている事を知り、三成の書状を兼続が見て返事を出すと指示。
また三成と兼続が中心となって立てられた越後の一揆衆の指揮は上杉軍に任せるといった内容。
また市立米沢図書館には上杉軍の白河口での戦闘配備の図がある。
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 15:35:26ID:g+RQ65Rf
新潟が日本の首都に為ってたかも知れないんだな・・・

狸おやじのせいで忠臣蔵でも敵役にされるわ幕末まで苦しまされるわ
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 16:43:27ID:fnrvemNo
>忠臣蔵

吉良上野介が討たれた事件では米沢藩の人間も喜んでいるんだよ。
悲しんでいたのは藩主綱憲と妻で先代藩主の妹の参姫くらいではなかろうか。
当時、吉良家は上杉家にたかっていて上杉家の蓄財を使い果たした上に借金までさせていた。
当然そのツケは米沢藩の家臣や領民の負担となり苦しめられた。
また先代藩主綱勝が吉良家を訪れた後に腹痛を起して急死してる事から毒殺したとの説すらある。
吉良上野介が討たれた時、米沢の人々は「ざまあねえや。」と同情すらしなかった。
それどころか重税から開放されるってんで大喜びしたとの言い伝えが残ってるのな。
今でも米沢市民は吉良家と藩主綱憲に良い感情を抱いていない。
もっとも、この綱憲の悪政があったおかげで後の上杉鷹山の功績が輝くわけだが。
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 17:00:55ID:g+RQ65Rf
吉良氏はともかく、上杉家まで下手したら改易されてたかもしれないのは
否定しないよね? スレの話題とは離れるけど、大学さんはマジでかわいそう・・・
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 18:04:04ID:XxaCjzsk
>>48
はあ?
なに恩知らずな事言ってんだ?
吉良が本来は自分の嫡男であるはずの綱憲出して、
しかも、幕府に上杉家尊属を嘆願してくれたからこそ、
本来は世継ぎが耐えて取り潰されるはずの上杉家が存続したんだよ。

まあ、吉良も人間だから、この事でちょっとは上杉に
たかったのも事実だろうけど、それを補ってあまりある恩義が上杉にはある。

それと米沢藩の財政が傾いたのを全面的に綺羅のせいにしてるが、それも違う。
そうなったのは120万石から30万石に減封されたのに
武士の数をほとんど減らさなかった上杉家の構造的問題が
一番大きいんだよ。
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 18:06:54ID:tPQw5K+0
ってか、直江かねつぐって実績的には単なる愚将だよね。
0052502006/08/31(木) 18:07:52ID:XxaCjzsk
変換ミスだらけ・・・スマン
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 19:00:49ID:jwN6Cuxp
吉良が嫡子を暗殺したんじゃなかったっけ?他にも謙信の血のつながりがあるヤシも居たのに吉良が…違ったっけ?
長尾氏系断絶の原因をである、減封をやらかした直江の責任は大きいね
直江の専横が続いたせいで、家中がシラケて、吉良に抵抗できなくなったんだよね。
それ以外に、直江が江戸で嫌われていたから、上杉が他家から孤立していたんじゃないだろうか?
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 19:26:44ID:XxaCjzsk
>>53
>吉良が嫡子を暗殺したんじゃなかったっけ?他にも謙信の血のつながりがあるヤシも居たのに吉良が…違ったっけ?

はあ?
どこの四流歴史小説にそんなアホな事が書いてあった?
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 20:01:23ID:g1ZHg0x4
「すぐえ」(三条辺りの地名)と「なおえ」の違いを教えてくらはい!
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 06:49:56ID:HMVUTs8z
なんだか、このスレのみならず板に
偏執的なアンチ直江がいるな。
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 08:05:46ID:8KjBIJVK
1人の馬鹿が粘着してるだけだろ >はあ?

この口調の思考停止した奴が。
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 08:16:25ID:Zep5gooB
最上攻めは、義光に籠城戦にもちこまれたのが全て。
長谷堂城を一気に下し、義光と政宗の母親を人質にして半年くらい粘って、
外交交渉にもちこんでいれば、70万石位は残せたんじゃないだろうか。
0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 08:33:54ID:HMVUTs8z
>>58
そりゃ無理だろう。
最上は当然、城に篭ろうとするだろうし。
あとの観測も甘すぎ。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 10:13:55ID:oweLabW7
この人は、能力がない、だけじゃなく、人間が間違ってね?
上杉家臣なのに、秀吉から大領土もらう時点でおかしくね?
自分に大封与えてくれた豊臣家に、結局大阪の陣で弓を引いてんじゃん
そんなヤシ他にいね〜よ?
自分の主家にも100万石級の大損を与えているんだよね。
それで責任取らない。そんなヤシも他にいないんだよね
武士じゃねーよ。
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 17:29:37ID:Ukfuhi2i
なにこのアンチスレ
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 18:33:10ID:HMVUTs8z
上杉にしろ毛利にしろ
120万石が30万石に削られたからこそ、
潰されもせずに存続したとも言える。
俺が徳川ならそんな危険な存在はさっさと潰す。
0063名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 19:37:04ID:JbRbUwCT
上杉、毛利、島津の三家では、一番島津の立ち回りが上手かった。
島津は井伊直政を死に到らせ、家康の上洛命令を無視しているのに、
寸土も領土を失っていない。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 00:14:45ID:3vkChvc8
島津は地の利を生かしたね。上杉も、会津ではなく越後だったら居直れたかな〜どうかな

直江兼続って、頑張った人であることは間違いないね。
でも、天下人に懐柔されてしまうところと、権力にしがみ付くところは、元々は下級の身分だった卑しさかな〜
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 03:59:55ID:2ed5KjJt
>>63
「うまかった」というか「下手だった」から生き残れた気がする。
島津義久が非現実的な中立主義や中央政権を理解しない行動をし続けて
変に粘って上洛命令を無視したり徳川の船を焼いたりしたが、
島津忠恒が最終的には義久の命令を無視して勝手に上洛して家康と
会見したから助かった。
ちなみに義久はそれを「親不孝の極み」と罵ったという。
どう見ても義久の「老獪で巧みな事後交渉」とかではなく、
単なる勘違いに満ちた出たとこ勝負が功を制しただけ。
それをたまたま状況などが左右してうまくいったと思われる
0066蒲倉2006/09/02(土) 04:43:41ID:7DJrqRIc
上杉十騎隊蒲倉の子孫ですが、直江兼継公が天下取り病に成らなければ、上杉百万石は守られたはず。実際景勝公を守っていたのは、小田桐、蒲倉などのの御三家であります!
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 06:57:16ID:2ed5KjJt
上杉は無理ですよ。
そもそも事の発端は上杉景勝が上洛を拒否して
少なくとも表向きは豊臣秀頼の命令による上杉討伐令を
受けてしいまったのですから。
全ての責任を直江に押し付けるのは無理ありすぎてす。

それと毛利についても無理です。
なんせ毛利輝元が西軍総大将を引き受けてしまったのですからね。
いくら吉川広家が裏で手を回しても減封は逃れられないです。

上杉、毛利ら比べれば島津は末端だし、見逃されたのでしょう。
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 08:03:54ID:FaAevv4Z
直江家って江戸時代はどうだったの?
無嗣断絶?
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 12:02:42ID:Ok3a6Ez+
ココで兼続叩いてる人って片倉影綱と並べられて語られる事はどう思ってるのかな
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 12:25:24ID:KBI7UUBO
片岡は主家に不利益をかけてないのに、なんで直江と並べられてるんだろう?
だれか理由を教えてくれ…
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 12:54:39ID:LOIrDxZ5
結局は関が原の勝敗が全てを分けたような。
直江も上杉も小早川秀秋に敗北したんだよ。
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 13:06:20ID:yTv2hmTY
直江は関ヶ原後、同じような立場に追い込まれた吉川広家に比べたら、
評価はマシだと思うがな
しかも、吉川は主家が大事で、むしろ吉川家だけで処理しようとした策が
裏目に出た結果なのにな
0073名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 15:16:36ID:2ed5KjJt
そうそう本来は
「毛利家は当主が西軍総大将に就任した件で全所領没収。
吉川広家は毛利家の進撃を防いだ功績で中国地方に1、2カ国を与え栄転」
だったのを吉川が「我が所領はいいから、主家を助けてください」と必死で懇願した結果、
「格別の計らいで本来は吉川広家に与える予定であった周防・長門両国を毛利家に与える」
に変更されたわけだからね。
毛利家は本来は全所領没収の処置だったのだが。
0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 00:47:08ID:+QmH0gpz
>>69 >>70
片倉とは前と悪の正反対の好対照としてよく比べられる
片倉景綱は、秀吉が領土をくれる、といってももらわなかった。主君がくれるものしかもらわない、と。
子の重綱は、家康に江戸屋敷をやる、といってももらわなかった。自分は伊達家の一家老でいい、と。
〜守などの官位も一切もらわなかった。小十郎のままでいい、と。
徹底して懐柔されないヤシだった。

直江は、領土も官位も江戸屋敷も何でもかんでももらっていたね。
その結果、伊達家は大藩のまんま残り、上杉は吉良上野の殖民地に…

直江は、家中で嫌われて養子縁組も解消されて、結局直江家は断絶してるよ。
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 01:22:30ID:I9xthLQj
自信がなかっただけだろ
切り盛りできる器量があるなら1石でも多く取り込んだ方が自家にとっても有利に決まってる
0076名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 01:23:32ID:ycUybHwC
自分への愛だったのね
0077名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 01:38:11ID:7R9GSlRn
兼続って改めてウザイ奴だな、マジで町中引きずりまわしたあと爪を剥いで釜茹で苦痛を与えて股から首まで
ゆっくりと鋸で切り刻んで殺してやりて〜本当むかつく!!(#・∀・)
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 07:52:02ID:L15f1A31
おいおい、
なんか直江が嫌いで嫌いで
しかたない奴がいるね。
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 08:28:49ID:MzvCfoUv
       /\___/ヽ
      /:::::::       \ 
     .|:::.   ''''''   ''''''  |
      |::::.,(一),   、(一)|
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    /   l | /  | |
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   |  `ーヽl_l_l.} ヽl_l_l.}             
  (、`ーー、ィ   } ̄`   ノ            
    `ー、、___/`"''−‐"        自己愛
                     義理チョコ
0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 17:57:11ID:sU42Z7+Y

(゚Д゚)


(゚Д゚)
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 22:02:07ID:L15f1A31
無双がなかったらお前ら「義」なんて言葉使わないくせにwww
厨が多すぎるインターネットですねプw
さっさとゲームの世界にお帰りw
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 02:10:41ID:ZXEgz/tH
>>74
吉良上野の植民地って、直江家断絶後だぜ、それ

それから、直江氏断絶も直江兼続の意向だったらしいが?
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 06:58:44ID:XPJd0XAK
ここはよくよく直江と吉良が嫌いな奴がいるみたいだな。
直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
吉良が自分の嫡男出さなければ上杉は取り潰されてただろうに。
それとそもそも上杉が120万から30万に減封されたからこそ、
米沢の発展があったのだが。

あと関が原で上杉から奪った領地の多くは
天領になって領民は厚遇を受けたわけだし、
所詮は外様の上杉家の領地であるよりよっぽどラッキーだっただろ。
江戸時代、外様一の大身であった加賀藩の租税の多さはトップクラスだったし、
上杉も、もし120万石のままなら、広大な領内の領民は塗炭の苦しみだったと思われ。
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 07:14:43ID:XPJd0XAK
いっその事、上杉なんて取り潰された方が
領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
上杉鷹山の改革も酷すぎる状況という前提があったから
うまくいっただけだろうよ。
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 11:07:24ID:ejJU/E62
>>83
>直江は功労者、吉良は恩人だろうが。
功労や恩もあったけど、それ以上に実害が大きかった、ってかんじじゃね?

>いっその事、上杉なんて取り潰された方が領民にとってはよっぽど幸せだったと思われ。
そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。この版もいらないってことに。
ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 13:37:21ID:Q8w8P6gc
>>85
>そうなると日本全国、大名なんか無くなった方がよかった、ってことになるね。
>ここはやっぱり、領民がどうの、という視点ではなく、上杉家の視点で語るのがよろしいかと

これ同意。正論だと思う。実際、領民サイドはなかなか確かめようもないし、
真面目に調べるには戦国板では手に余る。
0087名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 14:35:29ID:XPJd0XAK
調べようはあるよ。
天領の租税なんて外様大名の半分程度だよ。
しかも飢饉の時は餓死者を出さないように蔵を開いて領民救済の措置がとられた。

戦国オタは徳川を嫌い親豊臣・西軍派、外様大名などを好意的に論じるが、
実際は豊臣とか福島とか真田とか毛利とか上杉とかの領民は高い税負担にどこも苦しんでた。
これは江戸幕府の工事などを外様に押し付けて
経済的余裕を与えず謀反を起こさないようにする政策でもあるんだけどね。

まあスレ違いならやめるけど
あんまりにも、スレに感情的な直江・吉良叩きがはこびってるのが気になってね。
こういう反論してみた。
他スレでは「直江は関が原で切腹すべき」とか頑固に主張してる人がいたね。
同じ人なのかな?
あんま、そんな暗い主張はやめて欲しいんだが。
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 14:58:18ID:Ed6tyshC
>>87
上杉家が外様大名である以上、その制約内でどういう施政が可能だったとか
具体的な政策を論じないと仕方ないんじゃないか???
取り潰されて天領になりゃいいって、そんなこと言っても無意味でしょう。
あんま、そんな馬鹿な主張はやめて欲しいんだが。
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 15:38:58ID:0HQKSdzu
直江と吉良ってなんかイメージ重なるな。上杉の二大貧乏神って感じ
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