秀吉の「出自」は徳川に隠された「貴人」か
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:02:41ID:uMNtvlQR従1位関白に成るには百姓でなく多少の貴人でなければ如何せん無理なのです。
「真説・豊臣秀吉」文庫本に歴史学者の意見としてそう書いてある。
では徳川政権が「あれは百姓出身です」と太閤記を改ざんし歴史を曲げた形跡は無いか?
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:08:13ID:hGavb28F0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:10:07ID:Q6v60j56改竄って普通漢字にしない?
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:21:52ID:mlm1gCOP0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:30:52ID:zIztGITT0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:54:26ID:hGavb28F前田利家の回顧談『亜相公御夜話』
にそのような記述がある。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:16:04ID:T+ZMV9LU「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六
本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のように
鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき
策略家であった」。
上記についての訳者の注。
「(5)秀吉に「指六本」という記述は信じ難く思われようが、フロイス
が根拠なく、あるいは感情に走って異常なことを記したのではない
ことは、前田利家の「国祖遺言」(写本)の次の記事により証明され
る。曰く、「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛
生飛弾(ママ)殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言
様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御
咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候
ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな
とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」(一八表−裏)。」
「日本史」は何度か再版されていますが、一番最初に出たハードカ
バーの初版では、上の注がなかった(6本指はウソだと思っていた)
と記憶しています。読者から指摘があって、その後出たペーパーバ
ックでこの注がつけられました。しかし、今出ている文庫本ではまた
注がなくなっているようです。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:57:42ID:UNnT1piCそのへん、信長の優しさかな
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:59:49ID:1IxMgYOn0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 08:09:12ID:+j2LM0DFあの男が同姓に対して遠慮することなどない。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 08:41:54ID:1skIHTZJ0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 10:39:20ID:ids7lcHi成長期に親指の付け根が割れて伸びる症例は現代人にでもあるし
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:49:45ID:JwhfNEgw生まれながら普通の人ではないわな
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 15:00:40ID:Lv7+jcT60015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 19:29:18ID:sTfwztKe勝海舟もそうらしいね。
昔、勝海舟の伝記を読んだ時、秀吉もそうだったと書いてあった。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 14:27:06ID:YncMBfYM0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 16:53:17ID:bQwakYto競馬ならGIレース総ナメは間違い無し
秀吉には俺が今思いついた「速人」の称号を与えよう
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:25:45ID:pB9oc/ZB0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:29:10ID:pB9oc/ZB0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:42:15ID:2TTdNl/o足の速さは変わってくるのかな?
というか、いじめとかに遭わなかったのか
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:13:38ID:o3Rni9/V0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 21:18:48ID:eDRsVSYo『関白任官記』によると
「秀吉の母は無実の罪で尾張に流された萩中納言の娘で、朝廷に宮仕えをして帰郷した後まもなく、秀吉を生んだ」
と暗示的な事が記されています。
松永貞徳の『戴恩記』では
「秀吉は、大政所が天皇に近づいて孕んだ子だ」とはっきり述べているし
『塩尻』では実父を後奈良天皇だと言っている。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:04:00ID:Koz/Bdk2『関白任官記』の記述は朝廷最高の関白に就任するため、自分の出自を飾るためのもの。
後の2つはそれを元にした創作。
『嬰々筆話』では正親町天皇が実父になっており、バラバラ。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:47:13ID:+OqTSIb30025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:51:05ID:k2UEBXby筵売りや草鞋売りをしていたというのが正解
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:00:53ID:X3dt2Row0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:49:24ID:ewMtMCvu顔形が異相だったり、目耳や手足の長さが常人と違ってたりする奇相の人は
何か特別な力が宿ってると尊崇されるもんだろ
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 07:25:19ID:WxrHtzvR0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 16:06:42ID:eACAlKnxマジ?ソースは?
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 19:39:15ID:CSvB1F3W0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 13:43:40ID:GCpKo5RK大政所の出自を詳しく調べてゆくと、山野を漂白して生活する山窩である可能性が高いというもの。
現在この説は、松田修氏、小和田哲男氏、渡辺豊和氏などがとなえている。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:13:57ID:oaaTRECuんで秀吉に歩み寄る菊亭晴季の斡旋で、豊臣に改姓および関白太政大臣に就任と。
たしかに征夷大将軍と比べてやけにあっさり(実際は大変だったろうが)関白になってるね。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:33:04ID:HT5CUuZx現代で言う部落民じゃん
一農民よりさらに酷くなってるしw
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 02:02:44ID:RzK4ReEa物を知らんのにもほどがある
山窩とは何か勉強してからコイ
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 09:25:07ID:Vp0kTTs3部落乙
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:30:47ID:GTH12q+l0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 05:36:50ID:Ritw+7Dvそれなりの身分・門地なり背後関係などがなければ
織田家から養子をもらえることなどあるはずもないし、
ましてや親王(それも東宮の皇子)を養子にするなんて
とてもじゃないができるはずが無い。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 18:01:16ID:8jvMEk070039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 05:55:54ID:w0x11DT0無い無い。
秀吉が自分の出自を美化するために嘘書かせただけ。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 21:22:06ID:z7Jv9lfc0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 15:41:02ID:GcN+9X7Jこれはいくら信長の出世システムの中でも一介の百姓家の息子では不可能なんだわ。
特に秀吉は体も小さくて戦闘には向かないタイプだったしね。
だから豪族の出じゃないかと堺屋太一氏は推測してた。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 16:50:03ID:U/UbVBSIまして藤吉郎のほうから信長に養子をくれと頼むなんて・・・
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:18:49ID:NagY7UqKロンパリのこと?
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:34:30ID:3Mf4qRZgそれに戦国時代はそこまで身分がはっきり分かれてないんじゃない?
商人の息子や盗賊、海賊出身、僧侶でも武将になれたわけだし。
身分や階級にこだわるのはおれたちがマルクス主義的な歴史観に
毒されてるからと思う。学校教育の弊害だろうな。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:35:17ID:NagY7UqK秀吉の出自というか、父親が朝鮮の行商で
で、行き着いた尾張の農民との娘と結婚して秀吉が生まれたみたいな・・
その後、父親はまた行商に行き、帰って来なくて
その後、母親が再婚して、連れ子として秀吉が育てられた
で、再婚相手に朝鮮の子供と虐められたので
父が嫌で若くして家を飛び出したみたいなのがあった
読んだときはショッキング極まりなかったけど
ナチスドイツのヒットラーと同じように
捻じ曲がったコンプレックスが同民族の侵略に駆り立てたみたいな・・
そうゆう点では、農民出身の秀吉が部落制度を初めて作った権力者だし
あながち、明の征服が目的じゃなく、最初から朝鮮民族の根絶やしが目的だったのでは?
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:46:09ID:AdptFiGdそれ、あちらさんの意向を含んだ妄想。日本人に蹂躙されたなんて許せないんだろう。
それと部落については、それ以前からある種の閉鎖社会や分業があった。
秀吉が行った制定はギルドのようなもの。
と電波にマジレスしてみる。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 18:00:48ID:NagY7UqK差別されるんだろ?
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 19:29:25ID:Zthq95tZ部落差別を初めて制度化したのは秀忠な
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 20:51:49ID:eyfLnY5W通り道だから攻めることになったんじゃなかったか。
その全体的な名称も当時[唐入り]だったはずだし。
朝鮮は適当に百済の末裔を自称してる宇喜多にでも任せて、目的の大陸自体をミカドに
献上するつもりだったと聞くが。
全体的に見て、秀吉は朝鮮に対して何の感情もない。通り道としか見てなかったようにみえる。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 08:15:01ID:JQsTCzBN0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 08:59:28ID:ljA1xyEM具体的には、どのように記されているのでしょうか。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:26:11ID:m0BIyLemそこで、秀吉が言ったのは、彼には姉か妹でもいるか?だった。
そっちの毛は無かったようだ
って信長の野望の攻略本の武将ファイル書いてあったぞ。
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