秀吉の「出自」は徳川に隠された「貴人」か
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:02:41ID:uMNtvlQR従1位関白に成るには百姓でなく多少の貴人でなければ如何せん無理なのです。
「真説・豊臣秀吉」文庫本に歴史学者の意見としてそう書いてある。
では徳川政権が「あれは百姓出身です」と太閤記を改ざんし歴史を曲げた形跡は無いか?
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:08:13ID:hGavb28F0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:10:07ID:Q6v60j56改竄って普通漢字にしない?
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:21:52ID:mlm1gCOP0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:30:52ID:zIztGITT0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 01:54:26ID:hGavb28F前田利家の回顧談『亜相公御夜話』
にそのような記述がある。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:16:04ID:T+ZMV9LU「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には六
本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のように
鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目なき
策略家であった」。
上記についての訳者の注。
「(5)秀吉に「指六本」という記述は信じ難く思われようが、フロイス
が根拠なく、あるいは感情に走って異常なことを記したのではない
ことは、前田利家の「国祖遺言」(写本)の次の記事により証明され
る。曰く、「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生飛
生飛弾(ママ)殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて大納言
様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて夜半迄御
咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御きりすて候
ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に六ツめかな
とゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」(一八表−裏)。」
「日本史」は何度か再版されていますが、一番最初に出たハードカ
バーの初版では、上の注がなかった(6本指はウソだと思っていた)
と記憶しています。読者から指摘があって、その後出たペーパーバ
ックでこの注がつけられました。しかし、今出ている文庫本ではまた
注がなくなっているようです。
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:57:42ID:UNnT1piCそのへん、信長の優しさかな
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 02:59:49ID:1IxMgYOn0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 08:09:12ID:+j2LM0DFあの男が同姓に対して遠慮することなどない。
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 08:41:54ID:1skIHTZJ0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 10:39:20ID:ids7lcHi成長期に親指の付け根が割れて伸びる症例は現代人にでもあるし
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:49:45ID:JwhfNEgw生まれながら普通の人ではないわな
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 15:00:40ID:Lv7+jcT60015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 19:29:18ID:sTfwztKe勝海舟もそうらしいね。
昔、勝海舟の伝記を読んだ時、秀吉もそうだったと書いてあった。
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 14:27:06ID:YncMBfYM0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 16:53:17ID:bQwakYto競馬ならGIレース総ナメは間違い無し
秀吉には俺が今思いついた「速人」の称号を与えよう
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:25:45ID:pB9oc/ZB0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:29:10ID:pB9oc/ZB0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 18:42:15ID:2TTdNl/o足の速さは変わってくるのかな?
というか、いじめとかに遭わなかったのか
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/14(月) 19:13:38ID:o3Rni9/V0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 21:18:48ID:eDRsVSYo『関白任官記』によると
「秀吉の母は無実の罪で尾張に流された萩中納言の娘で、朝廷に宮仕えをして帰郷した後まもなく、秀吉を生んだ」
と暗示的な事が記されています。
松永貞徳の『戴恩記』では
「秀吉は、大政所が天皇に近づいて孕んだ子だ」とはっきり述べているし
『塩尻』では実父を後奈良天皇だと言っている。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:04:00ID:Koz/Bdk2『関白任官記』の記述は朝廷最高の関白に就任するため、自分の出自を飾るためのもの。
後の2つはそれを元にした創作。
『嬰々筆話』では正親町天皇が実父になっており、バラバラ。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:47:13ID:+OqTSIb30025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 01:51:05ID:k2UEBXby筵売りや草鞋売りをしていたというのが正解
0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:00:53ID:X3dt2Row0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 04:49:24ID:ewMtMCvu顔形が異相だったり、目耳や手足の長さが常人と違ってたりする奇相の人は
何か特別な力が宿ってると尊崇されるもんだろ
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 07:25:19ID:WxrHtzvR0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 16:06:42ID:eACAlKnxマジ?ソースは?
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/21(月) 19:39:15ID:CSvB1F3W0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 13:43:40ID:GCpKo5RK大政所の出自を詳しく調べてゆくと、山野を漂白して生活する山窩である可能性が高いというもの。
現在この説は、松田修氏、小和田哲男氏、渡辺豊和氏などがとなえている。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:13:57ID:oaaTRECuんで秀吉に歩み寄る菊亭晴季の斡旋で、豊臣に改姓および関白太政大臣に就任と。
たしかに征夷大将軍と比べてやけにあっさり(実際は大変だったろうが)関白になってるね。
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 14:33:04ID:HT5CUuZx現代で言う部落民じゃん
一農民よりさらに酷くなってるしw
0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 02:02:44ID:RzK4ReEa物を知らんのにもほどがある
山窩とは何か勉強してからコイ
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 09:25:07ID:Vp0kTTs3部落乙
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 16:30:47ID:GTH12q+l0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 05:36:50ID:Ritw+7Dvそれなりの身分・門地なり背後関係などがなければ
織田家から養子をもらえることなどあるはずもないし、
ましてや親王(それも東宮の皇子)を養子にするなんて
とてもじゃないができるはずが無い。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 18:01:16ID:8jvMEk070039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 05:55:54ID:w0x11DT0無い無い。
秀吉が自分の出自を美化するために嘘書かせただけ。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/06(水) 21:22:06ID:z7Jv9lfc0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 15:41:02ID:GcN+9X7Jこれはいくら信長の出世システムの中でも一介の百姓家の息子では不可能なんだわ。
特に秀吉は体も小さくて戦闘には向かないタイプだったしね。
だから豪族の出じゃないかと堺屋太一氏は推測してた。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 16:50:03ID:U/UbVBSIまして藤吉郎のほうから信長に養子をくれと頼むなんて・・・
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:18:49ID:NagY7UqKロンパリのこと?
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:34:30ID:3Mf4qRZgそれに戦国時代はそこまで身分がはっきり分かれてないんじゃない?
商人の息子や盗賊、海賊出身、僧侶でも武将になれたわけだし。
身分や階級にこだわるのはおれたちがマルクス主義的な歴史観に
毒されてるからと思う。学校教育の弊害だろうな。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:35:17ID:NagY7UqK秀吉の出自というか、父親が朝鮮の行商で
で、行き着いた尾張の農民との娘と結婚して秀吉が生まれたみたいな・・
その後、父親はまた行商に行き、帰って来なくて
その後、母親が再婚して、連れ子として秀吉が育てられた
で、再婚相手に朝鮮の子供と虐められたので
父が嫌で若くして家を飛び出したみたいなのがあった
読んだときはショッキング極まりなかったけど
ナチスドイツのヒットラーと同じように
捻じ曲がったコンプレックスが同民族の侵略に駆り立てたみたいな・・
そうゆう点では、農民出身の秀吉が部落制度を初めて作った権力者だし
あながち、明の征服が目的じゃなく、最初から朝鮮民族の根絶やしが目的だったのでは?
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 17:46:09ID:AdptFiGdそれ、あちらさんの意向を含んだ妄想。日本人に蹂躙されたなんて許せないんだろう。
それと部落については、それ以前からある種の閉鎖社会や分業があった。
秀吉が行った制定はギルドのようなもの。
と電波にマジレスしてみる。
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 18:00:48ID:NagY7UqK差別されるんだろ?
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 19:29:25ID:Zthq95tZ部落差別を初めて制度化したのは秀忠な
0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 20:51:49ID:eyfLnY5W通り道だから攻めることになったんじゃなかったか。
その全体的な名称も当時[唐入り]だったはずだし。
朝鮮は適当に百済の末裔を自称してる宇喜多にでも任せて、目的の大陸自体をミカドに
献上するつもりだったと聞くが。
全体的に見て、秀吉は朝鮮に対して何の感情もない。通り道としか見てなかったようにみえる。
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 08:15:01ID:JQsTCzBN0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 08:59:28ID:ljA1xyEM具体的には、どのように記されているのでしょうか。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 17:26:11ID:m0BIyLemそこで、秀吉が言ったのは、彼には姉か妹でもいるか?だった。
そっちの毛は無かったようだ
って信長の野望の攻略本の武将ファイル書いてあったぞ。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 01:55:28ID:xILAgwR0一介の百姓(もしくは、それ以下)の存在である秀吉が
天下人になったって事は、よく考えてみてくれ。凄まじい事だぜ!!
現代で言えば
部落と在日朝鮮の間に生まれた、激しくキモく、ブサイクで障害チックな子供が
父親に虐待を受けながらも中学卒業して、家出して
いくつかのフリータ経験を経て、一部ベンチャー企業に派遣で入って
そこから努力で正社員になり、支店長になり、役職にまで昇進して
その後、会社を乗っ取り、世界有数の大企業や経済界の財閥やらを傘下に入れ
最後、政界出馬して内閣総理大臣になり、大坂に世界最高層の巨大ビルを建築し(六本木ヒルズなんか比べようもない)
その後、韓国と北朝鮮に戦争仕掛ける。。これくらい凄い事なんだぜ!!
その理由、原動力、運、本質を知る事は、戦国時代を考察する上で一番意義あることなんじゃねーのか?
ちょっと電波入るけど、ユダヤ人の黄金の法則以上の成功の法則なんじゃねーのか!?
え、おまえ等? 下らん議論ばかりせず、この神憑り、キチガイじみた成功の理由を真剣に議論しようぜ!!!
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:29:44ID:6E6kzwC2>>1-53
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 19:57:18ID:sXqsUBhp貧弱な秀吉が槍をもって戦って手柄をあげるのは難しそうだし。
かなりはやい段階で国境の国人を従えてるし
やっぱり土豪だったんじゃまいか?
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 23:01:06ID:qtPFwbal信長の官吏的な役割(下っぱだったけど)を評価されて出世したんだと思う。
そして武士としての才能を発揮する転機がすのまたじゃないか?
と言っても身体能力を駆使した才能ではないけどね。
信長配下なら下級農民でもあり得る出世だと思うぜ
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 07:44:15ID:UfOcFRZu少なくとも織田信長のシステムでさえも農民は一兵卒の登用しかない
で、秀吉は兵士としては全く役に立たない
秀吉の場合は最初から足軽組頭でキャリアをスタートしているので
これは信長のシステムで考えれば秀吉が農家出身ではなく豪族だという事が分かるはず
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 09:33:54ID:X47JoVCS秀の字は六角義秀からの拝領だっていうし。
ふらふらとやってきたわけのわからない人に一字やったりするもんかねえ。
近江の出身じゃないかと思ったり思わなかったり。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 11:14:40ID:KPGPeVr8信長がそこで何をしたかと言うと、外部に人材を求めた、秀吉だの滝川だの蜂須賀だのと登用した訳だ。
彼らには自前の領地はいらない、他国の領地を褒美にすりゃ良いのだw
切り取り御免でよいから、織田政権後期は配下に大名が沢山できてるもんね
0061山岡斬左衛門尉景幾【二二六六石】
2006/10/19(木) 11:50:29ID:vK2oIU4c小和田のおっさんによると美濃攻めのとき信長が発給した安堵状の副状にある
「木下藤吉郎秀吉」が資料による最初の登場だぞ?その時
秀吉は既に美濃南辺の諸国人を調略する任に付いていた一介の武将。
それ以前の秀吉の事については憶測と妄想の域を脱し得ないと思うがどうなのよ
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 11:51:59ID:vK2oIU4c0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 13:25:23ID:MHNUg9el腕力のない秀吉が美濃攻めあたりから活躍が始まる(もしくは突如出現する)とすれば、
美濃に協力なコネか情報網を持つ人間だったことは確かだと言える。
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 21:25:49ID:JhXSyNFp蜂須賀は国人だが。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 00:44:57ID:84hhKwn7おそらく滝川みたいなもんだったんじゃないの?
豪族や国人の子供みたいな。
ところで羽柴ってのがほんとに丹羽と柴田の合体じゃないとすると
秀吉が元々羽柴だったって事はないんかな?
婿養子になって木下を継いだけど羽柴に複姓したとか。
まあ妄想ですが。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 11:49:23ID:I6sLgIxN人も出して貰って墨俣を奪い大名になったとあるね。
国人領主ってのは太平記における宮方武将の子孫達だから、決して山賊の親方って訳では無いからな
蜂須賀は結構立派な家系なのだ。
それを部下にするような秀吉はどういう存在だったのだろう?
秀吉が凄まじい天才だったからって事だと思うがね。
出自で出世する人間に天下などとれんでしょ
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 16:19:59ID:W8jhHLci蔵持ちの名主と小作百姓じゃまるで違う。
本当に農民だったとしても、結構地位ある家だったんじゃまいか?
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 17:02:54ID:84hhKwn70069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 20:21:21ID:23rFT8vj0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 21:31:40ID:/uJjaeUN当時の社会の構造とか何も知らないの?
これだから秀吉厨は・・・
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 23:24:11ID:nBB++daS0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 00:45:37ID:mh9zJT1R0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 04:35:12ID:K3NvjgxRそれどころか奇形は聖人の徳の表象と見ている。
常人と容貌・体躯が異なるということは、神と徳を通じる神聖人であるとする中国古代の思想が元。
たとえば孔子は反羽といわれてるし、劉邦は隆準に加え72のホクロがあったりとか、
項羽が重瞳と伝えられてたり、劉備は膝に届く程の長い手、肩まで垂れた長い耳等々
これらも王者の相とされた。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 05:15:19ID:4Q6US5NQ反羽だの隆準だのあまり目にしない言葉は注釈つけたほうがえーよ。
まぁここにある程度書いてあるようだな。
ttp://www.k3.dion.ne.jp/~masatono/movie/china/ht_china.htm#骨相
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 05:21:00ID:mh9zJT1Rでも六本目の指は切り落とすのが普通なんじゃなかったけ
0076(・∀・)凸 ◆7xuwBG6R9k
2006/10/22(日) 19:35:21ID:0gUdsASD0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 02:30:36ID:S2OJ4LOz0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 05:26:49ID:G+NQTM4o0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 10:13:15ID:6Jy+8xns0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 01:32:28ID:y1eORAgb徳川吉宗の生母もそうだったのでは?なんて話がなかったっけ。
山窩か。戦で故郷から離れて漂泊するようになった家系に生まれたのかね。大政所。
で、弥右衛門さんの方は足軽で説が固まってるのかな。
(なんか、弥右衛門は実父ではない説ってのもあると聞いたことあるが)
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:28:43ID:wKUIvaIb秀吉は1565年以前のちゃんとした史料がないため
どの説も固まっていない
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 02:31:26ID:Ir1yISNv吉宗の時代にはそんな種類の人間はいない事になってる
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/27(金) 18:22:11ID:hfyM0eP30084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 11:03:42ID:KHu9Ad6Sすくなくとも、よく言われているような貧民だったわけではないと思う。
少なくとも、故郷の農村では、比較的に裕福な農民だったんじゃなかろうか?
彼の父親が足軽だったか何だったかみたいだが
この時代、身分階級が曖昧で、戦争時に借り出された農民兵だったんだろうね。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 16:18:43ID:L6DqWRVOってか薪・油奉行とか作事奉行ってのも創作?
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 16:29:31ID:DUWvStaO0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 22:35:02ID:727Yw6lO松下家にすくなくとも仕官したことがあるということは間違いはないようだし。
ちなみに奉行クラスになるってんなら最低文字は読めなければならん。
当時はそれなりのクラスでも識字能力が怪しいのに、貧農の出だとすれば
識字能力など期待できよう筈がない。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 19:10:20ID:qO1C4m1xまぁ『武功夜話』は偽書と各方面で叩かれていますが・・・・。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 20:42:18ID:yqdHEkGZだとすれば金銀を集めたのは単なる成金趣味とは言えなくなる
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 08:53:45ID:6YzSUbwC農民の中では比較的に裕福な家庭だったんじゃないか?
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:02:13ID:Hp32BwVZ0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 01:06:13ID:Hp32BwVZ0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 18:44:29ID:MUfP8/ru「も」と言われても
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 22:11:48ID:nsxvIrT30095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 03:53:33ID:MIJZd8aW0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 05:46:41ID:2cmKDxMrすぐに奉行になったのに読み書きできなかったわけねーだろ
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 11:42:25ID:yKtvN+ob武衛様逆心思し立つといえども、譜代相伝の主君を殺し奉り、
その因果忽ち歴然にて、七日目と申すに各々討死
天道恐ろしき事どもなり。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 12:42:11ID:zc1Mvfib加藤清忠の正室か側室かわからないが、どっちにしろ最底辺の貧農の血は入れないだろ。
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 12:54:21ID:0S7Puz2Q0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 13:01:17ID:zc1Mvfib北政所じゃなくて大政所の系譜だぞ。
秀吉の母の姉妹の子が清正。秀吉の従兄弟。
0101100
2006/11/29(水) 13:04:18ID:zc1Mvfib0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 13:25:53ID:0S7Puz2Qそれ正則じゃないか?
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 13:31:15ID:xP1Fhq5T百姓がこねた天下餅を
賎民が食ったわけだろ
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 14:38:19ID:Fx/wIu/kありえるんじゃない?
うちの犬の子供が後ろ足の指5本だよ
人間でもあると思うそういうの身障とかいるし
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 14:49:51ID:Fx/wIu/k0107名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 03:23:52ID:6wV9vfsr0108名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 17:49:29ID:RwJHR7uXそれなんて劉備?
0109名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 18:14:55ID:6WPSxryU木下は李氏で両班の権力闘争に破れた儒家の召しいの出身。
秀吉が朝鮮に出兵したのはそのため。
ちなみに秀吉の家系は新羅の家系で千利休の家系は百済の家系。
これが利休切腹の理由。
0110名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 19:32:35ID:2D2xF1tI頼む、国に帰ってくれ。
0111人間七七四年
2007/03/11(日) 22:37:16ID:8z/etuNm秀吉を討った家康は朝鮮系が定説
そいつ(>>109)は偽者ニダ
0112にゃんこ
2007/03/11(日) 22:47:44ID:FPhwk49v0113人間七七四年
2007/03/11(日) 22:56:33ID:8gfIiuQOによると秀吉は被差別部落民みたいなものだったらしい。
0114人間七七四年
2007/03/11(日) 23:05:50ID:XuLhgH2O0115人間七七四年
2007/03/11(日) 23:26:45ID:7ZlhTODQ0116人間七七四年
2007/03/24(土) 00:57:22ID:SjoIsL5Z>当時は差別とかの対象じゃないよ。
>それどころか奇形は聖人の徳の表象と見ている。
利長・蒲生・金森ら同時代人は切っとけば良かったのに、と言ってるわけだが?
0117人間七七四年
2007/04/30(月) 23:07:10ID:rTUH2ROD0118人間七七四年
2007/05/01(火) 09:01:21ID:i31d3m/S0119人間七七四年
2007/05/01(火) 10:03:51ID:N/TV9+vJ前田利家は身長130cm、腕は3本、目は7つ、指は56本、口は全身に8つ、屁で人を殺せるような
悪臭を漂わせ、ピョンピョンとはねて移動し、ギチギチ変な音をたてて動いていたと言われている。
0120長門 ◆q8GdomS4XA
2007/05/01(火) 11:25:53ID:STsRR1Oe0121人間七七四年
2007/05/15(火) 04:32:31ID:8VFJADoY信長は先進的独創の天才ではなかったし
家康はうんこ漏らすし
道三の国盗りは一代ではないし
早雲は素浪人どころか名門の出だし
川中島は濃霧による予期せぬ遭遇戦だったし
現実ってこんなもんだよな
0122人間七七四年
2007/05/15(火) 05:26:48ID:rPprVAwV食い逃げとか、そういうの好きなら講談楽しめるんじゃない
0123人間七七四年
2007/05/16(水) 15:36:48ID:Gm2eXrYo俺も小作のドン百姓の家に生まれたって信じていたんだけど
実は地元じゃ結構な名家で資産家だったらしいね
ただ角栄の成長期に破産したから小学校卒になっただけで
それを角栄は人気取りに利用したわけだが秀吉もそんな感じじゃないか?
0124人間七七四年
2007/06/26(火) 21:47:01ID:yFMrQBud0125人間七七四年
2007/07/15(日) 00:11:53ID:CZvcjXnv二十一日から公開される。
「こんな器量の良い女房に不満を言う秀吉はけしからん」という趣旨で、
秀吉を「はげねずみ」と呼ぶなど極めて私的な内容ながら、信長の「公印」が押された珍しい史料。
戦後は所有者が転々とし、一般公開は今回が初めてとなる。
書状は、安土城に住んだ一五七九−八二年に書かれたとみられる。
土産物を持参したおねに礼を述べ、おねの美ぼうが前回対面時より「十の物廿(二十)ほと」、
つまり二倍良くなったとほめている。
一方で、秀吉がたびたびおねへの不満を漏らすことを「こん五たうたん(言語道断)」と批判、
どこを訪ねてもこれほどの妻を迎えるのは、「はけねすみ」には難しかろう、と記す。
秀吉のあだ名は「サル」が有名で「はげねずみ」はこの書状だけ。
また、朱印「天下布武(ふぶ)」は信長が部下への命令書などに押した公印で、
女性あての私的な手紙に押された例は他にないという。
書状は戦前から個人が所有し、一九三四(昭和九)年に国の重要美術品に認定。
研究者らには内容も知られていたが、戦後は実物が一般の目に触れる機会はなかった。
同美術館の並木昌史学芸員は「冷酷非情といわれる信長像と違い、人情味あふれる一面が感じられ、
面白い」と話す。
戦国武将に詳しい静岡大教育学部の小和田哲男教授(日本史)は「おねあての書状自体珍しく、
私的な内容への押印も興味深い。私も実物を見たことはなく、貴重な機会だ」と評価する。
書状が公開される同美術館の企画展「天下取りへの道−戦国の武将たち」(中日新聞社主催)は
二十一日から九月二日まで。
ソース
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007071302031950.html
【史料】「あのはげねずみには、そなたほどの妻は見つけられまい」 信長の私的書状、初の一般公開…名古屋 [07/07/13]
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1184325691/
0126人間七七四年
2007/07/15(日) 03:39:08ID:VB1ileuvどちらであったとしても中途半端な土豪出身よりかは
カリスマ性が高まるんでそのへん狙ってるのかも知れないが
どんなにショボい武将でも家系図捏造してでも
それなりの武将の子孫を名乗ってるにしては天下人・秀吉の出生は謎に満ちすぎ。
同時代人、徳川時代の資料どちらも信用できないから真相究明は難しい
0127人間七七四年
2007/07/15(日) 17:55:34ID:IXL7qxdx0128人間七七四年
2007/08/07(火) 06:04:50ID:vwzSYwr90129人間七七四年
2007/08/07(火) 13:51:17ID:vwzSYwr9えたヒニン名称作り上げたのこいつだから
0130人間七七四年
2007/08/21(火) 08:59:44ID:++cWCtHV0131人間七七四年
2007/08/31(金) 17:25:40ID:+rC6pzJP0132人間七七四年
2007/08/31(金) 22:33:13ID:VBDLQZyr0133奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/09/01(土) 00:20:31ID:tC0tY9Xt御器所は江戸時代に成立した地名の職人街。
>>132の言い分はハッキリ言って秀吉と何の関係もないな。
0134人間七七四年
2007/09/03(月) 12:04:24ID:PsWAUcpL徳川吉宗の母も公家の血をひいてるが
百姓同然の暮らしをしていたっけ
0135人間七七四年
2007/09/05(水) 09:41:27ID:/uGvMCWe正勝 豪族→山賊
その方が面白いからかな。
0136人間七七四年
2007/09/06(木) 20:56:49ID:pFNN0Oo50137人間七七四年
2007/09/06(木) 23:20:56ID:JF+7hS2U0138人間七七四年
2007/09/07(金) 09:52:52ID:rM0IY4zT0139人間七七四年
2007/10/09(火) 22:19:13ID:TtmNCgL/■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています