トップページsengoku
1001コメント305KB

淀の方を再評価しよう PART2

レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/25(火) 13:36:02ID:mH4fhvS0
前スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1026995363/

1 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:02/07/18(木) 21:29
淀の方を暗愚だと言う人は多いけど、そろそろ再評価すべきではないか。
そもそも家康(徳川)側にとっては秀頼の存在は極めて危険なものであった
から、大阪城から他への転封などされたら、後は適当に言いがかりをつけられて
改易→斬首の可能性が非常に高かった。それにもし生きながらえたとしても、
浪人や秀吉政権下での織田信雄、今川氏真のような生き様がよいものとも思えない。
そう考えれば徹底抗戦して、家康が死ぬのを待つというのはあながち間違った
選択肢とも思えない。
それに負けたとはいえ、大阪の陣でも家康本陣まで迫ったこともある。
桶狭間のときの信長よりは、勝算があったのではないか。幼少の頃から、
蝶よ花よと甘やかされて育った茶々姫がここまでの大勝負を家康相手に打ったの
だから、彼女の持って生まれた才能は、かなりのものがあると思う。織田家の
血筋の中では、男系よりも市の方の三人の娘の方がはるかに資質が高いと思える
のは私だけでしょうか。
0892人間七七四年2011/10/31(月) 20:52:21.51ID:dMESWg1n
>>891
とくに歴史に名を残した女性の場合、ことさらゴシップレベルの話ばかりが
先行しちゃうからなあ。
0893人間七七四年2011/11/02(水) 14:25:45.80ID:OwsQ6+N/
淀の方は
・姉妹や親戚は勿論、高台院や秀吉の側室たちとも仲が良かった
・豊臣秀次とも仲は悪くなかった。互いの子供を婚姻させる相談したり、秀吉を心配する手紙を遣り取りをしてる
 秀次が亡くなった後、淀の方は豊臣家の先行きを心配する文書を残している
・千姫とも仲が良かった。秀頼と妾の間に子供が生まれると、淀の方は孫を千姫の子として育てさせた
・面倒見が良く侍女に慕われていた。大坂冬の陣が終わると、侍女や家臣の妻子の避難先・再就職先を世話した
 淀の方の人望は、大坂落城後の豊臣賛美が憚られた時代でも侍女たちが毎年集まって供養したほど
 さらに淀の方は各地の寺社でも祀られた
・息子を甘やかさなかった。武道でも当代屈指の使い手を集めてスパルタ教育させた
・石田三成とはほとんど交流がなかった。逆に三成は高台院を崇敬し、手紙をたくさん残している
 三成と加藤清正たちの仲が悪化するのは大陸出兵の後で、その前は仲が良かった
・大野治長は乳母の息子。密通の噂はゴシップレベル
 治長は君臣の別を弁えた忠義者で、そのことは秀吉も家康も三成も片桐且元も細川忠興も賞賛している
 また治長は織田家時代から智勇兼備の士として知られていた。妻は信長の娘説あり
・豊臣家の権威を削ぐことに躍起になっていた徳川方でさえ、密通の噂を広めたりはしなかった
・淀の方は終始徳川家に対して恭順派だった。淀の方に対する徳川方の評価は「優柔不断」「弱腰」
・真田信繁を足蹴にしたことなどない
 大坂方の軍略は秀頼の信任を受けた大野治長と後藤又兵衛、さらに二人が選んだ武将が中心になっていた
 そして秀頼・治長・又兵衛は信繁を優遇した
・徳川実紀にすら、淀の方を貶める記述はない
・淀の方の評判が悪くなったのは18世紀以降、芝居や物語で悪役にされてから
0894人間七七四年2011/11/02(水) 15:10:06.54ID:Sy0jzI8I
手前にはそうすを提示していただきたい。
0895人間七七四年2011/11/03(木) 00:25:41.83ID:BF4LfMN2
>>893
>淀の方は 各地の神社でも祀られた
祀ったということは、祭神として神格を持つということになるんだけど
具体的に何処にあるお社なの?
0896人間七七四年2011/11/06(日) 04:27:43.99ID:/e6wCewl
>>890
そもそも、市が美人だったと書かれた当時の一次資料は皆無
秀吉の憧れの人というのも嘘
柴田に嫁がせてるし、秀吉は市に執着なんてない
淀が側室になったことから後付で言われだしただけ
0897人間七七四年2011/11/08(火) 01:10:07.20ID:BFVu2fir
「史実の織田家は美男美女の家系で、お市は絶世の美女」

だいたい女性の容貌容姿についての確実な史料なんて無いんだしな。
高野山にあるお市の肖像画にしても、絵画的な美女様式であるだけに
あの絵をみて「お市が美女の証拠」というのは難しい・・・という研究者もいる。

乱世に翻弄された悲運な女ってのは、美人というひいき目で見られるし
劇的な人生をたどった三姉妹の母ともなれば、余計に美女設定で伝承されやすい。



0898人間七七四年2011/11/08(火) 17:47:57.29ID:qUMLJwEt
再読した日本史探訪で杉本苑子さんが擁護してた
以下抜粋すると

彼女の欠点は凡人がだれでも持っている程度のもの
徳川方が後世の批判をかわすために利用
豊臣滅亡の半分の責任を押し付けた
私達は徳川政権の悪評を払い落とし
ありのままに戻す必要がある
家康に互角に渡り合えと言うのは酷
彼女だからこそ踏みこたえられた
北政所が被害者顔をして豊臣家に対し
許しがたい加害者「江戸の敵を長崎で」
いがみ合いを徳川は上手に利用
福島 加藤は愚か
亡き太閤が執着した対象は秀頼
憎悪を二の次にして秀頼中心に考えるべき
夫が築いた栄光等滅べばさばさばする
本心を心配顔の中に隠す

徳川政権下で悪人扱いされた人たちこそ
豊臣家の忠臣
秀頼が大人しくしても温存させない
滅ぶなら華麗に悲壮にピリオドを打つのが
天下人の遺族に相応しい
秀吉があの世で会った時
淀殿と北政所   どちらの手を握るだろう


このころのNHKって今と別の組織に見える
0899人間七七四年2011/11/08(火) 17:50:13.18ID:n09TjbWT
>>898
しかししょうがないけど、もはや古臭くてカビの生えた史観としか言い用がないなw
0900人間七七四年2011/11/08(火) 20:25:13.88ID:/s2xxt+w
宮沢りえはよかったね
最初のほう評判悪いんで見てなかったのが悔やまれる
まあ再放送やるだろうけど
気になるのは30代?で10代の娘を演じたのかということ
0901人間七七四年2011/11/08(火) 21:11:54.45ID:YG7NxEgN
>>898
寧々と淀は不仲ではないよ
こういうイメージもいわゆる講談の、淀は豊臣を滅ぼした悪女と同じレベル
徳川方には淀を悪しく言った資料はない、逆に
淀は和睦派で江戸に人質にいくのも了承していたが
周囲が反対したり、主戦派の牢人衆が和睦を妨害してるのでは?という位

徳川史観で悪女にというのがまず間違いで
江戸時代の庶民が、一番盛り上がる大坂の陣という大舞台で
大坂方の為に戦った牢人衆を悪く言うことは出来ず
もちろん秀頼を悪く言うことも出来ないので
淀の人格を180度変え悪女として豊臣滅亡の責任を負わせたに過ぎない

淀の話から離れるが、倒幕した薩長の明治史観で
家康が貶められた〜というのも間違いで、家康が狸とかボロクソに言われだすのは
戦後の昭和の小説が出所だったりするw
こういうのを見て分かるように、庶民が勝手にああだこうだと話を作り
それが、真実の如く世に定着するのは現代でもあるんだから
江戸の庶民が講談を楽しんだ時代に、淀も好き勝手書かれて世に広まったってこと
09028982011/11/09(水) 16:50:35.99ID:urDYSTA6
その前に八幡和郎氏の本に
北政所は関が原で西軍に
淀殿より積極的に援助したという説を
読んだので何が何だか訳わかめ状態(T_T)

>>899
まあ70年代に出た本だから仕方ないね
最も杉本さんはぶれてないみたいだが
0903人間七七四年2011/11/09(水) 18:19:32.02ID:PULC1EsF
ふうむ おいらは北政所おね様は淀を憎んでたと思うな いや違う、蔑んでいた
軽蔑していた まず秀頼が秀吉の子と認めてたかどうか 現代人でもおかしいと思うところ
やはり秀吉は種なし、子供ができぬカラダで、秀頼は淀が天下をとるためにどっかの
男の種で孕んだ子とおね様は思っていたんじゃなかろうか そんな淀・秀頼政権などいらぬ、ほろべ
あとは徳川どのに天下をお任せします って説が好き
0904人間七七四年2011/11/09(水) 20:24:38.39ID:G0Gdab2D
史料に見える茶々姫の呼称等の変遷
http://chachahime.hanagasumi.net/prof_name.html

これを見ると淀殿は慶長2年の段階で「北政所」とすら呼ばれている。
この時期淀殿は既に、いわゆる北政所であるおねの、豊臣家奥における権威権限を克服した、もしくは
世間からそのように見られていた、という可能性がある。
0905人間七七四年2011/11/16(水) 13:08:30.27ID:dgrWxPDm
>>896
いまだに秀吉は市に恋焦がれてた、なんてデタラメを鵜呑みにしてる人が多くて驚く
一般人ならともかく、研究者まで…
勝家との再婚を仲介してる時点で分かりそうなものなのに

>>897
お市の肖像画はかなり理想化が強いみたいだね
浅井家をとりこむために送った女性だから、それなりに美人だったとは思うけど
茶々は父親似だったかもしれないが、長政の死後すぐの肖像画も顔立ち整ってて綺麗という印象
0906人間七七四年2011/11/16(水) 18:40:43.89ID:bOBHpJBA
>>905
お市の肖像は、娘たちが描かせたという伝承も根強いので
「実の娘が依頼主なのだから、似せて描いてるに決まってる」
という理屈が2ちゃんねるでは多いけどw
没後供養のためではあるし、「理想化した様式美の美人画」
と、いう意見も世間の研究家さんが多いのもうなづける。
自分的にもお市の肖像は「まるで能面」

マトモな研究者さんやちゃんと調べて物を書く作家さんは
歴史女性についての容姿の断言をさけるけれど(そりゃそうだ。)
茶々は長女なので父親似の容貌なのでは?と書く人は多いと思う
0907人間七七四年2011/11/16(水) 23:57:39.10ID:dgrWxPDm
>>906
能面か…納得。
確かに表情に乏しいし、いきいきとした雰囲気はないよね。
供養画に美化はつきものだし、絵によってまったく容姿の異なる武将も多い。
市は美しい女性だったはずだが、あの肖像画に似てたとは断言できない気がする。

そもそも茶々は母親似か父親似か、という議論自体が不毛な気がするなー
どっちにも似てなかったかもしれないし

0908人間七七四年2011/11/21(月) 23:10:14.23ID:6FrZuB0v
伝淀殿像は江戸中期頃のものじゃないかといわれてて信憑性には乏しそうだが
南蛮図屏風に茶々と推定される女性が描かれてるらしいね
細面で切れ長の眼差し、鼻筋の通った綺麗で優しい顔立ちの女性。
0909人間七七四年2011/12/23(金) 16:13:13.13ID:INgzJTsj
肖像画の限りで言うのならお市の方の妹(姉?)であるお犬の方
が美人だなと思う。
現代人が見ても十分に美人と思える肖像画。
0910人間七七四年2011/12/23(金) 19:58:24.22ID:iR/0fe7K
お市さまは信長公のイトコで、元恋人だったという説もあるね
0911人間七七四年2011/12/24(土) 02:29:31.49ID:5aNYNabj
説じゃねえ、妄想だ。それも気持ちの悪い。
0912人間七七四年2011/12/25(日) 15:25:10.78ID:lalpBdA4
>>893の言う通り、淀の方のイメージは後世創り上げられたものが多いってわかってきているのに
未だに俗説で語るなよ
0913人間七七四年2012/06/11(月) 07:05:01.85ID:fvxs281x
一応、生存説がある
0914人間七七四年2012/06/14(木) 01:36:47.57ID:BQ1uAtf3
生存説は人気、支持のバロメーター
0915人間七七四年2012/12/23(日) 03:15:06.39ID:K9sMRsXY
>>893

>また治長は織田家時代から智勇兼備の士として知られていた。妻は信長の娘説あり

茶々達が織田家に世話になっていたのは10代前半、治長は元服すらしてるかしてないかの時だろ。
身分的にもあり得ないし、信長の娘娶れるなら茶々娶ってるって。
ソースは三名幅からって事だろうけど現実的じゃない。その肖像画こそ実は信長姪ry って方がしっくりくる。
0916人間七七四年2012/12/24(月) 19:14:42.45ID:NFJgQj8O
信長の姪ならピンキリだからなw
0917人間七七四年2013/02/07(木) 08:42:43.72ID:wnnlDHL7
淀が母はわかるが父(長政)の敵として秀吉を憎むのは筋違い。
信長を憎むべきだろ。

信長は目上の人だから憎みづらく、
一方秀吉はしょせん下賤の身で家来だからか。
0918人間七七四年2013/02/07(木) 11:36:19.77ID:a00vkumG
そもそも勝家に嫁いだ時点で市は36か37。今なら50過ぎの感覚だろ。
若い女好きの秀吉が食指を動かすかねえ。
0919人間七七四年2013/02/07(木) 12:10:52.04ID:hXr43LMq
だから娘の茶々を狙ったんじゃない? でも秀吉って幼女から後家までなんでもござれじゃなかったっけ。名家の美人なら。

あと、茶々は長政の敵として秀吉を恨んではいないと思うけど。市と柴田を滅ぼした敵ではある。
けれど当時の感覚で仇として恨むってのあったかね?戦ばっかりの世だし、そんなこと言ったら仇だらけだよ。
茶々は小谷で信長に攻められ、北ノ庄で秀吉に攻められ、大坂で家康に攻められ。
三度の戦でそれぞれ三傑に攻められ落城した人ってなかなかいないわ。人生がドラマチックだから絵になる〜。
0920人間七七四年2013/02/09(土) 20:44:35.01ID:mL+d8evo
三度の戦で三傑に攻められたのは初も一緒だったりするww
0921人間七七四年2013/03/07(木) 21:11:12.86ID:sBcD3Q8V
やる夫関ヶ原の淀殿のキャラ付けが好きだった。
タフな現実主義者っていう今までにない人物像。
「8歳の子供に天下を治められるはずないのよ」って
言い放ってしまえる淀殿に惚れた。
女性の中では圧倒的に戦慣れしてるんだからさもありなん。
0922人間七七四年2013/10/24(木) 04:24:24.76ID:9tcfns1G
男性の皆様!!このシーン、女性の手や腕を舐めれるとしたらしたいですか?
しゃぶりたいですか?こういう行為をどう思いますか?

大河ドラマ「独眼竜政宗」で、石田三成役の奥田瑛二さんが、
淀君役の樋口可南子さんの手や腕を舐める、しゃぶるシーンです。
徳川家康が、上杉を征伐しに留守にしているのを好機と、
京都で石田三成が挙兵する前に、淀君様にお墨付きをもらいに行きました。
淀君様は、迷っていましたが、家康の首を取ったら何でもかなえてやると
言い、三成の手を自分の乳に近づけ三成を興奮させ、淀様の手から
肘あたりを、舐めます。凄いシーンでした。
※第36回1987年9月6日天下分け目

「こんなにもエロイ淀殿」で検索するとこのシーンを見れます。
0923人間七七四年2014/03/10(月) 21:44:19.37ID:iA4vqSZl
実権は浪人衆が握ってて碌に発言権はなかったんだっけ?
0924人間七七四年2014/03/10(月) 22:12:51.03ID:S4iA8xTd
夏の陣に関しては、浪人衆と結んだ大野道犬あたりの過激派だよなあ
0925人間七七四年2014/03/15(土) 19:05:08.49ID:IM+HjVei
後年常高院が我が三姉妹は
結局秀吉家康には散々に利用されただけだと嘆いている…
浅井三姉妹は父の浅井長政が長生きしていれば
ずいぶんと運命が変わったはず

家康は気の強いお嬢様だった築山御前で苦労しており
気の強いお嬢様の浅井三姉妹をあまり好かず
常に要注意人物だった
それ自体が悲劇そのものだと思う…

崇源院は家康の一周忌が済んで1ヶ月後には
大坂の陣で戦没者の追善供養を強行している
心ならずも大坂の陣で姉の淀殿と甥の秀頼が自害してしまい
悲嘆に暮れていた…
家族を天下人にみんな殺されるのは本当に惨いこと…
0926人間七七四年2014/04/05(土) 13:40:34.42ID:Nl8bORwy
>>30
歴史人物の名前使って
反日オナニーすんなよバカサヨバカチョンバカシナ
バカサヨバカチョンバカシナに友好的な奴「バカサヨバカチョンバカシナこそ(凡人のデヴ)なりw」
0927人間七七四年2014/04/21(月) 12:49:15.14ID:wKRmKL7G
ところでこのスレの住人で『河原ノ者・非人・秀吉』をもう読んだ香具師はいるかな?
0928人間七七四年2014/06/06(金) 23:42:30.13ID:/a89y8Gr
>>925
最終的に天下人との妻になれたし、戦国時代の女性なら実家が滅びるのも珍しくないことなのに
利用されただけという言い草はどうなんだ
0929人間七七四年2014/07/17(木) 13:15:27.01ID:r2EeTxY4
>>918
実際問題、勝家と市の結婚を進めたのは秀吉だしな。
清州会議の時点では市に対する性的興味は完全に無くなってただろうね。
0930人間七七四年2014/08/28(木) 23:17:30.08ID:UJmJu5K1
官兵衛では、どう描かれるのかな。
なんとなく、官兵衛を遠ざけた悪者扱いされそうだけどね。
0931人間七七四年2014/08/29(金) 07:43:33.94ID:gHNTXu/o
淀殿って別に秀吉嫌ってないだろ
嫌ってたら側室にならないだろうし
0932人間七七四年2014/08/29(金) 09:39:22.46ID:Wk+Fuk84
そもそも秀吉は父母の敵とよく言われるが、
淀が母はともかく父(浅井長政)のことで秀吉を恨むのはおかしい。
恨むなら信長を恨めよ。
秀吉は信長の命令を実行したに過ぎないんだから。
0933人間七七四年2014/08/29(金) 17:20:03.89ID:q8w2ITFi
大河の『江』なんか秀吉は憎んでも憎み切れない存在、
信長は尊敬する存在だった。
淀殿というより江がだがw
0934人間七七四年2014/08/29(金) 21:12:48.69ID:NTSVofwl
684 :日本@名無史さん:2012/05/25(金) 14:21:11.86
>>682
江戸時代に淀殿を悪く言った史料は逆に見当たらない。
明治時代に文豪坪内逍遥が描いた「桐一葉」で酷いヒステリー女に描かれ、
文中に使われた淀君の呼称と共に悪女としてのイメージが定着した。
淀殿は女性小説家・漫画家のものだと案外良く書かれるがまだまだ数が少なく、
男性小説家や大河では多くが豊臣を滅ぼした悪女として描いている。

685 :日本@名無史さん:2012/05/25(金) 14:30:19.37
20年くらい前に読んだ子供向け歴史漫画では可哀想な奥方さまとして描かれてた記憶がある

日本史では一般知名度のある悪女って他にはそんなにいないから
たまたま悪女イメージがついた淀殿がそれを長く引きずらされてるのかもな
北条政子は悪女というよりは烈女、日野富子はあれ?何した人?って感じだし
0935人間七七四年2014/08/29(金) 21:13:55.31ID:NTSVofwl
686 :日本@名無史さん:2012/05/25(金) 14:39:53.22
>>685
小学館から出ていたやつ?
あれは北政所が悪役になってたw
淀殿は相思相愛の従兄京極高次と引き裂かれ、無理矢理豊臣秀吉の側室に。
北政所にいびられるも世継ぎを産んで天下人の国母に。
しかし徳川家康に陥れられ、北政所までが家康の味方に・・・
北政所を悪役に描いているのはあの漫画位かなあと思った。


687 :日本@名無史さん:2012/05/25(金) 16:17:45.26
>>686
それって小学館でなく学研では?
さかぐち直美著の。

北政所がお局さんみたいな意地悪な顔だったのをよく覚えている。
0936人間七七四年2014/08/29(金) 21:29:50.18ID:cPxwOlRA
理屈では秀吉を恨むのはお門違いとわかっていても
信長の死後、憎しみをぶつけられる相手が他にいないってのもあるかもな
0937人間七七四年2014/08/29(金) 23:48:08.13ID:R9DfDC8o
そもそも淀たちが秀吉を恨んでいたということを証明する一次史料は無い
0938人間七七四年2014/08/30(土) 00:40:03.48ID:4xhNOWI5
淀殿が江戸に人質に行ったら
大坂の陣開戦は回避できたかな?
0939人間七七四年2014/08/30(土) 09:35:26.13ID:WRuvLVs1
人質に行くだけでなく、家康の妾になっちゃえばよかったのに
0940人間七七四年2014/08/30(土) 11:23:50.45ID:KF2SWZqT
お爺ちゃんとセックスってよくできるよな淀殿
男で例えると60代の女性を抱くことだろ?

皮膚はカサカサしてそうだし、1回終わるとしばらく再起不能ぽそうw
0941人間七七四年2014/08/30(土) 13:47:12.51ID:368krIZ7
母親のお市の方が柴田勝家と再婚した時
勝家は既に60過ぎだったしなあ

セックスレスの夫婦だったかも知れんが
0942人間七七四年2014/08/30(土) 14:59:56.71ID:in1w2jR4
>>940
家康は60代でも子供作ってなかったっけ?
0943人間七七四年2014/08/30(土) 20:13:00.02ID:a+MAVNPe
山岡宗八の作品だと
淀は秀吉の養女となって家康の元に嫁ぐことに抵抗ないように描かれていたな。
小牧長久手の後の頃だけど。
0944人間七七四年2014/08/30(土) 20:29:25.93ID:p8MN1Hpu
>938

そいういう見立ての小説は多い。淀の方が家康の後妻に入れば、
もともと秀忠は妹のいいなりだったし、相当に徳川家に影響力を発揮できた
中年とはいえ、秀吉があれだけ執心した美女だから家康もどうなったかわからん。
ただし、大阪の陣がないと、浪人の不満のはけ口がなくなるからほかで
(毛利とか島津か)戦争が起きた可能性は高い。
0945人間七七四年2014/08/30(土) 20:32:04.53ID:RsZy6lmz
秀頼はともかく淀殿だけなら助命してもらえたよな
秀頼の娘の天秀尼も助命されてるし
御台所である江の姉なら無下な扱いもされないだろう
0946人間七七四年2014/08/30(土) 21:39:13.91ID:1GU2oEFf
淀殿は自分だけでも助命してもらうつもりはなかったのかな。
しょせん飛んできた砲弾が目の前で侍女数人を殺したぐらいで講和に応じる程度だから
誇り・プライドだって大したことなかったと思うんだが。
0947人間七七四年2014/08/30(土) 23:23:18.12ID:BgbyxDxY
淀殿はデブだった
0948人間七七四年2014/08/31(日) 08:56:15.32ID:4PvVVxZX
>>944
家康は不幸な後家が好きだったからな
0949人間七七四年2014/08/31(日) 12:08:34.40ID:5EuFKp1w
>>944
そうすれば豊臣家は存続出来ていたかもしれないのに
0950人間七七四年2014/08/31(日) 16:21:33.67ID:AcaifqGA
950
0951人間七七四年2014/08/31(日) 18:14:13.40ID:2I1pXXfJ
宮沢りえの淀殿はどうかと思ったが
良かった
0952人間七七四年2014/08/31(日) 20:32:36.93ID:J7Bfhi5R
淀城
0953人間七七四年2014/08/31(日) 23:04:14.16ID:1/CP586Z
淀殿ってデカ尻っぽい
0954人間七七四年2014/09/01(月) 01:03:18.71ID:wtSMUPdT
実際デカ尻だったと思うよ
肖像画から判断して
0955人間七七四年2014/09/01(月) 07:55:20.61ID:TaMqBeBT
おかめ顔
0956人間七七四年2014/09/01(月) 09:39:31.40ID:HLFxs6sp
京極高次と結婚していたらどうなっていただろう
0957人間七七四年2014/09/01(月) 11:36:45.85ID:KtFBzxEu
>>956
歴史に名を残すことはなかった
0958人間七七四年2014/09/01(月) 15:52:28.58ID:+6IHJtNW
肖像画を見る限り、お市は今でも美人で通用すると思うが
淀はさっぱり。
当時両方とも美女の誉れが高かったはずなのに・・・
0959人間七七四年2014/09/01(月) 19:22:07.02ID:v5sQE+JP
良く言えばふくよか
悪く言えばデブ
0960人間七七四年2014/09/01(月) 20:18:40.65ID:oGya1H+t
悪女というには語弊がある
傾城というにも語弊がある
0961人間七七四年2014/09/01(月) 22:06:16.10ID:wGgkUZUP
でも美人だったんでしょ
秀吉の気に入りぶりは凄いし
0962人間七七四年2014/09/01(月) 22:08:26.03ID:oGya1H+t
>>961
子供産んだからじゃないのかな
0963人間七七四年2014/09/01(月) 23:51:05.45ID:fjWBuQRG
いつ頃から「淀君」から「淀殿」と呼ばれることのほうが一般的になったかな
0964人間七七四年2014/09/02(火) 03:40:47.85ID:gLSh0Sgh
>>961
淀殿が美人だったという記録は一切存在しない
0965人間七七四年2014/09/02(火) 06:36:18.92ID:YRdGQusv
上蒸の秀吉にして見りゃ元主君の姪にあたる茶々は涎の出る存在だったろうし、
子供産んだから溺愛ぶりも凄くなったろうし、
母のお市の方も美人だから娘も美人だろうとか、
そういうのが総合して
「淀殿は美女」ってイメージが定着したんじゃないかな。
0966人間七七四年2014/09/02(火) 09:42:59.91ID:ytDTGEZz
秀吉は上蒸
家康は下淫
0967人間七七四年2014/09/02(火) 11:53:25.76ID:Z1XDmYZx
実際のところ大坂の陣の頃、淀殿はどれくらい実権握っていたのかね。
一般的に言われてるのだと大坂方は淀のワンマン(ワンウーマンか)だけど。
0968人間七七四年2014/09/02(火) 16:51:48.68ID:fpXPQTVw
実権は無かったという説もあるね

それじゃどうして冬の陣で講和したのか?って話になるが
0969人間七七四年2014/09/02(火) 17:06:26.41ID:ajxK3x7F
浪人連中に担ぎ上げられただけだな
0970人間七七四年2014/09/02(火) 17:16:52.33ID:fpXPQTVw
結局神輿に乗せられただけだったのかね
0971人間七七四年2014/09/02(火) 17:35:06.14ID:gLSh0Sgh
>>968
そりゃ実権があったのが織田有楽斎や大野治長だったからだよ。
講和後有楽斎は大阪を追い出され治長は過激派のテロに遭って負傷。
大阪城は過激派に乗っ取られた。
0972人間七七四年2014/09/02(火) 20:29:59.37ID:nIvD+x0v
山岡宗八の『徳川家康』や
それを下敷きにしている横山光輝の漫画や大河の
「大坂の陣は浪人たちが起こした、彼等のはけ口」ってのは
まんざらデタラメでもないんだね
0973人間七七四年2014/09/02(火) 23:15:46.38ID:ajxK3x7F
浪人達は真田信繁を筆頭に死に場所求めてた奴らばかりだし
0974人間七七四年2014/09/03(水) 08:31:48.35ID:UBdcPVJS
>>973
死に場所求めてたなら冬の陣で講和に応じたりしないのでは?
0975人間七七四年2014/09/03(水) 12:25:40.76ID:8pFoXAgd
>>964
ブスならそういう記録を徳川が真っ先にするはず

秀吉があんだけ夢中になったんだから
そこそこ可愛かったしエロかったと思うよ
0976人間七七四年2014/09/03(水) 17:52:20.09ID:c8qRCjCe
>>974
冬の陣の講和は、当時の大阪城首脳陣が押し切ったんだよ。
0977人間七七四年2014/09/03(水) 17:54:54.61ID:c8qRCjCe
>>975
アホか。秀吉が淀殿に夢中になったのは棄丸が生まれて以降だ。
「子供が埋める」って機能にハマったにすぎんわ
0978人間七七四年2014/09/03(水) 18:48:35.13ID:fZrw93lM
淀殿といえば名門出身でプライドが高いとか言われてるけど
浅井家は長政の祖父亮政の代で成り上がっただけで、織田弾正忠家もせいぜい守護代の分家で
大した家柄じゃないんだよな
0979人間七七四年2014/09/03(水) 20:59:31.10ID:YUXfcWv6
そもそも豊臣の女主人として徳川を見下していたようだけど
豊臣家なんてそれこそ下賤の血筋なわけで
0980人間七七四年2014/09/04(木) 07:09:11.14ID:ObSTrCGg
元々は秀吉を家来ということで見下していたんだろうね
0981人間七七四年2014/09/04(木) 10:32:52.47ID:k5S4P6n2
家柄は京極竜子の方が上
0982人間七七四年2014/09/04(木) 18:35:58.64ID:97Wzc6yL
>>979
>>980
それは少し違う
淀の方自身が織田の血筋じゃないか

あと大坂の陣開戦までの豊臣上層部には
信雄、有楽祭はじめ織田一族が結構集まってたりする
信雄が西軍だったり、大坂冬の陣総大将候補だったりしたのは有名だよね

豊臣家末期は織田カラーが強かった
0983人間七七四年2014/09/04(木) 19:49:37.19ID:8CrPHHcl
織田から見ると秀吉は家来で
家康はその家来の家来と見えるな
家来の家来のその家来になりさがるより
家来の秀吉の家来のほうがまだいいと織田は考えた
0984人間七七四年2014/09/04(木) 20:58:31.19ID:MZ+2QFMm
なんか築山殿vs淀殿を見たくなってきた
物理的な争いじゃなくて家柄に関するプライド対決みたいなね
0985人間七七四年2014/09/04(木) 21:05:35.73ID:FcWZ9tQc
築山殿は清和源氏の名門今川家の娘だぞ
京極家の家臣筋の浅井家とは格が違う
0986人間七七四年2014/09/05(金) 06:21:52.02ID:rv/2075l
その名門意識故に家康に殺されてしまったと

築山殿も淀殿にも当てはまるな
0987人間七七四年2014/09/05(金) 06:26:40.08ID:aN0gU4KM
そもそも淀殿が名門意識を持っていたということ自体、後世の作り話でしか無いし
0988人間七七四年2014/09/05(金) 10:37:10.40ID:thpmGn9h
秀頼の生母というだけで何の後ろ盾もない淀殿にどこまでの権限があったのか
0989人間七七四年2014/09/05(金) 15:57:27.97ID:9dPFz6Xj
そう、何の権限もない、単なる己の血筋と美貌と秀吉の趣味にあったというだけで
ここまでの大勝負を家康とうてた旗頭になったという意味で女傑だと思う。

今の時代で見たら、本当に美人だったのだろうか。
0990人間七七四年2014/09/05(金) 16:01:12.59ID:aN0gU4KM
>>989みたいなのを軍談講談脳と言う
0991人間七七四年2014/09/05(金) 19:18:19.13ID:PS20vEnN
浪人連中も秀頼は神輿として利用するけど
何の政治能力もない秀頼の生母なだけの秀吉の一側室に従う義理なんてないだろ
寿桂尼くらいの政治手腕があるならともかく
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。