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尼子経久ってどうよ

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00012006/07/24(月) 02:14:49ID:1nUf16hP
なんとね〜おっつぁん話してごせや。まっちょーけんね
0233人間七七四年2009/05/13(水) 20:05:17ID:z16u3n8Z
>>232
指揮とってた本人が死んだ上に、跡次いだ息子が「前線見殺し」という超愚策をとったからな。
そりゃ一瞬で崩れるわ。
0234人間七七四年2009/05/29(金) 14:23:14ID:vqZhVd8+
義久君・・・。
0235人間七七四年2009/05/30(土) 13:21:07ID:SlA97N2l
やる夫がんがれ
0236人間七七四年2009/06/18(木) 15:15:30ID:BjCUwj6T
義久は庇う所ないのかな
0237人間七七四年2009/06/21(日) 00:07:20ID:fZSs469Z
義久大好き
0238人間七七四年2009/06/27(土) 15:46:55ID:pFZpvi9t
>>236
勝久と違って天寿を全うしたことは評価できる
0239人間七七四年2009/06/27(土) 15:51:51ID:x7fd7hRg
広瀬町の歴史資料館みたいないところにはいったことがあるな。

その近くに月山があって、登ると富田城の城跡が見られるようだが、
出雲大社にツーリングにいった帰りだったのでそこまで元気はなかった>11年前
0240人間七七四年2009/07/11(土) 15:40:11ID:esN3RNfK
昔行ったなあ
殆ど覚えてないが
0241人間七七四年2009/07/25(土) 15:01:51ID:RN1Wy7Hw
結構険しいよね。
0242人間七七四年2009/07/26(日) 07:14:54ID:hcvW2n5M
>>128
11カ国といっても完全支配していた国は何カ国かというと・・・

0243人間七七四年2009/08/10(月) 16:10:09ID:oBgADTf5
まだ完全支配の考え方がない頃。
0244人間七七四年2009/08/13(木) 02:15:23ID:0Vxa1J1g
完全に支配してたのって出雲、、伯キ、隠岐、くらいじゃなかったけ?
石見、安芸、備後、備中、備前、美作、因幡は大半とか半分とかで
播磨はほんの一部だったらしいって何かで読んだ
0245人間七七四年2009/08/25(火) 14:39:49ID:2EsYivse
国人に任せている場合が多いんだよね。
0246人間七七四年2009/08/28(金) 23:45:28ID:nRo6Dj6F
石見は宇山、美作は佐世に代官をさせて統治していたが、
どっちも支配していたとは言いがたいよな。
0247人間七七四年2009/08/29(土) 09:18:26ID:oHlwC1nd
東日本の尺度(織田、武田とか)で考えると違和感が出てくる
大内、尼子、毛利、大友
ここらあたりは傘下の国人による間接統治地がかなり多い
0248人間七七四年2009/09/09(水) 16:07:25ID:WBeMf/eM
西国が伝統的手法で 織田や武田が革新的手法なんだ。
0249人間七七四年2009/09/18(金) 15:29:49ID:1zIhVEFF
なのかな
0250sage2009/09/21(月) 10:09:58ID:n7cBZ8la
尼子はやや旧来のやり方であっても、晴久が割と専制的な政治制度を作ろうとはしてた

結局は急死したから未完成だったし、いかんせん補佐するべき親族が居なかったのも
0251人間七七四年2009/09/21(月) 11:08:22ID:/oZ0brEQ
西国と言うか大内尼子毛利の支配領域だと東国のように面を支配することに
こだわらなくても収益が上がるからじゃね?
要は家臣団を養い大兵を運用するだけの金が定期的に確保出来ればいいわけだし
国人層をいちいち滅ぼしていては土地も荒れるし人口も減る
銀山、日本海沿いの津、瀬戸内沿いの津、鉄、木材
0252人間七七四年2009/09/25(金) 08:17:46ID:To9ZJOfE
中央集権化に成功したとこのが珍しいやねえ

大河元就は大内家(義興@細川俊之)との対比が実に面白う御座いました
0253人間七七四年2009/10/10(土) 15:43:45ID:wv2SAS/y
>銀山、日本海沿いの津、瀬戸内沿いの津、鉄、木材
経済面では先進的だよね。
0254人間七七四年2009/10/11(日) 09:03:04ID:P8IyUS6Y
>>253
だって石高そのものが低いからね

海に面して良港にめぐまれたという面もあるが
0255人間七七四年2009/10/26(月) 15:56:44ID:fMBFGtg2
西国は大陸と結びつき強いから。
0256人間七七四年2009/11/10(火) 15:04:33ID:OEbZT7FW
尼子は交易という感じではあまりないが。
0257人間七七四年2009/12/31(木) 13:41:42ID:DfSUZFK1
関銭で潤ってますね。
0258人間七七四年2010/01/07(木) 23:23:38ID:BSssWhC9
>>256
義久の代の物とされる唐物が出土したし、晴久の代では銀山を
確保していたからかなり交易していたはずだよ。
隣の中国が世界中から銀をかき集めている時代だったしね。
もう少し唐物茶碗が出てもおかしくないと思う。
掘ったら出てくると思うんだけどなぁ・・・。
0259人間七七四年2010/01/31(日) 07:48:40ID:nz/xdC9j
経済力は強いね
0260人間七七四年2010/02/11(木) 00:07:02ID:p5pYfRHe
知将
0261人間七七四年2010/02/15(月) 16:09:06ID:GAcqhsGw
弟の久幸の実像って、いまいちわからんくない?史料が乏しいんだろうけど…
史料がそこそこ残ってる、多賀久幸とは別人なんだよね?
0262人間七七四年2010/02/15(月) 18:38:00ID:Q0jfdmXz
>>261
多賀久幸は尼子誠久の嫁さん一族だから違うね
0263人間七七四年2010/03/14(日) 07:36:04ID:/QvYbBnV
同名さんだ
0264人間七七四年2010/06/16(水) 17:03:54ID:iUG4yIK1
また経久が出る大河やらないかな
0265人間七七四年2010/06/18(金) 08:48:36ID:+3ysBRk+
それは大内義隆か経久本人の大河じゃないと
0266人間七七四年2010/06/18(金) 22:20:42ID:kYrbY/CA
久幸は、佐々木系図によれば、経久の弟の子になっている。
年齢的なことを考えれば、この方がピッタリくる。
0267人間七七四年2010/10/02(土) 22:28:28ID:4oatAeLw
>>266
臆病野州の人だっけ
爺ちゃんの弟に孫がそんなこと言うなんてスゲーと思ってたがそういう事なのか
0268人間七七四年2010/10/21(木) 12:00:25ID:fJULm7mq
最近この武将に興味持ったんだけどオヌヌメの書籍ある?
出来れば小説が良いなぁ。
0269人間七七四年2010/10/27(水) 00:00:34ID:iNhZWa48
山霧とだけ言っておこう・・・

臆病野州の事なら同名の小説がある、が、あまり・・・うん。
0270人間七七四年2010/12/05(日) 20:45:01ID:gZ+XEMYn
>>261
尼子氏スレでも言われてたが経久が久幸に
家督を譲るつもりだったって話も怪しいもんだな。
晴久や国久がいるのに若くないであろう弟に家督を譲るメリットも薄い。
0271人間七七四年2010/12/05(日) 21:31:34ID:1EWCLNxj
>>261
経久の弟ではなく、弟の子だって話も聞くけど、それも怪しい気がする。
経久と久幸は15歳差だろ?弟がいくつのときの子だよ。
0272人間七七四年2010/12/05(日) 22:04:24ID:8+cjEmxG
清定と経久も年齢が離れすぎてるな。
嫡子誕生が48歳って遅すぎないか?
0273人間七七四年2010/12/06(月) 23:23:46ID:8EaJWUev
>>272
久幸が経久の「甥」だとすると、久幸の父は経久弟じゃなくて、兄だとか?
兄が早世し、甥が幼かったので経久が跡を継いだとか。
いや完全に妄想だけどさ。でもそれなら久幸が重鎮扱いだったのもわかるかも。

あと、経久のことじゃないのでスレ違いだが、ついでだから尼子家系に関する俺の疑問。
早世したという晴久の長男(義久の兄)の母親って誰?
国久娘とは再婚なんだよな?
で、本によっては義久誕生の前前年ぐらいに最初の妻が病死、その後すぐに再婚て書いてあるけど、
そうしたら長男の母親は前妻ってことになると思うんだけど。
経久としては、興久の件があるから国久娘の子に晴久の跡を継がせたいという意図があったんだよな。
すると、前妻とその息子が都合良くさっさと死んでるのって…。
0274人間七七四年2010/12/07(火) 18:26:00ID:q97oXdm6
正室なんだから前妻も有力国人の娘に違いないんだろうけどな
0275人間七七四年2010/12/12(日) 13:43:55ID:7umDmLnu
>>271
久幸の生年も怪しくなりそうだけどね
晴久ですら生年が揺らいでいるし吉田郡山城の戦いに参戦するにしては歳を取り過ぎてるような気もするし
0276人間七七四年2010/12/23(木) 21:25:09ID:Zs22oUYI
一栗放牛みたいな例もあるし何歳でも戦場に出る奴は出るよ
0277人間七七四年2010/12/24(金) 08:10:42ID:3fwmkIEB
一栗さんの場合は、出ざる得ない事情だったからのような気がする。
0278人間七七四年2010/12/26(日) 23:18:57ID:T5onlL9V
生年説の情報源自体が怪しいんだが・・・
確か家系図じゃなく別の何かが情報源だったと
長谷川氏の研究書に書いてあった
0279人間七七四年2011/04/24(日) 11:11:46.24ID:ke1DYf41
北条早雲みたいに生年が大幅にズレてそうだな
0280人間七七四年2011/04/28(木) 12:59:14.60ID:9wdQyX8x
晴久再評価本ないの?
0281人間七七四年2011/04/28(木) 22:35:23.17ID:CAwfs1fZ
渥美清が金田一の八つ墓村見たんだけど作品紹介でも解説でも頑なに平家の落ち武者言っててワロタ
知名度の問題だろうけど本編で尼子尼子言ってるんだから尼子言ってやれよ
落ち武者のリーダーが尼子よしたかで大内さんちの義隆様思い出した
ええ、面白かったです。若い頃のショーケンかっこよかったです
0282人間七七四年2011/09/03(土) 09:41:30.93ID:EfpKbpY0
>>272
「嫡子」と言っても、嫡子になるハズだった男児が早世して
文献に残らなかった可能性もある。
0283人間七七四年2011/10/02(日) 04:31:20.22ID:PZFbyfYa
吉川興経も父元経が60歳の時の子らしいからな
資料によっては生年が10年ほど開きがあるがそれでも50歳の時の子だし
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