播磨赤松氏について語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:47:20ID:52Sv0tnY0177人間七七四年
2009/12/11(金) 17:32:49ID:NLeIdYtP0178人間七七四年
2009/12/11(金) 21:09:58ID:cNhq6qLl0179人間七七四年
2010/01/13(水) 12:20:25ID:WsT7SYmg神璽奪回って、播磨守護にも匹敵するほど大事なものなのかね?
0180人間七七四年
2010/01/13(水) 12:41:48ID:64mCZX0X0181人間七七四年
2010/01/29(金) 21:34:06ID:PMYQ/yyZ晴政家臣で村宗と渡り合えたのこいつぐらいじゃなかろうか。
0182人間七七四年
2010/02/17(水) 18:27:36ID:N3fjPcaf嘉吉の乱の時に、細川持之は実は知ってたんじゃないかって話もあるしね。
後々、お家再興に子の勝元が後押ししてるし、ありえない話ではないだろうね。
背景にある山名宗全の存在が大きいんだけどね。
0183人間七七四年
2010/02/17(水) 21:17:36ID:Dgcm5R5L大内持世あたりはそう信じ込んでいたらしいね
大内と細川の仇敵関係の構図は山名衰退後もずっとつづくから
根が深い
0184人間七七四年
2010/03/14(日) 07:33:25ID:/QvYbBnV0185人間七七四年
2010/03/25(木) 15:33:24ID:nK0m+oq8赤松は首謀者じゃなくて、鉄砲玉ってことか……。
0186人間七七四年
2010/03/30(火) 01:47:57ID:O27qgtf/0187人間七七四年
2010/03/31(水) 21:42:42ID:C5yP29gb0188人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:09:49ID:iwwnPk8h開催報告
福武学術文化振興財団助成 第4回・第5回赤松氏研究会開催報告
特集「赤松氏研究の最前線」
小林 基伸 戦国末期の播磨における地域権力と荘園
野田 泰三 戦国期赤松氏研究の課題と一、二の試論
矢田 俊文 戦国期播磨国権力構造に関する一視点
―越後など諸国との比較から―
論文
森脇 崇文 豊臣期宇喜多氏における文禄四年寺社領寄進の基礎的考察
研究ノート
大西 泰正 宇喜多氏家臣の叙位任官
渡邊 大門 播磨国赤松氏および被官人の官途について
―隣国受領名官途の在地効果説をめぐって―
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿
おしらせ
濱田浩一郎『播磨赤松一族』新人物往来社 刊行のご案内
投稿規定
【『年報赤松氏研究』創刊号(2008.3)目次】<残部僅少>
開催報告
福武教育文化振興財団助成 第3回赤松氏研究会開催報告
論 文
山下 晃誉 天文前期の播磨における尼子氏勢力の動向
渡邊 大門 戦国期赤松氏の領国構造
研究ノート
竹内 智宏 室町幕府と赤松氏 ―申次赤松満政の活動を中心として―
0189人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:11:24ID:iwwnPk8h論 文
大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)
0190人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:19:18ID:iwwnPk8h著者名: 濱田 浩一郎【著】
出版社/発売元:新人物往来社
発売日:2009年 01月 出版
サイズ:227p 19cm(B6)
発行形態:単行本
ISBN:4404035624第1章 赤松一族の草創
第2章 南北朝動乱と赤松氏
第3章 嘉吉の乱
第4章 赤松再興と応仁の乱
第5章 戦国時代の赤松氏
第6章 落日の赤松氏
税込価格:2,940円
0191戦国乙女
2010/05/27(木) 19:05:12ID:cmQv91lj<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
0192人間七七四年
2010/06/24(木) 01:04:57ID:UfHXNi9iまだ読んでいないが買いました。
0193人間七七四年
2010/08/29(日) 12:02:00ID:Xu5A+DU00194人間七七四年
2010/10/04(月) 05:34:06ID:dj8gS6iwhttp://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/history/1143937207
赤松氏研究はまだまだこれからの分野だから、まずは各地方の資料をまとめる所からだろうなぁ。
大きく分けて、大名時代の播磨・備前・美作、旗本時代の上総、有馬氏の筑後。
0195人間七七四年
2010/11/05(金) 19:25:13ID:V/uqaF8G【天候】竹田城跡が「天空の城」に・・・近畿でこの秋一番の冷え込み
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1288847415/
近畿地方は4日早朝、気温が大阪で8.4度(平年11.7度)、
奈良で4.1度(同8.3度)を記録するなど、
各地で今秋一番の冷え込みとなった。大阪管区気象台によると、
昨夜から晴れが続き、地表の熱が奪われる放射冷却現象が起こったためという。
明日から週末にかけては高気圧に覆われ、最低・最高気温とも平年並みに戻る見込み。
兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡では幻想的な雲海が現れ、
日の出とともに訪れた写真愛好家らがカメラに収めていた。
冷え込んだ朝に近くを流れる円山川からの朝霧が立ちこめ、
標高353メートルの山城は「天空の城」を思わせる光景となる。
.
ソース
http://www.asahicom.jp/national/update/1104/images/OSK201011040043.jpg
http://www.asahi.com/national/update/1104/OSK201011040040.html
0196人間七七四年
2010/11/09(火) 20:10:26ID:nQ+eGteV0197人間七七四年
2010/11/10(水) 05:29:24ID:Xi7FDpRW関ヶ原などの功績で久留米21万石を拝領した。
元々九州にいた有馬氏とは全く別だが、仮冒ではなく、
こちらはこちらで由緒ある有馬氏で、赤松一族だよ。
0198人間七七四年
2010/11/10(水) 10:23:20ID:k1B83vZe確かに初代は庶流(本家の従弟)だが母親は細川澄元の娘。
0199人間七七四年
2010/11/12(金) 23:02:50ID:3iB/bmoG0200人間七七四年
2010/11/16(火) 12:45:34ID:K5YqGREu結婚ってのが4人。なんか繋がりがあるのかな?
最近ルーツ探ししだしてちょっと興味持ち始めたとこでよくわかんないんだけど
0201人間七七四年
2010/11/16(火) 15:37:23ID:MuIMTPFK小寺姓というだけでは何とも言えない。
失礼ながら明治の新姓で何のゆかりも無い人が
赤松だの何だのと名乗っているケースの方が多いし。
本当に子孫であれば菩提寺があるはず。
菩提寺があれば過去帳があるはず。
それらが無いとなると怪しい。
系図は何のあてにもなりません。
系図屋という系図を捏造する商売が流行った時期が
あり、かなりの家が系図を捏造してます。
0202人間七七四年
2010/11/16(火) 17:48:47ID:V5eqMHXyありがとう
自宅にあるボロボロ過去帳見たけど解読不能な文字大杉
宝永?没1708年の人が一番古い記録っぽいってだけしかわかりませんでした。しかも戒名のみ
怪しいですよね
菩提寺に行って確認してみます
0203人間七七四年
2010/11/19(金) 10:09:39ID:s1jXSqO0関西における赤松家と小寺家は系図上は断絶しちゃってるからね。
たぶん元々関西に多い姓で、歴史的には繋がりのある姓ってことで縁があったのかもね。
旗本として系図が明治期までハッキリしている江戸周辺のほうで赤松や有馬だったら
調べればすぐに繋がりは発見できると思う。
0204人間七七四年
2010/12/14(火) 20:30:48ID:Ilz6bDji0205人間七七四年
2010/12/16(木) 03:25:09ID:RAQ7Knlb0206人間七七四年
2010/12/17(金) 02:39:50ID:Q8uFts7Rその義則は元々は足利義詮からだと思うが。
0207人間七七四年
2010/12/22(水) 15:28:47ID:4YDDVh160208人間七七四年
2010/12/22(水) 20:21:57ID:Yh0uiwdl0209人間七七四年
2010/12/28(火) 19:53:23ID:SOASEfOn代々将軍から拝領してるんじゃないの?
0210人間七七四年
2010/12/28(火) 20:26:33ID:rJwOlQNG0211人間七七四年
2010/12/29(水) 01:08:19ID:3lCxn0TJ0212人間七七四年
2010/12/29(水) 20:46:07ID:6ir/LgzD血縁はないはずだが、いつ誰にもらったものかは不明。
政則あたりが将軍からもらって、代々伝わったのかもなぁ。
>>211
政秀(政則の庶子の孫)の子で、七条系の義村の家系より血統的には正統に近いんだよな。
亀井茲矩に陥れられなかったら、いい大名になってたろうな。
嫁の宇喜多秀家の妹は離縁したほうが良かったかもしれんが。
0213人間七七四年
2011/01/05(水) 17:37:15ID:lvmHuf4nそれなりに資料集めメドは立ってきた。
0214人間七七四年
2011/01/06(木) 21:41:54ID:ophkjI8Gがむばれw
0217人間七七四年
2011/01/12(水) 20:57:55ID:LHLxQvCm石野
0218人間七七四年
2011/01/13(木) 06:44:13ID:DruCgmEJ有馬則頼の活躍で久留米藩として栄えたが5代で絶え、大身旗本赤松範恭の従弟の則維が養子に入り、
以後この家系が幕末まで続く。伯爵。
旗本石野・赤松は赤松範資の末裔という、赤松氏の庶流。
赤松政則の養子となる事で惣領家入りした赤松義村の弟の末裔で、有馬則頼の娘婿の石野氏満の家系が
生き残り、大身旗本として交代寄合となり、外国奉行、軍艦奉行など要職を歴任し、幕末まで続く。男爵。
有馬を語るのに石野・赤松は欠かせず、石野・赤松を語るのにも有馬は欠かせない。
0219人間七七四年
2011/01/13(木) 20:54:33ID:PdG0yWoB元々は有馬家の分家旗本有馬規故の養子になっていたから、最初は有馬本家を
継ぐ予定はなかったのかな。
30〜50倍の領主になれるとわかっていたら、本家のほうを入れちゃうだろうし。
幕府も絡んでいたようだし、色々と事情があったんだろうけど、気になるな。
また、則維は栄達を果たしたが実家にはどんなメリットがあったのか。
宝永年間に有馬の家督を継ぎ、同じ宝永年間に本家の範恭が赤松の家名を正式に再興しているから、
そのへんに絡んでるのかもしれないな。
日光奉行という要職で2000石の足高もあるし、この後も幕府の要職に度々就いているしね。
ただ、やはり21万石に比べると、パっとしない気がする。
0220人間七七四年
2011/01/24(月) 12:46:49ID:HwVlKBMh0221人間七七四年
2011/01/25(火) 02:36:03ID:Xvu8pF9F御家人吉沢雄之進の子で、祖父は赤松良則。
赤松氏の末裔で赤松政秀がかつて領有していた龍野で干鰯問屋をやっていて、名門の末裔と大商人だった事とあり、
名字帯刀を許されたとある。
則良は良則の娘の子で、造船関係に関わるきっかけとして大身旗本で幕末の軍艦奉行赤松範静がいた。
この赤松範静の範の文字をとって、則良は息子に範一と名づけたとするのが有力。
範は七条赤松家でよく使う文字で、基本勲功ではあるが、旗本赤松家の名跡を継ぐような形で、男爵を拝命
したと考えるのが自然だね。
則良は静岡藩に移ったけど、実は赤松範静も静岡藩に移った形跡がある。
0222人間七七四年
2011/01/28(金) 18:46:32ID:wTAnZNg+<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
0223人間七七四年
2011/01/29(土) 16:22:35ID:04o9hmh4一般的によく知られてないのが西播磨や美作だよな。
0224人間七七四年
2011/01/29(土) 20:51:45ID:4Whz4l+G庶民が名字貰っただけで血統的には播磨赤松とは無関係?自称子孫?
0225人間七七四年
2011/01/30(日) 17:52:04ID:nZjrBObF旗本赤松家は大身旗本で有馬とかなり濃い親戚で、江戸初期から名家の末裔が
よくなるとされる御伽衆だったり、寛政系譜にも載ってるから、播磨赤松家の末裔
とするのは良い。というか現在唯一確証を持つに値する赤松家の血筋だね。
一方で赤松則良はたしかに怪しいと思ったほうがいいだろうな。
母方の祖父の血統が江戸時代から龍野藩で赤松姓を許されたとあって、
当時から末裔として藩レベルで認知されていたのは確かだろうから
いわゆる明治の新姓(完全自称)とは違う。
この一族と旗本赤松家の関係についてはまだ研究中。
何かしらの関係を持ったのは範静と則良の立場を見れば明らかなんだが。
0226人間七七四年
2011/01/31(月) 14:03:16ID:1tzKqydz0227人間七七四年
2011/02/06(日) 12:58:39ID:s9Sz5wx1へえー
名門扱いは受けていたんだね
0228人間七七四年
2011/02/14(月) 00:48:22ID:t8pHaKN50229人間七七四年
2011/02/18(金) 02:26:40ID:Fxc/X/ka当主の従兄弟だったのか
0230人間七七四年
2011/02/18(金) 15:23:38ID:EtlsUktB『年報赤松氏研究』第4号(98ページ)が刊行されました。申込方法は、次の2種類になりますので、よろしくお願い申しあげます。なお、この機会にバックナンバー(3号のみ在庫あり)を同時にご購読いただけると幸いです。
【誌代+送料】
誌代1,000円+送料180円=1,180円
【申込方法@/銀行振込】
銀行振込で「年報赤松氏研究」購入希望の方は、私までメールをください<wdaimon■hotmail.com(■を@に変更してください)>。折り返し銀行の口座番号をお知らせします。振り込まれましたら、私までメールをいただけると幸いです。
【申込方法A/郵便小為替】
申込に際しては、@必要な号数を記したメモ、A180円分の郵便切手+郵便小為替1,000円分を同封し、下記まで郵送しててください。
■送り先
〒341-0037 埼玉県三郷市高州3-458-1-21 渡邊大門
【複数冊の購入】
@4号を2冊購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
A3号と4号を購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
なお、上記以外で複数冊を購入される場合は、郵便料金が変わりますので、あらかじめご連絡をお願い申しあげます。
【『年報赤松氏研究』第4号(2011.3)目次】在庫あり
論 文
中 脇 聖 戦国期一条氏の家領維持政策に見る福原荘と幡多荘
畑 康 明 戦国期播磨国における「地域権力」の形成過程
―播磨国清水寺を通じてみた依藤氏を中心に―
渡邊 大門 美作国後藤氏の権力構造
書評と紹介
片山 正彦 大西泰正著『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』
中村 直人 渡邊大門著『戦国史研究叢書7 戦国期赤松氏の研究』
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2010年1月〜12月分・補遺)
投稿規定・バックナンバー
【『年報赤松氏研究』第3号(2010.3)目次】在庫あり
論 文
大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)
0231人間七七四年
2011/03/12(土) 17:03:11.04ID:U80nOU3d滅亡すると赤松が出てくることもあった。
群雄伝から赤松になったけど、播磨は当時大きく分けて3勢力だったからな。
0232人間七七四年
2011/03/17(木) 17:16:59.66ID:6rZ2Vhec(´;ω;`) ぶわっ
0233人間七七四年
2011/03/20(日) 21:27:07.60ID:53kQIJvR0234人間七七四年
2011/03/23(水) 02:58:04.84ID:7c9XuAKZ0235人間七七四年
2011/03/26(土) 16:52:26.54ID:hAmg9Mrr0236人間七七四年
2011/03/26(土) 21:12:26.33ID:rLnFtl8D赤松は江戸にも続いてたし、それは難しい。
宮本武蔵が赤松の末裔なんて話はあるけどもろ戦国時代の話だしなぁ。
0237人間七七四年
2011/04/03(日) 15:11:56.06ID:07P3ibSm0238人間七七四年
2011/04/03(日) 16:40:58.51ID:ntZma4QI貞範から数えて4代の家貞の代で途絶え、娘の子の貞重を養子にとって家督を継がせ、
その家が新免家だから新免を称したそうな。
武蔵の親父の無二斎はその新免氏の家老格だった平田氏の出で、新免の婿養子になって
新免を名乗ったようだな。
武蔵はその無二斎の実子でなく、養子とも言われてるから、繋がりがあるとしても縁遠いね。
0239人間七七四年
2011/04/03(日) 16:47:14.18ID:ntZma4QIこの田原氏も赤松の一族。家貞ってのも2人いるし、ややこしいわw
0240人間七七四年
2011/04/04(月) 00:33:54.62ID:FRmHCab8三魔持家の末裔だが分家。でも母親は細川澄元の娘
0241人間七七四年
2011/04/04(月) 05:42:10.72ID:yXVo6q/wこのへんまでは家格は高かったんだろうね。
嫡流はそこから3代後に断絶して、重則や則頼が継承したわけでもないから、摂津有馬氏も正確に
言えば断絶してるんだよね。
則頼はその摂津有馬の分家で、あまり本家との結びつきがあった形跡はないけど、
父の重則が細川澄元の娘を娶ってるから、家格が悪いというほどなかったのかもね。
0242人間七七四年
2011/04/04(月) 23:49:29.28ID:moL452Kzそれに細川はあれだったから、それに便乗して嫡流争いしていたんじゃない
0243人間七七四年
2011/04/06(水) 03:23:20.30ID:8gz6zqT8それがしは、有馬さんについて活きます
0244人間七七四年
2011/04/06(水) 04:19:10.54ID:NcIM9vnkただ、その久留米藩の嫡流が途絶えた後に旗本赤松(石野)が跡継ぎになったって所に
面白さを感じる。
有馬のほうにまったく男子がいなかったわけでもないのに、則頼まで遡らないと繋がらない
血統(娘婿の系統)で繋げていったわけだからね。
有馬の分家も赤松(石野)が跡継ぎになってるし、単なる偶然とも思えないね。
0245人間七七四年
2011/04/06(水) 12:54:39.37ID:gXlMbd4H0246人間七七四年
2011/04/07(木) 04:01:34.56ID:jCOBkhD5則頼の外孫の血統からもらってくるよりは遥かに近い。
0247人間七七四年
2011/04/14(木) 10:57:07.58ID:XQfXRuWY0248人間七七四年
2011/04/20(水) 17:25:29.74ID:S7ANP7G3だれか、加東市西古瀬の友藤一族についてしりませんか?
0249人間七七四年
2011/04/20(水) 19:22:15.23ID:FgqonUaG0250人間七七四年
2011/04/20(水) 19:52:19.84ID:nv8t1JR20251人間七七四年
2011/04/20(水) 19:57:04.69ID:nv8t1JR2と思ったら嘉吉の頃にすでにあった名字みたいだ
0252人間七七四年
2011/04/20(水) 20:11:56.84ID:S7ANP7G3くらいしか分かりませんでした。
別所からわかれたそうです。
家紋は片喰で、依藤氏とかぶってますね
0253人間七七四年
2011/04/21(木) 02:02:41.71ID:XNH12hNDなんか関係ありそうなネタをいくつか拾ってきた
依藤(推定1700人)60%が兵庫、主に西脇市。ほかに大阪。
友藤(推定730人)60%が兵庫。ほかに大阪。
伴藤(推定270人)鳥取・岡山に20%。ほかに大阪・福井。ばんどう。伴→友?
古瀬館(友堂屋敷)加東市西古瀬:友堂和泉守の居館跡か。 藤→堂?
※湯通堂(推定220人)鹿児島40%、兵庫20%。ゆつどう。
井ノ口構 上荘町井ノ口:志方家臣・依藤三河守、依藤小八郎(別所安治の末子)らの居城。
天正6(1578)年、依藤氏は三木に篭城した。加古川温泉「みとろ荘」が城址。
※治定1561〜79 安治の子、小八郎
0254人間七七四年
2011/05/06(金) 11:24:13.01ID:iuzNqyM+0255人間七七四年
2011/05/06(金) 17:33:11.32ID:qCgPNX++今のところ残ったと言えるのは七条系(旗本)くらい。
まぁ則房も元々七条系だけどな。
0256人間七七四年
2011/05/11(水) 21:25:16.64ID:VaKlIl3f政54 戦61 采58 知53
0257人間七七四年
2011/05/17(火) 11:44:23.13ID:JUFzskowこれは利口じゃないね。
政広は寝返ったのに謀殺されたから不運だったが。
妻(宇喜多直家の娘)も離縁しとくべきだった。
0258人間七七四年
2011/05/17(火) 20:19:02.57ID:4JNjZeoT0259人間七七四年
2011/05/17(火) 20:42:51.57ID:Oqd/ttIp0260人間七七四年
2011/05/17(火) 21:50:02.49ID:JUFzskow0261人間七七四年
2011/05/18(水) 23:12:34.39ID:/Gy7S62n領地的に厳しいんじゃないかなぁ。東軍参加を表明したところで毛利・宇喜多が大坂行くついでに踏み潰されるよ。
0262人間七七四年
2011/05/19(木) 00:47:25.03ID:XvjtDOxX妻が宇喜田家だから、仕方なくって感じだろうね。
0263人間七七四年
2011/05/28(土) 17:05:39.32ID:/lTOQCWa0264人間七七四年
2011/05/28(土) 20:58:33.26ID:oinDCsKNうちの地元じゃ今でも「あかまっつぁん」て呼ばれて
墓碑も建ってたりするけど、
後から来た割りには、山名氏より慕われたのかな
0265人間七七四年
2011/05/29(日) 01:15:58.07ID:PY3T2rJ3竹田城址って今は天空城として名所だしね。
0266人間七七四年
2011/06/02(木) 01:25:13.33ID:Q08CqNUr三公七民とかいうアホみたいな低税率でちゃんとやってた。
0267人間七七四年
2011/06/02(木) 10:15:00.37ID:wkKvA2Xm兵庫県だと赤松氏は古い領主として郷愁を感じる人は少なくないみたいね。
それにしても儒学にも通じていたし(藤原惺窩はその死を惜しんだ)、人材的にももったいなかったな。
0268人間七七四年
2011/06/02(木) 20:16:05.43ID:tW1x+F2V渡邊大門
『赤松氏研究会会報』第3号(PDF)を無料で送信します。どなたでも、遠慮なくお申し込みください。
申し込みは、メールでお願いします。創刊号・大2号もありますので、必要な方は遠慮なくどうぞ。
拙稿「新出の赤松政秀書状について」が掲載されています
http://twitter.com/#!/wdaimon/status/76243391662407680
0269人間七七四年
2011/06/14(火) 17:10:28.31ID:ltozrjxV0270人間七七四年
2011/06/19(日) 20:58:59.79ID:+frrBdZi0271人間七七四年
2011/06/24(金) 07:30:35.81ID:8T+b1TjKその政秀も2人いるけど。
0272人間七七四年
2011/06/25(土) 01:24:31.39ID:Jr+MoUfo勉強してるがなかなか楽しい
0273人間七七四年
2011/06/25(土) 11:23:06.54ID:12e70tQZ藩士でもいない?
0274人間七七四年
2011/06/26(日) 00:46:31.73ID:rxq2BC6k0275人間七七四年
2011/06/30(木) 22:47:24.71ID:4F7OT/lL渡邊大門著『中世後期の赤松氏―政治・史料・文化の視点から―』
(A5版 本文348頁 人名索引4頁)
多様な視点から赤松氏を分析した一冊。赤松氏の細部を追究する。
目次
序 7頁
第一部 中世後期赤松氏の様相 21頁
第二部 中世後期における赤松氏庶流 93頁
第三部 赤松氏関係史料の周辺 197頁
第四部 中世後期赤松氏と文芸 239頁
結 335頁
初出・原題一覧 344頁
あとがき 347頁
http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html
0276人間七七四年
2011/06/30(木) 23:35:29.12ID:+NX20dbPまさかね
0277人間七七四年
2011/07/05(火) 01:31:18.26ID:3uVEGb7e■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています