播磨赤松氏について語るスレ
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:47:20ID:52Sv0tnY0103人間七七四年
2008/01/27(日) 17:36:51ID:a37XKOii0104人間七七四年
2008/01/28(月) 21:51:31ID:DMIaJM3m0105人間七七四年
2008/02/15(金) 06:50:47ID:kxDUa44q祖父の生前に、もっといろいろ聞いとけば良かったと、今更ながら後悔してます・・・
0107人間七七四年
2008/03/04(火) 19:07:31ID:nRZWmwvn家紋とかすごいこだわりがあったなぁ。
0109人間七七四年
2008/03/31(月) 15:50:05ID:BVnqMwBv0110人間七七四年
2008/03/31(月) 17:18:50ID:Nw98Q9um結局関ヶ原の時点での立場や身の振り方でほとんど決まってるね。
西播磨の斎村も亀井に濡れ衣着せられるという不運はあったが、最初から東軍に
属せばよかったわけだしな。一族揃って西軍ってのは利口ではなかった。
0111人間七七四年
2008/04/21(月) 16:30:15ID:tGGMeK0u0112人間七七四年
2008/05/10(土) 16:04:11ID:oxmIGnwL0113人間七七四年
2008/05/29(木) 17:45:56ID:5SkFchnt0114人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 15:29:28ID:4c60AULr京極は江戸初期、出雲隠岐二ヶ国を領する大大名。
分家も丹後全域を領する国持ち大名。
畠山も河内の戦国大名で頑張った。
一色も丹後の戦国大名で頑張った。
山名も因幡の戦国大名で頑張った。
斯波赤松が守護代等に追われ衰えたのは分かるが、
それならば細川京兆もだろう。
細川幽斉は管領家細川京兆とは別物じゃない。
0115人間七七四年
2008/06/25(水) 13:50:34ID:WHv+6n9C0116人間七七四年
2008/07/02(水) 03:48:58ID:9xMeYvov浦上はもう少し知名度あってもいいと思う
0117人間七七四年
2008/07/07(月) 21:02:02ID:/zVfOGDP盛り上げてくれよ。
ザ・浦上氏
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154943603/
0118人間七七四年
2008/07/08(火) 14:59:53ID:TGgCz+PB0119人間七七四年
2008/07/11(金) 13:35:27ID:1T26F2mlもっと研究の題材になっていいよね。
>>116
たしかに東播磨での勢力は縮小したけど、
西播磨は龍野の赤松政秀、上月の赤松政範の2期に渡って
勢力を確保していた。
それぞれ黒田、秀吉に敗北して没落しちゃったけどね。
0120人間七七四年
2008/07/14(月) 22:18:43ID:6awfvRt+0121人間七七四年
2008/07/14(月) 23:21:31ID:5cLLlhZQ領国も多くなく、四職でも末席みたいな扱いなのに。
0122人間七七四年
2008/07/14(月) 23:25:16ID:6awfvRt+0123人間七七四年
2008/07/31(木) 16:04:34ID:3eHz/h4W0124人間七七四年
2008/08/10(日) 16:08:03ID:pknMCE2d0125人間七七四年
2008/08/12(火) 16:52:06ID:7zjxtrvy0127人間七七四年
2008/08/14(木) 01:29:18ID:gFKbwSVFいろいろ貧乏籤ひかされた奴もいるよ
0129人間七七四年
2008/08/20(水) 14:35:23ID:0IoHeqfl0132人間七七四年
2008/09/09(火) 16:44:12ID:oIgI/cTc細川が出家騒動起こしたりで、大変なことになったな。
0134人間七七四年
2008/09/15(月) 14:15:02ID:7wQKPRdg取り逃がしたのは痛恨だったな
0135人間七七四年
2008/09/19(金) 06:10:36ID:2GmM/EiHまぁ、この両家は目的があったからな。
0136人間七七四年
2008/12/04(木) 21:18:05ID:nW0LDQd50137人間七七四年
2008/12/04(木) 22:24:52ID:u9R+dOyg0138人間七七四年
2008/12/04(木) 23:28:32ID:/DZikV3yもともと将軍以外は殺す気なかったらしいけどね
義教怖がってたのはどの守護もそうだろうっていう読みもあったし
山名の一門の守護の首もとって義教と一緒に晒しちゃったから
山名一門大激怒で赤松崩壊
0139人間七七四年
2008/12/05(金) 20:51:10ID:SOx9uhom0142人間七七四年
2008/12/21(日) 23:38:08ID:O6Xknuur畠山は一度家督奪われた持国が弟の持永を殺して強引に家督復帰中
赤松に味方した直冬の孫の誰かが庇護を求めにいったけど
持国にあっさり断られて幕府復帰の手土産にされてる
0143人間七七四年
2009/01/08(木) 15:06:20ID:DieASzIH0145人間七七四年
2009/01/26(月) 15:15:17ID:86AzcPMP山名と細川は良好な時期もある。
0146人間七七四年
2009/01/26(月) 20:41:03ID:59hs+iX50148人間七七四年
2009/01/26(月) 23:58:11ID:RAPv+8zp0150人間七七四年
2009/02/19(木) 16:02:46ID:RAmW4BFX0151人間七七四年
2009/03/05(木) 15:09:26ID:PBzGGAEI0152人間七七四年
2009/03/06(金) 23:37:42ID:LixUx5z30153人間七七四年
2009/03/24(火) 15:43:50ID:BPq6wHiE0154人間七七四年
2009/04/04(土) 13:45:03ID:u/agNP8u0155人間七七四年
2009/04/18(土) 13:19:32ID:CTMzxXjf0156人間七七四年
2009/05/05(火) 17:32:22ID:WivtksbZ0157人間七七四年
2009/05/08(金) 06:14:26ID:XRFPhFre0158人間七七四年
2009/05/22(金) 15:58:35ID:9C2cYmzS0159人間七七四年
2009/06/08(月) 15:27:15ID:DL1PELQx0160人間七七四年
2009/06/22(月) 16:56:19ID:S+ACvaEc0162人間七七四年
2009/07/06(月) 16:02:35ID:GBzVtYqO0163人間七七四年
2009/07/21(火) 15:19:54ID:4R4AGFCp0164人間七七四年
2009/08/05(水) 15:32:54ID:oCCMar9Q0165人間七七四年
2009/08/13(木) 10:03:38ID:vKa2b+d+0166人間七七四年
2009/08/25(火) 14:27:02ID:2EsYivse0167人間七七四年
2009/09/09(水) 16:05:35ID:WBeMf/eM0168人間七七四年
2009/09/18(金) 15:28:58ID:1zIhVEFF0169人間七七四年
2009/09/29(火) 15:17:40ID:zvwpTz6F0170人間七七四年
2009/09/30(水) 09:31:03ID:QQh0D81P0171人間七七四年
2009/10/05(月) 13:49:40ID:gfxW0C690172人間七七四年
2009/10/05(月) 21:19:23ID:m6X1MS3V播磨国にあった赤松村が元。
赤松村は佐用郡と赤穂郡の境目に位置し、
明治の廃藩置県で基本的に赤穂郡に属したが、一部は佐用郡に繰り入れられた。
0173人間七七四年
2009/10/20(火) 16:15:24ID:zhhpW0Lq0174人間七七四年
2009/10/23(金) 01:40:15ID:uXI/5g0ihttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256229478/
旗揚げしました。何卒よしなに。
0176人間七七四年
2009/11/18(水) 15:25:34ID:hIVxQgMI0177人間七七四年
2009/12/11(金) 17:32:49ID:NLeIdYtP0178人間七七四年
2009/12/11(金) 21:09:58ID:cNhq6qLl0179人間七七四年
2010/01/13(水) 12:20:25ID:WsT7SYmg神璽奪回って、播磨守護にも匹敵するほど大事なものなのかね?
0180人間七七四年
2010/01/13(水) 12:41:48ID:64mCZX0X0181人間七七四年
2010/01/29(金) 21:34:06ID:PMYQ/yyZ晴政家臣で村宗と渡り合えたのこいつぐらいじゃなかろうか。
0182人間七七四年
2010/02/17(水) 18:27:36ID:N3fjPcaf嘉吉の乱の時に、細川持之は実は知ってたんじゃないかって話もあるしね。
後々、お家再興に子の勝元が後押ししてるし、ありえない話ではないだろうね。
背景にある山名宗全の存在が大きいんだけどね。
0183人間七七四年
2010/02/17(水) 21:17:36ID:Dgcm5R5L大内持世あたりはそう信じ込んでいたらしいね
大内と細川の仇敵関係の構図は山名衰退後もずっとつづくから
根が深い
0184人間七七四年
2010/03/14(日) 07:33:25ID:/QvYbBnV0185人間七七四年
2010/03/25(木) 15:33:24ID:nK0m+oq8赤松は首謀者じゃなくて、鉄砲玉ってことか……。
0186人間七七四年
2010/03/30(火) 01:47:57ID:O27qgtf/0187人間七七四年
2010/03/31(水) 21:42:42ID:C5yP29gb0188人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:09:49ID:iwwnPk8h開催報告
福武学術文化振興財団助成 第4回・第5回赤松氏研究会開催報告
特集「赤松氏研究の最前線」
小林 基伸 戦国末期の播磨における地域権力と荘園
野田 泰三 戦国期赤松氏研究の課題と一、二の試論
矢田 俊文 戦国期播磨国権力構造に関する一視点
―越後など諸国との比較から―
論文
森脇 崇文 豊臣期宇喜多氏における文禄四年寺社領寄進の基礎的考察
研究ノート
大西 泰正 宇喜多氏家臣の叙位任官
渡邊 大門 播磨国赤松氏および被官人の官途について
―隣国受領名官途の在地効果説をめぐって―
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿
おしらせ
濱田浩一郎『播磨赤松一族』新人物往来社 刊行のご案内
投稿規定
【『年報赤松氏研究』創刊号(2008.3)目次】<残部僅少>
開催報告
福武教育文化振興財団助成 第3回赤松氏研究会開催報告
論 文
山下 晃誉 天文前期の播磨における尼子氏勢力の動向
渡邊 大門 戦国期赤松氏の領国構造
研究ノート
竹内 智宏 室町幕府と赤松氏 ―申次赤松満政の活動を中心として―
0189人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:11:24ID:iwwnPk8h論 文
大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)
0190人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:19:18ID:iwwnPk8h著者名: 濱田 浩一郎【著】
出版社/発売元:新人物往来社
発売日:2009年 01月 出版
サイズ:227p 19cm(B6)
発行形態:単行本
ISBN:4404035624第1章 赤松一族の草創
第2章 南北朝動乱と赤松氏
第3章 嘉吉の乱
第4章 赤松再興と応仁の乱
第5章 戦国時代の赤松氏
第6章 落日の赤松氏
税込価格:2,940円
0191戦国乙女
2010/05/27(木) 19:05:12ID:cmQv91lj<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
0192人間七七四年
2010/06/24(木) 01:04:57ID:UfHXNi9iまだ読んでいないが買いました。
0193人間七七四年
2010/08/29(日) 12:02:00ID:Xu5A+DU00194人間七七四年
2010/10/04(月) 05:34:06ID:dj8gS6iwhttp://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/history/1143937207
赤松氏研究はまだまだこれからの分野だから、まずは各地方の資料をまとめる所からだろうなぁ。
大きく分けて、大名時代の播磨・備前・美作、旗本時代の上総、有馬氏の筑後。
0195人間七七四年
2010/11/05(金) 19:25:13ID:V/uqaF8G【天候】竹田城跡が「天空の城」に・・・近畿でこの秋一番の冷え込み
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1288847415/
近畿地方は4日早朝、気温が大阪で8.4度(平年11.7度)、
奈良で4.1度(同8.3度)を記録するなど、
各地で今秋一番の冷え込みとなった。大阪管区気象台によると、
昨夜から晴れが続き、地表の熱が奪われる放射冷却現象が起こったためという。
明日から週末にかけては高気圧に覆われ、最低・最高気温とも平年並みに戻る見込み。
兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡では幻想的な雲海が現れ、
日の出とともに訪れた写真愛好家らがカメラに収めていた。
冷え込んだ朝に近くを流れる円山川からの朝霧が立ちこめ、
標高353メートルの山城は「天空の城」を思わせる光景となる。
.
ソース
http://www.asahicom.jp/national/update/1104/images/OSK201011040043.jpg
http://www.asahi.com/national/update/1104/OSK201011040040.html
0196人間七七四年
2010/11/09(火) 20:10:26ID:nQ+eGteV0197人間七七四年
2010/11/10(水) 05:29:24ID:Xi7FDpRW関ヶ原などの功績で久留米21万石を拝領した。
元々九州にいた有馬氏とは全く別だが、仮冒ではなく、
こちらはこちらで由緒ある有馬氏で、赤松一族だよ。
0198人間七七四年
2010/11/10(水) 10:23:20ID:k1B83vZe確かに初代は庶流(本家の従弟)だが母親は細川澄元の娘。
0199人間七七四年
2010/11/12(金) 23:02:50ID:3iB/bmoG0200人間七七四年
2010/11/16(火) 12:45:34ID:K5YqGREu結婚ってのが4人。なんか繋がりがあるのかな?
最近ルーツ探ししだしてちょっと興味持ち始めたとこでよくわかんないんだけど
0201人間七七四年
2010/11/16(火) 15:37:23ID:MuIMTPFK小寺姓というだけでは何とも言えない。
失礼ながら明治の新姓で何のゆかりも無い人が
赤松だの何だのと名乗っているケースの方が多いし。
本当に子孫であれば菩提寺があるはず。
菩提寺があれば過去帳があるはず。
それらが無いとなると怪しい。
系図は何のあてにもなりません。
系図屋という系図を捏造する商売が流行った時期が
あり、かなりの家が系図を捏造してます。
0202人間七七四年
2010/11/16(火) 17:48:47ID:V5eqMHXyありがとう
自宅にあるボロボロ過去帳見たけど解読不能な文字大杉
宝永?没1708年の人が一番古い記録っぽいってだけしかわかりませんでした。しかも戒名のみ
怪しいですよね
菩提寺に行って確認してみます
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