播磨赤松氏について語るスレ
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:47:20ID:52Sv0tnY0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:51:01ID:lhwTTMVb0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 22:03:49ID:djycgZPs永禄十二(1569)年迄
没落後関ヶ原も出てるし
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 08:45:49ID:AjZD3CPN0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 10:47:03ID:4kZZlJBk播磨を始め摂津・美作・備前あたりに赤松分家の子孫は多いだろ、
赤松三十六家というくらいだからね。
別所・小寺・宇野党などなど・・・。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 11:41:35ID:hqSD1AeB赤松左馬助則繁だな。
当主・赤松満祐の弟で25歳の時(1424年3月14日)に
前管領・細川満元の邸宅での酒宴で将軍の側近(安東某)を要撃して殺害して逃走(殺人事件)
嘉吉元年(1441年)6月には甥である赤松教康と共謀して将軍を殺害(殺人事件)
嘉吉の乱を起こして幕府軍と戦う(国内紛争を起こし、中央軍と戦う)
幕府軍に敗北後、菊池氏を頼って九州にまた逃走。
その後、対馬と朝鮮に拠点を持ち、高麗の官軍を相手に朝鮮半島を荒らしまわり(他国侵略)
嘉吉3年(1443年)6月に来日した高麗の使節団が赤松左馬助則繁を名指しで幕府に
討伐を求める(国際問題に発展)
文安5年(1448年)正月、対馬より九州肥前に上陸開始。
少弐教頼と連合して大内教弘と合戦(国内紛争・対地方軍戦)し
教頼・則繁連合軍は敗北し、三度逃走。
河内の当麻に潜伏中のところを細川持常の命を受けた甥の赤松則尚に討たれて(同族争い)
京都で晒し首。49年の生涯でまさにやりたい放題。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/21(金) 12:32:14ID:2ZFF2Zar旗本石野氏(後に赤松氏)
赤松円心の長男範資の後裔で、氏貞の代に石野を称す
その子氏満は別所氏に仕え、後秀吉、その後前田に仕える
氏満の子氏置は家康に仕え、旗本家康御伽衆 二千百五十石(後、三千十五石)
宝永年間に範恭が、赤松姓に復する
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 06:07:24ID:7zKdeA/e0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/22(土) 06:11:07ID:7zKdeA/e0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 09:20:25ID:qXBv8ewg有馬かと
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 20:29:23ID:qXBv8ewg義持の男色相手に惣領家を挿げ替えられそうになったんだっけ?
満祐は怒って、京の屋敷を焼き払い、自領へ・・・
そして、義教にも・・・弟の領地を取り上げて庶流の貞村に与えたんだよな・・・そして惣領家の地位も・・・
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 14:41:52ID:250M6HAG言い方を替えると、それだけ力があったってことかな、
とこのエピソードをみて思った
そういう意味では、満祐が戦国の引き金(遠因かもしれないが)引いたのかなとも
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 00:47:57ID:XmsMv43/七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、上野守家、在田家、本郷家、
広岡家、永良家
◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
別所家は16世紀後半に台頭したことは周知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、
佐用家、豊福家、得平家
◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、中村家、上原家、堀家、櫛橋家、
依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 13:41:43ID:CYl+4rJu立よりて影もうつさし流ては 浮世を出る谷川の水
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:34:27ID:G+35z3H60016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 11:31:01ID:EPr7+mWz通説では豊臣期の大名としては(江戸期には存在しないけど)、
関ヶ原で敗れ自殺した、阿波国板野郡住吉一万石の則英が
最後ですね
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 16:17:08ID:nnFNLocG久留米藩ね
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 02:31:45ID:2m3gbni20019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/19(土) 04:04:52ID:j2cDuCFM0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/25(金) 15:56:27ID:n7caQM+F晴政は完全に浦上の傀儡だね
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 21:40:41ID:Nt5aAd760022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 21:48:15ID:/nKGfo4+あとは良くも悪くも満祐かな
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 21:52:22ID:Nt5aAd760024中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2006/09/11(月) 22:35:32ID:zDrdQc1C0025奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/11(月) 23:07:48ID:X72DBIB20026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 23:30:42ID:Nt5aAd760027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/12(火) 13:24:12ID:WuFp06o1赤松は村上源氏に非ず
てか
0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 19:28:42ID:Uj2/Tk5B単なる成り上がりでもないと思う。
0029奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/13(水) 19:47:26ID:pvh/hP0l名和長年と赤松円心は系図でみるとともに村上天皇の16代目にあたる。
12代前の源雅兼の子の代で分かれる。
久我氏流の北畠親房は自家の系図を貸し出してやり両者を同族扱いにしながらも
久我氏になれなかった庶流として差別化しているわけ。
ようは「お前らは俺の家の子・郎党なんだぞ」と暗に言ってるわけね。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 17:26:25ID:8pBxaMMO一族に入れてもらったのが、真相みたい
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 00:56:32ID:sPVHY/B1赤松の子孫の成れの果て→萌え漫画家
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/21(土) 03:58:05ID:l4TryPdE0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/29(日) 18:53:16ID:rj1JPDuO0034名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:59:42ID:n25Gi6sL久留米藩の有馬家に養子を出した石野って
赤松の中ではどこの系統になるの?
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 01:49:17ID:6dppN+ty宇野(山田)則景からなのか?
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 14:06:07ID:Xo+nK52Y0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 16:14:12ID:ZIBqnL/H山田則景=宇野頼景で赤松は宇野氏の庶流に過ぎないとも
この則景と源季房のつながりはあやしい
紀州の石野はちょっとわかりませんが
旗本石野氏と関係あるのかな?
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 20:06:17ID:3t7al/hU紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。
石野家の系統は
このソースでは則祐の系統みたいですが
↓
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html
この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範貞の系統みたいで
↓
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005
003938訂正
2006/11/02(木) 20:08:04ID:3t7al/hU紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。
石野家の系統は
このソースでは則祐の系統みたいですが
↓
http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html
この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範資の系統みたいで
↓
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 14:49:27ID:U/t3HkPL0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/16(木) 12:15:34ID:PFkpjPYK1569年の時点では織田軍と戦ってるが
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/20(月) 23:33:23ID:Per8kM82衆道的意味で
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 15:04:04ID:r5Vn8Gdj小寺や浦上の間違いでは?
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 00:49:18ID:9T5ROkAm0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 00:57:18ID:uMjIWKs1浦上宗景はどうだろう?
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/24(金) 04:00:07ID:VU+4L88u1572年に毛利の侵攻に耐えきれず織田を頼って毛利と和睦。
1573年にようやく信長から朱印状をもらってるくらいだから
決して早いとは言えない
0047名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/21(木) 14:18:24ID:C6DVSwIZ天正元年(1573)に浦上が朱印状をもらって以降
浦上が播磨、備前、美作のお墨付きをもらったため、対抗上じゃないかな
0048名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/31(日) 00:37:37ID:Nxyp0mBk上野の小川可遊斎=赤松祐正とか常陸の川尻赤松氏一族とか
0049名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/11(木) 19:54:13ID:uY8aq0X7赤松家代々の諱って何だろ? 最後は「則」の字になってるけど。
0050奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/01/11(木) 21:17:02ID:75GaMVin0051名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/12(金) 01:30:28ID:xNaiXH2Q0052名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 08:14:46ID:yGbDfRte0053奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/10(土) 22:58:07ID:wTAp6ILX0054奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/10(土) 23:10:01ID:wTAp6ILXついでに投票もよろしく。
0055人間七七四年
2007/02/13(火) 11:59:48ID:O9ntWpwm下には一色のみですか・・・。
0056奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2007/02/21(水) 21:04:14ID:d9/BmDZz0057人間七七四年
2007/02/22(木) 15:08:06ID:zndSepVD0058人間七七四年
2007/02/22(木) 17:19:45ID:Vg6RNF5u嘉吉の変で決定打w
0059人間七七四年
2007/02/25(日) 01:28:42ID:cCQkOjDx0060人間七七四年
2007/02/25(日) 02:15:13ID:IMJLaJ7G姓として代々網干新在家で干鰯問屋を営み廻船業を兼ね、龍野藩の廻米御用を
勤め苗字帯刀を許され祖先の赤松姓に復した
ググって見つけたサイトから転載
0062人間七七四年
2007/04/13(金) 23:53:45ID:NkCu7a5T0063人間七七四年
2007/04/26(木) 21:55:33ID:/twivyEY0064人間七七四年
2007/04/30(月) 20:35:46ID:nq+9J2o70065人間七七四年
2007/05/11(金) 19:51:12ID:0Coe36tq末裔どものやった所業のほうが酷すぎる
0066人間七七四年
2007/05/12(土) 10:26:13ID:RYfloEu0昔読んだが内容は忘れた
0067人間七七四年
2007/06/13(水) 12:28:21ID:G1mCwpJs0068関連スレ
2007/07/08(日) 02:49:52ID:gGiGjyYQhttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/
0069人間七七四年
2007/07/23(月) 00:48:05ID:9I/ULraE則房と則英は親子なのかな? 兄弟とかはなし?
0070人間七七四年
2007/08/15(水) 19:04:50ID:7zQgMoqL0071人間七七四年
2007/08/27(月) 22:16:34ID:5U6SbxxU置塩が居城だっけ?
0072人間七七四年
2007/09/04(火) 19:39:53ID:q6dvpkFm斎村政広(赤松広英)だが、この人が生きていれば近世大名への道
もあったろうな。
有馬家も赤松一族だが、宗家との行動があまりに違ったから赤松家
の生き残りとはまた感覚が違うしなぁ。
0073人間七七四年
2007/09/04(火) 19:51:24ID:q6dvpkFm美作は尼子氏の台頭により、最も早く失った領地だった。
>>71
正範は毛利方についたかなりの豪傑だったが、たしか上月城だったか。
播磨西部で一大勢力を築いていた。
宗家の置塩はいち早く信長側について先見を見せたが、時期尚早だった。
同じ信長派だったかつての重臣小寺氏との結びつきが薄くなっていたのも
痛かった。播磨は分裂しすぎたなぁ。
0074人間七七四年
2007/09/05(水) 23:41:06ID:LqJtCjf3赤松領→直義方・山名時氏を義詮方に引き抜き山名領、
しかし義満の時代に明徳の乱で赤松領(山名氏勢力縮小)、
嘉吉の乱で山名領(赤松宗家滅亡)、応仁の乱後赤松領だっけ
そして京極(尼子)が奪ったと・・・
0075人間七七四年
2007/09/06(木) 00:20:46ID:QsiqsJdn0077人間七七四年
2007/09/07(金) 19:40:36ID:JjBjJMET政則の時代まで遡って、どうしていたら
近世大名へと生き残れたか考えてみたいな。
0078人間七七四年
2007/10/06(土) 01:02:29ID:mxrcYcRU赤松家周辺の武将で「範」の字を付けてる奴は、「則」を憚ったのかな?
0080人間七七四年
2007/10/09(火) 02:43:13ID:rh08+7OK0081人間七七四年
2007/10/11(木) 22:26:52ID:CQrUkWQV0082人間七七四年
2007/10/12(金) 00:41:30ID:nyZHFu19赤松氏は赤松氏特化サイトがあるからなぁ。
朝倉やってるとこ並に詳しいから、便利だし。
0083人間七七四年
2007/10/12(金) 02:35:27ID:+XOTcQIw日本史板のほうに同じ名前のスレがある。
あと有馬スレともかぶるからね。
0084人間七七四年
2007/10/12(金) 21:37:12ID:PDKBMdsr浦上さんは?
0086人間七七四年
2007/10/13(土) 02:30:27ID:sB//BwKe別所は家系こそ円心の弟から始まってるけど、政則を支えたのは浦上と小寺だった。
別所が東播磨であそこまでの力を持ったのは政則の養子の義村以後じゃないかな。
0087人間七七四年
2007/10/13(土) 23:17:24ID:1rQX8Xfg0088人間七七四年
2007/10/14(日) 01:20:24ID:2tKuIs1Yそれでも姫路、御着に勢力あったし、黒田官兵衛という家臣もいたんだから
信長方に常についてれば、うまく脱皮できたかもなー。
結局小寺家は逆に黒田家の家臣になっちまったんだよな。
ていうか、播磨はそもそも大きく分けて4分裂してたし、これがもっとまとまってたら
かなりの勢力になれたろうに。
0089人間七七四年
2007/10/14(日) 11:18:43ID:CdAnO96Rこいつらが赤松当主を頂点に結束してたらさぞ威勢を張れたろうに……w
0090人間七七四年
2007/10/15(月) 23:22:13ID:wpZmci1H置塩と龍野は和解したからともかく、上月はあれだけの力がありながら
毛利方についちゃったからな。
ゲームにほとんど出ないから知名度は低いけど、力は龍野以上だったかもな。
0091人間七七四年
2007/10/21(日) 17:05:37ID:fICwdKut0092人間七七四年
2007/10/23(火) 20:56:35ID:ct6uRY3X0093人間七七四年
2007/10/23(火) 22:12:04ID:3N4RZ1BF皿屋敷ネタは割とポピュラーな怪談。
けっこういろんなところにあったりする。
岩波書店から出てた都道府県別の昔話の全集にそれぞれが載ってるのを図書館で読んだことがある。
と思いながらウィキ見たらやっぱいろんところにあるみたいでちょっとホッしたw
0094人間七七四年
2007/11/04(日) 08:34:08ID:WkBYT9yG毛利方に付いた上月城を落とした後に入ったのが、尼子勝久・山中鹿之助の一党だっけ?
0095人間七七四年
2007/11/06(火) 05:34:36ID:X7Hfh9JT0096人間七七四年
2007/11/26(月) 17:32:10ID:tq04yEGy0097人間七七四年
2007/11/26(月) 19:03:48ID:kWwFLZuN西播磨における龍野の衰退と上月の成長は、織田方の龍野・別所対置塩本家・浦上・小寺連合の
争いで龍野が官兵衛と浦上宗景に大敗したのが大きく影響したんだろうね。
>>94
上月赤松+宇喜多援軍→尼子勝久→宇喜多家臣(上月氏)→再び尼子→毛利による包囲
>>96
近くの利神城に1583年頃には宇喜多家臣(服部勘助)、関ヶ原合戦後は平福藩池田氏が入り
上月城に代わって佐用郡一帯を治める立場となった。
上月合戦以降の上月城は、幾度の落城でどれだけの損害があったか分からず
そのまま廃城になったのかもしれないけど、支配はおそらく宇喜多家臣の誰か?
0098人間七七四年
2007/11/26(月) 19:06:12ID:idmdDhqm廃城になったような気がする。
0099人間七七四年
2007/12/15(土) 17:22:59ID:PFIifTvU宇喜多には不用だったのかもね。
0100人間七七四年
2008/01/08(火) 17:55:47ID:1+IkUFas0101人間七七四年
2008/01/09(水) 01:22:37ID:i/YRXihD0102人間七七四年
2008/01/21(月) 19:11:58ID:37KCkHDJ少なくとも本家よりは遥かに大きい勢力だった。
政範はゲームにほとんど出ないせいで知名度はいまいちだが、
政秀に勝るとも劣らない気骨のある豪将だった。
0103人間七七四年
2008/01/27(日) 17:36:51ID:a37XKOii0104人間七七四年
2008/01/28(月) 21:51:31ID:DMIaJM3m0105人間七七四年
2008/02/15(金) 06:50:47ID:kxDUa44q祖父の生前に、もっといろいろ聞いとけば良かったと、今更ながら後悔してます・・・
0107人間七七四年
2008/03/04(火) 19:07:31ID:nRZWmwvn家紋とかすごいこだわりがあったなぁ。
0109人間七七四年
2008/03/31(月) 15:50:05ID:BVnqMwBv0110人間七七四年
2008/03/31(月) 17:18:50ID:Nw98Q9um結局関ヶ原の時点での立場や身の振り方でほとんど決まってるね。
西播磨の斎村も亀井に濡れ衣着せられるという不運はあったが、最初から東軍に
属せばよかったわけだしな。一族揃って西軍ってのは利口ではなかった。
0111人間七七四年
2008/04/21(月) 16:30:15ID:tGGMeK0u0112人間七七四年
2008/05/10(土) 16:04:11ID:oxmIGnwL0113人間七七四年
2008/05/29(木) 17:45:56ID:5SkFchnt0114人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/07(土) 15:29:28ID:4c60AULr京極は江戸初期、出雲隠岐二ヶ国を領する大大名。
分家も丹後全域を領する国持ち大名。
畠山も河内の戦国大名で頑張った。
一色も丹後の戦国大名で頑張った。
山名も因幡の戦国大名で頑張った。
斯波赤松が守護代等に追われ衰えたのは分かるが、
それならば細川京兆もだろう。
細川幽斉は管領家細川京兆とは別物じゃない。
0115人間七七四年
2008/06/25(水) 13:50:34ID:WHv+6n9C0116人間七七四年
2008/07/02(水) 03:48:58ID:9xMeYvov浦上はもう少し知名度あってもいいと思う
0117人間七七四年
2008/07/07(月) 21:02:02ID:/zVfOGDP盛り上げてくれよ。
ザ・浦上氏
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154943603/
0118人間七七四年
2008/07/08(火) 14:59:53ID:TGgCz+PB0119人間七七四年
2008/07/11(金) 13:35:27ID:1T26F2mlもっと研究の題材になっていいよね。
>>116
たしかに東播磨での勢力は縮小したけど、
西播磨は龍野の赤松政秀、上月の赤松政範の2期に渡って
勢力を確保していた。
それぞれ黒田、秀吉に敗北して没落しちゃったけどね。
0120人間七七四年
2008/07/14(月) 22:18:43ID:6awfvRt+0121人間七七四年
2008/07/14(月) 23:21:31ID:5cLLlhZQ領国も多くなく、四職でも末席みたいな扱いなのに。
0122人間七七四年
2008/07/14(月) 23:25:16ID:6awfvRt+0123人間七七四年
2008/07/31(木) 16:04:34ID:3eHz/h4W0124人間七七四年
2008/08/10(日) 16:08:03ID:pknMCE2d0125人間七七四年
2008/08/12(火) 16:52:06ID:7zjxtrvy0127人間七七四年
2008/08/14(木) 01:29:18ID:gFKbwSVFいろいろ貧乏籤ひかされた奴もいるよ
0129人間七七四年
2008/08/20(水) 14:35:23ID:0IoHeqfl0132人間七七四年
2008/09/09(火) 16:44:12ID:oIgI/cTc細川が出家騒動起こしたりで、大変なことになったな。
0134人間七七四年
2008/09/15(月) 14:15:02ID:7wQKPRdg取り逃がしたのは痛恨だったな
0135人間七七四年
2008/09/19(金) 06:10:36ID:2GmM/EiHまぁ、この両家は目的があったからな。
0136人間七七四年
2008/12/04(木) 21:18:05ID:nW0LDQd50137人間七七四年
2008/12/04(木) 22:24:52ID:u9R+dOyg0138人間七七四年
2008/12/04(木) 23:28:32ID:/DZikV3yもともと将軍以外は殺す気なかったらしいけどね
義教怖がってたのはどの守護もそうだろうっていう読みもあったし
山名の一門の守護の首もとって義教と一緒に晒しちゃったから
山名一門大激怒で赤松崩壊
0139人間七七四年
2008/12/05(金) 20:51:10ID:SOx9uhom0142人間七七四年
2008/12/21(日) 23:38:08ID:O6Xknuur畠山は一度家督奪われた持国が弟の持永を殺して強引に家督復帰中
赤松に味方した直冬の孫の誰かが庇護を求めにいったけど
持国にあっさり断られて幕府復帰の手土産にされてる
0143人間七七四年
2009/01/08(木) 15:06:20ID:DieASzIH0145人間七七四年
2009/01/26(月) 15:15:17ID:86AzcPMP山名と細川は良好な時期もある。
0146人間七七四年
2009/01/26(月) 20:41:03ID:59hs+iX50148人間七七四年
2009/01/26(月) 23:58:11ID:RAPv+8zp0150人間七七四年
2009/02/19(木) 16:02:46ID:RAmW4BFX0151人間七七四年
2009/03/05(木) 15:09:26ID:PBzGGAEI0152人間七七四年
2009/03/06(金) 23:37:42ID:LixUx5z30153人間七七四年
2009/03/24(火) 15:43:50ID:BPq6wHiE0154人間七七四年
2009/04/04(土) 13:45:03ID:u/agNP8u0155人間七七四年
2009/04/18(土) 13:19:32ID:CTMzxXjf0156人間七七四年
2009/05/05(火) 17:32:22ID:WivtksbZ0157人間七七四年
2009/05/08(金) 06:14:26ID:XRFPhFre0158人間七七四年
2009/05/22(金) 15:58:35ID:9C2cYmzS0159人間七七四年
2009/06/08(月) 15:27:15ID:DL1PELQx0160人間七七四年
2009/06/22(月) 16:56:19ID:S+ACvaEc0162人間七七四年
2009/07/06(月) 16:02:35ID:GBzVtYqO0163人間七七四年
2009/07/21(火) 15:19:54ID:4R4AGFCp0164人間七七四年
2009/08/05(水) 15:32:54ID:oCCMar9Q0165人間七七四年
2009/08/13(木) 10:03:38ID:vKa2b+d+0166人間七七四年
2009/08/25(火) 14:27:02ID:2EsYivse0167人間七七四年
2009/09/09(水) 16:05:35ID:WBeMf/eM0168人間七七四年
2009/09/18(金) 15:28:58ID:1zIhVEFF0169人間七七四年
2009/09/29(火) 15:17:40ID:zvwpTz6F0170人間七七四年
2009/09/30(水) 09:31:03ID:QQh0D81P0171人間七七四年
2009/10/05(月) 13:49:40ID:gfxW0C690172人間七七四年
2009/10/05(月) 21:19:23ID:m6X1MS3V播磨国にあった赤松村が元。
赤松村は佐用郡と赤穂郡の境目に位置し、
明治の廃藩置県で基本的に赤穂郡に属したが、一部は佐用郡に繰り入れられた。
0173人間七七四年
2009/10/20(火) 16:15:24ID:zhhpW0Lq0174人間七七四年
2009/10/23(金) 01:40:15ID:uXI/5g0ihttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256229478/
旗揚げしました。何卒よしなに。
0176人間七七四年
2009/11/18(水) 15:25:34ID:hIVxQgMI0177人間七七四年
2009/12/11(金) 17:32:49ID:NLeIdYtP0178人間七七四年
2009/12/11(金) 21:09:58ID:cNhq6qLl0179人間七七四年
2010/01/13(水) 12:20:25ID:WsT7SYmg神璽奪回って、播磨守護にも匹敵するほど大事なものなのかね?
0180人間七七四年
2010/01/13(水) 12:41:48ID:64mCZX0X0181人間七七四年
2010/01/29(金) 21:34:06ID:PMYQ/yyZ晴政家臣で村宗と渡り合えたのこいつぐらいじゃなかろうか。
0182人間七七四年
2010/02/17(水) 18:27:36ID:N3fjPcaf嘉吉の乱の時に、細川持之は実は知ってたんじゃないかって話もあるしね。
後々、お家再興に子の勝元が後押ししてるし、ありえない話ではないだろうね。
背景にある山名宗全の存在が大きいんだけどね。
0183人間七七四年
2010/02/17(水) 21:17:36ID:Dgcm5R5L大内持世あたりはそう信じ込んでいたらしいね
大内と細川の仇敵関係の構図は山名衰退後もずっとつづくから
根が深い
0184人間七七四年
2010/03/14(日) 07:33:25ID:/QvYbBnV0185人間七七四年
2010/03/25(木) 15:33:24ID:nK0m+oq8赤松は首謀者じゃなくて、鉄砲玉ってことか……。
0186人間七七四年
2010/03/30(火) 01:47:57ID:O27qgtf/0187人間七七四年
2010/03/31(水) 21:42:42ID:C5yP29gb0188人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:09:49ID:iwwnPk8h開催報告
福武学術文化振興財団助成 第4回・第5回赤松氏研究会開催報告
特集「赤松氏研究の最前線」
小林 基伸 戦国末期の播磨における地域権力と荘園
野田 泰三 戦国期赤松氏研究の課題と一、二の試論
矢田 俊文 戦国期播磨国権力構造に関する一視点
―越後など諸国との比較から―
論文
森脇 崇文 豊臣期宇喜多氏における文禄四年寺社領寄進の基礎的考察
研究ノート
大西 泰正 宇喜多氏家臣の叙位任官
渡邊 大門 播磨国赤松氏および被官人の官途について
―隣国受領名官途の在地効果説をめぐって―
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿
おしらせ
濱田浩一郎『播磨赤松一族』新人物往来社 刊行のご案内
投稿規定
【『年報赤松氏研究』創刊号(2008.3)目次】<残部僅少>
開催報告
福武教育文化振興財団助成 第3回赤松氏研究会開催報告
論 文
山下 晃誉 天文前期の播磨における尼子氏勢力の動向
渡邊 大門 戦国期赤松氏の領国構造
研究ノート
竹内 智宏 室町幕府と赤松氏 ―申次赤松満政の活動を中心として―
0189人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:11:24ID:iwwnPk8h論 文
大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)
0190人間七七四年:
2010/05/04(火) 01:19:18ID:iwwnPk8h著者名: 濱田 浩一郎【著】
出版社/発売元:新人物往来社
発売日:2009年 01月 出版
サイズ:227p 19cm(B6)
発行形態:単行本
ISBN:4404035624第1章 赤松一族の草創
第2章 南北朝動乱と赤松氏
第3章 嘉吉の乱
第4章 赤松再興と応仁の乱
第5章 戦国時代の赤松氏
第6章 落日の赤松氏
税込価格:2,940円
0191戦国乙女
2010/05/27(木) 19:05:12ID:cmQv91lj<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
0192人間七七四年
2010/06/24(木) 01:04:57ID:UfHXNi9iまだ読んでいないが買いました。
0193人間七七四年
2010/08/29(日) 12:02:00ID:Xu5A+DU00194人間七七四年
2010/10/04(月) 05:34:06ID:dj8gS6iwhttp://www.unkar.org/read/kamome.2ch.net/history/1143937207
赤松氏研究はまだまだこれからの分野だから、まずは各地方の資料をまとめる所からだろうなぁ。
大きく分けて、大名時代の播磨・備前・美作、旗本時代の上総、有馬氏の筑後。
0195人間七七四年
2010/11/05(金) 19:25:13ID:V/uqaF8G【天候】竹田城跡が「天空の城」に・・・近畿でこの秋一番の冷え込み
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1288847415/
近畿地方は4日早朝、気温が大阪で8.4度(平年11.7度)、
奈良で4.1度(同8.3度)を記録するなど、
各地で今秋一番の冷え込みとなった。大阪管区気象台によると、
昨夜から晴れが続き、地表の熱が奪われる放射冷却現象が起こったためという。
明日から週末にかけては高気圧に覆われ、最低・最高気温とも平年並みに戻る見込み。
兵庫県朝来(あさご)市の竹田城跡では幻想的な雲海が現れ、
日の出とともに訪れた写真愛好家らがカメラに収めていた。
冷え込んだ朝に近くを流れる円山川からの朝霧が立ちこめ、
標高353メートルの山城は「天空の城」を思わせる光景となる。
.
ソース
http://www.asahicom.jp/national/update/1104/images/OSK201011040043.jpg
http://www.asahi.com/national/update/1104/OSK201011040040.html
0196人間七七四年
2010/11/09(火) 20:10:26ID:nQ+eGteV0197人間七七四年
2010/11/10(水) 05:29:24ID:Xi7FDpRW関ヶ原などの功績で久留米21万石を拝領した。
元々九州にいた有馬氏とは全く別だが、仮冒ではなく、
こちらはこちらで由緒ある有馬氏で、赤松一族だよ。
0198人間七七四年
2010/11/10(水) 10:23:20ID:k1B83vZe確かに初代は庶流(本家の従弟)だが母親は細川澄元の娘。
0199人間七七四年
2010/11/12(金) 23:02:50ID:3iB/bmoG0200人間七七四年
2010/11/16(火) 12:45:34ID:K5YqGREu結婚ってのが4人。なんか繋がりがあるのかな?
最近ルーツ探ししだしてちょっと興味持ち始めたとこでよくわかんないんだけど
0201人間七七四年
2010/11/16(火) 15:37:23ID:MuIMTPFK小寺姓というだけでは何とも言えない。
失礼ながら明治の新姓で何のゆかりも無い人が
赤松だの何だのと名乗っているケースの方が多いし。
本当に子孫であれば菩提寺があるはず。
菩提寺があれば過去帳があるはず。
それらが無いとなると怪しい。
系図は何のあてにもなりません。
系図屋という系図を捏造する商売が流行った時期が
あり、かなりの家が系図を捏造してます。
0202人間七七四年
2010/11/16(火) 17:48:47ID:V5eqMHXyありがとう
自宅にあるボロボロ過去帳見たけど解読不能な文字大杉
宝永?没1708年の人が一番古い記録っぽいってだけしかわかりませんでした。しかも戒名のみ
怪しいですよね
菩提寺に行って確認してみます
0203人間七七四年
2010/11/19(金) 10:09:39ID:s1jXSqO0関西における赤松家と小寺家は系図上は断絶しちゃってるからね。
たぶん元々関西に多い姓で、歴史的には繋がりのある姓ってことで縁があったのかもね。
旗本として系図が明治期までハッキリしている江戸周辺のほうで赤松や有馬だったら
調べればすぐに繋がりは発見できると思う。
0204人間七七四年
2010/12/14(火) 20:30:48ID:Ilz6bDji0205人間七七四年
2010/12/16(木) 03:25:09ID:RAQ7Knlb0206人間七七四年
2010/12/17(金) 02:39:50ID:Q8uFts7Rその義則は元々は足利義詮からだと思うが。
0207人間七七四年
2010/12/22(水) 15:28:47ID:4YDDVh160208人間七七四年
2010/12/22(水) 20:21:57ID:Yh0uiwdl0209人間七七四年
2010/12/28(火) 19:53:23ID:SOASEfOn代々将軍から拝領してるんじゃないの?
0210人間七七四年
2010/12/28(火) 20:26:33ID:rJwOlQNG0211人間七七四年
2010/12/29(水) 01:08:19ID:3lCxn0TJ0212人間七七四年
2010/12/29(水) 20:46:07ID:6ir/LgzD血縁はないはずだが、いつ誰にもらったものかは不明。
政則あたりが将軍からもらって、代々伝わったのかもなぁ。
>>211
政秀(政則の庶子の孫)の子で、七条系の義村の家系より血統的には正統に近いんだよな。
亀井茲矩に陥れられなかったら、いい大名になってたろうな。
嫁の宇喜多秀家の妹は離縁したほうが良かったかもしれんが。
0213人間七七四年
2011/01/05(水) 17:37:15ID:lvmHuf4nそれなりに資料集めメドは立ってきた。
0214人間七七四年
2011/01/06(木) 21:41:54ID:ophkjI8Gがむばれw
0217人間七七四年
2011/01/12(水) 20:57:55ID:LHLxQvCm石野
0218人間七七四年
2011/01/13(木) 06:44:13ID:DruCgmEJ有馬則頼の活躍で久留米藩として栄えたが5代で絶え、大身旗本赤松範恭の従弟の則維が養子に入り、
以後この家系が幕末まで続く。伯爵。
旗本石野・赤松は赤松範資の末裔という、赤松氏の庶流。
赤松政則の養子となる事で惣領家入りした赤松義村の弟の末裔で、有馬則頼の娘婿の石野氏満の家系が
生き残り、大身旗本として交代寄合となり、外国奉行、軍艦奉行など要職を歴任し、幕末まで続く。男爵。
有馬を語るのに石野・赤松は欠かせず、石野・赤松を語るのにも有馬は欠かせない。
0219人間七七四年
2011/01/13(木) 20:54:33ID:PdG0yWoB元々は有馬家の分家旗本有馬規故の養子になっていたから、最初は有馬本家を
継ぐ予定はなかったのかな。
30〜50倍の領主になれるとわかっていたら、本家のほうを入れちゃうだろうし。
幕府も絡んでいたようだし、色々と事情があったんだろうけど、気になるな。
また、則維は栄達を果たしたが実家にはどんなメリットがあったのか。
宝永年間に有馬の家督を継ぎ、同じ宝永年間に本家の範恭が赤松の家名を正式に再興しているから、
そのへんに絡んでるのかもしれないな。
日光奉行という要職で2000石の足高もあるし、この後も幕府の要職に度々就いているしね。
ただ、やはり21万石に比べると、パっとしない気がする。
0220人間七七四年
2011/01/24(月) 12:46:49ID:HwVlKBMh0221人間七七四年
2011/01/25(火) 02:36:03ID:Xvu8pF9F御家人吉沢雄之進の子で、祖父は赤松良則。
赤松氏の末裔で赤松政秀がかつて領有していた龍野で干鰯問屋をやっていて、名門の末裔と大商人だった事とあり、
名字帯刀を許されたとある。
則良は良則の娘の子で、造船関係に関わるきっかけとして大身旗本で幕末の軍艦奉行赤松範静がいた。
この赤松範静の範の文字をとって、則良は息子に範一と名づけたとするのが有力。
範は七条赤松家でよく使う文字で、基本勲功ではあるが、旗本赤松家の名跡を継ぐような形で、男爵を拝命
したと考えるのが自然だね。
則良は静岡藩に移ったけど、実は赤松範静も静岡藩に移った形跡がある。
0222人間七七四年
2011/01/28(金) 18:46:32ID:wTAnZNg+<目次>
序 章 赤松氏研究の現状と課題
第一部 赤松氏と守護代・国人層
第一章 西播守護代赤松政秀の権力形成過程
第二章 東播守護代別所則治の権力形成過程
第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏
第四章 赤松春日部家の基礎的研究
第五章 美作地域における奉公衆の研究
付論1 戦国初期の宇喜多氏について
付論2 中近世移行期における宇喜多氏の権力構造
第二部 戦国期赤松氏の領国支配構造と展開
第一章 戦国期赤松氏の領国支配の構造
第二章 戦国期赤松氏の領国支配の展開
終 章
あとがき
0223人間七七四年
2011/01/29(土) 16:22:35ID:04o9hmh4一般的によく知られてないのが西播磨や美作だよな。
0224人間七七四年
2011/01/29(土) 20:51:45ID:4Whz4l+G庶民が名字貰っただけで血統的には播磨赤松とは無関係?自称子孫?
0225人間七七四年
2011/01/30(日) 17:52:04ID:nZjrBObF旗本赤松家は大身旗本で有馬とかなり濃い親戚で、江戸初期から名家の末裔が
よくなるとされる御伽衆だったり、寛政系譜にも載ってるから、播磨赤松家の末裔
とするのは良い。というか現在唯一確証を持つに値する赤松家の血筋だね。
一方で赤松則良はたしかに怪しいと思ったほうがいいだろうな。
母方の祖父の血統が江戸時代から龍野藩で赤松姓を許されたとあって、
当時から末裔として藩レベルで認知されていたのは確かだろうから
いわゆる明治の新姓(完全自称)とは違う。
この一族と旗本赤松家の関係についてはまだ研究中。
何かしらの関係を持ったのは範静と則良の立場を見れば明らかなんだが。
0226人間七七四年
2011/01/31(月) 14:03:16ID:1tzKqydz0227人間七七四年
2011/02/06(日) 12:58:39ID:s9Sz5wx1へえー
名門扱いは受けていたんだね
0228人間七七四年
2011/02/14(月) 00:48:22ID:t8pHaKN50229人間七七四年
2011/02/18(金) 02:26:40ID:Fxc/X/ka当主の従兄弟だったのか
0230人間七七四年
2011/02/18(金) 15:23:38ID:EtlsUktB『年報赤松氏研究』第4号(98ページ)が刊行されました。申込方法は、次の2種類になりますので、よろしくお願い申しあげます。なお、この機会にバックナンバー(3号のみ在庫あり)を同時にご購読いただけると幸いです。
【誌代+送料】
誌代1,000円+送料180円=1,180円
【申込方法@/銀行振込】
銀行振込で「年報赤松氏研究」購入希望の方は、私までメールをください<wdaimon■hotmail.com(■を@に変更してください)>。折り返し銀行の口座番号をお知らせします。振り込まれましたら、私までメールをいただけると幸いです。
【申込方法A/郵便小為替】
申込に際しては、@必要な号数を記したメモ、A180円分の郵便切手+郵便小為替1,000円分を同封し、下記まで郵送しててください。
■送り先
〒341-0037 埼玉県三郷市高州3-458-1-21 渡邊大門
【複数冊の購入】
@4号を2冊購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
A3号と4号を購入される場合は、誌代2,000円+送料290円となります。
なお、上記以外で複数冊を購入される場合は、郵便料金が変わりますので、あらかじめご連絡をお願い申しあげます。
【『年報赤松氏研究』第4号(2011.3)目次】在庫あり
論 文
中 脇 聖 戦国期一条氏の家領維持政策に見る福原荘と幡多荘
畑 康 明 戦国期播磨国における「地域権力」の形成過程
―播磨国清水寺を通じてみた依藤氏を中心に―
渡邊 大門 美作国後藤氏の権力構造
書評と紹介
片山 正彦 大西泰正著『豊臣期の宇喜多氏と宇喜多秀家』
中村 直人 渡邊大門著『戦国史研究叢書7 戦国期赤松氏の研究』
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2010年1月〜12月分・補遺)
投稿規定・バックナンバー
【『年報赤松氏研究』第3号(2010.3)目次】在庫あり
論 文
大西 泰正 宇喜多秀家と豊臣政権
苅米 一志 明応五年備前国金岡県西大寺化縁疏并序の成立 ―龍澤天隠をめぐる人々と観音信仰―
光成 準治 中・近世移行期における村落統治と法 ―備前・美作国を中心に―
渡邊 大門 戦国期依藤氏の存在形態
研究動向
片山 正彦 近年の宇喜多氏研究をめぐって
書 評
森脇 崇文 濱田浩一郎『播磨 赤松一族』新人物往来社
文献目録
渡邊 大門 赤松氏文献目録稿(2009年1月〜12月分・補遺)
0231人間七七四年
2011/03/12(土) 17:03:11.04ID:U80nOU3d滅亡すると赤松が出てくることもあった。
群雄伝から赤松になったけど、播磨は当時大きく分けて3勢力だったからな。
0232人間七七四年
2011/03/17(木) 17:16:59.66ID:6rZ2Vhec(´;ω;`) ぶわっ
0233人間七七四年
2011/03/20(日) 21:27:07.60ID:53kQIJvR0234人間七七四年
2011/03/23(水) 02:58:04.84ID:7c9XuAKZ0235人間七七四年
2011/03/26(土) 16:52:26.54ID:hAmg9Mrr0236人間七七四年
2011/03/26(土) 21:12:26.33ID:rLnFtl8D赤松は江戸にも続いてたし、それは難しい。
宮本武蔵が赤松の末裔なんて話はあるけどもろ戦国時代の話だしなぁ。
0237人間七七四年
2011/04/03(日) 15:11:56.06ID:07P3ibSm0238人間七七四年
2011/04/03(日) 16:40:58.51ID:ntZma4QI貞範から数えて4代の家貞の代で途絶え、娘の子の貞重を養子にとって家督を継がせ、
その家が新免家だから新免を称したそうな。
武蔵の親父の無二斎はその新免氏の家老格だった平田氏の出で、新免の婿養子になって
新免を名乗ったようだな。
武蔵はその無二斎の実子でなく、養子とも言われてるから、繋がりがあるとしても縁遠いね。
0239人間七七四年
2011/04/03(日) 16:47:14.18ID:ntZma4QIこの田原氏も赤松の一族。家貞ってのも2人いるし、ややこしいわw
0240人間七七四年
2011/04/04(月) 00:33:54.62ID:FRmHCab8三魔持家の末裔だが分家。でも母親は細川澄元の娘
0241人間七七四年
2011/04/04(月) 05:42:10.72ID:yXVo6q/wこのへんまでは家格は高かったんだろうね。
嫡流はそこから3代後に断絶して、重則や則頼が継承したわけでもないから、摂津有馬氏も正確に
言えば断絶してるんだよね。
則頼はその摂津有馬の分家で、あまり本家との結びつきがあった形跡はないけど、
父の重則が細川澄元の娘を娶ってるから、家格が悪いというほどなかったのかもね。
0242人間七七四年
2011/04/04(月) 23:49:29.28ID:moL452Kzそれに細川はあれだったから、それに便乗して嫡流争いしていたんじゃない
0243人間七七四年
2011/04/06(水) 03:23:20.30ID:8gz6zqT8それがしは、有馬さんについて活きます
0244人間七七四年
2011/04/06(水) 04:19:10.54ID:NcIM9vnkただ、その久留米藩の嫡流が途絶えた後に旗本赤松(石野)が跡継ぎになったって所に
面白さを感じる。
有馬のほうにまったく男子がいなかったわけでもないのに、則頼まで遡らないと繋がらない
血統(娘婿の系統)で繋げていったわけだからね。
有馬の分家も赤松(石野)が跡継ぎになってるし、単なる偶然とも思えないね。
0245人間七七四年
2011/04/06(水) 12:54:39.37ID:gXlMbd4H0246人間七七四年
2011/04/07(木) 04:01:34.56ID:jCOBkhD5則頼の外孫の血統からもらってくるよりは遥かに近い。
0247人間七七四年
2011/04/14(木) 10:57:07.58ID:XQfXRuWY0248人間七七四年
2011/04/20(水) 17:25:29.74ID:S7ANP7G3だれか、加東市西古瀬の友藤一族についてしりませんか?
0249人間七七四年
2011/04/20(水) 19:22:15.23ID:FgqonUaG0250人間七七四年
2011/04/20(水) 19:52:19.84ID:nv8t1JR20251人間七七四年
2011/04/20(水) 19:57:04.69ID:nv8t1JR2と思ったら嘉吉の頃にすでにあった名字みたいだ
0252人間七七四年
2011/04/20(水) 20:11:56.84ID:S7ANP7G3くらいしか分かりませんでした。
別所からわかれたそうです。
家紋は片喰で、依藤氏とかぶってますね
0253人間七七四年
2011/04/21(木) 02:02:41.71ID:XNH12hNDなんか関係ありそうなネタをいくつか拾ってきた
依藤(推定1700人)60%が兵庫、主に西脇市。ほかに大阪。
友藤(推定730人)60%が兵庫。ほかに大阪。
伴藤(推定270人)鳥取・岡山に20%。ほかに大阪・福井。ばんどう。伴→友?
古瀬館(友堂屋敷)加東市西古瀬:友堂和泉守の居館跡か。 藤→堂?
※湯通堂(推定220人)鹿児島40%、兵庫20%。ゆつどう。
井ノ口構 上荘町井ノ口:志方家臣・依藤三河守、依藤小八郎(別所安治の末子)らの居城。
天正6(1578)年、依藤氏は三木に篭城した。加古川温泉「みとろ荘」が城址。
※治定1561〜79 安治の子、小八郎
0254人間七七四年
2011/05/06(金) 11:24:13.01ID:iuzNqyM+0255人間七七四年
2011/05/06(金) 17:33:11.32ID:qCgPNX++今のところ残ったと言えるのは七条系(旗本)くらい。
まぁ則房も元々七条系だけどな。
0256人間七七四年
2011/05/11(水) 21:25:16.64ID:VaKlIl3f政54 戦61 采58 知53
0257人間七七四年
2011/05/17(火) 11:44:23.13ID:JUFzskowこれは利口じゃないね。
政広は寝返ったのに謀殺されたから不運だったが。
妻(宇喜多直家の娘)も離縁しとくべきだった。
0258人間七七四年
2011/05/17(火) 20:19:02.57ID:4JNjZeoT0259人間七七四年
2011/05/17(火) 20:42:51.57ID:Oqd/ttIp0260人間七七四年
2011/05/17(火) 21:50:02.49ID:JUFzskow0261人間七七四年
2011/05/18(水) 23:12:34.39ID:/Gy7S62n領地的に厳しいんじゃないかなぁ。東軍参加を表明したところで毛利・宇喜多が大坂行くついでに踏み潰されるよ。
0262人間七七四年
2011/05/19(木) 00:47:25.03ID:XvjtDOxX妻が宇喜田家だから、仕方なくって感じだろうね。
0263人間七七四年
2011/05/28(土) 17:05:39.32ID:/lTOQCWa0264人間七七四年
2011/05/28(土) 20:58:33.26ID:oinDCsKNうちの地元じゃ今でも「あかまっつぁん」て呼ばれて
墓碑も建ってたりするけど、
後から来た割りには、山名氏より慕われたのかな
0265人間七七四年
2011/05/29(日) 01:15:58.07ID:PY3T2rJ3竹田城址って今は天空城として名所だしね。
0266人間七七四年
2011/06/02(木) 01:25:13.33ID:Q08CqNUr三公七民とかいうアホみたいな低税率でちゃんとやってた。
0267人間七七四年
2011/06/02(木) 10:15:00.37ID:wkKvA2Xm兵庫県だと赤松氏は古い領主として郷愁を感じる人は少なくないみたいね。
それにしても儒学にも通じていたし(藤原惺窩はその死を惜しんだ)、人材的にももったいなかったな。
0268人間七七四年
2011/06/02(木) 20:16:05.43ID:tW1x+F2V渡邊大門
『赤松氏研究会会報』第3号(PDF)を無料で送信します。どなたでも、遠慮なくお申し込みください。
申し込みは、メールでお願いします。創刊号・大2号もありますので、必要な方は遠慮なくどうぞ。
拙稿「新出の赤松政秀書状について」が掲載されています
http://twitter.com/#!/wdaimon/status/76243391662407680
0269人間七七四年
2011/06/14(火) 17:10:28.31ID:ltozrjxV0270人間七七四年
2011/06/19(日) 20:58:59.79ID:+frrBdZi0271人間七七四年
2011/06/24(金) 07:30:35.81ID:8T+b1TjKその政秀も2人いるけど。
0272人間七七四年
2011/06/25(土) 01:24:31.39ID:Jr+MoUfo勉強してるがなかなか楽しい
0273人間七七四年
2011/06/25(土) 11:23:06.54ID:12e70tQZ藩士でもいない?
0274人間七七四年
2011/06/26(日) 00:46:31.73ID:rxq2BC6k0275人間七七四年
2011/06/30(木) 22:47:24.71ID:4F7OT/lL渡邊大門著『中世後期の赤松氏―政治・史料・文化の視点から―』
(A5版 本文348頁 人名索引4頁)
多様な視点から赤松氏を分析した一冊。赤松氏の細部を追究する。
目次
序 7頁
第一部 中世後期赤松氏の様相 21頁
第二部 中世後期における赤松氏庶流 93頁
第三部 赤松氏関係史料の周辺 197頁
第四部 中世後期赤松氏と文芸 239頁
結 335頁
初出・原題一覧 344頁
あとがき 347頁
http://www17.plala.or.jp/t-ikoma/page032.html
0276人間七七四年
2011/06/30(木) 23:35:29.12ID:+NX20dbPまさかね
0277人間七七四年
2011/07/05(火) 01:31:18.26ID:3uVEGb7e0278人間七七四年
2011/07/06(水) 01:52:17.50ID:0mruDK9p赤松氏の侍大将の鵜野小太郎か弥太郎の子孫のようです。
現在も刀が家宝として伝わってますが、いかんせんルーツが曖昧で・・・
先祖にどこそこの家老の娘が嫁いできたとかいう話がありますが
確証もないのでほぼ御伽噺です。
どなたか鵜野家の記録に関わった方はいらっしゃいませんかね?
一応第何代目かの当主として先祖のことを知っておきたいのです。
0279278
2011/07/06(水) 09:49:44.87ID:bQfkmls7その書籍の
「第三章 戦国期における播磨国一宮伊和神社と宇野氏」
この宇野と関係ありそうだな。
今は住んでいませんが父親までは伊和神社の側に住んでいました。
伊和神社近辺に墓地もあり、彼岸の時期には墓参りに訪れています。
しかし、なんで「鵜」じゃなく「宇」なんだろう・・・
0280人間七七四年
2011/07/06(水) 20:53:12.76ID:sc+k+JMaたぶん、同じ「ウノ」という読みから連想して
宇野氏の子孫を自称されたのかと思います
0281人間七七四年
2011/07/07(木) 19:25:22.48ID:YRZdp7syそうですか
http://www2.harimaya.com/akamatu/html/ak_sen01.html
の鵜野弥太郎かと思ったんですが・・・家紋も我が家と同じ左巴で「これは!」と思ったんです。
もしかしたら蔵にあった巻物に何か書いてあったのかもしれないんですが、
祖父と父親が中のもの全部燃やしてしまって残ってるのがその刀だけという状況です。
嫁いできた家老の娘が誰なのかもう一度父に確かめてみます。
0282人間七七四年
2011/07/13(水) 10:26:35.63ID:Ow3xhw4Vへーすごいね
でも代数はわかんねえや
0283人間七七四年
2011/07/17(日) 21:10:08.08ID:aHO+ucz80284人間七七四年
2011/07/23(土) 10:35:45.01ID:7aD6Tl2v0285人間七七四年
2011/07/23(土) 12:58:25.90ID:bw/wz1rv0286人間七七四年
2011/07/28(木) 01:22:41.47ID:bTwkD8FA0287人間七七四年
2011/08/02(火) 14:25:10.00ID:xoM+q88x最近購入して読み始めたところ…
0288人間七七四年
2011/08/07(日) 13:05:50.13ID:OWOxB/NB0289人間七七四年
2011/08/07(日) 19:41:07.57ID:QbA2Ldja0290人間七七四年
2011/08/15(月) 16:33:44.84ID:5+i+b5Tc0291人間七七四年
2011/08/18(木) 17:13:28.43ID:dnoXD1+B0293人間七七四年
2011/08/22(月) 21:35:51.56ID:B2SdI2M20294人間七七四年
2011/08/22(月) 22:45:51.19ID:7cJTMLZh有馬は赤松は独立性高いから小山と結城みたいなもん
0295奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/08/22(月) 22:47:31.07ID:tudqEkQM0296人間七七四年
2011/08/26(金) 22:01:07.09ID:XLTa9VfG0297奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/08/26(金) 22:19:37.67ID:L5TN3fNH0298人間七七四年
2011/09/02(金) 22:13:40.63ID:3N/bxRXp0299人間七七四年
2011/09/10(土) 21:04:51.05ID:bS7wM4NJ0300人間七七四年
2011/09/11(日) 02:25:27.68ID:lOT3ONqp当時の国人領主はみな独立勢力だったんだな
ということがよくわかる
0301奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2011/09/11(日) 06:11:16.82ID:9x6Aybqa上に戴く者があるかないかくらいの違いで。
0302人間七七四年
2011/10/01(土) 21:39:40.13ID:ATMjU0xt0303人間七七四年
2011/10/06(木) 01:24:27.47ID:CVJgPqNQ0304人間七七四年
2011/10/11(火) 21:09:10.30ID:mWgZvgnq0305人間七七四年
2011/10/11(火) 21:57:08.31ID:S0Z/U+SV0306人間七七四年
2011/10/19(水) 21:59:05.42ID:uUosa+fW線の支配
面の支配
0307人間七七四年
2011/10/20(木) 16:27:27.38ID:yv+wUN8Aあかまつのチビの土地をわたしの部下にあげる
赤松の部下の剣にわたしのいのちが消える
0308人間七七四年
2011/10/20(木) 20:00:08.01ID:RW4xVcd50309人間七七四年
2011/10/21(金) 18:37:24.92ID:pJ42G0540310人間七七四年
2011/10/22(土) 21:11:48.34ID:JTzVPmxRかなり無理があるが
0311人間七七四年
2011/10/27(木) 01:54:50.42ID:E7dCzgBX0312人間七七四年
2011/10/30(日) 00:16:42.07ID:tB7Jtj4Zhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1317840988/
0313人間七七四年
2011/10/30(日) 02:12:05.58ID:REL+e8vzあかまつのチビの土地をわたしの部下にあげる→?
赤松の部下の剣にわたしのいのちが消える→義教殺害?
0314人間七七四年
2011/11/05(土) 21:42:46.28ID:iXv+qcMr( ^ω^)???
0315人間七七四年
2011/11/05(土) 21:58:34.49ID:pbf/wSxc0316人間七七四年
2011/11/10(木) 21:18:30.56ID:/Lp+Cmrf0317人間七七四年
2011/11/13(日) 22:02:17.64ID:3zsyp338甲斐は信玄みたいな強力なリーダーが生まれたから偶然まとまれたから強かった
信玄死んだら甲斐も播磨みたいにバラバラになって滅ぼされた
播磨も赤松の血筋に信玄みたいなリーダー生まれていたら団結して強くなっていたはず
個々の能力なら優秀な武将が沢山いたじゃないか、
信玄は赤松家に生まれてた良かったのに、播磨なら京の都は目の前だ、天下取っていた事は確実
0318人間七七四年
2011/11/14(月) 00:43:57.99ID:DToS8fdE0319人間七七四年
2011/11/14(月) 02:25:54.01ID:TVBR+MVj0320人間七七四年
2011/11/15(火) 02:36:26.29ID:YAGnxBSk村宗が大物崩れで死ななければ、もしくは政宗と宗景が兄弟で争わなければ…。
0321人間七七四年
2011/11/16(水) 12:57:18.33ID:V/bDLSqV七条「名門なのに降伏駄目でした」
斎村「亀井に捨てられました」
0322人間七七四年
2011/11/21(月) 00:03:35.95ID:cTlCWE0y0323人間七七四年
2011/11/26(土) 19:50:09.36ID:Zw12mq120324人間七七四年
2011/11/27(日) 11:30:05.75ID:UuD3/1Pu室町名門御用達の細川か同族の有馬が引き取ってくれてそうだが
0326人間七七四年
2011/12/01(木) 13:58:17.46ID:IG8tFSTt0327人間七七四年
2011/12/02(金) 01:22:44.13ID:rQpXQdTu0328人間七七四年
2011/12/03(土) 20:17:39.27ID:xXfxmb5o■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています