【軍師】戦国最強の策士は?【謀臣】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 23:36:39ID:gQBpHvT8竹中半兵衛、黒田如水、蜂須賀正勝、石田三成、島左近、山本勘助
真田親子、直江兼続、本多正信、片倉景綱、太原道斎、立花道雪
などなど多くの策士達について語ろう
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 23:37:37ID:cbgluR0p0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/19(水) 23:44:51ID:gQBpHvT8たしか秀家の父で、没落しかけた宇喜多家を再興した人ですよね。
でなんやかんやで、主を追放して二国を手に入れちゃったんでしたっけ?
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 00:07:40ID:uzNWGp9x0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 00:09:22ID:lhwTTMVb0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 01:06:01ID:jujQS/xT軍師と謀臣は分けた方が良いのでは?
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 04:48:04ID:E20H6erp尼子経久
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 09:45:20ID:v8BAFiQ90009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 10:05:35ID:ZJwCKZux禿同。
尾形拳の尼子経久はぴったりハマってましたね。
シブカッコイイです!
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 12:57:27ID:cIVQipC80011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 13:10:28ID:IbhV1m6J0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 13:52:54ID:0IE8/VqG0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 14:33:20ID:cAfPpaXpその後に元就や宇喜多直家や昌幸・・etc
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 15:04:34ID:zQDJehXD死ぬまで最後まで聡明でないと最強とは言えないと思うが。
0015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 15:49:15ID:nZTrVfRR0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 17:27:49ID:Ceapi9gl昼は縁側で日向ぼっこ、夜は配下の風魔党を使い策謀三昧
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/20(木) 21:00:33ID:fgC04SDl三国志の軍師ってなんだよ
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 21:14:48ID:JdxYPQj0しばいとこうめいだよ
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 21:17:00ID:9hO6NVKT0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 21:22:10ID:P0g2MkNo0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 23:17:19ID:Sr9fEDKH0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 00:24:16ID:73xr+Q2g0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 15:45:26ID:DG//l3hu0024名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 22:32:12ID:UQG9zxUz0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/24(月) 22:41:51ID:t+RBQOt80026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 07:18:41ID:zN9PldRhあと最期は茶器と共に爆死
ってのがポイント高いよ
0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 11:48:06ID:Qud50plh0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/25(火) 11:52:43ID:jDJGhbA/0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 17:45:29ID:XmsMv43/天候を予測したり
易で占ったり
一番首を血祭りにあげたり
首実検で死者を弔ったりと
宗教色が濃かった
0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 18:31:21ID:CYXk+0pQ0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 20:01:10ID:1pzir6Kk0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 20:59:55ID:CYXk+0pQ鍋島直茂
0033奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/07/28(金) 22:29:15ID:vdr79GrL0034ぶぎゅ
2006/07/28(金) 23:54:27ID:y5Le5h3tすぐちななければ間違いなく最強だった^^;
0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 05:57:40ID:MkdwNw/f0036
2006/07/29(土) 06:11:20ID:ZVI2cR9b0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 06:15:56ID:vA1IbwqD策に溺れたあたりも策士らしくていい。
0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 09:09:45ID:7EaO6yS6朝鮮出兵の兵站を支えた事って
聞いたような気がします。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 20:45:02ID:H64mmQVUそれは孔明の罠だ
0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 22:32:43ID:7EaO6yS60041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 23:39:01ID:R3a+3v630042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/30(日) 09:56:27ID:zZmtcnGd0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 11:59:52ID:tlvFyTWL0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 12:18:07ID:mkKEzRID半兵衛厨は豊鑑がどんな著書かも知らないんだろうな。やれやれ
0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 14:52:33ID:fQAqekPcん?豊鑑には竹中重治の業績は横山城留守居と堀秀村誘降ぐらいしか書いてないのだが?
読んだことないの?
逸話の多くは「絵本大功記」からなんだが・・・、
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 17:30:07ID:mkKEzRID豊鑑をよく読んでみてくれ。果たしてそれだけだろうか?
絵本太閤記は読んだことないからしらね。ちなみに川角と甫庵は読んだことあるから
時間をかければ半兵衛の逸話がどこにどういう風に記述されてるかはわかる
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 20:20:14ID:fQAqekPcそれだけだろうか??????これだけだが?
だったら豊鑑にある「竹中重治の逸話」を挙げるとか、引用してみてくれよ
つか川角とか甫庵読んだとか聞いてない、豊鑑の話なんだけど
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/31(月) 21:04:15ID:aNPVR2SP0049名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/01(火) 07:58:23ID:wODo8TzCでも天海個人は策士と言ってもいいか
光秀は戦だけでなく交渉事や築城やら多彩にこなせたようだけど
器用なだけで策士ってイメージはないや
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/02(水) 09:56:08ID:dCFzKmnh0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 18:50:35ID:dO9PfQk6西国の覇者毛利家が西軍についたからじゃないの?
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 20:30:17ID:djGRg9l+0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/03(木) 22:02:56ID:MmqkHClpよければエピソードを詳しくいやらしく。
005452
2006/08/03(木) 23:04:12ID:djGRg9l+為信は最初は東北地方の南部氏の一被官に過ぎませんでした。
しかし、南部宗家が家督を巡って争っている隙を突いて津軽地方一帯を手に入れ独立してしまいました。
しかも、その時期は豊臣秀吉が私闘を禁止する直前だったため、彼から安堵状を獲得し、領国安堵を盤石のものとする念の入れようでした。
ちなみに為信が秀吉に謁見するのが三日遅れてたら、津軽家は独立出来ていなかったと言われてます。(理由は同時期に南部家の当主信直も秀吉に泣き付いたため)
そして為信の独立に欠かせなかったのが沼田祐光の存在でした。
彼は関東の上野の生まれでしたが全国を行脚し有名な大名達に高禄をもって誘われる事もしばしばでしたがそれらを蹴ってまで、みちのくの地に居た為信の器の大きさに惚れ、仕官しました。
津軽家の独立は祐光の周到な準備とチャンスを逃さなかった為信の決断力の結晶でした。 二人でワンセットという感は否めませんが地味に最強と思ってます。 最後に超長文スマソ
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 00:55:51ID:nXrEjEgD相当な策士という噂。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/04(金) 09:37:53ID:OexdvXie最強とは思わないけど、板部岡江雪斎もなかなか。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 05:21:30ID:b4PCBhHW0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 16:32:29ID:XM/PhNmV0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 18:23:39ID:RUcxQszT0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 22:52:18ID:IwJBxRhX0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 23:34:09ID:/ykj5IP9他の誰が毛利家に生まれても同じ事は出来ない。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/18(金) 13:41:21ID:SVPPl6R7なら漢字で書いてやれ
0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/24(日) 00:03:56ID:Za6Guu+y0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 09:18:24ID:Xbadvd3m1以外に真田昌幸の名前は出てないんだな。
結果的には失敗(武田家滅亡、関ヶ原敗退)に終わることはあっても
戦術的には優秀な男と言えると思う。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/25(月) 09:20:45ID:gDj7i0H0策士って点なら道雪や石宗よりこっちじゃないかと。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 00:32:46ID:SjsCPxQS死に方が面白い
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 01:12:17ID:zGHYDWBu字あってる?
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/28(木) 01:56:14ID:FrSUi+uuもっかい全部読み直せ。
斉藤道三が最強の策士だろう
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 00:26:49ID:OlLdNTvT例えば、徳川家康は策士に入るのだろうか?
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 01:02:57ID:iUfTfO3w淀は日本の歴史上最大の資産をどぶに捨てた馬鹿女だろう
最上部に立った時の女の頭の悪さが全部裏目に出て滅亡となった
秀頼なんか将来は馬鹿殿確実の環境にいたんだから戦国大名を
束ねるのは到底無理
権力を家康に渡さないと最初から無理があった。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 04:30:50ID:7jfGRnZQの他に誰がいるってんだ?
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 05:37:06ID:6kBbi+6F平蜘蛛と三人分の食料を与えて一年経過したらどうなる?
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 07:33:06ID:bEYRdkg80074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 07:38:45ID:c87kLocs案外仲良くやっているかもよ?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 10:21:12ID:DZ0kNT5r0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 10:49:20ID:OlLdNTvT確かに
それが答えかもしれん
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 11:18:29ID:szkg2pfo0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 14:27:51ID:+VzWZAfC0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 14:46:50ID:DZ0kNT5rそんでそれは秘密裏になされるわけだが
全員、文化人でもあるから、表向きは普通に茶会を楽しんでるだけ。
この4人を閉じ込めたぐらいだから、そいつも相当な人物だと思うがねw
>>78
閉じ込めたのがか?
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 16:07:03ID:MUElnH/n0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 16:29:43ID:Mg7dfXZQ0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 16:43:03ID:x5uctKrN時代は遡るが源義経と楠木正成も。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/29(金) 19:33:29ID:0HpiTMFB0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 00:43:28ID:5hmTKXwy0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/30(土) 01:41:57ID:rG7a2+Ix0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 15:04:37ID:33E8FLFe0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 18:16:11ID:0mtDxuvT0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 20:35:07ID:Nfq2vxhI0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 01:17:19ID:abUF68VV0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 16:44:19ID:NypY95M7やはり策士たる者、策に溺れなくちゃネ!
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 16:46:52ID:ahhMGlG90092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 00:00:04ID:/MsdCWp60093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:07:51ID:8meN8HSc最強の策士たる者、やっぱ全国を股間にかけた働きをしてもらわんと
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:24:52ID:8s8PbNPZなんせ関東がいち早く戦国期に叩き込まれた決定的な戦乱。
この乱で漁夫の利の得た北条早雲はただ単に時勢がよかっただけ。
太田道灌も暗殺されてるから周りは良く見えても自分の鼻の下は見えなかったってこった。
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:39:40ID:tdPIA8Tnそれどころか最後は禅譲され長尾家が上杉家を乗っ取って名目上は関東支配者補佐になっちゃったしな。
謙信が越山したら上野国は沼田→白井→前橋と言うコースにいる長尾家や長野家の支配圏は速攻で騎下に参じて厩橋城に集結して小田原包囲や鶴岡八幡宮に進出したくらいの勢威はあったからね。下野国も足利長尾家を筆頭に長尾上杉に集ったからな。
長尾一門は意外とすごいな。
考えてみれば長尾家は会津や米沢にもついて行ったから生き残り組だしね。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 15:57:09ID:8s8PbNPZおもしろい小説や本あったら教えてください。どうしても北条早雲視点の小説ばかりでつまんないので。
川越や前橋あたりに行けば資料館充実してるかな?
0097名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:13:27ID:tdPIA8Tn義昭も秀吉を足利養子にするの拒否したくらいだから
やっぱり面子もあって難しいんだな。
うまく成功したのは…白井長尾が越後長尾に上杉憲政が越後へ逃亡する交渉をしたくらいだから、
最初から上杉家門を奪い取るべく上野国平井城にいた憲政に危機を煽り陥れるべく言葉巧みに誘導してたんだろう。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:46:12ID:Eg4tfD9Fいらないと拒否した佐竹義昭みたいなのもいるしな
なかなか難しいものだ
0099名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 17:01:40ID:4F4pIB7l道灌が死んだ後も再び反乱を活発化して北条早雲と結ぶ一方で上杉顕定を越後に誘い込み敗死させるなど関東の謀略レベルは足利公方などの暗躍も合わせてハイレベルだったろうね!
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 17:19:12ID:tdPIA8Tn従来の簡単な説ではないかも試練。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 23:38:33ID:tdPIA8Tnのちに上杉謙信が関東管領として越山して号令をかけた時に
源氏の佐竹義重は、元々はわが父に上杉家門譲渡の話があったのを断ったのに…長尾などは平家ではないか!と不満だったらしいが宇都宮家や太田家、里見家と共同歩調を取ったらしいね。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 00:06:34ID:dRp7qgRg従来の説だと、道灌がどうも甘すぎる気がするしね、
それまでの凄まじい経歴を見るに、そんな甘い人物だとは到底思えない。
なんか根回しが色々ありそうではある、早雲辺りも怪しい。
とは言え道灌って策士でもあるけど、戦国時代に坂東武者を
初めて統制して従えた猛将としてのイメージの方が強いかも。
合戦でははっきり言って同時代の中で無敵だし。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 00:17:00ID:XxGeGj3x地侍や地頭、荘園、国司に従って下向してきた豪族、守護や守護代に従う者達から婚姻関係や外戚や昔からの協調関係や父祖の時代からの増悪。
鎌倉・室町の権力者の変遷など詳しくないと関東の支配は難しそう。
太田道灌はこの点を詳細に知っていて、うまく操れたんだと思う。
ただ操れたのもだんだん時が経つにつれて破綻してきたんだと思う。
愚鈍な主を討つ下克上しかもう他に手がなかったんだろうが忠義の人ゆえに破滅したんだろう。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 01:06:17ID:SUBkHZ8U俺もそう思う。
私見を述べさせていただければ、下克上の先駆者となること自体に
不快感と恐怖を持っていたとも考えられる。貴種尊重の風潮は道灌の
時代においてもまるで衰えていない。というより、統治者として君臨
する為の大義名分として「貴種である」こと以外に重要視されるべき
と考え得る代替案が無かったことも、道灌の一連の行動の一要因には
なっているのではないのかな。
応仁の乱においても、細川・山名が争った目的は将軍職を目指してい
たからではなかったんだから。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 01:32:28ID:dRp7qgRg太田道灌はもう少し後まで生きていることが出来たならば・・・、
それこそ早雲らが下克上を行った後なら、その智略から考えても、当然の如く下克上をしてのし上がり、
周辺諸国を従えて、関東の王者としていち早く名乗りをあげる事ができた気がする。
そうなったら敵う者等いただろうか?
築城技術や足軽を統制した野戦技術、この時代の合戦において頭一つ抜けた存在と言う気がする。
まぁ定正は愚かな主だとは思うが、一方で恐れたのも無理も無いという気はする。
城は山城中心で、武士同士の合戦が多かった時代に、
足軽なんていう得体の知れないものを編成し、集団戦術で野戦を行ったり、
堀を作ることで平地に堅固な城を築き上げて、どんどん戦局を有利にしていく姿は
優秀で忠義者の猛将と言うだけでくくるにはあまりに異質すぎる。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 02:56:00ID:SUBkHZ8U今我々が時代の先駆者足るべく行動を起こせと言われても不可能なように、
当時定正が取り得るべき方策も同族上杉を統一し関東を統べるという当たり
前の図式に乗っかっただけだしなぁ。
で、道灌が化け物。>>105さんが指摘してるような点にも顕著だが
上杉という名族の代理という立場を考慮しても、当時の道灌の戦略はありえ
ない。足軽という枠組みを古来因循とした関東に持ち込む、組織化する、統
率する、戦へと駆り立てるということはその一事をもってしても大事件。当
時の関東農民からしてみれば百害あって一利なしの戦争で職として纏め上げ
、当時のどの地域よりも「武士が全てを決しなければならない」場所であった
関東で、それまでの「武士」という概念をぶち壊した事も当時の彼の立場から
してみれば気狂いとしか見れないよねぇ・・・。合理的といえばそれまでなん
だが、彼は異常だよ。
戦・将という観点で見るよりも、指導者として包括的に見るべき人物だと
思う。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 09:17:10ID:XxGeGj3x出家したけど幕府のたびたびの要請で仕方が無く結城合戦時に復帰するも終わるとまた引退しちゃうし。
この時代あたりから長尾家も力が徐々に蓄えられていったんだろうね。
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 15:28:52ID:x7IhloZM北条・上杉・武田の三大勢力時代はすでに大消耗戦の末期だったのだろう。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 22:17:57ID:XxGeGj3x0110名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 09:58:28ID:/Ii9H2jj補佐たる関東管領の上杉家自体が鎌倉公方の足利家を凌駕してる。
下克上の可能な状況は関東でいち早く作られているね。
足利公方が信濃国での小笠原家と村上家の争いに介入しようとすれば「信濃は関東管領の管轄外」と関東管領の上杉が軍隊まで出して道を閉鎖し公方の軍を止めてる。
幕府との交戦になるのを恐れての事とは言え、バカ公方を諫めたりと叛意はなかったね。太田道灌なども叛意なし。
関東はそれなりに秩序が守られようと努力してたとも言える。
基本的にはバカ公方が秩序崩壊への災いの種をばらまいてる。
上杉家は山内の長尾家の執事職任命失敗や扇谷の道灌暗殺で権威失墜。
これらが下克上への決定的な引き金になったのかもね。
結城合戦に見られる関東の西と東に別れる勢力図も争い激化に拍車をかけてるね。上杉の影響が強い鎌倉よりも公方が古河に逃げた時の方が頑強なのもうなづける。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:13:19ID:kZCoHOH3それに比べ鎌倉公方〜古河公方と変遷しながらしぶとく生き残ってきたね。
旧勢力が生き残るにはそれ相当の才覚がなければ難しかっただろう。
女城主足利氏姫になってから秀吉の斡旋で小弓公方系と政略結婚し喜連川家を立て足利義親を生んでるし。
もっとも実際には氏姫も義親も古河に住み続け下野国には出向いてないようだが・・・。
関が原後に戦勝を祝う使者を派遣して1000石の御加増し4500石。
1万石にも満たず藩になる資格はないのだが家康はかっての将軍家でもあった伝統を重んじ、
10万石の大名並家格と御所と称するのを許したそうな。
ただ家臣も100人に満たず、10万石の格式を保つ出費が重いために藩財政は窮乏。
財政を救うため東北大名、特に伊達藩が参勤交代で通ると宿場前にはいつも御所さまが待っていて通り過ぎたくても宿泊させられたそうな。
費用節約のために一度喜連川を迂回して参勤交代しにいったら御所さまが追ってきて江戸で伊達の殿に嫌味をタラタラと言いにきたとか。
なかなかの営業力で生き残りを果たしたといえよう。まぁ軍師ではないが処世術のうまさでは足利一門随一。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 18:20:02ID:+uVTd8rn0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 19:10:28ID:p7lxj0Kq0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 20:29:41ID:crpRvp9P上杉主導権争いの関東管領山内上杉と執事長尾(上野守護代・武蔵守護代)と扇谷上杉と執事太田の果てなき争い。
結果的に得したのは
関東の僻地にあたる場所にいた謙信の実父で越後守護代長尾と今川軍を使い沼津より伊豆の足利堀越公方を滅ぼした北条早雲の2人。
関東内乱で権威の失墜に比例して下が上を凌ぐ力を蓄え次第に混迷化。ついには消耗疲弊し周囲の侵略を招き北に南に敵を作る。
鎌倉公方→関東管領→管領執事→伊豆や上越を拠点に関東侵攻をはかる長尾や伊勢に加えて甲州の武田まで真田の先兵で西上野侵攻。
北条→織田(関東管領滝川一益)→北条→豊臣(小田原の役)→徳川
こうしてみると長尾景春は危機的状況になると扇谷の太田道灌が暗殺されたり越後長尾が活発化して山内上杉顕定が越後で戦死したり北条早雲が扇谷上杉の相模国を奪いさらに北に進出する為の重臣離間策などが発覚したりする。
上野・武蔵・相模での長尾景春の謀略による暗躍や遠交近攻策は凄まじいものがある。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/09(月) 21:33:16ID:X1guzcll0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 02:44:11ID:LgTts6GD長尾景春の反乱に呼応した武蔵の名族豊島一族
練馬城(東京都練馬区)江古田古戦場で敗北(平塚城が道灌に攻められ救援の為に赴き、引き上げ中の道灌と接触して大敗)
→石神井城(東京都練馬区)→平塚城(東京都北区)→小机城(横浜市港北区)と次々に太田道灌により落城。
道灌暗殺の謀略の成功!
上杉禅秀の乱の功績で大森氏が小田原(元々は毛利両川の小早川氏が築城したとか)に封じられていた地を早雲が奪い鎌倉へ進出
してきたあたりで扇谷上杉配下の立場から早雲も反旗を翻しますね(それまでは伊豆守護の山内上杉との対抗上扇谷に属していた)
権現山城 (横浜市神奈川区) 扇谷上杉氏の家臣上田蔵人政盛(相模守護代?上杉禅秀の乱で松山城主として討ち死の一族?小川・東秩父が本領地)が
越後での山内上杉顕定の敗死後に北条早雲に唆され反旗を翻し10日の包囲で落城。太田氏に次ぐナンバー2の上田氏も道灌暗殺に不信感があっての反旗でしょう。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 03:28:10ID:zFdYGJPE結局幕府の追討を受け持氏は死ぬが結城氏朝が遺児を擁立し結城合戦を行い滅亡。結城家を再興した後も古河公方とともに上杉と抗争し衰退。
何で元々鎌倉公方と対立してる京都扶持衆の結城氏が永享の乱などから一環してずっと鎌倉公方支持なんだろう。上杉に対する対抗心からだろうか?
0118名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/10(火) 09:11:39ID:ZIJqTUDg公方監視と将軍への報告を目的とした京都扶持衆でも結城氏は一貫して公方支持だったのかもね。
かつては白河結城(北畠家に従い南朝側)や結城(北朝側)は名門で関東や東北の争乱鎮無に重要な役割を果たしてる。
足利尊氏の母の家系の上杉に対抗心もあったかも。関東管領上杉は将軍と公方の間を調停する役割で公方を諫めてばかりで公方は反発するばかり。
永享の乱後は公方不在で関東管領上杉氏の支配が面白くないだろうし、将軍の兄弟の関東下向にでもなったら上杉の支配がより強化されるので公方の忘れ形見を担ぎ結城合戦になり、各地の本家筋や長男以外の不満分子の糾合となったと思う。
その後は成り上がり北条の北進に対して利根川以北の京都扶持衆は常に古河公方支持で上杉謙信の南下に共同歩調を取ってる(佐竹・宇都宮・里見は小弓公方に共同歩調をとった事もある)。
小田家は佐竹・太田連合との敵対で北条側だな。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:20:23ID:6f1HunLY信長の時代から耐えて耐えて耐え続けて、ついに天下をとった。
なにより関ヶ原での勝利にもってゆく調略の数々が凄すぎる。
そのせいで関ヶ原の戦いはまさに芸術だったな
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 23:25:45ID:J4HB902V0121名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 15:48:08ID:h1MJtyMWもう少し若くて長生きしていれば桶狭間で休息なぞ馬鹿なことをせずに済んだものの
0122上田
2006/11/01(水) 19:39:01ID:0FqDioSs真田昌幸
真田信繁
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 15:33:55ID:P4oDjOio十分に策士と呼べるが、信繁はちょっと疑問だ。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 07:15:05ID:z2LoZ2ec0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 20:12:16ID:Ley3yLVZ0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 09:00:36ID:5HQXZSHT不勉強な俺の為に詳しく
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 12:16:19ID:2ZFeueqc0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 13:55:31ID:q7k6lJ4A0129名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/12(日) 14:08:58ID:mIyY8b8c0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 21:51:07ID:MzK8DNew息子達の仲を取り持つグダグダ親父の毛利元就。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 22:34:17ID:tfMZer6k0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 21:57:13ID:j2JbglIx小弐家臣。竜造寺家兼の存在に危険を感じて、神代勝利達と談合して一計を案じる。
それによって家兼の一族の大半を註する事に成功したんだが、詰めが甘く肝心の家兼を取り逃がしてしまい、後に居城を攻められて斬首。
主人公をギリギリのところまで追い詰めながらも逆転されて負けちゃった、ていう。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 01:57:40ID:2HbDGddA0134名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 01:56:20ID:4CbNrLpa0135片倉小十郎
2006/11/22(水) 12:56:47ID:Hxco9OBUttp://shop.gakken.co.jp/shop/order/k_ok/bookdisp.asp?isbn=4056043981
0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 15:03:16ID:ktLbbaaa0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 15:13:37ID:0+pWSeqMIDがすげえ
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 21:16:05ID:JBSh7kP80139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/22(水) 22:36:47ID:U5Ey95vhマジレスすると織田信長が最強の策士
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 17:25:17ID:BXG1pZFv0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 20:35:23ID:BXG1pZFv0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 21:58:40ID:BXG1pZFv0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/25(土) 22:10:09ID:0i76Nfta0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 07:42:43ID:7Xc7fx740145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 13:25:53ID:7Xc7fx740146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 13:33:46ID:FTr1kAqY0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 16:18:58ID:7Xc7fx740148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 17:13:28ID:EyerwxPU0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 19:48:11ID:7Xc7fx740150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/26(日) 21:46:02ID:DauuBzly0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 21:00:59ID:Gs2LUkYJ0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 21:01:32ID:u//AMiF20153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 21:53:29ID:biiqeR4H0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/29(水) 22:03:05ID:aYke/xP3裏の裏を掻いたつもりが、
裏の裏の裏を掻いきそうw
0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/30(木) 01:02:27ID:Gq+2xjwoこのスレによく出てくる大物の俺のなんとなくのイメージ
元就→札の裏の裏に飽き足らず横や斜めや中身もしっかり吟味した上でズバリな点をついてきそう。
道三→裏など必要ない表だけで十分な何かを編み出しそう。
如水→表には表裏には裏という筋道を機械のように正確についてきそう。
経久→札ごとあげてしまうがいつの間にか逆らえなくされてそう。
早雲→基本的なルールから変えてきそう。
雪斎→いつのまにか札の出し方まで教わる立場にされてそう。
宗滴→負けただけでなく説教もされそう。
久秀→興味なさそう。
道灌→札とは呼べないような何かを取り出してきそう。
家康→はぐらかされて勝負する前に帰されそう。
為景→負けた場合のリスクがとてつもない賭けをさせられそう。
昌幸→最初勝ってたつもりがいつのまにか負けになってそう。
直家→やる前に刺客に、うわなにsr(ry
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/12/01(金) 20:23:20ID:D3bsaJHfテムジンのように非情に徹するけどな
弓矢はすべて毒矢
城攻めでは毒や水銀を混入させる
一族郎党女子供はすべて皆殺し
とか
0157名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:05:47ID:sSXd9nnk誰も付いてこないだろうなw
0158名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:33:28ID:xGeZLH6u0159名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/01(金) 21:38:25ID:QDPhnYJ5信玄が信濃攻略に手間取った理由も知らんのか。
0161名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/02(土) 02:58:42ID:eVPNnCuz札??
0162名無しさん
2006/12/02(土) 04:35:31ID:+wdLI3Mp0163名無しパート2
2006/12/02(土) 05:10:29ID:+wdLI3Mp0164名無しパート3
2006/12/02(土) 20:07:55ID:+wdLI3Mp0165名無しさん
2006/12/03(日) 03:34:48ID:6Z/W9Ost0166名無しパート2
2006/12/03(日) 16:07:12ID:6Z/W9Ost0167名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/03(日) 17:38:00ID:wusTPb7s本能寺の変は光秀と家康の策略で
光秀が死を装って天海になり徳川と豊臣を討って天下統一
なんてことだったら凄い。
0168名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 00:00:22ID:8IQP9Kqp煽りじゃなく、そういう小説書けば?
トンデモだけど中々面白い説だと思う。
0169名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 00:28:42ID:PMKXjcMX彼がいなかったら秀吉は天下統一できなかった
秀吉の業績のほとんどすべては黒田官兵衛のもの
0170名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 00:37:25ID:EXmZ1XShむしろ秀吉にとっては半兵衛の方が功績は大きい。
0171名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:14:00ID:jF38ajoB二人を古代支那の軍師になぞらえた講談逸話のせいで
秀吉自身の指揮能力が過小評価されとる。
両者は美濃、中国経略における水先案内人として招かれ功績を挙げただけ
無論、その後に他の地方攻略でも活躍した有能な武将だったのは確かだが
秀吉の業績はほとんどすべて彼らのおかげだなんてのは言い過ぎ
むしろ講談逸話ではスルーされがちな秀長や
粗野な野盗紛いの描写をされる蜂須賀の方がよほど秀吉にとって重要
0172名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:15:49ID:Ua+7eCbR0173名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:29:50ID:PMKXjcMX兄の陰に隠れて目立たないだけで
足利直義に似てる
逆に、弟が目立って兄が地味なのは、源頼朝・義経の兄弟
0174名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:36:10ID:YFy0kwQC一応平家追討軍の総大将でしょ?
0175名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/04(月) 01:41:31ID:9LtWxSyP>太原崇孚(雪斎)
同意。
三国同盟の立役者だし。
彼の三国同盟があったから、義元は上洛を決意して信長に討たれた。
彼がいなかったら、信長は世に出なかったかも?
0176名無しさん
2006/12/06(水) 05:08:53ID:9y7btcYx0177名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 05:18:16ID:3uq6nS9v0178名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 05:18:58ID:4KH8RKWZそれはそうと渡辺恒彦の宇佐美定満は好きだった
ニヒルで格好良かったぜ
0179名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 05:20:50ID:4KH8RKWZ×渡辺恒彦
0180名無しさん
2006/12/06(水) 09:49:59ID:9y7btcYx0181名無しさん
2006/12/06(水) 17:16:35ID:9y7btcYx0182名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/07(木) 09:22:48ID:EhzUAng1表面では上杉支持の幕府であるが実は幼少期から細川の息がかかった成氏。
今川が鎌倉を襲った時にも事前情報を得手脱出し、今川も追撃しない自作自演。
上杉氏の衰退を大いに助長せしめる。
上杉を討ち父や兄弟の仇を討ち、鎌倉府を強固にし幕府を伐つ大略を胸に秘めていたという。関東争乱貢献度ランク2位に選ばれました。
1位長尾景春・3位北条早雲・4位長尾為景
0183奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/12/07(木) 21:44:22ID:z4a7i/M00184名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 01:50:21ID:niLFB6zg/ ´_ゝ`)すいません、ちょっと蓑借りますよ・・・
| /
| /| |
// | | 長尾
U .U Σ (゚Д゚;)
0185名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 02:09:43ID:OytUt0MD0186名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/08(金) 09:18:13ID:88XWuwQrしかも謀略と遠交近攻策で敵主力を引きつけて疲弊させたり、足利成氏や北条早雲、長尾為景などと協調してる。
乱が収束したと思ったら道灌謀殺や山内が越後で攻勢に転ずるとまた関東が不穏になるように仕向けて帰ろうとする山内を為景が捕捉し戦死させたら上野で退路を絶って城を奪回しちゃうし。
しかも人望もあるから相模や武蔵の有力者達が賛同して関東を戦国の坩堝に落とせたしな。
道灌がまとまってない反乱軍を各個撃破したから道灌の声望が高まったが
景春の目的は山内打倒であり、見事に疲弊させ、道灌謀殺に成功し上杉の統治能力皆無を露呈させた。
川越夜戦だって権威失墜した両上杉だったから北条は勝てた。
長尾景春の軍略や足利成氏のしたたかさはもっと評価されるべきだな。
0187名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 15:39:00ID:UBqTZmQ4やはり、天下を舞台にした策士と考えると本多正信が一番の策士だろう。
松永久秀に激賞されたその兵站、家康を悩ませた一向一揆の指揮、そして関ヶ原での調略劇。
なんといっても天下をとった後も領地がすくないのがいい。
0188名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 18:38:49ID:LZI2eHV40189名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 20:01:12ID:PvDYv+Hc天下国家を共に論ずる相手ではないな。
0190無名武将@お腹せっぷく
2006/12/09(土) 20:50:03ID:eGsOAkuf0191名軍師
2006/12/09(土) 21:38:31ID:QVLRh7tM0192名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 23:15:27ID:UBqTZmQ4確か、兵站戦をこ殊のほか重用していたからじゃない?。
それに、正信自体が家中で憎まれていたことから高評価ができるできるだろう。
0193名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/10(日) 02:20:03ID:9senzoM+これで120万石安泰
その後秀吉の元で力を発揮して石高を増やしていれば家康と五分五分の力を手に入れられた
0195名軍師
2006/12/14(木) 20:00:37ID:ONHW4Zrf0196名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 20:32:09ID:1iUgWJeK0197名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 21:33:24ID:5UgIR2Io後に息子が良く書いただけ
0198名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 02:58:59ID:XtwVfyw1信長は所詮畿内中心の勢力で日本全国にはほど遠かった
その秀吉をサポートした黒田竹中はやはり優秀だろう
秀吉の業績のうちかなりの部分は黒田竹中の息のかかったものだろうし
0199名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 07:53:02ID:lefAHH5o0200名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 09:03:24ID:lefAHH5o0201名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 23:03:55ID:HkIqITE9釣りか?根拠はなんだ…?
0202名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/16(土) 12:23:08ID:GAh8XT9t意地っ張りなところもあるし・・・。
全国的に見れば結局天下を取ったのは家康・正信だし。
ところで竹中半兵衛の功績って何だ?
0203OPS
2006/12/16(土) 13:39:49ID:R139LJu90204名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/17(日) 21:55:44ID:JDObE8Diとりあえず黒田長政を助けたことは半兵衛の功績
0205名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 01:03:41ID:rSLxajp4秀吉家臣郡>家康家臣郡
って感じするのは俺だけ?
0206名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 04:07:15ID:88rfKD8d0207名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 06:40:55ID:HI4RU5E+家康≧秀吉
正信≧如水>三成
忠勝=直政>清正>>>>>>正則
ってぐらいのイメージだが
0208名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 11:29:15ID:L7d0utUd0209名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 13:00:18ID:88rfKD8d0210名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 13:08:28ID:L7d0utUd0211名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/18(月) 22:59:42ID:S/DHp4UU0212名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 00:56:27ID:kibQUDNEいやいや軍師ぢゃん
0213名無し議論スレて投票方法審議中
2006/12/19(火) 19:26:45ID:3dMPSNay208は不等号の使い方がおかしい
他の軍師系名将が一位とか、やばいだろ
0214名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 20:35:59ID:unQz8dE+逆っていうか、順番自体おかしい。
0215名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 20:39:56ID:hezfzAuB本気で大石陸奥守源三氏照の事言ってるの?
なんの勘違いだか知らんけど、違うよとだけ言っとく。
0216名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/19(火) 20:56:15ID:5MAY8u6jひどすぎるww
0217名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 03:51:06ID:TNcw+4SJせめて中学校ぐらい卒業しとけよ
0218名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 19:54:04ID:BZQhC4Ur0219名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/20(水) 23:48:20ID:tjOx4bQ9やくみつるも忘れないでください
0220名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 08:56:00ID:A0+cg024あの独裁者上杉を相手に関東中央部で暴れまわる力量は豪族達の支持を受けていたから。
しかも遠交近攻策を駆使して辺境の長尾為景や伊勢早雲を使い、上杉をものの見事に弱体化させる事に成功。
惜しむらくは謙信や氏綱のような後継者に恵まれてなかった。
0221名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 15:10:04ID:SFACBWZX道灌に勝ててないじゃん。
0222名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/22(金) 19:57:36ID:mP7M2Nu+0223名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 06:04:00ID:Yun/e9Ho0224名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/24(日) 20:01:33ID:YLhIcVki0225名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:30:14ID:L81UJMnHそれを相手にして暴れまわるのは相当大変だろ。
しかも道灌なんて謀殺されたジャン
生き延びて天寿を全うした景春や成氏のバランス感覚はすごい。
持氏の反乱や結城合戦での上杉圧勝ぶりから考えれば、かなりの謀略を駆使して善戦していると言える。
0226名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:36:16ID:11duRH820227名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 00:56:37ID:lquAvj6I謀殺だって流言が疑心暗鬼につながったんだろうが、長尾・伊勢・山内上杉・古河らの流した情報操作にひっかかったんだろ。
だいたい主を震え上がれす者は天寿をまっとうできんって言うのは定説なにのまったく先が読めてない。
0228名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 01:08:41ID:11duRH82確かに仕方なかったかもしれないし、このスレには合わないかもしれない。
また下克上と言う言葉も無かった時代の人物ゆえに、彼には能力の無い主に逆らうと言う
戦国武将なら至極真っ当な選択肢は選べなかった。
敵に対しては見事な策略を見せてるが謀臣というのとはちょっと違うかも。
0229名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 08:53:58ID:L81UJMnHもっと言えば道灌の父の方がはるかに有能な気がするが…
道灌エピソードとかも後世の人が考えたんじゃないのか?京に登った際に暴れ猿さえ道灌に怯えたって話や簑笠の話とか捏造だろ。
0230名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/25(月) 10:05:42ID:gwhN7ufl扇谷上杉執事ともなればかなりの勢威を背景にして戦えるしな。
むしろ山内執事職を叔父に奪われた長尾景春の巻き返しはすごいと言える。
0231名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:10:33ID:i4OPCId9戦国時代と関係ないし。
0232名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:20:20ID:EM4xbTao0233名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:22:51ID:bC2KmBqZ0234名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:25:16ID:i4OPCId9道灌てそれよりずっと前じゃん。
0235名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:48:08ID:W3Iq9kCV0236名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:53:29ID:XvploTUk0237名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:54:46ID:bC2KmBqZつか関東は実質的にはひと足早く鎌倉公方足利政氏が上杉に追討され、結城合戦へ続く動乱期に入ってるんだがな。
0238名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 01:58:41ID:bC2KmBqZ「長尾為景は二代の主君を殺害した天下に例の無い奸雄である」
鎌倉公方だろうが関東管領だろうが糞くらえ!まさに下克上!
0239名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 02:25:10ID:bC2KmBqZ〇足利持氏が天才政治家の誉れ高い関東管領上杉憲実に追討され
に訂正です。
0240名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 09:29:37ID:7xoCkOkU足利持氏がDQN過ぎて憲実討伐の軍を指揮するにあたり幕府の介入が入り、やむを得ず持氏軍を撃破するも持氏助命嘆願しるんだよね。
DQNなのか天才なんだかわからんくじ引き将軍足利義教が許さずに泣く泣く切腹させるも世を儚んで引退しちゃうは息子達を出家させちゃうはで。
その後結城合戦でも幕府は憲実をムリヤリ復帰させて勝利に導いてるが足利義教は結城合戦戦勝会で暗殺され…
いよいよ無常心に至り関東からも去り、中国の大内氏の方まで旅立って客死するんだよね。
考えてみれば上杉憲実や長尾景春・長野業正・上泉信綱と言った人材を排出した山内上杉家って戦国前期ではかなり強い家だったのかも。
ただ人材を生かせない馬鹿関東管領が続くからな〜。
貴種にあぐらを欠いて部下や民心から見放された典型になっちまったね。
0241名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 10:01:21ID:6ManQeDq上杉秀禅の乱以降は乱戦ばかりだからね関東は。
俺のお勧め天才は謀略家ではないけどずばり山科言継!
この人は朝廷の財政逼迫を救い、のちに朝廷存続への寄与を評価され従一位を追贈されてる。
下々の人たちとも気軽に接する温厚な人物と言われてる。
0242名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 10:11:07ID:6ManQeDqこの時期の人物名は複雑な人間関係で覚えるの難しい。
0243名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 10:15:41ID:XvploTUk佐渡においやられてから
盛り返す人間なんてそうはいない。
0244名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 11:57:45ID:Y1im/tzq障子と屏風のエピソードや驕者不久に対して不驕又不久と答えたエピソードなどは、のちに道灌が横死する事を知ってる後世の捏造だとは思うが、
父が道灌の不遜さを諌めているエピソードで、これが事実なら道灌は己の傲慢な欠点から命を失ったと言える。
やはり先を読む力で時勢をうまく泳げないとな。天寿を全うしなきゃ評価は下がるよな。
0245名軍師
2006/12/26(火) 12:41:21ID:IQLMdBx/0246名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 20:43:27ID:V1WARTPhその逸話はそういう意味ではないのでは・・・まぁいいけど。
だがいずれにしても道灌は戦術や戦略の天才ではあるが、このスレとは関係ないのは同意。
0247名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 21:37:56ID:7xoCkOkU扇谷上杉を打倒すべく関東管領山内上杉と古河公方成氏が同盟を成立させるに至るのは道灌の大きな失策なのでは?
しかも扇谷上杉が同盟軍と戦おうとしたら反対して逆に内通を疑われ謀殺されるのは情けないのでは?
0248名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 22:31:18ID:Y1im/tzq道灌もしくは父のどちらかが築城したとされてきた岩槻城も実は忍城城主成田氏が築城したことがわかってきている。
0249名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/26(火) 23:42:16ID:V1WARTPh景春は何を言おうが道灌に蹴散らされてる以上、軍事上の面で景春が上はありえない。
合戦で負けたって捕まるのは稀だし逃げ足が速いからどうしたと言うのか。
だがいずれにしろこのスレとは関係ない。
0250名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 02:12:47ID:elWKEWYU上杉家といえども後の戦国大名のような絶対権力者と言うわけではない。むしろ太田道灌や長尾景仲・景信親子は主家を凌ぐ勢力だった。
長尾景春は山内上杉の家宰職を叔父に奪われた為に実権は持っていなかったにも関わらず、遠隔操作を駆使して相模でも蜂起させ道灌を東走西奔させている。
そもそも互角に戦うべく仇敵の足利成氏と結ぶこと自体がすごいことだが、さらに道灌が駿河へ出兵した隙をついて挙兵したり、急いで戻ってきた際も
多摩川の増水を計算していて武蔵国に入国できないようにする用意周到さ。だが江戸城と川越城封鎖ラインを指揮してた武蔵の名族豊島一族が連戦連敗だった。
だが山内上杉を弱体化させるべく景春は動いており、豊島一族が道灌を引き付けておいて時間稼ぎができれば充分だった。
領土的野心はなく、道灌を討つことも別に目的ではないので五十子で上杉勢を急襲し利根川を越えて上野の那波荘へ敗走させたり
して充分に弱体化に成功してその戦略目的を達してる。また和議成立後に成氏のもとへ景春は向かい補佐していたが、上杉同士の争乱を謀り、山内と扇谷を争わせるべく
山内との偽りの連携を模索。その謀略戦の中で扇谷の勢力拡大の不安を煽り、山内上杉顕定から扇谷家臣経由で太田道灌を警戒させ邪魔者を謀殺させてしまっている。
その後は上杉同士を相争わせ両上杉をさらに弱体化させてる。その際も得意の遠交近攻策で早雲や長尾為景を利用して、上杉を北に南に疲れさせ
ついには家宰職を取り上げた関東管領山内上杉顕定を越後で敗死させてしまうことに成功し、ついでに養子の憲房から白井長尾の旧領白井城まで奪還して景春の復讐劇も終わり天寿をまっとうしてる。
山内上杉の弱体は激しく、憲房の子憲政が上杉謙信を頼り越後へ逃げていくハメになる。早雲は景春のことを「武略・知略に優れた勇士」として賞賛したほど。
0251名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 02:26:40ID:9EaZWZCF0252名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 02:52:33ID:9F5xGWZm信長くらいの時代は分かりやすくていいね。
0253名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 02:54:49ID:9EaZWZCF定正が道灌を殺した具体的な経緯ははっきりはわかっていないのに勝手に景春の功績にすんなよ、どこの小説だよ。
さらには早雲も為景も利用してって頭につければなんでも景春の功績になっちゃうのか。
連戦連敗だったのは景春もであって、名城鉢形城もろとも落城の憂き目にあってる事も
書かなきゃいかんだろうし、その苦労して結んだ仇敵古河公方も扇谷上杉とあっさり和睦されてしまった点もそうだし、
結局道灌存命時には大した事はできてないじゃんよ。
0254名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:08:12ID:I3kxezQ1扇谷上杉家宰の道灌に正面きって決戦できる戦力はとてもないだろうから小勢をゲリラ的手法で活用し他勢力を利用していくほかあるまい。和睦はむしろ景春に有利に働き道灌を除くこともでき、さらなる目的達成への準備期間として幸いだったろうね。
しかも最後は復讐を遂げ返り咲いてるから才覚はあったと思うな。
0255名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:11:10ID:9F5xGWZm0256名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:19:47ID:9EaZWZCFだがこのスレには関係ないな。
0257名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 03:20:22ID:I3kxezQ10258名軍師
2006/12/27(水) 06:39:13ID:GDPwM8Be0259名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 08:44:23ID:9F5xGWZm武蔵松山城や上野平井城あたりなら或いは名城とか呼ばれてた時期もあったかもしらんが。
忍城や上野金山城、下野佐和山城あたりは間違いなく名城だろうが。
0260名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 09:18:41ID:9F5xGWZm○下野唐沢山城
訂正します。
扇谷本領の相模から少なくとも3拠点以上が武蔵最北端の小勢力景春に同調し反旗を翻したのは明らかに家宰道灌の失策で多摩川も渡れず救援に北上できなかった。
景春の小勢が平井城から武蔵に出てきた関東管領の大軍を急襲大破し利根川以北に敗走させてるのは特筆に値する。
地元豪族秩父一族は相次ぐ関東の戦乱に参加した為に当時弱体化していたので扇谷上杉の大軍を指揮する道灌にとっては楽勝な相手だった。
秩父一族の江戸氏や豊島氏は道灌の大軍との不利な正面衝突を避け籠城を基本戦略にしていたのが証拠。
0261名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 09:57:15ID:PZ+Lesw5創作っぽいし。マムシの斉藤道三も一代での成り上がりではなく親子二代での下克上だって言うし
北条早雲も一介の伊勢の素浪人で老いてから成功した大器晩成的な人物という話が、実は伊勢家の人間で細川政元や足利義澄の命で
堀越公方を討ってたというのがわかってきたし、年齢も実は違うのではないかとの見方が主流だ。
江戸期の補正がかかってる人物は庶民人気からそうとう優遇されてると思われ道灌なんかも過剰評価されてる気がする。
0262名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 10:17:59ID:9F5xGWZm鉢形城は即席で景春が築城してるからさしたる備えはなかった為、景春は最初から鉢形城の背後の秩父山系でのゲリラ戦的手法を思考していたようだ。
上杉勢は秩父一族の勢力圏である秩父奥深くに引き込まれるのを嫌っただろう。
そのために景春を補足できなかった。
0263名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 11:20:22ID:I3kxezQ1道灌が自らの勢力拡大の野望の為に大軍を率いて土着豪族豊嶋一党を討ち武蔵進出したって側面もあるだろう。豊嶋氏などは秩父一族から平野に進出してきた氏だから昔からの勢力圏は秩父山系だが上杉も危険すぎて深追いをしなかったもんな。
結果、主に疑われ道灌は謀殺され、景春は恨み骨髄の山内上杉顕定を敗死に追い込み白井城まで奪回し天寿をまっとうしてるんだから景春に軍配があがるだろうな。
西に景春、北に為景、南に早雲、東に古河公方と両上杉は完全に包囲網に入ってる。
こういう状況を作ったのは武蔵中央部を荒らしまわり、常に山内上杉の主力を引きつけては、各地で反乱を誘発させた景春の大略だろう。
0264名軍師
2006/12/27(水) 13:28:36ID:GDPwM8Be0265名無し議論スレて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:27:08ID:by9JL863策士といえるのは、斉藤道三、北条早雲、太田道灌、長尾景春、松永久秀、武田信玄、真田幸隆、昌幸、
織田信長、羽柴秀吉(豊臣×)、徳川家康、本多正信、山中鹿之助、尼子経久、毛利元就、小早川隆景、
安国寺恵慧、直江実綱、兼続、伊達政宗、最上義光、沼田祐光、太源雪斎、鍋島直茂、黒田如水、長政、
細川幽斎、竹中半兵衛、山内千代、石田三成、蜂須賀小六、久武親直、藤堂高虎、津軽為信、
ぐらいかな。
補足:真田幸村、後藤又兵衛、片倉景綱、島左近、島津義弘らは策士というより猛将とはっきりいったほうがいい。
黒田長政、藤堂高虎は猛将な面もあるが、関ヶ原での功績をみてのこと。
松永久秀、久武親直は腹黒いところがあることが策士っぽい。(謀将のがいいかもしれん・・・)
羽柴秀吉は姓が豊臣になる前まで良かった。
津軽為信、沼田祐光、最上義光は小田原〜関ヶ原の間で生き残ったことが大きい。(沼田祐光の功績はあると思う)
斉藤道三、北条早雲は一から這い上がったこと。(秀吉も)
安国寺恵慧、蜂須賀小六は外交で。
明智光秀は知将だな。(そうでもないらしいが)
太田道灌、長尾景春が名策士ということはわかるが地方戦にすぎない気がする・・・。
訂正を頼む。
0266名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:31:22ID:/IE1x/0T0267名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:38:13ID:h2pILkKcこの2人の作った血縁網は幅広い。
本能寺の変で血縁関係が曖昧になってるのが痛いな。
0268名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:41:53ID:h2pILkKc道三自体は全然大した事無い。
直ぐに殺されたしな。
0269名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 21:56:26ID:T2s8CBgE泣く子も黙る脅威の暗殺術。
暗殺するまでの過程も計算されつくしている。
0270名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/27(水) 22:23:34ID:9EaZWZCF想像でもの語る前にもう少しそれぞれの説の内容見た方がいい、
題名だけ見て勝手に判断する典型的な悪い例。
>>265
って言うか上でも言ってるが、道灌は結果だけで判断すりゃ築城技術と軍才は図抜けてるが、別に策士じゃない。
策も使ってるが、別に最強とも思わない。この時期の関東を一地方というには、
ちょっと影響力が大きすぎる気はするけどね。
>>268
もう少しちゃんと調べた方がいいぞ。道三二代説って言う言葉しか知らんだろ。
0271名軍師
2006/12/28(木) 03:11:32ID:R4h9gFO30272名無し議論スレて投票方法審議中
2006/12/28(木) 14:42:32ID:ctaxgBtk0273名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 15:17:22ID:rj1w7P1q0274名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 18:15:46ID:RrrTVB/B0275名軍師
2006/12/28(木) 19:18:49ID:R4h9gFO30276名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 19:19:40ID:wMI/mjti0277名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 22:02:13ID:puJDTBvh秀吉の北条征伐の大儀名分を引き出し、家康の顔に2度も泥を塗り、関ヶ原では東西
どっちが勝ってもお家存続できるよう策を練った。真田の娘というだけで大名家から
は引く手あまただった。
0278名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 22:48:29ID:EJlph0vX小才子と言うに相応しい
政宗公のような壮大な策を施してこそ策士と言えるのです
0279名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/28(木) 23:21:12ID:/kDUz6Ep二代説に疑いをかけてるわけじゃない、だから題名しか見てないと言ってる。
その二代説のタイミングを調べればこのスレには関係ない事がわかるだけのこと。
説明しておく。
道三の父親はもともと1533年には既に病死が確認される文書があって、
長井規秀=道三のこの先の実績は二代だろうがなんだろうが確実に道三の実績と言える。
・・と言う事がまず前提。
1504年 妙覚寺に入ったと言われる。
京を中心に油売りなどをしていたと言われる時期。
日護上人(長井氏の関係人物)の後添えで、長井氏に仕えた時期。
1527年 土岐頼芸が美濃の守護となる。
1533年 長井規秀の暗躍が見られ始めると同時に父親の病死がそれ以前であることが確認できる時期。
これを父親のはっきりしている業績をまとめてみると、
妙覚寺で優秀だった→その流れで上人に伝手が出来て長井氏に仕えた
→やはり優秀だったらしく長井氏の主である土岐頼芸ともつながりが出来た。→死亡。
早い話が油売りから云々と言う小説で読んでも胡散臭い部分が綺麗さっぱり父親の方の業績になるだけで、
そこから始まるドス黒いマムシのごとき策謀の数々は変わらず道三の業績として残る。
無くなるのは油売りから〜という道三のむしろ英雄的な部分であって、
どうせこのスレであげても胡散臭いと一蹴されてしまう程度の事。
逆に上のまとめを見ればわかるように、道三の父親は妙覚寺から一貫した後光のさすがごとき善人であって、
道三とは似ても似つかない親だった可能性アリ。
その辺考えながら小説読むと、その辺りの時期では資料が無いため(父なんだから当たり前だが)
無理矢理盗賊と戦わせてみたり、京の女主人と遊んでたり、物語としては楽しい部分は多い。
0280詩人
2006/12/29(金) 00:21:49ID:Yl0KEEZk僕は小説を元にしたドラマを見ただけだったけど、
豪快で面白いおじさんだなぁって思ってた。
だとすると道三入道め、本っっ当に腹黒いね・・・。
この国泥棒め!!^^;
0281名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 01:27:44ID:4pEHu8i30282名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 01:57:33ID:1vUIkubK0283名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 04:17:55ID:DJRYKhOz伊達の何処が策士なんだ?
壮大な策〜?
策が成功してからほざけ!
0284名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 04:24:05ID:TAmDNlC1一番実力を発揮してるのは、天正壬午の乱の時だと思う。
0285名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 05:32:52ID:vYPoML2a0286名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 09:31:15ID:9rb9YnOV本多親子や坊主コンビが入ってないってどうゆうことよ?
あと関東の佐竹義義、九州の甲斐 あたりも加えてほしい
0287286
2006/12/29(金) 09:50:02ID:9rb9YnOVあと佐竹『義重』な
それと三好長慶も数に入れてあげていいんじゃない?
0288名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 11:11:18ID:nPf/7JKz大友家だと吉岡の連中が策士って感じだな
長増といい妙林尼といい。
一玄のは志賀親次あってこその活躍って面もあるし。
0289名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/29(金) 19:48:13ID:V7ltfhbI0290名軍師
2006/12/31(日) 18:19:06ID:4S+Vq4Se0291名軍師
2006/12/31(日) 18:23:57ID:4S+Vq4Se0292名軍師
2006/12/31(日) 18:29:55ID:4S+Vq4Se0293名軍師
2006/12/31(日) 18:36:02ID:4S+Vq4Se0294名軍師
2006/12/31(日) 18:39:20ID:4S+Vq4Se0295名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/01(月) 02:54:40ID:AiS7eeHGわざわざここに書かなくても百も承知な人物ばかり。
補正がかかっている通説に惑わされず、歴史に埋もれた知将や
新たに脚光を当てて新たな知将を探しもとめるレスが欲しいな。
0296名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/01(月) 03:14:31ID:2o+AAFdZだけど、ここは一応最強のと銘打ってる以上、有名なの以外が出てくるわけ無いわけで。
0297名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/01(月) 08:18:38ID:ZwkYWH9D0298るい
2007/01/01(月) 13:21:55ID:wwUZ8GDV道川 紀衛門
丹後若狭の豪商。主に水路物運搬を商いとし、大きな富を得る傍らで裏ではいろいろと黒い部分と繋がりがあったようで近隣の大名と黒い部分との斡旋役をしていたらしい。
時には単独の判断で依頼もしていたから、敵にまわすと厄介なことになることが確実なため法度に触れても取り締まらないケースが多々あったらしい。
朝倉義景が室町幕府に名指しで訴える書状も残っているし、なかなかの人だったとおもう。
0299名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/01(月) 13:37:07ID:T2WlUlvsこういうの好きw
0300名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 17:43:28ID:vdjKkRyI> 政宗公のような壮大な策を施してこそ策士と言えるのです
ファウルは、どんなに大きな当たりでもファウルなんだよねw
0301名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/04(木) 18:19:04ID:xYmPUbir色んな意味で坂本龍馬みたいだなw
0302名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 12:51:33ID:nnG0vz0f政宗のどこが策士なんだよ。
感情だけで動いて、街道七家敵に回すわ、関ヶ原の時も余計な動きをして
100万石→72万石。取り潰しだって考えられてたわけだし。
大阪の陣じゃ「変な動きしたら、後ろから鉄砲撃ちかけてやれ」って立場に置かれて
策も使えない策士。
老年になって、二条城行幸に知恵を貸したぐらい。
0303名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 12:38:00ID:F7fAfx26実績を見てみると、結構似てる気がする。
0304名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 13:12:46ID:NztNgzSh>関ヶ原の時も余計な動きをして100万石→72万石。取り潰しだって考えられてたわけだし。
58万石→60万石だろ。大体、家康のお墨付きなどを信じるような目出度い男でもない。
更に家康は、政宗に仙台城の築城を許可している。
0305名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 15:54:15ID:IzcoA0OT規模が違うからやっぱり元就が上だと思う。
それに元就のほうが長く活躍してるしね。
0306名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 14:21:52ID:nCtLKEap0307名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/15(月) 00:09:33ID:p+UXjroj信玄と晩年の家康どっちが上かってのに似てるな
0308名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/22(月) 02:33:29ID:vmvI6JQS経久の謀略、元就に看破されてるじゃん。
そのおかげで元就に離反されて安芸国内の尼子勢力かなり後退してるし。
0309名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/26(金) 23:02:44ID:znY/k5NT(謀臣ではないだろうけど)
日本人の軍師のイメージはやっぱ万能の天才としての演義の孔明だから
それに一番近いのは雪斎禅師ではないかと…
ちなみに主に領地をもらって統治をしてた武将を軍師と呼んでいいのか
という疑問もある…
0310名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 00:05:34ID:JNS0/dmN0311名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 00:18:26ID:AtXNoDwq0312名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 02:43:41ID:Gt6Jr7+50313名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 02:44:16ID:XjJWzgqc軍師と言う立場の定義によるな。
0314名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 20:32:31ID:9ab3x5aDぶっちゃけ主君以外でその家中で目立った武将はみんな軍師にしちゃえそうだ
0315名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/28(日) 18:26:23ID:C6xFa45C成り上がりっぷりが半端無い
まあそう言う意味では百姓上がりの秀吉が凄いってことになるんだが
尋常高等小学校卒で20代で不動産屋の社長になり、
総理大臣・闇将軍・資産800億円まで成り上がった田中角栄も神
0316名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 20:25:25ID:8CW6vRoh0317名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 23:00:54ID:38OODKv9松永弾正から、只者ではないと評された。
毛利元就辺りと同格かと。
0318名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/29(月) 23:16:16ID:5i73hBQG>松永弾正から、只者ではないと評された。
Kwsk
0319名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/30(火) 19:12:58ID:aSB1ANb+0320名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/31(水) 12:21:35ID:ZtJy18UHなんて指図できるには、重臣たちの軍議など必要ない、つまり合議でなく
全てトップダウンできる強権がトップに必要ということ。合議制の証左がたくさん
残ってる武田なんてのはまず、「軍師」など存在できる状況下に無い。
一般の企業を見ればわかる。重役がひしめき重役会での決定が社の行き道を決める
ような会社では経営コンサルタントなど入り込む余地は無い。実際、コンサルが
入れるのは中小企業だけだね。で、合議制のないトップダウン式の会社なんだけど
例えば信長みたいに強権でもって大企業を一代で起こすような社長は軍師=コンサル
なんかの意見なんざ聞かない。ここでも活躍の場は無い。
角隈石宗なんかは重臣連の意見を統一するため「神意」を用いた形だから、まあうまい
形かも知れんが軍師ではなくトップの意思の伝達に過ぎん。
竹中、黒田が一番軍師に近いのかも知れんが、それも秀吉家中で重役と呼べるほど
株式(領地)を持っている人材が居ない時期のみの活躍に限られ、実際黒田なんかは
後に遠ざけられてるしね。軍師が活躍って小説としてはおもしろいかもしれんが
実際は秀吉のような素人がフリーター集めて会社起こした初期に必要な「経営コンサルタント」
にすぎないと思う。後は全部お話でしょ・・・
0321人間七七四年
2007/03/05(月) 20:56:29ID:qn2Unwfl0322人間七七四年
2007/03/15(木) 22:50:50ID:9O7J7l68http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161774160/l50
0325人間七七四年
2007/04/03(火) 18:30:48ID:7waOciC2で、竹中半兵衛氏
黒田如水
この3人のうちのどれか
0326人間七七四年
2007/04/07(土) 15:05:30ID:xgTIQZdb角隈石宗は昔からの意味で軍師(というか軍配者)。
戦国時代初期以前の「軍師」というのは祈祷や占いを受け持つ人たちだから。山本勘助は参謀的なニュータイプの軍師で、古来からの軍師とでは意味が違う。
0327人間七七四年
2007/04/07(土) 18:32:25ID:9ZajywP1山本勘助なんて生存が確認されただけで、
何をやったのか事跡は一切不明の人物にすぎない。
0328人間七七四年
2007/05/21(月) 20:58:26ID:YkTGcslW0330人間七七四年
2007/05/21(月) 23:23:39ID:YQPG04G70331人間七七四年
2007/05/22(火) 00:03:55ID:uEe37pjA妻の父中山信正を暗殺 島村盛実を騙し討ち最所元常の男色に目を付け、岡某を送り込み小姓にして気を許させてから暗殺
0332人間七七四年
2007/05/22(火) 00:11:22ID:uEe37pjA妹の夫伊賀久隆を毒殺
金光宗高に難癖をつけ自害に追い込む
三村家親を鉄砲で暗殺
松田氏の重臣宇垣兄弟を狩りの獲物と間違ったと言い訳し暗殺
0333人間七七四年
2007/05/22(火) 00:29:41ID:uEe37pjA伊賀久隆と手を組み娘の夫松田元賢を攻め娘もろとも自害させる
書き忘れたが伊賀久隆も直家の妹をもらっている。妹は兄を恨んで自害した。
ついには主君浦上宗景の子宗次を岡山城で毒殺。
さらには宗景の兄政宗の孫久松丸を擁立し、ついに主君浦上を滅ぼす。
0334人間七七四年
2007/05/22(火) 00:39:53ID:uEe37pjA久松丸を擁立し主君浦上宗景を追放するが、もういらぬとばかりに母子共に岡山城中で暗殺。
病気と称し漁夫の利を得んとすること3回。
書き忘れたが、暗殺した浦上宗次は6女の夫。
難癖をつけ自害させた金光宗高は3女の夫。
謀略をつかい討った後藤勝基は4女の夫。
妹や娘の家を攻撃しまくっているが、皆悲しみのあまり自害している。
0335人間七七四年
2007/05/22(火) 00:44:35ID:uEe37pjA実際まだ半分ぐらいだが面倒くさい。
個人的に大河期待している。ボロクソに書いたが地元として愛着もある。
0336人間七七四年
2007/05/22(火) 01:16:08ID:Z8D7g4eWでもそれを出来るだけの実行力を有してたとなると忍者的な団体でも囲ってたんだろうか。
0337人間七七四年
2007/05/22(火) 03:02:36ID:IN+48vfx0340人間七七四年
2007/05/22(火) 13:56:21ID:y0Eyie/cしっかり見ても分からないんだが
そもそもやたら文章が下手だから何が言いたいか分かり辛いのもあるが
筋が通るよう解釈しても存在はしたが業績が分からないってのの答えになってない
0341人間七七四年
2007/05/22(火) 15:58:32ID:N+T40P9Yだがお屋形にうざがられて遠方に追いやられるとか
それに対する努力の方向性が生真面目な忠臣のそれでしかなかった
策士とは言えないね
0343人間七七四年
2007/05/22(火) 19:00:48ID:9AwvwMSV日本語になってない。
君頭悪そうだから、俺が代わりに説明しよう。
山本勘助がどのような活躍をしたか説明せよ。
山本勘助が存在した証拠があっても、それを説明できなければ
評価のしようがない。
重要なのは彼が何をしたか、ということ。
0344人間七七四年
2007/05/23(水) 02:45:18ID:T1exe+cm何をしたか?本に書いてあるじゃん。ウィキにも。
証拠ってなんだよ、古い書物が証拠か?それが捏造じゃないって誰が決めるんだ?大学の教授か?戦国時代を実際見た人がいないのに、正確な証拠なんてある訳ねーだろ。
0346人間七七四年
2007/05/23(水) 13:43:11ID:2z/mtUfkマジレスさせてもらうが史実とするなら何の資料に、どのくらい書いてあるか
つまりどれだけきちんとした根拠があるかが重要
誤った記述が多い、また資料が著された時代が下れば当然信憑性は落ち
著者の立場も鑑みる必要があり、新しい資料や解釈により覆る事も度々
というのが歴史の是非を語る上で知っておくべき大前提
実際に見たことあるのか、なんて完全にオコサマの理屈だ
で本題の山本勘助、大元の資料は甲陽軍鑑な訳だが肝心のこれも
他の資料とすり合わせて間違いが多く資料としての価値は低いとされている
他は60年代に発見された文書によってモデルらしき人物の名が見つかった程度
ここら辺の経緯はウィキペディアにもちゃんと書かれているはずだが
墓は根拠にもならないし戦国時代に描かれた絵なんて聞いたことがない
表面しか見えないのなら赤の他人が集うような場所に来るべきじゃないな
後どうでもいいが日本語云々は国語力がない人間への挑発文句だ
0347人間七七四年
2007/05/23(水) 15:07:32ID:T1exe+cm墓見てくれば実際に、絵ももねwwお前が知らねーだけだ禿げ。なにがマヂレスだ禿げwwww
0348人間七七四年
2007/05/23(水) 15:24:11ID:Mc7iLtMw0349人間七七四年
2007/05/23(水) 17:24:31ID:8aJU6Vlt>345をもっとよくよもうね。
0350人間七七四年
2007/05/23(水) 17:30:28ID:8aJU6Vlt>>347
>346をよく読もうの間違い。
0353人間七七四年
2007/05/23(水) 22:32:55ID:Z96SJT9J0354人間七七四年
2007/05/24(木) 23:03:38ID:NdyFWi6Z弟「兄とは言っても鎖帷子を着ないと不安((((;゚д゚))) 」
と、
弟「兄者ってヤベェし、会うときは鎖帷子でも着ないとなw」
兄「何を〜wこやつぅー(´∀`)」
兄&弟「アハハハwwww」
前者ですよね?
0355人間七七四年
2007/05/24(木) 23:11:14ID:LrArENYcっていうかむしろ彼にとっては>>349の方が良い、
>>346よりも先に理解しないといけないことだw
0356354
2007/05/25(金) 15:10:10ID:g+djBuxm332−335を書いたものだが、直家が病死したとき「殉死は自由」と言っていたのに
だれも殉死しなかったのを、直家の性格を表すときにつかうが、
これは子の秀家がまだ幼かったため、有能な家臣が殉死することは
宇喜多家にあって多大な損失、と考えた直家が戸川と策謀したというのが事実。
戸川「あのような極悪非道な主君のために殉死することはない」
と言ったそうだ。まあそれでも殉死する者がいてもいいんだが、
ひとりもいなかったんだから、家臣らも主君に日頃からおびえてたのかもしれん。
備前軍記参照、
0357人間七七四年
2007/05/25(金) 15:52:08ID:CjCJKbme信長の父信秀の頃から仕えていて、確か信長の教育係をやってたんじゃなかったかな?
一応軍師的なポジションだったって聞いてる。
0358人間七七四年
2007/05/25(金) 18:25:42ID:avz+fI1k0359人間七七四年
2007/05/25(金) 19:05:47ID:6rmhqpK7近年改めて再評価し始めたってのを知らないようですね、信憑性が無いのは
むしろ甲陽軍艦と比較材料にしていた資料や軍記者の方なんですよ
こんなことやっていれば後北条家なんて永遠に認められるわけ
ありませんよね、大河でも取り上げられるわけがない特に主役として
これも見得と建前の関東の文化らしさなの?
甲陽軍艦>>>>>>>北条五代記ets・・・・・
http://homepage3.nifty.com/yogokun/mimasetouge.htm
0360人間七七四年
2007/05/25(金) 19:50:58ID:avz+fI1k参考に値する引用が混じってるって話だったか
だが滅亡の件とか信に値しない記述が多いのは変わらんぞ
まるっきり全て偽書なんて誰も思ってないだろうし言ってない品
それに今回の話題には何ら関係ないだろ
山勘が他のまともな史料では確認できないのは変わらないし
北条マンセーなんて考えもしなかったがしなきゃらないのか?
0361人間七七四年
2007/05/26(土) 10:44:08ID:CMpCOf0F武田家の資料として残存する記録は少なく、ほとんどが信憑性に欠けるものばかりである。
広く用いられている書物として「甲陽軍鑑」が挙げられるが、これも相当脚色されており、
史実としてはアテにならない。
0362人間七七四年
2007/05/26(土) 11:40:14ID:5iviAdfR0363人間七七四年
2007/06/29(金) 01:14:13ID:B3tIEq2X■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています