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長篠・設楽原合戦の真実

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/17(月) 18:10:27ID:C+plg2A7
近年、多くの新説が提唱されている長篠合戦のスレッドです。
0569人間七七四年2008/09/04(木) 22:59:14ID:bKMlY1rU
>>567
ところで、日本の戦国史の通説が覆されまくっている昨今、
ハンニバルだのカエサルだのの通説って信用していいものなの?
0570人間七七四年2008/09/04(木) 23:00:53ID:0uavHQTo
>>569
もちろん通説はもう通用しませんよ。
0571人間七七四年2008/09/04(木) 23:30:20ID:3ZnXfiI5
>>569
古代ローマ時代の有名な戦いは、むちゃくちゃ「軍事関係者」が研究してるから、ちょっと日本のとは話が違うかも。

例えばカサエルのガリア戦記はナポレオンも研究論文出してるし、
カンナエなんて第一次世界大戦前から士官学校で最初に習うくらい。
0572人間七七四年2008/09/04(木) 23:35:03ID:0uavHQTo
>>571
日本の戦国史もそうだが、古代ローマの出来事も、昨今の考古学研究の進歩で、だいぶ様相が変わっているよ。
0573人間七七四年2008/09/05(金) 01:30:56ID:WrqY6Nvw
多くの武将が死んだのは柵の近くではない件について。
0574人間七七四年2008/09/05(金) 01:42:30ID:5nKgkDIO
>>572
とりあえず上のカンナエだのファルサルスだのってのは史実として信じていいんかな?
0575人間七七四年2008/09/05(金) 19:58:15ID:6ABbnWtx
まあ、なんだ。
俺は考古学ほど信用できないものはないと思ってるんだがな
あんなの科学ですらないだろ

科学が進歩する度に犯罪も進歩するみたいに
考古学も犯罪と似たようなもんじゃね?
これからどんどん旧説がぬりかえられつづけていく希ガスよ
0576人間七七四年2008/09/05(金) 20:15:19ID:pkMeJIpz
>>574
詳しくは知らんが、結構通説とは異なってるらしい。
その辺は軍板で聞いたほうがいいかもしれんが。
0577人間七七四年2008/09/05(金) 20:34:30ID:IOf/Yd29
>>571
軍事関係者って歴史は素人だから、研究の前提は通説によるわけなんだがw
0578人間七七四年2008/09/06(土) 00:39:44ID:cQRSlW7t
ナポ公はカエサルのガリア戦記に記された、
カエサル軍とガリア解放軍の決戦であるアレシア攻防戦の通説である
カエサル軍6、7万対ガリア軍34万というのを
地形や戦況の推移から見てありえない、と分析し
カエサル軍とガリア軍のアレシア城兵+救援軍をほぼ等しい、と結論してるな。
軍事の天才といわれた男だけになかなかシビアな分析だ。
0579人間七七四年2008/09/06(土) 01:49:28ID:NwU2LrUd
>>577
一概にそうとも言えない。特にイギリスの戦史科あたりとか
0580人間七七四年2008/09/06(土) 01:53:08ID:lOed7RdL
>>565
甲斐信濃みたいな山谷多い土地では戦車は使いにくくないか?
かといって低湿地帯や川の多い日本の平野部でも運用は困難
とマジレスしてみる
0581人間七七四年2008/09/06(土) 02:01:21ID:v1XjulGx
ドイツがソ連に攻め入ったはいいがきちんと舗装された道路が少なく進撃に
苦労したらしいからな。
0582人間七七四年2008/09/06(土) 02:18:44ID:y6tdixCV
ロシアは未だにきちんと整備された道路が少ない
0583人間七七四年2008/09/07(日) 03:12:54ID:hSnZ3xLz
ロシアの土壌は異常。
霜が解けただけで20pも泥に埋まる土は日本にはない。
真冬になると燃料や油も全部凍るので不凍液がないと
戦車どころか銃一発も撃てない。
だから歩兵はつねに銃を懐で暖めながら行軍した。
それでも凍ったらスコップで殴りあって戦ったとある。
0584人間七七四年2008/09/07(日) 09:00:38ID:wintIGnD
>>502
三方ヶ原の武田ってことは単純に考えて、長篠の勝頼にプラスして、
信玄が総大将、勝頼時代よりまとまった家臣団、兵力一万強多い。
確かに見ものだけど、信玄、信長の両者ともに回避して決戦には至らなそうだな。

>>516
のび太は義昭公の方がしっくりこんか?
0585人間七七四年2008/09/08(月) 01:42:58ID:zJv/ul9V
>>583蛮族だ・・・恐ろしい


のび太が義昭将軍なら
ドラえもんは信長
ジャイアン 三好党
スネ夫 三好党
0586人間七七四年2008/09/09(火) 15:11:41ID:oIgI/cTc
長篠の戦で武田家が大きなダメージを負ったのは確かだけど、武田領国の支配はさほど動揺を見せていない。
実際に滅亡の引き金になったのは高天神城の落城だよなあ。

長篠の戦を過大視するのは、徳川史観ならぬ、織田史観のような気がする。
0587人間七七四年2008/09/09(火) 15:27:46ID:7WXC6l7/
「高天神を制するものは遠江を制す」なんて言って過大評価しているのが、すでに徳川史観なんだが
0588人間七七四年2008/09/09(火) 15:27:52ID:8Tdn44Hu
徳川方が地道に地方勢力を取り込んでいった結果、最終的に高天神城落城につながったわけで、
”味方を取り込まれる”時点で武田勢力が見限られてた、と見る方がいいんじゃない?
少なくとも”豪族の取り込み”が徳川優勢になったのは長篠以降の話だから、
なんらかのturning pointではあったと思うよ。

まぁ長篠以降、遠江に興味を持っていたのが徳川だけで、織田も武田も無関心だっただけかもしれないけど…
0589人間七七四年2008/09/10(水) 07:21:33ID:oycDrvRz
高天神の城は、武田軍が立てこもった状態で、
周囲は徳川が包囲しており、年貢がとれる領地を支配したわけではない。

この高天神の城には、武田軍の全領地から歴々の士が大勢入っていたが、
兵糧攻めで苦しんだあげく(周囲から米がとれないことに関係あり)、
勝頼の後詰めがなく(兵糧の補給もない)、
結局、ほぼ全員殺害されてしまい、勝頼は「面目」を失った、とある。
0590人間七七四年2008/09/10(水) 21:17:31ID:rwAKpgZ7
武田の騎馬隊はなかった
信長の鉄砲隊なんかなかった
長篠の戦いなんか無かった
せいぜい小競り合いの武田の犠牲1.000人程度

だってお、確かに歴史を繋げればそう判断せざるえないわな。
0591人間七七四年2008/09/10(水) 21:27:46ID:PG0awQ1y
ですよね。木曽馬なんてポニーみたいなもんだし遅いし
騎馬隊なんて戦場ではハンデにこそなれ得する事はひとつもない。
0592人間七七四年2008/09/10(水) 21:29:11ID:PubdSl+u
>>590
>せいぜい小競り合いの武田の犠牲1.000人程度

だったら武田の名だたる武将の多くが戦死せんわな。
対して織田徳川連合軍の重臣での戦死者はゼロ。
結果が全てを物語っとるがな。
0593人間七七四年2008/09/10(水) 21:46:45ID:xXBBWG1a
>>592
その後は高天神まで見殺しにするほど
威勢も衰えていたわけだしな。
0594人間七七四年2008/09/10(水) 22:05:50ID:oycDrvRz
織田、徳川軍でも、馬はいたが、乗馬するのを禁じられていた。
でも、例外が3人だけいて、指揮するために許可されていたためだが、
他が乗馬を禁止されていたために、この三人はとてもよく目立った、と
信長公記にある。
この場合の馬は、指揮台代わりだな。
0595人間七七四年2008/09/11(木) 00:55:15ID:skoiz/AM
屏風とかには馬に乗って背丈より長い刀振り回してる武将とかいるよね
0596人間七七四年2008/09/11(木) 00:56:28ID:qwcl/Om8
日本人葉に本場に乗って、平将門の時代から騎馬戦してるっつーの。
0597人間七七四年2008/09/11(木) 00:58:10ID:qwcl/Om8
変な変換になってる


日本人は日本馬に乗って、平将門の時代から騎馬戦している。
戦国時代に限ってそれがなかった、などと考えるほうがおかしい。
0598人間七七四年2008/09/11(木) 02:46:17ID:mPCBcdEU
新説が出たからといって,通説がすべて嘘だった式の考え方は危険だと思う。

長篠合戦屏風図が江戸時代に描かれたものだから、鉄砲隊も騎馬武者も
全部ウソだと決め付けるのはおかしい。
江戸時代と戦国時代の馬体に大差が無かったはずで、
戦国時代に騎馬武者が存在しないのなら、屏風が描かれた江戸時代の人々が
必ず騎馬武者はウソだと指摘するはず。
ただし騎馬武者のみで編制された騎馬突撃隊の存在は疑問

織田鉄砲隊の3000挺は信長公記の記述に改ざんのあとがあるというが、
改ざんか訂正かは印刷機の無い時代で判断できないと思う。
また織田方が徳川方に500挺を貸した記述があり
仮に織田方の鉄砲が千挺程度だった場合、半分の兵器を貸すとは
到底思えず やはり2000挺以上の鉄砲が織田方にあったと思う。
3段撃ちは疑問が多いが 装填された銃を取り替えながら発射した記述は
信長公記の今川との合戦の中にある。
発見された銃弾の数がごく少ないことも、合戦後回収されたり年月が経過し
土砂に埋もれたり、流されたりと説明はつく。

まとめれば 武田方の死者数が異常に多いこと、騎馬突撃隊
鉄砲3段撃ちなど疑問は多いが
長篠の戦いで鉄砲が大量に使われたこと
騎馬武者が存在したことは事実でしょう。
0599人間七七四年2008/09/11(木) 02:48:23ID:qwcl/Om8
>>598
鉄砲の数は、徳川方のほうが多かったという説もあるな。
0600人間七七四年2008/09/11(木) 13:55:39ID:1S7l8Vk/
織田・徳川連合軍の勝因は、鉄砲隊有利な地形、騎馬隊不利な地形、武田方の統制がしっかりしてない(勝頼と家臣)。
等など色々あるけど、やっぱ倍くらいの兵力差じゃないの?
本とかによっては、あたかも3000人の銃士が15000人の騎馬武者(全軍が騎馬武者)に勝ったような言い方をしてる酷いのもあるんだよな。


0601人間七七四年2008/09/11(木) 17:38:04ID:pDzrhcic
当時の鉄砲は、発射の煙がひどくても、モウモウと出る。
長篠の戦いは谷間で行われたのだから、稲刈り後にワラを燃やすがごとく霞んで
その中で、「いくさ場をとったりとられたりした」という一進一退の戦いが
行われたみたいだよ。
武田の本陣から見れば、前方にモウモウと煙りがたって、その中でバンバンと
猛烈な銃声があって、柵の前で押し合いへしあいの戦いが行われているらしいことが
見えたわけだから、そんな状況とあらば、
我も突っ込めと、次から次へと突撃したと思われる。
0602人間七七四年2008/09/11(木) 21:10:56ID:Jv8kTHer
そもそも騎馬隊がなかったとか言ってるトンデモおやじの言う通りなら騎馬武者すら存在しないじゃん
大笑いですね
0603人間七七四年2008/09/11(木) 22:15:59ID:UvuMDrBZ
武田に騎馬隊が存在したのなら、長篠以前から騎馬隊で戦さに臨んでいたってことになるな。
そんな史料あんのか?
0604人間七七四年2008/09/11(木) 22:48:49ID:0MeBvjFG
まあ騎馬隊じゃなくて騎馬武者としての戦闘ならあるわな。
0605人間七七四年2008/09/11(木) 23:26:54ID:bguQEv45
>>591は噂のトンデモおやじか
0606人間七七四年2008/09/12(金) 09:08:42ID:YiB+CfCo
日本の騎馬隊は機動歩兵と考えるべき
0607人間七七四年2008/09/12(金) 12:10:39ID:669LI7Sw
馬に乗って戦闘無理とか、誰かあのおやじを止める人いなかったのかな。
あいつ、どうやら自分の言ってる事が騎馬武者の否定になるって程度も理解出来てなかったフシがある。
てか、伝令とかも全部人足?w
0608人間七七四年2008/09/12(金) 20:30:37ID:cP7WRVqL
日本馬の馬格は確かに小さかった。
しかしそれだけで「戦闘に耐える騎兵なんて無理w」なんて即断することこそ無理。
鎧武者乗せて疾走も出来ないようでは、四つ足として失格ですって…
獣の体力を馬鹿にしてるんじゃないでしょうか。

ソ連軍騎兵の大挙突撃シーンがNHK『映像の世紀』にあるんだけど、それこそポニーみたいな
馬にすがりつくように乗っている。でもちゃんと突撃できている。
0609人間七七四年2008/09/12(金) 23:20:16ID:xhbwZeIM
その当時の日本の男子の平均身長が150cm程度だった事を忘れてるのではないか
この前の番組は酷すぎ
そこの所を全く触れてないのだからな
0610人間七七四年2008/09/13(土) 06:03:27ID:usPbjatr
アラブも昔のサラブもポニーサイズ
0611人間七七四年2008/09/13(土) 12:23:54ID:kTYnol1X
騎馬武者の存在は史実。

騎馬武者のみで編制された騎兵隊は?
騎兵隊を裏付ける史料が無い。
当時から騎兵隊は常識であり、一々記録に残す必要が無かった?
滅亡した武田家独自のものであり、武田家滅亡と共に史料も消えた?
史料に無いのだから騎兵隊は無かった?
0612人間七七四年2008/09/13(土) 12:42:41ID:pf+yVAnA
そうそう 日本の騎馬隊は機動歩兵と考えるべき
戦いでは降りて戦っていたはず

考えてみると3段の鉄砲で撃たれているのに何回も突っ込んで
騎馬隊壊滅なんてありえんだろ?どんなけ無能なんだ。
しかもめちゃ遅い木曽馬(ポニー)。


0613人間七七四年2008/09/13(土) 12:47:25ID:I+wMAFL6
>>612
いろんな説をごっちゃにして分けがわからなくなってるな君はw
0614人間七七四年2008/09/13(土) 13:22:29ID:c5wSNBSM
織田軍は傭兵の弱兵だから、武田と白兵戦やったら話にならん
だから土木工事を施して、安全な所から鉄砲という飛び道具で戦さするしかない
武田は織田軍が厭戦気味で弱腰だという情報操作に踊らされ、突撃を繰り返したんだろう
でなければ、主だった重臣がことごとく戦死しちまう惨敗なんて喫せん
佐久間信盛が寝返るとの偽情報を流したってのも効いたか
0615人間七七四年2008/09/13(土) 13:32:45ID:8RZIX7vP
戦国時代の平均身長は120センチ程度。
馬も小さく鉄砲で狙ってもなかなか当たらなかった。
鉄砲だけで勝つのは無理だろう。
0616人間七七四年2008/09/13(土) 13:36:29ID:I+wMAFL6
当時の日本人がどんどん小さくなっていってるなw
0617人間七七四年2008/09/13(土) 13:41:35ID:c5wSNBSM
>>615
大量の鉄砲隊を動員し、間断なく射撃すれば勝てる
信長は初めから武田とガチンコの白兵戦をする気など全く無い
0618人間七七四年2008/09/13(土) 17:40:06ID:8RZIX7vP
射撃界では常識だが、立った状態の人間を正面から撃つ場合、
身長180センチの人間の的となる面積を1とすると、身長170センチで0.91、身長160で0.75。
身長120センチでは0.17と格段に命中精度が落ちる。
馬に乗り伏した体勢になると0.04と的の面積がさらに狭くなり、しかも的は動く。
五輪金メダル級の腕をもってしても、もはや命中は不可能といえる。

近代射撃理論からは織田軍が鉄砲だけで圧倒的優位に立ったという説は到底受け入れられない。
0619人間七七四年2008/09/13(土) 17:43:04ID:I+wMAFL6
>>618
馬鹿だねえ。
火縄銃とライフルを一緒にするなよ。
0620人間七七四年2008/09/13(土) 18:50:34ID:9/ll7Na4
>>614
信長公記見る限り鉄砲だけじゃなくて足軽とかも出して戻してを繰り返して
打撃を与えてたみたいだが。
>>617
>>615は戦国時代の平均身長が120とかいってるからさすがに釣りだと思うぞ。
それから鉄砲も間断なく打ってたわけじゃない。
言ってみれば兵力の多い側(織田徳川。武田の2倍)が要塞にこもって兵力の少ない側(武田)が
突撃するという変則的な状況になって、兵力の少ない武田が順当に大敗した感じだな。
それでも5〜6時間くらい戦ってるのはさすがに武田というべきなのか。
0621人間七七四年2008/09/15(月) 00:05:29ID:s7WflugK
>>620
拠点攻める兵力が拠点守る兵力より少ないってどうなのよw
少数だから正面突破に固執したってことにもなりえる?
0622人間七七四年2008/09/15(月) 21:28:38ID:d3vv9gXG
織田の大軍の過半数は、柵よりもさらに後方に待機させてたのさ。
武田軍に見えないように隠していて、柵の前で武田軍と戦ったのは
主に鉄砲隊。
後方に待機させてた大軍が出動したのは、武田軍が崩れて敗走するときに
なってから。
0623人間七七四年2008/09/15(月) 21:42:04ID:QkziKtrR
織田家火繩銃軍は命中率を数で補い、指揮官も武田軍を徹底して引き付けてから発射の号令を出した。
そしてなによりも勝敗の決定的差は、武田軍の組織的行動力の無さ+命令系統の弱さ。
0624人間七七四年2008/09/15(月) 23:42:34ID:AuW65H/4
>601
今でも火縄銃の会みたいなのがあるが、煙なんてのはすぐに上に抜けてくからあんまりたいした
ことないと思うよ。少なくとも、視界をさえぎる、なんてほどではないはず。
0625人間七七四年2008/09/15(月) 23:49:52ID:M1nJot/K
>>624
当日の風の状況にもよるが、戦国祭りとかの、10〜20丁程度の一斉射撃でも
もうもうと煙が上がるよ。
0626人間七七四年2008/09/16(火) 00:24:24ID:RTAwI9gt
上がるんだけど、一瞬でしょ。
焚き火みたいに持続して上がるわけじゃないし、煙で戦況がわからなくなる、なんてことはありえないと思うんだ。
ましてや、鉄砲なんて接近戦になる前に撃つものだし、次のを撃つ前に前の煙は吹き飛んでる。
最近良く、煙の影響、みたいな説明を聞くから気になってるんだ。
0627人間七七四年2008/09/16(火) 00:39:03ID:j8tJ8pXb
>>626
何百丁何千丁が、一斉に、しかも間断なく撃ち続けるんだよ?
タバコの煙ですら、屋外でも数十人が一斉に吸えば、もうもうとした状況になる。

火縄銃の煙もよほど強風でない限りは、相当の煙が充満するでしょ。
0628人間七七四年2008/09/16(火) 00:44:21ID:wX0FWhW0
篭城してて鉄砲撃ってると視界悪くなるから弓矢に替えたとか聞いた事無いな
0629人間七七四年2008/09/16(火) 00:56:34ID:RTAwI9gt
>>627
何百丁が撃つときはそれなりの広域になるでしょう。
1〜2m間隔で並んで撃つとして、やっぱりそんなタバコの煙的な凝縮した範囲のような
モウモウにはならないと思うよ。
それに間断なく、っても実際は1分に1発ぐらいのものでしょう、やっぱり煙は上にぬけていく。

ちなみに、地元の火縄銃は毎年のように見てるけど、煙なんて一瞬なんだよね、やっぱり。

さらに言うと、鉄砲と言うのは開戦の初期、接近戦の前に相手を崩すために撃つものだから、
戦いの間中撃つ続けるものではない。
接近戦になったら使えないのは弓同様で、そういうマニュアルは源平あたりからものすごく
優秀で洗練されてる。
少なくとも、間断なく、と、充満、というところに違和感を感じる。
悪いけどね。
0630人間七七四年2008/09/16(火) 01:20:59ID:mtJlwJVe
>>629
”発射の煙にまぎれて切り込み”は、細川家の軍法書にも書かれてるくらい当時では一般的な鉄砲への対処方法なのよ。
つかマスケット銃を使う距離はものすごく近いので有効だったんじゃないかな。

その射撃距離は10-15mくらい。
例えば、関ヶ原の島津の話(関ヶ原御合戦進退秘訣)では、
直政の軍との距離が4、5歩の距離で、久保七兵衛の名乗りを合図に鉄砲発射→切り込み、としたとあるよ。
イギリス赤服隊でも「白目が見える距離で撃て」というのがモットーだったくらいで、
これは、マスケット銃の戦術としては共通だったと思う。
0631人間七七四年2008/09/16(火) 01:49:01ID:2MkKihf1
お祭りの火縄銃を見て「〜思う」て。
0632人間七七四年2008/09/16(火) 10:59:11ID:RTAwI9gt
>>631
たぶん知らないとは思うけど、火縄銃の研究はすごいし、戦国当時とほぼ変わらない状況を
作り出してますよ。

そこまで近づければいいけど、実際はそうではなかったのではないか。
射程も3〜50mはある。
これは正確性よりも相手の出足をとめるため、隊を崩すため、なので十分に効果がある。

どうあれ、鉄砲の煙が出ても一時的なもので決して後方の丘から見て「戦況が把握できない」
というほど持続的かつ充満状態にはならないだろう、というのが主張なんだけどね。
それと、「4,5歩の距離」というのは本当かな。
たぶん、布陣とか根本的に違う種類の戦闘で用いられる戦術じゃないのかな。
0633人間七七四年2008/09/16(火) 12:34:18ID:2MkKihf1
勝手に主張してろよ
ド素人が
0634人間七七四年2008/09/16(火) 13:23:47ID:mtJlwJVe
>>632
>実際はそうではなかったのではないか。
…その新説は良いけど、そういうやり方だった、っていう根拠を示さないと”妄想”としか……
あなたの新説のような当時の戦闘でおこなった記録を見つけてくるのが早道かと。
ぜひ、それをここに報告してくださいね。

>「4,5歩の距離」
一次資料は明記してるので自分でご確認くださいな。
0635人間七七四年2008/09/16(火) 14:28:25ID:wX0FWhW0
四五歩の距離でしか使えないなら鉄砲って意味ないよな
重いし連射利かないし
面白い奴いるね
0636人間七七四年2008/09/16(火) 16:05:15ID:DqwdWUZO
火縄銃で殺傷能力があるのは4メートル以内と実証されてるからなあ。
鉄砲と柵だけで勝てるほど甘くないっしょ。
やはり織田軍団そのものの頑張りが大きかったというほかない。
0637人間七七四年2008/09/16(火) 16:06:52ID:j8tJ8pXb
>>636
どこでそんな実証されているんだよw
0638人間七七四年2008/09/16(火) 16:27:37ID:md1G/t18
信長は桶狭間の戦いで鮮やか過ぎる奇襲攻撃で勝利を治めたが
周囲が同じような奇襲を進言しても「絶対」に聞き入れなかったんだとさ。
桶狭間はもう本当にどうしようもなく、他にこれしか策が無いからこそ
断行した作戦であって、信長は戦後「あんな危険な戦法は二度と取るべきじゃない」と
言ったらしいじゃないか。
だからそれ以降の信長は敵と戦う時は必ずといっていいほど、敵より大兵でもって
つまり兵数で上回るまで準備をして、戦いに挑んだらしいからな。
0639人間七七四年2008/09/16(火) 16:33:27ID:j8tJ8pXb
>>638

1:桶狭間は奇襲ではない

2:信長は少人数突撃はしょっちゅうやってる
0640人間七七四年2008/09/16(火) 16:34:20ID:md1G/t18
>>639
スマソ・・・・
釣って来る・・・・。
0641人間七七四年2008/09/16(火) 16:39:01ID:RTAwI9gt
>634
いや、新説もなにも島津の記録では「4〜5歩」となってるだけで、その他全ての戦国の戦闘が
「4〜5歩に近づいてから発射した」わけではないでしょう。
鉄砲にさきがける弓矢の戦術でも、越矢横矢指矢その他いろいろ目的別の狙撃、威嚇の手段があって
任意の戦いの史料に「これこれこういう戦術を使いました」と明記されてなくても、当然鉄砲もそういう12世紀
ぐらいから伝わる様々な戦術を応用したことは事実だろう。

史料中心主義の方は、はっきり史料に明記してないと「認めない」というのだろうけど、戦国期の合戦の
鉄砲の使用法をすべて島津の史料で解釈するのはどうかと思う。
もちろん、その史料が間違ってるとか、そういう戦い方がなかった、というのではなくて、あくまで
戦いの開戦の初期、の話ですよ。

「まず4−5歩の距離まで近づいてから発射した、これはそういう一次資料にもある、まちがいない」
というのは、そういう戦闘もあった、戦術もあった、というだけで、ある程度大規模な戦闘、
このスレの長篠みたいな合戦においてはそういう使用法はまずされなかったろう、ということね。
ましてや、間断なく、充満、戦況がわからない、という部分的戦闘状況にもなかったろう、という。

史料を出せ、と言われてもね、まぁ、妄想でかまわないんだが。
とりあえず、持ったりしたことはあるし、兜甲冑とかも着用したことはあるぞ。
素人呼ばわりされたので、一応、現時点で普通に可能なぐらいの実地体験はした。ぞい。
0642人間七七四年2008/09/16(火) 17:32:58ID:UEamyYjG
現代の火薬は、「無煙火薬」ともいわれて、
火縄銃などで使われていた黒色火薬は、煙がすごかった。

大型の戦艦は、発射薬が黒色火薬なので、まっくろな煙がでた。
ttp://blog-imgs-11.fc2.com/h/d/p/hdphoto/20071112103645.jpg

武田軍もいきなり突撃ではなく、弓や銃の援護射撃のもとに、
一点に集中攻撃をして前線突破をはかったようで、
(長篠では、柵の南端あたりで、徳川軍がいる辺)
まず、銃撃、つづいて弓部隊とともに前進(火縄銃は歩きながらの装填が
とてもしずらい)、有効射程の100m付近まで詰めてから、
騎馬武者や従う足軽とともに一気に全力で走って敵陣へ突撃して、前線突破をはかる。
この間は援護射撃のもとで行われたはずだから、集中攻撃の際は煙りがかなり
じゃまになったと思われる。
夏の家庭用花火も、けっこう煙がでて、夜だから煙は見えづらいが、
風がなければ、白煙がもうもうと立ち、相当けむいよ。
0643人間七七四年2008/09/16(火) 19:00:47ID:mtJlwJVe
>>641
「その資料に書かれているのは、そのときだけの話だろ。他の戦いでは別」
…って言い出すされると、もう…… 否定する当時の資料も無いなら”仮想戦記”の世界ですな。

つか細川家の軍法書にも、銃は引きつけて撃て、と記述されています。
少なくとも、関ヶ原の時代には、野戦での鉄砲の使い方は”引きつけて撃つ”軍法が主流だったかと。
(コレを否定する資料根拠があるなら、ぜひお教えください)

あと現在のガンパウダー(黒色火薬)は工業的に精製した材料で作られたもので不純物はほとんどありませんが、
当時の火薬は自家製で、しかもその素材自体に多くの不純物が含まれていました。
それら不純物は煙の原因となりますので、そこらも加味した方がよいと思われます。
0644人間七七四年2008/09/16(火) 20:33:02ID:UEamyYjG
黒色火薬自体は、煙を出す火薬だよ。これはナポレオン時代でも
現代でも同じ。鉄にべったりとススもついて、これがつくとすごくサビやすい。

だから、黒色火薬に不純物を混ぜないように十分に精製した材料を使うという方法じゃなくて、
組成自体から違う火薬(ニトログリセリン系)に切り替わっているわけ。

不純物のあるなしにこだわるあたりは、まさに泡沫だな。
0645人間七七四年2008/09/18(木) 08:29:13ID:IUE82Ti6
馬防柵を引き倒そうと武田軍が曳き、織田軍が防ごうと支えて、
お互いへしあいして、相互の軍勢が4、5mの至近距離で銃をぶっぱなしまくった、
という光景を想像しているがな。(これは他人の説でもある)

超・至近距離で撃ったかどうかは、弾丸の凹みぐあいや、骨の砕け具合から判断する。
当時の塚を掘り返して、たぶん、弾丸は体の中に埋まったまま死亡しただろうから
骨と弾丸の損傷具合から、50〜100mだったのか、5mぐらいだったのか
判断すればいい。
もっとも、当時の雑兵の生活レベルからいえば、弾丸ひとつでも高価だったろうから
死体を切りきざんで、弾丸を取って売り捌いたかもしれないな。
そのときは、骨に残った傷から推測するのがやっとか。
0646人間七七四年2008/09/18(木) 08:33:25ID:IUE82Ti6
ヨロイの貫通した穴、というのも考えられないこともないが、
当時の合戦では、死んだ武者の装備品はすぐにはぎとられてしまうそうなので、
合戦場からは、刀などの武具はほとんど出土しないんだそうな。
0647人間七七四年2008/09/18(木) 08:43:29ID:BQwuqcBD
骨はバクテリアで解体されて土にならずに化石になってるわけですね?
わかります
0648人間七七四年2008/09/20(土) 17:14:13ID:iBCd76aJ
なんか昔に比べてスレのレベルが下がったな
0649人間七七四年2008/09/20(土) 17:25:13ID:cCfUfvmk
もうネタが完全に尽きたからな
0650人間七七四年2008/09/23(火) 01:00:57ID:LwwS99Ii
今、長篠は無かった!ていう番組やったんだが
先日も本で見たのと同じ「弾は?」という一番単純な謎が分からない
このスレではこの部分の解釈はどのレス?
0651人間七七四年2008/09/23(火) 01:29:13ID:vnG2hQgI
>>598
>>645
0652人間七七四年2008/09/23(火) 09:52:06ID:TzKH+94i
>>651
39

>合戦後回収されたり年月が経過し土砂に埋もれたり、流されたり
>弾丸を取って売り捌いたかもしれない
この辺はこの辺でまだ検証の余地はあるね
金属だからこんな短期間で溶けて無くなるのはありえないから
真剣にやっても無駄は無いと思う
幸い長篠古戦場は土地開発されてないからやりやすいんでは
ついでに他の戦場についても同様だなあ
0653人間七七四年2008/09/23(火) 17:05:19ID:6J49MyK6
うん、そうだね。
吉村教授のエジプト発掘でいうと、象牙を彫って作った人形が見つかったとき、
頭部が欠けていた。
で、周囲の土を片っ端からフルイにかけて、根気強く探すことを繰り返した末に、
直径1センチぐらいの頭部を発見し、見事にそれはクフ王の像であることが判明した。

という具合に、長篠の土を片っ端からフルイにかける必要があるかもな。
だが、超重労働なので、トラクター装着型のジャガイモ掘り器やサトイモ掘り器の
網目を細かく改造して、石取りを根気強くやれば見つかるかもしれない。

またはせっかく水田なのだから、泥水にして吸い込んで、網目を通して
よりわけるか。
0654人間七七四年2008/09/23(火) 17:14:00ID:6J49MyK6
長篠古戦場の遺物の写真等
ttp://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/1,6627,118,664,html
0655人間七七四年2008/09/25(木) 08:14:54ID:nak651rE
毎隊有十銃、若分両層、毎層五銃。
若分五層、毎層二銃。若不分層、十銃一列。(戚継光「紀效新書」)

ちなみに、下の記述を見る限り、「早合」っぽいものは無い。
銃歌
一洗銃、二下薬、三送薬実、四下鉛子、五送鉛子、六下紙、七送紙、八開火門、九下線薬、十吸仍閉火門、安火縄、十一聴令開火門、照准賊人挙発。(同上)
0656人間七七四年2008/09/26(金) 00:52:57ID:WhcJIHCB
>>642
なんか旧陸軍の攻撃みたいだな、武田。
0657人間七七四年2008/09/27(土) 06:18:49ID:pccsxxiu
>>639
>信長は少人数突撃はしょっちゅうやってる
桶狭間以降では、天正四年の対本願寺戦で孤立した光秀らの救援に出向いた時ぐらい
釣りか・・・
0658人間七七四年2008/09/27(土) 16:03:32ID:L9bTb+zE
姉川以降と言った方がいいかと
原田がドジった時も半数くらいで戦ってるけどね
0659人間七七四年2008/09/27(土) 21:19:30ID:eq2RQcgk
刀根山合戦も全体としては大軍だろうけど、家臣が動かないため信長の直率の部隊で突撃かけている
0660人間七七四年2008/09/28(日) 02:43:30ID:uVVQxpXY
信長は常に敵よりも圧倒的有利な兵力を意識していたし
実践していたが、局地、局面において何度も単騎駆け的行動をとっていた。

例えれば 敵方の動員力五千にたいして一万の兵力で進攻したが
織田方の一部隊に敵が攻撃を集中してきた時、信長は少数で真っ先に
救援に向かった。・・・こんな感じ?
0661人間七七四年2008/09/28(日) 04:02:47ID:3CWDC8Tj
戦場では勢いも大事、みたいなことをカエサルが言ってるな。
この人も軍の集結を黙って待つよりは、少数でもいいから素早く動く、というやり方をよくやった人だった。
0662人間七七四年2008/09/28(日) 11:53:09ID:MkljSfdL
>>660
率先垂範を身をもって示したって事だ。しかも後から味方の大軍が追いつくという前提の上での行動。
己の命第一の信長は無謀な賭けはしない。
朝倉義景のように、重大な戦さでも自分は何もせず部下を派遣する愚図とは違う。
0663人間七七四年2008/09/28(日) 18:57:47ID:xPK7fVAG
「だったら、てめーが最初にやれよ」的な雰囲気はどこにでもあるからね。
身分制の社会とはいえ下克上の世の中じゃ、そういうのもあったかも知れん。
江戸時代みたいに上下変動があまり無いと別かも知れないが。
0664人間七七四年2008/09/29(月) 01:41:21ID:PJpZcXvt
>>662
朝倉家の体制として、当主が戦争に出陣しないので、これをもって義景が無能
とする根拠としては弱いと思う。姉川で朝倉景健が大将だったのも、別段変な
ことではなく、朝倉家の軍制当然。といってよい。
逆に、利根坂合戦の段階では軍役を拒否するような連中も出始めており、
義景が出なきゃならん状態というのは結構やばかったのではないかと思う。
0665人間七七四年2008/09/29(月) 07:35:28ID:Zp/Mek4h
戦国時代の男子平均身長は160cm近かったよ。
0666人間七七四年2008/09/29(月) 09:54:30ID:ab/xe7Ck
皆はセンゴク天正記でやっている長篠はどう思う?
0667人間七七四年2008/09/29(月) 18:16:10ID:vcSzKd6D
「この物語はフィクションであり、実在の人物、団体。事件等とは一切関係ありません。
実際に研究されている 歴史、文化、文学の内容とは異なることをお断りしておきます。」

じゃないの?w
0668人間七七四年2008/09/30(火) 14:04:10ID:N/Tk6Aql
>>664
当主でいながら間抜けな体制に拘泥されてるんだから十分に無能だろw
朝倉でも宗滴みたいな人は、家格にとらわれずその個人の能力で用いるべきだ、みたいな事言ってる
あれだけの家を受け継ぎながら自分の頭で何も考えられないで時代の移り変わりに対応できず滅んだ義景は明らかに無能だよ。

0669人間七七四年2008/09/30(火) 23:47:32ID:z68FcYme
んーと
スレタイをね
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