明智惟任光秀
通説には間違いが多いでござる。
勝頼が重臣の反対を押し切って決戦し、多くの重臣が絶望して突進し討ち死にしたとか。
酒井忠次が鳶の巣砦を落として退路を断って決戦を強いたことが勝因とか。
梅雨が明けて、鉄砲をフルに使いこなさせた武田の失敗とか信長の強運とか。
長篠城を落とすことは重要ではなく、織田との決戦を武田が求めていたことは、
行動から明らかで、ただ城を落としたいなら、地形の有利な鳶の巣砦でこもっていれば、
織田側には手を出せなかった。兵糧では敵地の武田よりも織田が有利にしても、
あの周囲に敵を抱えていた時代、織田側の方に異変の起こる可能性も高かった。
設楽原に来たということは武田が決戦する気満々でいたということ。
鳶の巣砦陥落は、主力が決戦で負ければ何の意味もない局地戦にすぎず、勝敗とは関係ない。
決戦なのだから、機動のできる梅雨明けを待って動いたのは当然。

本当のこの戦の本質は別のところにあるでござる。
武田がハンニバルのカンナエの戦いを狙ったのに対して、織田側はユリウスカエサルの
ファルサルスの戦いを再現したのでござる。

カンナエの戦いは、兵数が少ないカルタゴ軍がその代わりに両翼に騎兵を配置し、ローマ軍に中央は押し捲らせたものです。
ウィキより「ローマ軍の中央戦列は、ほとんどカルタゴ軍中央を突破しかけていたが、戦列両翼はカルタゴ歩兵が優勢であり、
その方面のローマ軍は前進することができなかった。この時点で、ローマ軍中央はV字になりつつあった。そこへ両翼のローマ
軍騎兵を壊走させたカルタゴ軍騎兵が後方を攻撃した。後方を付かれたローマ軍はパニック状態に陥って密集したために、
中央の兵は押しつぶされて圧死した。(中略)完全に包囲されたローマ軍は、逃げることができずに殲滅されることとなった
(中略)この戦から、特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は、包囲されたことによりパニック状態になり、
組織的で有効な対応ができなかったことにある。もし、ローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進し包囲網を突破し
左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる。」

これをやった名将がいたのでござる。ローマの天下統一を目指したカエサルのファルサルスにござる。