長篠・設楽原合戦の真実
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0263人間七七四年
2007/09/18(火) 06:09:23ID:sAy0it2v武田軍が滝沢川を渡って陣を構えた所は、山に囲まれ背後は川、前方には織田・徳川連合軍。
つまり背水の陣を敷いたんだよね。この時点で武田軍は戦うしかなくなった。
信長もこの時点で勝利を確信して
長篠との間三里余候、敵之備雖為節所、十八日押詰鉄砲放候、通路も不可合期候、却而擒候、此節根切眼前候
という、 敵は移動に不便な所に陣を敷いたから、勝頼を捕らえるか討ち取るかは目の前だよ〜って手紙を細川藤孝に送ってる。
んで、対する勝頼は同日に
然者長篠之地取詰候之所、信長家康為後詰雖出張候、無指儀及對陣候、敵失行之術、一段逼迫之躰候之条、無二彼陣へ乗り懸、 云々
敵はビビッて対抗の手段が思いつかず、陣に篭って逼迫した状態になってるから、攻撃かけちゃうよ〜って手紙を家臣の長坂光堅に送ってる。
だから鳶の巣攻略は長篠本戦の開戦には関係がないと思うよ^^
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