長篠・設楽原合戦の真実
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0124名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 01:25:56ID:MZXl0u1b設楽原って結構狭いんですよね。
山筋が二つあって、南が織田徳川連合軍、北が武田軍。そして設楽原の北には未だ落ちない長篠城と長篠城を見下ろす武田の5砦。
武田勝頼は長篠城攻めに当たって、裏切った奥平の征伐が目的。
徳川も救援に来ないわけにはいけないから、徳川の援軍が来ても勝てる兵力(1万7千)で出兵した。
長篠城は、三輪川、寒狭川に囲まれた野牛郭は防護が硬いが大手門付近は平地で防御力がとても貧弱。
城兵は500、本気で攻めたらすぐ落城すると思うけど、目的は徳川を誘い出し再び完膚なきまでに叩きのめし遠江、三河を武田の勢力下に治めること。
家康が援軍に来なければ遠江や奥三河の豪族は家康を見限り武田になびくだろうし、徳川の勢力を大きく削ぐことができる。
家康が援軍に来たら来たで、三方ヶ原の再現で完膚なきまでに叩きのめし今度こそは家康の首を取る。
と思ってたら予想に反して何と信長自ら大軍引っさげて援軍にやってきた。
ちょっと計算違いだったけど、信長家康を討ち取るチャンスかもしてない。しかも、設楽原に陣取って動かないし、多分うちにビビッテる。
大軍でちょっと手前の設楽原で陣築いてたら、うちがビビッて兵を引くと思ってるな。よし、裏をかいてこっちも設楽原に兵を進めたる!(信長ビビるぞお!)
おいおい、援軍に来て何そんなに厳重に陣構築してるの?マジビビッてるw。
さあ、こっちもまったり陣築いて我慢比べだ。三方ヶ原の恐怖を思い起こさせてやる!
・・・翌早朝、突如背後の武田5砦に火の手が・・・!?!?!?。
敵は、軍を二手に分けて挟み撃つ気だな・・やべえな・・挟撃されたら兵力少ないうち壊滅じゃん。
・・ちょっと待てよ、敵が兵を分けたということは、正面の敵は少ないんじゃ?
このままじゃ、どの道挟撃喰らうし、自軍の兵力と正面の敵の兵力が互角くらいだろうから、突撃したら突き崩せるかも?
うまくいけば信長家康を討ち取れるチャンス到来!川中島の逆再現だ!
で、突撃開始!。
実際は砦攻撃に回ったのは、織田徳川連合軍3万8千のうちの4千で正面には武田軍の倍の3万4千が防護陣地の中で多数の鉄砲構えて待ち構えていた。
そして武田軍惨敗。
てなことを、武田勝頼の本陣跡に立って考えてたんですよ。
設楽原って狭いし殆ど水田だし、殆ど用水路とは言え連吾川もあるし、連合軍の馬防柵もあるし。
こんな状況で寡兵で突撃したら絶対勝てないと思ったんです。
でも、武田軍が突撃したということは、何らかの止むに止まれない理由があると思ったわけで、それで上記のような
妄想にひったったわけです。
長文ごめんなさい。
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