設楽原の武田軍の背後は狭隘地。前進の時はここを越えて来ても、撤退時はこれを妨げる「死地」。
越えてもその先には鳶の巣5砦を陥した別働隊が。

退却戦で大被害は容易に想像はつく。
逆に考えれば勝頼は、この退却できない状況だったから、正面突破を仕掛けたかもしれん。

だが何故勝頼は、自ら逃げ道を塞ぐような行動をとったのか……
何かの理由で、おびき出されたか??