>>67
正則が自分一人で何かを為した事ないんだよ
賤ヶ岳は七本槍どころか実際には九人とその郎党及び貸し与えられた足軽隊つきでしかも勝ち戦の追撃戦
むしろ本陣が危険な時に活躍したのは同じ小姓組でも三成や吉継らが属していた先駆衆で実際にはこちらが
一番手柄として賞されてる。
紀伊攻めの時は新たに下った伊勢衆が。
小田原攻めの時は信雄ら濃尾衆が。
朝鮮陣の時は伊予河野水軍の残党が主軸で、正則の立場は秀吉よりつけられた軍監に近かった。
なぜかいずれも正則だけが特に大きな恩賞を得ている。
(いや、なぜかも何も親族に順ずる扱いを受けてたからなんだろうが)
岐阜城攻めはまさに大軍での力攻めだし、関が原本戦に至っては突出しすぎて壊滅の危機に陥ってる。
秀吉が尾張を任せたのは武勇を期待したのではなく、東海地方の豊臣家直轄領の年貢米の管理を一手
に任されていたように内政手腕を期待されていたと思われる。