戦国武将龍造寺隆信、戦死の際に所有 脇差しを初公開 県立美術館

 佐賀を拠点として活躍した戦国武将龍造寺(りゅうぞうじ)隆信(1529−84年)が、島原半島で勃発(ぼっぱつ)した
「沖田畷(なわて)の戦い」で戦死した際に所有していたと伝えられる脇差し(長さ52センチ)が、
佐賀市の県立美術館で初公開されている。27日まで。観覧無料。

 龍造寺隆信は、大友氏や島津氏と九州の覇権を競い、全盛期の1581年ごろには肥前、肥後、筑前、筑後、豊前の
5カ国に勢力を拡大し、「五州の太守」と称された武将。1584年、島津・有馬氏の連合軍との合戦に敗れ、非業の死を遂げた。
脇差しは、隆信を討ち取った島津家家臣・川上忠堅(ただかた)の子孫が代々受け継いできたもので、昨年末、関西に住む川上家から県に寄贈された。

 会場では、隆信の肖像画や着用したと伝わる甲冑(かっちゅう)なども展示している。同館=0952(24)3947。

=2009/12/21付 西日本新聞朝刊=
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/141933