刀狩りまでは農民も商人も普通に帯刀(二本差し)してたんだけどね。
婦女子も普通に護身用、御守りとしての刃物は持ってたし。
武装敵対がけしからんといって、大量虐殺は如何なものか。
当時は捕虜にしても買戻しや領民の返還、降伏すれば助命が慣わし
だったのに、信長以後は却って抵抗勢力が凶暴化したのが史実だ。
功罪両面とはいえ、本能寺での憤死も自業自得のような希ガス。