◆切支丹◆ 高山右近 ◆利休七哲◆
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/12(水) 16:05:08ID:OLmTLQyr代表的なキリシタン大名でもある
高山右近について語りましょう!
0085人間七七四年
2008/08/22(金) 10:41:12ID:9J0PmAYf0086人間七七四年
2008/09/06(土) 15:37:11ID:JjUNHfxc0088人間七七四年
2008/09/26(金) 22:07:44ID:rOdvjcn6という坊主あがりの医者を知ってるか?
0089人間七七四年
2008/10/14(火) 15:30:16ID:QV/etZmz0090人間七七四年
2008/10/28(火) 14:20:58ID:GXp4E1u60091人間七七四年
2008/11/13(木) 15:19:39ID:lIgfdLDy0092人間七七四年
2008/11/27(木) 14:50:40ID:kBPOLal90093人間七七四年
2008/12/12(金) 14:56:16ID:gnMHpshc0094人間七七四年
2008/12/23(火) 16:25:41ID:WYP7ZfAB大政所に陳情に行っている。
うちの氏神様の神社も燃やされた。
明石の住民として高山右近にはかなり嫌悪感を持っている。
高槻では明石のような反抗運動は起こらなかったのかな。
0095人間七七四年
2009/01/07(水) 14:15:48ID:WY4JvlVC0096人間七七四年
2009/01/14(水) 15:16:45ID:+A8fmiaB古い寺社がないのは悲しいことだ。
このまえ、古代鴨氏ゆかりの三島鴨神社を文献で見つけて
楽しみにして見にいったが、社殿は昭和になってからつくられた
コンクリートで、近隣の伝統ある寺社もほとんど江戸以降に作られた
ものだった。
0097人間七七四年
2009/01/14(水) 18:26:42ID:MrbwwuaZ確かに今からみれば狂信的な変人。
ポルトガル語は会話、読み書き自由自在。ラテン語も読解可なんて大名は
キリシタンでも当時いなかっただろう。
当然最新の西洋文化は、宣教師を通じて彼の耳から他の大名に流れて行く。
茶の湯では、周知のとおり。
武将としても優れていた。
彼のキリスト教徒ばかりの兵は、石山本願寺戦、紀州攻め、で精強との評価を得ていたが
特に明智光秀との山崎の合戦では先鋒を勤め、決定的な勝利を秀吉にもたらした。
頭の回転が早く秀吉に可愛がられたし、他の武将との交流は夥しかった。
築城家としても優れていた。金沢城の石垣の多くは彼の作。
1万石で前田利家に招かれるほどだから、あながちその実力は本当だったかも。
以上は加賀乙彦「高山右近」、長部日出雄「まだみぬ故郷.上下」所詮小説ですから信憑性は。
前田家に仕官してマニラに追放されるまでは前者が、
和田家との抗争、荒木村重との経緯に関しては後者はとても詳しいですよ。
0098人間七七四年
2009/01/14(水) 19:47:45ID:MfeN0ess明智も細川、筒井、高山、中川が自軍として戦ってくれたら
秀吉と互角に戦えると考えていたんじゃないかな。
0099人間七七四年
2009/01/14(水) 20:23:11ID:fWe7gLjY0100人間七七四年
2009/01/14(水) 20:37:28ID:Rh/8n3XK豊能町にあるの。
あと、隠れキリシタンの里もある。
0101人間七七四年
2009/01/14(水) 22:29:15ID:DCwMsPWH結果もそうなった。
この間のキーパーソンが高山一族だったし、右近長房の父高山飛騨守はあくまで
荒木村重に賭けていた。
毛利、石山本願寺、加えて荒木村重と敵に囲まれた信長は窮地に陥り、
高山一族を引き抜くことを主眼として、イエズス会オルガンテイーノ
に涙目で右近の説得を懇願、なかなか埒が明かないとみると
最後にはイエズス会士処刑の脅しで右近を動かすことに成功した。
この時の右近は、父母、家臣にも悟られないよう深夜、極秘単身で居城を
抜け出し、信長のもとに行っている。
この右近の離脱で荒木村重の目論見は瓦解し
事の次第を察知した毛利の援軍は来なかった、とある。
0102人間七七四年
2009/01/15(木) 22:33:56ID:XXGjWHCS>に涙目で右近の説得を懇願
信長が涙目で懇願したのか。
高山右近ってすげーな。
荒木村重が信長と対等なくらいの大勢力とは知らなかった。
0103人間七七四年
2009/01/15(木) 22:40:26ID:XXGjWHCS謀反
天正6年(1578年)10月、村重は有岡城(伊丹城)にて突如、
信長に対して反旗を翻した。
一度は翻意し釈明のため安土に向かったが、
途次寄った高槻城で家臣の高山右近から
「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする」
との進言を受け伊丹に戻った。
ウィキには、こう掲載されてるんだが、
元々の原因も高山右近の親せきの中川清秀の物資横流しだし、
なにげに高山右近ひどくね?
0104人間七七四年
2009/01/15(木) 23:05:59ID:eoPQAHJiホントそう書いてあるね。
諸説いろいろだよね。
西本願寺に義理で兵糧を入れたことが信長にばれたとか、毛利、本願寺の
連係プレーだとか、この当時摂津一国は荒木村重が掌握していたから威張り散らす
信長のことが嫌いだったとか、佐久間親子追放を見て嫌気がさしたとか。
反イエズス会の本願寺と組むことになる荒木村重よりも、
イエズス会と近い関係の信長の方が高山一族としては組みやすいだろう。
ただし高山右近は、長男を荒木村重のもとに人質として送っていたので
苦渋の決断だった。
0105人間七七四年
2009/01/19(月) 16:06:07ID:QHjxd9Ft同じ播磨地方でも、黒田官兵衛は評判がいいし、
色々と伝承が残ってるよ。
地域の人たちからも愛されているし、寺院や寺は壊さないし。
小西行長もそんな無茶した話しは聞いたことがないし。
高山右近はむしろ例外的な人なんじゃないかな。
0106人間七七四年
2009/01/19(月) 23:33:46ID:Tqp6H8E1小西も、本人は大人だったが、家臣、下々の狂信者は
結構やってたらしい。
強制改宗が島原の乱で噴き出したが、その名残とか。
0107人間七七四年
2009/01/21(水) 21:52:05ID:k/KG1PWRその以前のは、燃やされちゃったから。
0108人間七七四年
2009/01/22(木) 13:14:41ID:09ho1nKP右近と一緒にマニラに追放された内藤如安も数奇な運命でしたね。
0109人間七七四年
2009/02/06(金) 02:29:12ID:ZyqIWLqdもちろん信長は高橋幸治、五右衛門は根津甚八だ。
0110人間七七四年
2009/02/06(金) 14:30:08ID:WPaJpFE30111人間七七四年
2009/02/19(木) 18:09:10ID:YULpJTn90113人間七七四年
2009/03/02(月) 04:16:27ID:enHA1WpO0114人間七七四年
2009/03/03(火) 00:29:25ID:phydadEB最新刊、伊達政宗出演の生CMさえ成功すれば
肝心の伊達の助命問題についてはわりとどうでもよさげなあたりが
大変ひどくて良いと思います>馬鹿義兄弟
0115人間七七四年
2009/03/03(火) 23:03:58ID:mMlqnjsD漫画板本スレでは「マニラで現地の人も食べない動物の肉を食べて死んだのだろう」ともっぱらの噂です
0116人間七七四年
2009/03/03(火) 23:58:51ID:4ZAWOJij0117人間七七四年
2009/03/16(月) 15:35:51ID:Kfzj+SlZ0118人間七七四年
2009/03/18(水) 00:35:38ID:ZzvC4oNr0119人間七七四年
2009/04/01(水) 14:36:31ID:gMWKzyjV0120人間七七四年
2009/04/01(水) 15:56:08ID:Fh6XaSTF0121人間七七四年
2009/04/15(水) 15:31:34ID:Gp4qlMot0122人間七七四年
2009/04/30(木) 14:58:52ID:0jfyJMOY0123人間七七四年
2009/05/16(土) 14:28:15ID:u2kAPHFd0124人間七七四年
2009/05/29(金) 14:20:09ID:vqZhVd8+0125人間七七四年
2009/06/11(木) 15:30:38ID:Co2yUCT20126人間七七四年
2009/06/11(木) 15:40:44ID:xjczqtyr0127人間七七四年
2009/06/23(火) 16:05:02ID:6+cKgGVB0128人間七七四年
2009/06/23(火) 19:38:40ID:UijoIcr80129人間七七四年
2009/06/30(火) 00:25:49ID:lXZAc+pq関ヶ原直後(!)に自ら呂宋へ渡るフリーダムぶり
史実通りに14年後に没したとしても
それまでにさぞかし南国ライフを満喫したことだろうと思う
でもせめて高岡城は作ってから行っておくれよー
0131人間七七四年
2009/07/15(水) 16:02:19ID:v+KAnkFi0132人間七七四年
2009/07/18(土) 16:10:38ID:o5fLes4V風林火山の山本勘助と双璧よ
0133人間七七四年
2009/07/29(水) 16:31:38ID:cKd0zfnI0134人間七七四年
2009/08/08(土) 14:56:49ID:mT2SIFME0135人間七七四年
2009/08/11(火) 22:09:43ID:MJWoHvJk0136人間七七四年
2009/08/22(土) 14:54:14ID:ivOTaZ2/0137人間七七四年
2009/08/26(水) 07:39:06ID:/w0ywfxu0138人間七七四年
2009/08/28(金) 21:15:12ID:yAyAIYvD0139人間七七四年
2009/09/09(水) 15:59:37ID:WBeMf/eM0140人間七七四年
2009/09/10(木) 08:25:55ID:EpmWrO170141人間七七四年
2009/09/15(火) 00:09:56ID:r8orS3Ay0142人間七七四年
2009/09/18(金) 09:02:30ID:gwr1i/sxhttp://terls.com/mono/src/star[9651].jpg
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0143人間七七四年
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0144人間七七四年
2009/09/28(月) 22:14:15ID:MARb2PZA万能タイプの武将です。
0145人間七七四年
2009/09/29(火) 05:47:25ID:UZNmIa1d0146人間七七四年
2009/10/09(金) 14:55:58ID:tWGd3wYx0147人間七七四年
2009/10/17(土) 15:36:52ID:CzuecPbf0148人間七七四年
2009/10/22(木) 00:55:21ID:mWpv8Mc9しかし、和田氏はかつて中島豊後守とともに岩室長門守を死に追いやった和田新助と同じ甲賀衆であったので、親戚関係がどうであったか明確にはしりませんでしたが、冷淡な扱いをしていた。
このため、信長は高山右近に対しても特別、処罰などは与えていなかった。
そして、いざ、高山右近が荒木村重を裏切って織田信長につくとなったときも、対面するまでは、変わり身の早い奴め、くらいの感情であった。
しかし、実際に会ってみると、高山右近は、
「主君である荒木村重を裏切りたくないが、それでも、自分の仲間や組織のことを思えば、裏切らざるおえない」
と、涙ながらに切々と語ったので、織田信長は、一転して高山右近に非常に同情的になった。
そして、「そなたに、このような難儀をかけたのは我に責任があることだ。」といって、かえって高山右近に謝ったので、周囲の人々は驚愕した。
その後、しばらく織田信長は高山右近を好意的にみており、播磨合戦での寺社に対する放火や破却も黙認していたが
敵対する寺社だけでなく、敵方ではない自国領の寺社まで破却したり、信長に対しても、心を開く素振りもなかったので、信長も、高山右近に対する気持ちしだいに冷めていった。
罰することはなかったが、重用して自分の傍におくことはなく、明智光秀の配下につけた。
0149人間七七四年
2009/10/22(木) 00:57:29ID:mWpv8Mc9あまり人間関係でも人と気安くすることはなく、ある程度距離を置く付き合いをしていたと思います。
京都や上方の人間は、そういう程よい距離を置いた人間関係を好みますが、
尾張人は仲間だとおもったら、本当に心を開いて、深く付き合いますから、
信長は高山右近の上方的な付き合い方を冷たい人だと思ったのではないでしょうか。
高山右近を明智光秀の下につけたのは、高山右近を戦上手と思っていたので、これから毛利と戦うであろう明智の下につけたほうが明智軍の進軍の助けになると思ったのでしょう。
また、高山右近を内政官にすると、管理している地域の寺社に危害を加えるかもしれないと思って、戦闘の最前線に配置すべく明智の下につけたのだと推測します。
0151人間七七四年
2009/11/02(月) 15:23:52ID:p6PZmuh/0152人間七七四年
2009/11/13(金) 15:44:47ID:UsyqzWu90153人間七七四年
2009/11/14(土) 23:09:10ID:NNs3v8A8近藤勇しかり高山右近しかり
0155人間七七四年
2009/11/18(水) 07:27:24ID:eW8FZK6B0157人間七七四年
2009/12/19(土) 19:52:58ID:2W+6lnqi0158仙台藩百姓
2009/12/19(土) 21:34:36ID:i9jkInIn0159奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM
2009/12/19(土) 21:56:44ID:LY3rFlON0160人間七七四年
2009/12/21(月) 20:47:56ID:IxvT4MDM0161人間七七四年
2009/12/31(木) 00:15:38ID:uJ1tiGFQ0162人間七七四年
2010/02/19(金) 23:08:43ID:q7wu1yiv武将たちがエロ話をしていても右近がやってくると皆黙ってしまう
0163人間七七四年
2010/02/26(金) 14:18:46ID:KoMIMLcuそれは信仰による所が大きかったのかい?
0164人間七七四年
2010/05/15(土) 15:15:09ID:g5Ennv010165人間七七四年
2010/07/25(日) 01:12:37ID:MHDSOZVo0166人間七七四年
2010/11/18(木) 16:09:33ID:65TvVfGq0167人間七七四年
2010/11/24(水) 22:46:01ID:idphoelvしかし、予告の「決して自分からは裏切らない」て……
0169人間七七四年
2010/11/26(金) 18:54:48ID:QLGxJSsb0170人間七七四年
2010/11/30(火) 14:56:53ID:nGhnFIQn絶対に裏切らない男として信長・秀吉から絶大な信頼を得たキリシタン大名・高山右近。
戦国時代にそんないちずな武将が生まれたきっかけは、兄弟のような親友との悲しい殺し合いだった。
さらに右近は信仰を守るか武将を捨てるか迫られると、信仰を選んで領地を没収され、最後はフィリピンに国外追放されてしまう。
そんな右近を救ったのは、かつて彼を裏切った仲間たちだった。愛を信じ、信念を貫いた武将の悲話を紹介する。
0171人間七七四年
2010/12/01(水) 10:05:22ID:zCcGRVVJ0172人間七七四年
2010/12/01(水) 19:07:20ID:s6TXsLCj実名以外で有名になってしまった人物としては、戦国では
真田信繁と双璧だな。
0173人間七七四年
2010/12/01(水) 22:03:09ID:N+iUCb2L0174人間七七四年
2010/12/02(木) 00:33:06ID:JuzDnGwD0175人間七七四年
2010/12/02(木) 00:39:01ID:hHvFueJRあと2人は誰?
0176人間七七四年
2010/12/02(木) 01:26:16ID:DfoKqmV4ガラシャの婿
0178人間七七四年
2010/12/02(木) 04:52:27ID:kBbZiMraクリスチャンであったことが命運を分けたな
0180人間七七四年
2010/12/02(木) 12:50:35ID:yBuZd+3I0181人間七七四年
2010/12/03(金) 00:56:55ID:cRvKkDKN第八条
皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、
国会の議決に基かなければならない。
0182人間七七四年
2010/12/04(土) 14:59:01ID:8yTST5h0疑惑って・・・w
犯罪者みたいw
>>179
キリシタンにはなっていなくてもキリスト教に好意的だった武将は意外と結構いる。
0183人間七七四年
2010/12/06(月) 13:40:46ID:vyQfu+gH色好みの武将にとっては窮屈な教えだったんじゃないかな、キリスト教って。
0184人間七七四年
2010/12/08(水) 19:35:00ID:AdXhE02s■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています