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【今川】2万5千で上洛【義元】

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 09:33:01ID:moIDIRko
武田では上洛は不可能ということになりました
では当時最強(こっちは本物)の今川義元では?
というスレ
0202人間七七四年2008/06/10(火) 07:00:25ID:OCiKoo9u
>>201
秀吉の場合、他家家臣を引き抜こうという意図もあったりして
0203人間七七四年2008/06/11(水) 05:47:06ID:1DZdwBvi
>202
「西の立花、東の本多」 って言葉は結構有名で、立花の方は家臣にする事が出来たんだよね?
>201
本多が東国一と言っている以上、(東)海道一の弓取は、秀吉によると本多忠勝ってこと?>198は家康のねつ造?
0204人間七七四年2008/06/11(水) 18:58:24ID:8qLvbh0x
>>203
本来槍働きは下っ端の仕事w
0205人間七七四年2008/06/12(木) 07:56:33ID:0ixOjcvT
>>203
たぶん、正解だと思う。
ただし、家康自身では無く徳川の御用学者の仕業だろう。

>>204
戦後の文民統治の感覚か、それとも平安以前の公家優先の感覚か。
いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。

戦国時代の武将にそんな感覚を当てはめない方が、有名な武将で武勇伝のない武将の方が少ないと思うぞ。
0206人間七七四年2008/06/12(木) 18:36:34ID:qpOVgHns
>>205
>いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。
本多忠勝のことをいってるんだがw
弓取を下っ端とは言ってない
0207人間七七四年2008/06/14(土) 06:00:02ID:0UGRzHuJ
>>206
弓を取って戦うのも本来下っ端の仕事。
弓取りが武将と言う意味を持つように、槍働きは武将としての働きの意味を持つ。
謙信や忠勝のように陣頭で太刀や槍を使い采配を揮う武将も居るが、後方で采配を振る武将より劣っているとは言えず、むしろ天才タイプの武将には陣頭指揮が多い。
忠勝は東国一と言われた武将、ただの槍の使い手と勘違いしているのでは?
0208人間七七四年2008/06/16(月) 19:02:46ID:+mqKctHs
流れ玉に当たったら場所によっては死ぬからな。
少し違うが井伊直政みたいにさ。
銃火器が増えた戦国後期に前に出るのは指揮官としては誉められん。
0209人間七七四年2008/06/17(火) 09:03:51ID:/JRf5B0u
流れ玉となると戦国末期になるけど、流れ矢まで考えたら、それ以前から言われたことです。
でも、無線機の無い時代伝令を走らさないといけない場所に指揮官が居るのと声が届く場所に居るのとの違いはとっさの時大きいそうです。
又、後方指揮と言っても最低戦況の見える位置(敵からも見える位置)に居なければならないので安全とはかぎらず、さらに戦に負けたらもともこも有りません。
全てを考え最も良い場所に居るのが良い指揮官でしょう。

ちなみに、謙信も忠勝も大きな怪我の記録はなく、戦場で傷を受けたことが無いと言う話すら有ります。
それに比べて、桶狭間山と言う後方で指揮を取っていた方は…
0210人間七七四年2008/06/18(水) 00:52:18ID:vr1v2Vkv
桶狭間の戦い自体は、義元はとっても大事に見てただろう。油断なんてほとんどなかったんじゃないかな。
尾張の本来の国力・経済力を考えれば、あのタイミングしかないってほど絶妙なタイミングだぞ桶狭間は。
信長にしては、まさか後詰であそこまで義元が大軍つれてくるとは思ってなかったろう。
0211人間七七四年2008/06/19(木) 21:32:26ID:s5+MwPdp
信秀も一度勝ってるよな?
この時は北条氏綱のおかげかもしれんが。
0212人間七七四年2008/07/01(火) 22:48:48ID:7OVx1TGx
ところで結局桶狭間のときの今川の兵力ってどうなの 25000で確定なのか?
領土的には70万石+尾張南部 同盟結んでいたし、金山や港もあったからいつもより多少多く兵を出せたかもしれないがそれでも25000に届くのか?
0213人間七七四年2008/07/01(火) 23:29:39ID:j9bdqrgy
2.5人役では無理。
でも戦国時代が2.5人役という根拠は無い。

例えば北条の軍役は大体七貫に一人、一貫が四石ほどとした場合、
28石に一人、つまり100石でおよそ四人。
しかもこれらは戦闘員・準戦闘員で非戦闘員は入っていない。
戦闘員と非戦闘員(+準戦闘員)の比は1:2くらいらしいので、
軍役の二倍ほどの人数は動いていたと推察できる。

よって25000の軍隊は動員できたと思われる。
ただし25000を全て戦闘員で、となるとそれは無理。
0214人間七七四年2008/07/05(土) 20:47:45ID:Z9yiwCQ6
いつも「1万石あたり250人」て決まり文句みたいに言うけどおかしいよね。
これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?
正史「三国志」によると人口、兵力は
263年の蜀が「人口94万人、兵力10万4千人」
280年の呉が「人口230万人、兵力23万人」
ていうから人口10人につき1人の兵士がいたわけだ。もちろん常備軍ではなく
兵役を課された市民も含めてだろうが。
戦国時代の日本人でも人口あたりの兵役適格者人数がそんなに違うとは思えない。
1万石あたり250人ていうのは最大兵力としては小さすぎると思う。
土地の肥え具合は各地で違うから石高と人口の比率は各大名で一定ではないと思う。
それに頻繁に戦をする大名は戦死者、負傷者を多数出すだろうし。
ともかく一律に「1万石あたり250人」とするのは無理があると思う。
武田信玄が上洛作戦で動員した人数が3万というのもこれが武田の総兵力ではない
と思う。だって徳川以外の隣国に対する備えだって必要だろうし。
0215人間七七四年2008/07/05(土) 20:55:44ID:2oIztn+T
>>214
> いつも「1万石あたり250人」て決まり文句みたいに言うけどおかしいよね。
> これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?

そう。だから「一応の目安」に過ぎない。
信長、秀吉の時代でも石高による兵制をとっていない。「都合がつくなら何人でも」って適当な体制。
0216人間七七四年2008/07/05(土) 21:12:28ID:sJ5lZLQx
明智軍記だと100石六人。怪しいけどこれがマックスでよくね?
0217人間七七四年2008/07/06(日) 01:00:19ID:K5CrtqJ/
>>216
つーか、一両具足って連中がいる(一領具足は土佐オリジナルの兵制ではない)から、
そう言う民兵的な連中集めればもっと動員できる。
0218人間七七四年2008/07/17(木) 18:46:19ID:+/qwXbRM
武田上洛スレの方では2.5人役は領土防衛用に余裕を残した動員としてるし、
後背に(一応)敵のいなかった今川家にはそれぐらいの動員が
可能だったということでいいんじゃない?
0219人間七七四年2008/09/19(金) 16:30:28ID:SLO0sQJV
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40013601&VOL_NUM=00001&KOMA=33&ITYPE=0

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三

0220人間七七四年2008/09/19(金) 17:10:17ID:OFx11GNo
100石六人これがマックス説に賛成。
1万石あたり500人というのも戦国時代にはあったらしい。
でもこれは城にこもる防衛戦だろうから、
尾張領への遠征軍となると半分くらいか。
0221人間七七四年2008/09/20(土) 00:31:19ID:mBsGkCu0
北条の軍役では3.5人役前後、ただし戦闘要員・準戦闘要員は入っているが、非戦闘要員は入れられていない。
明智の軍役では216の指摘どおり六人役、とうぜん非戦闘要員は含まれていない。

井伊家の編成を参考にすると、
軍勢における戦闘要員の割合は三割強なので、
軍勢の準戦闘要員+非戦闘要員は七割弱と推測される。

つまり25000のうち、7000ほどが戦闘要員。
仮に準戦闘要員が戦闘要員と同数として14000人、一段目よりこれが軍役に相当する。

今川領が七十万として、2.5人役で17500人、3.5人役で24500人、5人役だと35000人。
2.5人役でも3500、3.5人役だと一万人ほど留守部隊が居る事になるわけだ。
0222人間七七四年2008/09/22(月) 21:02:28ID:eqgTdBmZ
んはにしに
0223人間七七四年2008/11/25(火) 21:16:18ID:sbIvh4sc
age
0224人間七七四年2008/11/26(水) 00:40:56ID:Dw24Q4t3
狭い日本なのに、大軍でもっての上洛がいかに大変かは分かる
0225人間七七四年2009/01/02(金) 05:10:19ID:p6pZ4jRi
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0226人間七七四年2009/01/25(日) 10:39:39ID:J7v4alym
今川義元を姓名判断してみました
天格7  名門で家訓を守る、規律を重んじる家系
人格16 プライドが高く野心家で努力家 人を見る目は冷酷
地格17 芸事の名人 親子関係は争いが多い
総格24 おだやかな性格
外格8  話術が巧みで人懐っこい性格
0227人間七七四年2009/02/05(木) 18:47:49ID:LdWOSiTU
81 名前: 人間七七四年 投稿日: 2009/02/05(木) 13:54:30 ID:5aNh3mVt
>>80
今川も義光も家を滅ぼした点は同じだな。高家な点も。

やっぱり世間一般だとこういう意見なの?
0228人間七七四年2009/02/05(木) 19:01:07ID:33x2bLgY
世間一般ではそういう評価だろう。

実際どうかはともかくとして。
0229人間七七四年2009/03/19(木) 03:21:12ID:9xxnK9r0
sage
0230人間七七四年2009/05/10(日) 19:21:04ID:vf5z9son
ポイントゲッター朝比奈
0231人間七七四年2009/08/11(火) 22:01:50ID:IZxJQj8c
地震で城の石垣とか大丈夫だった?
0232人間七七四年2009/08/27(木) 00:00:20ID:g26+K7/e
>>207
いやいや弓が使えるのは代々の上級武士だよ
足軽は簡単な訓練で使えるようになる槍か鉄砲を使うけど
試しにどこかへ行って実際使ってみれば判るけど
日本の弓は熟練しなきゃ的に当てる以前に遠くに飛ばすこともできないから
それを使いこなすのは余裕がある人

今川義元を公家かぶれというのは泰平の時代の発想
「葉隠」(この作者も泰平時代の人だけどよく調べているから可)には
昔の武士は首となっても相手に侮られないように
あるいは雑兵と間違えられて討ち棄てられぬように
戦に出るときは化粧をしていたのに
最近の武士はそれがわからなくて
化粧を女々しいと思って身づくろいもしないと言って怒っている
義元はどんなに有利な局面でも死を思って戦に臨んでいたから
化粧していたんだよ
0233_2009/08/29(土) 17:04:17ID:l3FE5qBY
>>232
木村重成なんかもそうだね。
大阪の陣では、首を取られても良いように
用意はしてたと思う。家康もそれ褒めてたしな……。
0234人間七七四年2009/10/05(月) 00:31:32ID:/kv32cEV
伊勢長島だけでなく、小さな国人である丹羽氏勝が大量の最新式の鉄砲をもっていることを、信長も知っていました。
伊勢長島は、買った鉄砲を今川に売って、つねに商品を回転していたので、在庫としての鉄砲は常に最新式のものでした。
これはわかります。
しかし、丹羽氏勝ら小身の国人はどうしていたのでしょうか。
私は、これは丹羽らも鉄砲の販売で巨額な利益を得ていたと考えていました。
しかし、岩室の話によると丹羽ら、主要な物流ルートから外れた国人たちには販売ルートがなく、今川に安く買いたたかれることが多かったようです。
つまり、販路が今川しかないのですね。
せっかく、最新式の鉄砲を大量購入しても、すぐに新しい新製品が発売され、型落ちになった製品の値段は下落してしまう。
在庫が残れば赤字になります。
こんなうまくない商売なのに、なぜ、今川に接している国人領主たちは、このリスクの高い商売にこぞって手を出したのでしょうか?
そこには今川義元の最先端のマーケティグ戦略がありました。
今川義元は村山衆という富士の修験道の行者集団を、伊賀衆などを使って教育し、密偵として育成していました。
そして、先ほど織田信勝が宣言していた発想。
「最新式の鉄砲を大量に買い込み、新しい鉄砲が発売されれば、古い鉄砲は中古で今川に売って、その資金を最新式の鉄砲の購入にあてればいい、俺って頭良い!!!!」
という発想です。
実は、これって今川義元が村山衆を使って近隣地域の国人に触れまわったもので、織田信勝も、この情報戦略にひっかかったものでした。
「教養のないものや、知識のない小物などが賢げなことを言いだしたときは、まず、疑ったほうがよい。
それは、他国の宣伝工作を刷り込まれたものだからだ。
よって、彼ら踊らされている者どもは、自分は賢いと思いながら、異口同音に同じことを言う。」
信長はこう言ったので、岩室は非常に納得し。
「まさしく、そのとおりでございます。」と言ったようです。
これら、中小の国人には販売ルートが今川しかなく、今川は常に最新兵器をもっているので、
「中古の型落ち?うちはもう、最新兵器をもっているから中古はいらないなあ。」
「え?そんなこと言わずに買って?しょうがないなあ、おたくとは、長い付き合いだから、こっちも使い道ないけど、安くしてくれるなら、買ってあげるよ、やれやれ、損しちゃったな。」
などと言いながら今川の御用商人が型落ちの鉄砲を安く買い叩くわけです。
結果として、今川は、安い値段で大量の鉄砲が購入できる。
0235人間七七四年2009/10/05(月) 00:33:36ID:/kv32cEV
しかも、本来なら、鉄砲を伊勢中島の一向宗から購入した国人たちは、今川まで鉄砲を運んだ運搬料金を今川に請求すべきところなのですが、
中古のいらなくなった古い鉄砲を買ってもらうという立場ですので、今川方は運送料も支払う必要がない。
そんな中古の型落ちを今川はどうするのか?
今川の領土は縦に長く、その国境は武田、北条と隣接している。
今川は安く買った型落ちの鉄砲を少し高い値段で、北条や武田に売る。
それを武田や北条はさらに東国に少し高値で売る。
東国に行くほど、鉄砲の入手は困難で、情報も遅れているので、少しくらい型落ちの鉄砲であっても、喜んで高値で買ってくれるのです。
よって武田も北条も今川が売る少し高値の鉄砲を喜んで買うのです。
この独占的販売ルートによって、今川、武田、北条は飛躍的に肥大化しました。
しかし、このような構造を内包しているため、世間一般には武器販売について、いずれの国も公表していなかったのです。
このような戦略に乗せられるのを嫌った信長は、最新式の鉄砲を少しずつ買い増し、旧式のものも今川には流さなかったようです。


今川の
「常に最新式の鉄砲を大量購入して、最新式が出たら、古い鉄砲は今川に売って、常に回転させればいいじゃないか!俺って頭いい!」というキャッチコピー、流行、トレンドの開発、
「俺って最先端でイケてる?」という人々の優越感をくすぐる情報戦略に、おおくの国人が乗せられ、熱心に鉄砲購入にいそしんでいたようです。
結局、このシステムは胴元の伊勢長島の一向宗と今川義元しか儲からないようになっているシステムなんですね。
しかし、一部の大成功者である伊勢長島一向宗の情報を意図的に村山衆を使って、「みんなで金持ちになろう!」と煽るわけです。
鉄砲の弾と火薬をシャカシャカ振って、「現実を直視しようよ!伊勢長島の一向宗があんなに大儲けしてるんだぜ。」と吹き込んで人々を先導する。
(実は現実を直視していないのは、夢見る国人たちなのですが)
国人たちは、ネズミ講のようにそのシステムの中に埋没していきます。
そして、胴元である今川義元が桶狭間で討たれたあと、その胴元の位置を得たのが徳川家でした。
そして、長島一向宗が滅びたあとの、その胴元の地位を狙っていたのが、水野信元だったのです。
しかし、そんなことを信長が許すはずがなかったのです。

水野信元の殺害に関しては徳川家康も積極的に協力したようです。
武器を武田に横流しする謀反人として水野を討てば、長島、今川義元がもっていた両方の利権が手に入る。
まさか、後に自分が同じ論法で謀反の疑いをかけられるとはしらずに。
0236人間七七四年2009/10/05(月) 01:56:38ID:6N7JyzNC

風林火山の義元はかっこよかったな。
0237人間七七四年2009/10/07(水) 11:31:06ID:UlOiyDJe
西進したら周囲の城に目もくれず清洲を囲む→信長何も出来ず死亡
そのあと適当に斉藤六角討ってクリア
0238人間七七四年2009/10/21(水) 23:35:38ID:+tz37Fqh
軍事的動員を行うためには、その背景に経済力がなければならない。
明智光秀のように瞬間的に謀反を起こすことはできても、その背景に財政基盤がなければ、すぐに家来は離反し、滅亡することになる。
今川義元は半農反武の農民兵団が財政的余裕をもたないよう、農民たちの居住する土地に段銭という固定資産税を課税した。
これとともに、建物に対して、棟別銭という税金を課税した。
これには、防衛施設になりうるような巨大な屋敷の建設を抑止する意味もあったようだ。
このように、農民勢力に対しては厳しく管理し、反抗すれば専業軍人で厳しく圧迫したようである。
専業軍人である寄親は、今川家の軍事行動すべてを網羅するだけの兵数は保有しておらず、あくまでも指揮権と警察権の行使を主な役職としていた。
つまり、大多数の農民兵を束ね統率する立場であり、今川家においても兵卒まですべて専業軍人による軍事組織を形成することはできていなかった。
これは、今川義元が農民勢力を管理、監視し、軍事力によって服従させることが目的であるためで、織田信長が農民の生産性向上と民兵徴兵制から志願兵専業制に機構を転換し、よりより専業スキルの向上と民衆の安堵を願ったのとは、目的の方向性がまったく違っていた。

その反面、商人は優遇し、甲斐から友野二郎兵衛尉ら甲州商人を大量に呼び寄せ、甲斐への武器輸出などの商業活動を奨励したようである。
自由経済によって商業復興する反面、段銭、棟別銭などの不動産保有税固定資産税を商人たちからも徴収し、商人たちからも税金を吸い上げる仕組みを作り上げていた。
また物流業者に対しては、楽市楽座による物流の増大による収益の増加に伴い、公的通信の無料化を使役として課税した。
つまり今川家の使いによる通信、配達事業は無料で行うことを義務づけたのである。
これは、当初は軽い使役であったが、織田家との抗争が激化していくなら、物流業者の財政を圧迫していくことになったようである。
このように、今川義元は、一般に大名が農業生産物の年貢を収益としていたこととは別に、商業従事者などへの固定資産税の課税などによって商業利益からの収益の徴収、これに港湾使用料、関所の通行料など併用して、楽市楽座による物流の増大をフルに利用していった。


また、積極的に国内の鉱山調査を行い、金山開発を行ったようである。
そして、灰吹法という最新式の精錬法を導入し、積極的に金を採掘した。
皮肉なことに、鉱山開発を行うさいには、大量の燈明を必要とし、明かりとしての油を大量に消費した。
油の入手は油座を独占している隣国尾張の織田家に頼らねばならず、尾張攻略の軍事費のねん出のために金山開発を行い、金山開発を行うために大量の油を尾張から購入せねばならず、結果的に尾張を肥え太らせる結果になることを今川義元は非常に嫌悪していたようだ。
そして、油の専売のような古来の既得権益を激しく嫌悪した。
ここに、今川義元が積極的に楽市楽座を導入した精神的素地がある。

今川義元は、尾張の織田家を神道を盾に商業行為を独占する守旧派勢力と考え、嫌悪していたが、織田家、とくに織田信秀は駿河の今川義元を軍事独裁の圧政であると考えていたようである。
今川統治下の行政機構が極めてシステマティックな徴税機構によって形成されていたのにくらべて、尾張はずいぶんと、牧歌的であり、よくいえば融通がきく、悪くいえば、なあなあ主義で物事が進められていたようである。
0239人間七七四年2009/10/22(木) 01:18:33ID:1rYhN/2K
信玄の呼びかけに応じて朝倉浅井本願寺三好六角足利北畠が動く。
徳川はコテンパンにしており最早風前の灯火(笑)
糞弱兵の織田軍なんぞ美濃で軽く一蹴する予定なんでよろしこ♪

もちろん上洛したら諸勢力全員臣従してもらうけど(笑)
0240人間七七四年2009/10/22(木) 01:31:04ID:asa8b8aJ
信玄?
0241人間七七四年2010/02/20(土) 00:17:51ID:MKZwSFND
>>239
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         /:l lミミ     ::::.. 二フ´   l ヽ、.ノ ,'     
      ,.-‐フ:::::| |,ミ             l      /       
     /r‐'":::::::::| |ヾ        /__.   l    /      
 _,. -‐"i .|::::::::::::::::::',.',. \        ⌒ヽ、,ノ   /ヽ,_             
"    l ヽ:::::::::::::::::ヽヽ. \   _,_,.、〃  /l |    ___,. -、
     ',\\:::::::::::::::ヽ\  \  、. ̄⌒" ̄/:::::| |    ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
     \\\;::::::::::::\\  `、.__  ̄´ ̄/::::::::::l |   
0242人間七七四年2010/06/15(火) 19:40:17ID:vs9XTnF/
970 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/06/15(火) 09:15:10 ID:mj1RjUyt
「武田騎馬軍団の音響兵器」(民明書房)によると
武田軍は三方が原で、投石とブブゼラを使ったのが勝因らしい。
0243人間七七四年2010/08/14(土) 20:42:40ID:QTA19biq
三国同盟で後顧の憂いもないし、国力差ありすぎて斉藤は戦わずして道を開けるだろう
上洛の為の戦いかと言えば疑問だけど、結果的に上洛はしてたんじゃないかなぁ
0244人間七七四年2010/10/02(土) 05:43:52ID:/idoEyzT
永禄3年の尾張侵攻でそのまま上洛は流石に無理だけど
京へ至る途中の国は美濃・近江
義元は美濃の斉藤と同盟結んでたから上洛は可能
でも桶狭間の相手が悪すぎた
0245人間七七四年2010/10/02(土) 21:28:55ID:Qx0zMj/g
上洛は可能だろうけど、果たして維持できるか?
0246人間七七四年2010/10/04(月) 16:56:01ID:+MbPEfNR
上洛だけなら謙信でもしてるしな
0247人間七七四年2010/10/06(水) 07:25:40ID:51x/AD1m
>>242
攪音波催眠か。
0248人間七七四年2010/10/13(水) 07:03:23ID:7GB28xaj
もし今川が本気で上洛を望むならば、できるだけ戦わずに上洛する方法を考えたはず。
ということは、まず織田と話をつける必要がある。今川はそれをせずにいきなり西進して桶狭間で討たれたんだろうか。
織田との話し合いはあらかじめ出来ていた、と考えるべき状況証拠が多々ある。義元討ち死には、信長がその約束を反故にしたため。
0249人間七七四年2010/10/30(土) 08:51:01ID:UfPxtwqg
1つ思うのは太閤検地ベースで当時の今川家の国力が75万石。織田が
50万石。まあ義元は三国同盟のおかげで周囲に織田以外敵はいないが
織田には斎藤がいるとしてもそこまで一般でイメージされる程織田家と
今川家に国力差があったわけではない。しかも信長の美濃攻略は信長側
からいつも仕掛けており、逆に斎藤家は尾張より近江に興味があった節が
あるため、美濃攻略の手を緩めつつ今川に向き合えば膠着状態が続いて
義元寿命であぼんの図式が思い浮かぶんだが・・・。
0250人間七七四年2010/12/29(水) 19:49:10ID:8BG/Bz7u
氏康を河東一乱で破った義元はまさに海道一の弓取り

それに比べれば氏康は辺境の原始人
0251人間七七四年2011/01/20(木) 00:09:24ID:QNGteHY0
今川義元は天才だということは間違いない。
京を押えて日本全国に命令を発するという事は、当時信長しか考えていない
毛利元就でさえ領土は広げたが、京の事は何も考えていなかった。

0252人間七七四年2011/02/17(木) 21:18:43ID:Gfn2xLLS
海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?

秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0253人間七七四年2011/02/19(土) 09:57:35ID:GvQkrVem
雪齋亡き後の指揮官は居なかったのか
0254人間七七四年2011/02/25(金) 00:45:27.68ID:Oluh4EWQ
一個人の器量に頼らざるを得ない組織なんて先が見えてる。
太原 崇孚は「突出した極めて」優秀な人材だったが、それ故に今川は興隆し、没落したのだろう。
0255人間七七四年2011/03/21(月) 03:55:03.71ID:kbdc6v99
>>248
和議を信じて討たれたじゃあ情けなさすぎだろJK…
0256人間七七四年2011/04/01(金) 08:27:15.54ID:BxBeT5Np
>>249
当時の信長はまだ尾張の半分くらいしか支配できてない。
国力差は明確にある。
0257人間七七四年2011/04/25(月) 14:43:07.52ID:D8KcdpcQ
>>256 んなこたあない。
0258人間七七四年2011/05/05(木) 10:03:55.48ID:/6yZPRCa
>>256
尾張で今川の勢力圏だった部分は湿地帯でほとんど稲作の収入が乏しい地域。
農業・商業の所要な部分は信長はキッチリ抑えている。
つうか尾張商人が信長のスポンサーになって今川と戦わせたようなもんだからな。
自分たちの市場を奪われないために。
0259人間七七四年2011/06/05(日) 01:34:12.67ID:OojDeerQ
桶狭間の戦いは信長が仕掛けた戦でしょ?
自分から鳴海城と大高城包囲してんだから。
義元の出陣は上洛とか尾張支配と考えるよりも鳴海と大高の後詰めによる支配地の安定化じゃないかな。
もし包囲を見過ごせば西三河と尾張の在地領主の信頼を失って盟主としての地位を失うからね。
0260人間七七四年2011/06/05(日) 08:10:45.62ID:GLE2aYWI
あげてみる
0261人間七七四年2011/06/05(日) 11:59:01.31ID:SLmvIwP2
駿河15万石
遠江20万石
三河20万石
今川総石高55万石
55×300人=16,500人
2万5000もいないだろが、武田・北条への備えは0として
実質15000位で尾張制圧が真実だろ

0262人間七七四年2011/06/05(日) 12:21:16.60ID:Tu0mYYwU
尾張制圧だったらもっと反信長勢力とか知多半島以北の調略とかしてると思うんだ。
0263人間七七四年2011/06/05(日) 17:03:24.97ID:aMgNeCxq
今川が調略で奪った土地を、信長が砦で囲んだんだぞ。
だから兵を出しただけ。
上洛な歴史小説と大河ドラマのねつ造にすぎん。
0264人間七七四年2011/06/05(日) 21:10:51.25ID:ZLNMNZG4
 いくら信長の実質石高(港収益含む)が高いとは言え,やはり三国結んでた義元
の方がかなり有利なんじゃねえのぉ? オジキの道三も敵意むき出しの息子に殺され
ちゃってた時点で息子は上洛途中に命狙う程忌み嫌っていたから美濃の押さえは
どうしても忘れられない.織田5000VS今川15000位で調度いい様な。
0265人間七七四年2011/06/05(日) 21:22:48.45ID:OojDeerQ
その義元有利と思われる中、桶狭間の戦いに繋がる直接的な仕掛けをしたのは信長なんだよなぁ。
ちなみに道三と義龍の争いも信虎と晴信の争いも家臣(在地領主)の支持の問題なんだよ。
0266人間七七四年2011/06/16(木) 23:36:28.45ID:Lg99HgG8
太閤検地の石高を持ち出して、数字合わせをするのがゲーム厨の特徴。
戦国期に領国の生産力をすべて収奪できる支配者などいない。
敵を排除しても半分も搾取できないのが現実。
戦に勝つと支配地から自動的に税収が入るなど恐ろしい妄想。
「信長の野望」が多くのアフォを生んだな。
0267人間七七四年2011/06/17(金) 09:10:47.09ID:uE7cCzsw
と、講談の小説の知識をかかげてる者が申しております
0268人間七七四年2011/06/17(金) 12:02:16.08ID:/zKn+BvT
でも、〜万石あるから〜人の兵力を捻出できたはず。
という根拠も無い意見をよく見かけるが…、不思議で仕方ないw
0269人間七七四年2011/06/17(金) 18:14:52.57ID:NrUa4VW7
でも信長と信行が争っていたのは対今川の方針でしょ

信長は六角と同盟して内乱で弱った斉藤義龍を叩きたい
斉藤家は元道三派の残党や反乱分子が多くいた、ここと結んで内と外から叩く。そして今川軽視

信行派は慎重派で、道三が義龍に敗れて織田との同盟が破綻、
父信秀が勝ち取った斉藤家との同盟の存続、対今川に備える派

ここで織田家の方針が分裂していたと
問題は、斉藤家は巨大だが斉藤の親子争いで弱って動けなかった、この斉藤家なら潰せるし
潰せないまでも、攻めてくる体力ないから、今川斉藤両方を敵に回したいという信長
結果的に、信行効果で斉藤家の対織田をけん制できていた
そりゃ、織田家内で争っている時に、攻められたいたら織田家は滅亡していたよ
道三=信長、義龍=信行、今川は放置状態だったw
0270人間七七四年2011/06/17(金) 22:55:19.56ID:B3ncYHqb
最近テレビとかでも上洛とは言わなくなったね。
0271人間七七四年2011/07/29(金) 00:29:53.79ID:kOaw8BG2
今川って東国じゃ有名だけど、西国に今川の縁者は居たのだろうか?
0272人間七七四年2011/07/29(金) 08:38:57.16ID:tHFz5gYi
今川仲秋の家系が佐賀にある
0273人間七七四年2011/07/30(土) 01:43:33.52ID:RGgnt6yn
上洛のたしにはならなさそう。
0274人間七七四年2011/08/14(日) 14:28:22.70ID:ksAF1Dig
テレビだとわざとすぎるくらいマヌケキャラにされる義元
歴史ヒストリー(笑)
0275人間七七四年2011/08/31(水) 23:47:50.04ID:chfrL4Dq
尾張を制圧すれば、駿府、遠江合わせて3カ国。
圧倒的じゃん。上洛なんて余裕。
0276人間七七四年2011/09/01(木) 11:57:05.89ID:PXxVIFdM
まあ上洛なんて意識もしてなかったんだけどな
0277人間七七四年2011/09/02(金) 03:10:50.72ID:L2O1CS5q
2万5千総て戦闘部隊ってのはあり得ないだろうけど、
2万5千人の動員は可能だったんじゃない?

後方支援なんて農民だろうが町人だろうがあまり関係ないし…。
武田北条に備え置かないで総動員すれば割と25Kくらい動員出来そう

60万石の朝倉でさえ一揆勢に兵力割かない場合総動員で2万動員出来るみたいだし
無論これもあてになる戦闘員数は1万越えないんだろうけどさw
0278人間七七四年2011/09/02(金) 09:47:02.56ID:R5kAqKzS
むしろ武田・北条から援軍得られそうだがね
武田の西上作戦時にも北条が援軍送ってたし
0279人間七七四年2011/09/02(金) 10:27:41.84ID:Y5sC0jWl
>>275
雪だるま式だもんな 相手の領土を奪いとってブクブク膨れ上がった大名が天下統一するんだし
弱小勢力も雪崩式に傘下に組み込めるわけだ
0280人間七七四年2011/09/02(金) 23:14:51.90ID:9iCEckHS
>>276
尾張を制圧したら次は普通に上洛だろ。絶対。
0281人間七七四年2011/09/02(金) 23:42:24.91ID:zC+2xKW0
敵の領土制圧=戦力増強ってわけでもなし
制圧した国の人はホイホイと従ったりしないから根回ししないといけないし
合戦後の国は荒れてるから統治も大変
周りには斉藤、六角、浅井、三好と多くの大名がいるから事前に工作も必須
簡単に上洛なんざできません
普通に考えりゃ海路を確保して富国って感じかね
0282人間七七四年2011/09/03(土) 00:43:10.63ID:WyN3OTtZ
>>280
何が普通なのか全然わからない。
信長以前の戦国時代に将軍を廃して自分が天下人になるという発想自体がないのだから。
0283人間七七四年2011/09/03(土) 01:25:42.48ID:tMFmL00q
信長も当初から将軍を滅ぼしてなんて考えてないだろうな
0284人間七七四年2011/09/03(土) 03:18:23.14ID:t2uUOq+Q
そもそも義昭が近畿から追放された=足利幕府滅亡でもないからな
義昭追放した後も信長から京に戻るようにと一応は提案されてるし
0285人間七七四年2011/09/03(土) 10:32:34.23ID:Kmg1P4dm
鞆幕府として継続してるしな。
大樹公義尋を奉ずる信長政権より長持ちしてるわな。
0286人間七七四年2011/09/03(土) 11:28:32.09ID:APsTrRyG
できたんじゃないかな?
0287人間七七四年2011/09/03(土) 12:29:12.39ID:qrZ7rRxM
>284
将軍がいても京の支配を失えば幕府滅亡だよ
尊氏なんかは何回も幕府を再興してるw
0288人間七七四年2011/09/03(土) 14:51:42.01ID:iQaaJVWc
おいおい、足利の将軍が何度京都の支配失ってさらに取り返したと思ってるんだ?
0289人間七七四年2011/09/03(土) 15:30:51.46ID:qrZ7rRxM
>288
そのたびに幕府を再興しているw
0290人間七七四年2011/09/03(土) 18:47:09.93ID:jB3Zk5sQ
室町幕府は南北朝統一と同時に正式成立したと考えるのが正しい
それ以前のはあくまで北朝の一勢力。
0291人間七七四年2011/09/03(土) 22:55:05.56ID:kiO5SCQ6
残念だけど南朝勢力にそこまでの持続力は無かったような。
0292人間七七四年2011/09/07(水) 18:30:56.65ID:36ZpWsaF
>>283
最初は、傀儡政権を目指してたんだよな。
上手くいかなくて挫折したけど。
0293人間七七四年2011/09/11(日) 03:41:13.01ID:7C4iNWQL
今川では・・・天下は取れないよ
0294人間七七四年2011/09/11(日) 09:56:59.49ID:IDKKTBaC
駿河、遠江、尾張を手に入れれば、上洛なぞ余裕だろう。
0295人間七七四年2011/09/11(日) 14:03:41.54ID:3Q2jyITa
余裕なわけなかろう。織田信長ごときに首を掻き切られるヤツは京都につく前に逝っちゃうってw
0296人間七七四年2011/09/11(日) 17:03:41.12ID:IDKKTBaC
>>295
詳しくヨロ。
いつ、どこで、誰が?
0297人間七七四年2011/09/11(日) 20:02:02.83ID:FjPLgZLR
家康を先鋒としていたら中国四国まで攻め込めた
0298人間七七四年2011/09/11(日) 22:55:42.65ID:7pwoj9MT
何時の間にゲームの話をするスレになったんだ?
0299人間七七四年2011/09/12(月) 23:20:05.24ID:WoeXjWJl
名門中の名門だから義輝もさぞかし上洛を期待してただろうに。
0300人間七七四年2011/09/13(火) 00:39:54.43ID:nEx6Fc5v
義元「義輝を討ち取って、麿が将軍になるでおじゃる!」
0301人間七七四年2011/09/14(水) 01:38:42.15ID:7U4CrCIm
そして義輝に真っ二つにされる義元
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