【今川】2万5千で上洛【義元】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 09:33:01ID:moIDIRkoでは当時最強(こっちは本物)の今川義元では?
というスレ
0002名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 10:54:51ID:DAwPHjJ7もし信長を破り、尾張を制圧した場合は120万石ほどの大大名になるが。
0003名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 10:57:58ID:02Q3GPmwそういうのってとんと聞かないけど。俺が無知なだけって可能性も大だけど。
0004名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 11:22:25ID:WClm7kOt0005名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 12:09:01ID:1PVKybx9特にしてない
伊勢に対しては多少・・・長島の門徒に声かけたり伊勢湾の制海権掌握に努めたり
0006名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 12:22:29ID:WClm7kOt戦力差が桁違いなので、よほどの事が無い限り問題なく制圧できる。
家柄がいいのもプラスに働く。
0007名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 13:50:59ID:yc2KKZSJただ一気に上洛は無理だろう
尾張を早々に制圧すれば東海道に巨大勢力の出来上がり
家柄もいいし、先陣は家康だ
0008名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/08(土) 14:16:45ID:GUgiyw3Y実際に殺されて無理だったんだから無理。
歴史をねじまげる事は出来ない。
0009名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 01:20:49ID:V+tKZpzV尾張攻めだって長年続いた小競り合いの延長だし・・・。
ついでに織田に勝ったとしても即尾張を占領することは出来るのか。
まあ、斯波氏(もしくは織田宗家)を復権させて尾張を押さえるんだろうが、
織田(信長系列)の残党やら斎藤のちょっかいやら一向宗やらで領国経営まともに出来るんかい。
尾張に足場を固める頃には氏真の代になってるよ。義元は不摂生で寿命短そうだし。
0010名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 10:20:29ID:EcUONuSB大げさなこと言ってるなあ
0011名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 10:25:36ID:qOqsL5KO六角が今川方になると浅井が邪魔するだろうが、源流の朝倉さえなんとかすれば
すぐに上洛できると思うがな
上洛しても上杉謙信みたいにすぐ帰ってしまうとなにもならんが
義元は足利には目を置かなかったらしいから、そのまま三好・松永を討伐できれば
征夷大将軍だろうな
0012名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 15:02:50ID:i+beNE60>斉藤と六角は今川に従うって書面を交換してただろ?
してないだろ
0013名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 21:43:19ID:iJncqkVNその書面うp
0014名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 21:44:58ID:ZV58xkq10015名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/09(日) 22:33:26ID:JBzySAraそんなこといったら信玄上洛説も・・
まぁ所詮ifだし
0016名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 02:26:36ID:twaPLV/G尾張は今川家で直接統治するんじゃないかな。
三河でも吉良氏を立てた訳ではないし。
0017名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 21:52:00ID:PO1TbmLd義元は実際負けてるからなあ。
0018名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:01:46ID:d6eOm4K7あれはとりあえず運が悪かった
部下も信玄よりかはずっと優秀だしかなりいけそうだ
0019名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:08:11ID:tt7dlMWC0020名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:32:24ID:EYz4kBm2優秀な部下って誰のこと言ってるの?
太原雪斎以外に優秀な部下なんていたっけ?
家来ではなく部下って言い方がおかしい気もするがw
0021名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 22:36:27ID:psLLFSYh0022名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/10(月) 23:59:09ID:gVw7f3iD分裂状態の三河と違って、尾張は「織田一族」で一応まとまってるからな・・・。
今川直轄にしてしまえば今までいがみ合ってた織田一族が結束してしまう可能性が・・・。
0023名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/14(金) 10:25:26ID:5sZYVdlp一宮随波斎
0024あぼーん
NGNG0025名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/18(火) 21:33:08ID:dmm2RAWm0026名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/23(日) 16:34:59ID:01y1QBvF0027名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 16:08:16ID:NtLZAMum0028名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/28(金) 16:17:15ID:NtLZAMum家臣:「物見の知らせによりますと、浜名湖のパルパル辺りに…」
信長:「何ィ、既に遊園地パルパルにおるのか!?」
0029名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 00:30:14ID:70G7l/SR0030名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/29(土) 00:40:10ID:I766VseL「ウナギパイか!?」
「いえ、ウナギボーンに御座います」
「ウナギボーン…」
0031名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 10:09:03ID:0JL+Et5aパパはこれから京見物に出掛けるぞ
そちも来るか
そうか、蹴鞠の稽古がしたいか なら、お留守番じゃの
0032名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 10:28:38ID:uvMt9y9n>松平元康以下の三河武士団のことじゃないか?
って、後の家康四天王の事? 井伊直政や本田忠勝が、今川のメイン戦力になってたわけ?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/10(木) 10:44:38ID:MWzBVoz2003432
2006/08/10(木) 10:46:55ID:uvMt9y9n0035名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 00:12:14ID:rIWn3Ma4こんなところかな
0036名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 01:30:37ID:Iz0x+cbX小学館の学習雑誌の漫画で、義元が服部小平太を
一太刀で負傷させたシーンが印象に残ってる。
その印象が強くて、義元というとまず武勇の人というイメージが…。
実際、武術の方は得意だったのかね。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/11(金) 01:45:31ID:rYcDrZQd0038名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:00:19ID:VVdNE9+W大抵剣は使えるみたい
0039名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 02:58:26ID:g7qHRWkb0040名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 03:36:39ID:57nflqvL畿内には三好もいるしな。
石高でみると北条のがでかそうだな
0041名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 19:13:18ID:Fel3yK7W北条・伊豆、相模、武蔵、上野の平井周辺、下総西部、約120から130万石。
武田・甲斐、信濃の最北部以外の大半。約60から70万石。
明らかに北条が強いと思うわけだが
0042名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/12(土) 23:46:54ID:VVdNE9+W尾張さえ併合できたら間違いなく上洛もできるかな、と
余談だが今川氏自体は三好同様、堺阿波公方派だから義輝は怖いだろうな
経済的には武田と比べてどうなの?
0043名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 00:05:39ID:EEUBDJH9沿海商業の研究が進んでる上杉の例でいえば、直轄地の直江津と柏崎だけで、
津料(関税)が年間4万貫(4000万文)だったとされてる。
石高に直せば、1貫=10石として40万石。今川も沿海が史料にみとめられる
から、慶長年間の検地分と併せて軽く100万石以上はあったはず。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 16:32:32ID:NBoBqXCw0045名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/13(日) 17:52:42ID:ymq1jkRG上洛の為の地盤固めとして尾張を攻めた可能性があると思う。
なにせ、補給線が敵国のまま上洛しても物資の孤立を起こすだけ
ってのは過去に上洛した事例であったはず。
そうした教訓を活かさないとは思わない。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 11:32:41ID:+jZ3/i/S湊なんて、織田領にも普通にあるよ
0047名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/16(水) 22:49:15ID:m6neFQGC100万石クラスの動員は余裕でできただろうね
0048名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/20(日) 18:46:43ID:zYkrCSn/0049駿河朝比奈氏
2006/08/21(月) 07:56:22ID:g1PrgZgr(´・ω・`)ゞ
0050名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 01:57:28ID:dy4u1H0t0051名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 05:11:42ID:1lG/llCo武田は金山あるし織田は畿内の経済圏を支配してたし
毛利は銀山持ってたし上杉は直江津あったし。
…まあ、武田は微妙だなw
0052名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 11:19:50ID:H4fh1Oss0053名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 04:04:00ID:BlgQ+kVP北条は懐に余裕がありそうだな。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 04:37:08ID:sU42Z7+Y北条は石高以上の力は無いと思うね。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/04(月) 08:34:58ID:pdWyaLQ/というか地政学的に栄えないはずが無いんじゃ・・・
関東に何の産業も無いんじゃ栄えないかもしれんが
0056名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 19:27:35ID:dv8TKzLZ0057名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 22:02:36ID:UzKdflGk新説だと尾張をただ単に併呑したかっただけなんだよな。
よく考えてみたら義元が上洛に踏み出したなら、武田や北条が黙ってられなかっただろうしな。
0058名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:04:10ID:2OIYC7IHその後あたりかね?上洛を目指すとしたら。
その前に、やはり代替わりした武田とぶつかるかな。
0059名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 09:38:32ID:JvAr9xW/捏造記事?
0060名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/18(月) 14:23:11ID:XAOMSYbE駿河守、三河守と併せて尾張守になろうとしたってことなのかなあ。
でも、義元って実権はあっても名目上は隠居なんだから、そんな人が猟官
してもなあ。
仮に、義元が守護だとか国守の肩書きゲットに燃えていたんだとすれば、
今川氏は完全な戦国大名とは言い難いな。まだ守護大名っぽい体質という
ことになるんじゃないかね
0061名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 05:01:18ID:p5h/hh670062名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 12:26:53ID:8eUqgQ+W0063名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:09:25ID:rm9568G7信玄なんぞ比較にならない
0064名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 18:08:45ID:YpwFshi/雨の中、尾張勢が駆け下って突撃してくるイメージがあるがさ
0065名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 18:57:25ID:pHI8DzQD彼があと10年ボケずに生きていれば上洛も夢物語ではなかったのだが
0066名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 19:01:00ID:ZyM0MAyd一人の人間で終わるとは、
両家ともその程度なんでしょうが。
0067名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 19:16:33ID:vN+Pue2z個人の有能が非常に幅を利かせていた時代。
だから天才、異才、奇才が現れやすかった。
これは西洋東洋を問わず。
0068名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:09:00ID:LtqXpocM氏親の時の早雲(他国)・氏輝の時の寿慶尼(女性)・義元の時の
雪斎(僧侶)
氏真にはいなかったんだね。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:11:21ID:oifAJYM9戦国において制度や法による基盤整備は限界があるかと思う。
将や部下の器量との両輪とバランスが大事で、その辺のさじ加減が
難しい。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 21:13:22ID:Ny/qE6Tvこれから育つ芽はいくらでもあった
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 03:26:39ID:p+GHGC8v義元としては、「そこで元康くんですよ」って感じだったんだろうか
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 20:25:57ID:QzsRlMhD北条家みたいに、後中国地方は任せたよ、みたいになったりして。
早雲のように、下克上の代名詞みたいな男が今川家を乗っ取らな
かったのは、させない何かが今川家にあったのかもしれない。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 20:29:05ID:CJKEx7mc時代が早かったから
というのもあると思うけど
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 00:27:18ID:nMlzCx0J地方豪族程度の伊豆公方と違って、一拠点をのっとっても勢力が残ってしまうからではないだろうか。
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 22:28:05ID:DbIz9eum0076名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:33:13ID:hX976guf高ければ、それだけ、その領国の人口は多いわけで
動員兵力も多くなる。
ただ、金銀とか関税に場合、人口にプラスされるかな?というのがある。
石高だけが国力ではないのは分かるが...
農耕社会というのは、全般的にみれば
石高と国力はほぼ比例するものだと思う。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/06(月) 12:41:50ID:eGYMiKKrこれ、織田よりも先に
六角や今川が導入してたんだよね。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:58:54ID:hNlPgL9U薪もいるし、蝋燭、油、塩・・・いろいろ必要だし。
その流通をスムーズにする為に金は必要、それに携わる人達を養う農産物生産力も必要だけどね。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/08(水) 20:25:20ID:n28mU1QP信玄は信長を見たからその後釜を狙っただろうが、義元に関してはそんなこと考えるはずも無く。
上洛=天下でもないし。
でも有能な武将であったことは間違いない。
俺の中では、あの三国の中では義元>信玄=氏康だな。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 11:38:33ID:dMoY6eWQ尼子恒久と毛利元就と徳川家康を評価しているよ。
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 17:18:42ID:7LIg9cPbま、戦略ってのは目標を達成するか否かだから、その点を踏まえれば有力大名はみんなそれなりに優秀。
0082名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 18:32:55ID:pajD3B1Q今川の兵が既に移動してて周囲を探してたらたまたま義元の本体にぶち当たったとか、
降伏するって使いをやって、義元が進軍を停止してるところにだまし討ちをかけたとか、
いろいろ説があるよね。
馬で逃げるところを馬に流れ矢が当たって逃げられなかったとかいうことも聞くし。
ありがちなイメージの桶狭間を否定する意見は結構多い。
なにはともあれ、義元は不運だなって気はするよ。
そして、不運なヤツは天下には届かないだろうなぁとも思う。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 22:17:30ID:SWD2FsM6迎えられたんだろう?その手の記述に触れた覚えがないんだけど、
結構衝撃的だったのかね。
今現在の一般の人の印象としては、、
白塗りお歯黒で輿に乗ってるような武将は討ち取られて当然!
ぐらいなんだろうか。こないだのドラマ「太閤記」が放映された
ばっかりだし…。いくら娯楽作品とはいえ、あれじゃバカ殿…。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 16:53:39ID:sEWPYzFH疲れた兵に攻撃をしかれるつもりだった、というのは信長の発言からだな。
兵士に対して、「相手は疲れてるから云々」。
これは信長が勘違いしてたか、兵士にやる気出させるためか、どちらかだろうが、
前者をとるなら、そういうことだな。ちなみに奇襲ではなく、強襲ね。
「降伏するという使い」を出して、という説はありえんね。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 12:12:01ID:Zy0VL35/早雲が下克上の代名詞なんて説を今でもいってる人っているの?
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/15(水) 11:56:25ID:HN1cBzPk尼子恒久じゃなくて尼子経久。
経久の「経」は元の主君である京極政経の偏諱。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 09:47:57ID:58/dVxp+禅師自身が指揮した小豆坂の戦いを敵の息子に再現されたようなものだからシャレにならんな
後10年長生きして従軍していれば桶狭間の狭さにビビって進路方向を変えていたかもしれん
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/27(月) 19:53:11ID:pfOOJrvY桶狭間の地形は、今川も知っていた。
織田軍に包囲されていた2砦を救援するためには、桶狭間に入って行かざるを得ない。
0089名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/11(月) 21:25:54ID:A1hegTf40090名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 00:21:10ID:sL9bU1vc0091名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 00:39:41ID:pDk8ZE+i晴信にとっては、怖い兄貴だったからにゃ。
0092名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 13:57:38ID:hhoJN3/v0093名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 14:32:15ID:tLWpTLbm田楽狭間だろw
0094名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 18:07:06ID:ERzbPfOu0095名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/12(火) 23:41:51ID:C/YrlLsQ0096名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/14(木) 23:58:34ID:OjU+EqZv0097名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 05:41:38ID:hRLuL5q1簡単なことだったのかね。京に上洛した後の青写真はどんな
ものになってたんだろ。
0098名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/15(金) 19:16:46ID:Zm01aNfh管領でがまんしたかもしれんが。
0099名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/08(月) 01:38:18ID:6GsZ/rXVいつも端役だっただけに、どう活躍してくれるのか期待。
0100名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/10(水) 20:55:57ID:n2hJ+SlP義元の名誉復活なるか。
0101名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/13(土) 21:01:21ID:FQLrl4Eu足利家の誰かを擁立して、自分は管領で将軍を傀儡にして政治の実権を
握るんじゃないか?
書いて気付いたけど、信長と同じじゃないか
0102名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 12:10:17ID:oL8PdFVb0103名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 15:02:02ID:ppc/i+yrそうそう、理解不能な勝敗結果の辻褄を合わせるためにトンデモ仮説が頻出したけど、
その最たるものが明治時代に何の脈絡も無く妄想された
「桶狭間じゃなくて田楽狭間で合戦が行われた」説なんだよな。
0104名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 18:49:26ID:XXt/iEWW今川は足利一門なので、氏真を義輝か義昭の養子にして、次期将軍にすると思う。
そうすると義教がやった、幕府直轄軍(駿河・遠江・三河・尾張)を持つ将軍
が現れる。
0105名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 20:01:12ID:0+ithyRG信長みたいに岐阜を本拠地にして、基本的に何かあれば出撃というやや離れた体制が一番効率的なような
少なくとも駿河からじゃ遠すぎる
0106名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 20:52:48ID:XXt/iEWW駿河に義元がいて、京に氏真みたいな。
0107名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/14(日) 22:05:42ID:kRPJhQXj0108名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/16(火) 00:30:54ID:s0ZLUgIu0109名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/17(水) 15:12:07ID:dQ7aiFaQ尾張徳川家かな?
0110名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 01:22:28ID:L/Evl2cgとなると、江戸時代に例えると、どこだろ。
0111名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/18(木) 02:00:07ID:L/Evl2cg今川家から義輝に嫁を出して
その生まれた子供を将軍候補にするってのもある。
でも説得にかなり時間くいそう
0112名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 03:55:09ID:3KK038sG0113名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 20:09:34ID:8pGmaYIj0114名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/19(金) 20:15:07ID:FIulHnZr武田とかも協力するだろ。あの同盟の時点で長尾サンとドンパチやってたし
0115名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 05:15:02ID:uyLqdogBやることは三好長慶と同じようなことする感じだろうね。
副将軍みたいな特別職を作ってさ。
ただ問題は、大兵を率いて上洛するとなると理由が必要になる。
上杉謙真が大兵を率いて上洛した時は義輝からの要請。
信長の時は義昭から要請をうけたもの。
義元はどんな大儀名文で上洛するのか。
0116名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 11:44:12ID:QEfLULzE0117名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/20(土) 14:23:33ID:A4CFY3jw上洛する理由とするにはちと足りないかと。
松永と三好らが義輝を討った時に義元が生きていれば
足利一門として将軍殺害の悪党松永らを
討伐するという理由で上洛敢行出来たかもしれんけど。
あいにくその頃には義元はこの世にはいないし。
0118名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 09:10:47ID:jZURBE8Z本当に上洛するのなら、織田家以外の勢力とも外交交渉をしているはずなのに、
それが無いってことはただの尾張攻めとしか。
0119名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/25(木) 19:23:50ID:WhfzvRa8鳴海城の付城を潰すついでに那古野城奪回くらいまでは望んでいたかもしれないが。
0120名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 03:34:09ID:bwYIUhFq鳴海城も那古野城も尾張だから、尾張攻めだよ。
0121名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/01/27(土) 10:52:56ID:5bxkR4vH0122名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 12:16:05ID:/KfoTRUT軍師・勘介とかやっちゃったり上田原敗戦を家臣のせいにしたり無茶苦茶
あるある並とは言わないが、結論ありきの酷い出来
0123名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/08(木) 13:11:24ID:Uw2VtCNq0124名無し選出投票・投票日は2/11(日)於名無し投票所
2007/02/08(木) 14:31:11ID:4YvJr/wN0125名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 13:43:43ID:HTZHSsgd「軍師・山本勘助とやっちゃったり」
に見えたw
0126名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 14:31:49ID:VL9nSLSt俺の常識世界の常識俺に反対するヤシは無茶苦茶?
テレビなんて全て台本で動いてるんだぞ?六カ国協議なんて実際にやってるわけねえだろ台本に沿ってるだけだろ?
イラクで爆弾テロなんてあるわけねえだろ全部台本に沿ってるんだぞ?
まわりを見てみろ平和だろ?どこにも事件なんてねえんだよテレビは全て台本に沿ってるんだぞ?
わかったら二度と俺に逆らうなよ?
0127ぼくらはトイ名無しキッズ
2007/02/10(土) 15:00:48ID:MlGKbLCL勘助の介入以外は大体事実だろ?
晴信はスタート時は愚鈍だし実際武田は烏合の衆じゃん。
0128名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/10(土) 15:09:38ID:OQMQZRJGアッー!
0129名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/11(日) 23:31:20ID:L0GIDl8W0130メガトン ◆xfEWihaR6w
2007/02/15(木) 21:55:24ID:fpWLOJKL哀しきおじゃるオタの悪ふざけスレだと思ってみて見れば、本気で
公家のおじゃる>>>>>>>武田とか想像してる連中はマジ爆笑
桶狭間での出来事が不運だとか、わけの分からん屁理屈をこねて強
引に(凡将から知名度回復!)みたいなことやってても意味ないっ
て。
なら信玄や信長秀吉、元就といった名将達がどうして戦国の世をま
っとう出来たかっていう理由を考え抜かなければ駄目だね。
公家のおじゃるは織田領に隣接しておきながら、信長の政治、部隊
編成、戦闘の仕方などを軽視してきたせいでの自業自得なんだよ、
分かる?情報戦略に長けてなかった証拠だね、ついでに公家大名な
ので頭も鈍感そのものだい!^^
雪斎の死が悔やまれるって?関係ないね、信玄のように大名として
常に周囲に敏感でないと勝ち残っていけないんですよ、ニャハ^^
0131あぼーん
NGNG0132人間七七四年
2007/02/15(木) 21:58:52ID:TawBrTLU0133人間七七四年
2007/02/15(木) 22:46:05ID:H4fkMdPxそこまでして再生数増やしたいのかね
っとチラシの裏
0134人間七七四年
2007/02/16(金) 00:19:13ID:gzJ65i9U0136人間七七四年
2007/02/18(日) 02:35:37ID:Cg8OydVg多くのちょっとした歴史好き程度なら、
信長=戦国の革命児
信玄=風林火山と騎馬軍団
謙信=天才的軍才を持つ義将
って思ってるはず。
0137人間七七四年
2007/02/19(月) 02:33:37ID:LjRJNaCF斉藤道三が下克上の代名詞、だろ
で
豊臣秀吉はサルで、
徳川家康はタヌキ
0139人間七七四年
2007/02/19(月) 13:18:02ID:Y6eP/aCc0140人間七七四年
2007/02/19(月) 13:33:37ID:M62SHDo8その故は五分は励を生じ、七分は怠を生じ、十分は驕を生じるが故。
たとへ戦に十分の勝ちを得るとも、驕を生じれば次には必ず敗るるものなり。
すべて戦に限らず、世の中の事この心掛け肝要なり。
0141人間七七四年
2007/02/19(月) 18:03:41ID:qTN8KbaQ普通に考えて一乗谷みたいにボロ勝ちしておいたほうがいいに決まってる
0142人間七七四年
2007/02/19(月) 19:35:43ID:cJ01UXsA同意できるな。
義元さんの勝率、どのくらいなんだろうか?
0144人間七七四年
2007/02/20(火) 18:23:08ID:hIUZIF2Tありそうな話だな。うちの会社、とてもそこまでの勝ちを
おさめたことはないが、今期の営業目標クリアは確実なんて状態になると
何ともいえないゆるい空気が醸し出されてくる。そうなると管理者も人の子、
嫌な話をして嫌われるのは好まないようで、ネジの巻き方も緩くなるし。
しかし、五分の軍勝で、こちらの戦略的目標を果たす事を目指すべしと言うことかね。
落としてはいけない所で絶対勝ち、それ以外ではなるべく損害の少ないようにして
無理に勝ちに行くことは避ける…これもまた難しい話だな。
0145人間七七四年
2007/02/20(火) 22:10:13ID:5D5RzXHI勝って兜の緒を締めよが実際に戦の後に紐を結びなおせってこといってるんじゃないのと同じだ。
0146人間七七四年
2007/02/21(水) 01:23:38ID:4+yFYoUT0147人間七七四年
2007/02/21(水) 05:29:24ID:C8TlPrv60148人間七七四年
2007/03/07(水) 00:36:47ID:/JW/FPdG庵原元政(大河ドラマの武者震いの人)も討たれたと言われている。
0149人間七七四年
2007/03/21(水) 20:53:20ID:RGPB2T810150人間七七四年
2007/04/06(金) 15:37:21ID:PVq4ykOD0151人間七七四年
2007/04/22(日) 21:23:11ID:1EK6PyC50152人間七七四年
2007/04/22(日) 22:59:35ID:TDXKxmZs0153人間七七四年
2007/04/22(日) 23:00:44ID:TDXKxmZs0154人間七七四年
2007/04/23(月) 13:57:22ID:atHo8byu0155人間七七四年
2007/04/24(火) 18:14:42ID:iBS4m9qY0156人間七七四年
2007/04/29(日) 15:15:25ID:+X7lPqnT0157人間七七四年
2007/04/30(月) 03:09:28ID:5xdZQG890158人間七七四年
2007/04/30(月) 18:58:27ID:X54rEAQq0161人間七七四年
2007/06/30(土) 14:31:06ID:HIm7yauz0162人間七七四年
2007/06/30(土) 15:05:43ID:Fyti0yalもし尾張を併呑して大勢力になれば、わざわざ上洛を邪魔する勢力居るのか。
せいぜい三好くらいじゃね?
0163人間七七四年
2007/06/30(土) 20:21:40ID:w2DxMCdW0164人間七七四年
2007/06/30(土) 21:48:06ID:zkGyKqgD0165人間七七四年
2007/07/01(日) 00:40:01ID:uSwEOrLQ御所(足利将軍家)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ
0166人間七七四年
2007/07/01(日) 02:09:58ID:WOEkT+Mu単なる俗説だろ?
0167人間七七四年
2007/07/01(日) 07:15:44ID:Rv/3RBR90169人間七七四年
2007/07/01(日) 12:43:41ID:eeo2hZz0例えば関東公方持氏が、言ったとしたら、本当の事だろうけど
即、義教に討伐されるような危険な言葉じゃないか。
0171人間七七四年
2007/07/02(月) 00:18:59ID:WlcGl0ly今川家当主の周り一部だけに伝わる、世間が知らなかった話なら分かるが。
今川が、世間に向かって公表していたら、危険な言葉だと言っている。
徳川の、尾張・紀州の話も、大御所の時の実力者家康だから言えた話で、
他の人間が、将軍に進言できる言葉じゃない。
0172人間七七四年
2007/07/02(月) 05:16:45ID:i6EH6EgQ0173人間七七四年
2007/07/02(月) 22:40:46ID:Xf6C2Dk9ハッタリっていうのはな、事実である必要は無い
それで自分を大きくみせるという事が目的であって、嘘か真かは重要ではない
今川のそれも同じ
将軍にもなれるという血統の正当性を示すことで国人なりへの影響力を強めようとした
伊勢が北条を名乗って関東管領に擬したように
0174人間七七四年
2007/07/18(水) 03:14:02ID:xMfQefFEこの間も、暇つぶしに見てたが、織田は今川と切磋琢磨して強くなった。
とか言ってたけど、信長の単純な心理戦に負けただけだろ。
大群率いて上洛したから、超油断して、
陣中に入り込んでも、誰もたいして気に留めなかったらしいけど、
ようするにこれは、「殿に織田家の信長が挨拶に来たぞ」
とか家来の兵士はのんきに思ってたんだろ。
で、気づいたころには既に遅しで、織田にバッサリ切られたと。
0175人間七七四年
2007/07/30(月) 20:26:34ID:UB01/5J/0176人間七七四年
2007/08/16(木) 13:04:30ID:DjigD2ry. /////////////////// / / /
. ┌──┐ .ノ ̄--┐ ////////////////ノ / / /
. └┐__/ ノ ノ ̄/ / ////////////////''" / / / /
. ,-、 \'" ノ / "/ / ////////// / / / /
. ( "---┐ ,--'" / " /////////|ノ / // / ./
. "-----" ヽ-''" _ ////////// / / / /
. | ̄| __ | ̄| | | ///////// j| / / ,,/ /
. ,r" ___| | | | ..| ////////ノ /| / / /
. / r'" └┘ ノ .ノ ///////r''" / | / / /
. (_二二] ┌-''"/ /////// / | / ,/ /
. _ ヽ--"_ /////// ./ |/ /
. _| |__ '\ | ̄| | | "'///// / / ./
..|_ __ ヾ-" | .| | | //"-" / / / __
. / / | | └┘ノ / |./ / " // _,r--'''""^'--、 /
. くノ[二ノ [__ノ |/ j ,r" ̄ ,r-、 / v// /
┃ ,、 |/ | / /"_( ( .ヾ_,-''"
┃ く ヽ ノヽ,  ̄"/ |/ / / || ノ |
┃ ヽ/ / / / j"、 ,, .// ノ ,,> ___,r
┃ ___ノ / z _____「ゝヽj-< 0,,,,/'" <"
┃ 丶___/ / ┌┴'''"、二-_ """" ミ、 r''''''''-、
┃ ,r---、 / ./\" ,r'" ̄"\ | 》-",r、 |
┃ / r7 ,、\ | / ,二''""__,r--___,| | / l l
┃ | | ノ ノ | | | | | ,r'" | | し く-- l |
┃ \__//__/ | | ト、ノ)、 .| | "”"] .ノ /
┃ | ヽ .| \彡> | / j" ノ /
┃ \ \ | ''' ,ノ ̄"| / "-'' ̄/
┃ \ \ .| ,r7 ̄ j'''7 / し,,,,,,/ミ、
┃ __\ \ |r"-/ ,,r-''" / / / \ "
┃┃┃┃ r" \.l "''''''" ノ / // | ヾ
・ ・ ・ ・ | \."'----'''"" / ,,// ノ | /
z.  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ,/ '// / >'''"
/ \_____/''" // // /
/ ̄ ̄\> / "'--''" / / / ,,r-
0177人間七七四年
2007/09/21(金) 20:42:16ID:GZrLhe1s0178人間七七四年
2007/11/23(金) 04:07:46ID:JVwKxBAa0179人間七七四年
2007/11/23(金) 13:05:59ID:i1Q53zbxいくら三国同盟があるといっても5千やそこらは残していくだろう
石高からいって1万5千がいいところと思うがな
0180人間七七四年
2007/11/24(土) 20:29:38ID:PAmiaBQV駿東に進出した北条に歯が立たず、領国の規模で言ったら瞬殺出来るはず織田領切り取りもトロ過ぎる。
おまけに典型的な本陣強襲で討たれる始末・・・
評価出来るのは内政だけだろ。
0181人間七七四年
2007/11/25(日) 11:16:44ID:Yq60CTi40182人間七七四年
2007/11/27(火) 05:37:12ID:6vsuDuTl今川家は体力的に限界がきていた説もあるぐらいだし
そもそもまともに大部隊を指揮して戦ったことないから、義元は明らかに経験不足でやられたのも当然じゃないのか
0183人間七七四年
2007/12/19(水) 15:53:56ID:kWDFs4zA一万五千と五千で合計二万の兵か、最大となると五人役(百石あたり五人)、…とすると四十万石でそれ位だな。
今川の石高少なく見積もりすぎだと思う。
0184人間七七四年
2007/12/24(月) 21:36:23ID:HWTvUutv以外はきっこうしてたでしょ。信長を見くびったのが命取りになるんだが。
信秀死去ご同属争いしてたし、攻めるなら国力弱ってたあのタイミングだわ
な。
0185人間七七四年
2007/12/26(水) 22:36:15ID:iPbzDDqNガチで勝負にいって負けただけ
というか信秀死亡直後にちょっかいかけられる余裕あったのか?
0186あ
2008/02/08(金) 04:57:27ID:6r1Z2Fjc義元、実はすげえ、言い出したキチガイ学者。
静岡のイメージ向上が目的だろ。
0187人間七七四年
2008/04/21(月) 19:59:31ID:R7/Mq/p+http://jp.youtube.com/watch?v=ZRjaCKgvrkM
0188_
2008/04/21(月) 22:31:42ID:HPpcuJBv服部小平太:豊臣秀次の責任問題で死罪(切腹)。
毛利新介 :本能寺の変直後、織田信忠と明智軍に立ち向かい奮闘するも戦死
織田信長 :本能寺の変で自殺(自刃)。
0189人間七七四年
2008/04/21(月) 23:36:52ID:MWj6174r0190人間七七四年
2008/04/22(火) 00:48:51ID:hQZ0DNAk0191人間七七四年
2008/04/30(水) 12:37:50ID:FAWxxhLj上洛目的説は論外として、尾張攻略目的だとしても無理に兵をかき集めてて不思議ではない。
ていうか、上洛するだけなら別に織田攻める必要ないんだよな。
大内義興然り、浦上村宗然り、上杉謙信然りだけど「将軍家を助けるため」の上洛は
たとえ敵対勢力がルート上にいても阻止された例がないし(もちろん討伐対象は妨害に来てるが)。
0193人間七七四年
2008/04/30(水) 15:56:16ID:aff19qTeごめん
今川だと関係ないな
0194人間七七四年
2008/05/01(木) 15:51:50ID:rGLQ6zJ2上の2人は義元の攻撃を受けて一生に残る傷を負ってる
だからちゃんとした戦働きができなかった 3人同時に襲われて2人を潰したんだから義元はたいしたもんだ
0195人間七七四年
2008/05/01(木) 15:53:05ID:rGLQ6zJ2今川は尾張の一部を持っていた(山口とかは今川についていた)し、金山と港の両方を持っていたから資金力が凄かった
限界ギリギリまで集めたら25000ぐらいにはなりそう
0196人間七七四年
2008/05/27(火) 16:39:35ID:Vdlec9EW海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0197人間七七四年
2008/05/31(土) 08:07:01ID:qMAfMdS7↑ つまり、自称東海道一番の弓取りが東照宮様(家康)ということだな。
0198人間七七四年
2008/05/31(土) 15:34:42ID:9TF12dOu海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0199人間七七四年@全板トナメ開催中
2008/06/01(日) 04:40:03ID:VtpwoFN/⊃→〇
0200人間七七四年
2008/06/01(日) 19:19:05ID:ICGITpwY(∪)ちんこ
0201人間七七四年
2008/06/10(火) 06:47:02ID:LuMBeC5q武田家でも、忠勝を家康に過ぎたるものと言っている。
当時の家康自身の評価は案外低い。
家康自身を高く評価するのは家康が天下を取ってから書かれたねつ造の可能性がある。
0203人間七七四年
2008/06/11(水) 05:47:06ID:1DZdwBvi「西の立花、東の本多」 って言葉は結構有名で、立花の方は家臣にする事が出来たんだよね?
>201
本多が東国一と言っている以上、(東)海道一の弓取は、秀吉によると本多忠勝ってこと?>198は家康のねつ造?
0205人間七七四年
2008/06/12(木) 07:56:33ID:0ixOjcvTたぶん、正解だと思う。
ただし、家康自身では無く徳川の御用学者の仕業だろう。
>>204
戦後の文民統治の感覚か、それとも平安以前の公家優先の感覚か。
いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。
戦国時代の武将にそんな感覚を当てはめない方が、有名な武将で武勇伝のない武将の方が少ないと思うぞ。
0206人間七七四年
2008/06/12(木) 18:36:34ID:qpOVgHns>いずれにせよ、家康や義元を下っ端とは…。
本多忠勝のことをいってるんだがw
弓取を下っ端とは言ってない
0207人間七七四年
2008/06/14(土) 06:00:02ID:0UGRzHuJ弓を取って戦うのも本来下っ端の仕事。
弓取りが武将と言う意味を持つように、槍働きは武将としての働きの意味を持つ。
謙信や忠勝のように陣頭で太刀や槍を使い采配を揮う武将も居るが、後方で采配を振る武将より劣っているとは言えず、むしろ天才タイプの武将には陣頭指揮が多い。
忠勝は東国一と言われた武将、ただの槍の使い手と勘違いしているのでは?
0208人間七七四年
2008/06/16(月) 19:02:46ID:+mqKctHs少し違うが井伊直政みたいにさ。
銃火器が増えた戦国後期に前に出るのは指揮官としては誉められん。
0209人間七七四年
2008/06/17(火) 09:03:51ID:/JRf5B0uでも、無線機の無い時代伝令を走らさないといけない場所に指揮官が居るのと声が届く場所に居るのとの違いはとっさの時大きいそうです。
又、後方指揮と言っても最低戦況の見える位置(敵からも見える位置)に居なければならないので安全とはかぎらず、さらに戦に負けたらもともこも有りません。
全てを考え最も良い場所に居るのが良い指揮官でしょう。
ちなみに、謙信も忠勝も大きな怪我の記録はなく、戦場で傷を受けたことが無いと言う話すら有ります。
それに比べて、桶狭間山と言う後方で指揮を取っていた方は…
0210人間七七四年
2008/06/18(水) 00:52:18ID:vr1v2Vkv尾張の本来の国力・経済力を考えれば、あのタイミングしかないってほど絶妙なタイミングだぞ桶狭間は。
信長にしては、まさか後詰であそこまで義元が大軍つれてくるとは思ってなかったろう。
0211人間七七四年
2008/06/19(木) 21:32:26ID:s5+MwPdpこの時は北条氏綱のおかげかもしれんが。
0212人間七七四年
2008/07/01(火) 22:48:48ID:7OVx1TGx領土的には70万石+尾張南部 同盟結んでいたし、金山や港もあったからいつもより多少多く兵を出せたかもしれないがそれでも25000に届くのか?
0213人間七七四年
2008/07/01(火) 23:29:39ID:j9bdqrgyでも戦国時代が2.5人役という根拠は無い。
例えば北条の軍役は大体七貫に一人、一貫が四石ほどとした場合、
28石に一人、つまり100石でおよそ四人。
しかもこれらは戦闘員・準戦闘員で非戦闘員は入っていない。
戦闘員と非戦闘員(+準戦闘員)の比は1:2くらいらしいので、
軍役の二倍ほどの人数は動いていたと推察できる。
よって25000の軍隊は動員できたと思われる。
ただし25000を全て戦闘員で、となるとそれは無理。
0214人間七七四年
2008/07/05(土) 20:47:45ID:Z9yiwCQ6これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?
正史「三国志」によると人口、兵力は
263年の蜀が「人口94万人、兵力10万4千人」
280年の呉が「人口230万人、兵力23万人」
ていうから人口10人につき1人の兵士がいたわけだ。もちろん常備軍ではなく
兵役を課された市民も含めてだろうが。
戦国時代の日本人でも人口あたりの兵役適格者人数がそんなに違うとは思えない。
1万石あたり250人ていうのは最大兵力としては小さすぎると思う。
土地の肥え具合は各地で違うから石高と人口の比率は各大名で一定ではないと思う。
それに頻繁に戦をする大名は戦死者、負傷者を多数出すだろうし。
ともかく一律に「1万石あたり250人」とするのは無理があると思う。
武田信玄が上洛作戦で動員した人数が3万というのもこれが武田の総兵力ではない
と思う。だって徳川以外の隣国に対する備えだって必要だろうし。
0215人間七七四年
2008/07/05(土) 20:55:44ID:2oIztn+T> いつも「1万石あたり250人」て決まり文句みたいに言うけどおかしいよね。
> これって江戸時代か何かの兵役じゃないの?
そう。だから「一応の目安」に過ぎない。
信長、秀吉の時代でも石高による兵制をとっていない。「都合がつくなら何人でも」って適当な体制。
0216人間七七四年
2008/07/05(土) 21:12:28ID:sJ5lZLQx0217人間七七四年
2008/07/06(日) 01:00:19ID:K5CrtqJ/つーか、一両具足って連中がいる(一領具足は土佐オリジナルの兵制ではない)から、
そう言う民兵的な連中集めればもっと動員できる。
0218人間七七四年
2008/07/17(木) 18:46:19ID:+/qwXbRM後背に(一応)敵のいなかった今川家にはそれぐらいの動員が
可能だったということでいいんじゃない?
0219人間七七四年
2008/09/19(金) 16:30:28ID:SLO0sQJV海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0220人間七七四年
2008/09/19(金) 17:10:17ID:OFx11GNo1万石あたり500人というのも戦国時代にはあったらしい。
でもこれは城にこもる防衛戦だろうから、
尾張領への遠征軍となると半分くらいか。
0221人間七七四年
2008/09/20(土) 00:31:19ID:mBsGkCu0明智の軍役では216の指摘どおり六人役、とうぜん非戦闘要員は含まれていない。
井伊家の編成を参考にすると、
軍勢における戦闘要員の割合は三割強なので、
軍勢の準戦闘要員+非戦闘要員は七割弱と推測される。
つまり25000のうち、7000ほどが戦闘要員。
仮に準戦闘要員が戦闘要員と同数として14000人、一段目よりこれが軍役に相当する。
今川領が七十万として、2.5人役で17500人、3.5人役で24500人、5人役だと35000人。
2.5人役でも3500、3.5人役だと一万人ほど留守部隊が居る事になるわけだ。
0222人間七七四年
2008/09/22(月) 21:02:28ID:eqgTdBmZ0223人間七七四年
2008/11/25(火) 21:16:18ID:sbIvh4sc0224人間七七四年
2008/11/26(水) 00:40:56ID:Dw24Q4t30225人間七七四年
2009/01/02(金) 05:10:19ID:p6pZ4jRiいよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。
0226人間七七四年
2009/01/25(日) 10:39:39ID:J7v4alym天格7 名門で家訓を守る、規律を重んじる家系
人格16 プライドが高く野心家で努力家 人を見る目は冷酷
地格17 芸事の名人 親子関係は争いが多い
総格24 おだやかな性格
外格8 話術が巧みで人懐っこい性格
0227人間七七四年
2009/02/05(木) 18:47:49ID:LdWOSiTU>>80
今川も義光も家を滅ぼした点は同じだな。高家な点も。
やっぱり世間一般だとこういう意見なの?
0228人間七七四年
2009/02/05(木) 19:01:07ID:33x2bLgY実際どうかはともかくとして。
0229人間七七四年
2009/03/19(木) 03:21:12ID:9xxnK9r00230人間七七四年
2009/05/10(日) 19:21:04ID:vf5z9son0231人間七七四年
2009/08/11(火) 22:01:50ID:IZxJQj8c0232人間七七四年
2009/08/27(木) 00:00:20ID:g26+K7/eいやいや弓が使えるのは代々の上級武士だよ
足軽は簡単な訓練で使えるようになる槍か鉄砲を使うけど
試しにどこかへ行って実際使ってみれば判るけど
日本の弓は熟練しなきゃ的に当てる以前に遠くに飛ばすこともできないから
それを使いこなすのは余裕がある人
今川義元を公家かぶれというのは泰平の時代の発想
「葉隠」(この作者も泰平時代の人だけどよく調べているから可)には
昔の武士は首となっても相手に侮られないように
あるいは雑兵と間違えられて討ち棄てられぬように
戦に出るときは化粧をしていたのに
最近の武士はそれがわからなくて
化粧を女々しいと思って身づくろいもしないと言って怒っている
義元はどんなに有利な局面でも死を思って戦に臨んでいたから
化粧していたんだよ
0233_
2009/08/29(土) 17:04:17ID:l3FE5qBY木村重成なんかもそうだね。
大阪の陣では、首を取られても良いように
用意はしてたと思う。家康もそれ褒めてたしな……。
0234人間七七四年
2009/10/05(月) 00:31:32ID:/kv32cEV伊勢長島は、買った鉄砲を今川に売って、つねに商品を回転していたので、在庫としての鉄砲は常に最新式のものでした。
これはわかります。
しかし、丹羽氏勝ら小身の国人はどうしていたのでしょうか。
私は、これは丹羽らも鉄砲の販売で巨額な利益を得ていたと考えていました。
しかし、岩室の話によると丹羽ら、主要な物流ルートから外れた国人たちには販売ルートがなく、今川に安く買いたたかれることが多かったようです。
つまり、販路が今川しかないのですね。
せっかく、最新式の鉄砲を大量購入しても、すぐに新しい新製品が発売され、型落ちになった製品の値段は下落してしまう。
在庫が残れば赤字になります。
こんなうまくない商売なのに、なぜ、今川に接している国人領主たちは、このリスクの高い商売にこぞって手を出したのでしょうか?
そこには今川義元の最先端のマーケティグ戦略がありました。
今川義元は村山衆という富士の修験道の行者集団を、伊賀衆などを使って教育し、密偵として育成していました。
そして、先ほど織田信勝が宣言していた発想。
「最新式の鉄砲を大量に買い込み、新しい鉄砲が発売されれば、古い鉄砲は中古で今川に売って、その資金を最新式の鉄砲の購入にあてればいい、俺って頭良い!!!!」
という発想です。
実は、これって今川義元が村山衆を使って近隣地域の国人に触れまわったもので、織田信勝も、この情報戦略にひっかかったものでした。
「教養のないものや、知識のない小物などが賢げなことを言いだしたときは、まず、疑ったほうがよい。
それは、他国の宣伝工作を刷り込まれたものだからだ。
よって、彼ら踊らされている者どもは、自分は賢いと思いながら、異口同音に同じことを言う。」
信長はこう言ったので、岩室は非常に納得し。
「まさしく、そのとおりでございます。」と言ったようです。
これら、中小の国人には販売ルートが今川しかなく、今川は常に最新兵器をもっているので、
「中古の型落ち?うちはもう、最新兵器をもっているから中古はいらないなあ。」
「え?そんなこと言わずに買って?しょうがないなあ、おたくとは、長い付き合いだから、こっちも使い道ないけど、安くしてくれるなら、買ってあげるよ、やれやれ、損しちゃったな。」
などと言いながら今川の御用商人が型落ちの鉄砲を安く買い叩くわけです。
結果として、今川は、安い値段で大量の鉄砲が購入できる。
0235人間七七四年
2009/10/05(月) 00:33:36ID:/kv32cEV中古のいらなくなった古い鉄砲を買ってもらうという立場ですので、今川方は運送料も支払う必要がない。
そんな中古の型落ちを今川はどうするのか?
今川の領土は縦に長く、その国境は武田、北条と隣接している。
今川は安く買った型落ちの鉄砲を少し高い値段で、北条や武田に売る。
それを武田や北条はさらに東国に少し高値で売る。
東国に行くほど、鉄砲の入手は困難で、情報も遅れているので、少しくらい型落ちの鉄砲であっても、喜んで高値で買ってくれるのです。
よって武田も北条も今川が売る少し高値の鉄砲を喜んで買うのです。
この独占的販売ルートによって、今川、武田、北条は飛躍的に肥大化しました。
しかし、このような構造を内包しているため、世間一般には武器販売について、いずれの国も公表していなかったのです。
このような戦略に乗せられるのを嫌った信長は、最新式の鉄砲を少しずつ買い増し、旧式のものも今川には流さなかったようです。
今川の
「常に最新式の鉄砲を大量購入して、最新式が出たら、古い鉄砲は今川に売って、常に回転させればいいじゃないか!俺って頭いい!」というキャッチコピー、流行、トレンドの開発、
「俺って最先端でイケてる?」という人々の優越感をくすぐる情報戦略に、おおくの国人が乗せられ、熱心に鉄砲購入にいそしんでいたようです。
結局、このシステムは胴元の伊勢長島の一向宗と今川義元しか儲からないようになっているシステムなんですね。
しかし、一部の大成功者である伊勢長島一向宗の情報を意図的に村山衆を使って、「みんなで金持ちになろう!」と煽るわけです。
鉄砲の弾と火薬をシャカシャカ振って、「現実を直視しようよ!伊勢長島の一向宗があんなに大儲けしてるんだぜ。」と吹き込んで人々を先導する。
(実は現実を直視していないのは、夢見る国人たちなのですが)
国人たちは、ネズミ講のようにそのシステムの中に埋没していきます。
そして、胴元である今川義元が桶狭間で討たれたあと、その胴元の位置を得たのが徳川家でした。
そして、長島一向宗が滅びたあとの、その胴元の地位を狙っていたのが、水野信元だったのです。
しかし、そんなことを信長が許すはずがなかったのです。
水野信元の殺害に関しては徳川家康も積極的に協力したようです。
武器を武田に横流しする謀反人として水野を討てば、長島、今川義元がもっていた両方の利権が手に入る。
まさか、後に自分が同じ論法で謀反の疑いをかけられるとはしらずに。
0236人間七七四年
2009/10/05(月) 01:56:38ID:6N7JyzNC風林火山の義元はかっこよかったな。
0237人間七七四年
2009/10/07(水) 11:31:06ID:UlOiyDJeそのあと適当に斉藤六角討ってクリア
0238人間七七四年
2009/10/21(水) 23:35:38ID:+tz37Fqh明智光秀のように瞬間的に謀反を起こすことはできても、その背景に財政基盤がなければ、すぐに家来は離反し、滅亡することになる。
今川義元は半農反武の農民兵団が財政的余裕をもたないよう、農民たちの居住する土地に段銭という固定資産税を課税した。
これとともに、建物に対して、棟別銭という税金を課税した。
これには、防衛施設になりうるような巨大な屋敷の建設を抑止する意味もあったようだ。
このように、農民勢力に対しては厳しく管理し、反抗すれば専業軍人で厳しく圧迫したようである。
専業軍人である寄親は、今川家の軍事行動すべてを網羅するだけの兵数は保有しておらず、あくまでも指揮権と警察権の行使を主な役職としていた。
つまり、大多数の農民兵を束ね統率する立場であり、今川家においても兵卒まですべて専業軍人による軍事組織を形成することはできていなかった。
これは、今川義元が農民勢力を管理、監視し、軍事力によって服従させることが目的であるためで、織田信長が農民の生産性向上と民兵徴兵制から志願兵専業制に機構を転換し、よりより専業スキルの向上と民衆の安堵を願ったのとは、目的の方向性がまったく違っていた。
その反面、商人は優遇し、甲斐から友野二郎兵衛尉ら甲州商人を大量に呼び寄せ、甲斐への武器輸出などの商業活動を奨励したようである。
自由経済によって商業復興する反面、段銭、棟別銭などの不動産保有税固定資産税を商人たちからも徴収し、商人たちからも税金を吸い上げる仕組みを作り上げていた。
また物流業者に対しては、楽市楽座による物流の増大による収益の増加に伴い、公的通信の無料化を使役として課税した。
つまり今川家の使いによる通信、配達事業は無料で行うことを義務づけたのである。
これは、当初は軽い使役であったが、織田家との抗争が激化していくなら、物流業者の財政を圧迫していくことになったようである。
このように、今川義元は、一般に大名が農業生産物の年貢を収益としていたこととは別に、商業従事者などへの固定資産税の課税などによって商業利益からの収益の徴収、これに港湾使用料、関所の通行料など併用して、楽市楽座による物流の増大をフルに利用していった。
また、積極的に国内の鉱山調査を行い、金山開発を行ったようである。
そして、灰吹法という最新式の精錬法を導入し、積極的に金を採掘した。
皮肉なことに、鉱山開発を行うさいには、大量の燈明を必要とし、明かりとしての油を大量に消費した。
油の入手は油座を独占している隣国尾張の織田家に頼らねばならず、尾張攻略の軍事費のねん出のために金山開発を行い、金山開発を行うために大量の油を尾張から購入せねばならず、結果的に尾張を肥え太らせる結果になることを今川義元は非常に嫌悪していたようだ。
そして、油の専売のような古来の既得権益を激しく嫌悪した。
ここに、今川義元が積極的に楽市楽座を導入した精神的素地がある。
今川義元は、尾張の織田家を神道を盾に商業行為を独占する守旧派勢力と考え、嫌悪していたが、織田家、とくに織田信秀は駿河の今川義元を軍事独裁の圧政であると考えていたようである。
今川統治下の行政機構が極めてシステマティックな徴税機構によって形成されていたのにくらべて、尾張はずいぶんと、牧歌的であり、よくいえば融通がきく、悪くいえば、なあなあ主義で物事が進められていたようである。
0239人間七七四年
2009/10/22(木) 01:18:33ID:1rYhN/2K徳川はコテンパンにしており最早風前の灯火(笑)
糞弱兵の織田軍なんぞ美濃で軽く一蹴する予定なんでよろしこ♪
もちろん上洛したら諸勢力全員臣従してもらうけど(笑)
0240人間七七四年
2009/10/22(木) 01:31:04ID:asa8b8aJ0241人間七七四年
2010/02/20(土) 00:17:51ID:MKZwSFND___|二ニー-、、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
/rヽ三三三三三─‐-- 、;:;:;:;:;:;:;:|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
',i ,-三三三三三、 _,.ニ、ー-、!;: -‐二 ̄彡′
',、、ヾ三三'" ̄ ̄ `ー‐" ヾ-'" .〉′
ヽ ヽヾ三,' :::..,. -‐- 、 _,,..-‐、、,' ___|二ニー-、、;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:|;::;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:l
/rヽ三三三三三─‐-- 、;:;:;:;:;:;:;:|;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;l
',i ,-三三三三三、 _,.ニ、ー-、!;: -‐二 ̄彡′
',、、ヾ三三'" ̄ ̄ `ー‐" ヾ-'" .〉′
ヽ ヽヾ三,' :::..,. -‐- 、 _,,..-‐、、,' `ー',ミミ ::.弋ラ''ー、 i'"ィ'之フ l
/:l lミミ ::::.. 二フ´ l ヽ、.ノ ,'
,.-‐フ:::::| |,ミ l /
/r‐'":::::::::| |ヾ /__. l /
_,. -‐"i .|::::::::::::::::::',.',. \ ⌒ヽ、,ノ /ヽ,_
" l ヽ:::::::::::::::::ヽヽ. \ _,_,.、〃 /l | ___,. -、
',\\:::::::::::::::ヽ\ \ 、. ̄⌒" ̄/:::::| | ( ヽ-ゝ _i,.>-t--、
\\\;::::::::::::\\ `、.__  ̄´ ̄/::::::::::l |
0242人間七七四年
2010/06/15(火) 19:40:17ID:vs9XTnF/「武田騎馬軍団の音響兵器」(民明書房)によると
武田軍は三方が原で、投石とブブゼラを使ったのが勝因らしい。
0243人間七七四年
2010/08/14(土) 20:42:40ID:QTA19biq上洛の為の戦いかと言えば疑問だけど、結果的に上洛はしてたんじゃないかなぁ
0244人間七七四年
2010/10/02(土) 05:43:52ID:/idoEyzT京へ至る途中の国は美濃・近江
義元は美濃の斉藤と同盟結んでたから上洛は可能
でも桶狭間の相手が悪すぎた
0245人間七七四年
2010/10/02(土) 21:28:55ID:Qx0zMj/g0246人間七七四年
2010/10/04(月) 16:56:01ID:+MbPEfNR0248人間七七四年
2010/10/13(水) 07:03:23ID:7GB28xajということは、まず織田と話をつける必要がある。今川はそれをせずにいきなり西進して桶狭間で討たれたんだろうか。
織田との話し合いはあらかじめ出来ていた、と考えるべき状況証拠が多々ある。義元討ち死には、信長がその約束を反故にしたため。
0249人間七七四年
2010/10/30(土) 08:51:01ID:UfPxtwqg50万石。まあ義元は三国同盟のおかげで周囲に織田以外敵はいないが
織田には斎藤がいるとしてもそこまで一般でイメージされる程織田家と
今川家に国力差があったわけではない。しかも信長の美濃攻略は信長側
からいつも仕掛けており、逆に斎藤家は尾張より近江に興味があった節が
あるため、美濃攻略の手を緩めつつ今川に向き合えば膠着状態が続いて
義元寿命であぼんの図式が思い浮かぶんだが・・・。
0250人間七七四年
2010/12/29(水) 19:49:10ID:8BG/Bz7uそれに比べれば氏康は辺境の原始人
0251人間七七四年
2011/01/20(木) 00:09:24ID:QNGteHY0京を押えて日本全国に命令を発するという事は、当時信長しか考えていない
毛利元就でさえ領土は広げたが、京の事は何も考えていなかった。
0252人間七七四年
2011/02/17(木) 21:18:43ID:Gfn2xLLS海道一の弓取=徳川家康のこと。東照宮御実紀に、家康のことと書いてある。命名者は秀吉で、小牧長久手で家康が大勝したことから。 誰が、今川義元のことと捏造宣伝したのか? 小和田哲男の静岡人?
秀吉掌を打て長く歎息し。誰か徳川を海道一の弓取とはいひしぞ。凡日本はいふにや及ぶ。唐天竺にも古今これ程の名大将あるべしとは思はれず。軍略妙謀あへてまろ等が及ぶ所ならずと感服し。東照宮御実紀巻三
0253人間七七四年
2011/02/19(土) 09:57:35ID:GvQkrVem0254人間七七四年
2011/02/25(金) 00:45:27.68ID:Oluh4EWQ太原 崇孚は「突出した極めて」優秀な人材だったが、それ故に今川は興隆し、没落したのだろう。
0258人間七七四年
2011/05/05(木) 10:03:55.48ID:/6yZPRCa尾張で今川の勢力圏だった部分は湿地帯でほとんど稲作の収入が乏しい地域。
農業・商業の所要な部分は信長はキッチリ抑えている。
つうか尾張商人が信長のスポンサーになって今川と戦わせたようなもんだからな。
自分たちの市場を奪われないために。
0259人間七七四年
2011/06/05(日) 01:34:12.67ID:OojDeerQ自分から鳴海城と大高城包囲してんだから。
義元の出陣は上洛とか尾張支配と考えるよりも鳴海と大高の後詰めによる支配地の安定化じゃないかな。
もし包囲を見過ごせば西三河と尾張の在地領主の信頼を失って盟主としての地位を失うからね。
0260人間七七四年
2011/06/05(日) 08:10:45.62ID:GLE2aYWI0261人間七七四年
2011/06/05(日) 11:59:01.31ID:SLmvIwP2遠江20万石
三河20万石
今川総石高55万石
55×300人=16,500人
2万5000もいないだろが、武田・北条への備えは0として
実質15000位で尾張制圧が真実だろ
0262人間七七四年
2011/06/05(日) 12:21:16.60ID:Tu0mYYwU0263人間七七四年
2011/06/05(日) 17:03:24.97ID:aMgNeCxqだから兵を出しただけ。
上洛な歴史小説と大河ドラマのねつ造にすぎん。
0264人間七七四年
2011/06/05(日) 21:10:51.25ID:ZLNMNZG4の方がかなり有利なんじゃねえのぉ? オジキの道三も敵意むき出しの息子に殺され
ちゃってた時点で息子は上洛途中に命狙う程忌み嫌っていたから美濃の押さえは
どうしても忘れられない.織田5000VS今川15000位で調度いい様な。
0265人間七七四年
2011/06/05(日) 21:22:48.45ID:OojDeerQちなみに道三と義龍の争いも信虎と晴信の争いも家臣(在地領主)の支持の問題なんだよ。
0266人間七七四年
2011/06/16(木) 23:36:28.45ID:Lg99HgG8戦国期に領国の生産力をすべて収奪できる支配者などいない。
敵を排除しても半分も搾取できないのが現実。
戦に勝つと支配地から自動的に税収が入るなど恐ろしい妄想。
「信長の野望」が多くのアフォを生んだな。
0267人間七七四年
2011/06/17(金) 09:10:47.09ID:uE7cCzsw0268人間七七四年
2011/06/17(金) 12:02:16.08ID:/zKn+BvTという根拠も無い意見をよく見かけるが…、不思議で仕方ないw
0269人間七七四年
2011/06/17(金) 18:14:52.57ID:NrUa4VW7信長は六角と同盟して内乱で弱った斉藤義龍を叩きたい
斉藤家は元道三派の残党や反乱分子が多くいた、ここと結んで内と外から叩く。そして今川軽視
信行派は慎重派で、道三が義龍に敗れて織田との同盟が破綻、
父信秀が勝ち取った斉藤家との同盟の存続、対今川に備える派
ここで織田家の方針が分裂していたと
問題は、斉藤家は巨大だが斉藤の親子争いで弱って動けなかった、この斉藤家なら潰せるし
潰せないまでも、攻めてくる体力ないから、今川斉藤両方を敵に回したいという信長
結果的に、信行効果で斉藤家の対織田をけん制できていた
そりゃ、織田家内で争っている時に、攻められたいたら織田家は滅亡していたよ
道三=信長、義龍=信行、今川は放置状態だったw
0270人間七七四年
2011/06/17(金) 22:55:19.56ID:B3ncYHqb0271人間七七四年
2011/07/29(金) 00:29:53.79ID:kOaw8BG20272人間七七四年
2011/07/29(金) 08:38:57.16ID:tHFz5gYi0273人間七七四年
2011/07/30(土) 01:43:33.52ID:RGgnt6yn0274人間七七四年
2011/08/14(日) 14:28:22.70ID:ksAF1Dig歴史ヒストリー(笑)
0275人間七七四年
2011/08/31(水) 23:47:50.04ID:chfrL4Dq圧倒的じゃん。上洛なんて余裕。
0276人間七七四年
2011/09/01(木) 11:57:05.89ID:PXxVIFdM0277人間七七四年
2011/09/02(金) 03:10:50.72ID:L2O1CS5q2万5千人の動員は可能だったんじゃない?
後方支援なんて農民だろうが町人だろうがあまり関係ないし…。
武田北条に備え置かないで総動員すれば割と25Kくらい動員出来そう
60万石の朝倉でさえ一揆勢に兵力割かない場合総動員で2万動員出来るみたいだし
無論これもあてになる戦闘員数は1万越えないんだろうけどさw
0278人間七七四年
2011/09/02(金) 09:47:02.56ID:R5kAqKzS武田の西上作戦時にも北条が援軍送ってたし
0279人間七七四年
2011/09/02(金) 10:27:41.84ID:Y5sC0jWl雪だるま式だもんな 相手の領土を奪いとってブクブク膨れ上がった大名が天下統一するんだし
弱小勢力も雪崩式に傘下に組み込めるわけだ
0280人間七七四年
2011/09/02(金) 23:14:51.90ID:9iCEckHS尾張を制圧したら次は普通に上洛だろ。絶対。
0281人間七七四年
2011/09/02(金) 23:42:24.91ID:zC+2xKW0制圧した国の人はホイホイと従ったりしないから根回ししないといけないし
合戦後の国は荒れてるから統治も大変
周りには斉藤、六角、浅井、三好と多くの大名がいるから事前に工作も必須
簡単に上洛なんざできません
普通に考えりゃ海路を確保して富国って感じかね
0282人間七七四年
2011/09/03(土) 00:43:10.63ID:WyN3OTtZ何が普通なのか全然わからない。
信長以前の戦国時代に将軍を廃して自分が天下人になるという発想自体がないのだから。
0283人間七七四年
2011/09/03(土) 01:25:42.48ID:tMFmL00q0284人間七七四年
2011/09/03(土) 03:18:23.14ID:t2uUOq+Q義昭追放した後も信長から京に戻るようにと一応は提案されてるし
0285人間七七四年
2011/09/03(土) 10:32:34.23ID:Kmg1P4dm大樹公義尋を奉ずる信長政権より長持ちしてるわな。
0286人間七七四年
2011/09/03(土) 11:28:32.09ID:APsTrRyG0287人間七七四年
2011/09/03(土) 12:29:12.39ID:qrZ7rRxM将軍がいても京の支配を失えば幕府滅亡だよ
尊氏なんかは何回も幕府を再興してるw
0288人間七七四年
2011/09/03(土) 14:51:42.01ID:iQaaJVWc0289人間七七四年
2011/09/03(土) 15:30:51.46ID:qrZ7rRxMそのたびに幕府を再興しているw
0290人間七七四年
2011/09/03(土) 18:47:09.93ID:jB3Zk5sQそれ以前のはあくまで北朝の一勢力。
0291人間七七四年
2011/09/03(土) 22:55:05.56ID:kiO5SCQ60292人間七七四年
2011/09/07(水) 18:30:56.65ID:36ZpWsaF最初は、傀儡政権を目指してたんだよな。
上手くいかなくて挫折したけど。
0293人間七七四年
2011/09/11(日) 03:41:13.01ID:7C4iNWQL0294人間七七四年
2011/09/11(日) 09:56:59.49ID:IDKKTBaC0295人間七七四年
2011/09/11(日) 14:03:41.54ID:3Q2jyITa0297人間七七四年
2011/09/11(日) 20:02:02.83ID:FjPLgZLR0298人間七七四年
2011/09/11(日) 22:55:42.65ID:7pwoj9MT0299人間七七四年
2011/09/12(月) 23:20:05.24ID:WoeXjWJl0300人間七七四年
2011/09/13(火) 00:39:54.43ID:nEx6Fc5v0301人間七七四年
2011/09/14(水) 01:38:42.15ID:7U4CrCIm0302人間七七四年
2011/09/14(水) 18:41:28.91ID:8oArfRfE義元は義輝を返り討ちにし、駿府に幕府を開いたのであった。
0304人間七七四年
2011/09/16(金) 12:21:37.54ID:2Kb3SFX60305人間七七四年
2011/10/02(日) 09:32:44.46ID:s1icoc09上洛完了かな?
0306人間七七四年
2011/11/13(日) 12:04:02.53ID:cp4SE/+O0307人間七七四年
2011/11/13(日) 12:08:40.83ID:PDcj3Kvo首都は静岡になってたな
0308人間七七四年
2011/11/18(金) 11:09:04.45ID:dHnch67E滅ぼすかどうかはともかく、上に立とうとは考えてるだろうな
そうでなかったら副将軍なり管領なりになっている。
少なくとも五箇条の意見書を出した時点では、その内容を見る限り、義昭と自分が並び立たない事は完全に覚悟していただろう。
0309人間七七四年
2011/11/18(金) 23:32:36.50ID:N/S0dQuR当時の有力大名ならあわよくば上洛して天下に号令しようくらいの野心はあったんじゃないの
0310人間七七四年
2011/11/19(土) 11:22:01.06ID:Ql/248R90311人間七七四年
2011/12/04(日) 05:40:52.11ID:YNDCYVdn0312人間七七四年
2012/01/21(土) 14:36:20.43ID:aJCnz10G0313人間七七四年
2012/02/28(火) 18:32:14.20ID:H5IW6Tejそもそも信長に討たれただって本当に運のいい不意打ちだからね
本当なら尾張の信長を自害させ美濃の斎藤や伊勢の豪族に懐柔し
近江を通り京の都へ行く道筋はできていた。
まさか、尾張の織田信長で躓くとは思いもよらなかったであろう…
0314人間七七四年
2012/02/29(水) 21:26:01.10ID:p26YMeMi0315人間七七四年
2012/03/02(金) 17:07:18.78ID:g9z5Sedr0316人間七七四年
2012/03/07(水) 08:30:08.45ID:oOqwJsRR彼が居ない時点で無理ぽ
秀吉の竹中まではいかないが、
0317人間七七四年
2012/03/17(土) 21:01:27.70ID:GWxNmzWX0318人間七七四年
2012/03/17(土) 23:40:30.87ID:pRLwnihg本当に京に行くつもりなら出立前に懐柔か従属勧告かどちらかの書状送達があって然るべき。
0319人間七七四年
2012/03/18(日) 00:27:05.54ID:M45RIgxKそれは愛知郡を含めた東尾張だろう。那古野付近もそうだが所謂、原野台地。
尾張織田一族は西尾張(下津、勝幡城、津島港、)が原点地。
0320人間七七四年
2012/03/21(水) 12:59:45.75ID:+au8id+V尾張の覇王、織田信長を演じた役者
渡辺 謙、佐藤浩一、豊川悦司、舘ひろし、渡 哲也、反町隆史、木村拓也、
織田祐二、的場公司、緒方直人、城田優
0321人間七七四年
2012/05/28(月) 15:33:43.12ID:AEvps/0T0322人間七七四年
2012/07/04(水) 00:36:51.72ID:3CUNgUOD桶狭間で勝ったら、誰も義元の勢いを止めらないだろ
しかも武田、北条とは強固な同盟で結ばれてるから後方は完全に安泰だし
0323人間七七四年
2012/07/04(水) 01:19:52.79ID:r3I5a0d3よもや討って出るとは誰も想像すらしてなかったろうな
義元にしたらドラクエでレベル20くらいでいきなりラスボスと対戦
するみたいなもんだからなぁ、そりゃー死ぬわ
0325人間七七四年
2012/07/16(月) 10:22:38.74ID:J1lerIz2上洛は難しくなさそうだ
0326人間七七四年
2012/07/16(月) 15:38:13.73ID:e8vV/zQJ信長は、桶狭間の前年に岩倉の織田伊勢守家を滅ぼして尾張を統一したばかり。まだ岩倉が頑張っている時ならば、信長は2正面で戦わなければならず苦戦しただろうに。
さらにその前1556年11月、信長の同盟者だった斎藤道三が失脚した時が信長最大の危機。その少し前に清洲城を手に入れたが、織田大和守の家臣を十分に掌握できていないところでの美濃との手切れ。
わずか700人の家臣で清洲城に孤立していた、と信長公記にも記される。この時攻められていたら信長としても打つ手がなかったはず。
義元の側にも事情があった、とは言わせない。実は1557年の春、信長が孤立していたまさにその時、義元が三河まで来ていたことが確認できる。
0327人間七七四年
2012/07/16(月) 19:29:24.73ID:p6t2iN/r慌てて動員掛け終わった頃には全部終わってましたなんて状態になったら
権威が下がるだけだし
0328人間七七四年
2012/07/17(火) 16:18:27.65ID:mHUYNhdEこの状態での信秀の死、さらには鳴海城の山口父子の裏切りで、織田氏が長年かけて築き上げた三河方面への影響力は殆ど失われた。
鳴海城は尾張平野の東の端にあり、三河方面への出撃拠点であったから、信長はこの方面への出兵がいちじるしく困難になった。義元にとってすでに信長は脅威ではない。
義元が、もし尾張に領土的野心をもっていた。16世紀前半において、今川氏は那古野城にあって尾張を支配していたから、義元が失地回復を狙うことは十分に考えられる。
だが、義元にとって尾張を手に入れるということは大軍を率いて攻め込むことだろうか?うまく信長を滅ぼしたとしても、そのあとはどうする。息子は氏真しかいないし、あまり優秀でないことはすでに分かっていた。
このとき義元が取ることが出来る最良の策は、尾張をその支配者ごと手に入れること。すなわち信長を指揮下にいれることである。
信秀の死後、信長の力は低下していたから、今川の申し出を受ける可能性は十分にあるのである。信長が義元に下るはずがない、というのはその後の歴史からの結果論に過ぎない。
織田信秀は前半生で激しく敵対した斎藤道三と和解し、信長はその娘婿となっている。
織田と今川が同盟と結ぶということは十分ありうるのである。
0329人間七七四年
2012/07/19(木) 00:28:35.42ID:EAseXDILある程度レベルが上がって油断が生じた頃に遭遇するキラーマジンガみたいなもんだろ。
0330人間七七四年
2012/07/19(木) 01:22:12.79ID:IKDw6uvN北条早雲は室町幕府の高級官僚で、だからこそ今川の後ろ盾を得れた。
まずそこのところを知ろうよ。
0331人間七七四年
2012/07/19(木) 15:16:48.39ID:USX5Yvk00332人間七七四年
2012/07/19(木) 20:19:03.39ID:K/v48lQt桶狭間の戦いでは、まず織田方の丸根、鷲津砦が陥落、残る織田方の砦は中島、善照寺の二つのみ。このうち善照寺は台地の上であるのに対し、中島は川の合流点。
中島さえ落とせば鳴海城の包囲は解け、物資の輸送も可能になる。つまり、誰が攻めても中島砦が次のターゲット。もし、真面目に戦おうというなら、中島砦の周囲に兵を集める以外にやることがないだろう。
中島砦の付近に兵力が展開していれば、織田軍はそこから出撃するのが困難になる。砦の外へ出ても待ち構えている今川軍の餌食になるのは目に見えている。
ところが、信長は中島砦から出撃して、先へ進み、桶狭間の義元軍までさしたる抵抗を受けずに進軍している。
今川軍は油断するにもほどがある。こんな油断など常識では考えられない。義元が油断したからと言って、それに付き合ってやるべきことを何一つやらない軍隊など考えられない。
0333人間七七四年
2012/07/20(金) 20:35:50.23ID:GmKvdZTA義元が命令してない事を勝手にやるわけにいかんだろが。
処刑すらされかねんのだからな。
0334人間七七四年
2012/09/25(火) 21:02:57.46ID:XPWTb6fg大軍を尾張に繰り出せばよかったのではと
それとも国内で何かイザコザ抱えてたのかな?
0335人間七七四年
2012/09/25(火) 21:06:53.78ID:XPWTb6fg0336人間七七四年
2013/10/03(木) 22:54:47.70ID:056BX4c40338人間七七四年
2014/08/05(火) 22:49:03.26ID:hfZAqfY8当時は熱田から桑名のあたりは泥の海で、東海道は大軍の往来には向いていなかったそうだ
だから中山道じゃなかろうか
まあ、桶狭間の戦いが上洛を目指したものであったかどうかは別として、
義元が健在だったら、今川、武田、北条の三国同盟が主軸となって天下が動いていただろうなとは思う
0339人間七七四年
2014/08/07(木) 15:00:21.99ID:RkzM1N5M三河35万石+遠江28万石+駿河19万石=82万石
尾張領内の兵は城の守備で動かせないだろうし、
三国同盟があるといってもまったく守備兵を置かない程信用してはいないだろう。
石高にしても世の中が落ち着いてきた戦国後期から江戸時代の石高なので、
当時はもう少し低かったと思う。
それとも300〜400人役という結構無理目な動員をかけていたので戦を急ぎ
その虚を突かれたのだろうか。
0340人間七七四年
2014/08/07(木) 20:24:01.88ID:+ZEE0PSn駿河なら塩とか海産物とか商業も盛んでそういった経済力が入ってない
それだけでなく今川領内に居た小豪族がどれほど居たのか?も問題になってくる
これらの小豪族達は日頃は自分達の領内で畑を耕し生活して戦になれば
恩賞目的に大名に従う どれぐらい加わってたのかで軍勢の数は変わる
0341人間七七四年
2014/08/07(木) 20:28:29.14ID:Awd4WhdT非稲作物、素材用作物、鉱山、etc
0342人間七七四年
2014/08/07(木) 20:37:47.33ID:+ZEE0PSnだから石高が低く貧しいと言われてた武田が甲斐国から信濃を征服出来たのは
そういった経済力を持ってたから
三国同盟前はその金山を目的に北条が何度も駿河に攻めてきている
関東一円に勢力を広げた北条だがその土地を支配するにあたって
年貢を低く設定していてそれが為に金欠だった
駿河は米は獲れないが金山がいくつもあり塩、海産物が豊富に獲れて
非常に豊かな国であった 自然と人々が集まり今川は大軍勢を整えれた
0343人間七七四年
2014/08/08(金) 12:48:59.59ID:waIXO2je無理な動員はありえる。
近年では桶狭間の合戦は正面衝突だとする説が有力。
今川の国力の限界レベルの動員だとすると早期決着が望ましい。
そこに信長自身がのこのこ出てきたわけだ。
これを討ち取ってしまえば合戦終了、清洲城とかの城攻めもしなくて済む。
兵数も義元本隊の半数ぐらいとなればそのまま戦闘を開始してもおかしくない。
結果は最悪になってしまっったけどね。
0344人間七七四年
2014/08/08(金) 20:14:12.82ID:waIXO2je太閤検地だと
三河29万石
遠江25万石
駿河15万石
計 69万石
金山も確かにあったみたいだけど産出量が劇的に増えたのは
慶長年間からであって義元の時代にどれだけあったかは不明。
0345人間七七四年
2014/08/09(土) 01:06:58.34ID:gEI1H3pL今川も三河を完全には掌握しきってないし。
0346人間七七四年
2014/08/09(土) 09:21:28.77ID:Ml37W0f9それを利用して宿老筆頭であろう家康が天下取っちゃうんだろうなあ
ドラえもんが言うのび太がジャイ子と結婚しようがしずかちゃんと結婚しようが
結局はセワシ君が生まれるってやつ
0347人間七七四年
2014/08/09(土) 16:26:35.14ID:IWibUMXw総勢5万くらいにはなるんじゃないかな
今川対織田という見方じゃなくて、三国同盟対織田という見方をした方が良いと思う
0348人間七七四年
2014/08/09(土) 17:06:38.12ID:gEI1H3pL単に大高城が織田方の砦に包囲されたから後詰めで出てきただけなのに。
0349人間七七四年
2014/08/09(土) 19:07:36.65ID:IWibUMXw上洛の可能性も含めて、今川の西進について広く話してるんじゃないのか
スレタイ的に
0350人間七七四年
2014/08/09(土) 20:43:07.90ID:gkLXpw3l今川上落戦の支援どころではない
0351人間七七四年
2014/08/09(土) 20:43:43.01ID:BOYKAALyそれを言うなら織田も完全に尾張を掌握してないよ
あと今川は背後を三個同盟で安定させてるが
織田は斎藤と敵対してるからそっちにも兵力を割く必要がある
0353人間七七四年
2014/08/13(水) 22:26:53.99ID:UjnyqMdK/|:: ┌──────┐ ::|
/. |:: | 今川義元 | ::| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|…. |:: |2万5千で上洛| ::| | よし、決まったな!風呂にでも入るか
|…. |:: | | ::| \_ ______
|…. |:: └──────┘ ::| ∨
\_| ┌────┐ .| ∧∧
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∬ ( _)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_, )
/ \
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
 ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄
〜30分後〜
___________
/|:: ┌──────┐ ::|
/. |:: | 桶狭間で | ::| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|…. |:: |義元討ち死に| ::| | ふう、いい湯だった…アレ?
|…. |:: | | ::| \_ ______
|…. |:: └──────┘ ::| ∨
\_| ┌────┐ .| ∧∧
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ( _)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄旦 ̄(_, )
/ \
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|、_)
 ̄| ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄
0354人間七七四年
2014/08/14(木) 13:34:05.66ID:HwK2RFrFワロタw
0355人間七七四年
2015/05/31(日) 12:21:15.16ID:8zLRJFiU0356人間七七四年
2015/05/31(日) 19:38:05.85ID:wYR6o3nj0357人間七七四年
2015/07/13(月) 01:49:57.76ID:DiEE5ipu目的はこれくらいか
0358人間七七四年
2015/07/18(土) 01:58:12.77ID:kL1GcllJ意味がわからない
偶然義元を斬れただけで、尾張一国も安定しない時の織田が武田や北条に勝てるわけないだろ
0359人間七七四年
2015/09/10(木) 14:46:51.94ID:+SGqIvNz織田信者は二次創作の「革命児信長」とか「旧勢力を打ち新たな秩序を作った魔王信長」を完全に史実だと思い込んでる頭弱い人達だから、真面目に相手してるとバカを見る
0360人間七七四年
2015/09/12(土) 20:33:28.36ID:8KsEJhxiだいたい目標には段階があって今川にしてみれば
絶対的目標 大高城の救援 最低限これを果たさなければ尾張南部の織田・今川の勢力図がひっくり返る
努力目標 そのついでに織田軍の漸減 尾張南部完全掌握 ここまでできれば上出来 織田はジリ貧に陥る
希望的目標 信長の首を上げて一気に尾張制覇 運がよければだが流石にこれは高望みしすぎか
逆に織田側にしてみると
絶対的目標 今川の後詰め部隊に尾張をこれ以上侵食されるこなくやり過ごす 当面凌ぎ切ればまた次のチャンスもある
努力目標 大高城奪取 できれば今川本隊来る前にやっときたかったけど難しかった 長篠とは立場逆
希望的目標 義元の首をとって尾張国内から今川駆逐 無理ゲーだろそれなミラクルだが実際にそうなってしまった。
0361人間七七四年
2015/09/16(水) 21:00:35.12ID:nwnWF8SF桶狭間の時点で、尾張南部の掌握は名古屋城を残して
ほぼ完了してる段階じゃね?
0362人間七七四年
2015/09/17(木) 00:00:38.68ID:niBwKFAp0363人間七七四年
2015/09/21(月) 23:01:35.57ID:2I/anakh0365人間七七四年
2015/09/22(火) 21:35:48.74ID:UP0HvdpX0366人間七七四年
2015/09/23(水) 14:11:22.21ID:m6l4z0He流刑者の子孫?
0367人間七七四年
2015/09/23(水) 15:19:11.20ID:8OTKlYpz>水軍もまともに暮らせない
千賀重親や信親は知多だし、江が最初に嫁いだのは佐治水軍だから、
その話おかしくね?
0368人間七七四年
2015/09/23(水) 19:54:02.12ID:1Oxc8Kc5これが、知多人だ 思いしれ
0369人間七七四年
2015/09/26(土) 14:10:38.99ID:Lx6q2wPW0370人間七七四年
2015/10/12(月) 20:49:23.57ID:jRHwZx5J知多半島の師先水軍は元康に従属してるね
前もって根回ししてたのだろうか
0371人間七七四年
2015/10/20(火) 01:19:01.30ID:lXAbqYMn後は今川氏豊(氏親の子・義元からみれば実弟or今川家傍流の人間)の
旧領である那古野城近辺まで持って行ければ、織田と手打ちの目もあったかもしれない。
0372人間七七四年
2015/10/21(水) 14:40:09.95ID:nAjpZx/tリニューアルしたら、その展示スペースが大きくなるのに期待。
0373人間七七四年
2015/10/22(木) 00:51:53.28ID:ESSE07FS考えてたのかも知れない。
駿河よりずっと京都に近いし。
0374人間七七四年
2016/02/10(水) 06:06:19.08ID:ijhC9ro3https://www.youtube.com/watch?v=IDLUKFTe0p0 メジャールールブック総務京都米予算
https://www.youtube.com/watch?v=fDO_QMfIvSc
ニューヨークネックス従業員英産プルトニウム任天プロチャイニーズオージービーフステーキ(キッペイ武田ファンド
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています