戦国日本最強の国
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0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/07/04(火) 23:34:42ID:QqsMiOFU合戦とか武将ネタ飽きたんでそこら辺語ってよ
国別・大名別の経済政策なんかも織り交ぜてみよう
0261白馬青牛
2006/08/27(日) 01:56:39ID:kk0kglvX世界的精強と云えば過去の日本軍はそうじゃが、現在においても
精強とされとるんは、ネパールのグルカ兵。ロシア兵は、鎖に繋がれる
奴隷兵で、支那さんよりも弱いよ。世界的に八路軍、李宗仁の広西軍、
国府軍の栄誉第1師等、ツンゴピン(中国兵)も強いけどね。
>>250-251
学界の権威を借りても意味がないが、形質人類学、DNAやHLA遺伝子
でも近畿を中心にした西日本は渡来系。
毛利側の資料の『陰徳太平記』(現代誤訳)を引用すると、秀吉は、
「畿内・坂東・中国の兵は、野戦においては優劣を分け難いが、
こと城を守ることにあっては、中国武士がはるかに勝っておろう。
このように畿内・坂東より優れた中国勢を退治する為に、柴田・惟任・
滝川を始め、諸将多き中に、この秀吉を選ばれたことからみても、信長様が
よく人を知る名将であること、明らかであろう。」とあり、秀吉が
ほんまに、そう語ったか解らんが、後の広島師団の比類ない防御実績から
実証されたとも云える。
0262白馬青牛
2006/08/27(日) 02:48:02ID:IXOZR8oJ喧嘩に運動能力や非力じゃ言い訳がましいのう。身長差や格闘技も
関係ない。壁に向かうて自分の鼻から助走して突撃してみりゃあええよ。
あんた、ボクシングやっとっても、禁じてのバッテイング(頭突き)の
威力は解らんのか?ろくに喧嘩しとらんのじゃのう。彼女がおるんなら
思い切り頭突きを食らわしてもろうたらええよ。自動車事故でも
フロント・ガラスを壊し、飛び越える威力があるんじゃにのう。関東人は
駄目じゃ。朝鮮人の方が白人や黒人にびびらず、頭突き(パチキ)を
食らわす。広島じゃ朝鮮語の影響か、パチ食らわすど云うとったか。
かわされたことは、生憎ないけどね。相手を戦闘不能にするのに、
あまり時間はかけられんじゃろ。数秒一撃じゃないとね。
武器は砂に限らんよ。酒飲んどる時は度数の強い酒を相手にかけりゃええ
ことじゃし、カウンターの椅子がはずれるんなら、利用出来る。
灰皿があったらなお便利じゃ。相手をシゴ(処理)した後はその場を、
退散するのみ。シゴして何人か気絶させといて、それを肴に酒飲んどる者は
腕っ節が強うても喧嘩馴れしとらん者じゃ。相手が味方を何人呼ぶか
解らんのに呑気に酒飲む神経は理解出来んわい。こういう相手には、
体力が衰えようと負けるこたあない。隙を見せたら終わりじゃ。
そういえば、幼稚園児の頃の喧嘩の武器は石が最初じゃないか。
すぐ勝負を決めれるし。
0263名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 07:23:34ID:omZTRqDn0264名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 09:22:21ID:6Fu/0pva『陰徳太平記』ってw江戸泰平の世に長州藩士が著者の軍記物でしょ。
秀吉、関東武士と野戦してないし。
既出だが、一級史料『信長公記』で太田牛一から見た関東武士。
>関東衆馬上の巧者にて
中世の史料、『田植草紙』(鎌倉,室町期の中国地方の小歌)にある。
「坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた」
・大伴家持
あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒
額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ
まっ、卑怯な振る舞いは岡山以外の中国人と半島の人に任せるよ。
>>262やくざうし
妄想乙。能動的な運動と、受動的な運動の違いが理解出来まつか?
牛ちゃんは本物の暴れ牛だったか。前科何犯?w
0265名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 10:09:30ID:liQOg3CR若い頃の話してんのか?よくいるよな若い頃の武勇伝自慢するじいさん
アウトロー板に仲間ウジャウジャいるからそっち池
黒人ぶちのめした自慢話でもしてこい
0266名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 15:00:33ID:1Z3BFV9v亀だが
日本人は兵は最強だが仕官が・・・と言われてるな
日系兵士が強かったのは簡単に言えば家族を人質に取られているからだけどね
>>262
アホだな
戦闘に関するあらゆる技能を同レベルと条件付けるなら
身長ウエイトがあるほうが強いのが当然だろ
お前の議論は自分に技能があり相手に技能がないと条件付けてるから
最初から間違ってるぞ
0267白馬青牛
2006/08/27(日) 17:11:44ID:JBF/R047『陰徳太平記』は、毛利家だけや特定の個人崇拝の書物でなく、
闘った相手も賞賛しとるよ。中国地方人らしいバランス感覚じゃ。
『陰徳太平記』の秀吉の東国評価。「東国武者は死を恐れず『かかる』と
いう言葉ばかり知って、『逃げる』ということを知らぬ。しかし短気ゆえ、
長い間城を守りぬくことは難しく、また小勢でもって多数に当るときも、
いったんは勇に任せて対陣するが、久しくこらえることができぬ。」
中国勢は、「小勢で城を守り、小をもっておおいに向こうて対陣すると、
何百日、何千日を経るとも、士気衰えて引くということはない。」
秀吉は、『川角太閤記』でも武田の軍法を田舎者の合戦と馬鹿にしとるよ。
だいたい、都から弓馬を学んだ東国武士に騎馬技術もあったもんじゃない。
>>260のカザフ族と比較すりゃあ解ろう。遁走しながら突如攻撃等、神出鬼没
に馬を操るんと口取りを付け、馬柄杓で水を飲ませ、馬に乗せられとる
お笑い坂東武士じゃ。鎌倉以降弓馬に巧みというイメージがついたんに
過ぎんよ。大伴家持の言の背に矢は立てんと、昔から東国武士は騎馬戦闘の
本質を理解しとらんかったようじゃのう。
0268名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:20:38ID:zI5Of/a80269白馬青牛
2006/08/27(日) 17:34:01ID:vdKeKwjH残忍な関東人が中国地方人を批判出来るんかのう。岡山人は例外か。
>>266
日本人の兵、下士官は優秀で、将校、特に参謀は愚者という評価じゃろ。
日本兵の家族が人質に取られとったんは事実じゃが、それを持って
強かったと解釈したいんは東北人。自らの封建的体質で全てを解釈する。
喧嘩に議論も糞もない。身長や体重のせいにしてもしょうがないよ。
そういう強弱じゃのうて上手、下手の問題じゃし。あとは必勝の心じゃ。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 17:56:44ID:H5eqyx9L陰徳太平記を引用して「当時は・・・」てのはまずいんじゃ・・・
123 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/26(火) 12:28:12
本城の悪評って事実なんかな?
それとも創作?
124 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/26(火) 13:50:18
陰徳太平記なんて信用できんわな
125 :無名武将@お腹せっぷく :2005/07/27(水) 06:43:33
>123
>本城の悪評
監修・毛利氏の陰徳太平記に何を求めろと?
0271名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 20:35:13ID:liQOg3CR>残忍な関東人が中国地方人を批判出来るんかのう。岡山人は例外か。
要するにどっちもどっちって事だろ。お前も自分の事棚に上げて相手批判ばっか
してんじゃねえよ。
>日本兵の家族が人質に取られとったんは事実じゃが、それを持って
>強かったと解釈したいんは東北人
だから決めつけるなw同じ日本人だ。東北人も広島人も大して変わらん。
それともお前の頭の中じゃ同じ日本に住んでいても、広島に住んでいれば
広島人、東京なら東京人みたいに一つの都市を一つの国みたいに考えいるのか?
お前正直他の地域の事同じ日本だと思ってないだろw特に東北地方
だから東北に生まれた奴らは奴隷根性が染みついているとか、中国地方の人間は
しぶといとか平気で云えるんだろな
0272名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:20:00ID:v2oDMkIy毛利は関東の相模から安芸に移ったんだろうが。
それに、豊臣は関東に移った家康に滅ぼされるし。
0273名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 21:27:42ID:5YxDYr2/0274名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/27(日) 22:09:38ID:NUSAe+pS>喧嘩に議論も糞もない。身長や体重のせいにしてもしょうがないよ。
>そういう強弱じゃのうて上手、下手の問題じゃし。あとは必勝の心じゃ。
これは他の民族にも言えることだから反論になってないといつ気づくのだろうか
幼稚園児と会話してるみたいで疲れる
>>271
>中国地方の人間は
>しぶといとか平気で云えるんだろな
これは事実だな粘着荒らしぶりを見ればw
0275名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 00:42:39ID:VKpWjlUWまた懲りずに京都妄想をw
武士の根源は騎馬狩猟民なり。
現在の武士発生論における重要キーワード「狩猟」。
狩猟と実戦が武芸の本質。都の騎射術(平坦な馬場しかない)も東国からの伝播。
九世紀、北東北の蝦夷から騎馬技術を踏襲しても、牛の産地西国・京都から習う事なんてない。
西牛東馬だよ。
【駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、他の畿内200束
日本馬は去勢されてない暴れ馬。馬丁が付くのは全国共通だわ。あほですな。
家持が歌に詠んでる勇敢な東国(坂東)兵↓
「あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒」
「額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ」
この場合、歩兵だな。騎乗身分は限られた富裕層だ。この時代は尚更。
0276白馬青牛
2006/08/28(月) 02:34:21ID:nTFv2vr/同じ日本国籍人と云うことで、広島人と東北人では形質人類学的に人種、
更に文化、習俗、社会組織の形態が違う。同民族とは考えてないよ。
>>272
奥州藤原氏が形質人類学的に現代東北人より現代京都人に近く、
渡来系形質を持っておっても文化的に蝦夷であろう。元来毛利氏は
京都から関東へ下向した。毛利氏に限らず安芸国人衆は概ね東国系で
あるが、中国地方へ移住してからは、文化的に東国人ではない。
河内源氏も東国へ移住した連中は、人種的に西日本人でも、文化的に
関東人となったんと同じこと。まあ東日本でも上層部は、人種的に
西日本系、渡来系が多いんじゃろうけど。
>>274
喧嘩を議論や反論にならんじゃの、云うてもしょうがない。
突発的に起こるもんで、決められた通り試合するスポーツとは違うよ。
>>275
ほいじゃあ、蝦夷は何処から騎馬技術を学んだんか?
西日本経由の渡来系か?オホーツク文化人か?まさか列島独自で騎馬習俗が
発祥したとでも?狩猟文化は列島全域の山地にあるもんじゃし、
実戦とは、騎馬戦闘の技術も知らん同士の、お笑い東国武士の私闘の
ことか。西行の弓馬談義に関心する必要もあるまいに。関東や東北の
人達がモンゴル人やトルコ系等の内陸アジアの狩猟遊牧民に、我々は
騎馬狩猟民なり。と自慢しても、向こうは、じゃあ、ノネズミでも
射ってみなさい。(視力5,0がごろごろおるステップ地帯の人達と違い、
近距離で弓を射つ東国武士に出来るんかね。)騎馬の運用法も知らん
連中がねえ。お笑い騎馬狩猟民と云うほかない。
0277名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 12:01:55ID:PtYJ1d5A多少ルーツが違って文化、習俗、社会組織の形態が違っても同じ日本人ですが?
お前の理屈では都会の人と田舎の人は異民族か?雪国とそうでない国は異国か?
住んでいる場所違えば条件違ってくるんだから、生活風習だの違ってきて当たり前。
そういう違った人達全て日本人なのだよ。それは認めているのか?だとすると
異民族というのは>>271の通りかな。なんにせよ器の小さい奴
0278名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 14:07:29ID:ciSp4qxD関西も中国も九州もそれぞれ別民族だなw
0279名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 20:06:59ID:QNw8F8Ao騎馬狩猟民は地方の富裕層。西日本でも当てはまる。
騎射術は地方で磨かれたという事。狩猟が出来ない都で騎射は磨けない。
秀郷流藤原氏は、中央藤原氏と下野国在地豪族との混血。そして血は下野のが濃い。
平泉藤原氏は、軍事貴族(藤原経清)と俘囚勢力との混血。
また、実戦に疎く流鏑馬しかない西行かw馬と関係ないし。
0280名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 20:10:48ID:QNw8F8Ao秀郷流藤原氏は関東下野発祥。都に進出して鎮守府将軍も輩出してる。軍事貴族。
藤原兼光(足利,小山,平泉藤原祖)も鎮守府将軍。
坂東、都、それに俘囚勢力とも関わりがあった。
10世紀、坂東出身の軍事貴族が東北に進出してる。混血も進んだろう。
下野から都に進出、弓馬での狩猟から離れ、体も華奢になるかもな。中央貴族の血も入るし。
・奥州藤原のミイラ(参考:富士大教授,七宮氏)
清衡⇒華奢な体型で手も小さい。父の藤原経清(都の軍事貴族出身)の血を受け継いだものか。
基衡⇒小太りでがっちり型。首の太い猪首。
秀衡⇒腹の出たがっちり型。首の太い猪首。母系の蝦夷の血か。
0281名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/28(月) 20:37:06ID:QNw8F8Aoまた連投になっちゃうけど、>>267『川角太閤記』の秀吉発言は
民俗学の千葉徳爾氏が言ってるけど、古来の戦法に縛られた武田や上杉の兵法という事だろ。
組織戦vs個人技重視でもある。
北条の武蔵鉢形の小前田衆の足軽だと、その半数が馬上なくらいで(1570年)、
さらに騎乗の足軽を増やそうとしている。
裏を返せば時代遅れではあるが。
0282白馬青牛
2006/08/28(月) 23:34:59ID:hHS52Brs西日本から独立したいのは、東日本じゃないか。網野氏のように。
http://homepage2.nifty.com/abecin/05libri/0509libriamino.htm
反西国史観の網野善彦氏は、東国については自立、独立とされ、
西国は差別的、侵略的とされる。西国の天皇制は大嫌い。
西日本に征服された東日本の恨の意識が丸出しの偏見があるが、
海民好きのせいか、従来の東国共産主義的見解よりも、広い視野で歴史を
捕えておられることは評価できる。まあ宮本常一氏の影響もあろう。
じゃが、宮本氏の東日本が如何に民衆を圧迫した社会であったかを
わざと無視し、西日本の被差別部落が多いので差別的とされるんは、
やっぱり思想性か東国優先鎖国史観の枠を超えてないね。被差別民以前に
隷属民であった東日本人の民衆は、地域差はあろうが概ね農奴に
過ぎんかったのにね。東日本人にとっては、心地よい史観じゃろうね。
0283白馬青牛
2006/08/29(火) 00:20:19ID:nvXZjnLy騎馬狩猟民という概念(騎猟の児)が富裕層にだけ当てはまると云う
根拠は?奥州藤原氏の人骨が土着民であったという根拠も示してない。
埴原和郎氏の多変量解析法による分析で奥州藤原氏の三人が移住地の
現代東北人と離れ、現代京都人にもっとも近いという結果が出てるのに、
東国土着の血を強調したいのは見苦しい。関東や東北も蝦夷、縄文人の
直系でもないのに。縄文人の直系に近いのはアイヌ人。琉球人も考え
られるが。出来るだけ外来の血を薄く見たいのは被支配民の劣等感からか。
>>281
千葉徳爾氏の解釈はそうじゃ。氏は折口信夫氏の影響もあろう。折口氏の
賤視された被差別民、芸能、淫売業者の集団の土着被支配民から、都市化
した「ごろつき」から武士の起源を求めることから、千葉氏も、土着の
縄文系を重視し、狩猟・漁労民集団から武士の起源を求める考えで、
東西の戦法の違いにさほど注目されておられん。
組織戦闘でないと騎馬戦闘にならんよ。関東武士と違い『逃げる』ことを
恥とせず、柔軟な思考で戦闘せんと騎馬組織を運用出来んよ。
0284名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 00:37:13ID:zMAFsTrW0285奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/08/29(火) 00:48:26ID:uJqtTGTW残念ながら、それは東国の文化が江戸時代初期まで後進だった証左にしかならない。
0286名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 00:57:30ID:tY8PhAgu>西日本から独立したいのは、東日本じゃないか。
そんな奴いないからww大体、東日本は西日本の属国でもなんでもないから
その設定からして可笑しすぎwあんま笑わせるなwww
0287名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 01:06:01ID:HcAPkd13なんで中国地方の人間が近畿自慢をするのやら。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 19:44:53ID:AabMrtDX戦いになれていなくて弱かったとの事。城に籠るのは
得意だったけどね・・・坂東武者の名が・・・
0289名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:08:29ID:HcAPkd13それに、羽柴の大軍の前じゃどうしようもない。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/29(火) 20:33:16ID:AabMrtDXでも常陸の佐竹さんところは戦に強かったのですか?
0291名無しさん@お腹いっぱい。
2006/08/30(水) 09:08:30ID:DPNVlcOk思いつきで言われてもね。
ソースはコーエーか。
それとも関東嫌いの司馬遼か。
0292名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/01(金) 20:10:28ID:SAuNvA1B畿内王権の征服なんて、通説じゃ否定されてるな。せいぜい軍事介入レベルだろ。
東国の方が馬具・武具の副葬品がたくさん出てる。軍事的基盤地帯だから。
組織であろうとなかろうと、騎兵戦術が有効だった事実。西船東馬。
>>283構成員うし
つ財力。
俘囚、関東、畿内の混血だって言ってるだろ。奥州藤原の系譜を無視かよ。
>>285
それはちょっと違う。畿内権門都市のケガレとキヨメ。
>>288
つ>>281
0293白馬青牛
2006/09/02(土) 00:16:42ID:OAHdDnSD通説じゃ、定説じゃ、新興宗教じゃあるまいし。また捏造したいんか。
東国の胡服、騎馬習俗が西国より早いと云う定説は、知らんね。
近畿経由でなく、山陰、北陸を経由して高句麗の馬文化が
関東へ流入しても、牛車が、欠落しておることから、全体でなく、一部の
文化流入であろう。
人類学的に東日本人は、西日本か渡来人に征服されたと云うこと。
奥州藤原氏が混血にしては、関東、東北の縄文的、原住民的要素が無さ
過ぎる。基本的に西日本系か渡来系。
東国と西国の違いは、ケガレとキヨメと云う抽象的な問題でなく、
東西社会制度の違い。東国人が籠城戦に弱いんは、>>267
0294名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 00:23:14ID:mjqf8QMe0295奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T.
2006/09/02(土) 00:27:18ID:/1ZSBT390296名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 00:39:35ID:kBf1lHh0聞いた事もないことネツゾウ珍説ばっかりw
牛車?平安時代以降だと思うんだが。西牛東馬。
古墳時代後期から関東信濃甲斐が畿内を圧倒してるわけで>馬
東西殺生観の違い⇒ケガレ⇒京都発・被差別民。
陰徳太平記w
0297名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 01:31:04ID:kBf1lHh0【日本書紀】
日高見国・・・・・勇み悍し
東の夷は識性暴び強し
その東の夷の中に、蝦夷は是尤だ強し
【続日本後紀】
弓馬戦闘は夷獠の生習
【続古事談】
近衛舎人は弓矢を具すといえども、武勇には及ばぬ者なり
0298名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 16:29:37ID:DuDFz+2W立花道雪・高橋紹運・立花宗茂を輩出した大友が凄く感じる。
0299名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/02(土) 19:54:50ID:XHJ4gKy/0300白馬青牛
2006/09/02(土) 23:47:33ID:8nqNxdoLわしゃあ、何回も書いとるが、何処を捏造したんか具体的に云えいいや。
http://www.chunichi.co.jp/hold2002/kouko/k20011205-1.htm
七世紀後半からも出土しとるのに、「牛車」が平安時代以降とする根拠が
解らんよ。後文も毎度同じ主張を繰り返す、関東お笑い騎馬軍団の
スローガンの繰り返しじゃないか。
>>297
弓馬戦闘の「夷獠之生習 平民之十 不能敵其一」中国でも、匈奴や
女真に対する漢人の文書も北方系1に対し漢人10。南方の越人に
対しても、漢人百と雖も越人一、二に当らじ。ともあるが、十や百対一も
文書の常用句であり、越も強国とは云えず、何時も負けておるではないか。
騎馬の運用が奇襲であると理解しとったんは、壬申の乱の時の文氏のような
河内の豪族だけじゃったろう。常用句を文字面通り、勇敢じゃったと
解釈する東国人の知能の低さもあるが、文献を考古学や人類学的要素を
無視し、文献の文字面を額面通り受け取り、同じ主張を繰り返すんは、
低脳振りを現しておるに過ぎん。人類の進化論は、聖書の記述にない。
人類の起源は、アダムとエバに始まった。と極端に云えば、進化論を
否定することにもなる。文献至上主義の関東史観か。ほいで、蝦夷の
騎馬習俗の起源は何処か?明確にしとらん。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 00:41:49ID:6UuxW3lE例えばおまいさんが好きな古代史の水野祐氏。
西国より東国に騎馬文化の濃厚な点を指摘して、江上騎馬民族説を否定してる。
牛車の事は知らなかった。朝鮮から伝わったのは確かだろうけど。
壬申の乱は美濃尾張伊勢の兵、さらに甲斐の勇者。東国兵の活躍が大海人の勝因。
百済加羅系の馬文化を持ってた河内の渡来系豪族、この時期までが全盛期だろ。
東国に依存して、河内の馬牧は減らされていく。
考古学を無視してるのは、馬牧と牛牧の関係や古墳遺物とか無視してる牛ちゃん。
長野の高句麗系積石塚、群馬の馬形埴輪。
奥州藤原氏は母系として俘囚(蝦夷)の血が受け継がれてる。
俘囚だってアイヌじゃない。都と蝦夷を人種的に明確に区別する必要なんてないだろ。
蝦夷,東夷の「夷」=弓+大で、勇武の弓師・弓人。高橋富雄説。
実証は出来ないが、東北の馬は北からの流入も指摘されてる。戸田芳美氏とか。
0302名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 01:07:28ID:6UuxW3lE【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
『田植草紙』(鎌倉〜室町期)
戦国時代の安芸の百姓も、これを唄ってたわけだ↓
坂東殿ばらは弓は上手なるもの、空立つ鳥を射て落といたり、
さても上手や、空飛ぶ鶴を落といた
0303白馬青牛
2006/09/03(日) 01:34:30ID:z01Konltわしゃ、水野氏の日本人は騎馬も海軍も歴史的に拙劣と云う考えや、
壬申の乱の河内の馬飼いの奇襲作戦に、近江朝が奇襲作戦を否定したこと、
先の日華事変で日本の騎兵が騎兵技術に乏しかったことに、同意した訳で
水野氏の縄文期から馬が日本に生息したかは疑わしい。
聖武天皇の騎馬警護兵に、渡来系の東西史氏や秦氏が護衛に当ったが、
蝦夷を含む佐伯氏や南九州の隼人集団も宮廷の足軽門番の
役割しかない。隼人は遠吠えをして時を知らせるに至っては、
人間扱いして無いね。馬牧と牛牧の区分とは何か?
関東の馬牧も官営牧場じゃないか。農耕牧畜文化として、全体から
判断せんといけんよ。高句麗やモンゴル系の北魏の牛車文化が
東日本では乏しい。東国の東南アジアの農耕民に近い馬文化は、関東現地民
の北方渡来系の騎馬文化を拒否するもんじゃったんかも。
都と蝦夷の人種は、古代において違うが、
徐々に上層部から、西日本系や渡来系の流入で、東北人も縄文直系の
アイヌ人よりも北方渡来系の形質が増えたと云うことじゃろう。
東北の馬が、蝦夷を圧迫したオホーツク文化人(粛慎)としても、
黒水靺鞨は、騎馬よりも歩兵中心じゃったし。蝦夷の騎馬よりも
優れた騎乗技術はあったろうが、草原地帯の騎馬軍団じゃないしのう。
0304名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 01:54:41ID:6UuxW3lE近畿史観全開だねw
九州の隼人は騎馬に巧みなんだが?九州、日向薩摩は西国有数の馬産地だし。
中央の衛府の人材は地方の富裕層だぞ。
寄進された私牧が官牧になっただけ>官牧
軍団制の騎馬も自弁。つまり、無名の牧が諸国にたくさんあったわけだ。
通説:日本に騎馬流入の初期は、牛馬を農耕に使ってない。
0305名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/03(日) 03:39:25ID:oQgR3uDGOVA 1
http://www.youtube.com/watch?v=g7Tz8AzpUT4
http://www.youtube.com/watch?v=dycVVRWCRuw
OVA 2
http://www.youtube.com/watch?v=zXeCxgACH5w
http://www.youtube.com/watch?v=m7T2fQpK7cw
http://www.youtube.com/watch?v=yZqnFF8Jw48
OVA 3
http://www.youtube.com/watch?v=WVZJtwsLxLI
OVA 4
http://www.youtube.com/watch?v=FsuDwBwG0E0
http://www.youtube.com/watch?v=H9rd4IUv2sU
http://www.youtube.com/watch?v=DFrvrWxVEMY
0306白馬青牛
2006/09/05(火) 01:02:15ID:scC3ZzT/日向が馬産地であったんは、馬産初期の時代で、その後関東、東北と
移って行く。各地方で飼育した馬を河内や摂津の馬飼い集団が
調教し直し、都へ献上した可能性も否定出来ん。地方の富裕層も都で
弓馬の術を競った訳じゃし。隼人が騎馬に巧みかどうかは別として、
関東と比較すると、戦国期の島津氏の釣り野伏り戦法なんかは、
歩兵中心ながら、逃げることを恥とせず、臨機応変で遊牧民の戦闘法に
近い要素もある。かたや関東人は、「かかる」ことは知っても「逃げる」
ことを知らん。こういう融通のきかん連中に騎馬戦闘を期待しても無理
じゃ。騎兵の本質を理解しとらん。関東ど百姓の戦法は、お笑い騎馬集団
に過ぎん。馬柄杓で馬に水を飲ませにゃ、乗った人間が落ちるほど、
乗馬技術に拙劣じゃに、中央アジアの遊牧騎馬民族の人達に、
蝦夷や東国の騎馬は巧みなんです。と自慢出来るんか?
近畿地方(河内・摂津)から遠矢の技術、騎馬技術をもっと学んだ方が
えかったね。騎馬流入期の初期と期間限定ではないが、後期古墳期では、
「まぐわ」が出土しとるよ。おそらく馬でなく、牛犂農耕かと。
http://bunarinn.gozaru.jp/kinnki/osaka/kinomoto.htm
通説じゃあ、定説じゃあ、カルト宗教信者みたいな言じゃのう。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 03:03:01ID:dGdtvR870308名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/05(火) 07:45:06ID:11a2Yyyf>日向が馬産地であったんは、馬産初期の時代で、その後関東、東北と移って行く。
それ、畿内の牧だろ。ワロス
>各地方で飼育した馬を河内や摂津の馬飼い集団が調教し直し
畿内の近都牧は地方から貢上された馬を置いとくだけの牧。調教も地方でやる。ワロス
>地方の富裕層も都で弓馬の術を競った訳じゃし。
また流鏑馬。ワロス
>馬柄杓で馬に水を飲ませにゃ、乗った人間が落ちるほど、乗馬技術に拙劣じゃに
衛府のへっぽこ武官だろ。ワロス
つ斉藤別当(『平家』)、三浦浄心(『北条五代』)
0309白馬青牛
2006/09/07(木) 01:03:47ID:azKSdmqp馬ならば「日向の駒」。後に、山地の輸送に適した九州の小型馬よりも、
重装騎兵に適したタルパン系、関東、東北の中型馬を重視した。
買主である近畿人が、淀川流域の牧にしばらく放牧したことは、
河内、摂津の馬飼育の技術に頼ったとも考えられる。
馬柄杓で馬に水を飲ませると、馬の姿勢が低くなり、乗馬下手な
関東武士は、馬から落ちて仕舞うんじゃないか。ほいで、口取りと
馬柄杓がないと。一人で乗馬出来んほど拙劣じゃった云うこと。
最後は、実際に戦闘に参加した可能性の低い斉藤実盛の言で、関東人は
我々は勇敢であったと自慰しとるんか。妄想がたくましい。
なるほどねえ、関東人は思考法も硬直しとるらしい。ほいじゃけえ、
近代戦でも関東の兵団が、中国兵から弱兵と馬鹿にされる訳じゃろうのう。
0310名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:20:42ID:R7YYjpbC>関東人は我々は勇敢であったと自慰しとるんか。
って、実盛は北陸の人なんだが・・・?
0311名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:30:26ID:HjJg7GR80312白馬青牛
2006/09/07(木) 01:35:15ID:azKSdmqp斉藤実盛は北陸人じゃが、実際に富士川の戦いに参戦しとるという
根拠が見つからん。
0313白馬青牛
2006/09/07(木) 01:46:17ID:azKSdmqp社会制度、集団構成で、横社会の西日本と縦社会の東日本は違う。
民俗学的に両者が違うことは、宮本常一氏や長島信弘氏も指摘されて
おられることじゃし、日本を単一社会と決め付ける方が可笑しい。
0314名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 01:49:54ID:Fe/0zsg30315名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 02:51:47ID:HjJg7GR8むしろ2つだけに分けてる事を笑ってるんだが
0316名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 07:29:32ID:KlZbPClH全部まとめて、あほかw
日向の駒に甲斐の黒駒。
六世紀の関東や信濃、畿内を圧倒する武具馬具の古墳遺物。つまり東国>西国。
日本国内で馬が重要視されて、牧が多く設置されだしたのは七世紀後半頃からだろ。
つまり律令制以降。その頃は河内の渡来系豪族は衰退してるわw馬飼なんて過去のもの。
口取りの話は、妄想民族学者の宮本常一だろ。口取りは全国共通だ。
斉藤実盛は北陸から武蔵長井(妻沼の辺り)へ入った人。
実盛の話を肯定的に受け取る学者は大勢いる。虚構の中の真実。
縦型社会は自力救済の世界で生まれたもの。騎馬狩猟民の坂東武士ならでは。
0317名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/07(木) 21:21:58ID:KlZbPClH『平家』の実盛:例えばちょい古いけど↓ 他にもネタ持ってるよ。
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大教授・福田以久生氏)
結城家臣の場合、わずか五貫文の武士でも主家結城氏から馬を貸し出され騎乗する。
十貫文の少禄武士なら一疋一領。自弁で騎乗する。
鉢形小前田衆の足軽は半数が騎乗してた(1571年)。
戦国期でも騎馬を重視していた事は、『北条五代記』の結城秀康と朝倉能登入道の逸話で推察出来る。
『北条五代記』の成立は元和年間頃だから、『陰徳太平記』より百年近く早いな。
毛利すれと定ちゃんw
0318白馬青牛
2006/09/07(木) 23:09:37ID:VGACH9T+文化領域を小地域に区分すれば、更に分けれるが、生態学的、
地盤プレート、民俗の違いから、糸魚川〜静岡中部のフォッサ・マグナが
列島東西の区分であろう。
>>316
「太刀ならば呉の真刀」「馬ならば日向の駒」推古天皇の言葉。
この時代、刀は、中国の江南製が良く、良い馬は、東国じゃのうて、
日向と云う認識があった云うことじゃ。馬の質の良さと大量生産とは
違うよ。宮本常一氏は、『年中行事絵巻』の公家達の馬の乗りこなしの
見事なもので、この人達が騎馬民族の後裔とわかるが、その公家の後裔が
関東平野で武士化しても、多くの者が馬を乗りこなせんかったんは、
田が小さくイコール乗馬下手、車や犂をひかせる事も下手とされた。
確かに『年中行事絵巻』の騎手は、モンゴル様式に腰を浮かせ、
馬を水平に走らせ騎射しとるが、関東武士の絵巻物は、暴れ馬で、後ろ足を
高く蹴り、中には、落馬せんように馬にしがみ付いておる絵まである。
ロデオじゃあるまいし。ロデオが、人馬一体の実戦の騎馬とは笑いが
止まらん。
東国の縦型社会は、西国の同じ文化を共有する社会と違い、
支配者が西国・渡来系で、原住民と文化的相違が強く、原住民を
奴隷化したんが大きな理由じゃないか。
0319白馬青牛
2006/09/07(木) 23:25:03ID:XERl+Lt9東国人は、実盛の虚構に溺れとる。東国武士優越史観者もね。
集団を構成出来ん騎兵、退却して、相手をおびき寄せ、縦に伸びた敵兵を
側面部隊が叩く。こういうのを騎馬運用の機動戦法じゃ。
東国人は、そういう技術も無く、知能も低く、融通がきかんけえ無理か。
戦国時代においても騎馬を重要視したんは時代錯誤も甚だしい。
如何に戦闘技術に疎い連中であった事か。東国では通用しても、
西日本では、通用せんよ。
0320名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:09:45ID:uDhAvNHd0321名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:34:31ID:tpPABpKG0322名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 00:37:05ID:WZHMRcTUまた江上騎馬民族説支持者の宮本常一かwいつの話だよ。
おかしいな?藤原頼長は戦に参加してないのに流れ矢で死んだな。お気の毒に。
都の公家が馬場で遊ぶ用の馬はおとなしい奴ね。もちろん東国で調教し送られた馬。
武士が好んで用いた荒馬なんか使わない。
常一のは話にならない。現在のキーワード「狩猟」 。
>馬の質の良さと大量生産
まさにこれなんだが。河内の安い馬、痩せ馬。
【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
>>281
0323白馬青牛
2006/09/08(金) 01:52:05ID:UYkDkv+I馬を服従させる技術が調教じゃないか。暴れ馬じゃ、戦闘の役にも立たん。
家畜を飼育する技術に疎かったことを自慢するとはねえ。
朝鮮半島の馬も暴れ癖があるとイザベラ・バード女史も書いておられるが。
「狩猟」は、東国武士だけがして、西国の武士、あるいは公家がせんかった
云う根拠はあるんか?
平安期は、関東や九州より、特に馬格の良い東北の馬を求めたことは
事実じゃが、馬の使い方は乗馬用より、荷駄用に駅馬の馬借らが使う
要素が強い。
宮本常一氏は、馬に荷をつけて運びそれを人間が引っ張って行く。
人間が乗る場合でも口取りがつく。馬に荷をつける習俗は、全国的にあるが
特に東日本に多く、騎馬民族とは違う馬の使い方とされ、蝦夷の朝廷に
対して、馬の献上数が多いが、アイヌ人も馬や牛を飼っても、
農耕・牧畜用でなく、家の宝物として飼っておった。
そういう習俗が東日本にずっとあったが、西日本では、牛に犂を付けて
引かせる。騎馬民族の後裔がそのあたりに分布している。と、される。
0324名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 02:06:18ID:qKbtxiri0325名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 07:26:30ID:WZHMRcTU敵の死体を踏み越え、馬丁を引きずりながら進むような気性の荒い馬を、武士は乗りこなす。
都の公家じゃ振り落とされる。
都じゃ狩猟は出来ない。するなら外に出ないとな。
輸送用の馬は駄馬。
牛の農耕は西国の粘っこい土の水田と密接。騎馬民族のわけねーだろw
>>318デムパ
武士の弓射も基本は立鞍の前方射な。それも平坦な馬場じゃなく臨機応変に扱う。
0326名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:24:14ID:iIIRt1Ib日本の中で二地域(地方)を比較したときの差異って
いったいどれだけの有意差があるのか、
いや、ない。
0327名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 14:33:10ID:iIIRt1Ib生態学的に中央地溝帯で東西に分けられるなんてことははない。
地盤とプレートは別物だが、並列させて書く根拠は?
そもそもがうしが拠り所にしている人たちの著作にいったいどれだけの
信憑性があるのか?
0328名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 21:36:07ID:RoMOd+Hp少なくとも宮本常一の話題は信憑性ゼロだよ。
江上騎馬民族を信奉してる宮本常一(1981年没)、昔過ぎるw
中世軍事の研究の進展は、亡き常一せんせの知らない最近(特に2000年以降)の成果だしね。
0329名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 22:19:37ID:tpPABpKG説明無いからよくわからん。あと西国武士のほうが強いそうだけど、源平の戦とか
東国武士の圧勝じゃなかった?
0330名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 22:30:49ID:RoMOd+Hp東大の五味さん他が言うように、西国武士は海賊的要素を持った武士で水軍が強い。
逆に狩猟民的な馬文化の要素が少なく。陸上の戦は苦手。
0331名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:17:48ID:tpPABpKGttp://www.t3.rim.or.jp/~boogie/e407.htm
0332白馬青牛
2006/09/08(金) 23:19:59ID:MczNXbTe関東の騎馬戦闘の方法も知らん乗馬下手、ロデオ丁稚のヒステリー連投か。
荒い馬を引きずっとったんは馬丁の方じゃろ。関東武士は荷駄と同じように
乗せられとっただけじゃ。都市で狩猟する訳あるまい。近隣に決まっと
ろう。牛の農耕、犂使用は、北アジアの半農半牧民もやっとる。
東日本の農牧文化に乏しい地帯の者はそう考えるんか。西関東を別として、
関東東部は概ね平野が多いゆえ、平坦な場所じゃないか。しかも関東武士は
騎馬戦闘を理解せず臨機応変な戦闘も出来んかった。
http://www.e-tsunami.com/what_main.htm
図にある西日本のユーラシア・プレートと東日本の北米プレートの違い、
http://glin.jp/arc/arc.cgi?N=390
言葉も、西日本の「谷」と東日本の「沢」。フォッサ・マグナを列島の
東西の違いと考察出来る。
0333名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/08(金) 23:50:00ID:tpPABpKGそうだったんですか、東国の圧勝だと思ってました。
0334白馬青牛
2006/09/09(土) 00:02:12ID:CpXUGmet学説に新しいも古いもない。むしろ最近の学者の方がフィールドーワークも
せず、文献の妄想世界に入り込んどるよ。宮本常一氏は全国を歩かれ、
調査された。東国、縄文賛美の空想主義史観者と比較されてもねえ。
>>329
東国は人海戦術。つまり兵力の動員数が優った。東国武士が、西行の
弓馬談義に感心し、平家の降人から戦術を学んだことから、
東国武士が、拙劣な戦闘技術しか持っとらんのは明らかなこと。
東国は専制的な主従制で西国は民主的な合議制。
>>330
五味文彦氏に限らず先入観が強い訳じゃ。西国の瀬戸内水軍でも、
海戦に強いと云えん。中国大陸の船自体が武器となる大型船に、
ぶちかまらされたら、瀬戸内の小型船など、ひとたまりもない。
むしろ、瀬戸内水軍は、敵船に乗り込み白兵戦を主体とする、
海兵的存在じゃろう。水野祐氏の日本は、騎馬も海軍も駄目。
日本の地域の差もあるが、歩兵の白兵戦だけが強い国とも云える。
>>331
その意見は、東国優先網野史観のまる写しのような文じゃのう。
0335名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 00:26:36ID:06HreZWYレスは>>325>>328>>330
気性の荒い馬の噛み付き攻撃もありなんだよ。
平坦も何も、馬場と較べてる。川の中にも馬を乗り入れて戦うんだし。
>>334うし
何を言ってもでたらめで返す。付き合いきれんわw西行w
コピペしかないな。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 00:26:52ID:94V+ll6tずっと気になってたんだが
0337西行は流鏑馬のみ↓
2006/09/09(土) 00:27:52ID:06HreZWY馬を真っすぐ走らせ、動かぬ的を射る。軽装。
動きとしては単純。当てれば良し、強弓も要求されない。
平坦な馬場だから足場も安心、天候もOK。
敵から反撃されない。
貴族や僧の娯楽も兼ねる。様式美が要求される。
・五味氏が述べる【東国武士団】
季節を問わず、昼夜の区別なく、悪所にも馬を踏み入れて合戦を行い
その日常は高度に訓練された戦士の生活であり、反面、西国の海戦には弱い。
『源平合戦と平家物語』上横手雅敬著(京都大)2001年
・平家物語の作者はネット裏で観戦している。どちらか一方をひいきにするのではなく、
源平の両方に公平な態度で書いていて、パッションがない。
・(歴史叙述の一形式である平家物語)確かにそこには史実が記されている。
しかし史実を記したといっても、平家物語は単なる記録ではなく、紛れもなく文学性を持っている。
・生まれながらに平家の御曹司として育った清盛は、保元・平治の乱を除けば、生涯を通じて
合戦らしい合戦を経験しなかった。
為朝は「清盛などがヘロヘロ矢」とあざ笑っているが(『保元物語』)、確かに一騎打ちでもすれば
坂東育ちの義朝にはかなわないだろう。
・合戦という事になれば、平氏は源氏に勝ち目はない。
平氏の率いる西国武士は、僧兵や山賊・海賊を相手にしてきた天朝の番犬であるのに対し、
源氏の基盤である東国では、合戦自体が目的であり日常茶飯事である。
0338名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 00:37:06ID:94V+ll6tスルー
0339白馬青牛
2006/09/09(土) 01:41:37ID:UD5j/LYz噛み付き攻撃?ブラッシイか関東武士は?
コピーを毎度書いとるんはあんたじゃろう。
>>336
黒人をこずいたんが、何で気になるんかいの。黒人いう特定の人種に
劣等感があるんか?今日もTVで記者を殴った白人が捕まっとったが、
一般的にゃ、あの程度のもんじゃ。空手で云う裏拳を使わんと、
オーバー・スローのテレフォン・パンチじゃ。まあ、こっちも相手が
カバチたれた後の、相手が息を吸う瞬間を勝負じゃ、思うとるんで、
素手の場合は相手の歯がささって、拳に歯糞の毒が回っりよって、
ふくれてやれんわい、云いたい事もあったよ。頭突きも他人の毒が回るね。
喧嘩は汚いもんじゃ。道具を使うた方がええよ。
>>337
また、コピーで同じ主張を繰り返す。合戦自体が目的であり、日常茶飯事
云うんは、騎馬の戦闘を熟知せず、退却せず、思考停止で突撃する事か?
0340名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:08:04ID:06HreZWY著者:三浦浄心。成立(※国史大辞典):元和年間(1615-24)
(徳川)秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらんと。
朝倉犬也(北条旧臣能登守景隆,相州浦郷=現横須賀)承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。
ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
(略)
それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて弓・槍を用に立てんため
なるが故に、むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へあまた伴い出でて、
敵味方と人数を分ち、旗をさし弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、
馬を試みんため鉄砲を鳴らし、矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、
勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、先陣にぬきんで
駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
(略)
秀康卿聞こし召し、犬也も若き頃はさぞ馬鍛錬しつらん。昔の面影をそと学んで見せよかし
との仰せなり。
犬也承りて、愚老七十に及び馬上の振舞かない難く候。しかれども貴命辞し申すに
かえって恐れあり。御遊興にそといにしえを学んで御目にかけ候べしと、
(略)
馬も心あるにや後ろをしたい来るを、また打乗って一散に走らせ、槍を自由に使って
駆回るを秀忠卿御覧にあって目を驚ろかし、御感斜めならず。
犬也、お召しにてあるぞと呼びければ、馬を静め近く乗りよせ飛んで下り御前に候す。
(略)
0341名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 02:10:36ID:06HreZWYほれ来い↓
★守護・地頭の実態−坂東武者の全国拡散★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1128727387/72
0342名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 03:15:16ID:94V+ll6tあんたが黒人とやり合った事もないのに、日系人の部隊とか他人の例
だして黒人大した事無いと言ってるのが引っかかった。
例えば、ボクシングの試合見て負けた方に対して、自分でも勝てると思って
しまうようなタイプかと。
黒人全部強いと言ってるわけじゃないけどな
0343名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 04:53:15ID:0ezT93oR西日本が横社会?
ならなんで部落なんてもんがいまだにあるんだか。
東日本にはそれほどないのにな。
鎌倉時代に、東国の武士が各地に移住して(安芸の毛利とか)、
そしてまた、江戸時代に東国の武士が各地に移住したわけなんだが、
支配層が西日本系ってどういう意味?
0344名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 14:29:43ID:1ED+YG25地盤とプレートを並列で書くことがおかしいとわかった?
まったくの別物を並列で書くということは言葉の意味を理解できていないと
いうことになると思われ
沢と谷との呼び方・使い方の違いがどうやったらフォッサマグナになるのか?
フォッサマグナは中央地溝帯であり地質学上の話なのだが
それがどういう流れで生態学に結びつくのかだろう?
それに沢と谷のリンク先は〜と言われていますと書かれていて
断言してないのに、うしはどうして断言的な言い方をするのか?
0345名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/09(土) 20:13:28ID:MLZhUyBhアングロサクソンやゲルマンやユダヤでも相手にしてろよ。
東日本にいる西日本人は、さっさと部落まみれの故郷に帰ってくれ。
0346白馬青牛
2006/09/10(日) 00:16:55ID:wnegCjQ6何で体が持たんのん?精神病か?
>>342-343-344
黒人とやり合った事もないと何で断言出来るん?ほいで日系人の部隊は、
黒人部隊とは喧嘩しとらんよ。しかも第二次大戦時、日系人が日系人の
部隊として編成されたように、黒人も黒人兵で編成された部隊じゃった。
第二次大戦時の黒人部隊は弱かったね。比較的に損害の低い地帯に
配備されながらドイツ軍の攻撃に黒人兵士は武器を捨てて逃走る始末。
インド兵の活躍で穴を塞いだ。ボクシングの試合?何じゃそりゃ。
わしゃは、試合で勝った人間とやり合うても負けるつもりはないよ。
生死を争う喧嘩に、格闘技も糞もあるまい。
被差別部落民も東日本的な固定社会が確立するまでは、自由民じゃった。
むしろ東日本の農奴は、主人の所有物じゃったろう。
西日本が支配者であったんも、北方新モンゴロイド系の拡散で明らかな
こと。歴史を考察するんに風土条件(人的要素と地理的要素)は欠かせん。
西日本の「谷」東日本の「沢」は、中国の華北の「河」華南の「江」と
文化領域を区分するんに指標となろう。大林太良氏も、列島東西の境界は
糸魚川〜浜名湖を移行地帯とみても、あまり苦情は出ないであろうと
される。戦前の民俗学者、加藤咄堂氏も三河からは関西の習俗とされる。
0347名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 00:48:39ID:GtEkd/8F0348名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 01:21:34ID:1sMSQI7l0349名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 01:43:22ID:6ZLxWcjLつ時間的制約。
相手が妄想牛だから。
高校野球板の糞コテのがよっぽどまとも。
全盛期のフォアマンとかより強いんだ!!スゲーw
0350名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 01:48:51ID:rx09PppNほっときゃ遠からずいなくなるだろ
0351名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 02:03:34ID:l1m5mJFx史実から結論出ちゃってるんだし
0352名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 02:10:50ID:6ZLxWcjL史板で武士論コピペ撒いたといたから、移るかは牛ちゃん次第。
0353名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 04:43:19ID:xXVioAD60354名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 05:11:55ID:ea+yd5HM0355名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 21:30:52ID:ywd73yxa0356名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 16:52:30ID:aQNxsXPI0357名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/06(水) 20:08:44ID:0tCbiQEJ0358名無し議論スレにて投票方法審議中
2006/12/09(土) 08:39:00ID:rxXvzF630359名無し議論スレにて投票方法審議中
2007/02/06(火) 18:07:27ID:6WPSxryU尾張は濃尾平野の恩恵を受けてかなり豊かだったと聞く。
やはり信長が天下を取れたのは、地理的条件が大きいだろうな。
0360人間七七四年
2007/02/28(水) 14:22:13ID:I6GAyG1W■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています