福島の戦国大名について
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
0001名無しさん@お腹いっぱい。
2006/06/26(月) 22:55:19ID:F73GKVU8白河結城、二階堂、猪苗代、二本松畠山、芦名……。
こいつらについて語ってみませんか?
あと久保に萌えるのもOK。
0864人間七七四年
2010/11/01(月) 22:16:49ID:1xBr4LwD0866人間七七四年
2010/11/03(水) 07:48:03ID:oxAHjmSD0869人間七七四年
2010/11/03(水) 18:26:20ID:Z8c3Xetq針生氏て一応最後まで盛重に従ってたんだよな
0871人間七七四年
2010/11/06(土) 15:37:18ID:ckdf1j+Xさらに、娘が2代目小十郎に嫁ぎ娘を一人産み、その娘が松前安国との間に3代目小十郎と松前広国を産んだ。
さらに、その3代目小十郎の娘が伊達宗房に嫁いで産んだ子が4代藩主綱村公の養子と成り、5代藩主吉村公になった。
以来、伊達家は吉村の子孫になっている。つまり、伊達家、片倉家、松前家とも芦名の血統なのだ。
偉大なり芦名!
0872人間七七四年
2010/11/06(土) 15:45:25ID:ckdf1j+Xつまり、白河氏も女系の芦名子孫。
他に、登米伊達家、亀田岩城家も伊達吉村系からの養子を迎えたたため、芦名の血を引いている。
かつて福島県領域に割拠していた諸族は、現在に至るまで綿密な血のネットワークを保って続いている。
伊達氏及びその血族は、大まかに分けて伊達吉村系(=芦名・松前系)、石川昭光系、伊達宗元(安芸)系に3分されるようになった。
嫡流の、伊達綱宗ー綱村系は絶えてしまった。
ちなみに、肝心の亘理氏は石川昭光の男系子孫になってしまった。(女系で血はつながっている)
田村家は一時石川家の血筋になり、愛姫の血を引いていないため地が途絶えてしまったが、現在は伊達吉村系になったため(伊達忠宗の血を引くため)
田村麻呂の子孫に戻ることが出来た。
岩城家も血のつながりのない三沢の血筋になってしまったが、現在はちゃんとつながっている。
0873人間七七四年
2010/11/09(火) 20:07:07ID:nQ+eGteV0874人間七七四年
2010/11/16(火) 06:43:23ID:jPl4qtUk0875人間七七四年
2010/11/18(木) 02:06:19ID:VuOfgyXW確か松前氏は、景長次弟の跡を、かなり年の離れた末弟が継いでいて、末弟の出生年時、重長女は四十を過ぎている。
江戸時代も時代が下がると、三十前半で御褥御免の風習が、一般武家社会に浸透したと、聞いたことあるので、景長末弟の実母が、重長女の可能性は低いと思う。
0876人間七七四年
2010/11/19(金) 23:05:28ID:uXvRh8etまた、片倉・松前・宮床伊達・白河・芦名の5家は複雑に姻戚関係を重ねているので、芦名の血はちゃんと引いている。
さらに、伊達宗家由来の人物が養子または嫁に来た場合も芦名の血が混じる。
ちなみに涌谷伊達・岩出山伊達・亘理伊達・亘理・中島家もかなり姻戚関係が深いため、いったん断絶した血がすぐに復活した
0877人間七七四年
2010/12/20(月) 23:15:17ID:QIM/orY+0878人間七七四年
2010/12/27(月) 21:27:15ID:qHmEdErS0879人間七七四年
2010/12/29(水) 14:11:11ID:90jVp0OAどこの祭り?うらやましい
0880人間七七四年
2010/12/29(水) 17:18:45ID:BNeBUM9g0881人間七七四年
2011/01/02(日) 00:11:27ID:a4xqTJW8そうすると近内光広、泉光専は石川の血族だよね?
何で苗字が石川ではないのかな?どっかに婿養子に行った?
昭光とは不仲だったのかな?
この二人は伊達に行かなかったのかな?
三芦城には蒲生勢が入ったと聞くけど、その後の石川一族はどうなったのだろう?
石川昭光は三芦城には戻って来なかったのかな?
0882人間七七四年
2011/02/09(水) 12:51:23ID:PGxlzExv地元に残ったはず。
その地方にはそんな名字が多いから農民にでもなったのでは?
やっぱ伊達から婿を取ることは生き残りの手段だったんだよ。
0883人間七七四年
2011/02/20(日) 15:41:36.05ID:q1Fu9dPH0884人間七七四年
2011/03/27(日) 05:33:02.11ID:rr95PNX20885人間七七四年
2011/04/01(金) 17:25:39.84ID:r9mQTtDe0886人間七七四年
2011/04/01(金) 17:43:58.97ID:cff6j7Qq仙台観光史学では相馬は滅亡してんのか?
0887人間七七四年
2011/04/18(月) 22:21:15.34ID:/KDbrktR0888人間七七四年
2011/04/28(木) 13:01:37.80ID:9wdQyX8x0889人間七七四年
2011/04/29(金) 08:43:03.83ID:gWumNjXj0890人間七七四年
2011/04/29(金) 08:59:20.49ID:joL9sMIJ0892人間七七四年
2011/04/29(金) 11:59:27.14ID:joL9sMIJ0893人間七七四年
2011/04/29(金) 13:38:01.39ID:yn0hB3qyそれ自体は問題ない。
問題は面白くて優れた脚本がない事だろう。
相馬にはまだ知られていない史実がたくさんある。
後で捏造大河扱いされるのは嫌だな。
0894人間七七四年
2011/04/29(金) 13:51:00.70ID:gWumNjXj意外にも案に反して相馬安堵となりガッカリしたんだよな政宗。
しかも政宗が相馬に「このままじゃ相馬は改易だけどどうすんの?伊達指揮下に入る?」と脅して
相馬を傘下に組み込んで上杉を襲撃した挙げ句に大敗した月夜畑の敗戦を根拠に相馬が徳川方なのを証明して認可されたと言う政宗の墓穴展開。
0895人間七七四年
2011/04/29(金) 17:52:02.76ID:j3BoksM0政宗ごとき横山光輝の漫画で虎哉和尚にボコボコにされるから
べつにディスらなくていいよ。
そもそも奥相茶では月夜畑の戦いは相馬から仕掛けたことになってるので却下。
互いの同意の上で仕掛けた戦闘にもかかわらず、大将の義胤が出陣していない事を
いい事にこっそり意趣返しを謀る姑息な家臣がいればいい。
ちょうどお前みたいなのがいいな m9(^Д^)プギャーーーッ
0896人間七七四年
2011/04/29(金) 18:12:14.58ID:o7hj7FD1いやいや政宗が「家康公天下掌握〜景勝も無か如く成りたまう〜今更政宗と一和したり〜後日、家康公より御咎めあらば其の時〜」
などと政宗に脅迫されたのが発端でしょ。
もっとも「伊達の者をば皆も討たせよ。相馬の者をば討たせぬ様に下知せよ」と言ってるから(事実、相馬150人に対して伊達は250人が上杉側に討たれた)
相馬側は政宗の無礼な物言いに怒って謀った挙句に
この戦を根拠に安堵を勝ち取る華麗な知略を見せているのは評価されよう。
これは相馬が上杉に内通してたようにも考えられる。
そもそも相馬側討ち取られ名簿自体がテキトーな武者名を書いたらしく
「後難を考えて討ち死にの者の名字無きには名字を付けて帳に作り」本多正信に提出してるしw
0897人間七七四年
2011/04/30(土) 00:05:51.49ID:9mX63PXz0898人間七七四年
2011/04/30(土) 00:19:43.43ID:9mX63PXz「家康公天下掌握〜景勝も無か如く成りたまう〜今更政宗と一和したり〜後日、家康公より御咎めあらば其の時〜」
この一文のどこが政宗に脅迫されたことになるんだ。
単に相馬に先見の明があっただけの話じゃねえか。896の読解力に乾杯。
0899人間七七四年
2011/04/30(土) 00:27:16.30ID:jxxRZULE0900人間七七四年
2011/04/30(土) 01:12:54.00ID:V+mYRRvK情報操作を謀る政宗にそっくりな性格の896に乾杯
0901人間七七四年
2011/04/30(土) 01:54:13.20ID:jxxRZULE読んだことないくせにデタラメ発言する伊達厨ってキチガイにもほどがある。
0902人間七七四年
2011/04/30(土) 02:26:49.03ID:/E6c3VDNお前みたいなやつのためにも早く大河ドラマ化されるといいな。
中学生でもわかるようにな。
0903人間七七四年
2011/04/30(土) 05:08:34.39ID:urd+OQI+0904人間七七四年
2011/04/30(土) 07:57:37.21ID:jxxRZULE隙間もなくつながってんだよ。
さらに政宗が白石や福島を攻めたのはだいぶ前の話で
政宗が主語で無ければわざわざ冒頭に持ち出すのは不自然だし、
のちに唐突に伊達と一緒に攻める話が出てくる不自然さが解決できないだろ。
そもそも月夜畠夜討事の前の話が最上討伐の直江軍に参加した相馬の泉胤政が三成敗亡で加増が無しになった話を出してるんだから。
その最上陣の話の前提を兼ねて正月前に政宗が相馬家中に語った話であり、「今更、俺と一和しても攻める小城すら無いし後日、家康にお咎めあったらどうするんだよ?」と脅迫してんだよ。
なんせ相馬側は上杉佐竹側であり、関ヶ原後の政宗は家康側であり遠まわしに伊達傘下になれば家康に執り成してやると政宗が偉そうに語ってわけだ。
だから意趣返しとも言うべき「伊達の者をば皆討たせよ」と言う報復案が出されるわけだ。
さらに政宗の申し出に内通して下知を請うた事実は相馬の面目に関わると言う義胤に対して
利胤は若年ゆえ政宗へ内通したのも苦しくないとして利胤から政宗へ返答することで妥協してる。
だから政宗が主語なわけ。
0905人間七七四年
2011/04/30(土) 12:34:07.35ID:VLSkhtvG相手にしちゃだめ。スルー推奨。
0906人間七七四年
2011/04/30(土) 15:21:34.73ID:YB6vt1a4あのな、原文が隙間もなくつながってることなんて解ってるし、
政宗が白石や福島を攻めた後なら「一族家臣等」が主語でも
原文はどこも不自然じゃねえ事ぐらいわからねえのか。
>>のちに唐突に伊達と一緒に攻める話が出てくる不自然さが解決できないだろ
おいおい奥相茶が時系列に語られていない事も理解できてないらしいな。
逸話ごとに時間が重なったり戻ってるのによ。
>>その最上陣の話の前提を兼ねて正月前に政宗が相馬家中に語った話であり、
「今更、俺と一和しても攻める小城すら無いし後日、家康にお咎めあったら
どうするんだよ?」と脅迫してんだよ。
んなこと言ってねえよ。
政宗が福島城を攻めた後で、一族家臣等が「家康が天下を掌握する事がほぼ確実となり、
今更政宗と和睦したところで攻める城もないし、後で家康に咎められたら
どう申し開きをするべきか」と盛胤義胤に相談している話だ。
>>遠まわしに伊達傘下になれば家康に執り成してやると政宗が偉そうに語ってわけだ。
こんなことは奥相茶には書かれていないからな。
0907人間七七四年
2011/04/30(土) 16:38:08.10ID:VLSkhtvGよりにもよって無理矢理「等」で主語にしちゃうんだから・・・
どこまで政宗美化をすれば気が済むのかねぇ。
その歪曲解釈を押し通すなら
そもそも政宗が白石や福島を攻めた後にって書く必要性無くなるじゃんw
それにじゃあ何でいきなり「伊達の者を巻き添えに引き込む」話に繋がるんだよ。
政宗からの申し出が無ければ伊達を巻き込むなんて唐突に空から降ってくる理不尽さが解決できないよね。
なんで相馬はいきなり伊達の者を討たせようとしてんの?
その解釈じゃ意味不明すぎる。
0908人間七七四年
2011/04/30(土) 17:31:51.80ID:f3jIrmT8「いつ」の出来事かを書くのは文章の基本だと思いますが?
>>907
相馬の恥さらしだな。いつ誰が政宗を美化したんだ。
お前の反論の相手が相馬派の人間でないとどうして言い切れる。
指摘された部分の間違いだけ認めればそれでいい。
月夜畑の戦いを否定しているわけではないし。
それ以外の部分は別に否定しているわけではない。
そして907の読解力に乾杯。
0909人間七七四年
2011/04/30(土) 17:39:29.59ID:VLSkhtvGそれにじゃあ何でいきなり「伊達の者を巻き添えに引き込む」話に繋がるんだよ。
政宗からの申し出が無ければ伊達を巻き込むなんて唐突に空から降ってくる理不尽さが解決できないよね。
なんで相馬はいきなり伊達の者を討たせようとしてんの?
その解釈じゃ意味不明すぎる。
0910人間七七四年
2011/04/30(土) 20:14:37.85ID:+XexSymmあるにきまってんだろ。誰に読み聞かせる為に書かれてんだ。
奥相茶はもともと見聞した逸話を集めたもので、
「月夜畑の戦」と「利胤が政宗に書状を送った」という話は同時間軸の別の話だ。
相馬の内輪話でもあっちの話ではこうなっている、
こっちの話ではこうなっているというものを
だいたいの時系列で並べだけだから、同じ時間の話が重複してんだよ。
すり合わせが必要だということだ。小説みたいに読んでんじゃねえよ。
そもそも月夜畑の戦を相馬側から伊達側に話を持ちかけた事を否定できるのか。
利胤は政宗と和睦しても構わないという事を書かれてるじゃねえか。
>>なんで相馬はいきなり伊達の者を討たせようとしてんの?
相馬の手勢の損害を少しでも減らすためと
自分たちの既得権益を守るために決まってるだろうが。
保身だ。保身。あんまり笑わせるなよ。
だから大将の義胤が出陣していない事を
いい事にこっそり意趣返しを謀る姑息な家臣がいればいいっつってんだよ。
どうせ利胤の代で大量にリストラされ帰農したり浪人するんだしな。
その中にいいのがいるだろ。
いつの世も繰り返すこの人間の悪行。
殺しあわねば生きていけぬ愚かさは神や仏でも救うすべはないのだ。
平和な世の中と労働のありがたみを知れやバカどもという話。
0912人間七七四年
2011/04/30(土) 20:35:40.95ID:+XexSymm結果的に旧領復帰されるんだしw
0914人間七七四年
2011/04/30(土) 20:53:04.53ID:+XexSymm0916人間七七四年
2011/05/01(日) 06:40:36.48ID:OGdRIs5K政宗が申し上げると記述するに決まってるだろ。
なんかもはやケチのつけ方すら極限まで苦しくなってきてんのな…
0917人間七七四年
2011/05/01(日) 08:59:03.69ID:eDHCZftL0918人間七七四年
2011/05/01(日) 09:13:41.79ID:eDHCZftL0919人間七七四年
2011/05/01(日) 10:34:46.34ID:nHvxWG63>>あるにきまってんだろ。誰に読み聞かせる為に書かれてんだ
別にあえて政宗を名指しで持ち出す必要性はない。
>>同じ時間の話が重複
してない。
>>小説みたいに読んでんじゃねえよ
別に読み方自体が内容を左右するわけでもない。
>>相馬側から伊達側に話を持ちかけた
冒頭に政宗が相馬に話を持ちかけたから相馬が伊達と一緒に上杉攻めを考えたに過ぎない。
>>相馬の手勢の損害を少しでも減らすためと自分たちの既得権益を守るために決まってるだろうが。保身だ。保身。あんまり笑わせるなよ。
もう完全に無茶苦茶で論理破綻しまくり。
実際は政宗の無礼な脅しに対する意趣返しだから。
0920人間七七四年
2011/05/01(日) 12:41:18.15ID:ieJyYa0D0921人間七七四年
2011/05/01(日) 13:08:46.45ID:kyibMTzx0922人間七七四年
2011/05/01(日) 13:28:11.93ID:OGdRIs5Kなんら脈絡も意味すら無くいきなりチキン相馬が関ヶ原後の生き残りを謀り
伊達を罠にハメてブチ殺そうと思いつき
善意の伊達は何も分からないままに
DQN相馬によって福島で250人も討たれた挙げ句に
悪魔相馬の為に政宗が家康に安堵を願って相馬を救ってくれたとの事です。
0923人間七七四年
2011/05/01(日) 20:33:28.12ID:Q3NaRYAL0924人間七七四年
2011/05/01(日) 20:55:43.07ID:Q3NaRYAL0925人間七七四年
2011/05/01(日) 21:34:40.12ID:cifpcwft0926人間七七四年
2011/05/01(日) 23:26:44.80ID:Q3NaRYAL資金をふんだくるわけですね?わかります。
0928人間七七四年
2011/05/02(月) 03:36:35.49ID:D4tB44+g0929人間七七四年
2011/05/02(月) 09:11:55.09ID:33yW4L+r0930人間七七四年
2011/05/02(月) 10:25:18.88ID:9umVhkrW起承転結の起承の部分がなくて
いきなり狂った相馬が伊達を罠にはめようと思いつく「転」からスタートw
そりゃあ伊達もよくわからないまま津波に巻き込まれたようなもんだなw
0931人間七七四年
2011/05/03(火) 00:27:32.51ID:icS+C1y5http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1281096529/
0932人間七七四年
2011/05/03(火) 09:58:19.90ID:GiUWgUGo0933人間七七四年
2011/05/03(火) 10:56:47.62ID:F1Uv+osE0934人間七七四年
2011/05/03(火) 14:05:25.91ID:CkaCk2Lc0935人間七七四年
2011/05/03(火) 21:08:15.34ID:JIM9PAE0夜ノ森がどうとか...
0936人間七七四年
2011/05/03(火) 21:35:49.78ID:JIM9PAE0夜ノ森=余の森
小良が浜=おらが浜
0937人間七七四年
2011/05/04(水) 01:37:52.72ID:g/9meDyM人間とはかくも醜いものなのですね( ´∀`)
0938人間七七四年
2011/06/11(土) 15:57:27.42ID:3pFUiFxP0939人間七七四年
2011/06/11(土) 17:03:17.54ID:hDgfP5BB0940人間七七四年
2011/06/21(火) 17:41:47.61ID:dj/YLnJe0941人間七七四年
2011/11/25(金) 16:57:25.14ID:gc4RCA+N0942人間七七四年
2012/01/31(火) 23:03:51.63ID:d3j9PmEU0943人間七七四年
2012/02/04(土) 20:51:13.05ID:47PEYtdk0944人間七七四年
2012/03/04(日) 17:39:44.95ID:vUMiwvHe沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html
0945人間七七四年
2012/03/07(水) 09:09:56.06ID:oOqwJsRR自分の領地が未来で閉鎖されるとは・・・相馬も泣いておる
0946人間七七四年
2012/12/05(水) 01:46:01.88ID:jqZo846H福山哲郎氏は、本書において当時の官邸の動きについての克明な記録を残している。これは、後々まで参照されることになる一級の資料となるで
あろう。政治家は過去ばかりでなく、未来にも責任を持つ。それでは、震災後の官邸は、未曽有の原発危機にどのように対応したのか。われわれ
国民が想定していた以上に、官邸は原発事故の深刻さに緊迫していた。最悪の事態へと発展すれば、東京にまで被害が及んでいただろう。3月11
日の深夜、「燃料被覆管破損」と「燃料溶融」、いわゆるメルトダウンに至る深刻な危機が発生した。張り詰めた空気の中、現場は直ちにベント
をして、爆発を避けるために圧力を逃がす決断をした。しかし、東電本店はそれを許可しない。菅首相は直接現地に赴き、吉田昌郎所長に指示を
出す形で、ベント実施へと動かしたかった。菅首相の現地視察が、仇となった。それだけではない。海水注入により冷却化を目指していた所長の
指示に対して、本店は官邸に配慮してなかなかその決断ができない。本書によって、官邸にいた東電元副社長の武黒一郎フェローが、その中断を
求めていたことが明らかとなる。現場が重要な決断を行いながら、本店が幾度となく壁となる。菅首相は、困難な状況で決死の対処を続ける現場
に厳しく指示を出し、責任を持って事故に対処するよう告げた。それはまさしく、政治主導であった。しかし同時に、現場は繰り返し「政治主導
の混乱」に苦しむ。官邸の外にいると、その実態がよく分からない。分からないまま、東電・保安院に対する批判が続いた。本書はそれに対する
有効な証拠となる。後の歴史は、いくつかの重要な決断を行った東電や当時の野党に対して、より正しい評価を与えるかもしれない。
0947人間七七四年
2013/03/10(日) 07:07:43.38ID:q2LVYr5Y0948人間七七四年
2013/03/13(水) 12:48:14.43ID:xSvYTjX70949人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:lBc0JS+X余計に誰も見ないだろ・・・
0950人間七七四年
2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:ZehmqZ+Z0952人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:3o3oRkulだから戦国時代にこの地に強力な勢力は生まれなかった
近隣には二本松畠山、須賀川二階堂、三春田村と名族がひしめいてるのに我が郡山に自慢出来る戦国武将がいないのは残念だ
0953人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:XKKY+fLD郡山では曽我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経の子、伊東祐長が片平城を築いて
安積伊東氏の祖となった。この伊東氏は日向の戦国大名の伊東氏や伊勢の
長野工藤氏と同族だ。だが周囲に名族がひしめく中で成長する事が出来ず、
最終的には宮森城主大内定綱の弟親綱が継承して片平氏を名乗ったという。
片平親綱は紆余曲折の末に兄の大内定綱とともに伊達政宗の家臣になった。
また伊東氏の武将、伊東肥前守重信は郡山合戦で窮地に陥った伊達政宗の
身代わりになって死んだと言われている。
伊東氏は伊豆国伊東荘が本貫なので安積郡の温泉地に磐梯熱海と名付けた。
0954人間七七四年
2013/08/19(月) NY:AN:NY.ANID:XKKY+fLD0955人間七七四年
2014/04/02(水) 19:40:56.21ID:eqtvy+EH0956人間七七四年
2014/04/02(水) 22:37:26.05ID:+q4KUMhK0957人間七七四年
2014/09/24(水) 08:30:46.65ID:nSLWwkOd0958人間七七四年
2014/12/15(月) 00:04:37.64ID:a8kp2YN2伊東氏は、周囲に名族がいたからではなくて当主が早死にしたりして戦国大名化できなかったみたいだよ。
0959人間七七四年
2014/12/15(月) 09:28:38.36ID:DPhiBOM0私も相馬や伊達に関心があって、素人なりに本を読んだりしてるのですが
知らなかった話が多くて驚いています
やっぱり地元の人で、自然に知っておられるとか?
郷土史研究などで独自の資料がたくさんあるのでしょうか?
私も皆さんのようにもっともっと詳しくなりたいです
勉強の方法や資料など教えてください
amazonで手に入るようなレベルの
伊達家や相馬家の本はだいたい読んでいます
amazonで手に入らない森鎮雄先生のご本もいくつか持っています
0960人間七七四年
2014/12/15(月) 14:00:42.79ID:LoMmgt2Z0961人間七七四年
2014/12/15(月) 16:06:13.64ID:PSHnrMEM福島の郷土史家で田村清顕や田村家研究してる人って居ないのかな?
1560年〜70年代の佐竹vs芦名の対決や伊達vs南陸奥連合語る上で
清顕や田村家の立ち位置は白川義親等とともに重要なバランサーだと思うんだけどな。
0962人間七七四年
2014/12/16(火) 01:18:56.65ID:GLQjHkUC例えば、伊達政宗の資料でも地元を視点にした書き方してて、同じ伊達政宗でも違った見え方して好きですけどね。
ただ、地元上げでどこまで正しいかわからないですけどね。
0963人間七七四年
2014/12/19(金) 19:13:32.26ID:f110j1GR田村家は、飛騨の金森氏と同様に、大名でなくなってからも
幕府から一定の役職をもらっていたと記憶している。
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。