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大谷吉継

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/19(月) 22:49:50ID:GVMAk+lg
かっこよすぎ
0002名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/19(月) 22:54:22ID:lv/V7r6L
2げと
0003名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/19(月) 23:10:48ID:qRB/B07g
三成と義友。
0004兵部どの2006/06/19(月) 23:41:19ID:E185W8xA
小田原の役のときは「大谷吉隆」という名前でしたね。
0005名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 00:49:45ID:3xsW46QE
小早川秀秋は許せん。
0006名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 01:24:13ID:CXNp7CE0
愛してるよ紀ノ介
0007名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 12:18:28ID:XF3sWoj7
きんもー☆
0008名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 13:42:20ID:YqF7QtWp
>>4 いいえ
関ヶ原前に吉継→吉隆に改名
0009名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 17:36:09ID:n9khY973
らい病だったから顔が超変形してたとかなんでしょうか?
0010名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 20:31:21ID:nlCxe46N
吉継の膿か鼻水が入ったお茶を、三成が飲むっていう話は実話なの?
0011名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 21:58:51ID:yBIZHHyS
三成と吉継は盟友だったけど実際にはどんな感じだったんだろう。
0012名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 23:36:14ID:qYxiiWwM
>>10
俺はそのエピソードで三成と吉継ファンになった。
0013名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 01:23:14ID:ABJrd4RA
>>11実際は官僚仲間って感じじゃ無いの?
秀吉があまり軍功の無い吉継に気を遣って云った言葉・・・
「吉継に百万の軍を指揮させてみたい。」
0014名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 18:12:21ID:Wh7JBhfX
三成と吉継は子供の頃から友達だったらしいよ。
吉継が秀吉の小姓になれたのも、先に小姓になっていた三成の推薦があったからみたい。
0015名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 19:14:30ID:Wh7JBhfX
>>13
その言葉は、才能はあるのに病気の為、思い通りに表舞台で活躍出来ない吉継を惜しんで言った言葉らしいよ。

でも色々な説があるのかな?
0016名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 23:14:47ID:pIxGR/6A
>>14
よく聞く話だけど、それは作り話で出仕時期も不明のはず

母親が北政所の侍女だったらしいからその繋がりで吉継のほうが
出仕は早いと思うんだけどなー。三成は実は結構遅いし
0017名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 00:39:15ID:ab8z4CSm
>>16
作り話なんだ…。dクス

吉継の母親って、あずま殿のこと?
それに関しても色々と諸説があるみたいだよね。
0018名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 20:15:51ID:AAP8pvSJ
>>17
母親=あずま(東)殿は結構硬いような。

寧ろ謎なのは父親だな。
近江源氏に仕えてた大谷吉房か豊後の大友遺臣の大谷盛治か?

吉継という名前と「吉」の字が秀吉に貰ったという説からすれば、
親父の代から「吉」がつく近江出身説は怪しい。
大友家臣に大谷盛治という武士はいなかった事や秀吉に出仕した時期に大友家が滅んでない事を考えると
九州出身説も怪しい。

吉継は好きだけどここまで謎が多いと、ちょっと辛いものがあるな…。
0019名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/23(金) 00:56:11ID:I+5HBC/x
吉継の顔面きぼんぬ
0020名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/23(金) 13:21:44ID:gQvQUKUO
>>18
謎多きところもまた魅力
0021名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 01:50:42ID:LJiXgye8
や ま.わ き み 清  〈           ,,._ ,_             ,_,_          
.っ だ し. え ん 正   >‐     , く  ヽ ヽ          r'^i  1 `メ、      
て 元 ら た な !  (´       , く  ゙ヽ  i_丿           ト、|_ |   / ヽ、     
る 気 は .ぞ  !   .>     _∧  ヽ, ノ ̄   .             ~"ヽノ   ,ヘ    
ぞ           (.   / ト、^‐r'"                       ゝィー-=ヘ     
             > /  .|  `〈         _,,-‐=一- 、       八ー-一ト、  
              i′〈   }ー-/:.:i        /,,.-‐  ‐- 、ヽ    |:.:.\ _ _| ヽ,
γ⌒V⌒Y⌒Y⌒ヽへ!  1  |_/.:.:.:.i'⌒     .//,,.. --一テ‐、キ    /.:.:.:.:.:^'↓  ヽ
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0022名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 22:00:37ID:RRkh3DAO
圧倒的大軍の秀秋に善戦してる。
脇坂達が裏切らなければ、押し切れてたのでは?
0023名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 22:20:30ID:yee3Fcts
関が原の奥に吉継の本陣跡に吉継の墓があるが前にそこへ行ったとき
花とかお供え物がたくさんあったよ。
西軍の武将のなかでも人気があるってことだね。
0024名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 22:52:51ID:c1ql87zu
>>23
日本人が好む生き様だし。
0025名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 14:01:32ID:LIjguPOi
惚れた
0026名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 23:28:25ID:lQ7ULlbF
>>8
三好義継に音が同じで、縁起が悪いとして改名した
って聞いたことがある
0027名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/30(金) 23:55:44ID:M4dBxHLD
最期が華麗な人は人気が高いね。
0028右京太夫 ◆riQy7en7pA 2006/07/01(土) 02:54:30ID:ponLR3FQ
そうですね。

それに引き換え金吾さまは.........
何百年、そしてこれからもこの国の人々に伝えられてゆくご最後のさま。
昔の男性が命より名を惜しんだ意味、わかる気がいたします。

大谷刑部さま。
まこと美しきもののふでございましたな。
0029名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 16:34:21ID:1cHVi6bF
最初は信長の野望で全然知らないのに全能力80超えてて「なにこいつ」って思ったのが最初。
そしていろいろ本読んでその生き様に感動した。
ところでNHKの彼に対する扱い悪いよな。
0030名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 18:31:53ID:39hW9wBK
関ケ原、小早川隊に対する善戦は。
始め小早川隊前衛少数部隊、脇坂隊は押し戻したが。
松尾山(関ケ原から見て裏側)から下山して来た小早川隊主力に粉砕された。
だったと思う。
0031名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 18:42:13ID:1cHVi6bF
↑逆、まず名将藤堂高虎と互角以上の戦いを繰り広げて、十倍近い小早川勢も二度撃退した。
しかし小早川の監視だった脇坂達四人がばたばた寝返る想定外が発生して粉砕された。
0032名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 19:03:36ID:HXzMAfg8

そらいけー やれいけー (んっ?)
0033名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 19:23:21ID:39hW9wBK
>>31
> ↑逆、まず名将藤堂高虎と互角以上の戦いを繰り広げて、十倍近い小早川勢も二度撃退した。
> しかし小早川の監視だった脇坂達四人がばたばた寝返る想定外が発生して粉砕された。 それは完全に否定されていたと思うが。
物理的それだけの大部隊がまとまって下山は不可能で、
小部隊ずつ下山戦闘し、それを見たであろう、脇坂隊が裏切り。
下山し態勢を整えた小早川隊主力に粉砕されただろ?
0034名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 20:22:35ID:JoXf4/qb
大谷刑部もいい武将であることはもちろんだけど

関ヶ原でこの人の下で頑張った平塚、戸田辺りも
もっと評価されてもいいんじゃないかと思うんだ
0035名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 21:09:02ID:bePPbWC5
>>34

同意。自分は大谷一家、平塚さん、戸田さんまとめて好きだ。
0036名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 21:45:54ID:KQxahurL
殿の首を敵に奪われんたする家臣達が地中に首を埋める逸話は大好きだ!逸話を初めて見た時は本当に涙が出た。
0037名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 21:56:09ID:1cHVi6bF
↑自分の首を差し出して見逃してもらうんだよな。
史実かどうか忘れたけど胸が熱くなった。
0038名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 07:41:47ID:Q6lolQrK
実際、大将級で関ケ原で死んだの、大谷刑部だけだし。
0039名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 12:58:56ID:wC3KU7p3
小早川が裏切らなければっ・・・!
養子とはいえ隆景のとこにいたんなら
もう少し薫陶を受けててもよさそうなもんだが。
0040大谷吉継2006/07/02(日) 13:30:58ID:J9GkKilZ
憎ッくきは小早川秀秋、
三年のうちに祟りをなしてくれん!!
0041小早川秀秋2006/07/02(日) 16:26:38ID:IiJdHSkY
ひゃひいぃぃぃ・・・刑部ぅぅぅ。迷うたかぁぁぁ!
ひぃ、ひぃひひl度dfsン・・・・だhh・・・はいふぉべ!!
0042名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 22:05:26ID:8yq+zim0
>>39
隆景のとこに居たっけ?
隆景は隠居地に引っ込まなかった?
0043名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 02:24:10ID:e4TX7sNE
紀之介って「きのすけ」って読むの?それとも「のりのすけ」?
0044名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 05:01:07ID:oP1qiE2x
>>43
わしは「きのすけ」と読んでるよ。

大谷マジで惚れた!
0045名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/05(水) 16:36:54ID:OXhDWAqC
吉継、墓参りするくらい好きだけど、必要以上の過大評価には
…。軍事の天才とか、政治もずば抜けて出来るとか言ってる人
いるけど、この人にそんな天才と言えるほどの政策や実績なん
かあったか?
0046名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/05(水) 21:31:20ID:8Krnidnn
非常に有能な人物だが天才って程でもないな
ただ豊臣恩顧はこういうオールマイティな人材が少ないから
存在が際立つ。
0047名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/05(水) 23:40:20ID:z6zztnz1
確かに有能な人物だったんだろうし、病気ことがなければ、もっと
政治の中枢で働いていたかもしれない。その実力が出し切れなかっ
たのは豊臣にとっても吉継にとっても残念だったと思う。唯、軍事・
政治共に出し切れなかった実力を吉継ならきっと〜と仮定し評価し
すぎる人がいるのも否めないと思う。これは真田信繁とかにも言え
るけど。むしろこの人は、あの時代に部下や平塚や戸田のような人
に慕われた所が凄いと思うんだけどな
0048名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 23:51:30ID:Nn7Z8rby
関ヶ原の奮戦は平塚為広と戸田重政の活躍が大きい。
吉継は盲人だったわけだし、采配に技術が反映されたと思えない。
部下の奮闘が大きいと思う。。
0049名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 23:59:54ID:XDAa+/xH
『大谷隊』ってだけで違ってくるのよ。
大将ってすごいのよ
0050名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 10:49:57ID:gPP0FgC5
関が原に墓があるらしい。1度行かねば。
0051名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 10:57:36ID:TKsf5L19
しかし、名将、知将ばかりもてはやされて、小西行長のような弱小な大名の人気は

さっぱりだな・・・しっかり、関が原の最前線にて奮戦したと思うのだが・・・・

東軍の井伊直政相手に互角に戦ってるのにな・・・
0052名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 11:11:48ID:oN9qj+q0
>>51風雲児たちで戦況報告の時「小西隊は少しは戦ってるが弱い」
って書かれててかわいそうだった。
0053名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 14:06:20ID:z35WPHDU
やっぱルックスがシシオマコトみたいなイメージなのがカッコよさ倍増させてる
伊達政宗にしても立花道雪にしても、戦国は身障者が美化されてるね
0054名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/09(日) 03:27:36ID:IhTMCZNM
>>52
奮戦していたと思ったが・・・
つか、20万石の小西が弱小なら、大谷は塵だな。
あり得ない。
0055名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/09(日) 15:44:05ID:eMqpeAn7
吉継の評価になっている大谷隊の関ヶ原の奮戦は実質戸田と平塚
のお陰だと思う。だから彼自身の将としての評価には直接繋がるか、
といえば疑問なんだけど、49のいうように大将が吉継だからこそ(
戸田・平塚を入れた)大谷隊にいた人が奮戦したんだと思う。本当に
部下や、与力に慕われた人なんだなあ…って思ってるよ
0056名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 14:00:17ID:0SvTpugr
いい小説ない?
0057名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 14:56:41ID:b7GW1ncB
刑部が松尾山に兵を割いた事実だけ見ても一角の人物田と思う
0058名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 16:00:48ID:EuNDGTjI
石田三成って軍事的にはあれな人だけど
度量が小さいようで島左近やこの人みたいに死命を共にする
盟友もいるからフシギだ。狸おやじとその手下とはそこが違う
0059名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 19:59:09ID:lfb/aNWA
>>56
南原幹雄の「名将(謀将?)大谷刑部」がいい。
女性関係の話も書かれている。
0060名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 20:16:46ID:pb10bEkF
漏れも好きだが、色々描かれてない部分が多いのが残念。
まぁ、基本のエピソードは押さえてるし、南原氏の刑部観も良いと思うので、参考にするなら良い作品です。
0061名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 21:10:10ID:r+1N0vq5
実際のところ、大谷吉継の女性関係は全く謎に包まれてるらしいね。

俺も南原氏の小説読んだけど、あの女がどうにも好きになれなくて結構キツかったorz。
管靖匡氏の「小説 大谷吉継」は吉継が激しい性格として描かれていて、物語的には面白い。
野村氏の「仁将」は至って無難な印象だった…気がする(うろ覚え)。
0062名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 21:56:52ID:lfb/aNWA
>>61
あの女って
榊原康政の娘の方?
それとも元彼女の方?

ところで何で榊原なんだろ?家康に接近する伏線?いやでもそれは
少年時代の話に出てきたしな・・・。
0063602006/07/10(月) 22:38:32ID:6uk8IRQW
>>61
菅氏ね。これがデビュー作だとか。
菅氏の方はかなり南原氏の作品を意識していたのではないかと思ったり。
頑張ってはいるけど、漏れとは相性が悪かった。

>>62
大方側室の千絵のことでは?

榊原に関してはわからないす。
史実ではなかった組み合わせなんだろうけど。
自分は学がないので申し訳ない。
0064名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 22:42:46ID:U7MuA6Hr
>62
宇喜多家の御家騒動の関係で榊原にしたと思われ。
0065名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 05:27:41ID:+vbhvy2l
吉川英治も短編かいてるな。
0066魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs 2006/07/11(火) 08:02:17ID:h4iA8ZDl
確か娘は信繁に嫁いでるんだっけ?
どういう経緯で親交があったんだろう
0067名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 08:40:59ID:8ChbqHWj
信繁が人質だった頃だろ
0068名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 16:50:30ID:AHjEoA4W
文禄三年 ( 1594 )頃説あり
0069名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 03:41:28ID:ouQ562nH
>>56
ありきたりだが司馬遼太郎の関ヶ原もいいんじゃない
0070名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 13:27:13ID:sG62DlzY
>>58
 徳川史観
0071名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 14:24:32ID:tzyUYDQA
>>70じゃあ三成は人望が有って軍事的にも才能が有ったのかな?
0072名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 14:29:44ID:sG62DlzY
>>71
 それと、これとは別。
 
0073712006/07/15(土) 14:35:52ID:tzyUYDQA
>>72ごめん!三成人望有ったわ!
豊臣秀次事件で最後まで秀次を弁護してたので、秀次の家臣からは愛されてたな。
例→若江八人衆
0074名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 15:21:17ID:kDbsi9Hq
俺も三成を愛しているよ
0075名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/16(日) 21:55:48ID:huCJaQhm
本多正信みたいに石田は不平不満を受ける嫌われ役になることでバランスを保ってたんじゃないか
0076名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/16(日) 23:02:22ID:9rmwd8GV
というか三成が嫌われ者だったのは前線に出ないのに豊臣家の
中枢で権力を振るったからだとおもう。個人としては魅力的な
人物だったと思うよ。

組織が肥大化して官僚が出来上がるとそういう人材が登用される
のが当然なんだが、やはり他の豊臣譜代にしたらいい思いはしな
いだろ。石高も佐和山16万石と秀吉子飼い中でも高い方だし。

0077名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 13:08:56ID:fhouTXfU
この人って、ものののけ姫に出てきた包帯グルグル巻きの人達のような滑降してたの?
0078名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 15:13:13ID:TBT+Uh28
大谷さんを想像してテレビゲーム「ペルソナ2罪」を思い出した!
0079名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 17:44:41ID:b4uVQ28r
て言うか・・・


関が原ですごかったのは大谷吉継じゃなくて・・・








平   塚   為   広


0080名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 18:45:54ID:UzNP32hz
>>79それは同意!あと戸田重政。
0081名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 19:46:08ID:D6P/tVr+
そういう部下を持って、しかも死ぬまで戦ってくれたという事が
凄かったということでいいんじゃないか?
彼らほどの武将に死んでも良いと思わせる上司だった、と。
0082名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 21:33:19ID:QYAe36lJ
>>81の言うように、
やっぱり「大谷軍」もしくは藤川台方面をまとめる総司令官のような位置付けって意味では吉継は凄いのだと思う。
個々の部隊の指揮の点では、平塚、戸田も凄いと思う。

大谷も平塚も戸田も全部大好きな自分としては、
こういった、「本当は関ヶ原西軍で誰が一番の手柄」という話題はちょっと辛いな。
0083名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 21:36:27ID:Fe75NIHX
そういうはなしになると指揮官よりも
たくさん殺した足軽のほうが偉いんじゃない?
0084名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/23(日) 21:59:26ID:L4jg8v+u
義継って人柄を伝える逸話は多いけど、
実務ってあまり聞かないね。
0085名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/24(月) 09:38:48ID:o7XOlUpQ
病気にならなけりゃ五奉行の一人になってた
0086名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/26(水) 23:25:03ID:k2qrPAdO
何で大谷って大抵大河だとスルーされるんだ?
0087名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/26(水) 23:51:07ID:lTSYX29t
やっぱ病気のことで扱いが難しいからじゃね?
0088名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 16:57:19ID:344P8Gw7
http://ex13.2ch.net/test/read.cgi/gline/1141536641/880
>880 :水先案名無い人 :2006/07/05(水) 16:07:42 ID:zicj6S0w0
>秀秋「私は西軍だ!」
>秀家「・・・」
>秀秋「早く関白にしたらどうなんですか」
>三成「いや、先に東軍を攻めろよ」
>秀秋「この軍勢は、最大限守ってあげたい」
>三成「東軍と密約してるんじゃねえの」
>秀秋「どのようにして、その先入観を打ち破る事が出来るのか。本当に悩ましい」
>吉継「西軍ってことは松尾山から降りてくるのか?俺、藤堂隊と戦ってるぞ」
>秀秋「この一方的な攻撃。この風景。こんなところに軍勢を投入したらかなわないと感じるのは当然」
>三成「だったら西軍だなんて言うなよ」
>秀秋「一言聞いただけでガセだと決め付ける、卑怯千番、もっとも恥ずべき行為」
>吉継「寝返りのほうが卑怯だよ。早く降りて来い」
>秀秋「どのような条件をクリアすれば、西軍だと認める事ができるのか、知恵を貸してください」
>三成「おまえが西軍だって言ってるんだろうが」
0089名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 01:16:31ID:bEpdkriN
結論。
吉継個人に対する評価の50%は、
「病気が・・・」補正。
0090名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 11:57:40ID:CYl+4rJu
吉継の病・・・天正十四年(1586)には発病していた説・・・
0091名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 22:54:36ID:AyLdPyf2
最初に大谷刑部という文字を見て、
「おおたにぎょうぶ」でなく「おおたにおさかべ」と読む人って多いのかな。
0092名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 00:40:35ID:lA1TPhZG
>>91のレス読むまでおさかべだと思ってたorz
自分所謂無双厨です…勉強不足だなあ、落ち込む。

名前にしてはおさかべっておかしな響きだなと思ってはいたんだが…
0093名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 00:56:04ID:6NGQ2WE6
いや刑部そもそも名前じゃないし・・
0094名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 14:34:52ID:ZZeon/Lu
石田冶部も同じ
徳川内府ってのも

えっと大岡越前
0095名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 15:33:09ID:Yc7Ig0hB
>>89
逆にいえば、あれほどの、それも当時は業病と言われて蔑視の対象になっていた病気を抱えて
最終的に歴史に残るようなの働きをしたわけだから、何割か補正入った方が自然な気もするけどな。

補正の度合いが問題だ、てのは堂々巡りの議論にしかならんから横に置いといて。
0096名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 01:24:59ID:U/6+u9Fj
そういえばさ、織田信吉と長次の兄弟も吉継の下で戦っているんだよな。
こいつらってどんな奴だったんだろう。
どういう死に方したかとかも興味あるよな。
0097名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 21:53:21ID:/aefJeaM
南原さんの本でライ病が女房に感染したと読み取れる行に差し掛かった時に怒りを覚えた奴はかなり多いと勝手に思ってる。
南原………お前いくら小説だからって書いて良い事と悪い事の区別くらいしろよ……
0098名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 21:58:32ID:qNANsfef
金吾中納言さえ裏切らなんだら
0099名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 22:13:32ID:mhKPca5v
>>96
こいつら っていうのやめときな
0100名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 23:30:02ID:r19pU9Jv
>>86
大河「葵、徳川三代」見たか?
細川俊之の大谷刑部はカコイイぞ。
0101名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/06(日) 23:44:16ID:AzBXTT6f
>>100
あの大谷吉継はヤバい位カッコイイ。
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