今川氏真 (゚∀゚
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0001蹴鞠
2006/06/18(日) 18:34:02ID:Yx53GEb6(O´∀`)今川の氏真公が世界蹴球杯の日の本代表にあらせられれば
(O´∀`)必ずやお味方に勝利をもたらしてくれましたでしょうに・・
(O´∀`)ああ氏真公・・・・
(O´∀`)平成の世に生を受けておられれば満天下に日本の武威を存分に示されたことでしょう
0069名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/10(日) 23:02:45ID:Z87bduV7そんなに悪い殿様では無かったのかもしれないな
時代が悪かったのかも知れないが・・・
0070名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 00:46:19ID:EiHkWkTp大河で「葵 徳川三代」をやっていたときに、静岡県のページで
徳川と静岡に関する話題を連載してたけど、竹千代の師に
太原雪斎をあてた事や、隠居の地に駿府を選んだ事などをあげて、
家康にとって駿府は若い日を過ごした懐かしい地だったのではないかと
推測してたっけ(立場が立場だけに辛いこともあったんだろうけど)。
家康と氏真の間というのは67の言うように良好だった可能性も
あったのかもしれない。
そういえば、天目山で最後を遂げた武田勝頼の正室も
北条氏康の娘さんだったっけ…。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/11(月) 22:43:01ID:ukfqcmsS福島の遺児を養子にしたり。不思議。
0072名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 11:35:15ID:OGD6PoRyよう判らんけど、甲斐(武田信虎)攻めの総大将で武田滅ぼす迄
あと一歩ってとこで失敗して、相模に逃げたんじゃなかったかな。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/13(水) 21:55:41ID:n/PBHR2F「花倉の乱」で調べてみ。
0074名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 10:53:28ID:h0PRzRacとっても気の合うお友達なのです
0075名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/14(木) 11:40:36ID:grryLxrXそのわりに息子を殺されかけたり領土を奪ったりの結構血みどろな関係だけどなw
まあ、家康は今川家当主ととして、徳川に圧迫を与えたり争ったりする公人としての氏真と、
私人としての氏真は別だと言う考え方をしていたんだろうけど。そう言う思考方法をする人だね、
家康は。
0076名無しさん
2006/09/20(水) 20:45:48ID:U+fCcSWI0077名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 05:14:35ID:lui6DPB8今川家は後に幕臣となり、品川と姓を改めました。全国の品川さんの祖であります。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
2006/09/21(木) 21:13:44ID:C6fhk7hg別に放浪していたわけじゃないぞ。公家さんたちと交際してる。
1万石ではなく、近江野洲郡のうちに500石、らしい。
>>77
孫の直房は今川のまま高家を務めてる。ただし、明治のはじめに高家・今川家の直系は絶えた。
品川を名乗ったのは次男の高久。こちらは直系の子孫が健在らしい。
0079sage
2006/09/21(木) 23:52:13ID:qxBVwfjbゲームや小説鵜呑みにしやがって…
ここはいつきても和むよ。
008079
2006/09/21(木) 23:56:55ID:qxBVwfjbスマソ
0081名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/01(日) 11:55:14ID:YuQCnw720082氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/02(月) 02:52:49ID:AFBAYfIVと言われた。
氏真の本格的な研究が進んだのは最近である。
静岡県史の編纂によって大きく発展した。
0083名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 20:01:36ID:NclRVsV6この宿敵同士のどちらかに付かなければ生き残れなかったのか。
氏真と信長を見比べて、信長を選んだのかもしれん。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 22:15:28ID:zadFUgw8桶狭間後今川の代官追い出して独立したんだから氏真につけるわけがない。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/02(月) 23:29:59ID:Ct2f+moRおお、がんがってくれ!
氏真ヲタを名乗りたいならこれは読んどけ!っていう最近の論文ある?
0086名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 02:41:52ID:IZ1y9ulk浮かんできてるのかな?それは楽しみだ。氏真だけでなく、
新たな義元像も出てくるかな。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 11:34:47ID:jiM63yVhその行動(独立)に至るまでの話だろ。
桶狭間の戦いから家康が実際に独立するまで数ヶ月の開きがある。
その間、氏真の人となりにソリが合わないことを感じ取り、
信長と密約を交わした上で、独立したのかもしれん。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/03(火) 15:11:33ID:2KeVsdG8氏真と家康は、個人的には非常に親しかったと思われる。今川から独立したのは
ソリが合う合わないよりも、単純に信長の実力を見込んでのことでしょ。
戦国武将は冷徹ですよ。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/04(水) 05:13:29ID:i07NiDFs駿府城跡に行くといろいろ資料があるんだが。
なんとも言えない家康の故郷への哀愁のようなものを感じる。
戦国の世だからこそ強い者につき、身を立てて遂には天下を取ったけど、
家康にとって駿府は故郷であって、義元も氏真も優しい家族同然だったのかもしれない。
本当の地元のはずの岡崎ではなく、あえて駿府城で余生を過ごしている辺りに、
家康の本心があると思えてならない。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/05(木) 11:33:48ID:sqCEHZrj経歴もよくわからんし、氏真との交流も謎が多すぎるが。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:20:28ID:hOknh1bD「遠州錯乱」を、その地の有力者ごとに、動向を見てみると、
・氏真によって潰され、力を失ったもの
・氏真によって家人が粛清され、反感が増して決定的に背くことになったもの
・氏真が手を出すより先に、自発的に背いたもの
・武田か徳川の侵攻を受け、本格的に交戦する前に降伏したもの
・氏真に最後まで従ったもの
こんな感じに分けられるか。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:23:00ID:hOknh1bD見付を拠点とする、今川家の分家。
先代に起きた花倉の乱では義元に敵対して敗れたため、家勢を削がれていた。
当主・氏延の叛意を察知(?)した氏真の電撃の用兵の前に敗北、流亡した。
井伊氏
井伊ノ谷を拠点とする、伝統ある豪族。
昔から三河松平氏と交流がある一方、今川家に対して反抗的な傾向があり、義元も警戒していた。
先代当主・直盛は桶狭間合戦で戦死。
新当主・直親の叛意を察知(?)した氏真に釈明に向かう途上、謀殺される。実行者は朝比奈泰朝。
直親の妹(姉?)・直虎が一族を率い、家康が遠江へ侵攻して来ると、家康側へ奔った。
松井氏
二俣を拠点とする豪族。義元に重く用いられていた。
先代当主・宗信は桶狭間合戦で戦死。
宗信の甥・宗親が当主に就任するが、叛意を察知(?)した氏真により、駿府で謀殺された。
その後を従弟・宗恒(宗信の男子)が継いだが、今川家・武田家・徳川家のどこに付くかで家中は分裂した。
宗恒本人は、最終的に徳川家に付いた。
飯尾氏
曳馬を拠点とする豪族。
当主・連竜は今川離反運動を自発的に実行した人物であり、遠州錯乱の中心と言える。
数度に渡って曳馬城を氏真の軍勢によって攻められるが、その度に撃退した。
手を焼いた氏真に和睦を申し込まれ、駿府に呼ばれて謀殺された。
新野氏
新野を拠点とする豪族。
当主・親矩は井伊直親が粛清されると、直親に嫁いでいた妹の子(後の直政)を引き取って養育した。
親矩は、離反した飯尾連竜を攻める戦いで戦死した。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:25:05ID:hOknh1bD佐久を拠点とする豪族。
朝比奈氏とも飯尾氏とも結びつきが強く、難しい立場にあった。
当主・頼広は家康の誘いを断り、徳川勢に攻められて武田家に逃亡した。
天野氏
犬居を拠点とする豪族。遠江では井伊氏と並んで大きな勢力を持っていたと思われる。
当主・景貫は義元の下で多くの合戦に活躍した。
徳川家の遠江侵攻を受けて降伏するが、その後は武田家に付いて合戦に活躍した。
武田家滅亡後は北条家に奔り、そこでも合戦に活躍した。
奥山氏
北遠に勢力を持つ豪族。拠点は久頭郷か?
井伊氏を祖とする一族で、奥山が発祥地。
当主・貞益は信濃の遠山氏に攻められて戦死。一族は分裂・抗争するようになった。
武田軍が遠江へ侵攻すると、隣の天野氏が武田側に付いたことに反応し、
同じく武田家に付くことで纏まり、一族内の抗争は終息した。
孕石氏
孕石を拠点とする豪族。
当主・元泰は武田軍の侵攻を受けて降伏。
後、高天神城が武田の手に落ちると、岡部元綱らと共に高天神城守備に配された。
徳川軍の高天神城攻めに抵抗するが、ついに落城、自刃した。
駿府屋敷が少年時の家康の屋敷の隣地だったことが不運だったのかもしれない。
久野氏
久野を拠点とする豪族。
先代当主・元宗は桶狭間合戦で戦死し、弟・宗能が継いだ。
宗能は、家康の遠江侵攻時に徳川家臣・高力清長の誘いを受け、徳川家に付いた。
その後一族は今川家へ帰参しようとする派閥とに分裂・抗争するが、宗能は徳川側に残った。
匂坂氏
匂坂を拠点とする豪族。
氏真に応じて堀越氏を襲撃していることから、当初から反今川ではなかったと思われる。
当時の当主は誰であったのか不詳。
後の姉川合戦に徳川武将として名を連ねていることから、結局は徳川家に付いたようだ。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 16:26:14ID:hOknh1bD小笠に勢力を持った豪族。馬伏塚が拠点か?
今川氏親の代に派遣されてきた、遠江においては新興の勢力。先祖は深志小笠原氏。
堅城で名高い高天神城は、小笠氏の管轄であった。
家康の遠江侵攻を受けて徳川家に降った。当時の当主は長忠か?
長忠は、武田信玄の遠江侵攻に際しては高天神城攻めを諦めさせたが、
後の武田勝頼の攻撃には屈し、降伏した。
天方氏
天方を拠点とする豪族。
当主・通興は遠州錯乱に対して傍観を決め込んでいた様子。
家康の遠江侵攻時、徳川家の誘いに応じずに黙殺。結果、徳川勢に城を包囲されて降伏。
武田軍が遠江に侵攻すると消極的に武田家へ寝返り、徳川方を救援しなかった。
武田勢が遠江から駆逐されると、再び徳川勢に城を包囲されて降伏した。
以後は家康に従ったが、重く用いられることはなかったようである。
朝比奈氏
掛川を拠点とする豪族。駿河朝比奈氏とは同族で、今川家に重く用いられた。
当主・泰朝は、武田軍の侵攻を受けて駿府から落ち延びた氏真や、
氏真に従った駿河衆の庵原忠緑や由比正純らを迎え入れ、
掛川城を包囲した徳川勢に対して徹底抗戦した。
五ヶ月余りの篭城戦の末に講和が成立し、小田原へ退去する代わりに城を開け渡した。
それにより、主君・氏真や同僚・忠緑らと共に小田原へ去った。(正純はこの戦いで戦死)
0095名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/06(金) 19:57:44ID:gzZtOtS5乙!
遠州の諸豪族も大変だな。
したたかでないと生き残れない時代だろうけど。
氏真は「政治を顧みず蹴鞠ばっかりやってる」イメージがあるけど、
やることはやってるんだな。
部分だけ切り出せば、「謀叛の機先を制した名将の決断!」とか
言われていてもよさそうだが、結果が出なかったのがすべてか……
0096名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/07(土) 07:54:01ID:mpzAVXqOサッカーとかバスケとか敵味方の陣地が無くてごちゃごちゃになって競う
ゴール系の球技は「戦」の雰囲気とよく似てるし
0097氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/08(日) 01:40:58ID:+pPEWQwp僕がモロに影響を受けたのは
酒入陽子「掛川城開城後の今川氏真について」(『戦国史研究』39号、2000年)
他にも小和田哲男氏の論文はためになるなぁ。
僕が主にやってるのは氏真と貴族文化について。公家との交流とかね。
言継卿記なんかをよく読んでる。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 16:18:05ID:GrMN0eWZ0099とりあえず降伏
2006/10/08(日) 20:12:25ID:dhj1aMwF武田の侵攻の際も、朝比奈信置の離反を事前に報せる者もいたが、大量離反でもはやどうにもならなかったということか。
末期の朝倉軍みたいに離反で自壊したのだから、やはり武田の調略工作恐るべしだな。
ただ、今川や上野国人衆を崩壊させ上杉を混乱させた程の武田の調略工作が、北条にはほとんど効果がなかったのは不思議だな。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/08(日) 21:26:05ID:rlzEfgiY遠江の小笠原氏だが、家康に服従したのは1568年で、
そのときの当主は小笠原氏清だった。
氏清は翌1569年に死去、その後を継いだのが長忠。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/11(水) 13:02:12ID:PwCEmz/4地力がある井伊氏は滅亡するどころか、今川に対する恨みを深めただけのような
0102名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 15:38:08ID:guC7PYjN0103名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:21:02ID:j1Xbouv90104名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/12(木) 19:33:19ID:UD2+Ak6T0105氏真研究してる学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/13(金) 00:53:06ID:SwTHtZ82時にあはぬを身の科にして
悔しともうら山し共思はねど
我世にかはる世の姿かな
↑氏真辞世の句
0106名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:05:25ID:VFJwB8IAさしもの寿桂尼少々ボケも入ってきて粛清発動、氏真は止められなかった……
という描写(ってか、回想)をしてた。
で、無力感に苛まれてやったのが風流踊りだっけ、という苦い回顧。
氏真を現代的な「無力だけどいいひと」と思おうとするとネックになるのかもね。
あの小説は小説で好きだが、無理に「いいひと」にしなくても、
血腥いことも含めて、いろいろやろうとしたけど失敗して
ああいう後半生を生き抜いた氏真ってのも、魅力的だとは思うんだ。
0107名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 01:21:45ID:VFJwB8IAその2首は、氏真の生き方を一番象徴しているようだし、好きだ。
でも、辞世ではない(詠んだらしいが、伝わっていない)はず。
「なかなかに〜」は小田原退去時に詠んだ歌、とする伝えもあるそうだ。
おいらは『今川氏と観泉寺』(1974)しか見ていないから、
その後の研究の進展があったら許してくれ。
誰が住みて幾度うつりかはる世にわが故郷と何したふらん
0108名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/13(金) 02:20:36ID:SYqXBanJ壮絶な空回りの後で、105のような心境になった
あたりを描くのも面白そうな試みだと思う。
誰か歴史小説の題材に取り上げてくれる作家は
いないだろうか。
しかし、そこまでやっちゃったのも、義元からの
権力移譲がまだ途中だったためかね。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/14(土) 04:45:52ID:7Xn23MqT2chネラーだったな
0110氏真学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/16(月) 03:26:11ID:Yo3KDEDE年末のゼミの飲み会で発表してみようかな。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/16(月) 10:18:15ID:LioaX/Pf勿論、自分が最も得意とするアレで。
んで、信長に相手にされず、公家と戦わさせられ、
それを見ていた信長に「なんであの技術を戦に応用できないの?」
と、言われたそうな・・・
って話は本当なの?
0112氏真学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/17(火) 19:26:54ID:HkXauOey同時代の史料にはないだろうけど
江戸時代に書かれた文献ではあるかもね。
いろいろ逸話が残ってる。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/17(火) 23:31:58ID:rY9853KX早雲と絡む氏親ですら彼の持つ逸話の数には遠く及ばないよね。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 02:20:06ID:3HZEqB7G白塗りみたいでつね…。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 03:11:06ID:N4moi9qA白塗りのイメージは、早くも江戸時代に歌舞伎の中で作られたらしいね。そうすると
2,300年の伝統があるわけだ。ある意味日本人のDNAに刷り込まれているなw>白塗り義元
0116名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 08:54:27ID:D4YjrV6iビックリ顔してるアレか
0117名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/18(水) 20:01:19ID:v1WOJ/Pp白塗りは仕方ないとしても無能として描かれるのは納得いかん。
名将のパパがこれじゃ氏真たんはいつまでたっても
暗愚のレッテル剥がれないわな。
0118氏真学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/19(木) 02:01:07ID:RAK1jMd9最近、尾張今川氏を滅ぼしちゃった今川氏豊にも興味を持ち始めてる。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/19(木) 02:05:24ID:7TVutE0lサイトはわからないが、静岡県の編纂している「静岡県史」が、今川氏関係でもかなり充実している
と聞いているよ。一度読んで見るといい。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/20(金) 10:03:51ID:VQjha+FS0121氏学 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/21(土) 00:01:51ID:qBYJ+YNuそれは結構読んでますよ。愛知県史にも一時期は登場しまくります。
分厚いから必要なとこコピーして冊子にして持ってる。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 01:10:57ID:bQczfzGA全然ヒマがない('A`)
学生氏にはがんばってほしいなあ、なんて思ってみたりして。
氏真について知りたいのは
・史料で確認できる氏真の事績(出典つき)
・江戸中期から現代まで、氏真評価(イメージ)の変遷
「京都で乞食をした」伝説がどのあたりから出てきたのかとか、
「塚原卜伝の弟子」って情報はどこから来てるんだろうとか知りたいところ。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/23(月) 20:24:13ID:MioibSX+0124氏真学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/23(月) 23:43:54ID:8IvrFY7W乞食の件は・・・・・
氏真の研究は最近になってやっと進んできたくらいなので
江戸時代には氏真は京都でどう暮らしてたのか不明で
今川家を滅ぼしたというイメージが先行して
いろいろ逸話が誕生していったのでしょうね。
実際は京都では公家の庇護下に入って、
最後の方は和歌の講師みたいなことして生活していたみたいですが。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 20:40:02ID:e1ioZgDL0126名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 21:35:32ID:jDkFSIgp同じように滅亡した大名家の御曹子が秀頼の弓の師匠になったという話なら、
六角家の若殿だった人物がそうらしいけど。
六角家は親父さんも弓に熱心で、なんとかという弓術流派の伝承者だったとか。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/24(火) 22:49:42ID:TJYOxlsg六角義治の事では
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E8%A7%92%E7%BE%A9%E6%B2%BB
0128名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/25(水) 00:20:18ID:z5A6n5icいい歌だなぁ。
0129バロン曽志崎
2006/10/28(土) 23:56:57ID:2UGu+OGt山科言経の日記(「言経卿記」)に度々、出てきますね。
特に公家の冷泉家とは親交が篤かった様で、冷泉家主催の歌会に頻繁に参加
しています。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 14:36:58ID:F5YQ8O5Pて歌がのが集外三十六歌仙にあります
後水尾院もしくは後西院の撰だとか
0131氏真は学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/30(月) 22:53:58ID:SpE9HS77冷泉家の月次会にはほぼ皆勤だったようですね。
今川氏全盛時代に冷泉為和が駿河に滞在するなど、
冷泉家との繋がりは深かったようです。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/30(月) 23:50:15ID:roJaEtIt『今川氏と観泉寺』に、「氏真全歌集」が載ってるのは、氏真マニアには周知だろうか?
大学の図書館で借りてコピーして持っている。
編纂に当たった中世和歌研究者の井上宗雄氏が言うには、
基本的に当時の和歌の「伝統」に沿ったスタンダードな歌風(意訳)らしい。
「その作品はすべてが勝れたものではなく、全体的に、当時の水準を抜くものではなかったにしろ、
時には水準に迫り、また少数ながら新しみのある歌、個性的な歌が存することは注目される。
なお、多くの平凡な歌が全く無駄なものであったとは思われない。
常に歌に精神の中心をおいていればこそ、緊張感のみなぎったときには、
調べの張った、個性的な歌を生んだのである。
そしてこういう熱心な、数奇者の一人一人が積み重なって、
近世文化が生まれる事などの点において、
氏真の和歌を考察することの意味は決して小さくはない」
よしあしも いはじ 思はじ おしこむる おきてにそむく我がなみだかな
0133氏真の学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/31(火) 21:24:54ID:uQAlqztB今川の扱い酷いなぁ。家康も義元死んだと聞いたその場で
離反決めちゃってるし。来週氏真は登場するのか?
0134氏真の学生 ◆rF3U/UzFSU
2006/10/31(火) 21:30:04ID:uQAlqztB織田氏滅亡
↓
さぁ上洛
↓
足利将軍衰退してるので足利一族である今川氏が取って代わる
↓
室町幕府十五代将軍、今川義元
↓
十六代将軍、今川氏真
↓
やっぱり氏真の代で滅亡
↓
三河戸田氏が天下統一
0135名無しさん@お腹いっぱい。
2006/10/31(火) 21:30:21ID:RbeiWMli0136名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 01:59:36ID:5rvcOqbq義元パパは白塗り公家かぶれで、思わぬ油断で討ち取られた、
という感じだったのかね。だとしたら萎えるな。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 09:17:25ID:Z2ozcvgZ手柄がより引き立つと思うんだが
なかなかそうしてるドラマないよね。
ああこんなしょぼい奴倒せてもどうってことねえな、
みたいな義元のほうが圧倒的に多い。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:00:57ID:dfscDj+Jそれが信長や秀吉側を主役にする場合の、筆力の見せ所というやつだ。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 11:28:56ID:Z2ozcvgZこちらがアホでない限り当然のものとして転がり込んで来た
ような本書いてるアホ脚本家が多いからな
0140名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 16:13:54ID:L6DqWRVO0141名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 16:56:57ID:W6oss1D/少し考えればわかるだろうになぁ
0142名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/01(水) 20:27:21ID:9l8LwtWm真面目に見たら粗だらけだもん…水戸黄門や暴れん坊将軍を見る感覚で見るのが良さそうだ。
氏真が出てきても信長の前でしぶしぶ蹴鞠やるとかそのぐらいだろうな…
0143名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/02(木) 07:29:45ID:SLGg9Ify0144名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 23:27:59ID:pHI8DzQDまた雪斎和尚が亡くなった反動で傍若無人になってしまったのが桶狭間での敗因か
0145名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/03(金) 23:59:44ID:cZmf2ZnFそうかなあ…
義元は禅僧時代の修行で自己鍛錬できてそうだけど
氏真の御真筆って静岡の臨済寺にあるんだっけ?
秋の一般公開に行ってみたいんだけど情報無いな…
今年はやらんのかな?
0146名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 08:27:19ID:QzsRlMhD(これが無ければ、西三河で家康の独立するタイミングが変わっていた)
永禄7年、氏康の要請を受け、氏真自ら小田原に出陣している。
(これが無ければ、家康の東三河侵略が変わっていた)
弔い合戦もせず・三河の問題を解決もできないのに援軍する余裕など
無いだろうに。
0147名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 12:27:30ID:R00B1lDE自国の方針をどうするべきか、混乱しまくっていたのが感じられる動きだな。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 16:11:25ID:uhnBzsQkで武田と徳川の挟撃で
0149名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 20:17:05ID:amg0XeSHまあ、信虎みたいな気性が激しそうな人物とは性格が合わないかもしれないが。
しかし軍事の経験と知識に関しては一級だっただけに惜しい。
軍師に迎えることができていればな。
その後、氏真の軍師になったとされる一宮随波斎は、
軍事よりも医事の方で有名で、どちらかというと温和な、仁の人っぽいんだよなあ。
危難の大名家を立て直すような実務には向いていなかったようだ。
0150名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/04(土) 22:33:22ID:QzsRlMhDや追放なんてあったかな。
氏真も塩止めするより、信虎を甲斐に帰した方が、信玄は困ったん
じゃないかな。
それにしても、義元は、信虎の牙をよく抜いていられたこと。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/05(日) 01:22:37ID:45qkJJyR0152名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/07(火) 21:36:20ID:PO39gV05/;;;;;;;;;;;;;;;;;\
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`-ー―-\__ノ---一~
0153名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 10:57:08ID:vlN8HUUI0154名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/09(木) 17:23:04ID:KMNKlV7K0155名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/10(金) 04:12:03ID:bNAoNuQl信長の入洛以前で、しかも一国単位の大名で考えると、今川、美濃斉藤、大内、尼子、
富山の富樫氏…。こんなかんじかな?
0156名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/11(土) 02:17:09ID:ortJE9Zb苦難スレ、すごくはやってたのに(´・ω・`)
玄広恵探のイミナの義真だか良真の「真」と氏真の「真」って
もしかしてなんか関係ある?
0157氏真の惑星 ◆rF3U/UzFSU
2006/11/12(日) 02:51:12ID:yk8K4E+x懐かしいですね。たしか苦難スレはpart8まで続いた
人気スレだったと思います。僕もあのスレで興味持ちましたから。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/13(月) 20:52:32ID:LYQF1d28義元公…ご自分のスレが荒れていらっしゃるからこちらに疎開なさったんですね…
>>157
(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ
part9の途中で落ちちゃったんだよな…
学生の頃は氏真なんて眼中になかったけど、社会人になってから氏真の生き方が
いかに難しいかってのが良くわかったよ。
いざというときに捨てられないプライドなんか持ってたって仕方がないんだよ。
俺には氏真ってすごくかっこいいと思えるぜ。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 02:14:28ID:uCD62ayAなんか同窓会みたいだ。
そんな私は、天汝厨キタ━(゚∀゚)━!と一度でいいから叫ばれたい
「天下を汝に」愛読者です。早川殿萌え。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/14(火) 18:05:48ID:k82ka0wp氏真オタのバイブル「天下を汝に」再版して欲しいなあ。
やっと手に入れた古本一冊持ってるけど永久保存版・友人貸し出し版と複数冊ホスイ(`・ω・´)
俺は最後の一文
「いいではないか。田舎くさい土地でも二人一緒なら…」
で不覚にも目から汗が出てしまった。氏真夫妻萌え。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/17(金) 22:45:29ID:oxMUqhdR「百万石」って長編が最終候補作として残ってたな。
最後の3作まで残りながら、最終選考であえなく落選w
だから本にはなってませんw
0162名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 00:57:37ID:wVSzQKyQざんねん!それが本になっているのだ!自費出版ですな。
万座八宝斎『今川百万石』(文藝書房)
ttp://www.bungeishobo.co.jp/books/ISBN4-89477-078-4.htm
氏真が主役級の小説は
赤木駿介「大御所様お困り」 『南蛮馬春砂』(徳間文庫)収録……『天下を汝に』の原型
山田風太郎「姦臣今川状」 『剣鬼と遊女―山田風太郎傑作大全〈9〉』(廣済堂出版)収録
戸部新十郎「睡猫」 『秘剣 龍牙』(徳間文庫)収録
寿桂尼や義元を扱った小説では、
永井路子『姫の戦国(上・下)』(文春文庫)
皆川博子『戦国幻野/新・今川記』(講談社文庫)
あたりが、有名なんだろうか。
そのほか、氏真の子だという人物(ご落胤?)を取り上げたので
加藤三男『南向今川氏清の生涯』(静岡新聞社)
という小説があるんだが、誰か内容を知らないか?
0163名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 11:36:55ID:nnAX7NSSおおお! さすがにこの板はコア度が違うわ
再来年の大河は今川で決まりだなw
空前絶後の義元・氏真ブームが!
てわけでage
0164名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 11:41:58ID:nnAX7NSS「ダメな奴ほど面白い」
って・・・orz
0165名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 20:12:27ID:0BGtoA9O「南蛮馬春砂」はダウンロード販売してたような覚えが。
しかし、万座八宝斎…凄いペンネームだ。
>>163
義元と氏真の二代記は面白そうなんだが、やってくれないかな。
特に、戦国大名の座を失ってから次の生き方を見出すまでの
氏真を描くあたりはいいものになりそうだと思うが…あまり一般ウケ
しないかな?
0166名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 22:35:01ID:wVSzQKyQ早雲の出世譚とか、三国同盟とか、桶狭間とか、
戦国の重要なポイントに居合わせているのに陰の薄い今川家に光を!
「姫の戦国」原作の寿桂尼一代記なら筋があるんじゃないか、と妄想してる。
0167名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/18(土) 23:53:41ID:GxprxsHh今の犬HKが今川オタと一般層両方満足させられるクオリティの大河を
作れるとは思えないんだよね、残念だけど。
私も姫の戦国は好きだけど、あれを原作とすると今年のでしゃばり千代みたいに
必要以上に女性を持ち上げるものになりそうだし…
だから来年の谷原章介の義元さんには今までのイメージを一新してくれる事を超期待。
0168名無しさん@お腹いっぱい。
2006/11/21(火) 14:03:01ID:twidsIlX織田&徳川偏重のドラマ制作は、時代が偏ってるよなあ
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