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剣豪将軍足利義輝

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0001名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/17(土) 23:01:19ID:TYNKUzhf
五月雨は露か流れかほととぎす 我が名を挙げよ雲の上まで
0488人間七七四年2011/02/13(日) 09:24:25ID:VOWK5DrI
初めて聞いた誰それ?
0489人間七七四年2011/02/13(日) 11:08:43ID:73pLlR0w
>>487
晩年、NHKクオリティで真田十勇士として復活!なら最後は盛り上がる!
ある程度のブーイングは覚悟しなきゃだがw
0490人間七七四年2011/02/14(月) 01:18:34ID:n//9V5gq
三淵藤英をドラマにしよう
0491人間七七四年2011/02/14(月) 05:39:32ID:SXqTZfTk
名刀全部使い切るまで戦ったんだから50人ぐらい斬ったのかね。
ちょうど壮年期だったこともあるんだろうけど、めちゃくちゃ強いよね。
0492人間七七四年2011/02/14(月) 08:32:15ID:vTiGpOAu
サシでやったら卜伝より強くなってたんじゃないかこの人
0493人間七七四年2011/02/14(月) 08:44:22ID:9VgmxoAW
ある程度は事実なんだろうけど、さすがに名刀全部ってのは尾ひれが付いた話かもしれんぞ
0494人間七七四年2011/02/14(月) 16:26:05ID:6JeTpGn3
何本かは残ったんじゃねw
名刀の何本かはここから他の家に散ってるらしいし
0495人間七七四年2011/02/14(月) 18:56:02ID:KrrMeeCi
三好三人衆の一人、三好政康は
稀代の刀剣鑑定家でもあったため天下五剣とか
雑兵共にパクられることなく保護されたらしいね
0496人間七七四年2011/02/14(月) 19:47:38ID:6JeTpGn3
天下五剣の中でも三日月宗近は実際に襲撃の際振るわれたって話が残ってるな
他の3本は振るわれたか不明だが

数珠丸だけは日蓮の遺品で寺保管だから持ってなかったんだっけ?
0497人間七七四年2011/02/14(月) 20:51:31ID:sjq2dLTQ
この人ってどんな戦い方したんだろうね・・・。一度見てみたかったなあ。
0498人間七七四年2011/02/14(月) 23:54:56ID:9VgmxoAW
最期の義輝は兵法で避けるべき敵の条件と言われるうちで
鋭卒(精鋭な兵)、囲師(囲まれた兵)、窮寇(窮地に陥った兵)を同時に満たしてる
一方の三好松永方の兵(に限った話でもないが)は本音じゃ五体満足で帰りたかっただろう
0499人間七七四年2011/02/15(火) 20:58:50ID:A52hg5X7
自業自得なのに無双補正の効果が凄いな
0500人間七七四年2011/02/16(水) 07:01:24ID:Zphv8y09
>>499
松永弾正乙
0501人間七七四年2011/02/17(木) 09:05:47ID:QrKujF4u
何度も難癖つけて暗殺や六角と戦わされてる長慶ならまだしも久秀にやられる謂われはないわwww
0502人間七七四年2011/02/23(水) 01:29:07.13ID:Ot3ILrn/
おお、まさか500行くとはなあ
0503人間七七四年2011/02/23(水) 17:31:11.87ID:cf3mi4/F
>>495
で、後にその名刀を秀吉に献上したんだよなw

室町幕府崩壊前後から大坂の陣までの間の消息がよく分からない三好政康だが
どうやら秀吉時代から豊臣家に仕えてたみたいだ
0504人間七七四年2011/02/23(水) 23:44:53.68ID:a92vH+fC
残念ですが
三好政康は三好政勝と同一人物の可能性が高まってまいりました。
0505人間七七四年2011/02/24(木) 00:15:57.28ID:KH9OHe4c
>>503
大坂の陣で登場したっていう話の出典ってなんだろうな。
そこそこ以上の信憑性のある史料にある話なのかな。

>>504
三好為三=政勝といわれていたのが、花押の一致から政勝=政生=三好下野守(=釣竿斎宗渭、政康)だと
いう話だっけ。天野氏の書籍で指摘されてたな。
天野氏は宗渭を永禄12年に阿波で没したとしているね(フロイス日本史でも「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたとあるけど)。
0506人間七七四年2011/03/26(土) 18:49:23.79ID:36c6609K
奉公衆は義輝により再建整備され始めていて
伊勢氏や高氏や一色氏や上野氏や大館氏や松田氏や飯尾氏などなどがいて、
さらに宗氏や島津氏らも財政支援しており
そう簡単に将軍の首をすげ替えるのが難しくなっていたから三好&松永は暗殺の暴挙に出たわけだ。
0507人間七七四年2011/03/29(火) 19:36:27.56ID:akHjL4g2
コミック乱でやってる信長戦記は義輝格好良く描いてたな
信長も「あの方ならやれるかも」とか思う描写あるし
0508人間七七四年2011/03/31(木) 01:27:37.76ID:DS4WN4EB
>>506
将軍史観
0509人間七七四年2011/06/09(木) 21:40:38.31ID:3R8x3WIx
図書館で言継卿記見たけど、

万の軍勢相手に3時間持たしてんのな
義輝側死者は53人で名前出てるけど、寺にいた弟とか女子供含めてだから実際戦闘したのはその半分くらいか
しかも三好・松永方数十人死んだり手負いになったりとかw

「万いるから多分楽だろ。今日の夕飯どうすっかな」
とか思ってたであろう前線の足軽とかどんな恐怖だったんだろうか
0510人間七七四年2011/06/10(金) 00:10:14.41ID:oaNnYRm3
三好方に限った話ではないが一般に前線の兵士の本音は、五体満足で帰りたい、だろう
殺らなきゃ確実に殺られるって思いの義輝方とは士気がまるで違う
0511人間七七四年2011/06/10(金) 06:02:48.32ID:8lsYOl2Y
しかし朝に奇襲だから、義輝側はろくに具足もつけられなかったんじゃないか?
義輝の御供衆って達者なのが多かったんかね
それともやっぱ義輝が切りまくったのか
0512人間七七四年2011/06/11(土) 11:10:47.33ID:ftGeoM/H
最期の戦いの時だけ師匠クラスまで行ってた、とかだと泣ける
まあ師匠2人だとそもそもあの状況を避けるんだろうが
0513人間七七四年2011/06/21(火) 13:24:41.05ID:IsVLFqR9
義輝 義昭 ふたりは足利

足利 足利 足利 足利
将軍で足利 ふたりは 足利
0514人間七七四年2011/07/02(土) 20:55:31.54ID:cmScJyzY
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110702-00000097-mailo-l08

BS時代劇塚原卜伝製作決定とのことだが公方様は誰がやるんだろうか?
0515人間七七四年2011/07/02(土) 21:08:06.22ID:4a1lbvy9
>>478
これエロ本じゃないの?
0516人間七七四年2011/07/02(土) 22:22:51.27ID:ujxkc4lw
山田康弘『戦国時代の足利将軍』はどうですか?
0517人間七七四年2011/07/02(土) 23:55:27.51ID:t4+ewdCV
>>514
永禄の変やってほしいなあ
そん時はどこにいたんだっけ、塚原師匠
上泉師匠は柳生にいたみたいだけど
0518人間七七四年2011/07/03(日) 00:10:27.17ID:fcz44HVi
>>515
萌え絵の解説本。エロ本じゃ無いw
0519人間七七四年2011/07/03(日) 05:21:34.87ID:mbVyxk7H
この人の最後格好良すぎだろ
0520人間七七四年2011/07/03(日) 13:59:24.64ID:ZigRrlq1
大河ドラマ「幽斎」
最初のクライマックス
0521人間七七四年2011/07/03(日) 18:28:07.46ID:WlqEVa+D
その後も幽斎さんが事あるごとに思い出すから中々出番が切れない
0522人間七七四年2011/09/16(金) 20:37:31.90ID:oJyoXN/l
今月の歴史魂に、義輝さん漫画が載ってるね
読んだ人いる?
webの予告だけは見たけど、卜伝の俗っぽいキャラも良さそうだ
0523人間七七四年2011/09/17(土) 13:39:21.15ID:8Kmf3+Jw
お、マジか。買おう

そういやそれの公式ツイッターで「若手編集が義輝特集号出したいって言ってたけどそいつのキャパオーバーなんで没った」
って話があったね
0524人間七七四年2011/09/17(土) 15:04:33.37ID:+5LVXMQx
>>523
勿体無い没話だ…特集組んでほしかったな いつかやってもらいたいもんだ

今日雑誌買って読んだよ 義輝さんの半生の話だったけど良かった
そして最後もきっちり書いてくれて泣けた…
もっとページ増やして、じっくり書いてほしいと思ったわ
0525人間七七四年2011/09/20(火) 21:12:44.24ID:lugqx3l9
>>514
>>522の歴史魂に主要キャスト載ってたけど、将軍は書かれてないな
でも将軍家を支える大内家の家老として平賀丹後守が書いてあるから、出てくる可能性は高い
0526人間七七四年2011/09/25(日) 19:15:17.65ID:3HP3dHWx
塚原師匠のドラマ、若い頃のやつみたいだから出てこないかもね
将軍が2話で出るみたいだけど義伊だった
0527人間七七四年2011/09/29(木) 09:31:40.43ID:91o+Qqcu
足利義輝が滅多刺しにして殺された時に最後に手に握っていた名刀は
酒呑童子の首を斬ったとされる童子切安綱だったんだよな
0528人間七七四年2011/09/29(木) 11:44:19.80ID:h/wOhr0G
どこ情報なの?
0529人間七七四年2011/09/30(金) 00:01:09.74ID:Xckhmfj7
俺も知りたい。
小説ネタってのはどうか勘弁してほしい。
0530人間七七四年2011/10/01(土) 17:54:51.05ID:vdTiu9er
典太光世を惜しげなく放り投げた後、鬼丸國綱を右手に持った。
そしてまた同じ様に反乱軍に斬り込んで行く。
鬼丸國綱の刃がこぼれると大包平、大包平の刃がこぼれると九字兼定、その後は朝嵐勝光、綾小路定利などなどの名刀が本来の職務を遂行させそして去って行ったのでした。
「公方様御前に利剣をあまた立てられ、度々とりかへ切り崩させ給う御勢に恐怖して、近付き申す者なし」
と当時の記録に残された位でした。

反乱軍にとって永遠に続くかと思われた恐怖は、簡単な理由で終わりを迎えます。
全ての刀が使われてしまい、義輝の腰に差さっている童子切安綱のみとなったのでした。
「童子切安綱が斬れなくなれば全て終わる…」
反乱軍はそう思ったに違いないのですが、義輝は童子切安綱の鯉口を切らなかったのです。
そして、鎧を脱ぎ出し、最初に座っていた床几の上に置くと表書院から奥へと進みだしたのでした。
この時、逃げ出していた松永久秀が鉄砲隊を連れて戻ってきて義輝に向けて発砲。
しかし、当らなかったと伝えられています。

義輝がそのまま奥に進み、奥の間へ足を踏み入れた時、戸の脇に隠れていた池田小三郎に足を払われます。
不意の事で義輝が転んだ上に、小三郎は障子を倒し掛けてその上から鑓を突き立てて止めを刺したのです。
足利義輝、享年30歳
0531人間七七四年2011/10/01(土) 18:00:06.09ID:vdTiu9er
そのうちに、弓の弦も切れ、ついには白兵戦となり、太刀を手にすると、「されば斬り死にせん」と叫び、邸外に踊り出て、敵の手勢を斬って斬って斬りまくりました。

義輝は己の体力が及ぶ限りに敵の手勢を斬り、あるいは刺すなど獅子奮迅の働きを見せ、刀の刃がが血脂で凝り固まるとそれを放り出して邸内にとって返し、新たな1本を抜いてはまた邸外へと舞い戻っていきます。

松永・三好の軍勢も義輝の凄まじい剣腕を恐れ、業を煮やすと、襖と障子を盾にして義輝を取り囲み、そうして四方から義輝を押し包み、背後に控えていた兵士が槍で義輝の臑を払い、義輝がうつ伏せに転んだところに無数の襖と障子で義輝を覆いつくしました。

動きを封じられた義輝はその襖、障子越しに何度もめった刺しにされて遂に絶命します。義輝が最期に手にしていたのは、源頼光が大江山の酒呑童子を退治したといわれている太刀、童子切安綱でした。
0532人間七七四年2011/10/01(土) 21:15:36.57ID:8TY2u7LJ
出典は
0533人間七七四年2011/10/02(日) 09:59:36.04ID:lOYUDStY
結局は創作ネタかよ。最低だな。
0534人間七七四年2011/10/02(日) 11:28:58.78ID:zUgWGIOR
そもそも、この時久秀いねえ
0535人間七七四年2011/10/02(日) 12:42:24.68ID:jJXvuh5t
ていうか、人間相手なら、
刀の達人一人くらい弓と矢でも殺せるし、もっと人数を揃えれば槍を投げるって手もある。

まあ、伝説になるくらいには強い人だってのは間違いないんだろうけど
金や名声で免許皆伝を貰ったなんて陰口が
武道の価値が下がった現代でもあるんだから
当時はザラだったんじゃね
0536人間七七四年2011/10/02(日) 16:31:54.40ID:xU6aqTRg
>もっと人数を揃えれば槍を投げるって手もある
それができないように義輝が誘導してた可能性は捨てきれない
(背後に敵がいないと思われる狭い廊下で戦うなど)
0537人間七七四年2011/10/02(日) 17:05:07.28ID:uHes0Hqa
貴人には貴人の殺し方があるのでは?
やり投げって、流石に…
0538人間七七四年2011/10/02(日) 17:35:23.99ID:BAOI441A
しかし正面じゃ勝てないから、最後は襖で挟んで刺殺するとか
よほど強かったんだなあ義輝 誰か2時間ドラマ作ってほしい
0539人間七七四年2011/10/02(日) 18:24:10.78ID:SPc7iP2S
自害説もあるわけで、結局真相はわかんねえんだよなあ
0540人間七七四年2011/10/02(日) 20:15:52.56ID:BAOI441A
卜伝普通に面白かった 義輝将軍出てくれるのかな
0541人間七七四年2011/10/02(日) 20:32:31.93ID:lOYUDStY
空中戦とか違う意味で面白い場面もあったけどねw
早雲出す辺り有名人はバンバン出す方向だろう。公方様は誰がやるのか?

>>535
宗矩の書状にこうやって名前が出る辺り、腕の方も武芸者の間で
知られていたんじゃないのかな?


『雲林院文書』「正月廿四日 柳生宗矩自筆書状」
・親ほくてん(卜伝)弟子ニて、於上方ハ覚(光)源院様・伊勢国司、
此親以上ニ五六人ならてハ無之候
0542人間七七四年2011/10/02(日) 20:36:27.32ID:ETS2WN/A
槍投げるのは犬槍って忌まれた行為じゃなかったか
0543人間七七四年2011/10/02(日) 20:57:04.87ID:sYA/zF7N
貴人の殺し方とか犬槍とか気にするなら
そもそも将軍殺しに走らないんじゃね?
0544人間七七四年2011/10/02(日) 21:23:33.58ID:xU6aqTRg
屋内での戦いだと槍を(あと短弓が発達しなかった日本では弓も)持ちこんでも
機動性を損なうから攻め手は刀で戦ったと想像してみる
0545人間七七四年2011/10/02(日) 21:28:26.67ID:lOYUDStY
>>542
犬槍って実際どれほど忌まれていたんだろうね。
うろ覚えだけど『三河物語』で双方槍を投げあったとか書いてなかったっけ?
0546人間七七四年2011/10/02(日) 21:58:53.97ID:SPc7iP2S
原作には義輝出るみたいね。これは期待できるかも
0547人間七七四年2011/10/02(日) 23:58:45.54ID:uHes0Hqa
>>543
いや貴人の殺し方に拘るのは、変な殺し方したら恨み度アップで呪われかねないからだろ?
別に貴種に対する敬意として殺し方に拘ってるワケでないと思うぞ
日本人って元々はかなり利己的な考え方で儀礼とか宗教とかを捉える民族だろ
0548人間七七四年2011/10/03(月) 00:51:05.29ID:tj24uOZI
今『三河物語』を確認したら「槍を互いに投げ入る」場面があり、
解説には戦術の一つとある。別のところでは槍を「投突き」にするところもあった。
戦国人にとってはさほどのタブーでもなかったんじゃないのかな?

投げ槍が犬槍というのは文献的にはいつくらいに遡れるんだろう?
0549人間七七四年2011/10/03(月) 13:12:33.26ID:D+mzYZx3
まあ義輝が源頼光が酒呑童子の首を切ったという童子切切安綱を持っていたのは事実だが
最後に手に握っていたかどうかは分からんな

以下Wikiより
足利将軍家から豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠、松平忠直に継承され、
越前松平家の高田藩から津山藩に継承された。
津山松平家では、この童子切と稲葉郷、石田正宗の3振の名刀を家宝として伝えた。
明治に入って後も津山松平家の家宝として継承され、昭和8年1月23日付で
子爵松平康春の所有名義で国宝保存法に基づく国宝
(現行法の「重要文化財」に相当)に指定されている。
文化財保護法に基づく国宝に指定されたのは1951年(昭和26年)である。
太平洋戦争終戦後、津山松平家から手放され、個人所蔵家の所有となった。
1962年(昭和37年)に文化財保護委員会(文化庁の前身)によって買い上げられ、
現在は東京国立博物館に所蔵されている。[2]
0550人間七七四年2011/10/03(月) 17:15:56.02ID:alvArAxp
>>546
原作読んだ事あるけど、義輝出てたかな?
最初の廻国修行で京都に来たのは10代将軍義稙のときで
12代の義晴すら出て来なかったような

物語自体は、卜伝が一つの太刀の伝授者を求めて
3度目の廻国修行に出る所で終わってたから、
その後のオリジナル展開が無いと義輝は出て来れないな
0551人間七七四年2011/10/04(火) 15:08:50.06ID:1TmXsP6+
槍投げをより効果的にできないかと工夫した結果が矢だとも言うけどね
0552人間七七四年2011/10/04(火) 17:35:42.36ID:2TVBfA9Q
>>551
それは石器時代のことだなw
でも槍が手持ちで突く専門になっても先祖帰り的に投げ槍に応用するのだって
ありだろ。
0553人間七七四年2011/10/04(火) 17:42:44.80ID:qTsS1wOt
つか武器の歴史自体が単純化すれば「いかに間合いを伸ばすか」なわけだから、
有効にやれるなら投げるのは当然ありだろう
0554人間七七四年2011/10/04(火) 20:57:21.79ID:2TVBfA9Q
で、本当に戦国時代には投げ槍は犬槍とされて禁忌だったのか?
0555人間七七四年2011/10/05(水) 12:59:21.12ID:j4LSNclD
籠城戦とかで高所から槍を投げ降ろすなら別として
投げ専用に作られたわけではない槍を投げて威力が出るのかどうか

籠城で槍を投げるって所から思いついたが
犬槍って攻城側からの罵声が起源だったとかないよな
0556人間七七四年2011/10/05(水) 16:50:20.73ID:uQ92wdAR
wikiの転載だけど

ほとんどの槍は投擲には適さない物が多いが、投擲に適している物なら十分な威力を期待できる。
その射程距離は低くて約15mから一番長い物で約90mにもなるが(同じ槍でも個人差でバラつきが大きく異なる)、次の槍を投げるまでに時間が掛かる上に、弓矢などより射程が短いため使い勝手が悪く、
また、持ち運びが困難であるなど、運用上の問題点は多く、その上相手側に再利用され易いと言う(再利用出来ないように刺さると自壊する物を製作する程の)問題もあった。
それでも古代に於いては重要な戦術だったが(代表例としては、ローマ軍団兵の主要装備の一つであったピルムが挙げられる)、
弓矢などの射撃用武器が発達していくなかで、次第に廃れていった(投槍器等の発明や投槍自体にも様々な改良も施されたが、槍の中では弓矢や投石などの射出武器ほどの性能は得られず、実用的な運用法も確立出来なかった)。
その為、槍は近距離・中距離戦重視の武器として発展した歴史があり、今ではやり投げと言う競技だけが残る。

作法的な事より非効率の方で忌まれたんじゃ?
本当に有効な手段なら忌まれる必要がないし、もっと根付いてると思う
使うとしたら猫だまし的な奇襲に使うくらいか
義輝の話にしても、ただでさえ近づけないのにリーチのある槍を失う様な事はやらないんじゃないか?
0557人間七七四年2011/10/05(水) 17:43:04.02ID:Q1r7Q49T
アフリカの民族が集団で投げ槍だけでアフリカゾウやサイを倒してる動画つべにあったな
0558人間七七四年2011/10/05(水) 20:25:31.95ID:7vWG4njb
槍を投げて刀で切りこみってのは自軍に日本式の腰刀を採用した戚継光もやらせてるけど
日本では聞かないしね。

高野佐三郎が腕に覚えのある明治の元勲同士が槍で試合をやったときの
決まり手の一つが投げ突きだったとか書いてたから、裏技程度にはあったのかもね。
0559人間七七四年2011/10/05(水) 22:00:40.94ID:swPVXaMS
>>558
槍一本のコストが日本には耐えられ無かったんじゃないかと思うんだが。
例えば、人一人に当てるのに何本必要か?
戦争で使う場合、相手方の前線を崩すのに何本必要か?
一本作るのに、仮に竹槍としても、矢なら何本作れるか?
そういう発想と、戦争は経済活動の一種くらいにしか考えてない
欧州どころか中国よりも軟弱な戦争観しか持たない国だとしたら
槍を投げるなんて無茶な発想は持てなかったと思う。
0560人間七七四年2011/10/05(水) 22:48:10.55ID:IBKv47BE
>戦争は経済活動の一種くらいにしか考えてない
>欧州どころか中国よりも軟弱な戦争観しか持たない国だとしたら

軟弱っていうか、それ真理じゃね?
0561人間七七四年2011/10/05(水) 23:12:41.45ID:swPVXaMS
>>560
何が真理かは知らんが
経済活動の一環と見るには、社会が負担するコストが大き過ぎるし
殲滅戦が大好きなイギリスひいてはアメリカが大手を振ってる時代からしたら
軟弱な戦争は真理じゃないんじゃね?

硬派な戦争をやってる国の方が科学も発展したっぽいし
0562人間七七四年2011/10/06(木) 00:00:54.14ID:3ySMMEPa
戚家軍の標槍なんて盾のうちに収まるようなごく短いモノなんだが。
そんな大げさなものじゃないよ。それに鉄砲の上陸から瞬く間に
大量生産の体制を整える戦国日本の経済力はそこまで脆弱じゃないだろ。
0563人間七七四年2011/10/06(木) 12:22:52.86ID:3GS6fSgN
槍投げの話はまだ話の延長だったが
外国の槍と戦争観の話題は脱線しすぎじゃね?
0564人間七七四年2011/10/06(木) 12:30:54.03ID:GlSzcE3W
>>557の動画あった
http://www.youtube.com/watch?v=fkN6C1ur1t8
投げ槍の威力は凄まじいよ
御覧の通り巨大なアフリカ象や象ですら倒せる
0565人間七七四年2011/10/06(木) 13:34:47.55ID:W4gcttJ8
もう投げ槍の話題はこっちとかでやろうよ。

盾・弩などは何故日本で普及しなかったのか 4
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242040799/
0566人間七七四年2011/10/07(金) 12:27:32.46ID:CMHfLrrV
出陣時には槍を持ってたとしても御所みたいな屋内に入る前に
槍や弓矢は外へ置いていくなんていうことはあったのだろうか

こういうのって当時の人は常識だと思ってるから
かえって史料に残りにいのかも

永禄の変の場合は刀じゃ反義輝の兵が死ぬばかりだから
結局置いてきた槍を取ってきて一斉攻撃してやっと討ったとか勝手に想像
0567人間七七四年2011/10/07(金) 15:31:59.21ID:1g5VS36O
よくわからんが家康存命時に描かれた関ヶ原合戦図屏風で柵に囲まれた敵陣に攻め入る場面では
ほとんどが抜き身の刀だな。

http://history.harikonotora.net/src/200-61.jpg
0568人間七七四年2011/10/20(木) 15:06:24.54ID:H3DfHpsN
20年前のNHK大河ドラマ「信長」
足利義輝最期の奮戦シーンあったわ
http://www.youtube.com/watch?v=CcFq1xDaVd8
21:00〜
0569人間七七四年2011/10/20(木) 21:00:10.28ID:uCRjZZIH
剣の円陣はなしかー。でも乙
0570人間七七四年2011/10/23(日) 16:02:16.51ID:AhrzuxIs
>>568
5,6人斬る→鉄砲隊に狙われる→護衛兵達が身を呈して盾になる
→敵の撃ち方が止んだ直後に敵中に切り込んでいく→袈裟切り、胴で二人を斬る
→もう一人上段で斬った後に囲まれる→上段で斬りかかるが太刀が折れる
→左フックで殴り倒す→「太刀を!」と叫んだ直後に飛んできた弓矢が右脇腹、左肩に刺さる
→動きが止まって背後から肩を斬られる→脇腹の矢を引き抜いて斬った敵の首に刺す
→太刀を奪い取った瞬間に2,3人にブスブスと刺される→鉄砲で左胸を撃ち抜かれる
→倒れる

お馴染みの名刀コレクション使い捨てが無いのは残念だが見応えあるな
0571人間七七四年2011/10/29(土) 23:59:40.91ID:Zz+6mquh
義輝と無関係ではないながらもちょっと話がずれるが
義輝の代までは朽木・若狭武田の領地が将軍家の退路になってたとすると
義昭の代に朽木家が織田へなびいたことで将軍家は貴重な退路を失い
幕府滅亡に繋がる一因になったということになる?
05722011/12/21(水) 01:19:32.72ID:evJOzBqQ
暗殺されなかったらなー
この人の暗殺がもっとも惜しまれるなー
0573人間七七四年2011/12/22(木) 07:38:25.95ID:lzufbdZn
>>570
こんな鎧着てなかったでしょ。
動きにくくなるし。
あと、刀を全部あっちこっちに配置しといて、斬っては捨て、斬っては捨て、の繰り返し。
こんだけ多勢なのに松永久秀がビクビクしてたのは、もしかしたら負けるかもしれないっていう不安もあったから。
それだけ、義輝の強さは当時としては凄まじかった。
当時30歳、脂乗ってきてちょうど身体的にも一番強い時期だろ。
現場は『シグルイ』みたいなリアル地獄絵図だったはず。
でももし暗殺されなかったら、義輝は一生この鬼神ぶりを見せつけることなく終わってたかもよ。
それに、もうあそこまで弱体化してたらもはや幕府復権なんか無理だったろ。
もうさんざん逃げたりして放浪の人生だったから、最期に自分の剣技を見せつけて散ろうってことだったんじゃね。

それにしてもまた大河逃したな。
何でだ。
絶対大河向けだろ。
一般的知名度の低さか。
0574人間七七四年2011/12/22(木) 12:33:41.53ID:YRGEhggw
アンリミテッドブレイドワークス
0575人間七七四年2011/12/22(木) 13:14:22.28ID:dsCsNUBe
三好・松永軍やる気の無さすぎ
0576人間七七四年2011/12/22(木) 15:48:06.94ID:IQ7H1uvB
そりゃ>>509-510の通りだし
0577人間七七四年2011/12/22(木) 23:13:17.25ID:d0Xt8Z5h
>>573
一応「調停役」としての立場は出来て来てた様に思う。
後は臣下の例をとってくれる武力があれば、ってとこだったけど、信長さんはまあアレだし、謙信さんは北から来てくれないし。
0578人間七七四年2011/12/23(金) 00:26:10.43ID:ZICUOQbZ
実際に永禄6年に毛利・大友の和睦で調停役を務めた
0579人間七七四年2011/12/23(金) 17:30:38.01ID:ZICUOQbZ
あと数年持ちこたえれば信長が本格的に畿内に来たからだいぶ歴史が変わったと思う
後に義輝と信長が主導権争いする可能性も含めて
05802011/12/23(金) 20:32:16.70ID:bSLuduIW
信長の力を借りての幕府再興なら義輝相手でもいう事聞くとは思えん
史実通りに対立したんじゃないかなゆくゆくわ
0581人間七七四年2011/12/24(土) 23:05:25.04ID:e42NiQCg
>>574
ロリブル松永久秀
0582人間七七四年2011/12/27(火) 15:46:56.15ID:8vcE8ALL
死にたい人にお薦めの危険な街京都

・天皇125代のうち京都で崩御した天皇は半数を超える、特に若くして崩御した例では京都が突出している
・歴代摂政の大半が京都で死んでいる
・歴代関白のうち京都以外の地で死んだのは豊臣秀次などほんの一握りしかいない
・室町幕府将軍のうち9名が京都で死んでいる
・紫式部、清少納言、吉田兼好、織田信長、石田三成、長曽我部盛親、芹沢鴨、坂本龍馬…京都で死んだ有名人は数多い
・今川義元、武田信玄は上洛中に急死している
0583人間七七四年2011/12/27(火) 17:48:57.36ID:40pxgbUa
一度上洛してみなよ。

暇つぶしになる。
0584人間七七四年2011/12/27(火) 23:56:52.69ID:67GKQVQn
>>580
そりゃ光源院様も野心家だからな。
三好長慶とか何度暗殺団送り込まれてるんだw
0585人間七七四年2011/12/29(木) 12:34:11.85ID:QGrAHVKR
wikipediaの義輝や、三好長慶の記事にも、
「また、長慶はたびたび暗殺未遂事件に遭遇しているが、義輝の差し金であったとされる。」
「遊佐長教は天文20年(1550年)、三好家の台頭を疎んじた将軍足利義輝によるものとされる暗殺の犠牲者となってしまう。」
とは書いてはあるもののその「される」という出典はどこにあるんだろう。

確か今谷明氏の『戦国三好一族』で、
筒井順昭の病死、遊佐長教の斬殺、三好長慶の伊勢貞孝邸での斬殺未遂について、
これらに将軍家が関与していた可能性もあるかもしれないと書かれていたものが、
その後、一人歩きして出典も書かれないままに、
将軍個人のプランニングとして尾ひれがついたもののような気がする。

天文19年〜20年に発生したこれらの事件を将軍が一人でやり遂げたとするのは、
可能性として、否定はできないものの、
細川晴元らの生きている当時、将軍が主導的に動くには、
まだ少し年齢が若すぎるようにも思う。

個人的には、暗殺のスペシャリストとしての将軍像に惹かれもするし、
もし十四、五歳でそれをやり遂げたのなら相当なものだとも思うし、
もしかしたら当時の史料などにも記述された有名な話なのかもしれないが。
0586人間七七四年2011/12/29(木) 19:15:03.84ID:GBWlmX5h
一次資料には多分ないんじゃねえかな、将軍が暗殺しようとしましたなんてえ記述はw
0587人間七七四年2011/12/29(木) 21:39:18.71ID:O4T4aPzK
将軍の近臣が長慶に斬りかかり、
すぐに公家の日記に書かれて、
しばらく公方の仕業だと噂されたのは、
ちゃんと一次史料に書いてある。
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